張飛

登録日:2017/04/04 Tue 16:37:54
更新日:2021/03/09 Tue 19:33:18
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張飛(ちょう-ひ)(?-221)
字は益徳(演義では翼徳)。
幽州、涿の人。

ちなみになんで演義で字が変わったかと言うと「名前が『飛』だから字もそれにあやかろう」的なノリらしい。

【ヤンチャしてた頃】

出身は今の北京あたりで、劉備と一緒。
若いころ何をしていたのか定かではないが、庶人(平民)身分であり、あまり教養を身に着けられる環境にもなかったようだ。

184年に黄巾の乱が起きると、地元のチンピラ劉備が集めた義勇軍に参加。関羽と共に劉備に厚く信頼され、兄弟のような信頼関係を得た。
さらに黄巾の乱が終わった後も劉備の下に留まり、その波乱万丈の官僚生活に付き合うことになった。
だがこの時点ではあくまで「黄巾の乱でぽっと出した地方官僚の、そのまた部下」に過ぎず、具体的な活躍の記録はない。

張飛が史書に確かな一歩を示すのは196年、劉備が陶謙から受け継いだ徐州牧を務めていた時代のことである。
しかしそれは「本拠の守備を任されていたら下僚と仲たがいし、そのせいで呂布に攻められて城を失い、劉備の妻子まで捕虜にされる」という超絶的にかっこわるいデビューであり、
まともな軍隊だったら二度と出世は望めなくなるような大失態であった。
しかし劉備は成果主義というよりは実力主義の男であり、また当時の劉備軍も「まともな軍隊」と呼べるほどきっちりしたものでもなかったため、
その後も劉備からの重用が揺らぐことはなかった(しかし守備的な任務にはつけてもらえなくなった)。
張飛もこの件で逆に奮起したのか、198年の曹操(with劉備)VS呂布の戦いでは大活躍。その武勇を曹操に認められ、朝廷から中郎将の階級を授けられている。


【暴れてた頃】

208年、荊州にいた劉備は、劉表の死後に勝手に曹操に降伏した劉綜に従わず、多くの民と共に南へと逃げていた。
そこに曹操軍の追撃が追いつき、長坂という場所で曹操軍対劉備軍の戦いが始まった。
張飛の生涯最大のハイライト、長坂の戦いである。

しかし「長坂の戦い」と聞くとなんだかそれらしく聞こえるが、実際には戦闘と呼べるようなものではなかった。
万を超える民衆を抱えた劉備軍は戦闘陣形すら取ることもできず、曹操軍の追撃で(主に民衆が)ボロボロになりながらガン逃げしていただけだったのである。
劉備に至ってはさっさと交戦を諦め、民衆も妻子も捨てて自分と部下だけでとんずらする始末。

そして曹操軍の追撃が刻々と迫る中、張飛はわずか20騎程度の配下をつれ、長坂橋に布陣した。
さらに先遣隊で5千全体なら万を超える曹操軍の前に立ちふさがり、

「お、おお俺が張益徳です。さあこ、こ、ころ殺し合いしようぜ、は、早くしようぜ…うへへへへ…」
(意訳)*1

という凄まじいタンカを切ったのである。
これを目にした曹操軍は、マジもんのサイコパスだと思ってびびったのか、あるいはこの無茶過ぎる蛮勇は演技で実は伏兵を隠しているのでは?と深読みしちゃったのか、
または民衆を蹴散らすのに手間取りすぎてもうこれ以上の追撃は無理だと悟ったからか、これとあえて戦おうとはせず、ついに劉備を捕捉できずに終わってしまった。
これによって張飛は「(ほとんど)単騎で数千の曹操軍を退けたリアル三国無双」として天下に知れ渡ることになった。

その後劉備が荊州南部に落ち着くと、張飛は宜都太守に任じられた。
ついに張飛も重要拠点の防衛に任じられるほどに貫禄がついたのか!と思いきや、これは宜都が対曹操の最前線であったがための一時的な措置であり、曹操軍に攻めてくる気配がないとみるや、即本拠に戻されている。


【荒れ狂っていた頃】

211年の入蜀では、なぜか最初は荊州に置きっぱなしにされた。
曹操・孫権軍に備えるべく主力を本拠地に残したかったから、というのが妥当なところだろうが、
あるいは汎用人型決戦兵器として名が知れ渡っている張飛を連れていくと(だまし討ちをする予定の)劉璋への刺激が強すぎるから、という可能性もなくはない。

しかし肝心の入蜀戦が途中で膠着状態にはいったため、結局は張飛も援軍として益州に入ることになる。
張飛は劉備の本体とは別ルートで諸葛亮趙雲劉封らと共に進軍するが、その軍は向かうところ敵なしの強さであったという。

