登録日:2025/05/01 Thu 13:00:00
更新日:2025/05/03 Sat 08:04:52NEW!
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「我々のみが自らの学校の秘密を知っているという誇りを持ち、それを守ろうとするのは、正しいことではないですかな?」
演:ペジャ・ビヤラク/日本語吹替:清水明彦
【概要】
北欧・スカンジナヴィア半島にある
ダームストラング専門学校(Durmstrang Institute)の校長。
かつての第一次魔法戦争中は、
ヴォルデモート卿に仕えた死喰い人でもあった。
本編では四巻「炎のゴブレット」から登場。三大魔法学校対抗試合にて、生徒たちを率いて登場した。
【ダームストラング専門学校】
キリル文字ではДурмстранг。
ホグワーツ魔法魔術学校と
ボーバトン魔法アカデミーに並ぶ、
ヨーロッパ三大魔法学校の一つ。
スカンジナヴィア半島の北という、ヨーロッパ大陸の最北端に位置する。生徒は主にブルガリアやロシアなどの東欧・北欧から来ていたが、イギリスなどからの留学生も受け容れている模様。
また基本は純血のみを受け容れているとされる。
ホグワーツと同様に古い城郭を学舎としているが、城の大きさはホグワーツ城よりも小さく、4階建て。
しかし敷地はホグワーツよりもさらに広く、湖と山々に囲まれているという。
また緯度が高すぎるので、極めて寒冷。
強い隠匿魔法が掛けられており、関係者以外にはその場所は秘匿されている。
設備としては、巨大な船がある。数十人の生徒や教員が、1年近くにわたって住み込むだけの設備を持つ。
ホグワーツの湖に出現したので、ワープのような魔法が使えるのだと思われる。
創立時期は不明だが、中世にブルガリア出身の偉大な魔女、
ネリダ・ヴルチャノヴァによって設立された。
このヴルチャノヴァが「謎の死」を遂げた後、
ハーファング・ムンターという人物が継承し、以後は
決闘や戦闘、そして
闇の魔術を重点的に学び、教育するようになった。
19世紀末期には
ゲラート・グリンデルバルドが入学、名を馳せたが、彼の闇の魔術はダームストラングの基準でさえ危険視され、ついに退学処分にされた。
(この際、グリンデルバルドは学校の壁に「死の秘宝」の印を刻んだ。この印はグリンデルバルド敗北後も残っており、どうやら消すことができない魔法をグリンデルバルドが掛けていた模様)
20世紀末の生徒では
ビクトール・クラムが著名。彼は在学中にブルガリア国のクィディッチのチームにも在籍していた。
ダームストラングは闇の魔術を積極的に研究していたことで知られた。
ゲーム『ホグワーツの謎』では在校生の会話でカルカロフ時代の厳しさが紹介されており、その教育は極めて厳しく、杖はおろかメモを取ることも許されないほどの厳格一辺倒な講義がほとんどだという。
失敗は許されず、ついて行けない生徒は置いていくレベルで、多くの生徒が厳しい自主練を課し、その過程で負傷する生徒も多かった。
生徒たちの決闘が多発し、闇の魔術が多用された、というのもこの関連であろう。
こうした厳しさは、実はカルカロフが校長になる以前からあったらしい。
ただ、上述通りかのゲラート・グリンデルバルドに関しては、あまりにも危険なために退学処分にしたので、やはりここにも『限度』というものはあったようだ。
ダームストラング校の紋章は「双頭の鷲」を象ったものになっている。
これは帝政ロシアの紋章(さらに古くは東ローマ帝国の紋章)をモデルとしている模様。
映画版『炎のゴブレット』では、ダームストラングは男子校のように描かれている。
ただ、小説版では少なくとも一人は女子生徒がおり、共学。
この点に関しては、正直出番が少なく影が薄いダームストラングにより強いインパクトを与えるための措置であろう。
また日本語訳では「専門学校」となっている。
これについて適訳なのかが議論されるが、一番には「Institute」に対する日本語の的確な訳がないためで、もとより如何ともしがたいところがあった。
「研究所」や「機関」としてもいまいちピンとこなかったのではないだろうか。
【人物】
◆風貌
「セブルス、なにも起こっていないふりをすることはできまい! この数ヶ月の間に、ますますはっきりしてきている。私は真剣に心配しているのだ。否定できることではない――」
長身痩躯で、毛髪の色は銀色(若いころは黒髪だったが、老齢により変化)、瞳は青色。あごひげを蓄えており、「ヤギひげ」と描写される。
