登録日:2010/02/19 Fri 12:48:00
更新日:2026/08/29 Sat 04:00:39
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法正とは
三国志における蜀漢の軍師。字は孝直。
知謀に優れたが、野心家な上に陰湿で執念深い性格であり、人格面の評価は悪い。
また三国演義においては蜀取りでの活躍は
龐統に、漢中攻略戦はほぼ
諸葛亮へとスライドしているため、一般的な知名度は低い。
【経歴】
出身は司隷扶風郡郿県。長安の西にあり、かつて
董卓が自分の別荘「郿塢」を作った場所である。
196年、故郷・郿県が飢饉に見舞われたがために、長安を出奔。中央の争いに参画せずに益州を治めていた
劉璋のもとに身を寄せる。
孟達とは同郷の友人で、益州に流れたのも一緒だったという。
劉璋麾下では県令や校尉に任じられるが重用されず、また同僚の多くを占める益州出身者とも折り合いが悪かったことから
「劉璋の下では大事を成せぬ」と判断し、
張松、孟達らと共に
劉備を迎え入れることを共謀。
初め劉璋に進言し、
曹操と断交させ、劉備に接近させることに成功。
次いで漢中の
道教勢力・五斗米道を率いる張魯の脅威を利用して、その押さえとして劉備を益州に入れることに成功。
同心者の一人・張松のスパイ活動がバレて処刑されたため、法正は孟達とともに劉備の陣営に逃げ込んだ。
以後は劉備の側近として、
劉備の蜀盗りに協力。
劉璋が
焦土作戦を取らぬことを見抜いたり、自ら降伏を勧める手紙を書いたり、様々な献策を行い、
龐統、黄忠、魏延らと共にこれを見事に成功させる。
劉備が蜀を支配すると中央の政治にも手腕を発揮。
法正は
揚武将軍となり、軍師将軍の
諸葛亮、昭文将軍の
伊籍、左将軍・西曹掾の
劉巴、興業将軍の
李厳の四人と協力して成文法『蜀科』を制定したり、名声のあった許靖の名を利用するなどしていた。
が、
「劉璋配下時代に私怨のあった者を勝手に捕らえ、勝手に殺害した」という法治主義では有り得ないこともやらかしている。
だが諸葛亮さえも、
「主公(劉備)が荊州にいた頃と言えば、北には曹操の脅威、東には孫権の圧力があり、身内には孫夫人の災いがあった。そんな進退窮まる状況を、法正が補佐してこの度の飛躍ができたのだ。そんな法正を、軽々に処罰はできまい」
と、その功績を認め、罪を不問にしていた。
ただし、法正が諸葛亮の厳罰・重刑・法治主義に
「そこまで厳しくしなくてもいいんじゃないか? 高祖劉邦の「法三章」ような、簡素な法体制の方がよいのでは」といった際には、
諸葛亮が
その目的や意義を滔々と説いて譲らず、法正の側が納得して受け入れている。
諸葛亮が一方的に譲るわけではなく、双方で意見の交換をしていたということだ。
(同時に、軍略家としては一流の法正も、政治家としての能力は低かったことも分かる)
呉懿の妹・呉莧を劉備に紹介し、妻に推挙したのも法正である。この呉夫人が、劉備の皇帝即位後、皇后になる。
- ちなみに彼女は若いころ「高貴の相がある」と占われ、かつて益州に君臨した劉焉の三男・劉瑁に嫁いだ。しかし劉瑁は赤壁の戦いごろに急死しており、未亡人となっていた。
劉備は『同姓不婚』の掟に反するのではと嫌がったが、法正に説得されて娶ったという。
ここで趙雲が「同族の未亡人など娶れるか」と拒んだことを思い出してみよう。
張魯から曹操の下へと渡った漢中には夏侯淵と張郃が駐屯していた。
法正は「漢中郡を落としたからには、そのまま益州に攻め込むのがベターなはず。それをせずに本国に戻ったというのは、魏の内部が乱れていて、蜀まで遠征ができないということだ。漢中郡を攻め落とすのは、今だ」と進言。劉備はこの進言を受け入れ漢中攻略に踏み切る。
もちろん法正本人も軍師として従軍。一時形勢不利となりながらも適切な献策を行い、
定軍山で策により夏侯淵を黄忠に斬らせることに成功し、曹操の攻撃も全て策謀にて捌き切った。
漢中からの撤退時、今回の劉備軍の作戦を改めて見た曹操は、
「劉備があんな策思いつく筈ねぇんだけどなぁ」と言い、後に法正のことを知ると、
「俺は天下の奸雄はほぼ全て集めたつもりだったが、法正のみは手に入らなかったか…」と、悔しがったとされる。
