原文
Vieux Cardinal par le ieusne deceu,
Hors de sa charge1 se verra desarmé2,
Arles ne monstres double3 soit apperceu,
Et Liqueduct4 & le Prince5 embausmé.
異文
(1) charge : cha ge 1668P, Charge 1712Guy
(2) desarmé : desarme 1590Ro
(3) ne monstres double : demonstre : Double 1712Guy
(4) Liqueduct : liqueduct 1568X 1590Ro 1607PR 1610Po 1611B 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1650Le 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668 1720To 1981EB, l’Aqueduct 1672Ga, l'aqueduc 1712Guy
(5) Prince : prince 1568X 1590Ro 1653AB 1665Ba 1716PRc 1720To 1840
校訂
Liqueduct はおそらくL'aqueduct (L'aqueduc)の誤記。
日本語訳
老いた枢機卿が若者に欺かれ、
自らの任を解かれ、身包みを剥がれたことに気付くだろう。
アルルは証明する、二重が認識されることを
そして送水路も香り付けされた君主も(認識されることを)。
訳について
前半はほとんど迷うような箇所はない。
désarmer は語源的にも現代語でも「武装解除する」の意味だが、中期フランス語では「裸にする、金品を巻き上げる」(dépouiller)の意味もあった。
後半は難物であり、実証主義的な諸論者の読みもあまり一致しない。
ここでは monstres を monstre の誤りと見て、動詞 monstrer の現在形と理解した。
直訳だと
- 「アルルは二重と送水路と香り付けされた君主が気づかれることを証明しない」
だが、少なくとも送水路が気づかれないというのは不自然に思われたため、ne を虚辞と見なした。
あるいは
バルタザール・ギノーが提案し、
パトリス・ギナール(未作成)が踏襲したように ne monstres を demonstre と理解するのも一案か。
「二重」(double)は現代語でもそうだが、裏表のある人物の意味にもなり、中期フランス語では「ペテン師」(fourbe)の意味もあった。文脈上、どのような意味か限定するのは難しいので、不自然を承知の上で「二重」とした。
ne を虚辞と見なし、monstres を monstre と見なすのは
ジャン=ポール・クレベールの読みに従ったものだが、彼は
monstreを名詞と見なし、アルルに前置詞を補って、「二重の怪物がアルルで発見される」という意味に理解し、かつ4行目をそれと切り離して理解していた。
embausmé は「防腐処理された」の意味で、中期フランス語では単に「香りを付けられた」の意味もあった。これに対し、クレベールはプロヴァンス語から「洞窟に隠された」を意味する可能性も指摘している。
ピーター・ラメジャラーはクレベールとは逆に monstres を維持しつつ、その後を doubles soient aperçus と複数で理解し、
- 「アルルで送水路と香り付けされた君主という二重の驚くべきことが現れない限りは」(unless two miracles should appear at Arles ― both the aqueduct and the perfumed Prince)
- Arles, show not that the double be perceived, Neither Liqueduct nor the prince embalmed
となっている。
3行目の「二重(の怪物、怪異)」を4行目の2つの存在に結びつけるのは十分に説得的だが、それだと4行目冒頭の Et が余計である。
また、3行目の前半律(最初の4音節)は Arles ne monstres なので、monstre (s) と double を結びつける読み方が妥当なのかにも若干の疑問は残る。
エドガー・レオニは3行目と4行目を分断して理解し、4行目の embausmé は単数だが、これがLiqueduct にも Prince にも係ると理解する方が文脈に沿っていると述べていた(後述するように、信奉者側の解釈は基本的にこれと同じ読みに基づいている)。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳について。
