登録日:2011/11/26 (土) 21:54:36
更新日:2025/03/31 Mon 08:20:53
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先頭はブエナビスタか!?
ジャーニーだ!ジャーニーだ!夢への旅路だ!
ドリームジャーニー先頭に立った!
データ
通算戦績:31戦9勝[9-3-5-14]
獲得賞金:8億4797万3000円
主な勝ち鞍
朝日杯FS(GⅠ)
神戸新聞杯(GⅡ)
小倉記念(GⅢ)
朝日チャレンジカップ(GⅢ)
産経大阪杯(GⅡ)
宝塚記念(GⅠ)
有馬記念(GⅠ)
誕生
2004年2月24日、産まれは社台グループ始まりの地・白老ファーム。
父ステイゴールド、母父メジロマックイーンという、後に「ステマ配合」として有名になる配合の第一弾である。
しかし当時の認識としては、
- 父はサンデーサイレンス3年目の産駒でありながら勝ちきれないレースを続けた善戦マン。現役期間は5年に及び50戦7勝[7-12-8-23]、古馬王道3皆勤を含め月1ペースで重賞を走り、賞金を稼ぎ続けた末にラストランで漸くGⅠ制覇という、とてつもなく頑丈だったこと以外は非常に評価に困る個性派。そんななのでサンデーサイレンス血統の主流から外れた種牡馬の2年目。
- 母父は現役時代は最強の名を恣にし、顕彰馬にも選ばれた名馬。しかし種牡馬としては期待を遥かに下回り、関係者のバックアップにもかかわらず散発的に重賞馬を出す程度でGⅠを制する者はなし。一応まだ現役であったものの、2000年頃には生産者から見切りをつけられていた。母父としてはオープンクラスすらいない。
- 母は23戦3勝で重賞未勝利、勝ったのは平場のダート戦だけ。未出走・未勝利も珍しくない繁殖牝馬にしては実績がある方だが、父は上記の通りで、牝系の近親も条件戦止まりと血統的な魅力に乏しく、社台グループの中でも足切りラインが低く設定してある白老ファームでも最低ランクに位置付けられ、初年度産駒の成績如何によってはセールに出される予定だった。
という、非常に渋い血統の産駒であった。
産まれた時点から群を抜いて小さく、しばらくは母親の陰に隠れていたが、生後1か月ほど経つとヒトをよく見分けるようになり、新人スタッフが近づくと激しく威嚇するという、賢くもやんちゃな性格を見せるようになった。ただ、身体は健康で怪我も病気もしないため、あまり手間はかからなかったという。
3月、この年開業したばかりで挨拶回りに来ていた池江泰寿の厩舎に入厩が決まる。池江調教師の父・池江泰郎がかつてステイゴールドとメジロマックイーンを管理しており、自身もまたステイゴールドの調教の乗り役(調教助手)を務めていた縁である。
離乳後はサンデーレーシングに卸され、1口50万円の40口(2000万円)で出資募集。
オリエンタルアートの04
地道に走り続け、重賞まで駒を進めた母の初仔になります。比較的コンパクトなサイズながら、まった
く窮屈な部分のない骨格や柔軟性に富んだ筋肉の質は素晴らしく、脚元の乾燥具合も特筆できる本馬
は、怪我しらずの健康児です。また両親から受け継いだ勇気ある気性も頼もしく、大柄な相手にも果敢
に挑み、俊敏な動きで勝負する放牧地での様子は存在感十分で、アスリートとしての能力は間違いなく
高そうです。どんな相手にも怯まず走り続け、父の出走記録を超えるだけのタフな競走馬になってくれ
るでしょう。
「夢のような旅路」という名は公募によって決まった。
父がラストランで冠した香港名「黄金旅程」に肖ったものである。
デビュー
早来ファーム(現:白老ファームYearling)で育成調教を経て2006年9月に新潟競馬場で蛯名正義の手綱によりデビュー。小柄で有名な父よりさらに小さな馬体だったが、父とは対照的に新馬戦を快勝。
その後、芙蓉ステークスも勝利しエリートコース(重賞路線)を歩むことになる。
しかし、挑んだ最初の重賞、東京スポーツ2歳ステークス(GⅢ)では当時、大器の相と呼ばれていたフサイチホウオーに敗れる。
