シナリスⅥ実験市場開放都市「シナリス・ハルモニア」一般解放市場エリアA層、友好文明区画は、昼夜の感覚を曖昧にする白い天蓋光に満ちていた。頭上を走る輸送レールが低く唸り、足元の床には案内線が淡く脈打っている。通りを行き交う人影は種族も背丈もばらばらで、それでも誰もぶつからない。視界の隅では、翻訳ホログラムが来訪者ごとに言語を切り替え、広告塔には異文明の菓子、工具、簡易端末、衣服が入れ替わり立ち替わり映っていた。
セラは立ち止まりそうになる視線を、なんとか前へ戻した。見慣れないものは多い。けれど、見慣れないだけではもう足りない。港も市場も留学先で見た。宇宙港の巨大な天井も、多言語のざわめきも、便利すぎる物流網も、今では驚きになりきらない。だからこそ、案内役の一言に少し期待していた。
若崎は肩から大きめのキャンバスケースを下げたまま、軽い足取りで振り向いた。歩幅が小さいのに妙に先へ進むのが速い。手を振る仕草まで明るくて、ここが要所中の要所だという緊張を、この人だけ少し薄めてしまっている。
若崎「一応、ある程度なんでもあるけど、どこ行ってみたいとかある?」
セラ「そうですね。うーん、珍しいものが見たいかもです」
言いながら、セラは市場を見回した。発光果実を積んだ屋台、金属細工の食器、液体封入式の標本めいた香辛料。たしかに珍しい。だが、店先に並ぶ珍しさは、すでに商品として丸められている。もっと、奥にあるものが見たい。そう口にするには、まだ遠慮があった。
若崎「珍しいねぇ。うーん……トリジン食物再構成装置を使った試験食堂とか行ってみる?」
セラ「トリジンなら見たことあるから、どうだろう。でも、美味しいものが食べられるなら……」
若崎の目が、そこでわかりやすく輝いた。話題の取っかかりを見つけた人の顔だった。
若崎「市場に出回ってるのは共立世界向けにカスタマイズされたものではあるんだけど、ここのトリジンは旧ピースギアのデータも入ってるから、珍しいものが食べられるよ」
セラ「珍しいもの……どんな食べ物だろう」
若崎「ピースギアで支部化してた、ある異世界の料理だね。どういうのが食べたい?」
異世界の料理。セラは一瞬だけ口元を押さえた。聞こえは派手だが、料理という言葉がつくと急に現実味が出る。戦争や政治の話より先に、文化は舌に届くのだと、そんな妙な納得があった。
セラ「じゃあ、クッキー。私、お菓子とか作るのが趣味なので」
若崎「月蜜ラベンダークッキーなんてどう?」
セラ「おっ、すごそう。いいですね」
若崎「じゃあ決まりだね」
試験食堂は市場の一角に半ば溶け込むように存在していた。厨房らしい熱気は薄い。その代わり、複数の再構成装置が透明な隔壁の向こうで稼働している。細かな粒子が筐体内で舞い、レシピ情報らしい光の層が幾重にも折り重なって、やがて一皿ずつ現実の形に降りてくる。
列に並ぶあいだ、前の客が受け取った皿から、知らないのに懐かしい香りがした。蜜の甘さに、草花の冷たい輪郭が混じっている。セラは無意識に背筋を伸ばした。趣味で菓子を作る者の目で見れば、この装置は少し反則だ。だが、だからこそ気になる。材料を混ぜる音も、焼き色を見極める手元も飛ばして、どこまで“おいしい”に届くのか。
受け取ったクッキーは薄紫の砂糖膜をまとい、表面には月相のような銀粉が散っていた。指で持つと崩れそうなのに、端はきちんと焼き締まっている。ひとかけ噛んだ途端、甘さの奥から、夜気みたいな香りがふわりと抜けた。花の香りなのに甘ったるくない。舌の上でほどける食感に、思わず頬が緩む。
若崎「そしたら次は、ポータル物流ターミナルとか行ってみる?」
セラ「もぐ……あ、はい。ごっくん。行きます、行きます」
若崎がこらえきれずに笑った。セラは少しだけ視線を逸らしながら、残りのひとかけを急いで飲み込んだ。案内役の前で食べながら返事をするのは行儀が悪い。そう思うのに、焼き菓子の余韻が口の中に長く残って、急いだせいで余計に慌ただしくなる。
市場の喧噪を抜けると、空気が変わった。人の声より機械音の比率が増える。壁面のガラス越しに巨大な搬送路が見え、その先に、都市の内部とは思えないほど広い空間が口を開けていた。
ポータル物流ターミナルは、港というより、空間そのものを荷役機械に組み替えたような場所だった。高所を走るクレーンアームが青白い警告灯を点滅させ、積層コンテナが静かに、しかし寸分違わず滑っていく。遠方ではポータルゲートの縁が水面みたいに揺れ、そのたび異なる環境の空気がほんのわずかに混じった。乾いた風、潮気、鉱物臭。ここが通路である前に、世界同士の接続面なのだと肌が先に理解する。
