登録日:2025/02/09 Sun 19:36:19
更新日:2025/03/03 Mon 21:33:31
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"Let's hope the foodgates now open for Jenson Button as they did for Nigel Mansell for Damon Hill before him!"
(ナイジェル・マンセルが、デイモン・ヒルがそうであったように、この男にも夢の扉が開かれようとしています!)
"Because here in his 113th Grand Prix start he's proved the critics wrong.."
(批評家たちの間違いを証明してみせたのです!彼らは言いました、113戦もこなしておいて未だに勝てていないなら…)
"They said HE MIGHT NEVER WIN A GRAND PRIX!!"
(あいつは一生、グランプリで勝つことができないかもしれないと!)
"HE'S DONE IT!!! JENSON BUTTON!!!!"
(だが彼はやってのけた!!ジェンソン・バトンがやりました!!)
──ジェームズ・アラン、ITV・F1実況担当アナウンサー
2006年F1ハンガリーグランプリとは、2006年のF1世界選手権第13ラウンドとしてハンガリーで開催された自動車レースである。
チーム、ドライバー共に「悲願の初勝利」とも言うべき劇的な幕切れとなった伝説のレースであり、21世紀で初めて「君が代」が流れたF1レースでもある。
そんな記録にも記憶にも残る名レースを、本項ではチーム・ドライバーの無線記録を交えつつ紹介していく。
なお、項目作成者は本場の英語が不得手なので、不自然な表現や誤訳などがあれば都度追記・修正をお願いしたい。
【背景:これまでのあらすじ】
昨年度、怒涛の快進撃の末に「皇帝」ミハエル・シューマッハの絶対王政をついに終わらせたフェルナンド・アロンソは、今期も連覇を狙って選手権をリード。
しかし、ここ数戦は「マスダンパー疑惑」が燻り、ルノーともども調子を落としていた。
対するミハエルはここぞとばかりに調子を上げ、母国ドイツGPを含む逆襲の3連勝で一気にアロンソとの差を詰めにかかる。
さらに、ハンガリーグランプリ開幕目前でマスダンパーの使用が正式にレギュレーション違反で禁止とされる。これでルノーはいよいよ大ピンチに陥り、ミハエル・シューマッハ前人未踏の8タイトル目が少しずつだが現実味を帯び始めていた。
ここまでの12戦はアロンソ6勝、ミハエル5勝。両者の差はたった11ポイントであり、いつ状況がひっくり返ってもおかしくない状態にある。
そんな現状の中で、夢と野望を乗せた22台のF1マシンたちは、終盤戦の熱気高まるハンガリーはブタペストへと降り立った。
舞台となるハンガロリンクは、全長4.381kmの中低速サーキット。
ぐるぐると曲がりくねって最高速がほとんど出せないため、追い抜きが難しく予選結果が重要になってくるコースである。
なお、前戦ドイツGPで大クラッシュを喫したBMWザウバーのジャック・ヴィルヌーブは、かねてよりチームと関係が冷え込んでいたこともあり、ケガの治療を名目にチームを離脱。
代走として、サードドライバーを務めていたロバート・クビサが昇格し、本グランプリでF1デビューを飾る。F1史上初のポーランド人ドライバーである。また空いたサードドライバーにはレッドブル・ジュニアチームの若手、セバスチャン・ベッテルがレンタルという形で加入することになる。
また、ホンダはこのレースでF1エンジン供給300戦目という節目を迎える。
このため、本田技研工業の福井威夫社長(当時)がチームを応援しようと遠路はるばるハンガロリンクを訪れていた。
そして補足情報として、この時期のF1にはタイヤメーカーが2社いたことをお伝えしておく。
ガイドブックで有名なフランスのミシュラン社と、我らが日本の誇るブリヂストン社である。
11チームのタイヤ内訳は次の通り。
ミシュラン :ルノー、マクラーレン、ホンダ、BMWザウバー、レッドブル、トロロッソ
ブリヂストン:フェラーリ、トヨタ、ウィリアムズ、ミッドランド、スーパーアグリ
このタイヤメーカーの差がこの後じわじわ効いてくるため、もしよければ覚えておいてほしい。
2006年ハンガリーグランプリ開始前の選手権ランキング
Pos |
Driver |
Points |
1 |
フェルナンド・アロンソ |
100 |
2 |
ミハエル・シューマッハ |
89 |
3 |
フェリペ・マッサ |
50 |
4 |
ジャンカルロ・フィジケラ |
49 |
5 |
キミ・ライコネン |
49 |
Pos |
Constructor |
Points |
1 |
ルノー |
149 |
2 |
フェラーリ |
139 |
3 |
マクラーレン・メルセデス |
77 |
4 |
ホンダ |
37 |
5 |
トヨタ |
23 |
【練習走行(FP)】
事件が起こったのは、8月4日金曜日の午後のこと。
午後の練習走行(FP2)の最中、アタックラップを走行していたアロンソは最終コーナーでレッドブルのロバート・ドーンボスに引っかかり、アタックを完遂できなかった。
これを「妨害」と捉えたアロンソは、アクセル全開のメインストレートでドーンボスと横並びになると全速力のF1マシンで幅寄せを行い、さらに1コーナーでわざとブレーキを強く踏んで危うく追突させかける悪質な煽り運転を行う。
これらの行為はバッチリ国際映像で放映され、危険運転を犯したアロンソには予選タイム1秒加算のペナルティが科されることに。
さらにアロンソは、同じくFP2においてイエローフラッグ区間の減速指示に従わなかったとしてまたしても予選タイム加算のペナルティを受け、
合計で2秒加算されることになってしまった。
0.001秒を争うF1の予選において、2秒の加算というのは
あまりにも重い。いくら最強のクルマに乗った最強ドライバーといえど、苦戦を強いられるのは
確定的に明らかだった。
なお、そのFP2ではジェンソン・バトンが走行中にエンジンをぶっ壊し、モクモクと煙を上げながらコース脇にマシンを止める事態が発生。
バトンはエンジン交換のため決勝で10グリッド降格ペナルティが科せられることになり、セッションは直ちに赤旗中断となった。
ところが、ここでさらなる事件が勃発してしまう。
セッション途中で 赤旗が掲示された場合、コースに出ていたドライバーは追い抜きが原則禁止とされ、安全な速度と車間距離を保って直ちにピットに戻るのがルールとなっている。