そして、次走は2歳馬のGⅠ朝日杯FSに出走する。
直線が短く追込不利とされる中山競馬場で、三角から小回りを曲がりながら加速し続ける驚異の脚で後の
春秋スプリント王者・
ローレルゲレイロを捉え、勝利を収める。
「軽く飛びましたね」とは鞍上の蛯名騎手。2週間後の有馬記念をラストランとする
ディープインパクトに準えた発言である。
これを以て父
ステイゴールドは種牡馬として初めての
GⅠを獲得。
父ステイゴールドに、母父メジロマックイーン。
共に晩成且つ距離が長いほどよく走るステイヤータイプであり、そんな血統の産駒がキャリア僅か4戦でマイルのGⅠを制したのだ。
この快挙に業界は震撼し、ステイゴールドの種牡馬価値が大きく見直されるとともに、ある種の迷信染みた"馬格信仰"が取り払われたことは特筆すべきであろう。
また、母オリエンタルアートの身柄も確かなものとなり、更にいくつかの偶然が重なったことで
全弟にして後の三冠馬・オルフェーヴルの誕生に繋がることになる。
年末には最優秀2歳牡馬に選ばれている。
クラシック
2007年、GⅠホースとなったドリームジャーニーはクラシックを意識して、弥生賞(GⅡ)から復帰するがブエナビスタの半兄アドマイヤオーラに敗れる。
そして、皐月賞(GⅠ)と東京優駿(ダービー)(GⅠ)は果敢に追い上げるもいずれも敗退。秋に備えて放牧することとなった。
秋は神戸新聞杯(GⅡ)から始動。ここから武豊に乗り代わりとなる。
鮮やかに追い込みを決めて朝日杯以来の重賞制覇で弾みをつけて菊花賞(GⅠ)に挑むが5着に敗れる。
古馬
2008年、マイラーズカップ(GⅡ)を復帰戦に選ぶが、久々のマイルのせいか大敗を喫する。
安田記念では主戦騎手の武豊が先約のあったスズカフェニックスへの騎乗を優先したため、後に春秋グランプリを共に制する最高の相棒、
池添謙一に騎乗を依頼。池添はかつて母オリエンタルアートの主戦騎手を務め、彼女の生涯ただ3勝を挙げた男であった。
そんな彼らが初コンビを組んだ安田記念(GⅠ)では、10着に敗れる。が、この時池添は何か強い手応えを感じていたという。
次の小倉記念(GⅢ)では再び武豊とのコンビを…とする予定だったのだが、彼は前週に騎乗停止処分を受けていたため鞍上が空になってしまった。
そこに自ら打診して来たのが池添。夏の本拠地である函館での先約をキャンセルしてまでの熱意に、新たな主戦騎手として迎えることが決定する。
その後は小倉記念、朝日チャレンジカップ(GⅢ)と連勝し挑んだ天皇賞(秋)(GⅠ)だったが、完全に
ウオッカ、
ダイワスカーレット希代の名牝二頭の一騎打ちとなりその歴史的な激闘に立ち入る隙もなく10着に敗れ、有馬記念(GⅠ)も
ダイワスカーレットの華麗な逃げに屈してまたも4着に敗れる。
そして、2009年…。
初戦こそ敗れるが、中山記念(GⅡ)は後に
最強のオヤジと讃えられるカンパニーの2着に好走し、次に走った産経大阪杯(GⅡ)では、前年に
キングカメハメハに続き
変則2冠を達成したディープスカイを退ける。
余談だが、変則2冠とは日本のクラシックレースは皐月賞、東京優駿(ダービー)、菊花賞の3レースで構成されているが、皐月賞と東京優駿の間にNHKマイルという3歳限定のGⅠレースが設けられている。
このレースを勝ちクラシックのいずれかを勝つのをそう呼ばれる。
NHKマイルは1600mだが、東京優駿は半マイル増えて2400mを走る。
普通、マイルの適性を示した馬は長くて2000m、若しくはそれ以降はマイル~スプリント路線へ行く場合が多い。
現在は、キングカメハメハとディープスカイが達成しているNHKマイル→東京優駿の組み合わせのみ。特に、初代のキングカメハメハは両レースの当時のレコードを更新している。
完全に軌道に乗った彼らは、天皇賞(春)(GⅠ)3着をステップに宝塚記念(GⅠ)に出走。
ドリームジャーニーやった圧勝~! 久しぶりのG1制覇!