またこの戦の最中、張飛は江州で劉璋軍の太守、厳顔を捕虜にしている。
張飛の前に引き出された厳顔は、この殺気丸出しの人間兵器を前にしても臆さず「益州を非道に侵略した卑劣漢め(ほぼあってる)!蜀の将軍は貴様らなんぞに降るよりは首を落とされる方を選ぶわ(そうでもなかった)!」と堂々と吠えた。
案の定ブチ切れた張飛は速攻で斬首を命じたが、厳顔が全く動じることなく「何をやってる!さっさと斬れ!」と男気溢れる発言をすると態度を一変。厳顔を丁重な賓客として扱った。任侠団体すぎる……

劉備が蜀を得ると、張飛は関羽・諸葛亮・法正と並んで功一等を賞せられるが、役職は巴西太守で、ようするにまた最前線勤務であった。
今回は曹操といつ衝突してもおかしくない状況だったためか、本国に呼び戻されることはなく、その職のまま曹操軍と戦うことになる。

219年を頂点とする漢中の戦いでは、橋頭保となった巴西からそのまま劉備軍の先鋒として出撃。終始その主力として活躍する。
そしてこの戦いの前哨戦では、張飛は曹操軍の誇る歴戦の勇将張コウと真っ向勝負をすることになった。
しかしなんとここでの張飛は、狭隘な山道を通る張コウに対して兵を伏せ、奇襲によって打ち破るという全然らしくない見事な頭脳プレーを見せるのである。
あの張飛も最早脳筋を卒業し、立派な将軍になってしまったんだなあ……と思いきや、その後の「本戦」では、陽動を任されたらはりきって動きすぎたために敵将曹休にあっさり看破され、
スルーされた挙句に友軍を壊滅させられるというエイプリルフールに張り切りすぎた小学生のような珍プレーもきっちりやらかしている。

とはいえこの戦役を主力として戦い抜いた張飛の功績は大きく、220年に劉備が漢中王を称して名実ともに「国」ができると、右将軍に任じられている。
これは前将軍関羽、左将軍馬超に次ぐナンバー3であり、名実ともに劉備軍、いや蜀漢の主力であり、軍の最重鎮たることを認められたと言える。でもやっぱり重要拠点漢中の太守にはしてもらえなかった

この戦いにより、劉備軍本体は漢中より曹操軍を駆逐。また西では関羽が北上して襄陽を落とし、その連絡地点にあたる上庸・房陵も劉封・孟達が制圧した。
こうして蜀漢は建国以来最大の領土を達成し、曹操へのガン攻め体制を築き上げたのである。

しかしこの間の張飛の任地は、漢中戦より前から継続して巴西のまま。
よって初めて前線から遠ざかったことになるが、これはむしろ更なる曹操領への侵攻に備えるためであった可能性が高い。
つまりこの勢いのままに更なる侵攻が進めば、あるいは「長安太守張飛爆誕」の報が中原全土を駆け巡ったかもしれないが、周知の通り、その機会が訪れることは永遠になかった。

219年冬、樊城を攻略中だった関羽軍は、(一応)同盟国であったはずの呉に突如として後方拠点を奪われて壊滅。
関羽本人も呉に捕殺され、絶頂にあった蜀漢は、大黒柱である関羽とその配下の全て、そしてかつての根拠地であった荊州南部を失ってしまったのである。


【ツケがきた頃】

翌220年、曹丕献帝より禅譲を受けて皇帝の地位につくと、劉備もこれに対抗し漢の後継者として皇帝を名乗ることになる。
そして新たに「朝廷」となった蜀漢では、張飛にもそれにふさわしい新たな階級「車騎将軍」と「司隷校尉」が用意された。
車騎将軍というのは所謂「3将軍」の一つで馬超に次ぐナンバー2、そして司隷校尉というのは(現実的には名誉階級ではあるが)本来「首都圏・宮廷防衛司令」を意味し、劉備からの信用が最も厚い将であることを示していた。

こうしてまさしく「位人臣を極めた」張飛だったが、しかし自身の人格はただの一指揮官であったころとあまり変わっていなかった。

張飛は若い頃から上には従順だったが、部下に対しては非常に過酷だった。まあ今風に言えばパワハラ上司だったのである。
普段から何かあると武力98(※三國志13)の殺人パンチで部下をぶん殴っていたし、また死刑の命令も軍の中で異常に多かった。
しかし軍曹が二等兵を殴って教育するのは任務の範疇と言えなくもないが、元帥が准将を殴るとなるとこれは全然意味が違ってくる。殴られた相手にはそれなりの身分も階級も、そして世間体もあるのである。
「お前はぶん殴って屈辱を与えた部下も無神経に側においてるけど、そういうことしてるといつか痛い目みるかんな!」と劉備は何度も張飛に警告していたが、張飛がこれを改めることはついになかった。

221年、呉への侵攻の準備中であった張飛は、配下の将軍であった張達范彊暗殺される。部下への日頃の暴力が、これ以上ない形で跳ね返ってきたのだった。
そして主力である張飛を欠いて呉との決戦に臨んだ劉備は、呉軍にあまりにも無惨な大敗を喫してしまうことになる。


