登録日:2025/03/20(木) 13:16:10
更新日:2025/03/27 Thu 11:53:08
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Finally Sadler's Wells, champion in Europe,
has a derby winner and his name is Galileo!
欧州チャンピオンのサドラーズウェルズがついに輩出したダービー馬、
2001年第222回ダービーステークス 実況:Racing TV
ガリレオ(Galileo)とは、1998年生まれのアイルランドの競走馬・種牡馬。
超良血の名に恥じない活躍で世代の最強馬に君臨し、引退しては今世紀最大の種牡馬として覇権を確立したスーパーサイアーである。
概要
4代血統表
Sadler's Wells 1981 鹿毛 |
Northern Danser 1961 鹿毛 |
Nearctic 1954 黒鹿毛 |
Nearco 1935 黒鹿毛 |
Lady Angela 1944 栗毛 |
Natalma 1957 鹿毛 |
Native Dancer 1950 芦毛 |
Almahmoud 1947 栗毛 |
Fairy Bridge 1975 鹿毛 |
Bold Reason 1968 黒鹿毛 |
Hail to Reason 1958 黒鹿毛 |
Lalun 1952 鹿毛 |
Special 1969 鹿毛 |
Forli 1963 栗毛 |
Thong 1964 鹿毛 |
Urban Sea 1989 栗毛 FNo.9-h |
Miswaki 1978 栗毛 |
Mr. Prospector 1970 鹿毛 |
Raise a Native 1961 栗毛 |
Gold Digger 1962 鹿毛 |
Hopespringseternal 1971 栗毛 |
Buckpasser 1963 鹿毛 |
Rose Bower 1958 栗毛 |
Allegretta 1978 鹿毛 |
Lombard 1967 栗毛 |
Agio 1955 鹿毛 |
Promised Lady 1961 栗毛 |
Anatevka 1969 栗毛 |
Espresso 1958 鹿毛 |
Almyra 1962 栗毛 |
父サドラーズウェルズ、
母アーバンシー、母の父ミスワキという超良血。
父は現役時代G1・3勝を挙げ、
ノーザンダンサー産駒として最大の成功を収めた大種牡馬。ガリレオ誕生以前にすでに
インザウィングス、
オペラハウス、
カーネギー、
モンジューと名馬を量産し、種牡馬としての名声は不動のものとなっていた。
母は豪華メンバーの集った
凱旋門賞を人気薄で制して世界を驚かせ、繁殖入り後は産駒をハイアベレージに輩出しまたもや世界の度肝を抜いた
史上最大の繁殖牝馬。この当時は初仔がさっそく重賞馬、2番仔がG1で2着に食い込んだところで、ガリレオはそれらに続く3番仔であった。
サドラーズウェルズは世界有数の競走馬生産団体クールモアスタッドの至宝で、アーバンシーはその馬主だった香港の実業家デヴィッド・ツイ氏がアイルランドに設立したサンダーランド・ホールディングスの持ち馬である。
ガリレオはこの両団体の共同生産という形で生み出され、クールモアスタッドの所有のもとで競走馬となった。
誕生時点で良血として話題だったが成長するにつれ雄大な馬格と鋭い流星をもった美形の馬になった。その様は本馬を管理するエイダン・オブライエン調教師をして「最も完璧に生まれた馬」「水の上でも走ることができる」とまで言わしめた。
またクールモアスタッドは相当に自信を持った馬にしか人名にちなんだ名前をつけないため、そこからも史上最大の天文学者の名前が与えられた意味の重さがうかがえよう。
競走生活
2歳時
20世紀最後の年、2000年10月にアイルランドのレパーズタウン競馬場で行われた未勝利戦(芝8F)で名手マイケル・キネーンを鞍上にデビュー。
ひどい不良馬場だったがそれさえものともせず、残り2ハロンからの仕掛けで2着に14馬身差という大差をつけて圧勝するド派手な勝利を飾った。
オブライエン師は2歳G1戦線にも強く有力馬をそちらにガンガン投入することも多いのだが、ガリレオについてはまだ身体が未完成で体調を崩しやすかったこともあり、来年のクラシック戦線を見据えてこの1戦で2歳時は終了。