表向きは穏やかで陽気な態度を繕っているが、目は笑っておらず、常に冷え切っているという、なかなか凄みのある人物。
元死喰い人として、左前腕の内側に「闇の印」を刻んでいる。
◆性格
「それでは、船に戻れ。ビクトール、気分はどうだ? 十分に食べたか? 厨房から卵酒でも持ってこさせようか? ……お前に言ったわけではない、ポリアコフ」
表向きの陽気さとは裏腹に、陰湿で傲慢、かつ臆病な男。
かつては死喰い人として暴れていたぐらいには残忍非道な男であるが、彼の場合は身を守るために裁判官の前で「死喰い人としての犯罪行為をいまになって後悔しています」としおらしく振る舞ったり、自分を捕まえた
アラスター・ムーディから逃げ惑ったり、死喰い人仲間への裏切り行為からお礼参りを恐れて逃亡したりと、何かと
自分の積み重ねた過去から逃げようとする面が強い。
そうした点は
ルシウス・マルフォイや
ピーター・ペティグリューのような、保身のためにヴォルデモートに媚びる面々とはまた異なる態度と言える。
この逃げ腰について、
セブルス・スネイプは「私はあんな卑怯者ではない」、
アルバス・ダンブルドアは「君はカルカロフよりもずっと勇敢」と、2人揃って辛辣な評価を下している。
そうした逃げ腰の一方で、「ダームストラング専門学校の校長」という社会的な成功者という立場から自尊心もそれなりにあるらしく、ダンブルドアへの対抗心や警戒心、怒りの念を露わにする一幕もある。
三大魔法学校対抗試合の審査員でありながら、自校の代表であるビクトール・クラムを優勝させるため、露骨な依怙贔屓をするなど、陰湿。
優秀かつ世界的スターであるクラムは溺愛する一方で、他の生徒には高圧的に振る舞い、ダームストラングの船の操縦もすべて生徒たちにやらせて自分は船室に引きこもるなど、傲慢なエピソードには事欠かない。
なお、ルシウス・マルフォイは
息子を当初ダームストラング専門学校に入学させようとしていた。
この件から、少なくともルシウスは、カルカロフを嫌っていなかったと推測される。
しかし一方でカルカロフの側からルシウスたちと接触する場面はほとんどない。スネイプにのみ接触していた。
戦後、カルカロフが彼らとどういう距離感を保っていたのかは地味に不明。
◆能力
「ルックウッドはスパイです。魔法省の内部から、『名前を言ってはいけないあの人』に有益な情報を流しました!」
「ルックウッドは魔法省の内にも外にも、うまい場所に魔法使いを配し、そのネットワークを使って情報を集めたものと思います――」
作中ではカルカロフの戦闘シーンなどは一切なく、魔法使いとしてどの程度の腕前があるのかは不明。
しかし、もと死喰い人であり、ダームストラングの校長にまでなったことを考えると、それなりの能力があったと考えるのが自然。
特に、ベテランの闇祓いアラスター・ムーディが捕縛に
6ヶ月かかり、闇の帝王ヴォルデモート卿の追跡からも
1年に渡って逃げ延びたことから、実は相当の実力者であったと思われる。
カルカロフ逃亡中、ヴォルデモートは
イギリス魔法省が
その復活を認めておらず、ノーマークであった。にもかかわらず、自由なヴォルデモートから長期間逃げ続けた。
(逆に、魔法省が復活を認めていない時期だからこそ、ヴォルデモートには派手な動きを避ける必要があり、カルカロフ追撃をおおっぴらにできなかった事情もあるのだが……)
ダームストラング校長としては闇の魔術の研究・学習を大々的にしていたとのことだが、もともと闇の魔術に忌避感のないこの学校で、さらに大々的にということなので、闇の魔術については歴代校長の中でも特に熟達していたと思われる。
またヴォルデモートは密告者による組織壊滅を避けるため、誰も組織全員のメンバーを知らないようにしていたが、誰からも密告されなかったオーガスタス・ルックウッドを死喰い人と知っていたあたり、情報収集に関するスキルもあった模様。
魔法省大法廷で裁判を受けた際や、ホグワーツを訪れた当初などは、いかにも善人、あるいはしおらしく反省した態度などを見せており、俳優じみたスキルも備えていた。むしろ彼に社会的成功をもたらしたのは、こうした欺瞞のうまさなのだろう。
もっとも、演技を続ける根気などは備わっておらず、4巻では次々と起こる不測の事態とヴォルデモート復活の兆候に恐怖して、ハリーやダンブルドアに対して怒鳴り散らしたり、スネイプに絡んでウザがられたりと、そのメッキは急速に剥がれていったわけだが。
【作中の活躍】
◆前歴