【家族】


張苞
息子その1。嫡男だったが張飛より先に死んでいたため、家督は弟の張紹の系統の方に受け継がれた。
死亡時の年齢は定かではないが、息子(張遵)が遺されていたため、最低でも13~14歳以降、身分から考えれば成人年齢である19歳以降に死んだ可能性が高い。

史実では影の薄い彼も、創作では関平同様に張飛の息子として大活躍……というわけでもない。
張苞は実質的に「三国志演義」成立の段階で唐突に生まれたといってよいキャラなので、歴史の長い関平や関索と比べるとその扱いには雲泥の差がある。
古い雑劇や地方劇などの場合、張飛の息子は張苞ではなく弟やオリジナル息子が使われていたりするなど、はっきりいって創作界隈でも非常に影が薄い。

唯一張苞が輝くのは前述の通り「三国志演義」の系統であるが、大イベントと共に鳴り物入りでデビューする割には、
「初戦でいきなりピンチになって関興に助けられる」「親の仇を戦いで討ち取った関興と違い、呉から生贄として送られてきたのを斬って達成」「落馬で負傷し戦線離脱」「死因がそこからの闘病死」など、
よく読むと扱いは結構悪く、名前は頻出するものの大物を討ち取ることもないし、正直割と空気なところがある。

張紹
息子その2。兄張苞の子である張遵はまだ幼少だったため、劉備の命令で張飛のあとを継いだ。
張家は実質的には蜀漢帝室の準一門として扱われており、張紹もいきなり侍中(皇帝の側で仕える相談係)からと言う華々しい官界スタートを飾った。
……のだが、その割にはあまり出世できなかった*2。まあ外戚というのはいらんことをしないのも仕事の内ではあるのだが……

史実の活動時期や年齢から考えれば、演義では本来彼の方が張苞ポジションについていても不思議ではないが、彼は蜀の滅亡時劉禅に降伏を進めた部下の一人だったため、
演義の著者からは劉禅同様のダメ息子扱いを受けており、残念ながらその座を逸した。
ただし儒教的教養のある彼らと違い、庶民層はそこまで形式的な道徳論にこだわらないので、民話レベルでの伝承や逸話では結構好意的な評価を受けることもある。

敬哀皇后・張皇后
母親は夏侯淵の姪。彼女に関しては後述。
二人とも劉禅の後宮に入内し、正妃に立てられた姉の敬哀皇后が若くして死ぬと、今度は妹が正妃に立てられた。
姉妹そろって詳細情報ほぼ皆無だが、後に魏の夏候覇が蜀に亡命して来た時に、劉禅が皇后との子を指して「この子は君の甥だね!」と言ったというエピソードが残る(ただし信ぴょう性は微妙なところ)。
娘を複数入内させ、常に正妃の座をキープさせておくというのはその家同士の間に強い連帯をキープしたいがためであり(同時代で言えば、曹操も娘を3人入内させている)、劉備がいかに張飛を重視していたかがわかる。


【人物】

周瑜「熊や虎レベルの化け物」
劉曄「関羽・張飛が要害にこもって蜀を守れば、最早これを打ち破ることはできないでしょう」
程昱「1人で1万人にも匹敵するチート武将」
と、関羽と並び「劉備の両翼を担う勇将」として様々な陣営の人物から高い評価を受けており、非常に優秀な将帥であったことが伺える。

「え?脳筋なのに?」と思われるかもしれないが、歴史上の名将たちには短気で積極的で大雑把、頑固だがあまり考え込むタイプではないという脳筋タイプの方がむしろ多い。
なぜなら前線指揮官に最も必要とされる資質は、知識でも軍略でも腕っぷしでもなく「決断力」「実行力」だからである。

『戦争論』で名高いクラウゼヴィッツはその著書の中で「戦場の75%は霧の中にある」と断言した。
その時代より遥かに通信技術が発展した現代でも、士官学校では「指揮官の手元に入る敵情の中で、使い物になるのは2~3割程度に過ぎない」と教えられている。
そして同時に「歴史上の戦闘の敗因の8割はtoo late(遅すぎた)である」という格言もある。

つまり「戦場では正確な情報が入ってこないし、正確な情報が入るまで待っていたら、それは手遅れにしかならない」のだ。
実際に敵と戦うのは兵士達の仕事だし、作戦に関しても幕僚がフォローすることはできるが、決断することだけは指揮官にしかできない
よって「正確な情報が入るまで動けません!」などという慎重で賢しいタイプより、最低限の情報が入ったら「ヒャア がまんできねぇ出撃だ!」しちゃうタイプの方が、往々にして現場指揮官には向いているのである。