その全貌がヴェールを脱ぐのは持ち越しとなった。
3歳時
デビュー戦の時点でオブライエン師はガリレオを世代の最強馬と確信していたようだが、血統面から考えても無理はさせまいということでクラシック1冠目の2000ギニーステークスは回避。間違いなく向くとみられるダービーを目標に据えた。
そして新世紀となった2001年4月、まずは叩きとしてレパーズタウン競馬場のリステッド競走バリサックスステークス(芝10F)に出走。
この年の英セントレジャー馬ミランや、アイリッシュセントレジャー4連覇を果たすヴィニーローといった素質馬が相手であったが、単勝1.3倍の支持に応えて好位先行という優等生な競馬を披露。
2着ミランに3馬身差をつけて完勝した。しかしオブライエン師はさらなる良化の余地を感じていたという。
続いては5月、同じくレパーズタウン競馬場にてダービーの前哨戦であるG3ダービートライアルステークス(芝10F)に出走。キネーン騎手がフランス遠征中だったため、代打でジーミー・ヘファーナン騎手がテン乗りとなった。
レースはテン乗りということもあってか後方からの控えめな走りとなった。結果的には2着を1と1/2馬身差下しての勝利で前2走ほどのインパクトはなかったが、人気を背負いながら見せた余裕の無敗3連勝はガリレオの評価をますます高めるものとなった。
そして6月のエプソムダウンズ競馬場で、ついに大一番のG1ダービーステークス(芝12F)を迎えることとなった。
- この年の2000ギニー馬で後にG1キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスも制するゴーラン
- サラマンドル賞・デューハーストステークスと2歳G1・2連勝を誇るカルティエ賞最優秀2歳牡馬トゥブーグ
- 後にG1英チャンピオンステークスなどG1・3勝を挙げ日本に種牡馬として渡ることになるストーミングホーム
- 2歳G1レーシングポストトロフィーを勝ち、重要な前哨戦であるG3ダンテステークスも勝っているディルシャーン
など、トライアルレースをしっかりと勝って駒を進めてきた強豪が集結し、かなりハイレベルな戦いとなった。
単勝オッズもガリレオとゴーランが同じく3.75倍の1番人気で拮抗。3番人気と4番人気もそれぞれ5.5倍、6倍と混戦模様を呈した。
レースもそんな下馬評を映したように、スタートからほぼひとかたまりの馬群となってスローペースで進行した。ガリレオは先頭の2頭を見る3番手からレースを進め、直線でキネーン騎手が外に持ち出して仕掛けると鋭く反応。
前の2頭をあっさり撫で斬り、残り2ハロンでは完全に抜け出して先頭となった。後方から追撃してきたゴーランが2番手まで上がったもののガリレオの脚色はまったく衰えず、
ゴール前は流す余裕さえ見せて2着ゴーランに3馬身半差で圧勝。
スローペースにも関わらず勝ち時計
2分33秒27は
ラムタラが1995年に記録したレコードタイムに次ぐ
当時史上2位の好タイム。サドラーズウェルズ産駒として英ダービー初勝利を飾り、長年続いた同産駒のジンクスにも終止符を打った。
この通りもはや文句のつけようのないレースぶりで、メディアからも過去10年で最も強い勝ち方と評され、キネーン騎手も「
自分が乗った中で最良の馬」と惜しみなく賛辞を贈った。
その後7月はアイルランドに戻ってカラ競馬場のG1アイリッシュダービー(芝12F)に出走。
ここにはゴーランらに加えてイタリアダービー馬のモルシュディが新顔として参戦してきたが、前走の怪物ぶりから単勝1.3倍の断然人気となった。
レースではこれまで同様、好位先行を図って4番手で競馬を進めた。直線に入ると他馬の騎手が手を激しく動かしてもキネーンは持ったままの余裕を見せ、残り3ハロンを切って鞭を1回だけ入れると末脚が一閃。瞬く間に先頭を奪取して後続を引き離し、最終的には2着モルシュディに4馬身差をつけて楽勝をおさめた。
ここでも勝ち時計の2分27秒1はセントジョヴァイトの2分25秒6というレコードに次ぐ当時史上2位の好タイムで、前年のシンダーに続いて史上14頭目の英愛ダービー制覇を達成。
ちなみに無敗での達成は1993年のコマンダーインチーフ以来4頭目であった。
同世代を完全に撃破したガリレオ陣営はさらに古馬との戦いを志向し、イギリスでの夏の中距離王決定戦たる、アスコット競馬場のG1キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークス(芝12F)に参戦した。
