フッド(巡洋戦艦)

登録日:2014/03/23 Sun 19:13:13
更新日:2023/10/17 Tue 14:14:50
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フッドとは、イギリス海軍が誇る最強の巡洋戦艦だった艦。国民より贈られたアダ名はマイティ・フッド(偉大なるフッド)。
軍艦美の極致とさえ形容された優美な外観と、建造当時世界最大の排水量・最強クラスの主砲・最速級の脚を持ったアダ名に劣らぬ名艦である。
艦名はイギリス海軍伝説の提督サミュエル・フッド子爵から。

性能諸元

全長:262.3m
全幅:28.9m→32m
排水量:41175t→42750t
速力:31ノット(常用)、32.07ノット(公試時)
兵装(1941年)
  • MarkⅠ38.1センチ(15インチ)連装砲塔4基
  • 4㎝8連装ポンポン砲3基
  • 10.2㎝連装高角砲7基
  • 17.8㎝20連装ロケット砲5基
  • 12.7㎜連装機銃4基
  • 53.3㎝単装水上魚雷発射管4門
  • 279型対空レーダー、284型射撃指揮レーダー

建造経緯

イギリス海軍が誇る、快速・重武装・軽装甲を持つ英国式巡洋戦艦はインヴィンシブル級を皮切りにライオン級など多数が建造され、
日本にも金剛型巡洋戦艦として1番艦金剛が輸出、姉妹艦3隻が日本国内で建造されるベストセラーであった。
第一次大戦でもグランドフリートの主力として多数が活躍したが、グランドフリートとタメを張れる大艦隊「大洋艦隊」を作り上げたドイツ海軍は、
大戦中も新鋭巡洋戦艦マッケンゼン級の建造を進めており、更にそのマッケンゼン級の拡張型で、
英巡洋戦艦では建造中のレナウン級しか搭載していない38.1センチ(15インチ)砲を装備した、強大な巡洋戦艦「ヨルク代艦級」を計画中という情報を得る。
これではいけないと、英国は新たな巡洋戦艦アドミラル級を計画した。このアドミラル級は、その名の通り歴代の名提督から名前を頂くことになっていた。
そのアドミラル級の栄誉ある一番艦、それこそがフッドであった。

15インチ砲装備・常備排水量約36000t・速力32ノットという当時としては間違いなく世界最強スペックを備える艦として計画がまとまり、1916年4月に発注が行われた。
この時、装甲は一世代前のレナウン級の焼き直し程度であり、防御力は全く重視されていなかった。
ところがどっこい、発注が行われた一ヶ月後に起こったユトランド沖海戦で英国式巡洋戦艦は打たれ弱すぎることが発覚してしまう。
さすがに主砲弾が2発命中しただけで轟沈するような軽装甲はアカン!と計画は早くも変更を余儀なくされた。
その結果、常備排水量は5000t程度増えて約41000tとなり、当時世界一の大戦艦となった。
ちなみに、後に建造された41センチ(16インチ)砲を備えたビッグセブンことネルソン級は常備38000t、長門型が33800t、コロラド級が32800tである。
作られなかった艦になるが、八八艦隊案で計画された巡洋戦艦天城型が41200tの予定、同時期にダニエルズ・プランで計画されたレキシントン級で43500tとフッドをわずかに上回る程度であった。(後に天城型、レキシントン級共に空母改装される)
フッドが当時としてどれだけ化け物めいた存在かがお分かりいただけるであろう。

しかし、建造中に仮想敵だったヨルク代艦級がドイツの懐事情の悪化で建造キャンセルになったという情報が入るとイギリスも懐事情はドイツほど深刻ではないにしろ悪化していた事もあり
アドミラル級はすでに建造が始まっていた一番艦のフッド以外キャンセルになってしまう。これが後の悲劇の布石となった。
そして大戦の影響で工員や資材も逼迫してしまい、進水式が行われたのが1918年8月、竣工はそれから2年近く経った1920年3月にまでずれ込んだ。

モタモタしている間に軍縮の時代に突入しており、1921年のワシントン海軍軍縮条約で戦艦は一部の例外を除き35000t以下かつ規定の枠内の排水量制限内での保有・更新が求められる時代になった。
フッドはギリギリ間に合ったこともあり保有が認められた。よかったよかった。

日本「じゃあ会議開催前に完成した陸奥もセーフだろ!!いい加減にしろ!!」
イギリス「明らかに完成してないし、アウトだな!(無慈悲)」
アメリカ「そうだよ(便乗)」
日本「冗談はよしてくれ(タメ口)」
イギリス「あ、じゃあ日本さぁ、俺らとアメリカも特例枠で16インチ艦作らせろよ」
日本「なんでそんな横暴認めなきゃいけないんですか(半ギレ)」
イギリス「じゃあ陸奥壊せオラァ!お前が二隻持ってて俺が持てないっておかしいだろお前それよぉ!?」
日本「」
アメリカ「じゃけん16インチ砲艦建造枠もらいましょうね~」
イギリス「お、そうだな」
日本「排水量制限は守ってください…(小声)」