しかし赤旗真っ最中のコース上において、整列してピットに向かうアロンソとクビサを大外からまとめてブチ抜いていくミハエル・シューマッハが目撃されてしまったのだ。
こちらも国際映像に映されたこともあって情状酌量の余地はなく、ミハエルは1台につき1秒、合計で2秒の予選タイム加算ペナルティを受けることに。
選手権を争う二人が揃って同じペナルティを食らうという、ある意味平等な状態で予選を迎えることとなった。
【予選(Q)】
8月5日土曜日、13時。グランプリのスタート位置を決める予選セッションが始まった。
現地は降雨こそ無いものの雲が多く、気温23℃、湿度54%、路面温度33℃と平年よりやや涼しめ。
アロンソ、シューマッハ両名はやはり2秒ペナルティが重いか、楽勝なはずの第一ラウンド(Q1)ですらかなりの苦戦を強いられる。
結果的にはそれぞれ13位と14位で何とか突破したが、ペナルティが無ければ余裕で1-2通過というラップタイムだった。
首の皮一枚繋がった2人だったが、奇跡は続かず第二ラウンド(Q2)で両者撃沈。
ミハエルは今週末初めて1分19秒の壁を破るスーパーラップを刻んだものの、無情にも2秒が加算されあえなく下位に沈んだ。
これにより、予選最終ラウンド(Q3)はチャンピオンを争う2人が揃って脱落した上で行われることになった。
そのQ3では、ここまでの2ラウンドを共にトップ通過しているマッサがやはり最速タイムを記録。
しかし最後の最後に滑り込んできたキミ・ライコネンが0.287秒差でトップに立ち、そのままポールポジションを獲得。
ライコネンは前戦ドイツGPでもポールポジションを獲得していたが、悔しい3位フィニッシュに終わっている。そのリベンジを果たすことができるか。
ライコネンの横に並んだのはフェラーリのフェリペ・マッサ。同僚シューマッハを援護しつつ、自身もいい結果を残したいところ。
一方、アロンソの同僚ジャンカルロ・フィジケラはイマイチ伸びず、7番手と中団に沈んだ。
3位と4位にはバリチェロとバトンが並び、ホンダ勢が2列目を独占。
ただしバトンは前述の通りペナルティが科せられていたため、10グリッド降格し14番手からのスタート。
またこれにより、バトンの後ろにいた10台の位置が1つずつ繰り上がることとなった。
トヨタ勢は6,8番手と良い位置に陣取り、その後ろにはBMWザウバー勢。
9番手クビサは、これがF1デビュー戦でありながらチームメイトを蹴落とし、Q3まで進出を果たした。
終始ペナルティに足を引っ張られた2人は揃って二桁順位に突き落とされ、ミハエル・シューマッハが11番手、アロンソが15番手に終わった。
グリッドの不利をマシンパワーとドライビングの腕で跳ね除け、中団からの逆転と勝利を誓う。
我らが純日本F1チーム、スーパーアグリ勢は新車SA06を投入して2戦目だが特に見せ場もなく下位に沈み、佐藤琢磨が19番手、山本左近が21番手に終わった。
しかし予選タイムはこれまで1秒近く離されていた目下のライバルであるトロ・ロッソ勢、ミッドランド勢と互角に戦えるまでになっており、着実な進歩を見せている。
決勝ではどこまで食らいつけるかがカギとなる。
2006 Formula One
Round 13
Hungarian Grand Prix
STARTING GRID
Position |
Car No. |
Driver |
Team |
PP |
3 |
キミ・ライコネン |
マクラーレン・メルセデス |
2 |
6 |
フェリペ・マッサ |
フェラーリ |
3 |
11 |
ルーベンス・バリチェロ |
ホンダ |
4 |
4 |
ペドロ・デ・ラ・ロサ |
マクラーレン・メルセデス |
5 |
9 |
マーク・ウェバー |
ウィリアムズ・コスワース |
6 |
7 |
ラルフ・シューマッハ |
トヨタ |
7 |
2 |
ジャンカルロ・フィジケラ |
ルノー |
8 |
8 |
ヤルノ・トゥルーリ |
トヨタ |
9 |
17 |
ロバート・クビサ |
BMWザウバー |
10 |
16 |
ニック・ハイドフェルド |
BMWザウバー |
11 |
5 |
ミハエル・シューマッハ |
フェラーリ |
12 |
14 |
デビッド・クルサード |
レッドブル・フェラーリ |
13 |
15 |
クリスチャン・クリエン |
レッドブル・フェラーリ |
14 |
12 |
ジェンソン・バトン |
ホンダ |
15 |
1 |
フェルナンド・アロンソ |
ルノー |
16 |
18 |
ティアゴ・モンテイロ |
ミッドランド・トヨタ |
17 |
20 |
ヴィタントニオ・リウッツィ |
トロロッソ・コスワース |
18 |
10 |
ニコ・ロズベルグ |
ウィリアムズ・コスワース |
19 |
22 |
佐藤琢磨 |
スーパーアグリ・ホンダ |
20 |
21 |
スコット・スピード |
トロロッソ・コスワース |
21 |
23 |
山本左近 |
スーパーアグリ・ホンダ |
22 |
19 |
クリスチャン・アルバース |
ミッドランド・トヨタ |
※ジェンソン・バトンとクリスチャン・アルバースはエンジン交換のため、予選結果から10グリッド降格。
※スコット・スピードは予選中の他者への妨害のため、最速タイムが抹消された結果1グリッド降格。
【決勝(Race)】
2006年8月6日、ハンガリーグランプリ決勝。
前日の夜からブダペスト上空には雨雲が居座っており、決勝当日になっても雨が止む気配は無い。ハンガリーグランプリは開催21年目にして、史上初の雨天決行と相成った。
雨は正午を回ってもまだ降り続けていたが、グランプリ開始が目前に迫ったところでようやく小康状態に落ち着く。
しかし雨雲は分厚く、いつ降り始めてもおかしくない。この難しい状況を前にして、各チームは戦略に頭を悩ませることになった。
レース開始30分前、ピットレーンが開き、22台のF1マシンがぞろぞろとコースにやってくる。
全車がグリッドに着いてマシンの最終確認を行うが、レッドブルのガレージが何やら騒がしい。
どうやらクリスチャン・クリエンのマシンに燃料漏れを確認したため、一旦ピットレーンに下がるという。
懸命の作業の末クリエンのレース出走は認められたが、ルールに基づきピットレーンからのスタートということになった。
不幸なトラブルでクリエンの13番グリッドが空車となったが、これを朗報と捉えている陣営がひとつ。
PIT: "By the way it looks as if Klien's not starting the race, so we've got a space in front of our grid position."
(ところで、クリエンはグリッドから出走しないようだが、我々の前のグリッドが空くことになるな。)
PIT: "Understood."