「ご理解いただかねばなりませんが、『名前を言ってはいけないあの人』は、いつも極秘に事を運びました……あの人は、むしろ我々が――あの人の支持者がという意味ですが――それに、私は一度でもその仲間だったことを悔いておりますが――」
出身・生年など詳しいことはほとんど不明。
しかしその名前からして、ロシアやブルガリアなど東欧の出身と思われる。
出身校はダームストラング専門学校と思われるが、ホグワーツを訪れた際の「懐かしのホグワーツ」と言う発言や、彼の使う言葉にスラヴ訛りが少ないことから、ダームストラング在籍のままホグワーツに留学していた、またはイギリスに移住していたホグワーツ生徒だったとも考えられる。
いずれにせよ、学校教育を終えて社会に出たころには、彼はイギリスにてヴォルデモート卿の信奉者「死喰い人」の一員となっていた。
スラヴ系とおぼしき彼がどうしてイギリスの犯罪帝国にいたのかは不明だが、「
アントニン・ドロホフとともに敵対者を拷問していた」という言及からして、同じくスラヴ系と推測されるドロホフの仲介だった可能性がある。
ヴォルデモート敗北以前か以後かは不明だが、闇祓い“マッドアイ”ムーディによって捕えられ、短期間ながらアズカバンに投獄された。
ここで彼は
吸魂鬼によほど恐ろしい目に遭わされたようで、ヴォルデモート失墜後は
かつて仲間だった死喰い人の名前を魔法省に売ることで、減刑を嘆願した。
(彼自身は「死喰い人としての自分の犯罪を大いに後悔している」と述べたが、ムーディ含めて誰も信じていなかったし、今さら反省を示されてもどうでもよいことであった)
大法廷では、
アントニン・ドロホフ、エバン・ロジエール、トラバース、マルシベール、セブルス・スネイプなどの名前を挙げるが、いずれもすでに捕縛、戦死、または降伏しており、価値を認められなかった。
また神秘部の「無言者」オーガスタス・ルックウッドも告発。これは魔法省にとっても新しい情報であり、イゴールの身柄こそ一旦はアズカバンに戻されたものの、その後に減刑が為された模様。
またこの場面では結局ルックウッド1名のアズカバン送りにしかならなかったものの、後に
シリウス・ブラックが「自分の身代わりに
多くの仲間をアズカバンに送り込んだ」とコメントしており、最初の審問後も他の死喰い人の名を挙げたか、あるいはルックウッドの告発が他の死喰い人の発見に繋がったと思われる。
映画版では、この大法廷の告発場面で
バーテミウス・クラウチ・ジュニアの名前も告発、裁判長だったバーテミウス・クラウチ・シニアがその場にいる場所での息子の告発は舞台を騒然とさせた。
◆戦後・戦間期
「出獄してからは私の知る限り、自分の学校に入学する者全員に『闇の魔術』を教えてきた」
アズカバンから解放された後の動向は不明だが、いつの間にかカルカロフはダームストラング専門学校の校長になった。
しかしカルカロフは、校長としては高圧的で、生徒たちからは恐れられ、嫌悪されていた。
ダームストラング校はもともと闇の魔術を公認し、詳細に教えることで悪名高かったが、カルカロフの時代はその勢いに拍車が掛かっていたと言われる。
一方で、学生ながらもクィディッチの世界的選手として知られていたビクトール・クラムに対してはやたらと寵愛し、引き立てていた。
幸いというか、クラムは校長からの寵愛を
笠に着て威張るタイプではなく、むしろ露骨なえこひいきをしてくるカルカロフを内心で敬遠していた。
◆三大魔法学校対抗試合
「ホグワーツの代表選手が二人とは? 開催校は二人の代表選手を出してよいとは、だれからも伺っていないのだが――それとも私の規則の読み方が浅かったのですかな?」
1994~1995年、ホグワーツで700年ぶりに三大魔法学校対抗試合が開催されることとなった。
カルカロフも三大魔法学校の代表として参加。審査員の役も担ったが、彼は自身の学校の代表であるクラムを優勝させるべく、露骨な偏向を行っている。
一方で、ホグワーツの校長ダンブルドアには露骨な対抗心を、かつて自分を逮捕したムーディには苦手意識も露わに敬遠する態度を見せている。
もっとも、その「ムーディ」は薬で変化したバーテミウス・クラウチJr.(=別人)だった。
だが、クラウチJr.にとってもカルカロフは「裏切り者」として嫌悪する対象であり、「カルカロフを警戒するムーディ」としての演技も苦労しなかった模様。
ハリー・ポッターが「4人目の選手」として選ばれた際には「ホグワーツは自分のところだけ選手を2人も用意した」と、ボーバトン魔法アカデミー校長オリンペ・マクシームともども激怒。
