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百詩篇第2巻43番

原文

Durant l'estoyle cheuelue apparente,
Les trois grands1 princes2 seront faits3 ennemis,
Frappes4 du ciel5, paix6 terre7 tremulente8.
Po9, Tymbre10 vndants11, serpent12 sus13 le bort mis.

異文

(1) grands : grand 1605 1611
(2) princes : Princes 1588-89 1627 1644 1649Ca 1650Le 1665 1668 1672 1716 1772Ri
(3) faits : fait 1555A 1840, fai 1557U, fais 1557B 1568A 1590Ro
(4) Frappes 1555 1840 : Frappés 1557U 1557B 1568 1590Ro, Frapez 1716, Frappez T.A.Eds., Frappé conj.(PB)
(5) ciel : Ciel 1716
(6) paix : Paix 1672
(7) terre : et terre 1660, Terre 1672
(8) tremulente : t emulente 1557U, emulente 1557B, tremulent 1611A, tremblant 1611B, trembulente 1649Ca 1668, tremblante 1660
(9) Po 1555 1557U 1589PV 1840 : Pau T.A.Eds. (sauf Arne 1672)
(10) Tymbre : Tybre 1611B 1660 1672
(11) vndants : ondans 1588-89 1644 1650Ri 1653 1665
(12) serpant 1555 1557U 1840 : serpens 1557B 1588-89 1589PV 1649Ca 1650Le 1660, Serpent 1672, serpent T.A.Eds., serpants conj.(PB)
(13) sus : sur 1600 1611B 1627 1644 1649Ca 1649Xa 1650Le 1653 1660 1668 1672 1716, sut 1650Ri

校訂

 ピエール・ブランダムールは3行目のFrappes を Frappé に、paix を Paix に校訂した上で、句読点の打ち方を変えている。また、4行目の serpant を serpants と校訂している。
 ブランダムールの校訂を多く受け入れているブリューノ・プテ=ジラールは、この詩についてはブランダムールの校訂内容をひとつも受け入れていない。ピーター・ラメジャラーも特に支持していない。ジャン=ポール・クレベールは Frappé のみ受け入れ、paix については poix(松脂)の誤植とした。

 4行目 Po(イタリアのポー川)はテヴェレとの地理的関係から言ってもそのまま Po でよいだろう。Pau(フランスのポー川)としたのでは離れすぎてしまう。なお、1672 で Arne となっているのは解釈にあわせた改変である。最初にそれをやったのは、1656年の注釈書だった。

日本語訳

髪のある星が現れている間、
三人の偉大な君主たちは敵同士になるだろう。
平和は天から打たれ、大地は震える。
ポーとテヴェレは氾濫し、蛇は岸辺に置かれる。

訳について

 山根訳1行目「髭星」*1は訳語として疑問。3行目「地上の不安定な平和は天に打たれる」は、tremulente の訳が微妙で、少々不正確に思える。
 同4行目「ポー 曲がりくねるティベル 海辺にとぐろ巻く蛇」は、undantsの訳し方が不適切。「とぐろ巻く」も若干訳しすぎではないかと思われる。

 大乗訳は1行目「光芒のある星があらわれているあいだ」*2が微妙である。あとは特に問題はない。

信奉者側の見解

 1行目の「髪のある星」が彗星を意味しているという点は多くの論者が一致している。

 テオフィル・ド・ガランシエールは、1556年3月1日から3ヶ月間明るい星が見られたことと関連付け、その年に、休戦協定を破ったアンリ2世と、教皇パウルス4世、スペイン王フェリペ2世が対立したことの予言とした。
 その休戦は1557年10月14日に成立したが、翌日にはローマテヴェレ川の大氾濫に見舞われた。その洪水が引いたあとで、ひときわ大きい蛇が打ち上げられているのが目撃されたという。また、同じ頃のフィレンツェではアルノ川(Arno)が氾濫していた*3
 この解釈を最初に提示したのは、1656年の注釈書だったようである*4

 ジェイムズ・レイヴァーはこの「彗星」は、家紋に彗星を用いており、聖マラキの予言では「天の光」と予言されたローマ教皇レオ13世(在位1878年 - 1903年)とした。その上で、「三人の偉大な君主」とは、レオ13世の在任期間中に結ばれた独・墺・伊の三国同盟を意味し、これが後にフランスに敵対することになることを予言したと解釈した*5。この解釈はエリカ・チータムが支持していた。

 ヘンリー・C・ロバーツは1985年(原文ママ。正しくは86年)のハレー彗星に関する予言としていた。のちの改訂版ではハレー彗星がドイツの再統一やソ連崩壊を予告するものであったという解釈になっている*6
 1986年のハレー彗星とする解釈は五島勉も採用しており、『ノストラダムスの大予言』(1973年)から『ノストラダムスの大予言V』(1986年)までで繰り返しとりあげていた*7
 その中では、中東三か国による戦いから第三次世界大戦につながるといった解釈が展開されたこともあったが、『V』での最終的な解釈は、中東で複数国が対立していることや、世界各地で地震が起こったことなどをもって的中したというものだった。

同時代的な視点

 「髪のある星」が彗星なのは疑いない。古来、長髪の星、髭の星などは様々な災厄を予告する凶兆と解釈されていた*8

 ピエール・ブランダムールは、ユリウス・オブセクエンス(未作成)『驚異について』を出典とする形で第2回三頭政治(紀元前43年 - 前36年)がモデルになっていると指摘した。
 「三人の偉大な君主たち」とは、三頭政治を行ったアントニウス、レピドゥス、オクタウィアヌスで、彼らの確執を予告する凶兆や災厄が描写されているとする。オブセクエンスは、その頃に彗星が見られたこと、地震が頻発したこと、ポー川やテヴェレ川が氾濫したこと、特にポー川では氾濫後に多くの蛇が残されたことなどを記録しているという。
 ブランダムールは3行目の paix(平和)を Paix として、ローマの「平和の神殿」のこととした。オブセクエンスの挙げた驚異の中にはこの神殿の破壊が含まれていないことから、ノストラダムスは、1536年に神聖ローマ皇帝カール5世がこの平和の神殿の遺跡を破壊し、人々から祟りがあるのではと恐れられていたことを意識したようである*9。こうした読み方は、高田勇伊藤進ピーター・ラメジャラーも支持している*10

 ロジェ・プレヴォはそれと異なる読み方として、1523年の情勢をモデルとする読み方を提示している。
 コンラドゥス・リュコステネス(未作成)の記録によれば、この年の11月に彗星が見られ、落雷や地震があったという。また、テヴェレ川が氾濫し、ローマ市内の川辺では半人半魚の奇妙な生き物が目撃されたという。
 また、この年はフランス王フランソワ1世、神聖ローマ皇帝カール5世、イングランド王ヘンリー8世が争っており、2行目はそれを描写したものだとしている*11


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最終更新:2014年05月13日 17:56

*1 山根 [1988] p.93

*2 大乗 [1975] p.82

*3 Garencieres [1672]

*4 Leoni [1961/1982]

*5 Laver [1952] pp.219-220

*6 Roberts [1949/1994]

*7 『大予言』pp.126-128,『大予言II』pp.121-122,『大予言III』p.199,『大予言V』pp.14-22

*8 高田・伊藤 [1999] p.132

*9 Brind’Amour [1996]

*10 高田・伊藤 [1999], Lemesurier [2003b]

*11 Prévost [1999] p.127