世代を超えた戦いとだけあって英ダービー以上に強力な相手がラインナップに並び、
- マンノウォーステークス・香港カップ・タタソールズ金杯・プリンスオブウェールズステークスとG1・4勝を誇るゴドルフィンのエースにして古馬の総大将ファンタスティックライト
- 同年のフランスダービー馬アナバーブルー
- ジャンプラ賞・オイロパ賞・伊ジョッキークラブ大賞・ガネー賞とG1・4勝を挙げているゴールデンスネイク
- 昨年の英セントレジャー馬で前走英G1コロネーションカップも3着に食い込んできたミレナリー
- 前走英G2プリンセスオブウェールズステークスを勝って乗り込んできた、後のカナダG1勝ち馬ムタマム
などが顔を揃えた。とりわけファンタスティックライトは世界各地で走っている経験豊富な馬で、鞍上にも名手ランフランコ・デットーリを擁する強敵だった。
当のガリレオの方はキネーン騎手が直前のレースで騎乗停止処分を喰らっていたのだが、裁判所に申し立ててこの処分を保留させるという強引すぎる手段でレースに参戦。
レースはファンタスティックライトのペースメーカーであるギヴザスリップが先頭に立って引っ張り、ガリレオは中団に待機。それを見るすぐ後ろにファンタスティックライトがつけた。
ガリレオは3コーナーから4コーナーにかけて馬群の内側を通って経済コースでポジションを上げ、3番手で直線に突入。
いつも通りの伸びで先頭に立ったが、そこにファンタスティックライトが馬群を突き抜けて襲いかかり、その勢いたるやガリレオを間違いなく抜き去るかと思われるほどの豪脚だった。
だがガリレオの末脚は衰えることがなく、ファンタスティックライトに並ばせなかっただけでなく最後は差を広げて2馬身差をつけ快勝した。
オブライエン師をして「初めて厳しい競馬になった」と語るほどタフなレースだったが、ファンタスティックライトの徹底マークをものともしない底力を見せつけての勝利だった。
英愛ダービーとキングジョージを全勝するのは1991年のジェネラス以来史上7頭目、無敗での達成はあのニジンスキーに続く2頭目だった。この時点でガリレオはこれら過去の名馬に匹敵する域に達したのである。
常識的にはここからは
凱旋門賞や
BCターフといった欧州芝中距離の王道を進むのだが、かねてからオブライエン師やジョン・マグナーはガリレオを常識にとらわれないローテで活躍させるという計画をコメントしていた。
それは「ここから
10ハロン→マイル戦へと距離短縮し、最後は芝ではなく
ダートの最高峰であるBCクラシックに向かわせる」というものだった。
さすがにマイルまでの距離短縮は過激であるとして見送られたが10ハロン戦への挑戦は確定事項となり、その計画に従って次走はアイルランド伝統のG1である
アイリッシュチャンピオンステークス(芝10F)となった。
このレースには前走で破ったファンタスティックライトも直行してきており、他に大した有力馬もいなかったため事実上2頭のリターンマッチとなった。このマッチレースは
クールモアと
ゴドルフィンという欧州競馬を支配する二大グループの対決でもあり、戦前から注目を集めることになった。
今回オブライエン師はペースメーカーを用意しており、ハイペースにしてガリレオのスタミナを活かす競馬を目論んでいた。…が、そんな思惑と裏腹にこれが後方をはるかに置き去りにしてずっと前を走っていってしまった。
さらにファンタスティックライトは前走とは変わってガリレオより前でレースを進めたため、オブライエン師の作戦は当てが外れる格好となった。
直線入り口でファンタスティックライトが仕掛けるとガリレオも外から合わせて仕掛けにいったが、抜き去ろうとするガリレオに対しファンタスティックライトは驚異的な勝負根性で抵抗。
これこそがゴドルフィンの立てた「マークするのではなくガリレオより前で、ファンタスティックライト本来の競馬をすれば勝てる」という作戦の真髄だった。
結局熾烈な叩き合いのなか一度もガリレオにリードを許さず、ファンタスティックライトがアタマ差でこの対決を制した。
ガリレオにとっては初の敗北で、前走からファンタスティックライトとの斤量差が縮まったなかでの対決で敗れたのは痛いところだったが、同時代の強豪同士の死闘ということで評価に傷のつくような敗北ではなかった。
むしろ勝ったファンタスティックライトのデットーリ騎手がレース後に
"It's a shame one of them had to lose!"