(了解だ。)
これはルノー本丸とアロンソの担当エンジニアによる無線連絡。
アロンソは15番グリッド、すなわちクリエンのすぐ後ろからスタートするため、スペースが空いてスタートダッシュを仕掛けやすくなったのだ。
13時。フォーメーションラップが始まり、各車水しぶきを上げながらコースを一周してスターティンググリッドへ。
雨はほぼ止んだものの、路面状況は依然として最悪。
そのため全車が雨用のウェットタイヤを履いたが、バリチェロただ一台が深溝・大雨向けのフルウェットタイヤを履いており、それ以外の21台は浅溝・小雨向けのインターミディエイトタイヤで決勝に臨む。
全車がグリッドに停車したら、レース開始はもう目前。
エンジン音以外は聞こえない張り詰めた静寂の中、ホンダ陣営からバトンにひとこと無線が飛ぶ。
PIT: "Last car is in place."
(全車、位置についた。)
頭上に掲げられたスタートシグナルが5つ点灯し……消灯。
一斉に唸りを上げて、22台のマシンがグリッドを飛び出していく。
70周の水上決戦、2006年ハンガリーグランプリ決勝レースが始まった。
まず抜け出したのはポールポジションのライコネン。1コーナーの攻防でバリチェロが手堅く2位を奪取し、デ・ラ・ロサは内を突いてマッサの前に出る。
ミハエル・シューマッハとアロンソは共に最高のロケットスタートを決め、シューマッハはわずか1周で11位から4位まで一気に駆け上がり、アロンソも15位から6位まで急上昇。レインマスターの名に相応しい走りを見せる。
一方で、6位スタートのウェバーはマシントラブルか一気に17位まで順位を落とし、そのままスピンしリタイア。
スーパーアグリの山本は1コーナーでエンジンストールを喫し、早々にレースから脱落してしまった。
レース序盤は最速ラップを刻んで逃げるライコネンを、中団から抜け出したミハエル、アロンソ、バトンが追いかける展開に。
ライコネンとバトンは燃料少なめでスタートしたため、ライバルに比べてペースが速い。ただしライバルより早めに給油しなければならないため、今のうちになるべく前に出ておきたいところ。
4周目にはバトンがマッサを攻略して6位に浮上する一方、バリチェロはタイヤ選択を誤ったかペースが上がらず、緊急ピットインでインターミディエイトに履き替える。
他方、水量の多い路面に苦しむミハエル・シューマッハもまたペースが上がりきらず、5周目に追いついてきたアロンソに悠々と追い抜かれる。
チームもこのまま一気に決めてしまおうと、アロンソに無線を飛ばす。
PIT: "Mixture 4 mate. COME ON!"
(ミックス4だ相棒、さぁ行け!)
同じく5周目、先頭集団がバチバチのポジション争いを続ける一方で、下位集団にいたリウッツィがターン12でいきなりスピンしコースアウト。
LIU: "We need a bit of anti-fog for the visor inside because I cannot see ****** OK?"
(バイザーの内側に曇り止めが欲しい、何も見えないんだ。いける?)
PIT: "OK, anti-fog on the visor. Anti-fog on the visor."
(了解、バイザーに曇り止め、バイザーに曇り止めだな。)
どうやら、温度差と湿気でヘルメットのバイザーが曇ってしまい、視界が奪われて曲がり切れなかったようだった。
マシンに異常は無かったため、リウッツィはそのままコースに留まり周回を続ける。
冷えたタイヤに滑る路面が合わさったことで、スタートしてしばらくはリウッツィのようにスピンしたりクラッシュしたりするクルマがちらほら。
マッサはシケインの立ち上がりで180度スピンを決め、クリエンは水たまりでスリップした結果ガードレールとご挨拶するハメになるなど、コースのあちこちで混乱が見られた。
やがて隊列が落ち着いてくると、ライコネン‐デ・ラ・ロサのマクラーレン組が大逃げを打ち、それをアロンソ、ミハエル、バトンが追いかける構図がほぼ固定。
しかし、10周目に雨が激しくなってくるとミシュランタイヤに有利な状況となり、ブリヂストンタイヤを履くフェラーリ勢は徐々に苦戦を強いられていく。
16周目、ペースの上がらないミハエルにルノーのフィジケラが追いつく。
チームメイトとしてアロンソを援護したいフィジケラと絶対に阻止したいミハエルの激しいバトルは、1コーナーの飛び込みで前に出たフィジケラに軍配が上がった。
さらにこのとき両者は交錯。ミハエルの右フロントウィングがフィジケラのリアにぶつかり、衝撃に耐えられず千切れてしまった。
ミハエルはたまらずピットに飛び込み、フロントウィングを交換。これで優勝争いから脱落することとなった。
結果的だがライバルを追い落とした”勝者”フィジケラを称えるように、アロンソに無線が飛ぶ。
PIT: "OK mate, Fisi has just got past Michael and Michael has a damaged wing."
(オーケー相棒、フィジがさっきミハエルを抜いたが、それでミハエルはウイングを壊したぞ。)
ALO: "COME ON, COME ON!"
(いいぞ!いいぞ!)
続く17周目、燃料少なめで飛ばしていたライコネンとバトンは両者ここで給油のためピットイン。一方、燃料をたっぷり積んでスタートしていたアロンソは27周目までピットインを引っ張ることになる。
各チームともそろそろ燃料タンクの残量が気になって来る頃合いだが、できるだけ給油とタイヤ交換を同時に行い、効率よく消化したいところ。
PIT: "Scott, what about fuel to finish? What about fuel to finish?"
(スコット、燃料は足りるか?燃料はどうだ?)
SPE: "I think it's going to dry up in the next few laps. If we don't get another rain shower we'll be on slicks very soon."
(路面はあと少しで乾くと思う。雨が降らなかったらすぐにスリックタイヤに履き替えられるだろうね。)
スピードは「あと少しで乾く」と予想していたが、雨はともかく路面状況はまだまだツルツル。
クビサはスピンした先でフロントウィングを壊してしまい、修復のためにピットインするハメに。
先ほどミハエルを抜いたはずのフィジケラも19周目に足を取られてガードレールに激突し、その事故が致命傷でリタイアとなってしまった。
援護してくれる味方がいなくなったアロンソ陣営は意気消沈。事故を伝える無線の声も、心なしか元気が無さげである。
PIT: "OK, mate take it easy, there's some oil about somewhere, Fisi's had an off."
(オーケー相棒、落ち着いて行け。そこら中水溜まりだらけで油みたいに滑るんだ、ついさっきフィジがやらかした。)
フィジケラが脱落したことで順位が繰り上がり、ミハエルはこの時点で8位。
しかしアロンソはさすがと言うべきか、圧倒的なペースを刻んでミハエルを寄せ付けず、大量のマージンを稼ぎ出す。
PIT(ALO): "OK mate you are 80. 8-0 seconds ahead of Michael on the road. You are 7 seconds a lap quicker than him, 7 seconds a lap quicker than Michael at the moment."