池添謙一やった! 2年半ぶりのG1制覇はドリームジャーニー!
ライバル1頭を見て競馬をしました!
外からドリームジャーニーです!
見事な追い込みを決め、再びディープスカイをくだしグランプリホースの称号を手に入れる。
秋は産経賞オールカマー(GⅡ)から始動したが、別定戦故に、その小さな馬体にはあまりに酷な59kgでの出走を強いられる。
この時のドリームジャーニーの馬体重は420kg台。平均は470~480kg。いかに、彼が小さいかが思い知らされる数値である。
そして、相手も悪く、差しを決めるも逃げを打った中山の鬼、マツリダゴッホを捉えきれず、2着に敗れる。
その後、天皇賞(秋)(GⅠ)6着を経て有馬記念(GⅠ)に出走する。
この秋の菊花賞馬スリーロールスが故障で競走中止するアクシデントが起きる中、最終コーナーで先行策で押し切りをはかる名牝ブエナビスタを半馬身差で捉えて史上9頭目のグランプリ連覇を成し遂げる。
ジャーニーだ!ジャーニーだ!夢への旅路だ!
ドリームジャーニー先頭に立った!!
ドリームジャーニー1着そして2着に敗れたブエナビスタ!
3歳牝馬の夢はまたも届かず!
渾身のガッツポーズ!池添謙一!ドリームジャーニーです!
史上9頭目、同一グランプリ連覇!
ドリームジャーニー! 池添謙一!
夢にまで見た有馬記念初制覇!
その喜びを爆発させるかのように池添騎手が左手を天に掲げ、愛馬の背中で号泣しながらウイニングランを行った。
中山競馬場に詰め掛けたファンから池添コールが沸き起こり、人馬共に最高の栄誉を手にした。
2010年の復帰戦、京都記念(GⅡ)に出走するが59kgが応えたのかいつものキレを見せられずブエナビスタの逆襲に遭い3着に敗れる。
その後、産経大阪杯(GⅡ)にも出るが再び
59kgの壁に阻まれ、伏兵テイエムアンコールの3着に敗れたうえに
球節炎を発症してしまう。
そのため、予定していた天皇賞(春)(GⅠ)を回避しなければならなくなってしまい、ぶっつけで宝塚記念(GⅠ)出走するが、同じ
ステイゴールド産駒である
ナカヤマフェスタに呆気なくかわされてしまい4着に敗れる。しかし、父であるステイゴールドにとってはドリームジャーニー以来2頭目の
GⅠ馬となり、後に
凱旋門賞でワークフォースと死闘を繰り広げることとなる。彼もまた、自慢の息子と言えるだろう。
その後、去年と同じく産経賞オールカマー(GⅡ)で復帰するも三度59kgに屈する。そして、有馬記念(GⅠ)では去年のような末脚の爆発も見せることなく約1年ぶりに大敗をしてしまう。また、2011年も、大敗が続き宝塚記念(GⅠ)を最後に引退。実績を讃えられて種牡馬入りを果たす。
引退後
種牡馬としては体の小ささから物理的に苦戦気味で、2016年に種付け中骨折した不運も重なって産駒自体が少なく、いまいち活躍する馬を出せていない。
「毛色以外は父親似」と言われたドリームジャーニーだったが、床上手だけは受け継げなかったらしい。
しかし少ないながらも以下の重賞馬を輩出している。
ミライヘノツバサ
初年度産駒、母タムロブライトは阪神JFを制し繁殖入りするも僅か3頭を産んで死亡したタムロチェリーの仔。
セレクトセールでは馬主は目星をつけていた馬を落札できず、偶然目に留まった馬を「幾らで持っていかれるか見よう」と面白半分で入札したところ1000万円で落札、そのままオーナーになった。
3歳未勝利で勝ちあがり条件戦を経て皐月賞に挑むも惨敗、その後は菊花賞を挟みながら条件戦を勝ち上がりOP入りするも重賞で好走こそ見せるも勝利することはなかった。