もちろん、慎重さを欠いた結果として失敗するリスクもあるが、慎重なだけでは例え負けなくとも程々の戦果にしかならず、また損耗も拡大する。
最初から敵と比べて圧倒的な力を保有し、持久戦に持ち込めば勝てるなら、危険を冒さず慎重に立ち回るのはありだろう。(田豊が袁紹に進言した曹操攻略の方法は、まさにこの考え方である)
だが、相手が格上の場合はそうもいかず、ある程度のバクチを覚悟して戦果を挙げていかなければならない。
歴史上の名将たちが脳筋タイプなのも、リスク覚悟でなお戦果を残すほどの人物でないと、有能で任務を果たしたとしても歴史に名を残すほどの名将として語り継ぐのが困難と言う面がある。

当時、劉備は所詮群雄の一人であり、最盛期ですら曹操の勢力に全く敵わない。慎重に僅かな勝利を重ねるようなやり方ではジリ貧必至。
劉備陣営に必要なのは、確実に任務をこなす賢人タイプではなく、ある程度の危険を冒しても大戦果を挙げられる脳筋タイプだった。

自身もたたき上げの指揮官である劉備は、このあたりの実戦能力の高さや自身のおかれている立場をよくわかっていたのだろう。
劉備は跡継ぎである劉禅の外戚としても張飛を選んでおり、本当に張飛を深く信頼し重用していたことがわかる。

ちなみにネットでは「張飛美形説」が語られているが、これは「娘が2人とも劉禅の正妃」→「劉禅が姉妹ともに妻にするほど美人だった」→「よって父親の張飛も美形だったに違いない」
という超理論であり、根拠はない(当たり前だが劉禅と娘はそもそも政略結婚である)。
まあ関羽や劉備と違って実際の張飛の外見については正史にまったく記述がないため、美形ではなかったともまた言い切れないが。


【㌔㍉】

魏略に「薪取りに出ていた当時13.14歳(数え年なので、現代的に言えば11~13歳)の少女を捕まえ、嫁にした」という話があるため、しばしば紳士呼ばわりされることがある。
まあ11歳の少女を捕まえて即結婚したとは書いてないし、11歳の少女と即日※※※したとも限らないから、汚物を見るような目で見たり親しげに肩をたたいたりするのはやめてあげよう。

このせいで張飛は実はとても若かった説があったりする。
168年生まれにされる事が多いが、物凄い事例だと170年代後半生まれとかも。黄巾の乱の時いくつだよコイツ…。

ちなみにこの少女こそ、先程の二人の娘の母親である夏侯淵の姪である。



【創作作品における張飛】


中国の伝統的な三国志創作における張飛の最も重要な属性は「庶民向けのヒーロー」という点である。
詳細なキャラ造形は時代に合わせて結構変化してきているのだが、この庶民に愛されるタイプのキャラという点はほぼ不動である。


◆極初期~雌伏の時代~
貴族文化が隆盛を誇った六朝~隋までの時代は、張飛にとってある意味雌伏の時だった。
当時の支配層だった貴族階級の教養人たちは、歴史的に言えば単なる一武将に過ぎない張飛に大した評価を与えていなかったのである。

よって上流階級の間でのサロン文芸では勿論、あまり独自性が無かった当時の庶民向けエンタメ業界でも、張飛はそこまで目立っていたわけではなかった。
だが「一人で万軍を押し返すほどの豪傑」「低い身分の出だが、高貴な身分の人に仕えて実力で大出世」といったいかにも英雄的な要素は既に庶民から高い人気を集めており、後の爆発に至る下地は着実に作られつつあったと言える。


◆初期~爆発時代~
やがて久々の安定王朝であるの時代になると、庶民のエンタメ業界も発達し、同時に張飛人気が爆発的に伸び始めた。
特にこの時期から隆盛し始めたのは、文字が読めない庶民のために「聞かせる」物語、即ち「説話」の系統である。
この時代の説話で現存するものは少ないが、張飛が圧倒的な人気を集めていたことは当時の資料からも確認できる。


◆中期~ライバル登場~
そんな具合に「三国モノ=張飛モノ」といっても過言ではないぐらいの英雄張飛だったが、北宋の頃になると、そんな彼に対し最初のライバルが現れた。
そう、兄貴分の関雲長その人である。

当時の中国は、官民問わない空前の道教ブームの真っ最中だった。
関羽は当時非業の死を遂げた義将が死後天界に昇って道教の四大元帥の筆頭となり、道士の招請に応じて現世に力を貸すというFFの召喚獣みたいな扱いを受けていたのだが、
この道教ブームに乗っかって生前の所属先であった三国志関連に逆輸入されてきたのである。

ブームに乗った形の関羽モノは大いに人気を集め、瞬く間にエンタメ分野、特にこの頃から興業として成立し始めた演劇界において重要な地位を占めるようになった。
しかしこの分野における関羽は、その経緯からして「武将」というよりは「神様」に近い扱いであり、実際には張飛とそれほど出番を奪い合うような関係にはなかったようである。