(オーケー相棒、君の貯金は80秒。ミハエルとの差は80秒だ。今の君は彼より7秒速い、ミハエルより7秒速い。)
上の無線が入った1周後、25周目にアロンソは全体最速ラップを刻むと同時に、宿敵ミハエルを周回遅れに追い落とす。
この瞬間は「皇帝」治世終焉の象徴として大きく拡散され、これからは俺たちの時代とばかりにアロンソがそのまま首位奪還そして独走、かと思われた。
しかし、そのわずか1周後に、レースの様相を大きく動かす事態が発生する。
PIT: "Race leader behind you, Raikkonen and de la Rosa, watch your mirrors, but keep pushing, keep pushing racing Massa, racing Massa."
(先頭集団が後ろにいる、ライコネンとデ・ラ・ロサだ。ミラーも見つつ限界まで攻め続けろ、今はマッサと争ってる、マッサとレース中だ。)
こちらは初っ端にスピンしてから何とか盛り返し、現在12位を走行中のリウッツィ。
前方にいるマッサを追い抜きたいところだが、背後からマクラーレン艦隊が迫ってきていた。
F1に限らず、モータースポーツにおいては順位の高いクルマが優先。
一周まわって追いつかれた遅いクルマには「ブルーフラッグ」と呼ばれる旗が掲示され、ちょうど我々が緊急車両に道を開けるように、端っこに避けて進路を譲る義務がある。
ということでリウッツィはアクセルを緩め、マクラーレンの2台を先に行かせようとした。
しかし。
LIU: "I slowed down. I went to the side to let by Kimi and he went over me."
(…終わったよ。キミに譲ろうと端に寄ったら、あいつが僕を飛び越えてきたんだ。)
ライコネンのクルマは、リウッツィのクルマに乗り上げた。
リウッツィはリア部分を完全に失い、ライコネンはフロントウィングが千切れ、左前輪のサスペンションが完全に折れてしまった。
両者は破片をまき散らし、ライコネンは芝生にクルマを止める。
どうやら、リウッツィがライコネンに譲ろうとスピードを落とした瞬間、ライコネンはデ・ラ・ロサとの位置関係を把握しようとサイドミラーを見ていたらしい。
そのためリウッツィの減速に気づけず、追突事故が起こってしまったようだった。
SPE: "SAFETY CAR, SAFETY CAR!"
(セーフティーカー!セーフティーカー!)
PIT: "Safety car Scott, Safety car."
(セーフティーカーだスコット、セーフティーカーが入った)
予選1位ライコネンのまさかの脱落とともに、マシンの回収と路面清掃のため今日最初のセーフティーカーが投入。
それと同時に、バトン以外の各車が一斉にピットイン。まだ濡れている路面を鑑み、各チームはインターミディエイトタイヤで送り出す。
そしてこのセーフティーカーが、レースの歯車を狂わせることになる。
PIT: "Box Tonio, Box"
(ピットインだ、トニオ、ピットインしてくれ。)
追突されたリウッツィはリアウィングが完全に破壊され、競技続行はもはや不可能。
無線に従い満身創痍でピットに戻ると、そのままマシンを降りることになった。
一方、こちらは同じトロロッソのスピードの無線。
セーフティーカーに乗じてピットインを行う作戦を実行に移したようだ。
PIT: "Front flap Scott. Front flap."
(フロントフラップを動かす、フロントフラップだ。)
SPE: "If you don't think it's going to rain, then we can't take any more off."
(もし雨が降らない想定なら、これ以上はピットインできないよ。)
PIT: "OK we are going to fill to finish, Scott. Fuel to finish."
(OK、給油しようスコット、最後まで走り切るんだ。)
SPE: "You're putting dry tyres on? Or what?!"
(ドライタイヤを履くんでしょ?じゃなきゃ何?)
PIT: "No, wets! Intermediate tyres on."
(違う、ウェットタイヤ!インターミディエイトタイヤを履かせたよ。)
PIT: "OK Scott, I think we should take some front fiap off. We're gonna take front flap off"
(OKスコット、フロントフラップを少し寝かせてみたほうがいいと思う。フロントフラップを寝かせたよ。)
ピット作業をしている間、ほんの10秒に満たない時間ではあるがマシンは完全に停車することになる。
その間にもライバルは全速力で走っているため、たくさんピットに入るほど合計の停車時間が長くなり、その分最終的なロスが増える。
なのでスピードは「ドライタイヤを履いて満タン給油することで二度とピットインしない」作戦を提唱しつつ、クルマを降りるリウッツィの目の前に滑り込む。
しかしチームはフロントウィングのフラップ角度を調整してドライ向きにはしたものの、実際に履かせたタイヤは浅溝のインターミディエイトタイヤであった。
さて、そんなわけでピットインしたスピードを追い越したのは、これが初陣のBMWザウバー・クビサ。
母国ポーランドからも近いグランプリということで応援団も駆けつける中、しぶとく10位まで順位を上げていた。
PIT: "Massa is 9th, and you are 10th at the moment, while behind you have to be aware about Speed."
(マッサは9位、君は今10位だ。後ろにいるスピードを意識しておいてくれ。)
KUB: "McLaren behind me."
(後ろはマクラーレンだよ。)
PIT: "I'm not sure, I don't think it's a McLaren?"
(よく分からないが、マクラーレンじゃないと思う。)
何やら、無線上でクビサとピットで意見が食い違っている。
順位表だけ見ると確かにクビサの後ろはスピードだが、実際は二台の間にマクラーレンのデ・ラ・ロサが挟まっていた。
クビサは周回遅れであるため、セーフティーカーが撤収すると進路を譲る義務が発生することになる。
KUB: "There is a McLaren behind me. He is... on my lap, or I have to let him by?"
(真後ろにマクラーレンがいるんだって。あいつは…僕と同じ周回なのか、じゃなきゃ譲ったほうがいい?)
PIT: "Don't let him by now. Do a normal restart and then you let him by."
(今は譲らないで。セーフティーカーが明けてから行かせよう。)
さて、この頃になると雨もかなり弱まり、
路面が徐々に乾き始める。
専門的なことは
タイヤ(モータースポーツ)に詳しいが、ざっくり言うと雨用のタイヤで乾いた路面を走ると遅すぎるため、適切なタイミングを見極めてタイヤ交換を行う必要がある。
その「いつ替えるか」という問題については、チームが路面状況を見て最終判断することもあるが、基本的には実際に走るドライバーの意見によるところが多い。
例えば、これはトゥルーリの無線。
PIT: "It's your call for the dry tyres when the time comes."
(ドライタイヤに替えるかどうかは君次第だ。その時が来たら教えてくれ。)
TRU: "NO WAY AT THE MOMENT!"
(絶対に今じゃない!)
PIT: "No, it's still wet tyres for a long time, but when the moment comes it's your call."