更には屈腱炎を発症し1年半もの長期離脱を余儀なくされてしまい、復帰するも足元不安もあり勝ちに恵まれなかった。
2020年になり流石に限界と見て調教師がJRAに相談し引退後は馬事公苑に就職が決まり、馬主も「もう1回使い10着以下に負けるようなら即、馬事公苑に引き取ってもらう」
という条件で白富士Sに出走したところ勝ち馬と0.6秒差の好走だったこともあり現役続行。次走はダイヤモンドステークス(GⅢ・東京芝3400m)を選択。
賞金順で除外の可能性も危ぶまれたが無事出走、大外スタートとなったが中団に着けてレースを進め、メイショウテンゲンとの叩き合いをハナ差で制した。
管理していた伊藤大士調教師にとって管理馬初の重賞制覇、ドリームジャーニーにとって産駒初中央重賞制覇、青森県産馬によるJRA重賞制覇は2008年ローズSのマイネレーツェル以来12年振り。
さらに単勝オッズは最低人気の
325.5倍、重賞での単勝高配当記録としては
1989年エリザベス女王杯のサンドピアリス(430.6倍)、1998年日経賞の
テンジンショウグン(355.7倍)に次ぐ当時では史上3番目の高配当となった。
その後天皇賞(春)や目黒記念に出走するも惨敗、更に屈腱炎を再発したことで引退が決定、予定通り東京競馬場で誘導馬となった。
ヴェルトライゼンデ
2017年産産駒。馬名は
ドイツ語で「世界旅行者」。「黄金旅程」→「夢のような旅路」→「世界旅行者」と3世代に渡って旅にまつわる命名である。
半兄に菊花賞馬ワールドプレミアがいる。
新馬戦・OP戦を制するもその後はGⅠ・GⅡなどで好走止まり、更に屈腱炎で1年4ヶ月にも及ぶ休養を余儀なくされた。
復帰戦となった鳴尾記念(GⅢ・中京芝2000m)では休養明けながらも2番人気に推され、
ジェンティルドンナの娘ジェラルディーナらとの接戦を制し勝利。
平地重賞では歴代一位・障害も入れると歴代二位となる前走から中495日での勝ちとなった。
次走オールカマーではジェラルディーナに敗れ7着、更にジャパンカップに出走し敗れるも3着の好走を見せた。
2023年は日経新春杯を選択、実績から斤量がトップハンデである59kgになるも見事勝利をおさめ重賞2勝目。
斤量59kgでの勝利は2011年に行われた京都大賞典で勝利したローズキングダム以来11年3カ月ぶりとなった。
その後の大阪杯では9着に敗れ、両前脚浅屈腱炎が判明して9か月間の長期休養を余儀なくされた。
2024年にエプソムカップで復帰するも9着。秋は毎日王冠を目指す予定だったが右前脚の膝裏に熱感が生じたため回避。
2025年初めの日経新春杯で復帰するも10着。その後の放牧先で左前屈腱炎が判明して協議の末に引退。
ノーザンホースパークで乗馬になる予定だったが、ドリームジャーニー後継種牡馬としての価値を図るため急遽サラブレッドオークションに上場。
ヴェルトライゼンデの命名者でもあった一口の出資者に760万円(税別)で落札され、今年度中は九州で種牡馬として活動、翌年北海道に移動して活動という計画が練られていた。
…が、種牡馬としての準備中だった3月29日、馬房内で転倒し大腿骨を骨折。予後不良と診断され安楽死処置、8歳没。
血統自体は下記のスルーセブンシーズなどの牝馬で繋いでくれる可能性はあるものの、現状直系唯一の後継種牡馬がデビュー前に没してしまい直系の存続は絶望的になってしまった。
スルーセブンシーズ
2018年産駒。馬名は父及び母の名パッシングスルーから連想し、世界中での活躍を願った「七つの海を越えて」。母は通算4勝、母父
クロフネと言う血統。
3歳時は紫苑Sの2着があるもののオークス、秋華賞ではそれぞれ9着、11着。4歳時は体質の弱さから3戦しか使えず未勝利と伸び悩み。
