登録日:2009/12/08 Tue 20:37:52
更新日:2025/04/23 Wed 21:20:07
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柳生十兵衛とは江戸時代初期の剣豪である。1607年生~1650年没。
諱は三厳。十兵衛は通称である。
●生涯
幼少の頃より父の
柳生宗矩直々に剣術を教わって育つ。
13歳から徳川3代将軍・
徳川家光に小姓として仕えるが20歳の時に何らかの理由で怒りを買ってしまい、追放される。
その後12年に渡り諸国を放浪、修業や賊退治をしていたという。
32歳の時、父・
柳生宗矩が死亡。柳生第2代当主となる。
1650年、三厳死去。息子がいなかったため(娘はいた)柳生家は弟の宗冬が継ぎ、
宗冬は父の死後財産分与で旗本に格下げさせられていた柳生家を再び大名家としたため、三厳は柳生藩2代藩主ともされるようになった。
死因は謎に包まれており、何者かに殺害された、崖から落ちた、舟から落ちて水死した、実は病に冒されていて急発作を起こした
など様々な予想がある。
●創作
諸国を放浪して賊を倒したという話や、彼の愛刀が霊剣・三池典太と伝わる事から後世に数々の小説が作られた。
登場する時は「放浪の剣客」設定と「幕府の隠密」設定が多い。
また三厳は隻眼の剣豪として名高いが、彼を描いた絵や柳生伝記には隻眼とは書かれていない為、後年の創作である可能性が高い。
魔界転生(山田風太郎)
主役として活躍。
- 1981年映画・舞台版:千葉真一(1978年の映画『柳生一族の陰謀』等でも十兵衛役を歴任)
- オリジナルビデオ版:渡辺裕之
- 2003年映画版:佐藤浩市
- 2006年舞台版:中村橋之助(現:八代目中村芝翫)
- 2011年舞台版:関智一
- 2018年舞台版:上川隆也
- アニメ版:玄田哲章
寛永御前試合編のラスボス。
目の前でしょんべん漏らした家光が人質に取られても動じず薄笑いを浮かべる、ふてぶてしいタイプの十兵衛。
両目の視力は元々問題なく、眼帯は視界を狭める修行のためだった。
「戦いはこれからだ 忍びの時代はこの十兵衛が 十兵衛が斬る!!」
…と黄金艦の上で吠えて
虚無った。仕方ないね…。
いっときとはいえ(忍びの世界の)凶暴タイプな宮本武蔵と仲良くしていた珍しい十兵衛でもある。
ガンリュウ
舞台は1613年だが、この時点で10歳くらいに見える。まあ細かいことは気にしてはイカンということだろう。
服部半蔵に脅された父・宗矩により右目を潰され、江戸城から追放される。
流浪時代は「四六丸」を名乗っていた。
信長の野望シリーズ
コーエーテクモ(コーエー/光栄)の戦国SLGシリーズの大御所。
流石に生まれが遅すぎるので…と思いきや『天翔記』以来何度も登場。パワーアップキット追加のパターンが多めで、近年の『新生』にもいる。
たまに3歳上の徳川家光さえいないのに出てるし、出番激レアな10歳上の知恵伊豆(松平信綱)なんか比べちゃ可哀想なぐらいである。柳生人気の根強さがよく分かる一例。
♪じゅうべぇぇ くぅえすとぉ~(ジャカジャカジャカジャン)♪
…なCMが有名(?)なファミコンRPG。
どう見ても柳生十兵衛がモデルの眼帯主人公「じゅうべえ」と和風世界観で始まるが、ちょっと石川賢寄りなブッとび方に至る。
ちなみに発売は1991年1月。石川版『魔界転生』より後、『柳生十兵衛死す』原作小説の連載開始より先。むしろコレが『死す』原点の可能性も微…?