(いや、まだしばらくはウェットタイヤだろうが、替えどきは君の判断に任せる。)
一方、事故現場では懸命の撤去作業がようやく完了し、30周目をもってセーフティーカーの先導が終わることが通知される。
4周もの先導によって、先頭のアロンソが築いた莫大な貯金はすべて消滅してしまった。
PIT: "OK mate, Safety Car is in this lap, it's in this lap."
(オーケー相棒、セーフティーカーが下がるぞ、セーフティーカーはこの周回で終わりだ。)
PIT: "Remember your car's heavier than before with the fuel, and remember your rear tyres, they're way down on pressures."
(燃料が多いからクルマが重くなってるし、それに後輪の空気圧も下がってる。注意してくれ。)
PIT: "You're doing a nice job to get them up now, but take it easy."
(今のところいい仕事ぶりだ、だが無理はするなよ。)
PIT: "And watch your driving behind the Safety Car mate, we don't want any problems. Watch your driving!"
(セーフティーカーの後ろでは気を付けて運転してくれ、トラブルは避けたい。気を付けて!)
ALO: "Yeah, yeah, yeah, I know."
(はいはいはい、分かってるよ。)
31周目、セーフティーカーが退散しレースが再開。先頭集団ではアロンソが逃げ始める一方、先ほどピットインしなかったバトンがデ・ラ・ロサを抜いて2位に浮上。
雨もすっかり止んだ上にF1マシンが全速力で走り始めたことで、ここにきて路面に残っていた水が吹き飛ばされて本格的に乾き始める。
路面が乾いてきたのなら、ドライタイヤを履きたいのがドライバーというもの。
ついさっきドライタイヤ案を伝えていたばかりのスピードは、無線で悔しがるしかできなかった。
SPE: "I think we made a huge mistake. We should have waited... we should have gone on dry tyres if we were gonna chance anything!"
(デカいミスをしてしまったと思う。僕らはピットインを待つべきだった…チャンスがあるなら、ドライタイヤを履くべきだった!)
PIT: "Yeah Scott, I think it's, well... looking at here, it looks too wet for drys."
(あぁスコット、そうだな、えーっと…見た感じだと、ドライと言うにしては濡れすぎてるな。)
SPE: "Does it look like it's going to rain again? I sure hope so!"
(また雨が降りそうな感じ?そうなってくれるといいけど!)
PIT: "OK, just a... just a possibility for few drops, but at the moment no more than that."
(OK、そうだな…ちょっとパラつくかもしれないが、今以上の予報は無いな。)
マシンが走れば走るほど、路面は加速度的に乾いていく。
後方では若干垂れてきたマッサにクビサが襲い掛かり、初陣とは思えない攻めを見せて8位を奪取。
乾き始めた路面はブリヂストン・ウェットとの相性が良く、一時は周回遅れまで追い落とされたミハエル・シューマッハも6位まで這い上がってきた。
他方、2位バトンは使い古したウェットタイヤで最速ラップを刻み、先頭を逃げるアロンソを猛然と追いかける。
そのアロンソに、エンジニアがひとこと。
PIT: "Just for information, we believe everyone else has to stop one more time. We believe everyone has to stop one more time."
(参考までに、我々は全車がもう一度ピットに入ると考えている。全員がもう一回ピットインしそうだ。)
タイヤ交換の必要もあるが、同時に給油も行わなければならない。
燃料タンクの残量的に、アロンソを含むほとんどのドライバーはあと一回ピットインする必要があった。
なお、先ほどのセーフティーカー中にピットインしなかったバトンは二回の給油が残っている。
いつ入るか、誰が入るか。
グランプリも折り返しを迎え、いよいよドライバー、エンジニアによる心理戦の様相を呈してきた。
そんな中、40周目のこと。
スピードが突然無線を飛ばす。
SPE: "DRY TYRES!"
(ドライタイヤにしよう!)
PIT: "Scott, do you think it's already for dry tyres? Already dry tyres?"
(スコット、もうドライタイヤが使えるってことか?ドライダイヤが最適?)
SPE: "Yes, I think we should go dry tyres very soon."
(そうだ、すぐにドライタイヤに履き替えるべきだと思う。)
スピードは自分で走る中で、ドライタイヤが使えるほど路面が乾いたと判断。
しかしエンジニアは二つ返事で了承せず、スピードに確認するなどあまり乗り気でない様子。
PIT: "Stay out Scott, stay out. Two more laps."
(まだピットインしないでくれスコット、もう2周だ。)
SPE: "The whole track is pretty much dry! Has anyone done dry tyres yet or what?"
(コース全体がもうすっかり乾いてる!誰かもうドライタイヤを履いた?)
PIT: "No, they're all on intermediates Scott. All on intermediates."
(いや、全車インターミディエイトだスコット。全員インターを履いてる。)
それもそのはず、この時点でドライタイヤを履いたドライバーはいなかったのだ。
もし交換して失敗に終われば、ライバルに重大なヒントとアドバンテージを与えてしまう。
チームとしては慎重にならざるを得なかったが、スピードは食い下がる。
SPE: "Well it's worth the risk to go dry tyres right now. What else do we have to lose?"
(まぁ、今はドライタイヤで走るリスクを負う価値があるよ。他に何を失うっていうんだ?)
PIT: "One more lap Scott, one more lap."
(もう一周だスコット、あと一周待ってくれ。)
SPE: "There's really a dry line around 95% of the track."
(コースの95%はガチで乾いてるんだって。)
PIT: "OK Scott, box box."
(分かった、スコット、ピットインしてくれ。)
結局、根競べに負けたチームが折れてピットインさせることに。
雨上がりのレースで真っ先にドライタイヤを履く大ギャンブル作戦を敢行した。
…一方、こちらは次の周のアロンソ。
PIT: "Fernando, what's your feeling for how long it's going to take to dry out?"
(フェルナンド、路面が乾くのにどれくらいかかると思う?)
ALO: "No more than 4 laps. 4 or 5 laps."
(ほんの4周。4周か5周だな。)
PIT: "OK mate understood. You think about 4 timed laps mate."
(オーケー相棒、了解した。4周の間、路面を見て考えておいてくれ。)
…あれ?
スピードの予想とは異なる慎重な意見だが、他チームもそう思っているのか誰もスピードに続こうとしない。
さらに同じ周、バトンの無線。
PIT: "You are target plus 12. If we can get on to drys, we would fuel to the end. Speed is on dry tyres, I'll let you know how he gets on."
(ターゲット、プラス12。もしドライタイヤに替えるなら、同時に最後の給油も行う。スピードがドライタイヤを履いているから、彼の様子を教えておこう。)
雨上がりで真っ先にピットインする行為が「ギャンブル」と呼ばれる理由がここにある。
誰もが最適な交換タイミングを探る中で、まずピットインのロスタイムが発生する上、換えた後の走りぶりは試金石として他チームに無償提供することになるのだ。
そして、そのスピードはというと、まだ全然乾いていなかった路面に足を取られまくり、右へ左へフラフラ走行。
次々とライバルに抜かされる中、とうとうスピンアウトを喫して芝生に突っ込んでしまい、無線では再度ピットインの指示が飛ぶ。
SPE: "Well, what do you want to do? It's pretty hopeless out here."