「どちらかが負けなくてはいけないのが残念だよ!」
とコメントしたとおり、競馬史に残る名勝負であった。
次走はかねてから計画の通り、アメリカはベルモントパーク競馬場で開かれるダートG1の世界最高峰、ブリーダーズカップ・クラシック(ダート10F)となった。
参戦にあたってはイギリスのサウスウェルにある調教場で事前にダート調教が施されている。
ちなみに当初はファンタスティックライトもBCクラシックに参戦予定だったため3度目の対決が期待されたが、結局ファンタスティックライトはゴドルフィンの使い分けでBCターフの方へ向かいお流れとなった。
とはいえそれでも芝・ダートの垣根を越えて充実のメンバーが揃った。
- オブライエン厩舎のマイル王ジャイアンツコーズウェイを下して昨年のBCクラシックを勝ったG1・3勝のエクリプス賞年度代表馬ティズナウ
- この年のインターナショナルステークスを7馬身差、凱旋門賞を6馬身差と圧巻のG1・2連勝で乗り込んできたゴドルフィンの最精鋭サキー
- BCジュヴェナイルを制して昨年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬に輝いているヒムヤー系の星マッチョウノ
- 昨年のG1ジョッキークラブ金杯を勝ちこの年のG1戦線でも3位以内に安定して好走しているアルバートザグレート
- そのアルバートザグレートをG1ピムリコスペシャルハンディキャップで倒しているインクルード
- この年のハリウッド金杯・ジョッキークラブ金杯とG1を2勝し「BCクラシック男」ジェリー・ベイリーが駆るアプティチュード
- オブライエン厩舎の同僚で愛2000ギニー・セントジェームズパレスステークスとマイルG1・2勝のブラックミナルーシュ
ガリレオは欧州での暴れっぷりや、アメリカ人からさえアメリカ馬が本命不在と見なされたこともあって
2番人気の支持を受けた。前年チャンピオンの
ティズナウがいるにも関わらず…。
レースが始まると翌年にエクリプス賞最優秀短距離馬となるオリエンテートがぶっ飛ばしていき、ティズナウとアルバートザグレートがそれを追走。ガリレオは5番手につけてレースを進めた。オリエンテートは3コーナーで燃え尽きてアルバートザグレートが先頭に入れ替わると、ティズナウとサキーがギアを上げてこれを追撃。
キネーン騎手もガリレオに鞭を入れてポジションを上げようとしたが、これまでと打って変わってガリレオは別の馬のように反応が悪く、8番手で直線を向く羽目になった。
結局失速もしないが加速することもなく、アメリカの意地とゴドルフィンの野望をかけたティズナウとサキーの激闘を見送る6位での入線。オブライエン師の悲願にはまたしても届かず、生涯最低の順位となってしまった。
原因はまったくの不明だが、一般にはダートでのレースが合わなかったためとされている。
BCクラシック前から告知されていたが、このレースを最後に引退。21世紀最初の最強馬は8戦6勝2敗の成績でターフを去った。
年末のカルティエ賞では最優秀3歳牡馬を文句なしで受賞したものの、年度代表馬の座はBCターフも制したファンタスティックライトに譲ることとなった。
競走馬としての評価
デビューから3歳前半にかけての個々のパフォーマンスは圧巻で、
競走馬としての能力が歴史的名馬の域にあることは疑いようもない。
ただ3歳後半の連敗については迷走と批判する向きも根強い。
凱旋門賞などの王道路線に出走した場合に期待されたはずのものを考えると、オブライエン師の評価通りにはいかず失速した感もありファンとしてはモヤモヤの残る、評価の分かれるところである。
とはいえ未知の領域に挑んだこと自体は立派なチャレンジであり、オブライエン師の抱くBCクラシック制覇の執念もあったので少なくとも良血に恥じない走りではあった。
現実と夢の狭間という競馬のジレンマをある種体現した馬だったともいえる。
3歳引退という欧州有力馬にありがちなキャリアゆえ、古馬となっていたらどんなレースが見られたのかも気になるところではある。
