詩百篇第5巻63番


原文

De vaine emprise1 l’honneur indue2 plaincte
Gallotz3 errans4 par latins5 froit6, faim, vagues
Non loing du Tymbre7 de sang8 la terre9 taincte10,
Et sur humains11 seront diuerses12 plagues13.

異文

(1) emprise 1557U 1557B 1568 1588-89 1589PV 1590SJ 1612Me 1672Ga : emprinse T.A.Eds. (sauf : empris 1590Ro, entreprinse 1668P 1716PR, entreprise 1772Ri)
(2) indue : indeuë 1590SJ 1649Ca 1650Le, induë 1667Wi 1668
(3) Gallotz 1557U 1557B : Galliots T.A.Eds. (sauf : Galiotz 1568 1590Ro, Gallots 1588-89 1589PV 1590SJ 1612Me 1649Ca 1650Le 1668, Galiots 1772Ri)
(4) errans : erran 1649Xa
(5) latins : le tins 1588Rf 1589Me 1612Me, le tin 1589Rg, Latins 1611B 1672Ga 1981EB, latinr 1627Di
(6) froit 1557U 1557B 1568 1588-89 1590Ro 1612Me : froid T.A.Eds.
(7) Tymbre : tymbre 1557B 1589PV, Tybre 1672Ga
(8) de sang : desang 1607PR
(9) la terre : terre 1557B 1589PV 1590SJ 1649Ca, la Terre 1672Ga
(10) taincte : traincte 1605sn 1606PR 1649Xa 1716PR
(11) sur humains : sur humaine 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1650Ri 1665Ba 1716PR, sur humainé 1627Di, surhumaine 1644Hu 1653AB, surhumains 1840
(12) diuerses : divers 1772Ri
(13) plagues : glagues 1627Di

(注記)1716PRbはフォトコピーの脱漏により、4行目以外比較できず。

校訂

 2行目の Gallotzについて、エドガー・レオニはGalliotes と修正している。
 ブリューノ・プテ=ジラールはGalliotzとしているが、原文自体をそう直しており、校訂などに関する注記は一切ない。

日本語訳

無為な遠征による名誉、不相応な不満。
船乗りたちは寒さ、空腹、荒波の中、ラティウムをさまよう。
テヴェレ川から遠くない大地は血塗られる。
人々は様々な痛手を負うだろう。

訳について

 2行目GallotをそのままGallotと捉えるなら「フランスの言葉を話す者」=フランス人の意味になる。ピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールはその理解である。
 クレベールはノストラダムスの秘書だったジャン=エメ・ド・シャヴィニーがガリア人(Gaulois)と同義に捉えていたことのほか、詩百篇第7巻10番(未作成)ではこの語がノルマン人と並列的に言及されていることなどを挙げている。
 他方、Galliotと見なして「船」(boats)と英訳したのがリチャード・シーバースである。
 初出を尊重するなら「ガリア人」(フランス人)であろうが、2行目の「波」との整合性を考えれば、「船」や「船乗り」のほうが文脈に合っているのではないだろうか。

 4行目plague は、現代フランス語にはない。
 古語としては、「傷、痛手」(plaie, blessure)の意味である*1
 エドモン・ユゲの辞書では、その意味のほか、大地などの広がりの意味のplageの綴りの揺れの意味が掲げられている。

 クレベールはplaieと釈義しているが、ラメジャラーやシーバースはそのまま plague(災厄、伝染病)と英訳している。
 英語のplagueもフランス語のplaieも、語源はラテン語のplaga(傷、災厄、〔西暦200年以降の用法として〕伝染病*2)である*3
 ノストラダムスがラテン語のplagaをフランス語化してplagueと綴ったと理解すれば、「災厄」や「伝染病」の意味を導くことも可能だろう。
 クレベールも、plagueが、ラテン語やプロヴァンス語のplaga から来ている語と指摘している。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「名誉はむなしいくわだてに反抗して不平をこぼすようになり」*4は、やや言葉を補いすぎているように思われるし、indue が訳に反映されていないようにも思われる。
 2行目「ガレーはラテン海を通してさまよい つめたく 飢え 戦争と」は、vagueを「戦争」と訳すことが疑問である。もっとも、これは大乗訳のもとになったヘンリー・C・ロバーツの英訳でも warになっていた。
 3行目「タイバーの近く 地上に血でよこたわり」は、後半が誤訳。
 4行目「人類の上に多くの疫病がはやるだろう」は、上述の通り、plagues の訳し方によっては成立する。