若崎「一応、ここが共立世界中から集まった企業の物資や資材が集まってる、港みたいなところだよ」
セラ「港じゃん。あ、父さんの会社も入ってるのかな。入ってるかも」
軽口のつもりで言ったのに、言ったあとで少しだけ本気になる。父の仕事先の名前が、こんな場所のどこかにあっても不思議ではない。視線を走らせると、企業章や通関コードがいくつも浮いては消えた。知らない記号だらけの中に、自分の身近な世界が混ざっているかもしれない。それだけで急に距離感が揺らぐ。
若崎「たぶんそうかもね。ここはシナリスⅥ実験市場開放都市の心臓部といってもいいくらい大事な施設で、ここのほとんどの物資が入ってくる感じ」
若崎「あ、ちょうど今、貨物コンテナがクレーンで搬入してるみたいだよ」
示された先で、コンテナ一基が音もなく持ち上がった。巨大なはずなのに、あまりに滑らかで重さを感じさせない。その不気味なほどの正確さに、セラは目を細める。こういう場所は好きだ。大きな空港を見ている時と同じで、機能が景色になる瞬間があるからだ。けれど、好きと安心は同じではない。少し手順が狂えば、人間なんて簡単に挟まれて終わる。そんな想像も一緒についてくる。
セラ「そういえば、若崎さんは技術関係の人なんですよね? どんなことされてるんですか?」
若崎は「あー」と小さく声を漏らし、待ってましたと言わんばかりに肩のケースを叩いた。
若崎「んー、まあ、ピースギアで使われてるあらゆるものの設計デザインとかがメインになるんだよね。思いついたら描けるようにキャンバス持ってるよ。ほら」
ケースから取り出されたキャンバスには、すでに線が走っていた。単なる落書きではない。機体の外装ライン、操作UIの配置、視線誘導まで見越した色面構成。工業製品なのに、見る者の手の動きまで織り込み済みの絵だった。
セラは思わず一歩近づいた。線の強弱に迷いがない。描ける人の線だ、とまず思う。そのうえで、描くだけで終わっていない。使う場面まで浮かんでくる。
若崎「これ、もう採用されて一般公開していいやつだから」
セラ「えっ、すご……! めちゃくちゃ上手いですね。えー、デザインから、というか、いちから考えて描いてるんですか? これ」
若崎「んー、技術部から『こういうの作るから、UIとかデザイン作って』って言われて、それを元に、みんなが使いやすいように考えて描いてるかな」
使いやすいように。さらりと言ったが、その一言に含まれる責任の重さは大きい。間違った配置、見づらい表示、咄嗟に判断しにくい色、それだけで誰かが死ぬ職場もあるだろう。セラは絵のうまさへの驚きが、少し違う種類の感心に変わるのを感じた。
セラ「そうなんですね。私、絵心もセンスもないから尊敬しちゃうな。あ、将来ピースギアに就職とかするのもアリな気がしてきたぞ。うーん……でも、私じゃ無理かも」
半分は冗談、半分は本音だった。大きな組織の中で役に立つ自分を、まだきちんと想像できない。けれど、役割を見つけて働いている人を見ると、その輪郭だけは少し羨ましい。
若崎「基本、あまりにも性格が破綻してる人とか以外は大丈夫だよ。たぶん、綾音さんがいろいろ考えて、君に合う職を見つけてくれる」
セラ「性格……破綻……遊理部? うわぁ……うん、まあ、そうですよね。部長を連れてきたら面白かったかも……」
遊理部の顔が脳裏をよぎったのか、セラは苦笑いのまま少しだけ肩を落とした。連れてきたら面白い、という言い方の中に、面白いで済む範囲じゃない予感が混ざっている。
若崎「共立世界は、まあ……たしかにカオスかもね」
セラ「カオスなんてものじゃないですよ。あ、でも、シナリスには逆にいないんですか? 変な奴とか」
若崎はすぐには答えず、目の前を通る荷役ドローンを避けるように歩幅をずらした。その動作が自然すぎて、ここにいる人間の基準がほんの少し違うのだとわかる。
若崎「良くも悪くも、一般的な人は多いかもね。種族と人種はすごい数いるけど」
セラ「いまどき、多民族他種族は珍しくないですよね。それにしても、先生がいたらなんて言うかな」
視線の先、通路の向こうに、一般見学者用の導線から外れた重い扉がいくつも並んでいた。扉の上には色分けされた警告灯と、見慣れない認証欄。ホログラムの文字列が絶えず更新されている。
若崎「一般人には危なかったりするから見せられないんだけど、危険物・未審査物の隔離区とか、通関・倫理監査ゲートなんてものもあるよ」