だが種牡馬成績を見る限り、むしろここからが本番だったため、3歳限りでの引退は間違いではなかったようだ。
種牡馬として
2002年からクールモアスタッドの種牡馬としてアイルランドでスタッドイン。2006年まではオーストラリアでも活動を行うシャトル種牡馬となっていた。
そして肝心の産駒成績はというと初年度から南半球・北半球を問わずG1馬をドバドバと輩出。
初年度産駒から早々に4頭のG1馬が登場すると、その後毎年途切れることなく、なんと19世代連続でG1馬を送り出し続けた。
2008年には第3世代の産駒からニューアプローチが英ダービーを含むG1・5勝の活躍をみせたことで初の英愛リーディングサイアーに輝くと、2010年~2020年まで11年連続で英愛リーディングサイアーの座を堅持。
その後も史上最高のレーティング140を記録した最強馬フランケルや、G1・7勝の中距離王ハイランドリール、女王エネイブルを打ち破った凱旋門賞馬ヴァルトガイスト、欧州の長距離王キプリオスなど怒涛の勢いで名馬を送り出し、史上最多14回の英愛リーディングサイアーとなった父サドラーズウェルズに並ぶ歴史的大種牡馬となった。
2020年6月には愛1000ギニーをピースフルが勝利したことでG1勝利産駒が85頭に達し、84頭のデインヒルを抜いて史上1位の座についた。その後も勢いはとどまらず、2024年8月にヨークシャーオークスをコンテントが勝利したことでG1勝利産駒100頭の大台に到達。完全に歴史を塗り替えた。
最も重視される英ダービーにおいてもニューアプローチ、ルーラーオブザワールド、オーストラリア、アンソニーヴァンダイク、サーペンタインと5頭の勝ち馬を輩出し、この数字は史上単独1位である。
産駒傾向は牝馬次第で多種多様だが、スピード、仕上がりの早さなど競走馬として好ましいポイントが多いのが特徴。距離適性はマイラーからステイヤーまで幅広いが、自身のミオスタチン遺伝子型が長距離タイプのTTであるためか、スプリンターは少ない。
相手の牝馬は特に相性の好悪なく安定して素質馬を生み出せるようだが、デインヒルの牝馬との組み合わせには注目に値するものがある。
これは俗にガリデイン配合と呼ばれ、かのフランケル&ノーブルミッション兄弟を筆頭に活躍馬を多数送り出した。
活躍の場についても本拠地欧州だけでなくシャトル先のオーストラリア、さらにアメリカ芝路線や香港、南アフリカと、芝ならば活躍の場を選ばないオールマイティさを備えている。
ただし日本だけは例外でまったくといっていいほど活躍馬が出ず、G1どころか重賞ですら勝ち馬が現れていない(これはモンジューと同様である)。原因をスタミナ・パワー偏重の血統に求める向きが強いが、牝馬から軽快さを得られるからこそこれだけの海外での結果につながっているはずなので、非常に大きな謎である。
さらに母父としても優秀で、その代表例としては日本の誇る
ディープインパクトとの結晶たる
サクソンウォリアー&
オーギュストロダン、シユーニの産駒として凱旋門賞も制したフランスダービー馬
ソットサスとその全弟たる
シンエンペラー、カルティエ賞年度代表馬になった
セントマークスバシリカ。
ドバウィ産駒からは種牡馬としても絶賛活躍中の2000ギニー馬
ナイトオブサンダーや年度代表馬の
ガイヤースがいる。
これは牝馬からも活躍馬が安定して現れていることの裏返しでもある。
くわえて後継種牡馬も複数頭が地位を築いており、先述の最強馬フランケルを筆頭にニューアプローチやナサニエル、チャーチルらが順調にG1勝ち馬を産駒として輩出している。
サドラーズウェルズのラインは当面絶える心配はなく、自身も完全に安泰という状況である。
この通り当代では並ぶもののないほどに血を広げたガリレオだったが、2021年7月に左前脚の慢性的な傷が悪化。衰弱著しく、安楽死の措置がとられた。23歳の大往生で、これもまた父サドラーズウェルズとそっくりな生命力であった。
晩年はプライベート種牡馬となっていたため正確な種付け料は不明だが、その額は60万ポンドだったと言われ、これは当時のレートで約9000万円にものぼる破格の値段である。
