「天に確たる意志などなく、地に確たる歴史もない。後世とは何か。前世に天意が消滅し、この董卓が誕生したことを知るのみだ。」
漢王朝北部にある并州の牧(総督)。
王朝の実権を握る十常侍ら宦官を一掃しようと何進と袁紹が出した要請に応える形で洛陽に進軍。道中、十常侍トップの張譲から新帝の少帝と劉協を奪う。
入城後は少帝を廃し、劉協を帝位に就かせることで、洛陽を牛耳った。
「暴虐の限りを尽くす董卓を討つ」という大義の下、諸侯は袁紹を盟主に反董卓連合を結成するが、董卓軍はこれを一蹴。連合軍は大した成果を挙げられないまま瓦解する。
最早彼をを止めるものは誰もいないかと思われたが、董卓の暗殺を企む王允と娘の貂蝉、そして彼女と逢瀬を重ね反旗を翻した呂布によって殺害された。
作中初めて「自らの王の形」をはっきりと体現した人物。
これまでの中華を構成していた道徳・倫理や皇帝の権威、即ち「天意」を顧みる事がなく、彼に在るのは自分という存在と、その意志のみ。
よって「宦官ら悪官汚吏の一掃という善政」も「都に蔓延る殺戮と破壊という悪政」も、「刺客であった貂蝉・呂布や、自らを批判し続けていた蔡ヨウを抱え込む事」も「無能な味方を殺す事」も彼にとっては一切の区別がなく、
「王座にありながら皇帝を自称しない事」に矛盾もない。
何にも頼らず、何かにはばかる事もなく、ただただ「董卓」という爪痕だけを歴史に残した。
彼が一つの答えを示した「王とは何か?」「王座に就くとはどういうことか?」という問いは、彼の死後乱世に生きる英雄たちにとっても向き合わずにいる事は許されない普遍的なテーマとなる。
「天下の悉くを意のままにふるい、欲望、快楽を極めつくす!贅の限りを尽くし善悪定かならぬ果てに届いてこそ尊重な王となるのだ!我はその王の姿を垣間見たに過ぎぬ!」
洛陽で専横を極める董卓を討つため丁原が送り込んだ刺客…のはずだったが、董卓に説き伏せられその場で丁原を殺害。董卓と親子の契りを交わす。
筋骨隆々の巨体にドレッドヘアーの外見と吃音病気味な話し方が特徴。気が猛ると血管だか神経だかわからんモノが顔全体に浮かびあがる。お前は
雪代縁か。
政や
謀に関しての造詣は皆無だが、反面彼の武の力は「人間の強さの一つの到達点」ともいえる領域にまで達しており、張遼や高順など、その強さに惹かれて彼の下につく者も多い。
彼の人生の節目節目では
「連合軍との緒戦で活躍した
徐栄の頭を握りつぶしながら董卓所有の赤兎馬をゲット。赤兎馬は終生の相棒となる。」
「
女中の頭を握りつぶしながら貂蝉と逢瀬を楽しみ、董卓に反旗を翻す。」
「献策した
軍師の頭を握りつぶしながら曹操を攻めることを決意する。」
「陳宮がお膳立てした袁術との同盟を、
使者の頭を握り潰しながら破棄する。」
と、なぜか必ず
誰かの頭が犠牲になる。何かのメタファーか?