劉備からは全幅の信頼を寄せられていた。
漢中攻略戦では、不利な戦況にいらだった劉備が最前線に飛び出し、曹軍の放つ矢が劉備の周囲に殺到した。しかし頭に血が昇った劉備は突撃を続け、周囲の諸将の諫言も聞こうとしない。
この時に身を呈して劉備の盾になったのが法正で、そこで劉備は「何をする、法正、下がるんだ!!」と驚愕した。
しかし法正は「殿が前線に立とうというのに、私ごときが下がれるものですか!」と笑った。
そこで劉備はやっと自ら退却したという。一度頭に血が昇るとなかなか冷静になれない劉備を、その場で落ち着かせることができる数少ない人物であった。
後述する夷陵の戦いにおける諸葛亮の嘆きは、この逸話を彼が聞いていたからだろう。
劉備が漢中王となると、漢中平定で最大の功績ということで、尚書令・護軍将軍に昇進する。特に尚書令は丞相に匹敵する重職で、劉備の信頼と期待がうかがえる。
が、漢中戦での激務が原因で身体を壊し、翌年に病死。
劉備はショックのあまり数日食事が喉を通らないほど塞ぎ込んだと言い、さらに彼から唯一『翼侯』という諡号を送られている。
死後夷陵の戦いが起こり、劉備が大敗北を喫すると、
諸葛亮は「法正殿が生きていたならば止められたであろうし、行っていても大敗は避けられただろう……」と嘆いた。
このように同僚の諸葛亮から才能を認められていたが、性格は合わず折り合いが悪かった。
劉備配下となってからは権力を握ったことやその危険性も知れ渡ったためか、面と向かって対立する人はいなくなったようだが、まだ下級役人に過ぎなかった劉璋配下時代には、法正の気性を疎む人、誹謗したり敵視したりする人も多かったという。
そしてそれ故に、権力掌握後の法正の報復は陰惨なものとなった。
三国志を編集した陳寿は
「法正は判断力に優れ、並外れた計略の所有者であった。しかし、徳性について賞賛されることは全然なかった」と評価している。
要するに「有能なろくでなし」である。
とは言えその頭脳に対して、裴松之は「法正は魏臣に例えると
郭嘉、荀攸に比肩する」と最大級の評価を与えていた。
執念深い逸話も多いが、
「わずかな恨みにも報復した」が、同時に
「わずかな恩にもちゃんと報恩した」ともされているので、「受けた恩義は忘れ、恨みだけを覚えて復讐した」
公孫瓚よりはずっとマシでもある。
良くも悪くも義理堅い、と言うところか。劉璋配下時代には益州出身者からだいぶ嫌われていたが、そんな時期にも張松とは親しくしていた。
【各作品での法正】
諸葛亮に喰われがちで活躍は少ない。
また言ってみれば「売国奴」である点もしばしば問題視されており、本場中国では歴史的にかなりつらい扱いを受けてきた。
実はかの
劉禅同様、劉備の墓に建てられている「成都武候祀祠」では祭祀対象から外されているほど。
漢中争奪戦で活躍。
陰惨な部分は出てこない。
「この法正が殿に侍る限り、千里を駆けてもこの陣は崩せまいぞ!」
感性的な諸葛亮とは真逆に、数多くの策から最善の一手を導き出す軍師。正史にあるような性格の悪さどころかかなり性格が良く、軍師嫌いの
張飛も認めるほど。
漢中攻防戦にて大活躍し、曹操軍を散々に破り、曹操を追い詰めるが、陣中で倒れそのまま帰らぬ人となった。
尚、策にて曹操を死地に追い込んだのは賈詡と法正だけである。
長きに渡り、モブ武将だった。モブとしての見た目は文官型で、当時の彼はいたって普通の文官。
モブの頃から割と出番が貰えていた武将でもあり、月英に求婚する武将として何故か参戦してたり(三國無双3 猛将伝)、長篠の戦い(無双OROCHI 魔王再臨)や陽平関の戦い(無双OROCHI2)では諸葛亮不在の中、軍師として活躍する彼の姿が見られる。
三國無双7 猛将伝で遂に無双武将化を果たした。CV:橋詰知久
キャラ付けは「やられたらやり返す…倍返しだ!」なインテリ悪党。結構な悪人面なのと低音な声色が合わさり、もはやヤクザ。恩も恨みも忘れません。
これまでの蜀陣営にはいなかったタイプのキャラであり、味方からもえげつないと評される策謀を張り巡らせる。諸葛亮からは史実同様な扱いを受けている。
8ではifルートが存在し、身体に気を遣うと漢中戦後も生存する。
蜀勢力所属の軍師として最初期から登場している。
ビジュアル的なイメージはVer1から「奸智に長けた謀臣」というフレーバーで一貫しているが
