筆記具について
[解説]
建国期の頃は、旧人類が使用していた科学製のインクを使ったボールペンや、鉛筆やシャープペンなどと言った私達の知る筆記具が使われていた。
旧人類の生産設備をそのまま利用していたので、これらは使われていて当然であった。
まず鉛筆であるが、そもそも他の筆記具の使用率が圧倒的に高かった為、はじめからさほどの数も無い事から真っ先に姿を消す事となった。
次にインク類の製造が不可能となった事によって、ボールペンなども姿を消してしまう。
当然、芯の製造もそうだが、機構が複雑なシャープペン本体の製造も出来なくなった為、こちらも姿を消した。
前述したように、ヴァース条約による科学技術の禁止はあらゆる方面で技術の退化を引き起こしたのだが、それでも進歩を諦めたわけでは無かった。
そして、最も重要視されたのは記録を残すという観点から筆記具の再開発であった。
なにしろ研究の記録が無ければ、それらをベースとして研究の広がりが起こらなくなってしまう。
後に発展していくためには研究記録を残す事は非常に重要な事なのである。
後に発展していくためには研究記録を残す事は非常に重要な事なのである。
[鉛筆について]
ヴァース条約発効直後である聖華暦187年から、最も簡単な筆記具として鉛筆が使われるようになる。
もっとも、鉛筆を同じ品質で大量に生産する技術はこの頃の新人類には持ち合わせが無く、細く削った石炭や木炭を木で挟んだだけの原始的な鉛筆しか無かった。
もっとも、鉛筆を同じ品質で大量に生産する技術はこの頃の新人類には持ち合わせが無く、細く削った石炭や木炭を木で挟んだだけの原始的な鉛筆しか無かった。
それですら量産するのは困難であったので、重要性の高い書類などは残存する科学製筆記具が使われていた。
もちろん、いつまでもそのままには出来ないから、鉛筆の製法も再開発される事となる。
芯は黒炭の粉末を水と粘土に混ぜてしっかりと捏ね、型取りをして焼き固め、職人が削り出した板に挟み込む事で作られた。
もちろん全て手作業で行っており、量産には程遠いものであった。
それでも新人類がようやく手に入れたまともな筆記具であり、この後も長く重宝される事になる。
もちろん全て手作業で行っており、量産には程遠いものであった。
それでも新人類がようやく手に入れたまともな筆記具であり、この後も長く重宝される事になる。
産業革命後は製造設備の半自動化が確立し、もっともオーソドックスな筆記具となっている。
[錬金インクについて]
当初、インクの代用として木炭や石炭を砕いて粉末にし、それを水に溶かした墨汁が使われる事になった。
ただ、濾過技術がお世辞にも良いとは言えず、品質は悪かった。
当然、代替品の開発が急がれる事になる。
ただ、濾過技術がお世辞にも良いとは言えず、品質は悪かった。
当然、代替品の開発が急がれる事になる。
聖華暦235年に錬金塗料ティーヴァが開発されると、その製法を応用した初期の錬金インクが開発される。
しかし、初期のインクは錬金協会が資金源とする為に製法を秘匿、なおかつ価格を釣り上げていた為に使用頻度は低くなり、一般市民には広く出回らずにいた。
後に大々的な量産態勢が敷かれると、量産効果で価格も一気に下がり、一般市民でも容易に購入、使用出来るようになった。
その後は産業革命を経て品質や生産性を改善、向上させながら聖華暦800年代に至るまで使用され続けている。
ちなみに羽ペンが一般的であるが、筒内にインクを満たした万年筆も聖華暦600年代には開発されており、貴族や資産家などが愛用している事から高価な嗜好品といった向きが強い。
[ボールペンについて]
科学技術排斥によって先端のボールベアリングの製造が不可能となった事で、ボールペンは完全に姿を消してしまった。
再びボールペンがその姿を表すのは聖華暦700年代に入ってからとなる。
600年代末、旧人類の遺跡において使用可能な完全状態のボールペンが発掘され、その利便性に着目した自由都市同盟の考古学者が構造を解析、同盟の企業ロココ設計所に持ち込む事でボールペンの再開発はスタートした。
再開発にあたってもっとも困難であったのは先端のボールベアリングの精度を出す事であった。
ボールベアリングの精度が悪ければ、先端からのインク漏れを起こしてしまう為、到底使い物にはならない。
ボールベアリングの精度が悪ければ、先端からのインク漏れを起こしてしまう為、到底使い物にはならない。
しかし、高精度のボールベアリングを安定して生産するのは高い技術力が必要であり、量産するのはそれ以上のものだった。
いかにロココ設計所が優れた技術力を持っていたとしても、ボールペンの再開発は容易なものではなく、数百種類(一説には数千とも言われる)に及ぶ試作品を数十年にわたって作っては改良を繰り返し、聖華暦724年に製品化されたボールペンが販売を開始された。
長い研究期間を設けた事で初期の製品でも精度はそこそこ良く、使用感はおおむね好評であった。
ただし、製造設備を含む開発費回収の為に価格は割高であり、当初は政府機関や軍関係、資産家などにしか出回っていなかった。
ただし、製造設備を含む開発費回収の為に価格は割高であり、当初は政府機関や軍関係、資産家などにしか出回っていなかった。