初代よりPC。
時代設定が18世紀半ばなので、本人ではなく柳生一族の養子となって二刀による「柳生新陰流・改」を開発し十兵衛の名を襲名した別人。
幕府の隠密剣士として活動している。
鬼武者
鬼武者2での
主人公。
人物としては
宗厳にあたり、十兵衛の名前は一族当主が若い時の名前ということになっている。
新
鬼武者では彼の孫の茜(女性)が十兵衛の名を襲名している。
舞台は幕末だが、
柳生九兵衛というキャラが登場。
とある理由で彼女が性転換した際に一時「柳生十兵衛」を名乗っている。
十兵衛ちゃん
300年の時を経て主人公・菜ノ花自由がラブリー眼帯をつけることで「二代目柳生十兵衛」に変身する。
主人公として登場。もちろん女性である。
からくり武芸伝 ムサシロード
十兵衛をモデルにした警察庁長官「柳生ジュウベエ」が登場。
一介の浪人ゴヘエに扮し、主人公であるムサシに弟子入りする振りをして諸国の諜報に向かう。礼儀正しい性格。
こちらでも明らかにモデルにした「東国の大剣豪ジュウベエ」が存在。勿論と言っていいのか、理由とか別に無く♀。
クラスは当然
サムライ、レアリティは最高位ブラック。ガチャ産初の黒サムライ。
SD版「ちびジュウベエ」もいる。しゅめーとあらば!
●余談
福島正則に匹敵するほどの酒乱であり、沢庵和尚から「お前は酒さえ飲まなければ失敗しないのだからくれぐれも気を付けろ」と手紙を貰ったこともあったらしい。
家光には小姓(現代の秘書的な人)として仕えていたのだが、
家光の趣味は『世の中の美少年を小姓として集め、夜な夜なハッテンする(主に家光受け)』ことであった。
結果、三厳の弟友矩も例に漏れず寵愛を授かった事実が徳川三代記に記されている。
三厳追放との関係は不明だが、もし2人の間に何かあったら…なんて妄想も楽しいかもしれない。
アッー
追記修正お願い致す
- 十兵衛が生まれたのは宗厳の死後
家光のホモ相手は十兵衛の弟の友矩 -- 名無しさん (2013-04-19 00:08:10)
- 巌の字は、尾張柳生の嫡男や正統の名に付けられた。更に十兵衛は尾張で弟子を育てたりしてる。 -- 名無しさん (2014-05-19 17:56:55)
- 幼名、七郎。従弟に八郎左衛門、(確か)同年代の江戸柳生高弟に九郎と言う男がいる。 -- 名無しさん (2014-09-03 22:33:15)
- 十兵衛が指導を行ったのは尾張じゃなく紀州。それも十兵衛の弟子というより宗矩の孫弟子にアドバイスした程度。尾張に行った痕跡は記録上は無い -- 名無しさん (2014-11-01 05:02:43)
- ↑4でモーホーなんでしょう? -- 名無しさん (2015-04-29 16:23:21)
- 千葉十兵衛は男でも掘れる -- 名無しさん (2017-02-08 21:37:16)
- 十兵衛は大名になっていないですよ(宗矩いまわの際に十兵衛8000石、宗冬3000石に所領分割するよう申請したため、両者所領一万石未満になったので大名の資格がなくなった) -- 名無しさん (2017-02-08 22:09:32)
- 追放された理由がイマイチよくわからんのよね。その割に柳生家の跡目はちゃっかり継げてるし。だから「追放はわざとで、実は幕府の隠密だった」という説が根強い人。 -- 名無しさん (2017-02-09 08:31:53)
- 酒乱で家光と大喧嘩して追い出されたっていうのが一番現実的かな。現に江戸を出て一年後位に家光から「そろそろ帰ってきて」っていう手紙貰ってるし。後は家光に求められて拒絶したからか。 -- 名無しさん (2020-04-30 10:00:35)
- 祖父の宗厳の下りは削除しました。 -- 名無しさん (2021-03-10 21:18:59)
最終更新:2025年04月23日 21:20