(えっと、何かしたいことはある?かなり絶望的だけど。)
PIT: "Yeah, we need to pit again Scott. Box Scott, box box."
(あぁ、もう一度ピットインしようスコット。ピットインだ。)
SPE: "Well... that didn't work!"
(まぁ…上手くいかなかったなぁ!)
スピード陣営が賭けに負けたのは、誰の目にも明らかだった。
アロンソのエンジニアは冷ややかに現状を伝える。
PIT: "Speed is very, very slow on dry tyres at the moment mate. Speed's doing 1:57's."
(今のところだが、ドライタイヤを履いてるスピードはめちゃくちゃに、もうハチャメチャに遅い。1分57秒台だぞ。)
PIT: "Speed's tried drys, he's gone back to inters now, he's gone back to inters."
(スピードはドライタイヤを試したが、今はインターに戻してる。彼はインターに逆戻りだ。)
結局、スピードはピットに舞い戻り、さっき脱いだインターミディエイトをもう一度装着。
スピードの大ギャンブルは大失敗に終わってしまった。
一方、こちらは前方集団。
最速ラインがはっきりと見えてきたくらいの乾き方はブリヂストンタイヤの本領とあって、6位ミハエル・シューマッハは水を得た魚のように最速ラップを連発。
そのミハエルから尋常ではない猛追を受ける5位ハイドフェルドだが、必死に逃げる彼の前に周回遅れのマッサが立ち塞がった。
HEI: "****** blue flags!"
(おい!ブルーフラッグだろ!)
PIT: "Already given, he already has one."
(青旗はもう出てるし、彼にも伝えられてるはずだ。)
ピットクルーの言葉通り、この通信の直後にマッサは道を譲った。
ミハエルのプレッシャーに晒され続けた中で彼の同僚に引っかかったことで、思わず声を荒げてしまったものと思われる。
一方、こちらは先頭のアロンソ。
46周目、じわじわと追い上げてきたバトンがついにバックミラーに映ったことで、流石の彼もにわかに焦り出す。
バトンをどうにか抑え込みながら周回遅れの佐藤琢磨を攻略するマルチタスクに手間取っていたが、続く47周目にバトンはピットに飛び込む。
しかし、ピットで彼を待ち構えるホンダ陣営はタイヤを装備していなかった。ウィング調整と給油だけを行い、さっさとバトンを送り出したのである。
ALO: "It's very dry!"
(もうほとんど乾いてる!)
PIT: "We can go to drys whenever you want mate. Button left his tyres on, Button left that set of tyres on like Spa last year. And so has Michael."
(君が望むなら、我々はいつでもドライタイヤに替えられる。バトンは去年のスパと同じくまだタイヤ交換をしていない。ミハエルもまだだ。)
ALO: "Keep running!"
(まだ走れる!)
PIT: "Yes agreed, keep running mate."
(あぁ、賛成だ。走り続けよう、相棒。)
タイヤ交換のタイミングをイマイチ掴みきれないアロンソ陣営は相談を重ね、とりあえず現状維持で走れるだけ走ることを選択。
一方のバトン陣営も、ピットインの最適解を懸命に探る。
PIT: "Jenson, let me know as soon as you think you can run dry's."
(ジェンソン、完全に乾いたと思ったらすぐに知らせてくれ。)
そして、そこから3周が経過。
51周目になって、ついにアロンソが動きを見せる。
ALO: "Are we expecting rain?"
(雨の予報はある?)
PIT: "No we are not. No rain."
(いや、無い。雨は降らない。)
ALO: "Any good people with drys are good?"
(ドライを履いたクルマで速いヤツはいる?)
PIT: "Drys whenever you want mate, drys whenever you want. Ralf's put them on... Ralf's quick."
(君が望むなら、いつでもドライに履き替えられる。ラルフはドライを履いてるが…ラルフ、速いぞ。)
話題に上がったのは、シューマッハ兄弟の弟、トヨタ所属のラルフ・シューマッハ。先んじてドライタイヤに履き替えており、見事に交換タイミングを見極めていたのだった。
そのラルフの速さを見たトヨタ陣営はチームメイトのトゥルーリにもドライタイヤを履かせ、作戦大当たりの様相を呈しつつあった。
ALO: "Are they quick?"
(そいつらは速いのか?)
PIT: "Yes, they're quick mate. They're Bridgestone tyres, but they look OK. They've done it with Trulli as well mate. We'll pit this lap, pit this lap."
(そうだな、速い。彼らはブリヂストンのタイヤだが、調子は良さげだ。トゥルーリも同じことをしてる。ピットインしよう。この周に入ってくれ。)
ALO: "DRY TYRES! DRY TYRES!"
(ドライタイヤだ!ドライタイヤで行く!)
PIT: "Yep. Pit now, pit now. 30 seconds, 30 seconds."
(あぁ。ピットイン、ピットインしてくれ。30秒だ、30秒かかる。)
ようやく訪れたタイヤ交換の好機。アロンソは上手くスタートを切ると、一目散に出口へと向かう。
PIT: "White line, white line, remember the white line."
(白線だぞ、出口の白線に気を付けて。)
PIT: "Turn 1 exit difficult. Turn 1, the exit is very difficult mate at te moment."
(1コーナーの出口は難しいぞ。1コーナー出口はかなり難しいことになってる。)
その言葉通り、アロンソは1コーナーでツルツルと姿勢を崩しかける。
ピット出口はまだ濡れていたため、そこに乗り上げたゆえの挙動だと思われた……のだが。
"HE'S OFF!! FERNANDO ALONSO IS OFF!!!"
(クラッシュだ!!フェルナンド・アロンソがクラッシュしている!!!)
なんとアロンソ、2コーナー奥のガードレールに車体をぶつけてしまった。
1コーナーはフラフラになりながら何とか曲がり切ったものの、続く2コーナーでついに挙動が乱れて180度スピン。
そのまま後ろ向きに突っ込み、無念のリタイアとなった。
ALO: "OK mate, something happened with the rear in the pit stop. I think it was the driveshaft. I have problems from then on."
(オーケー相棒、ピットインしたときにクルマの後ろ側で何かが起こったんだ。たぶんドライブシャフトだ。それで何か問題が起こった。)
PIT: "His wheels were spinning before he hit the ground on the pit stop. Si, could you look into that now please mate?"
(彼がピットインしてからクラッシュするまでの間に、車輪が空転していたんだ。サイ、調べてくれないか?)