しかし5歳初戦の初富士Sを勝利しOP入りすると、続く中山牝馬Sを上がり最速33.8で差し切って重賞初勝利。
すると陣営は
何を思ったか凱旋門賞に一次登録。さすがにこの実績では無謀、と思われたものの、続く宝塚記念では父と同じ鞍上の池添謙一に乗り替わると、
後方待機からの直線勝負で
これまた上がり最速でイクイノックスをクビ差まで追い詰める大健闘の2着。
一気に日本でも上位の実力を証明した形となり、凱旋門賞へ向かえるだけの権利を手にしたと言える。
そして迎えた
凱旋門賞はルメール騎手が鞍上を務め、前年とは打って変わって晴天に恵まれた。
1番人気のエースインパクト共々後方に控え最終直線で馬群を縫って追い込むも4着入線。
敗れたものの日本馬の掲示板入線はオルフェーヴル・キズナがそれぞれ2着・4着だった2013年以来。
今年初めまで条件戦を戦っていた牝馬がGⅠ未勝利にもかかわらず、今まで凱旋門賞に挑んだ牝馬で初の掲示板入りという大健闘を見せた。
その後、有馬記念では3番人気に推されたものの、外枠が響いたのか特に見せ場無しの12着。その後骨折が判明し、そのまま引退・繁殖入りすることになった。
一方全弟のオルフェーヴルは初年度から重賞馬だけでなくGⅠを4勝したラッキーライラック、皐月賞を制したエポカドーロ、
日本馬として初めて
海外ダートGⅠを制したマルシュロレーヌと数々の名馬を輩出している。
彼は成績だけを見ればGⅠを3勝した名馬だがそれだけではない。数多くの名馬が屈した
59kgのハンデにその
小さな馬体で立ち向かった勇敢な姿が印象的だった。
成績以上にファンの記憶に残る
ロマン溢れる名馬だったのである。
また、2011年に彼の全弟であるオルフェーヴルが
三冠馬になったことを筆頭に、その後もステイゴールド産駒は数々の栄誉を手にすることになる。
この栄光を手にできた一因が、ドリームジャーニーが父の種牡馬としての可能性を最初に世に知らしめ、その夢を他の産駒に繋いだことだったのは間違いない。
同時に、競走馬としては振るわなかった母オリエンタルアートが繁殖牝馬として注目されるきっかけとなり、彼女の運命を大きく変えた。
産駒のGⅠ制覇数はドリームジャーニー3勝・オルフェーヴル6勝の計9勝。これはダイワメジャー5勝・ダイワスカーレット4勝を輩出したスカーレットブーケに並ぶ最多記録である。
自身の活躍以上に陰から日本競馬の歴史を切り拓いた、まさに“
夢の旅路”といえよう。
なお父は2015年2月5日に他界したが、相性の良かった母も僅かその1か月後の3月7日に後を追うかのように亡くなっている。
余談だがステゴ産駒の例に漏れず酷い気性難であり、相棒の池添騎手曰く「他の馬と違って牧場に行っても命の危険があるという理由で会う事が出来ない」
「他の馬は(馬視点では)あくまで戯れてるだけなのに対し、ドリームジャーニーは本気で殺しに来る」とのこと。2023年には夢の?写真撮影に成功しSNSに発信している(ファンいわく「和解」)。
オルフェーヴルが厩舎入りした際は「あのドリームジャーニーの全弟」としてスタッフに恐れられたらしい。
馬付き合いは出来るのだが芦毛の馬だけは嫌いで、特にクロフネに対しては激しく威嚇したという逸話がある。クロフネは面倒見が良く、他の馬達から慕われていたのだが。
「ステマ配合は能力はともかく、気性面では期待できない。何故なら第一弾がドリームジャーニーだから」とか言われる事も。ひどい。
そしてオルフェもゴルシもドリジャよりはマシと関係者やファンは口を揃えて言う。現役中は兄貴みたいに放馬や逸走はしなかったぞ!
