原文 
Long temps1  au ciel2  sera3  veu gris oiseau4 
5  de Dole6  & de7  Tousquane8  terre9 ,
10  vn verdoiant rameau,
11 , & finira12  la guerre13 .
異文 
(1) Long temps : Long-temps 1627Di 1644Hu 1667Wi 1712Guy, Longtemps 1665Ba
T.A.Eds. 
(注記)1611Abは該当ページが脱漏。
日本語訳 
長いあいだ空に灰色の鳥が見られるだろう、 
ドール と
トスカーナ の地の近くにて、 
嘴に青々とした小枝をくわえた姿で。 
まもなく偉人が死に、戦争が終わるだろう。
訳について 
 2行目、3行目は1行目の灰色の鳥を形容している。ゆえに、行ごとの対応関係を考慮しないのであれば、「ドールとトスカーナの地の近くにて、嘴に青々とした小枝をくわえた灰色の鳥が、長い間空に見られるだろう」 とするのが、最も分かりやすい。
 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳 については、おおむね許容範囲内である。ただし、3行目 「小枝をくちばしにはさんで」は、verdoyant (青々としている) が訳に反映されていない。
 山根訳 について。
 3・4行目 「小鳥は花咲く小枝をくちばしにくわえているが/早死にして戦争がまもなく終わる」は、いくつか問題がある。まず、1行目で「灰色の鳥」を訳出しておきながら、3行目に「小鳥」と補うのは、同じ鳥かどうかが分かりづらくなる。また、4行目の mourra (死ぬだろう) の主語は grand と見るべきで、山根訳ではこの grand が訳に反映されていない。信奉者側にはイオネスクなど、grandを切り離す訳が他にも見られるが、前半律が grand までなので、非常に不自然である。
 
 五島勉 の断片的な翻訳については、下の「信奉者側の見解」節で述べる。
 
信奉者側の見解 
 バルタザール・ギノー (1712年)は一応解釈しているが、ノアの箱舟から飛び立って小枝をくわえてきた鳩のように、地上から見られるサイズの灰色の鳥が平和を告げることになる予言という、かなり曖昧な未来の情景として説明するにとどまった。
 
 ジェイムズ・レイヴァー (1942年)は、19世紀のフランス王継承候補者だったシャンボール伯と解釈した。彼は亡命中、トスカーナ地方や
ヴェネツィア 近郊のドーロ (Dolo) に滞在していた時期があった。
 この解釈は
エリカ・チータム (1973年)が踏襲したが、彼女はなぜかフランスのドール (Dôle) がヴェネツィア近郊にあるという、地理的に全くデタラメな認識を披露していた。
 
 アンドレ・ラモン (1943年)は、第一次世界大戦の終結と、その5年後のウッドロー・ウィルソンの逝去と解釈した。
 
 ヘンリー・C・ロバーツ (1947年)は、第二次世界大戦終結の直前に逝去したフランクリン・ルーズベルトについてと解釈した。
 
ジョン・ホーグ (1997年)は、このルーズベルト説や前出のシャンボール伯説などを並列的に紹介するにとどまった。
 
 ヴライク・イオネスク (1976年)は国際連盟と解釈した。ドールは
ジュネーヴ にも近い都市であり、国際連盟による平和への取り組みが行われるが、それが機能不全に陥り(死に)、実際に戦争(第二次世界大戦)を終わらせたのが強国(アメリカ)だったとした。
 
 加治木義博 は1991年の時点で、その頃から1995年までに起こると想定していた第三次欧州大戦終盤の情景と解釈していた。
 
懐疑的な見解 
 五島の解釈についてコメントしておく。
 原文 Dole はどう読んだところで 「ドルス」 とは読めない。この詩には幾つかの異文があり、上の「異文」節に示したように小文字の dole となっている版は例外的にあるものの、「ドルス」 という読みにこじつけられそうな異文を含む版は見当たらない。
 念のため、当「大事典」で通常の原文比較に使っている古版本約40種以外に、別の古版本20種も確認してみたが、すべて Dole であった。
 五島は1980年代後半には
ヘンリー・C・ロバーツ 、
エリカ・チータム 、
セルジュ・ユタン らの原文を参照していたことが、彼の著書にある言及や表紙・内容の写真掲載などから明らかだが、彼らが採用していた原文も Dole であり、その誤植に引きずられたという可能性もない。
 以上から、五島は「ドルス」と読めそうな異文など存在しないことを承知の上で、原文を意図的に歪曲して紹介した疑いが強い。なぜそのような歪曲をしてまで「ドルス」に拘ったかといえば、五島自身によるこの詩の解説の中にその答えがある。そこにこうある。
ほかにも、下書きと思われる不完全な異本に、「女が船に乗って飛ぶ後、大王がドルスで殺される」という予言がある。 
 ここで言う「不完全な異本」とは彼が『
ノストラダムスの大予言 』で紹介していた
セオフィラスの異本 のことである。この異本の詩とするものはほぼ間違いなく偽作されたものであろうが、その正当化のために、詩百篇正篇の中にも同様の予言があると示す必要があったのだろう。
 ちなみに、五島は「ドルスで大王が死ぬ」と紹介しているが、上の日本語訳をよく読めばお分かりいただけるように、ドールとトスカーナ地方は鳥が目撃される地域を指しているにすぎず、4行目の「偉人」がどこの人物なのかは詩に明記されていない。
同時代的な視点 
 ピエール・ブランダムール が指摘し、
高田勇 ・
伊藤進 が踏襲したように、小枝を銜える鳥が大人物の死と戦争の終結の予兆として描かれているのは、ほぼ疑いないところであろう。
 曖昧すぎて、歴史的題材にモデルを求められるのかは疑問だが、
ピーター・ラメジャラー はスエトニウスの『ローマ皇帝伝』で描写されたカエサルの死との類似性を指摘している。
 
しかしカエサルが、近いうちに殺されるということは、いろいろな奇怪な現象からはっきりと予告されていた。(略)その十五日の前日のこと、みそさざいが月桂樹の枝を口にくわえて、ポンペイユス議堂へ飛んでくると、その後を追って、さまざまの種類の鳥が近くの森からやってきて、みそさざいを細かに喰いちぎってしまった。(国原吉之助訳) 
【画像】 『ローマ皇帝伝(上)』
 ラメジャラーの見解は、
リチャード・シーバース も支持している。
 長い間目撃されるというモチーフとは一致しないようにも思われるが、少なくとも、枝を銜える鳥が大人物の死を予告するという発想自体は非常に古くからあるということが分かる。
 なお、ブランダムールやラメジャラーはドールをそのままフランスのドールと理解しているが、トスカーナとは地理的に離れている。このため、
エドガー・レオニ はミランドーラ (Mirandola ; Mirandole) の語頭音消失の可能性も示しており、
ジャン=ポール・クレベール はレイヴァーのようにイタリアのドーロとする可能性も示した。
【画像】 関連地図 (トスカーナは州都
フィレンツェ の位置で示した)
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最終更新:2018年11月08日 01:54