2行目 「彼の重荷の外に沈められ」は誤訳。確かに Hors de sa charge は「彼の重荷の外に」とも訳せるが、この場合の charge は「任務」の意味であろう。また、desarmé が「沈められる」となる根拠も不明だし、se verra (自らを見るだろう、気づくだろう)が訳に反映されていない。
3・4行目「アールズは示さず 二重の力を認め/水路橋 そして香気ある王子は」は、上述の理由によって、いくつもある訳の可能性の一つとしては許容されるだろう。ただし、3行目 monstre を動詞ととる場合、そちらは直説法、soit は接続法なので、単純な並列として訳すことには少々の疑問もある。
山根訳について。
3行目 「アルルよ 二心が見破られるのを明かすな」はありうる訳。monstre を二人称の命令法と理解すれば、確かに成り立つ。
4行目「リクデュクト大公 防腐処置を施される」は Et の位置からすると、prince と Liqueduct を直結させるのが強引に思われる。元になったはずの
エリカ・チータムの英訳でも Both Liqueduct and the Prince と、2つは別々になっている。
信奉者側の見解
テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、前半が非常に平易なのに対して後半はさにあらずとして、後半についてはアルルに対する警告ではないかとしつつ、理性的な詩ではない可能性を示した。
アナトール・ル・ペルチエ(1867年)はその解釈を整備し、リシュリューが、信頼して国王に推挙していたサン=マール侯爵(1642年の時点で22歳くらい)から裏切られ軍務を解かれたものの、サン=マールがスペインと密約(裏表のある条約)を結んでいたとの報告を
タラスコン(未作成)滞在中に
アルル(の諜報員)から受けたこと、およびリシュリューと君主(ルイ13世)が1642年から1643年にかけて相次いで没したことと解釈した (ル・ペルチエの解釈では、Liqueduct はラテン語の ille aquâ ductus に由来する造語で「水路を通じて自らを導かせる」の意味とされ、病臥したリシュリューが主に川を使ってパリに戻ったことを指すとされている)。
この解釈は
チャールズ・ウォード(1891年)、
アンドレ・ラモン(1943年)、
ロルフ・ボズウェル(1943年)、
ジェイムズ・レイヴァー(1952年)、
スチュワート・ロッブ(1961年)、
エリカ・チータム(1973年)、
ジョン・ホーグ(1997年)、
竹本忠雄(2011年)らが踏襲した。
なお、ル・ペルチエの解釈をかなりの程度引き継いだ
ヴライク・イオネスクの著書では1976年の初版でも1987年の版でも扱われていない。
ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)はかなり曖昧な解釈しかつけていなかったが、後の子供たちによる改訂版では、リシュリューとサン=マールとする解釈に差し替えられた。
セルジュ・ユタン(1978年)は史実への力点の置き所がやや変わり、リシュリューの死とマザランの台頭と解釈した。
加治木義博(1991年)は4行目 Liqueduct を「リクデュート」と読んだ上で、日本の政治腐敗と、それの改革を志向する「怪物」と呼ばれるけれども実態は「雄羊」にすぎない若手政治家についてと解釈した。
加治木は明言していないが、「リクデュート」はリクルート事件、怪物は(加治木が「カイブ!?ツ」と表記していることからすると)加治木がこの解釈を書くのと前後する時期に内閣総辞職に追い込まれた海部俊樹のことだろう。
同時代的な視点
ロジェ・プレヴォは、1554年の2人の枢機卿の不和がモデルと解釈した。
枢機卿ジャン・デュ・ベレーは、フランソワ・ド・トゥルノン枢機卿が国王
アンリ2世からイタリア外交の責任者に任ぜられたことに反発していたのである。
その年、
アルル近くのセナでは怪物が誕生したと噂されており、バイエルンでは幻日、すなわち太陽の近くに二重の光が見える現象が観測されていた。
4行目については、アルルの水道橋にまつわる古い伝説が下敷きなのではないかとした。
ピーター・ラメジャラーはデュ・ベレーとド・トゥルノンの反目とする解釈を引き継ぎつつも、後半にある水路は当時建設計画が持ち上がり、ノストラダムス自身も出資した
クラポンヌ運河のことではないかとした。
ジャン=ポール・クレベールは全体像は示していなかったが、アルルがかつて2つの地区に分かれていたことから「二重のアルル」(Arelata duplex)という呼び方もあったことを指摘したほか、当時、アルルがカトリックとプロテスタントに分裂しかかっていたことも示した。
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最終更新:2020年06月16日 01:36