ちなみに同じ日には産駒のボリショイバレエがアメリカG1ベルモント招待ダービーを制し、父への手向けを贈った。
先述の通り2024年も残された産駒がG1勝利を積み重ねており、おそらく今後もしばらくは活躍が続くと見込まれている。
すでに遍く広がった天才の血は世界の競馬の未来をどのように変えていくのか、これからも目が離せない。
代表産駒たち
※G1ウィナーに絞ってもあまりにも多すぎるため、一部の特筆すべき顔ぶれをご紹介する。
テオフィロ(2004年産)
2年目の産駒にしてガリデイン配合の記念すべき第1号となった、2006年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬。
デビューから瞬く間に連勝してG2フューチュリティステークスを制すると、勢いそのままにナショナルステークス、デューハーストステークスと英愛の2歳G1を勝利。無傷の5連勝で2歳馬のトップとしての地位を築いた。
陣営からは翌年のクラシック三冠を狙うと宣言が出るほど絶好調だったのだが、2007年になってみると脚の状態が思わしくないため2000ギニーを回避…どころかダービーさえ回避する羽目になり、愛チャンピオンSでの復帰を模索したものの結局状態は回復せず。
3歳限りでの引退が決まっていたため、もう出るレースがないということでここで引退。結局レース出走は2歳時のみだった。
種牡馬としては初年度産駒からパリッシュホールが早々に2歳G1を制して上々の滑り出しを見せ、その後も安定して毎年G1馬を輩出。
2年目産駒にしてガリレオの後継種牡馬の一角となり、三冠の夢を託された所以を証明してみせた。
日本にも産駒が輸入されており、そのうちの1頭のテリトーリアルは2021年のG3小倉大賞典を勝利。同世代のエグザルタントは香港でG1・5勝を挙げるなど、欧州以外でも存在感を見せている。
ニューアプローチ(2005年産)
G1・5勝、11戦8勝2着2回3着1回というたぐいまれな戦績を残し、ガリレオ産駒の評価を爆発的に高めた最初のエース。
2歳の時点でG1・2勝を含む5連勝という圧倒的な戦績を残し、3歳時は英愛2000ギニーをともにヘンリーザナヴィゲーターの2着と苦杯をなめるも続く英ダービーで逆襲の戴冠。ガリレオに早くもダービー馬の父という称号をもたらした。
その後英愛チャンピオンSを連勝し、とくに引退レースとなった英チャンピオンSは2着を6馬身差にぶっちぎりながらレコードを叩き出す圧巻のパフォーマンスを見せつけた。
種牡馬入りしてからはガリレオ後継として複数のG1馬を輩出しており、2018年にはマサーが英ダービーを勝利。ガリレオから数えて3代連続ダービー勝利という快挙を果たした。
日本でも2020年のG3共同通信杯をダーリントンホールが勝利、母父としてもバスラットレオンが国内外で活躍、ルガルがスプリンターズステークスを制覇するなど実績を残している。
ちなみに1998年の高松宮記念を制したシンコウフォレストは本馬の半兄にあたる。
フランケル(2008年産)
G1・10勝、
14戦14勝、
2歳から4歳にいたるまで一貫して最強の座にあり続けた世紀の怪物。ガリデイン配合の最高傑作でもある。
キャリア詳細については
フランケルの当該項目を参照。
レーティング140という史上最高の評価を受けた本馬を生み出したことは、ガリレオの種牡馬としての名声を不動のものにした。
本馬もまた種牡馬としても成功しており、現状
ガリレオ後継種牡馬の筆頭と呼べるまで実績を積み重ねている。
2021年には
アダイヤーの英ダービー勝利によってダービー馬の父の称号を獲得。さらに
ハリケーンレーンや
アルピニスタらの活躍もあって同年に亡くなった父に代わって英愛リーディングサイアーに輝いた。
2022年には
アルピニスタが凱旋門賞を制し、2023年には孫の
エースインパクトが同じく凱旋門賞を勝利するなど、血の継承も確実に進んでいる。
またガリレオと異なり
産駒が日本にも適応していることも特徴的である。
ソウルスターリングが阪神JFとオークスを制覇、
モズアスコットが芝・ダート不問の万能性を示したかと思えば、