カード性能としては「扱いやすい計略・良スペック持ちの初心者向け」と「低スペックで使いどころを選ぶ計略を持つ
上級者向け」の両極端なカードが混在している。
前者としては1(後方指揮)、2(挑発)、3(軍師、再起興軍+長槍閃陣)、4(雲散の計)など。
扱いやすい基本計略を所持しステータスも良好、レアリティも低めで入手しやすい良カードがそろっている。
後者としては自身が騎兵でありながら槍兵に車輪効果をもたらす「車輪の指揮」、
自身を毒状態にするが自身が生存しているかぎり味方を強化し続ける「最期の交響曲」、
範囲内の敵を弱体化させ味方を強化し大幅な武力差をもたらす「虎威の報復」など
いずれもクセは強いがはまれば強力で頂上対決を大いににぎわせてきた。
やたら男前な
イケメンとして登場。
人材不足の蜀ではかなり貴重な人物。
ロリコン徐庶や山賊魏延といった蜀の濃い面々に頭を悩ます苦労人。
日光が苦手らしい。
追記・修正宜しくお願いします。
- マイナーなベルトアクション「三国戦紀2」じゃ確か使用キャラだったな、コイツ -- 名無しさん (2013-10-14 20:50:20)
- 蒼天の法正と張飛のやり取り好きだわ -- 名無しさん (2016-09-16 17:21:21)
- 蜀のなかだとトップクラスにすきだなぁ…長生きしてほしかった -- 名無しさん (2017-03-04 01:04:50)
- 裏切り裏切られの時代だしなぁ…似たような、又はそれ以上にアレな人は歴史に残ってる人以外にもいるだろうに -- 名無しさん (2017-11-09 13:29:47)
- 当時の常識と今の常識は分けて考えないとね -- 名無しさん (2018-03-29 10:33:57)
- コーエー三國志ではシリーズを重ねる毎に強くなっていってるな。本当に作中での早世が惜しまれる。 -- 名無しさん (2018-05-02 00:30:57)
- ↑2 当時の常識でも陳寿に徳性0の扱いされる程度には性格最悪なんで… -- 名無しさん (2018-05-16 05:10:31)
- 彼のダークさは蜀には貴重よ -- 名無しさん (2018-07-01 17:44:17)
- ホウ統か法正のどちらかがもう少し長生きしてくれてれば、蜀の未来ももう少し変わったものになっただろうねえ……。 -- 名無しさん (2019-05-27 22:44:15)
- 6年越しの亀レスだけど戦紀2と武将争覇では使用キャラじゃなかったね。乱世英雄以降はやった事ないのでわからないけど戦紀で法正といえば謎の赤白旗! -- 名無しさん (2019-05-28 10:22:21)
- この記事だと魏延と法正が仲良かったみたいに書いてますけど、歴史書にはそのような記録はなかったように思うのですけど。 -- 名無しさん (2020-02-15 23:23:25)
- 法正の早逝が孔明の過労死の原因説あったね -- 名無しさん (2020-05-28 17:33:34)
- 覇業を成すために裏切りを厭わない所とか、呂布軍の陳宮と似たものを感じる。彼と違い、こちらは主君に恵まれたようだが。 -- 名無しさん (2020-05-28 19:55:04)
- 魏延「法正 マイ・フレンド」 -- 名無しさん (2021-10-17 22:55:13)
- 実像(正史)の孔明も当然凄いのだけど、この人の能力を足すことで演義の孔明になるって感じ -- 名無しさん (2022-05-03 18:35:21)
- 孔明殿が清の内政家、法正殿が濁の戦略家、ホウ統殿が清濁併せ呑みの戦術家って感じよな。 -- 名無しさん (2022-11-12 00:05:58)
- あの法に厳格な孔明が「功績、才覚、そして殿の信頼を考えれば処断は出来ない」ってどんだけだよって感じだ -- 名無しさん (2023-09-30 21:30:31)
- 蜀の郭嘉というなら諸葛亮は魏の陳羣のような政治屋だからな、そりゃどうしようもないけど許すってなる -- 名無しさん (2023-10-01 02:02:11)
- 法に正しく、しなかった人 -- 名無しさん (2025-08-28 13:24:35)
最終更新:2026年08月29日 04:00