◆後期~ターニングポイント、そして絶頂期~
しかし更に時代が下って元代になると、より大きな業界全体の変化が張飛にも顕著な影響を及ぼすことになる。
元はそれまでの唐~宋王朝と異なり、学問による役人登用制度である科挙を行わなかったため、仕事を失ったかつての知識人層が、こぞってエンタメ・教育業界に進出してきたのである。
これによって大衆の芸術・教養レベルは一気に向上し、そういった客層向けに新たな文芸ジャンルとして、文章の形をとった長編の物語――現代で言う「小説」にあたるものが誕生する。

そして三国モノにおいても、史書「三国志」の展開を骨格として、三国モノの講談や雑劇の人気演目を貼り付けていき、一綴りの長編物語に再編していく流れが生まれた。これが後の「三国志演義」に繋がる系統である。
そして史実のストーリーに沿う以上、それまでは「三国志の主人公」だった張飛も、「三国モノの登場人物の一人」へと緩やかに、しかしものすごいレベルで変化していくことになった。
具体的に言うと

「知力の低下」
コーエーパラで言うと95ぐらいあった知力が、30とか50ぐらいまで下がった。
これは物語の展開上、どうしても史実の張飛の「思慮の浅さ(下邳の失陥とか、部下に暗殺される最後とか)」に触れざるを得ず、そういった部分の描写にキャラが引きずられていったというのがまず一つ。
また歴史物語の常として、複数の人物にスポットライトが当たるため、「頭のよさ」という属性が諸葛亮やホウ統といった知性派キャラに集約されていったという点も大きい。
しかし「粗中に細ある(荒っぽいが馬鹿ではない)張飛」像というのは既に大衆に広く定着していたためか、演義でもそういう描写は要所要所で結構残っている。

「凶暴性の強化」
キャラ分類が「主人公」でなく「脳筋」枠になったため、攻撃性と暴力性が強化され、より豪傑としての側面が重視されるようになった。
例えば演義の張飛は「燕人(えんひと)」という呼ばれ方をするが、燕というのは張飛の出身地方にかつて存在した国で、騎兵の本場として剽悍な武人を多く輩出してきた土地。
つまり燕人とは「北方の野蛮人」といった意味である。
またこの凶暴化には、主である劉備が没個性な聖人君子的属性を与えられていくに従い、史実の劉備のアレな部分を代行していったため、という面もある。

「子供っぽさの強化」
しかし「超強いが乱暴で知能が低い」だけでは単なる暴力DQNに過ぎず、受け手の支持など得られるはずもない。
張飛がそうならなかったのは、目上の人にも躊躇しない傍若無人さ、無邪気で単純な行動原理、媚びがないことからくる自然な愛嬌……といった、良い意味での「子供っぽさ」が強調されていったからである。
現代創作においても、「頭が悪い」+「暴力的」+「無邪気」というのは主人公サイドでよくみられる鉄板の属性構成である。
前者2種だけならばただの「乱暴者」でも、最後の要素が加わることで一気に「愛すべきバカ」へとランクアップすることができるのだ。

「ビジュアルの完成」
演義の張飛は
 ★「身長2.5m」
 ★「頭は豹っぽい」
 ★「髭は虎のそれ」
 ★「雰囲気は暴れ馬」
 ★「首は燕のように頭と一体化」
 ★「ドングリのような真円のギョロ目」
 ★「落雷のようなバインドボイス【大】」
という、これ三国志じゃなくて西遊記じゃないの?という感じのクリーチャーとして描かれているが、このビジュアルもおおむねこの時期に完成している。
しかし実はこれらの造形要素は張飛のオリジナルではなく、様々な史書や雑劇における「豪傑」の人相を寄せ集めたもの。
彼らよりも張飛の方がはるかに知名度が高かったため、これらも最終的に張飛のビジュアルとして定着することになったのである。

「お肉屋さんになる」
この設定の出どころは本当に謎とされているのだが、張飛には古くから「身分はド庶民だが、お金持ちの家の出」という設定があった。なぜだ。
まあそれはともかくとして、この時期になるとそれがさらに限定されて「お金持ちの肉屋」ということになった。
この理由としては諸説あるが、有力な説としては「豪傑といえば前職は肉屋(屠殺業)」というテンプレイメージが当時あったから、というものがある。
中国史には戦国時代の朱亥や聶政、漢の樊噲など、前職が肉屋な豪傑が何人もいたため、そこから連想されてそういうイメージが出来上がっていた、という説である。
現に同じ時期に成立した「水滸伝」でも、元肉屋という設定の持ち主が二人もでてくるので、この説はかなり説得力がある。
教養のない庶民からしても「肉屋で肉を切り慣れてれば、人を斬るのも簡単だよね」という恐ろしい連想に至るのは難しいことではなかっただろう。コワイ!