最終的にハリーの参加を認めざるを得なくなったが、審査員としてはハリーに特に低い評価をし、クラムを優勝させるべく情報収集に励むなど、立場を半ば忘れて動き回る。
さらに、自校代表のクラムがクラウチSr.に襲われた(
実際には影から迫ったクラウチJr.の仕業)際には、ハリー選出の件と合わせて
「私を罠に掛けようという魂胆か!」とダンブルドアに対して怒りを爆発させ、唾を吐きかけるまでに至った。
この際には、その場にいた
ルビウス・ハグリッドが激怒、締め落とされる寸前にまでなった。
実は、カルカロフの態度が目に見えて刺々しくなっていったのは、彼の右腕に刻まれた「闇の印」が、どんどん濃くなっていったからでもあった。
ヴォルデモート卿が力を取り戻しつつあると悟った彼は、かつての仲間であるスネイプのところまで人目を憚らずに駆け込んで印を見せつけるなど、なりふり構わない態度を見せ始める。
もともと彼は、ヴォルデモートが破れた際にあまりにも多くの仲間たちを売ったため、今さら寝返ったとしてもヴォルデモートや死喰い人に受け容れてもらえるはずがなかった。
かといって、ダンブルドアの側で守ってもらえる気にもなれなかった。ヴォルデモートの強さを身近で知っていただけに、ダンブルドアでもかなわないと思っていたのかも知れない。
◆逃亡
「一人は臆病風に吹かれて戻らぬ……思い知ることになるだろう」
トーナメント最終試合の1995年6月24日、ヴォルデモート卿が復活した。
この時カルカロフは、腕についた「闇の印」が激しい熱を発したことから、ヴォルデモート復活を確信。同時に、お礼参りの恐怖から一目散に逃亡した。
直後には、「ムーディ教授」が死喰い人クラウチJr.だったことも発覚。彼は「カルカロフもすぐに捕まる」と暗く嗤っていた。
しかしクラウチJr.の予想に反し、カルカロフは丸1年に渡って逃げ続けた。
一つには、当時の魔法省が「ヴォルデモート復活」を認めておらず、それ故にヴォルデモート一味は身を潜めながら陰謀を巡らせていたために、カルカロフを派手に追討できなかったことも関係していると思われる。
だがその奮闘も、ヴォルデモート一味が行動を抑制しなくなったことで終わりを告げる。
6巻の序盤にて、
リーマス・ルーピンの口から
「北の小屋でカルカロフが殺されていたのが発見された」との報告が入る。
ルーピンは「彼が1年以上も生き延びたのは驚きだ」と述べている。
実際、彼の訃報が伝わったのは1996年7月31日で、ヴォルデモート復活と彼の逃亡は1995年6月24日なので、かなり粘ったのであろう。5巻まるまる生き延びていたようだ。
【余談】
映画版『炎のゴブレット』では、死喰い人残党の告発シーンにて、ルックウッドたちに加えてクラウチJr.の名前も出している。
また原作では白髪となっているが、映画版では本編時点でもしっかり黒髪になっていて、少し若い印象。
映画版『謎のプリンス』では、未使用に終わった小道具に「カルカロフの訃報を伝える日刊予言者新聞」があり、余裕さえあれば触れてみたかった模様。
「私はアニヲタwikiのお役に立ちたいのです。追記・修正に手を貸したいのです――」
- めっちゃ粘ったなこの人。存在も忘れてたけど… -- 名無しさん (2025-05-02 08:25:32)
- 因果応報が当然の小物と見せかけてなんだかんだでちょいちょい才能を見せるな -- 名無しさん (2025-05-02 17:43:34)
- 元死喰人でアズカバン一歩手前まで来てたのにそこから大した期間もなしにダームストラングの校長に登り詰めたりとダームストラングの実力主義とカルカロフの才能が窺える -- 名無し (2025-05-02 19:05:14)
- 逃亡生活の末志望したのは覚えてたけど、ろくに頼れる者もいなさそうで敵対者は絶対に許さないヴォルデモート相手に一年も逃げ延びたのか……腐ってもダームストラング校長を任されるだけはあったんだな……死喰い人を売ってまで改心の演技を試みた辺り、死喰い人以外にも何か後ろ暗い過去でもあったのかなあ……? -- 名無しさん (2025-05-02 21:36:51)
- 卑怯者で陰湿なのは間違いないけど、社会情勢が変わっても都合の悪い人間から逃げ回りながら社会的地位を築き上げ、ヴォルデモート復活後もギリギリまで粘りに粘るところは割と並々ならぬ生存能力と社会的なバランス感覚を感じる。戦闘力のあるねずみ男みたいなものかな。 -- 名無しさん (2025-05-02 22:05:03)
最終更新:2025年05月03日 08:04