機装兵 スパルトイ
帝国侵攻作戦の大失敗により庶民に落とされ財産を没収されたピエールドチュール家は、国外に追放され、当時のナプトラ王国に流れ着いた後も、唯一の財産として代々スパルタニアンの設計図を受け継ぎ改良し続けていた。
そして480年、ハルモニア社に入社したピエールドチュールの末裔、ボンパール・ピエールドチュールは設計図をハルモニア社に提供。機体は作業用特殊機装兵ダイダラとして世に出た。
そして480年、ハルモニア社に入社したピエールドチュールの末裔、ボンパール・ピエールドチュールは設計図をハルモニア社に提供。機体は作業用特殊機装兵ダイダラとして世に出た。
潮目が変わったのは620年、傭兵協会が新型機を求めたときである。
都市同盟軍の横やりでリャグーシカの配備を潰された傭兵協会は、この時、戦術戦略研究所(シャングリラ工業連合は聖華暦618年に再編により戦術戦略研究所へと改名)に加盟していたハルモニア社が冒険者用に戦闘も可能な機装兵として民間向けに販売していたスパルトイⅡ型(ダイダラの武装タイプをスパルトイΙ型と呼称)に目をつけたのである。
都市同盟軍の横やりでリャグーシカの配備を潰された傭兵協会は、この時、戦術戦略研究所(シャングリラ工業連合は聖華暦618年に再編により戦術戦略研究所へと改名)に加盟していたハルモニア社が冒険者用に戦闘も可能な機装兵として民間向けに販売していたスパルトイⅡ型(ダイダラの武装タイプをスパルトイΙ型と呼称)に目をつけたのである。