グレナディアガーズがフューチュリティステークスを制する仕上がりの早さを示すなど、多彩な実力馬を送り出している。
種付け料の上昇にもその価値が反映されており、日本円にして
約7000万円にまで達している。
現役時代もさることながら、今後も最も注目すべきガリレオ産駒と言えよう。
ナサニエル(2008年産)
フランケルとは同期、同父、同レースでデビュー、同レースで引退と、フランケルとは何かと因縁深い一頭。
フランケルとデビュー戦でかちあってしまったがために勝ち上がりが遅れ、クラシックに参戦できない憂き目にあったものの、
それでも重賞を勝つと追加登録料を払ってまでキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSに参戦。
レースでは昨年の凱旋門賞馬ワークフォースら強豪をまとめて退け、3歳馬として8年ぶりに同レースを制して自身の素質を示して見せた。
翌年もエクリプスステークスを勝ってG1・2勝とするなど多くの強豪と渡り合い名勝負を演じた。
種牡馬入り後は堅調にG1馬を輩出。なんと初年度産駒からあの女傑エネイブルが飛び出し、6歳まで世界中を駆け巡って凱旋門賞連覇を含むG1・11勝というレジェンドホースの父に大出世を果たした。
エネイブルはキングジョージ3勝という史上初の偉業を成し遂げており、ガリレオから数えて3代連続のキングジョージ制覇となっている。
産駒総数の規模では敵わないながら、アダイヤーが英ダービーを制した翌年にはナサニエルもデザートクラウンの圧勝でダービー馬の父となるなど、フランケルとはガリレオ後継として未だにバチバチやりあう関係が続いている。
ファウンド(2012年産)
ガリレオ産駒として凱旋門賞を初めて制覇してみせた牝馬。
フランス2歳G1のマルセルブサック賞を制しておりクラシックでの活躍を嘱望されたが、怪我のため3歳初戦の1000ギニーへの出走を取り消してケチがつくと、その後はG1で2着を量産するなど消化不良の日々が続いた。
それでも3歳最後のレースに選んだBCターフでは、過去2戦で苦杯をなめさせられた凱旋門賞馬ゴールデンホーンに雪辱を果たす勝利を挙げた。
翌年はタタソールズ金杯から愛チャンピオンSまでG1を5連続で2着敗戦するなどまたもや善戦ウーマンと化すが、続く凱旋門賞では
同厩舎のガリレオ産駒2頭の追撃を軽快にかわして見事勝利。
ガリレオ産駒として初めての凱旋門賞制覇を、
同産駒によるワンツースリーで飾った。
引退後はクールモアスタッドで繁殖入りとなった。2024年時点で第2仔が生まれたばかりだが、ウォーフロントとの間の初仔
バトルグラウンドがリステッド競走を勝ち、マイルG1で3着に突っ込むなどまずまずの活躍である。
そして2024年は
ディープインパクト産駒のフランスダービー馬、
スタディオブマンとの間に第2仔を出産。母の名声をさらに高めることができるか。
全妹
ベストインザワールドはディープインパクトとの間に英オークスなどを制覇した
スノーフォールを生んでいる。
ハイランドリール(2012年産)
ガリデイン配合の傑作その3にして、
世界各地を転戦して最終的にG1・7勝を挙げた名馬。日本馬と6回にわたり激突したため日本でも名前の知られる存在となった。
2歳時は2連勝し、愛仏のクラシックに挑むも3戦して全敗。しかし3歳時点から積極的に海外遠征を行っており、異国アメリカでG1初制覇を飾ると年末には香港ヴァーズも制してG1・2勝目を挙げた。
国外では好走するも本拠地のはずの欧州ではそれほど振るわないケースが多かったが、4歳時にはついにキングジョージを勝利して英G1初勝利。
同年末には
サトノクラウンと香港ヴァーズで連覇をかけて死闘を演じ、
0.08秒差でサトノクラウンの2着に敗れるも名勝負を見せた。
その後もG1勝利を積み重ね、最後は縁深い香港ヴァーズで2勝目を挙げて引退。
G1・7勝として有終の美を飾った。ちなみに日本馬とは通算で6回対決して日本勢が4勝2敗と勝ち越している。
産駒は2021年からデビューとなったが、2世代で重賞馬がわずかに2頭と物足りない状況。