隔離区、倫理監査。その語だけで、ここが単なる物流施設ではないとわかる。運ばれているのは物資だけではない。基準外のもの、判断待ちのもの、通してはいけないもの。目に見えない線引きが、この港の深部には幾重にも張り巡らされている。
若崎「あと、見ててわかると思うけど、UIホログラムは共立世界の一般的な言語をほとんど網羅してるよ」
たしかに、表示は近くに立つ相手ごとに変わっていた。セラが見ればセラに読める文字列が浮かび、隣の異種族が通れば別の書式が重なる。誰かが頑張って設計したのだろう。その誰かの苦労を思い、セラはさっき見せられたキャンバスを思い出す。
セラ「ふーん。正直、故郷のセトルでも、今留学してるユピトルでも似たような光景で溢れててさ。なんかもう……珍しいものに飢えてるんですよ。危険区域ね……」
言いながら、ほんの少しだけ視線が警告扉へ吸われる。あちら側には、たぶん本当に見たことのないものがある。危ないとわかっている場所ほど、人の好奇心は形を持ってしまう。
若崎「入ろうとしちゃだめだよ? ほんとに。まあでも、宇宙港なんてどこもそう大差ないかもね」
釘を刺されて、セラは両手を小さく上げた。わかってます、という仕草。実際、入るつもりはない。ただ、見てみたいだけだ。そういう衝動が自分にもあると知られるのは、少し悔しい。
セラ「そうですね。でも大きな空港は嫌いじゃないです。売店巡りも楽しいですからね」
若崎はそこで笑ってうなずいた。危険区画より売店の話に戻したのは、たぶん意図的だ。案内役として、見せる線と見せない線を守っている。
そのことに気づいたからこそ、セラの中に別の疑問が浮いた。ここまで見せてもらっても、肝心の目的だけは輪郭が薄い。何を守って、どこまで踏み込んでいるのか。便利さの裏側ほど、人は抽象語で隠しがちだ。
セラ「ピースギアって、なんかこう、悪い未来を避けるためになんかしてるんでしょ? その……どういう目的というか、未来というか、そのあたりがよくわからないっていうか、えっと、いまいち身近に感じられなくて」
若崎は少しだけ足を止めた。軽い人に見えて、言葉を選ぶ時の間はちゃんとある。ターミナルの空調が上着の裾を揺らし、遠くでコンテナ固定音が響く。
若崎「わかりやすく言うと、国際法的にアウトになるような大量破壊兵器の製造を止めたり、戦争が起きそうな場所に行って起きにくくしたり、とかかな。でももちろん、予測が外れることもあるけどね」
派手な理想ではなく、具体的な“止める”の話だった。セラは少しだけ目を瞬かせる。もっと綺麗ごとが来るかと思っていたのに、出てきたのは随分と手触りのある言葉だ。製造を止める、起きにくくする。未来を丸ごと救うのではなく、最悪の手前で何かをずらす。その発想は、思ったより地味で、だからこそ厄介そうだった。
セラ「うんうん。そうですね……平和維持軍との違いって、何かあるのかな?」
若崎「平和維持軍よりも迅速に、大事になる前に動くって感じかな。あくまで高精度の予測によって、平和維持軍が動く前に、少しの介入でその事態が起きにくくするのが目的、というか」
少しの介入。簡単そうに聞こえる言葉ほど難しい。誰に、どの時点で、どれだけ触れれば歴史がずれるのか。やりすぎれば侵略だし、足りなければ意味がない。セラは答えを聞きながら、ますます身近ではない仕事だと思った。同時に、その不器用な説明に、少しだけ信用もした。
セラ「なるほど……うーん、大変そうだな」
若崎は肩をすくめ、深刻さを引きずらないように話題を切り替えた。その切り替えの速さが、この人の処世術なのかもしれない。
若崎「もしよかったら、君が好きなロボット言ってみてよ。描いてあげるよ?」
セラ「好きなロボ……なんだろう。うーん、私、文系だから……」
若崎「普段どんな小説読んでるの?」
セラ「架空の歴史ものとか好きですね。あと、料理本とか、心理学とかそういうの。あ、なろう系も好きかも。スローライフ的なやつとか」
若崎は「あー、なるほど」と納得した顔でうなずいた。相手が何に反応するかを探って、着地点を変えるのがうまい。
若崎「それなら、歴史物に出てきた武器とか兵器、描いてみる?」
セラ「いいんですか? やった。じゃあ……」
キャンバスの上に、新しい線が走り出す。若崎の手元を見るセラの目は、さっきまでの観光客のものではなかった。説明を受ける側ではなく、作られていくものに引き込まれる側の顔だ。巨大な港も、倫理監査も、未来予測も、どこか遠い。しかし一本の線が形になっていく瞬間だけは、不思議と手の届く場所にある。