大楽勝かと思われた前半から、急転直下の脱落劇。ルノー陣営は大混乱に陥るが、クラッシュの原因は国際映像を見ても明白だった。
挙動を乱しながら2コーナーへ進入するアロンソ車、その右リアタイヤからホイールナットが零れ落ちる瞬間が、はっきりと捉えられていたのだ。
ピットクルーが焦ってミスしたのか、それとも機材の不調か。ルノー内部ではドライブシャフトの破損が原因ではないかという報告も上がる。
ともかく、選手権の優勝候補は、
たった一個のナットによって勝負からの退場を強いられることとなった。
そして、これで1位の座に立ったのは、アロンソを追い回していたホンダのバトン。
アロンソが築いたリードをほぼそのまま継承する形となり、レースの行方はもはや決まったも同然だった。
さて、そんなアクシデントの間にも路面は着実に乾いており、生き残った面々は続々とピットを訪れる。
バトンも55周目にドライタイヤへと交換し、レース優勝に向けて視界良好。
その一方で、頑なにピットインせず、ウェットタイヤで周回し続けるクルマがあった。
もう一人の選手権優勝候補、ミハエル・シューマッハである。
しかもこのミハエル、ピットインせず走行を続けたことで、なんとバトンに次ぐ2位まで昇り詰めていた。
ピットインのリスクと走行し続けるリスクを天秤にかけた結果、「そこまで乾かないだろう」ということでウェットタイヤで走り切る大ギャンブルに賭けたのだった。
このままミハエルが2位でフィニッシュできれば、アロンソとの差は3ポイントまで縮まる。選手権において大きな一手となるのは確実だった。
しかし無情にも、路面はどんどん乾いていく。
ミハエルを追い回すドライタイヤ勢は一周あたり2秒も3秒も早く、残り5周というところでついに追いつかれてしまった。
ミハエルは決死のブロックで抵抗するが、3位ハイドフェルドはもう背後まで迫っている。
ギャンブルが大失敗に終わったのは、誰の目にも明らかだった。
それでもミハエルはどうにか2位にしがみ付き、場違いなウェットタイヤで足掻き藻掻く。
シケインでは
マリオカートばりのショートカットを敢行したが、その結果
ハイドフェルドにぶつけてしまい、ブチギレられる一幕も。
HEI: "Was pretty stupid from Michael. He was so ****** slow."
(ミハエルに馬鹿な真似をされた。あいつ死ぬほど遅いよ。)
PIT: "Keep pushing. Schumacher is in front of you and in trouble. Driving slowly, keep pushing."
(攻め続けろ。前のシューマッハは問題を抱えてる。丁寧に走って攻め続けるんだ。)
その後も2度にわたって同じショートカットを行うなど傍若無人なドライブを繰り返したが、とうとう限界が来てハイドフェルド、さらにデ・ラ・ロサにも追い抜かれ、表彰台の座から引きずり降ろされる。
これでとうとう心が折れたのか、ミハエルは残り3周時点でクルマをガレージに停め、レースを棄権してしまった。
さて、一方のバトンは40秒という貯金を稼ぎ出し、余裕綽々のウイニングランに突入。
ここハンガリーは、母国の先輩デイモン・ヒルが1993年に初優勝を果たした地であり、母国の大先輩ナイジェル・マンセルが1992年に史上最速でチャンピオン決定を成し遂げた地でもある。
そんな地で、また一人イギリス人の勝者が誕生しようとしている。
足掛け113戦、何度も何度も指を掛けながら逃してきた、表彰台の頂点へ…
"Let's hope the foodgates now open for Jenson Button as they did for Nigel Mansell for Damon Hill before him!"
(ナイジェル・マンセルが、デイモン・ヒルがそうであったように、この男にも夢の扉が開かれようとしています!)
"Because here in his 113th Grand Prix start he's proved the critics wrong.."
(批評家たちの間違いを証明してみせたのです!彼らは言いました、113戦もこなしておいて未だに勝てていないなら…)
"They said HE MIGHT NEVER WIN A GRAND PRIX!!"
(あいつは一生、グランプリで勝つことができないかもしれないと!)
"HE'S DONE IT!!! JENSON BUTTON!!!!"
(だが彼はやってのけた!!ジェンソン・バトンがやりました!!)
ホンダサウンドが、雨上がりのブダペストに、誇らしげに響き渡る。
2006年ハンガリーグランプリ、勝者ジェンソン・バトン。
BUT: "YEEAAHH, WOOHOO!"
(よっしゃあ!やったぞ!!)
バトンにとって悲願の初優勝であると同時に、第3期ホンダにとっても待ち侘びた初優勝。
ホンダエンジンにとっては1992年以来14年ぶり、ホンダワークスにとっては1967年以来39年ぶりの優勝であった。
2000年に20歳と53日という若さでF1デビューを果たし、その年のブラジルグランプリでは史上最年少入賞記録も樹立。早くから「将来のチャンピオン候補」と嘱望されはや6年。所属チームの混乱や低迷期に泣かされ、「期待外れ」「100戦して勝てないならチャンピオンになれない」との烙印すら押されつつあったバトンにとって、115戦目での悲願となった。
2位に入ったのは、マクラーレンのペドロ・デ・ラ・ロサ。
様々なチームを渡り歩き、一時はリザーブに格下げされた時期もあったが、8年目にしてようやくF1初表彰台を手にすることができた。
PIT: "Good job Pedro, nice calm overtaking."
(よくやったペドロ、冷静で良い追い抜きだった。)
DEL: "Don't panic in the pit wall guys. I know what I was doing."
(みんなピットでパニックにならないでよ、自分がしたことくらい分かってる。)
PIT: "The Barcelona Bullet no less!"
(まさに「バルセロナの弾丸」だな!)
DEL: "I tell you, there were many times where I just said to myself what should I do? Push and crash or just keep it steady?' I decided to push and crash... but Didn't crash, and it was luck!"
(正直に言うと、攻め続けて事故るか、そのまま何もしないかとても悩んだんだ。結局は攻め続けて事故ることを選んだけど…そんな事故は起きなかった!ラッキーだったよ!)
DEL: "Well, it wasn't lucky that Button finally made it when I finished second huh? ****** man, haha! This is unbelievable."
(まぁ、僕が2位になったのと同時にバトンが優勝したのは運が悪かったかな?なんてこった、ハハ!信じられないよ。)
3位表彰台に滑り込んだのは、BMWザウバーのニック・ハイドフェルド。
BMWザウバーにとっては、なんとこれが初表彰台。
初優勝のバトンとホンダ、初表彰台のデ・ラ・ロサとBMWザウバーと、なんともおめでたい初物尽くしの表彰台となった。
HEI: "Thanks everybody, very good. After Michael hit me... the steering was not straight. So I just drove home carefully."
