原文 
L'horrible
1  peste Perynte
2  & Nicopolle
3 ,
Le 
Chersonnez 4  tiendra & Marceloyne,
La Thessalie 
vastera 5  l'Amphipolle
6 ,
Mal incogneu
7  & le refus d'Anthoine.
異文 
(1) L'horrible : L'Horrible 1672Ga
校訂 
日本語訳 
訳について 
 1行目から2行目の地名を tiendra の目的語と理解し、さらに3行目の地名2つを vastera の目的語と理解するのは、
ピーター・ラメジャラー 、
リチャード・シーバース らの読みに従ったものである。
 3行目は、前の行と切り離して素直に読めば、「テッサリアがアンフィポリスを荒廃させるだろう」となる。
 なお、
ジャン=ポール・クレベール は2行目 tiendra の主語をケルソネソスと理解し、「恐るべきペストがペリントスとニコポリスに。(しかし)ケルソネソスは(本来の状態を)保つだろう。そして同じくマケドニアも(そのように保つだろう)」というような形で前半を理解している。3行目の主語を「恐るべきペスト」と見なして「テッサリアとアンフィポリス」を目的語と理解するのは他の論者と同じである。
 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳 について。
 1行目 「恐るべき疫病がコリントとニコポルに」は不適切。
コリントス と
ペリントス は古代の全く別の地名である。これは
ヘンリー・C・ロバーツ の英訳でそうなっていたものを、そのまま転訳したためだろう。さらに遡ると
テオフィル・ド・ガランシエール にたどり着くが、ガランシエールはきちんとペリントス(Perynthe)とそのまま英訳し、コリントの誤りだろうと注記していた。	
 2行目「クリミアとマケドニアにも」は、tiendra が訳に反映されていない。なお、「クリミア」はケルソネソスをケルソネソス・タウリケ(クリミアの古称)と理解したことによるのだろうが、この場合のケルソネソスがクリミアかどうかは安易に断定できる状況にない。
 3・4行目「セサリーとアンピポリスに知られざる悪と/アントニーの拒絶をついやして」は、
vaster  を「ついやす」とするのは転訳による誤訳だろう。これはロバーツが waste をあてていたためだろうが、この場合はやはり「荒廃させる」の意味に理解すべきだろう。
 山根訳 について。
 2行目 「半島とマケドニアを奪うだろう」は問題ない。ケルソネソスの本来の意味は「半島」だからである。ただし、当「大事典」はこれが固有名詞然として綴られていることから、あえて「ケルソネソス」と表記した。
 4行目「えたいの知れぬ悪 そしてアントワーヌに拒まれる」は、d'Antoine が「アントワーヌによって」と「アントワーヌの」という2通りに理解できることからすれば、許容される。ただし、もしもこの部分が後述のラメジャラーのような読みが正しいとすれば、「アントワーヌ(アントニウス)(のせいで)の」と理解しなければ意味が通じなくなる。
 
信奉者側の見解 
 ヘンリー・C・ロバーツ (1947年)は挙げられている地域でひどい疫病の流行があるのだろうという漠然とした解釈しかつけていなかった。
 そして、その解釈は、
娘 夫婦の改訂(1982年)でも
孫 の改訂(1994年)でも全く修正されなかった。
 
 エリカ・チータム (1973年)はアントワーヌは
アンリ4世 の父アントワーヌ・ド・ナヴァルかもしれないとしつつも、挙げられている地名との関連は不明とした。
 この解釈は後の決定版でも変化はなかった。
 
 五島勉 (1992年)は、Perynthe はトルコ南西部かギリシアのコリントの古語、Nicopolle はトルコのニコシアか
シチリア島 のニコシア、Thessalie はギリシア語でテサロニケ、Amphipolle は都市アンフィポリスか
ローマ 近郊アピフォルムのフランス読みとした。
 その上で、それらはいずれも使徒パウロの宣教の道であり、
新約聖書 のパウロ書簡『ローマの信徒への手紙』(ローマ書)、『コリント人への手紙』(コリント前・後書)、『テサロニケの信徒への手紙』(テサロニケ前・後書)に込められた放縦な生活への戒めや最後の審判への警告を象徴しているとした。
 そして、9巻91番という詩番号は1991年を指している可能性が高いとして、エイズ(AIDS)の流行や、今後現れるであろうより悪質な「新エイズ」について警告を発したと解釈した。
 
懐疑的な視点 
 五島の解釈のみについてコメントしておく。
 ペリントスが
コリントス の古語などという話は、調べている範囲では見当たらない。上述のガランシエールのように、誤記・誤植の可能性を疑う論者がいるにすぎない。
 ゆえに、ペリントスをコリント前・後書と結びつけるのは的外れであろう。
 テッサリアとテサロニケは別の地名である (フランス語でも Thessalie と Thessalonique という形で区別する)。
 テサロニケ(現テッサロニーキ)は
マケドニア 属州の州都だったのだから、マケドニアと結びつけるなら理解できるが、五島はマケドニアについて何も解釈していない。 
 アンフィポリスをわざわざローマ近郊のアピフォルムと結びつけて、そこからローマ書に結びつけるというのは強引過ぎる。
 挙げられている地名がパウロの伝道地とその近郊であったのは事実である。
 なお、地名が近ければよいのかというと、それには疑問がある。アンフィポリスが含まれているからだ。
 つまり、ノストラダムスがパウロの伝道とこの詩を結び付けさせたかったのだとすれば、わざわざアンフィポリスの名を挙げたのはかなり不自然なことといえるだろう。
同時代的な視点 
 「ケルソネソス」はこの場合、
ピエール・ブランダムール も指摘するように、ゲリボル半島(ケルソネソス・トラキカ)のことだろう。
 ピーター・ラメジャラー は、2003年の時点では『
ミラビリス・リベル 』に描かれた
イスラーム 勢力のヨーロッパ侵攻のモチーフをモデルと見なしていた(明言していないが、ペストは侵攻の比喩と見なしたのだろう)。
 しかし、2010年になると「出典未特定」として、以前の解釈を撤回した。
 
 なお、ラメジャラーは4行目の「聖アントニウスの拒絶」を「聖アントニウスのせいでの社会的接触の拒絶」と理解した。
【画像】 関連地図 (テッサリアは中心都市ラリサの位置で代用)
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最終更新:2020年03月27日 00:47