「武だけはずば抜けているが、非常に獰猛で人としての常識や思考が欠落した獣」
人々が呂布にそのような印象を持つのも無理からぬことであった。
そんな彼だが、
袁術が玉璽を持ち天子を僭称した事を切っ掛けに、王者の在り方というものを強く意識するようになる。
前述の様に袁術との同盟を破棄したり、曹操と通じている陳珪らの籠城策を受け入れてしまったりと、相変わらず政と謀はからっきしだったが、そこには「呂布なりの人の上に立つ者のあるべき姿」がはっきりと示されており、其処に魅せられた陳宮もそれを実現しようと誠心誠意呂布に尽くす。
そんな二人の強い意志が力として現れたかの様に、不利と思われた下ヒ城の籠城戦は呂布軍が曹操軍を圧倒する戦いとなった。
しかし最後は曹操側の水攻めによって形成が逆転。数多くの離反者を出し、陳宮も捕縛される。
呂布が曹操に最後の闘いを挑む際に叫んだこの言葉は、「相変わらず自分こそが最強であるという自負」なのか、それとも「王者として覚醒し始めた矢先に皆に見限られた事への悲しみ」なのか、それは本人にしかわからない。
「あああ…また次の一手が見えなくなった。仕えても仕えてもこの人は凄すぎる。」
曹操についていけなくなった人第一号。
父が賊に殺された事を切っ掛けに、殺戮と略奪しか知らない青州兵(曹操が吸収した黄巾党の残党)を使って父の護衛をしていた陶謙を攻めると決めた曹操。
そのいかなる悪名を恐れない様を見て彼の下から離れることを決意。曹操が陶謙を攻めている隙を突くように叛乱を起こし、以降は呂布を主君と仰ぐ。
「曹操と親睦が深かった張バクを半ば無理やり引き込む」「張飛を手玉に取って城を奪う」など、その手腕は確かな物。
しかし主君が気まぐれな為、彼の献策がそのまま活かされることはまずなかった。
それでも彼は「自分には呂布殿がぴったりだ」と献身的に呂布に仕え続ける。
四肢を曲げられエスパー伊藤達磨にされても、頭突きで城から落とされても、張り手をぶちかまされても彼の忠誠心は変わらない。
その献身さが実を結んだのか、呂布も王者というものを意識し始めてからは彼に信を置くようになり、結果呂布軍はかつてないほどの強さを手に入れる。
しかし前述の通り、最後は水攻めによって呂布軍は瓦解。離反者に捕らえられた陳宮は、持てる限りの力で自分を呼ぶ呂布を見て涙する。
それが「呂布が絶対的な強者ではなく、人を頼る弱さをもった人間だった事に対する嘆きの涙」なのか、「自分を本当に信頼してくれていた事に対する喜びの涙」なのか、それは本人にしかわからない。
「あああ…呂布殿~。は、配下の危機にそれほど心を動かされては、そ、それは呂布殿ではございませんーー。」
「曹操は極めて優れた男だが、生まれた時についていた差は一生のうちでは縮まらん。」
四代に渡って
三公を輩出している名門袁家の出自で曹操とは旧知の仲。
群雄の中でも頭一つ抜けた存在である事は間違いないのだが、若い頃から常に自分の一歩も二歩も先をゆく曹操が側にいたせいか、自分を過剰に大きく見せたがり物事を都合のいいようにしか解釈しないきらいがある。
物語当初はその高慢さが仇となるばかりだったのだが、彼はその気質を改めるどころか寧ろ際限なく肥大化させ、逆に自分の強さへと変えていく。
そして曹操との対決を控える頃には
「自分の歩む道は王たる栄光の道であり、そこには如何なる障害も凶事も存在するはずがない」と考えるまでになっていた。
これが並の人間であれば只の大馬鹿野郎だが、袁紹にはそれを信じて疑わない底なしの愚昧さと、それを周りに認めさせるに足るだけの力があった。
幾度となく袁紹に諫言してきた田豊を黙らせ、顔良を失った戦いでさえも「勝利」と嘯き、王道という言葉に不安を覚えていた沮授を感服させ、そして袁紹に従う全ての人間が「自分達も主君と同じ栄光の道を歩んでいる」という思いを共有するようになる。
こうして英雄・袁本初は完成し、曹操に「語る術無し、為す術無し」とまで言わせた強大さで曹操軍を追いつめる。しかし、袁紹の心には本来人が持って然るべきあるものが欠けていた…。
人を「御せるもの」とし、全ての兵を己の色に染め上げる袁紹。
人を「御せないもの」とし、戦うも逃げるも、生きるも死ぬも兵に任せる曹操。
その趨勢を見守る夏侯惇の独白。「王道」を巡る袁紹の子らの対立。そして袁紹の心に欠けている物とは?至弱の存在が至強に抗うために必要なものとは?
