概要
フルネームはアレクサンドル・ステファノビッチ・ポポフ
生没年1859-1942(77.5-150)
帝政ウマシア出身の物理学者。無線通信の発明者。
基準世界では1900年の無線通信実験成功後、無線通信技術に目を付けたカラコル通信工業(後のカラコル電子工業)創業者による説得と破格の契約金(金のインゴット)を積み上げられウマムスタンに移住。
同社の研究開発部長に就任し、後世に名を残す多くの科学者とともにウマムスタン連合共和国の電化を推進。
電気大国ウマムスタンの礎を築いた(77.5-145~155~188,78-124)。
また、基準世界では無線通信の発明者としてノーベル賞を受賞しており、「史上最も影響を与えた人物100選」にも38位に選ばれている(77.5-145,145-179)。
生没年1859-1942(77.5-150)
帝政ウマシア出身の物理学者。無線通信の発明者。
基準世界では1900年の無線通信実験成功後、無線通信技術に目を付けたカラコル通信工業(後のカラコル電子工業)創業者による説得と破格の契約金(金のインゴット)を積み上げられウマムスタンに移住。
同社の研究開発部長に就任し、後世に名を残す多くの科学者とともにウマムスタン連合共和国の電化を推進。
電気大国ウマムスタンの礎を築いた(77.5-145~155~188,78-124)。
また、基準世界では無線通信の発明者としてノーベル賞を受賞しており、「史上最も影響を与えた人物100選」にも38位に選ばれている(77.5-145,145-179)。
その名前は電波天文学の電波強度の単位ポポフ(Popov:Pv)として現在も残っている(80-33)。
主な身分
- クロンシュタット海軍兵学校物理学教授
↓(ウマムスタンへ移住)
- カラコル通信工業(後のカラコル電子工業)研究開発部部長
- ノーベル物理学賞受賞者
- ディニズ財団賞受賞者?(128-17)
作中の動向
77.5スレより始まったカラコル電子工業の歴史深掘り編より登場。
カラコル電子工業の前身、カラコル通信工業の転機となった無線機の製造販売と無線による遠距離通信ビジネスの技術的立役者として登場した(77.5-145)。
カラコル電子工業の前身、カラコル通信工業の転機となった無線機の製造販売と無線による遠距離通信ビジネスの技術的立役者として登場した(77.5-145)。
無線通信の発明と異邦の理解者
1900年1月に世界で初めて実用可能な無線通信の公開実験をしたが、祖国の帝政ウマシアでは技術が評価されなかった。一方、実験を見学していたウマムスタンの駐在武官が技術の有用性に気づき、ウマムスタン本国の海軍本部に急報を入れた。
その過程でカラコル通信工業の創業者にも実験の話が伝わり、一大商機と判断した創業者は自ら帝政ウマシアに渡り、ポポフ本人と会って説得することで電波通信の仕組みについて聞き出し、特許出願を勧めた。
また、研究が評価されないポポフに破格の前金(純金のインゴット数本)を渡し、自社の研究開発部を率いてほしいと依頼する。
自分の研究が評価されず不遇を託っていたポポフは、無線通信の有用性を認めてくれた創業者の熱意と誠意(インゴット)に心打たれ、ウマムスタン移住とカラコル通信工業への入社を決意する(77.5-145~155)。
その過程でカラコル通信工業の創業者にも実験の話が伝わり、一大商機と判断した創業者は自ら帝政ウマシアに渡り、ポポフ本人と会って説得することで電波通信の仕組みについて聞き出し、特許出願を勧めた。
また、研究が評価されないポポフに破格の前金(純金のインゴット数本)を渡し、自社の研究開発部を率いてほしいと依頼する。
自分の研究が評価されず不遇を託っていたポポフは、無線通信の有用性を認めてくれた創業者の熱意と誠意(インゴット)に心打たれ、ウマムスタン移住とカラコル通信工業への入社を決意する(77.5-145~155)。