フィクション作品への登場
内輪での気性はともかく親父や弟と違って見て分かるレベルのやらかしが然程無かったせいか日々奮闘し父に褒められたいと願う普通の馬として登場。
初登場した神戸新聞杯編では出走権を
亡き父と同じ菊花を手にするため求めるホクトスルタンの花壇から、
賞金的に出なくても出走行けるのにアサクサキングス・ヴィクトリーと共に菊花の苗を掻っ攫ったが、
翌年低迷から父ステイゴールドが仕切る『ブロコレ倶楽部』入りを一時求めるようになるも父から拒否され、倶楽部メンバーヴィータローザから親心を諭され小倉記念を制し
ヴィータローザがステイゴールドに4着を責められた。
しかし2008年天皇賞(秋)では背景、念願の栄光となる宝塚記念は自分より勝利後父がディープスカイに倶楽部会員の素養を見出しての交渉が話の主となり、
2010年には再び勝ちから遠ざかったせいで、ナカヤマフェスタの凱旋門賞2着を憂う父から今更のように倶楽部入りを勧められ全力で拒否する事に…。
その後2011年宝塚記念でも自分が負けた後やけ酒を飲む父から逃げ出したが、引退時のセレモニーでは自身の苦難と栄光の旅路を振り返り種牡馬としての活躍を誓い
繁殖のライバルとなる親父に金の延べ棒でどつかれつつ、神戸新聞杯前の弟オルフェーヴルから教えを請われレッスンを施した。
ちなみに種牡馬入り後、引退直後にブロコレ倶楽部入りを誘われたルーラーシップと同じ馬(ヴィーヴァヴォドカ)と交配した馬繋がりで遭遇し
ヴィーヴァから2頭揃って「イマイ血」の系譜扱いされた際、倶楽部入りを考えていた過去の自分を振り切り孤高の道を行く事を誓っている。
全弟オルフェーヴルが先んじてウマ娘で登場して、全兄のドリームジャーニーもいつかは来るのだろうかと噂されていたが、2024年6月24日にブエナビスタらと共に実装を告知され、その僅か2日後に、ゲーム版でピックアップガチャが開催された。
身長が144cmと非常に小柄であることや、先に実装されていたオルフェーヴルの姉であること、勝負服がサンデーレーシング同様赤黒黄を基調としていることなど、やはり史実に沿った設定が多く見られた。
その一方で、性格は思慮深く、言葉遣いも常に丁寧で、周囲からは優しい優等生と評されることが多い。また、家族を何よりも大切にしており、特にオルフェーヴルのことは自慢の妹として溺愛している。
これだけを聞くと、凶暴そのものだった実馬とあまりにもかけ離れた人格者のウマ娘のように思えるが...。
追記・修正はロマンを感じながらお願いします。
- ドリームジャーニーが勝った09年の有馬記念って競馬に勝って勝負に負けた印象が強いんだよな。(先行馬不利のハイペースの中で先行して2着に喰らいついたブエナビスタの方が競馬には負けたけれど勝負には勝ったと称賛されていたし。) -- 名無しさん (2015-01-03 02:00:41)
- 親父の評価を上げただけじゃなく、放出寸前だった母の運命も変えた。マジの孝行息子なのよな -- 名無しさん (2021-07-10 23:39:58)
- ↑「よりによって全弟があのオルフェーヴル」という点が何かと印象に残ってしまうけれど“道を切り拓く者”、“さきがけとなる者”というまた異なる偉業を果たした者でもあったのか -- 名無しさん (2021-07-10 23:47:00)