こんなこともあり、フッドは海軍休日が明けるまで世界最大の戦艦であった。
フッドを排水量で越える艦は海軍休日明けとなった1940年、ドイツ海軍が造り上げた大西洋域最大の戦艦ビスマルクまで出現しなかった。

就役後

就役後は国民のアイドルとしても親しまれるなど、名実ともに世界最強の大戦艦として海軍の中核を担った。
ポストユトランド戦艦で重視された耐弾性の面で不安が残り、火力こそ16インチ砲艦にやや劣るが、スピードは圧倒的で
本当に装甲以外ほとんどの要素がハイレベルで纏まった世界最強クラスの戦艦と言えるものであった。
そして、何よりも軍艦美の極致と言わしめた優美なスタイルは、皆を虜にしてしまうものであった。
その優秀さが逆に災いしたか、改装は常に後回しにされた。さらにたった一隻のアドミラル級でしかも中核戦力だったので、
迂闊に戦列から離れられない≒長期のドック入りが出来ないという事態にもなった。
長期のドック入りが出来ないということはつまり、新たな戦訓を得ても大幅な改装で対応することが出来ないということである。

金剛型が艦齢30を越えても最前線で戦えたのは二度に渡る大改装で近代化した賜物だし、アメリカも真珠湾攻撃で着底した戦艦をレーダー山盛りにして大日本帝国に絶望を与えている事を考えれば、戦訓から現実に即した改装を受けられないことが致命的かわかるであろう。
日本海軍が内部からも「わざわざ不利な条件飲んでまで陸奥を生かしてなんとする」と言われるほどに陸奥に拘泥したのは戦隊構成の問題もあるが
長門か陸奥が何らかの理由で長くドック入りせざるを得ない時の交代要員を持ちたかったという理由が大きい。
長門もたった一隻の大戦艦だったなら、史実通りきっちり近代化改装して戦いに臨めただろうか…。

防御力はユトランド沖海戦前設計の巡洋戦艦故の薄さが不安、機関も竣工から10年が立ち速力を維持するなら交換が必須。
さりとて長期のドック入り改装は出来ない…そんなジレンマを抱えたまま、小幅な武装更新こそしたものの、やや旧式化し、機関も不調な状態で第二次大戦に臨むことになった。

第二次大戦

イギリスがナチに甘く当たったばかりに起こった第二次大戦では、本国巡洋戦艦戦隊の一員として参戦。
ドイツ海軍通商破壊部隊の仮装巡洋艦(客船や貨物船に化けた軍艦)狩りや、アイスランド・フェロー諸島など北方海域の監視に当たった。
1939年9月、損傷した味方潜水艦スピアフィッシュの救出のため北海中央部に進出した際にドイツ空軍に発見・空襲され、250kg爆弾を喰らい復水器とバルジを損傷するダメージを受けたが無事帰投した。

1940年に入ると、復水器の損傷や老朽化が祟り自慢の快足は完全に衰え26.5ノットがせいぜいになってしまうなど改装を施す事が出来なかったつけが回って来た。
そこで4月より2ヶ月に渡り修理が施される。その修理が明けた後にはイタリアの宣戦布告を受け編成された地中海進出部隊「H部隊」の旗艦として出撃。
英領ジブラルタルを根拠に、地中海のイタリア艦隊・あっという間に降伏したフランスの地中海艦隊に睨みを効かせる役目を担った。

7月にはフランスの降伏で、ドイツ海軍の根拠地となる危険のあった仏領アルジェリアの軍港・メルセルケビールに戦艦ヴァリアント・レゾリューション、空母アークロイヤル以下13隻を伴い出撃。
降伏及び連合国への編入を求めたが、本国がドイツの支配下にあるため迂闊に降伏は出来ないフランスが言葉を濁して対応すると、利用されるくらいなら破壊すると言わんばかりに猛攻を仕掛ける。
この攻撃でダンケルク・プロヴァンスは中破しやむを得ず座礁を選択、ブルターニュを撃沈するなどメルセルケビール駐留のフランス海軍は大ダメージを受ける。戦術的には成功であった。
ネルソン級で失敗したコンセプトを完璧な形で実現したダンケルク級をボコれて溜飲も下がったことであろう。

しかし戦略的には戦艦ストラスブールの足止めに失敗しメルセルケビールから出港され大西洋に逃げられてしまい、ダンケルクとプロヴァンスも座礁後修理を施されて結局ドイツ海軍に編入…こそされなかったが、自軍戦力とすることは叶わなかった。
元々イギリスに好感をそこまで強く持っていなかったフランス国民はこの行動に反感を抱き、世論がやや枢軸寄りになるなど大失敗に終わってしまった。

その後1941年3月にドック入りし、再び機関の修理とレーダー類の装備を行う。
そして5月、前年の秋に出来上がっていたが慣熟訓練の未了及び冬のせいでバルト海に閉じ込められていた大西洋最大の戦艦・ナチスドイツ海軍最大戦力ビスマルク
訓練を終えてスカンジナビアに移動、通商破壊戦に出撃したという情報をキャッチする。
そこで海軍はフッド、未だ公試すら終わっておらず未完成で訓練も不十分であったが14インチ4連装主砲を装備し装甲もガチガチの新鋭戦艦・プリンスオブウェールズ(以下PoWと表記)をスカパ・フローより出撃させ、ビスマルクに当たらせることにした。
きちんと改装できないままエースを張っているマイティ・フッドと、未だ未完成で工員を乗せて作業させながら戦場に駆り出された首相のお気に入りの新鋭戦艦。なんともなコンビで追討に向かうことになった。