とまあ、結果的には潤さんが紆余曲折を経て枢斬暗屯子になるぐらいの変化を遂げた張飛だったが、これによって「庶民的な豪傑」としての張飛像はほぼ完成の域に達した。
また「トリックスター」「コメディリリーフ」という美味しい属性も手に入れたことで、長きにわたって庶民の人気を集めることになった。


◆末期~苦難の時代~
しかし明後期から清にかけて、印刷技術の発展により小説ジャンルがより活発な時代になると、張飛、いや三国故事というジャンル自体に強力なライバルが台頭してくる。
そう、先にも触れた水滸伝である。
水滸伝は「主人公である盗賊集団が、腐敗した政府と戦う」という、権力者側からすれば結構アウトな作品であり、現に明~清にかけて何度も発禁処分を喰らったことがある。
三国志が「忠義の手本」として政府に奨励されていたのと対照的であるが、しかしこれはむしろ「政府から発禁くらうほどのエグい作品です!!!」と水滸伝の流行を後押ししてしまう結果になった。

更に水滸伝は小説としては三国志演義よりも後に成立した作品であり、エンタメ作品としてはいわばその「改良型」としての側面を持っている。

例えば水滸伝には魯智深という僧侶武将が登場するが、彼は
■「直情的で頭が悪く教養もないが、無邪気で義に厚い」
■「大酒のみで酒乱、酒でよく失敗する」
■「パワータイプで多分強化系、作中最強レベルの強さ」
という張飛同様の「愛すべきバカ」枠であり、明らかに張飛のキャラを踏襲している。しかし
■「部下によく乱暴を働く張飛と違い、女子供や目下にはとても優しい」
■「悲劇的な最期を迎えた張飛と違い、僧侶として悟りを得て静かに入寂する」
などと、「庶民に好かれる」という要素ではほとんど張飛の上位互換として設定されている。

また同様に主人公格の人物である林冲も
■「武器が張飛と同じ『蛇矛』」
■「ビジュアル面でも張飛と同じ『豹頭環眼、燕頷虎鬚』」
■「魯智深と並び、作中最強レベルの強さ」
などと主に外見的な造形で張飛のそれを原型にしているのは間違いないが、
■「脳筋キャラの張飛と違い、普通に頭も切れる」
■「喜劇的な側面がある張飛と違い、妻との哀しい愛の話をキャラ造形に背負っている」
といった点ではやはり張飛のアッパーバージョンと言える。
特にこの「悲恋物語の主役である」点は客にウケまくり、張飛同様の獣人系フェイス設定は光の速さで忘れ去られあっという間に耽美系のイケメン枠に。
とりわけそれが顕著な演劇分野では、はっきりと「美形になった張飛」的な扱いになってしまった。張飛の扱いひどくない?

またどうやったって原作の展開上バッドエンドに終わらざるを得ない三国志と異なり「悪は滅びました」という一応のハッピーエンドで終わらせられる水滸伝は、その点でも物語としての人気を高めた。

そして三国志界隈自体がライバルの台頭に揺れたこの時期、さらにその内部においても張飛にはライバルが現れる
今度は同じ「戦闘要員枠」である趙雲、そして馬超である。

ちと長い話なのだが前提条件から話すと、まず清代の中国と言うのは実は世界でも有数のラノベ大国だったことを知っておきたい。
など、現代日本のラノベやギャルゲーを思わせる小説が、メディアミックスされながら大量生産されていたのである。

こういった作品はやはり現代のラノベ同様やや若い年齢層を狙ったものであり、主人公にはプレーンというか没個性的な属性が用意されることが多かった。
平たく言えばギャルゲー主人公系のキャラが多かったのである。
だがこういう観点からすると、見た目といい中身といい立ち位置といい、どこからどう考えても「濃すぎる」上に、そのキャラが完全に定着してしまっている張飛はあまり好ましい人材ではない。
そこで関羽や張飛やほどにはイメージが固定されていなかった趙雲、そして馬超がにわかに重い存在になってきたのである。
こうしてこの時期に「イケメン若武者枠」の地位をゲットした趙雲と馬超は、現代にいたるまで張飛の大きなライバルとして立ちふさがることになる。

またこの時期の目だった変化として、張飛のトレードマークであるあのぐねぐね刀身の長柄武器「蛇矛」の完成がある。
正確に言えば「張飛の武器は蛇矛」という設定自体は演義初期からあったのだが、当時の「蛇矛」というのは普通の矛の詩的な呼び方に過ぎず、特にあの形状の矛を指していたわけではなかったのである(よって清初期ぐらいまでは、絵の中の張飛は普通にまっすぐな矛を持っている)。
しかし清代における印刷技術の普及や演劇文化の発達によって、張飛の武器にも一目でそれとわかるビジュアルインパクトが必要とされることになり、「蛇」という名称から連想されてあの「蛇型」刀身の武器が採用されたというわけ。
ちなみにあの武器の(本来の)正式名称は「九曲槍」といい、明代に使われたという馬上槍である。