(みんなありがとう、すごく良かったよ。ミハエルにぶつけられた後、ハンドルが少し歪んじゃったんだ。だから気を付けて最後まで走ったよ。)
F1の表彰式では、優勝したドライバーとチームの国籍に応じた国歌が演奏される。
バトンの母国イギリスの「God Save The Queen」に続いて、ブダペストに「君が代」のメロディが響き渡った。
表彰台でトロフィーを受け取ったのは、現地視察に訪れていた本田技研の福井社長。
第3期ホンダF1の仕掛け人が、まさに「ホンダF1」の栄光の証を手にした瞬間だった。
4位に入ったのは、しぶとく走り続けたバトンのチームメイトのバリチェロ。
5位のクルサードは非力なマシンで混乱を泳ぎ切り、ベテランの意地を見せた。
6位には、
兄より高い順位でフィニッシュできたトヨタの
ラルフ・シューマッハ。
7位はデビュー戦となった大健闘の
クビサが入り、8位に
マッサが滑り込んでここまでが入賞圏内となった。
……が、レース終了後の車検で7位クビサに重量規定違反が発覚し、失格。
タイヤの摩耗が激しく、予想外に軽くなってしまったようだった。
これにより、リタイアしたはずのミハエル・シューマッハが8位に浮上。
なけなしの1ポイントを手中に収めることとなった。
マッサも繰り上がりで7位となり、ルノーのダブルリタイアも相まってフェラーリは少しだけコンストラクターズの差を詰めることができた。
まぁミハエルが表彰台を諦めて早めにドライタイヤに変えていればもう少し上の順位でフィニッシュ出来ただろうが、それは後の祭りである。
スーパーアグリの佐藤琢磨は、ギアボックスのトラブルを抱えながらも執念で完走。
参戦1年目のチームにとって何よりも欲しい実戦データを、しっかりとガレージまで持ち帰った。
2006 Formula One
Round 13
Hungarian Grand Prix
RESULTS
Position |
Car No. |
Driver |
Team |
Start position |
Time/Retired |
1 |
9 |
ジェンソン・バトン |
ホンダ |
14 |
1:52:20.941 |
2 |
8 |
ペドロ・デ・ラ・ロサ |
マクラーレン・メルセデス |
4 |
+30.837 |
3 |
14 |
ニック・ハイドフェルド |
BMWザウバー |
10 |
+43.822 |
4 |
15 |
ルーベンス・バリチェロ |
ホンダ |
3 |
+45.235 |
5 |
19 |
デビッド・クルサード |
レッドブル・フェラーリ |
12 |
+1周 |
6 |
7 |
ラルフ・シューマッハ |
トヨタ |
6 |
+1周 |
DSQ |
23 |
ロバート・クビサ |
BMWザウバー |
9 |
重量規定違反 |
7 |
2 |
フェリペ・マッサ |
フェラーリ |
2 |
+1周 |
8 |
6 |
ミハエル・シューマッハ |
フェラーリ |
11 |
衝突 |
9 |
3 |
ティアゴ・モンテイロ |
ミッドランド・トヨタ |
16 |
+3周 |
10 |
22 |
クリスチャン・アルバース |
ミッドランド・トヨタ |
22 |
+3周 |
11 |
5 |
スコット・スピード |
トロロッソ・コスワース |
20 |
+4周 |
12 |
12 |
ヤルノ・トゥルーリ |
トヨタ |
8 |
エンジン |
13 |
4 |
佐藤琢磨 |
スーパーアグリ・ホンダ |
19 |
+5周 |
DNF |
10 |
フェルナンド・アロンソ |
ルノー |
15 |
ドライブシャフト |
DNF |
16 |
キミ・ライコネン |
マクラーレン・メルセデス |
1 |
衝突 |
DNF |
18 |
ヴィタントニオ・リウッツィ |
トロロッソ・コスワース |
17 |
衝突 |
DNF |
1 |
ニコ・ロズベルグ |
ウィリアムズ・コスワース |
18 |
電気系統 |
DNF |
11 |
ジャンカルロ・フィジケラ |
ルノー |
7 |
スピン |
DNF |
20 |
クリスチャン・クリエン |
レッドブル・フェラーリ |
PL |
スピン |
DNF |
21 |
マーク・ウェバー |
ウィリアムズ・コスワース |
5 |
スピン |
DNF |
17 |
山本左近 |
スーパーアグリ・ホンダ |
21 |
エンジン |
※DNF=完走せず DSQ=失格
※ロバート・クビサは重量規定違反のため失格。
※ミハエル・シューマッハはリタイアしたが、周回数の9割を走り切っていたため完走扱い。なおかつ後ろのクルマが全員3週遅れ以上でゴールしたため、上記の位置で確定となる。
※ヤルノ・トゥルーリもミハエル同様の理由で上記の位置で確定となる。
【余談】
21世紀のF1で「君が代」が演奏されたのは、このレースが初にして今のところ唯一(2024年シーズン終了時点)である。
イギリスはF1発祥の地。そのプライドと誇りから、イギリス人ドライバーに対する世間と国内メディアの期待は特に凄まじいものがあり、逆に期待に応えられない場合はその期待がすべて落胆に変わる。
このため、ちょくちょく惜しいところまで行きながら優勝に届かないバトンはよく槍玉に挙げられていた。バトンはこの後2009年に大躍進を果たし、2007年にデビューを果たす怪物ルーキーと合わせて、イギリス人ドライバーの黄金期を支えることになる。
ホンダはこの後、リーマンショックの影響で2008年末にF1から撤退。以降F1チームとしてのホンダは復活していないが、F1エンジンとしてのホンダは2015年に復帰し、2019年に13年ぶりの優勝を果たしている。
その後2021年にまた撤退して2026年にまた復帰する
2006年ハンガリーグランプリ終了時の選手権ランキング
Pos |
Driver |
Points |
Result |
1 |
フェルナンド・アロンソ |
100 |
→ |
2 |
ミハエル・シューマッハ |
90 |
→ |
3 |
フェリペ・マッサ |
52 |
→ |
4 |
ジャンカルロ・フィジケラ |
49 |
→ |
5 |
キミ・ライコネン |
49 |
→ |
Pos |
Constructor |
Points |
Result |
1 |
ルノー |
149 |
→ |
2 |
フェラーリ |
142 |
→ |
3 |
マクラーレン・メルセデス |
85 |
→ |
4 |
ホンダ |
52 |
→ |
5 |
BMWザウバー |
26 |
↑ |
追記・修正は「君が代」を流しながらお願いします。
- 作成乙。また君が代が聞けるのはいつになるやら。(現在は角田裕毅が優勝するしか聞く事ができない) -- 名無しさん (2025-02-10 18:14:11)
最終更新:2025年03月03日 21:33