新天地
ウマムスタン連合共和国の中でも山深いクルグス・ハン国のイシク=シル湖畔の首都カラコルに本社を置くカラコル電子工業(1902年に社名変更)に入社したポポフはそこで、無線通信技術の改良と販売用の無線機の設計開発に勤しむ。
この頃、カラコル電子工業は後にライバル企業となるカリモフ電気機械工業との国有鉄道の電気鉄道化を巡る入札に敗北しており、原点に立ち返って国内通信網の拡充のため無線機製造に力を入れていた(79-39~47)。
そこにポポフの開発した無線通信に興味を持ったリー・ド・フォレストが遥々ダートから渡兎し、カラコル電子工業に入社、ポポフと共に無線通信の改良に取り組む中でオーディオン管、検波管、そして、真空三極管を発明。これらを組み込むことでより高性能な無線機を開発した(77.5-188)。
この頃、カラコル電子工業は後にライバル企業となるカリモフ電気機械工業との国有鉄道の電気鉄道化を巡る入札に敗北しており、原点に立ち返って国内通信網の拡充のため無線機製造に力を入れていた(79-39~47)。
そこにポポフの開発した無線通信に興味を持ったリー・ド・フォレストが遥々ダートから渡兎し、カラコル電子工業に入社、ポポフと共に無線通信の改良に取り組む中でオーディオン管、検波管、そして、真空三極管を発明。これらを組み込むことでより高性能な無線機を開発した(77.5-188)。
ノーベル賞受賞
そんな中、1909年のノーベル物理学賞に無線通信発明の功績でポポフが選ばれると、同社の自動車製造部門(後のカラコル・モシン)は自社の電気自動車開発にはノーベル賞受賞者が携わっていると盛んに宣伝。
ウマムスタン国内外でのポポフの名声は大いに高まった(なお、ポポフは電気自動車開発にはあまり関与していなかった)(93-113)。
また、この頃アキツ海海戦で無線通信を活用したアキツ海軍にバルチック艦隊が壊滅させられた帝政ウマシアでもポポフの国外流出を惜しまれ、ウマシア帰国が望まれたが既に研究基盤をカラコルに移し、潤沢な予算を与えられていたポポフはこの要請を丁重に断った(77.5-158,142-45)。
ウマムスタン国内外でのポポフの名声は大いに高まった(なお、ポポフは電気自動車開発にはあまり関与していなかった)(93-113)。
また、この頃アキツ海海戦で無線通信を活用したアキツ海軍にバルチック艦隊が壊滅させられた帝政ウマシアでもポポフの国外流出を惜しまれ、ウマシア帰国が望まれたが既に研究基盤をカラコルに移し、潤沢な予算を与えられていたポポフはこの要請を丁重に断った(77.5-158,142-45)。
ラジオと企業紛争
カラコル電子工業は社長のコネ(ボールドルーラー氏族)も使い、1911年頃に世界初の公共ラジオ放送を開始(78-7)。
また、これに先立って1910年には軍用無線を使い初代カガン最後の一般演説を国内に放送したことで、民間にもラジオ受信機を求める動きが広まり、カラコル電子工業は1912年を目途に一般向けラジオ販売を決定。ポポフら研究陣もその設計に関わった(78-18)。
しかし、カラコル電子工業が一般向けラジオを販売する直前の1911年年末にカリモフ電気機械工業が先駆けて一般向けラジオ販売を開始。このカリモフの一般向けラジオにはカラコル側にはついていなかった増幅無線受信機と発振回路が付けられており、振幅変調(AM)による音の伝送を可能にした増幅三極管無線受信機であった。
ポポフらは三極管の増幅機能という未知の効果に驚きはしたものの、何故自社にしか存在しないはずの三極管がカリモフ電気機械工業にあるのかという疑問に辿り着き、ウマムスタン初の企業紛争(ラジオ戦争)という大事になった事件を機に研究室の機密保護に注意を払うようになった(78-7~14を基に編集者妄想)。