ーーーー
帰路の会合地点は、一般解放市場の外縁にある接続ホールだった。壁面の発着表示が静かに流れ、来訪者ごとに異なる便名と迎えの名前を浮かべている。さっきまでの喧噪から少し離れたぶん、歩き疲れが足に出る。セラは受け取ったイラストを胸元で抱え直した。紙の重みは軽いのに、持ち帰るものとしては妙にちゃんとしている。
セラ「今日は、ありがとうございました。土産話もできたし、楽しかったです」
その声に応じるように、柱のそばで待っていたアルトが顔を上げた。姿勢の崩れない人だと、離れて見てもわかる。迎えに来たというより、引き取りに来た印象が強い。
アルト「終わったみたいですね。セラちゃん? 今回学んだことは?」
セラは抱えた紙束を見て、それから視線を泳がせた。言葉にしようとすると、頭の中で港の景色とクッキーの香りと若崎の説明が混線する。見たものは多いのに、うまく並ばない。
セラ「あ……えっとですね、なんかすごい港があって、クレーンがばーって動いてて、とりあえず、未来のために頑張ってるらしいです。えっと、すいません。あの、レポート頑張りますから……」
アルトのため息は、呆れというより予定調和に近かった。こうなるだろうと予想していた人の吐く息だ。
アルト「……はぁ。しょうがない人ですね。帰ったらきっちり詰めますからね」
その横で若崎が、わずかに肩をすぼめた。極秘が多いというのは本当なのだろう。見せられるものだけで伝わるほど、たぶん単純な組織ではない。
若崎「ごめんなさい。ピースギアの任務って結構極秘なことが多くて、見せられることが少ないもので。代わりにセラちゃんには歴史物に出てきた武器のイラスト持たせたんで、許してあげてください」
アルトはそこで初めて、セラの抱えている紙にきちんと目を向けた。視線が一瞬だけ柔らかくなる。成果物は、説明の拙さをいくらか救う。
アルト「いえいえ、お気遣いありがとうございます。少ない情報から物事を洞察する力も、時には必要ですから。この子のためにも、ね」
セラはその言葉に少しだけ口を尖らせたが、反論は飲み込んだ。必要なのはわかっている。わかっているが、見たものを全部うまく掴めるわけではない。
アルトは若崎へ向き直る。礼儀正しい角度のまま、けれど質問の芯だけは真っ直ぐだった。
アルト「せっかくなので、ひとつ、私からも質問させて頂いても?」
若崎「自分が答えられる範囲なら」
アルト「あなたは技術者としてここで貢献されてますね。良ければ、ピースギアで働くに至った動機と理由を教えて頂けないでしょうか。もちろん、これは個人的な質問です。無理に答えなくても大丈夫ですよ」
若崎は一拍だけ目を丸くして、それから、考え込むというより思い出す顔になった。難しい経歴説明を組み立てるのではなく、最初の衝動へ戻っていくような間だった。
若崎「小さい工房で働いてた時、もっと大きな機体を描きたいと思っていて、ピースギアのスカウト担当さんにすごい褒められて、ここでなら私のデザイン力が共立世界の平和や希望となる技術のデザインに携われるって感じたので、スカウト担当さんに即OKしました」
即答だった。飾りも打算も薄い。アルトはその答えを聞いて、わずかに目を細める。人を測る時の目つきなのに、不思議と冷たくはない。
アルト「そうなんですね。まっすぐで、一片の汚れもなく、良い答えだと思います。頑張ってくださいね」
若崎は少し照れたように笑った。褒められ慣れていないわけではないが、こういう褒め方にはまだ少し弱そうだった。
若崎「今日は、わざわざ遠いピースギアまでのご足労ありがとうございました。ぜひ観光にでも、また来てくださいね」
セラ「また会おうね~」
イラストを抱えたまま手を振るセラの声は、行きより軽かった。全部はわからなかったし、肝心なところは曖昧なままだ。けれど、わからないなりに、ここにいる人たちの輪郭だけは少し見えた気がする。巨大な港を動かす機械音の向こうで、誰かが線を引き、止めるべきものを止めようとしている。その遠さと近さを、うまく言葉にできないまま持ち帰る。
若崎「バイバーイ」
接続ホールの光が、離れていく背中を白く縁取った。市場の喧噪はまだ奥で続いている。港も、監査ゲートも、再構成装置も、このあとも休まず動き続けるのだろう。セラは一度だけ振り返り、それからアルトに追いつくため、小走りになった。
最終更新:2026年03月20日 18:12