 山根訳について。
 2行目 「ラテン人に入り混って漂う船 寒気 飢え 波浪」*5は、errant(さまよう、放浪する)を「入り混じって漂う」とするのは、少々強引ではないだろうか。
 4行目「悪疫 数度にわたり人類を苦しめよう」は、plagues を「悪疫」と訳すのはよいとしても、それを形容しているdivers(色々な、様々な)を「数度にわたり」とするのが疑問。文脈からは、同時に襲うのか、次々に襲うのかを決めかねるように思われる。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、テヴェレ川はローマの川であると指摘した上で、残りは、起こるであろう驚異の描写とした*6


 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は1937年から1999年の戦争に関する一場面と位置づけていた*7

 ロルフ・ボズウェル(1942年)は、フランスのヴィシー政権と、それに従わず「名誉、祖国」をモットーに掲げた自由フランスに関連する詩と解釈した*8
 アンドレ・ラモン(1943年)も、「現下の状況」(=解釈当時の第二次世界大戦中の状況)と解釈した*9

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は、ガランシエールの解釈をほぼ写したが、テヴェレ以外の部分は、「起こるであろう事件」の描写と書き換えた*10
 この解釈は、夫婦やもそのまま踏襲した*11

 セルジュ・ユタン(1972年)は第二次世界大戦の情景と解釈した*12
 ボードワン・ボンセルジャンの補訂(2002年)では、ナポレオンのイタリア侵略か、未来の情景であろうとする解釈に差し替えられた*13

 エリカ・チータムは1973年の時点では文字通り一言も解釈をつけていなかった。しかし、その日本語版(1988年)では、1975年にサイゴン(現ホーチミン市、ベトナム戦争までは南ベトナムの首都)が陥落した時のインドシナ難民とする解釈がつけられた(ラティウムなどの地名が何を意味するのかについての解説はない)。
 チータム自身の最終版(1989年)では、近未来の情景との関連を示唆しつつも、かなり漠然とした説明しかしていなかった*14

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)は、1944年にフランス軍がイタリアに上陸したことなどと解釈した*15

 ヴライク・イオネスク(1987年)は、この場合のラティウム(ラテン)は欧州ではなくラテンアメリカ、特にアルゼンチンを指しているとアナグラムから導き、フォークランド紛争(1982年)と解釈した。
 2行目のGallotz errans はアルゼンチンの将軍ガリティエリのアナグラムとした。
 3行目のテヴェレ川は、同時期に起きたローマ教皇ヨハネ・パウロ2世のファティマでの暗殺未遂事件とした*16

同時代的な視点

 定説化したモデルの特定などは見られない。

 エドガー・レオニは、一般的で曖昧な詩として、簡略な解説しかしていない。

 ピーター・ラメジャラーは2003年の時点では、『ミラビリス・リベル』に描かれた、イスラーム勢力による欧州侵攻がモデルと推測していた*17
 しかし、2010年になると、「出典未特定」として、解釈を事実上撤回した*18

 ジャン=ポール・クレベールも、それぞれの単語に関する解説はしているものの、全体のモデルなどは特定していない*19


※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
最終更新:2020年03月28日 00:29

*1 DALF, T.06, p.183 ; DLFS, T.06, p.8

*2 水谷智洋『改訂版羅和辞典』研究社

*3 『ランダムハウス英和大辞典』第2版、『ロベール仏和大辞典』ほか

*4 大乗 [1975] p.165。以下、この詩の引用は同じページから。

*5 山根 [1988] p.197。以下、この詩の引用は同じページから。

*6 Garencieres [1672]

*7 Fontbrune (1938)[1939] p.126、Fontbrune (1938)[1975] p.143

*8 Boswell [1943] p.220

*9 Lamont [1943] p.217

*10 Roberts (1947)[1949]

*11 Roberts (1947)[1982], Roberts (1947)[1994]

*12 Hutin [1972]

*13 Hutin (2002)[2003]

*14 Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]

*15 Fontbrune[1980] pp.310-311

*16 Ionescu [1987] pp.494-497, イオネスク [1991]pp.216-221

*17 Lemesurier [2003]

*18 Lemesurier[2010]

*19 Clébert [2003]