クールモアも見切りをつけたのか2023年には放出され、かわってあのトーセン軍団総帥の島川隆哉オーナーが所有するエスティファームで種牡馬として繋養されることとなった。
こちらではハイランドリールは種付け料200万円で、最初の2023年に37頭、翌2024年には微増して45頭に種付けした模様である。何かと縁のあった日本での巻き返しに期待である。
ロードデンドロン(2014年産)
母ハーフウェイトゥヘヴンは愛1000ギニーを含むG1・3勝を挙げた名牝で、全妹で1個下のマジカルもG1・7勝を挙げたというなかなかの良血馬。
2歳G1のフィリーズマイルを制してG1初制覇を飾ると3歳初戦の1000ギニーでも堂々1番人気…だったが同父・同厩舎のウィンターに軽くひねられ敗戦。次いで挑んだ英オークスではなんとあのエネイブルが待ち構えており、徹底マークにも関わらず軽く5馬身ちぎられる大敗を喫した。
代わって転戦したディアヌ賞ではレース中に鼻出血を起こし競走中止というさらなる不運に襲われてしまう。
かなり出血量が多くオブライエン師も悲観的なコメントを出すほどだったが、意外なほど早く復帰。復帰戦こそ7着と惨敗だったが、続くオペラ賞は本来の粘り強さのある走りでアタマ差交わしてG1・2勝目とし復活を果たした。
明けて4歳初戦のガネー賞はクラックスマンに敵わず敗れたものの、次走のロッキンジステークスは短アタマ差で追撃をかわしG1・3勝目。しかし以降は見せ場なく敗れるレースが続き、この年限りで引退となった。
引退後は良血を買われてクールモアスタッドで繁殖牝馬として活動。
その初年度となる2019年の交配相手として選ばれたのが日本の誇る名馬ディープインパクトであった。
この年のディープインパクトは頸部の痛みから種付け頭数が少なかったが、ロードデンドロンは無事交配・受胎することができ、子を宿したまま日本を離れた。それから間もなく同年7月にディープインパクトは死亡。
結果的にディープインパクトのラストクロップを持ち帰ることとなった。
このロードデンドロンの仔は
オーギュストロダンと名付けられ、
ディープインパクト最終世代を代表する一頭として大活躍することになる。
余談
ガリレオだけでなくその近親も大いに成功している。
1個下に生まれたガリレオの全弟であるブラックサムベラミーは兄程のすさまじい結果ではなかったもののイタリアG1のジョッキークラブ大賞、アイルランドG1のタタソールズ金杯とG1・2勝を挙げ、この血統に間違いがないことを証明した。
このブラックサムベラミーもG1馬の父となっている。
また、母アーバンシーを所有するデヴィッド・ツイ氏はガリレオとブラックサムベラミーの例から、
サドラーズウェルズとの交配はやや距離適性が長めに出ることを看破。
よりスピードあふれる産駒を生み出すべく独自に調査した結果、グリーンデザート系でスピード面の申し分ない種牡馬である
ケープクロスとの交配に至った。
かくして生まれたガリレオの半弟は
シーザスターズと名付けられ、
イギリスクラシック二冠や凱旋門賞を含むG1・6連勝、そして兄も届かなかった
カルティエ賞年度代表馬の受賞というすばらしい成績を残した。種牡馬としてもやはり活躍馬を送り出していることは言うまでもない。
シーザスターズの鞍上を務めたのがガリレオと同じマイケル・キネーン騎手だったのは何の因果であろうか…。
追記・修正はクールモアスタッドを強化しながらお願いします。
- 海外馬はまとめるのも大変だろうに建乙でした オーギュストロダンの血統がわかって面白かった -- 名無しさん (2025-03-21 22:46:43)
- 建乙 引退後の活躍は知らんかったから面白かったわ -- 名無しさん (2025-03-22 11:59:53)
- ガリレオの1年後にもサドラー産駒で英愛ダービー制覇とBCターフ連覇したハイシャパラルが出てきているしオブライエン厩舎化け物揃いすぎる -- 名無しさん (2025-03-22 23:02:45)
最終更新:2025年03月27日 11:53