曹操と袁紹の直接対決は、蒼天航路中盤の山場としてかつてないほどの盛り上がりを見せる。
「孟徳、天下の凶事を吉兆に覆す雄大さをもてぃ!おまえが持て余している才気を余すことなく愛でてやろう。」
「掌中の玉が輝きを増せば、その転がしようでわれらの天下が見えてくるのじゃ!!」
荊州を本拠地とする群雄の一人で、袁・曹どちらにも与せず民を戦から遠ざけ、学者を庇護し学問振興にも尽力している人物。
…と一見非の打ちどころのない清廉の士であるが、その奇麗な外面の下では虚と実を巧みに織り交ぜ他人を操り、乱世を思い通りに動かそうと画策している。
諸葛亮曰く「正と奇がきれいに具わっている」人物との事。
しかし彼には、董卓から始まり、呂布、袁紹、そして君主ではない郭嘉までもが抱くに至った「自らの王の形」というものがなく、孔明に
「彼は天下と交わらず自慰に耽っているだけで天下人になったつもりのお方。これからは自ら交わろうとしない者に乱世の生き場所はない。」
とこき下ろされてしまう。(現に劉表自身の口から「王」という言葉は一言も発せられていない。)
憤激した彼は「自分の脳の中身を学術に乗せれば自分の存在は永遠になる」と天下人たらんとする矜持(と学問振興の本音)をぶつけるのだが、
孔明はそれも「そんなものはおよそ人の範疇を超えている」と一蹴、結果劉表は覇気がしぼんで死の一歩手前の状態にまで衰弱してしまう。
ただ、そう語った孔明自身も「人外として振る舞い、そう見られる事を望んだ」為に、まったく同じ「およそ人の範疇を超えている」という理由で曹操に存在すら認めてもらえぬ事になろうとは、何とも皮肉な話だが。
なお史実の劉表は186cmの長身だが、蒼天の劉表は最初から小柄。
また諸葛亮との対談直前に「最近やたら尿が近い」と呟いていて体調が悪かった模様で、そこに諸葛亮の言葉で止めを刺されたような格好となった。
「ふっ、さ、最後にもう一度だけ、せ、正と奇を操ろう…」
「心に知らせよ。一日と千年の間には何の違いもありはしない! ただ今の自分に集中せよ。今この一日は全人生に等しい! 今ここに生きよ! ここに人生の全てがある!」
終盤に魏国内を騒がせたトリックスター。
かつて曹操軍に敗れた兵士に孔明が託した、出生不明の赤子。孔明からは「いずれこの子の発する言葉は風に乗ります」と予言された。その予言通り、成長した魏諷は類稀なる知性とカリスマ性を発揮し、漢の名門貴族の子息と友誼を結んだ。その姿は若い頃の曹操に似ており、魏諷自身も曹操を尊敬しつつ新世代の「乱世の奸雄」になろうとしていた。
深呼吸によって心を落ち着かせて、今を大切に生きるという崇息観という教義を広め、社会の裏で着々と勢力を広げる。そして曹操を逆賊として誅殺し、魏・呉・蜀の三国が漢王室を奉戴する新体制を作るクーデターを起こそうとする。劉備の漢中王宣言によって一旦は野望を絶たれるが、孔明から「関羽の荊州攻撃に合わせて許都を制圧すべし」という密書を受け取り再起。深夜に私軍を率いて宮廷に侵入する。
だが計画は既に把握されており、魏諷達は曹丕の大軍勢に包囲された。それでも同志達と共に、玉座に座る曹丕に「奸雄と呼ばれる自分を用いる器量はあるか?」と大胆に問う。
これに対する曹丕の返答は、容赦なき一斉斉射と剣の一閃。「奸雄の類が棲めぬ世」を作ろうとする曹丕にとって、魏諷は時代の流れを読めない愚者でしかなかった。魏諷の首は粛清の証として晒され、彼と関わりを持った者は尽く処罰された。