また、これに先立って1910年には軍用無線を使い初代カガン最後の一般演説を国内に放送したことで、民間にもラジオ受信機を求める動きが広まり、カラコル電子工業は1912年を目途に一般向けラジオ販売を決定。ポポフら研究陣もその設計に関わった(78-18)。
しかし、カラコル電子工業が一般向けラジオを販売する直前の1911年年末にカリモフ電気機械工業が先駆けて一般向けラジオ販売を開始。このカリモフの一般向けラジオにはカラコル側にはついていなかった増幅無線受信機と発振回路が付けられており、振幅変調(AM)による音の伝送を可能にした増幅三極管無線受信機であった。
ポポフらは三極管の増幅機能という未知の効果に驚きはしたものの、何故自社にしか存在しないはずの三極管がカリモフ電気機械工業にあるのかという疑問に辿り着き、ウマムスタン初の企業紛争(ラジオ戦争)という大事になった事件を機に研究室の機密保護に注意を払うようになった(78-7~14を基に編集者妄想)。
電波天文学
企業間が対立を深める中でも、国内送電網整備事業の中でカリモフ電気機械工業に就職していたスルビヤ人電気技師と出会い、両者は電流と電波という専門家同士交流を深めていき、1910年代後半に謎の電波分析を通して電波天文学への道を拓いてく(80-4~33)。
祖国の革命
1917年から始まった帝政ウマシアでの革命はウマシア内戦を引き起こし、ポポフは革命で祖国を失った。
この時期にはポポフは60歳を超えていたが国内外でその名声が響いており、そんなポポフを頼ってウマシアから逃れてくる人材も多かった(78-122~124)。
1911年にブラウン管テレビを発明した師弟のボリス・ロージングとウラジミール・ツヴォルキンの姿もその中にあり、50年代に発生した「カラーテレビ戦争」でカラコル電子工業が他社を圧倒した要因の一つにポポフを頼ったこれらウマシア人材の取り込みの成功があったと言われている(78-122~124,167を基に編集者妄想)
この時期にはポポフは60歳を超えていたが国内外でその名声が響いており、そんなポポフを頼ってウマシアから逃れてくる人材も多かった(78-122~124)。
1911年にブラウン管テレビを発明した師弟のボリス・ロージングとウラジミール・ツヴォルキンの姿もその中にあり、50年代に発生した「カラーテレビ戦争」でカラコル電子工業が他社を圧倒した要因の一つにポポフを頼ったこれらウマシア人材の取り込みの成功があったと言われている(78-122~124,167を基に編集者妄想)
電子の怪物
その後もポポフはカラコル電子工業の研究開発部を率いていたが年齢のこともあり、晩年の研究として有名なのは電波の専門家として電波天文学で培った技術を活かしたレーダー開発、そしてカラコル電子工業の研究開発部の代表としてコンピュータ開発を国策として行うよう第六代カガンに上奏したことである。
とはいってもこの時期既にポポフは人生の最晩年であり研究の第一線からは退いていたとも言われているが、カラコル電子工業の隆盛を支え、ボールドルーラー氏族を通して内務省と科学省、通信省を味方につけていた彼の影響力は半端ではなく、コンピュータ開発を国策として進めるのに大きな力となったと言われている。
後に世界の形を大きく変える世界初のコンピュータ、パラメトロン式電子計算機『イルベガン』の誕生を待つことなく、その前年1942年に電波と真空管に生涯を捧げた偉大な科学者は、怪物誕生の生贄となるかのように息を引き取った(78-32~62,80-27を基に編集者妄想)。
後に世界の形を大きく変える世界初のコンピュータ、パラメトロン式電子計算機『イルベガン』の誕生を待つことなく、その前年1942年に電波と真空管に生涯を捧げた偉大な科学者は、怪物誕生の生贄となるかのように息を引き取った(78-32~62,80-27を基に編集者妄想)。
作中人物との関係
カラコル・グループ創業者