- 有馬での「夢への旅路だ!」って実況好き -- 名無しさん (2021-12-13 13:23:45)
- 86年以降、有馬で勝った馬で一番軽いのがドリジャニ(426kg)、最重量がキタサン(540kg)らしい -- 名無しさん (2022-02-24 12:16:08)
- エピファネイアがウェイついて絡んできてブチギレた時は牧場スタッフ真っ青になってたそうで -- 名無しさん (2022-05-16 03:25:51)
- 産駒のヴェルトライゼンデが鳴尾記念(G3)勝利 -- 名無しさん (2022-06-04 23:15:11)
- 親父は普通競走馬は引退してるような歳になってからようやく大舞台で勝ち出した超晩成型だったのに、産駒初G1馬のドリジャは2歳G1馬とかほんとなんなのこの一族…… -- 名無しさん (2022-08-20 20:13:10)
- しかも5歳でグランプリ連覇という、早熟なのか晩成なのか -- 名無しさん (2022-10-08 18:46:17)
- 日経新春杯にて、産駒のヴェルトライゼンデが59kgを物ともせず勝利 -- 名無しさん (2023-01-15 19:37:46)
- ◯しに来たりと池添クリニックでも札付きなイメージがあるんだが、スルーセブンシーズで勝てずに相当数悔しがってるあたり、思い入れもあるんだろうなと改めて感じた次第 -- 名無しさん (2023-07-09 11:57:44)
- ウオッカと同期で何なら何度か対戦歴があることは忘れ去られがち -- 名無しさん (2023-07-17 16:09:58)
- ↑2 そもそもオルフェですらドリジャ乗ってたから乗りたがって(と言うかナチュラルに俺が乗ると断言して)たんだし -- 名無しさん (2024-02-03 23:19:22)
- ウマ娘で実装決定したけど、ウマ娘世界で斤量とかあるんだろうか -- 名無しさん (2024-06-25 05:50:25)
- ↑その辺はぼかされている -- 名無しさん (2024-06-26 17:35:58)
- ウマ娘項目立てた場合、この項目も「ドリームジャーニー(競走馬)」にした方が良いのかな -- 名無しさん (2024-06-26 21:46:33)
- ↑オルフェとキンカメはついてないしそのままでいいんじゃないだろうか。リンクの貼り替えちょっとめんどくさいし -- 名無しさん (2024-06-27 17:53:18)
- ↑個人的にはオルフェーヴルはともかくキングカメハメハの項目には(競走馬)を付けろよって思うけどね。キングカメハメハはあくまでハワイ王国の初代国王の名前であって馬の方はその名前を勝手に使ってるだけだろ -- 名無しさん (2024-06-28 00:25:27)
- ↑2 他の競走馬と合わせるためにも面倒臭がらずにカッコを付けた方がいいと思うのだけどな。現状ついてないのは5頭だけだし。 -- 名無しさん (2024-06-28 00:55:24)
- ↑4(競走馬)を付けた方が良いのは間違いないのでやってくれるならありがたい -- 名無しさん (2024-06-28 08:15:48)
- 項目名に(競走馬)を付けることを提案します -- 名無しさん (2024-06-29 07:56:41)
最終更新:2025年03月31日 08:20