◆現代~Dynasty warriors~
日本の現代創作における三国志のイメージは、なんといってもコーエーが作り出したそれによるところが大きい。
本場中国においても(アニヲタ的なジャンルでの)三国志はやはりコーエーから逆輸入したそれの影響は非常に大きく、欧米では言うに及ばずである。

コーエー三国志の統一的なイメージは清代~中華民国時代あたりの連環画・京劇などの影響が特に強いが、張飛もその例に漏れず陳丹旭「連環画三国志」によるところが非常に大きい。
「頭巾」「四角い顔と虎髭」「防具は胴鎧ぐらいの軽装、マントはなし」などの外見的特徴はこの連環画の張飛をほとんどそのまま持ってきており、これが現代における張飛の統一的ビジュアルイメージに繋がっている。

キャラクター性の面からいうと、現代創作の常として「美形こそ正義」の風潮は増すばかりであり、やっぱり若干肩身が狭い。
無論その圧倒的知名度からして登場する機会には恵まれている(三国志を名乗る作品で張飛が出てこないことはまずないし)のだが、扱いが大きいかと言うと……

非サブカル分野においても、近代以前は概ね「エリート層に人気の諸葛亮、大衆に人気の張飛、別格の神様として関羽」というのが定番だったが、
現代になって大衆の教養水準が上がったことで、張飛が担当してきた「大暴れして(民衆の鬱憤をはらして)大喝采」というポジション自体の人気もやや陰りを見せてきている。


『京劇』

比較的新しい演劇である京劇では、三国志ものはほとんど演義の系統しか残っていないため、基本的にはそのイメージが踏襲されている。
具体的に言うと、例えば京劇には「行当」というシステムがある。

これはパターン化された衣装や化粧によって、その登場人物の主役、悪役、ヒロインといった役柄を大雑把に示したもので、トリコロールが主役機赤がライバル機緑や青の単色が雑魚……という法則のようなものである。
基本的に登場人物はすべてこの「行当」のいずれかに分類されるのだが、その中で張飛の行当は「浄」*3
これは役者の顔がわからないほどはっきりとしたフェイスペイントを施し、単純なキャラクター性を強烈に主張する、いわば「濃いキャラ枠」であり、ストIIで言えばダルシムブランカ枠に相当する。
強さ重点のイケメン役である「武生」(三国志ものでは趙雲、馬超、関平など)、まして若さ・美形度重点のイケメン「小生」(呂布、周瑜、陸遜、劉封など)が演じることは100%ない。まだ若いころの演目(轅門射戟とか)でも全くない。

つまり「なんやかんやあって、とりあえず大暴れするキャラ」というのが京劇の張飛なのだが、どの演目でも京劇の華ともいうべきド派手な立ち回りを演じてくれることから人気は高い。


『横山光輝三国志』

初登場時はあからさまなヨミ顔だったが、連載が進むにすれて柔らかい感じになっていき、髪型も髭も少しづつ変わっていって最終的にはまったくの別顔になった。
長いあごひげ、右目と頬の傷、細面、ヘアバンドなど現代的な張飛とのビジュアル的な共通点はほとんどないが、これは連載開始当初(1971年)の資料不足のためらしい。
まあ日中国交正常化より前だしね。
連載途中で中国からの絵的な資料が手に入るようになったため、いつのまにか武器が青龍刀(薙刀)から、あのぐねぐね刀身の蛇矛に変化している。


『コーエー三国志』

シリーズを通して、能力値ランキングにおける純粋武力部門では1位呂布2位張飛3位関羽というのが鉄板。
一方で超絶高い武力に比べて、知力は底辺、統率も最高クラスにはやや及ばずと、まあ非常にわかりやすい脳筋
原作である演義のように「晩年になると頭脳も成長して知勇兼備に」という展開はあまりない。
いちおう「シナリオによって知力が変化」「知力の成長曲線が極めて高め」などの措置が取られている作品がいくつかあるが、元が低すぎて大して意味がないことが多い。
さらに、隠しパラメーターの「冷静」が低めであることが多く、関羽や趙雲に比べると「勝手に一騎打ちしやすい」し、「計略にも引っかかり易い」。
前者は張飛自身が相当強いので、余程状況が悪いか、相手が化け物でない限りは負けないからまだいいのだが、後者は地味に痛い。
あまりに武力に寄りすぎているため、バランスがとれている関羽や趙雲に比べるとゲームシステムによって使える時と使えないときの差が激しい。
特に『三国志Ⅴ』では初期設定で移動力の高い陣形を持っていないため、防衛戦ではともかく、攻撃戦ではかなり使いにくい。


『三國無双』シリーズ

当然というべきかシリーズ皆勤賞。「真」がつかない時代からいる最古参の一人である。
キャラクターは概ね演義のそれを踏襲しているが、やはり近代作品の常で「実は知略派」的な描写はほぼない。愛されるバカ系のジャイアン型脳筋キャラである。