国営兵器産業廠(ウマムスタン軍事工業(UMI)の前身)の元廠長(77.5-129)。社長。
広大過ぎる国土ゆえの連絡遅れによる国防への影響を鑑み、「電信を国中に張り巡らせねばならない」という信念を持ってカラコル通信工業を立ち上げた(77.5-133)。
ポポフの無線通信に着目し、破格の待遇で招聘したことで噂を聞いた優秀な科学者が次々手元に集まり、技術の開発年代を前倒しにするなど、基準世界の電化文明を加速させたキーパーソンの一人(77.5-145~155)。
広大過ぎる国土ゆえの連絡遅れによる国防への影響を鑑み、「電信を国中に張り巡らせねばならない」という信念を持ってカラコル通信工業を立ち上げた(77.5-133)。
ポポフの無線通信に着目し、破格の待遇で招聘したことで噂を聞いた優秀な科学者が次々手元に集まり、技術の開発年代を前倒しにするなど、基準世界の電化文明を加速させたキーパーソンの一人(77.5-145~155)。
リー・ド・フォレスト
ダート合衆国出身の科学者・発明家。部下。
ポポフの開発した無線通信に興味を持ち、鎖国中のウマムスタン連合共和国のカラコル通信工業に就職依頼の手紙を送る剛の者1(77.5-188)。
ポポフの開発した無線通信に興味を持ち、鎖国中のウマムスタン連合共和国のカラコル通信工業に就職依頼の手紙を送る剛の者1(77.5-188)。
ボリス・ロージング
帝政ウマシア出身の科学者・発明家。部下。
国外まで聞こえていたポポフの成功と厚遇を頼りに助手と共にウマシア内戦末期にトップガン・マローダーに連れられ命がけの亡命に成功した剛の者2(78-122~124)。
国外まで聞こえていたポポフの成功と厚遇を頼りに助手と共にウマシア内戦末期にトップガン・マローダーに連れられ命がけの亡命に成功した剛の者2(78-122~124)。
ウラジミール・ツヴォルキン
帝政ウマシア出身の科学者・発明家。部下。
国外まで聞こえていたポポフの成功と厚遇を頼りに師匠と共にウマシア内戦末期にトップガン・マローダーに連れられ命がけの亡命に成功した剛の者3(78-122~124)。
国外まで聞こえていたポポフの成功と厚遇を頼りに師匠と共にウマシア内戦末期にトップガン・マローダーに連れられ命がけの亡命に成功した剛の者3(78-122~124)。
スルビヤ人電気技師
スルビヤ出身の科学者・発明家。ライバル企業(カリモフ電気機械工業)の研究部門のトップ。
会社同士は「ラジオ戦争」などを通して犬猿の仲だが、研究者間には蟠りが無く互いの研究に助言や協力し合う関係を築きあっていた(80-33,107)。
会社同士は「ラジオ戦争」などを通して犬猿の仲だが、研究者間には蟠りが無く互いの研究に助言や協力し合う関係を築きあっていた(80-33,107)。
イルディリム設計局初代局長
スルビヤ人電気技師の弟子。
いろんな意味で電波の専門家であり、晩年のレーダー開発の主導権を握っていたのは彼かもしれない。
いろんな意味で電波の専門家であり、晩年のレーダー開発の主導権を握っていたのは彼かもしれない。
スイープトウショウ
十代目治世下のイルディリム設計局長。スルビヤ人電気技師の曾孫弟子辺りと思われる。
偉大な先人としてポポフに敬意を持っており、温故知新のためポポフやスルビヤ人電気技師が着想しつつも文書にも残さず死蔵したアイディアに触れてイノベーションを起こす可能性に至り、他者の遺伝子記憶を読み取り、追体験できる特別製VRウマレーター「ノウアスフィア(叡智圏)」を開発した(96-193~195)。
偉大な先人としてポポフに敬意を持っており、温故知新のためポポフやスルビヤ人電気技師が着想しつつも文書にも残さず死蔵したアイディアに触れてイノベーションを起こす可能性に至り、他者の遺伝子記憶を読み取り、追体験できる特別製VRウマレーター「ノウアスフィア(叡智圏)」を開発した(96-193~195)。