PS2時代は設定の割にモーションがいまいち弱く、ゲーム内で謳われているような強さを発揮することは難しかったが、
PS3に移行しモーションが一新された5以降は明らかに強キャラにシフトしている。

関係者としては4で娘の星彩*4、7でその兄である張苞、8*5でNPCおよびDLCでの追加プレイヤーとして妻の夏侯姫*6が脱モブしており、彼らの脱モブ以降は飲んだくれ親父としての側面も出てくるようになった。


蒼天航路

虎髭に蛇矛といった豪傑のイメージはそのままだが、江戸っ子系チンピラキャラの劉備や兄者と慕う関羽の突飛な行動に振り回される常識人・苦労人という様子も描かれている。
単純に見えて意外と頭の切れる一面もあり、「長坂の戦い」では殿に身を置く自らの役割を理解した上で、迫る曹操軍に天下無双の武威を見せ付けた。
ちなみに作中での字は正史に従い「益徳」だが、民衆などの間で演義の字「翼徳」が間違って流布しているといった小ネタも触れられている。

『マンガ 三国志・水滸伝の英傑たち』

台湾の作品の為「演義」準拠の外見と設定であるが、「演義」での扱いが「粗暴なボンボン」であることに「これは羅漢中のでっち上げです」と猛抗議し、
「史実での私は文芸にも明るく、書も達筆、美人画も得意」と嘘くさい説明を述べていた。

『白井式三国志』

ドングリ目で可愛い。短気・無学・天然の三拍子そろったアホだが、劉備はもっとアホなので作中ではイマイチ目立てていない。
飲酒騎乗の常習犯で、馬超との一騎打ちでも「なんかすっげえ作画崩壊した奴が来たぜ」などとトンチンカンなことを言っていた。
関羽共々孔明と仲が悪く劉備に諫められたが、この時に孔明が水魚の交わりを図説して茶化したため打ち解けた。

『SDガンダム三国伝』

CV:加藤将之
演者:Zガンダム
赤い鎧に身を包んだガンダム。皮肉屋でぶっきら坊であるが、涙もろく情に熱い。
黄巾賊と勘違いして関羽ガンダムを襲っていた所を劉備ガンダムのとりなしで誤解を解き、三兄弟となる。
劉備は「アニキ」、公孫賛イージーエイトを「大アニキ」と称しているが、同世代(?)の関羽は「鬼ヒゲ」呼ばわりしている。
劉備・関羽と共に流浪の身のため滅茶苦茶影が薄い(スパロボUXでは「空気」という言葉に過度に反応していた)が、
長坂の戦いでは一撃で石橋を叩き割り曹操軍の追撃をかわした。

『一騎当千』

CV:茅原実里
成都学園三人娘。1年生。Cランクだが素養故に特Aを狙える器。
関西弁でアッケラカンとした性格で、この手の漫画によくある超外ハネの髪型。

『恋姫†無双』シリーズ

CV:芹園みや(PC版)、西沢広香(移植後、アニメ)
真名「鈴々(リンリン)」。赤毛のめんこい子。虎の髪飾りをしている。
どう見ても小学○にしか見えない外見だがPC版では18歳以上です、ええ。アニメ版では普通に10代前半。
体格に見合わぬ凄まじい怪力を有し、その分大食。ただアニメでは許チョにあっさり負けた。
ゲームでは関羽=愛紗の幼馴染だが、アニメ版ではその辺に居たガキ大将という設定で第1話で関羽の妹分になっている。
馬ではなくブタに載って戦う。

『十三支演義』シリーズ

CV:岡本信彦
乙女ゲー。主人公の猫耳美少女(!!)関羽ちゃんの義弟で幼さの残る外見の猫族。黒いバンダナを巻いている。
ちょっとシスコン気味で短絡的な思考を取りがちだが、情に厚い好青年。

『三国志大戦』シリーズ

初作から参戦している蜀勢力の大黒柱のひとり。
御多分に漏れず高コスト高武力低知力、兵種は蛇矛のイメージか槍兵であることが多い。
長坂橋で魏の大軍勢をたじろがせたイメージからかしばしば敵を弱体化させる妨害系計略を所持している。
兄弟共々漢勢力でも登場し、現在は一撃で城を落とすという浪漫溢れる計略が持たされている。

『笑府』






「我こそが張益徳!共に追記:修正をしたいやつからかかってこい!」

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最終更新:2021年03月09日 19:33

*1 本当に意訳。実際には「俺が張飛益徳!!死にたいやつからかかってこい!!!」というカッコイイもの。

*2 蜀滅亡時の官職は尚書僕射。顕職ではあるが、蜀漢ではさして権限のある地位ではない

*3 より詳細に言えば「武浄」

*4 張飛の娘である劉禅の皇后達を元ネタにした、無双のオリジナルキャラ。

*5 ナンバリング以外だと8以前に配信されていたスマホアプリ「真・三国無双ブラスト」が初登場

*6 前述の夏侯淵の姪。無双では張苞の母親にもなっている。