5月24日、フッドとPoWは通商破壊作戦に打って出るべく北回りで大西洋航路に向かう戦艦ビスマルクと重巡洋艦プリンツ・オイゲンをデンマーク海峡(グリーンランド・アイスランド間)で捕捉。追跡に入ったのだが
21日から触接を保ちビスマルクの位置を捕捉していた重巡洋艦サフォーク・ノーフォークとの連携を上手く取れないまま、夜明け頃に戦闘に突入。
フッドの水平防御力(甲板の防御力)の弱さを熟知していた艦長はまず距離を詰めに行ったが、
その間PoWと合わせて18門の主砲の内、10門しかドイツ艦隊に向けられず、フッドは夜明け頃ということも手伝い、しばらくプリンツ・オイゲンをビスマルクと誤認して狙うという状態にあった。
これは重巡洋艦1戦艦1と数の上では不利だったドイツ艦隊にとっては天恵。意図的にシルエットを似せたことが実際に役立った瞬間であった。
しかもPoWはこんな時にポンk…ゲフンゲフン自慢の14インチ4連装主砲が故障する有り様であった。事態はドイツ艦隊に有利に有利に進む。
しかし最初に命中弾を記録したのはPoW。ビスマルクの前部燃料タンクにダメージを与え、油膜を海面に晒させ、僅かに速力を奪った。
しかしドイツ艦隊はフッドに的を絞って応射。フッドは上部構造物にダメージを受けるなど徐々に不利になっていく。

そして、フッドの艦長の要請を受けてPoWがドイツ艦隊に全砲門を向けるべく回頭を始めた1941年5月24日午前6時頃。ビスマルクが放った五回目の斉射が不運にもフッドを完璧に捉え、砲弾が急角度で甲板をぶち抜いた。
この一撃で弾薬庫に致命的なダメージを受けたフッドは大きな火柱を上げ爆発。そのまま轟沈した。
乗員1419名の内1416名が犠牲となる凄絶な散り方であった。
1939年には大規模な改装計画が認可されており、時勢が許しさえすれば装甲や機関の改装を受けられたはずだったのだが、
英国海軍の看板を背負って立つ最高の戦艦に、この急変する時勢のなかでゆっくり改装する時間はなかった。改装さえしていたなら…

没後の影響

フッドの凄絶な最期の後PoWに矛先が向き、艦橋など司令部に大ダメージを負い、主砲の不調にも悩まされ撤退。デンマーク海峡での遭遇戦は英国海軍の惨敗に終わった。
英国の誇り・フッドを沈められ新鋭艦PoWも傷物にされた英国海軍はブチ切れ、大西洋ですぐ動員できる戦艦7空母2など総勢47隻をプリンツ・オイゲンと別れ単独行動に入ったビスマルクたった一隻のために動員。
5月27日、空母アークロイヤル(H部隊の同僚)や戦艦キングジョージ5世(PoWの姉)、いらん子扱いされていたネルソン級二番艦ロドネーらの猛攻でビスマルクを撃沈せしめ、フッドの仇を討ったのであった。
日本で言ったら長門を沈め、武蔵にも傷を負わせた手負いのアイオワ追討に大和金剛型伊勢型加賀赤城、他水雷戦隊の精鋭を投入して追いかけ回すみたいなもんである。
フッドという艦、そしてその艦をワンパンで沈めたビスマルクには、英国海軍にそこまでさせるほどに脅威や付加価値があったということである。
なお、この全力出撃を行った結果英国海軍の余力は一時的に尽きてしまった。

しかし、チャーチルはビスマルクの同型艦ティルピッツを必要以上に恐れるなどフッドの喪失は一隻の戦艦喪失という事象に留まらない影響を与えた。
チャーチルはビビったが英国海軍は激おこぷんぷん丸で、ビスマルク撃沈後もドイツ海軍を見つけては地獄の果てまで追い回し撃破しまくり、輸送船の護衛に戦艦を付ける必要がなくなるレベルにまで殲滅してみせたのであった。
そして、ビスマルクはフッド撃沈の戦果をもって、一年も活動していないのに過大とも言える名声を得る事となったのである。

ちなみに最後の僚艦となったPoWは修理を行い、完了後に東南アジア進出を開始した日本の行動を牽制するべく、レパルスと共に東南アジア方面に送り込まれる。
いつもは二線級どころかオンボロ巡洋艦くらいしかいない極東方面に主力艦が二隻、さらに最新鋭艦が配備されたという事実は、帝国海軍にイギリスの本気を知らしめるに十分すぎるものであった。
…しかし、空母インドミタブル、ハーミーズの配備が間に合わず、東洋艦隊に航空機もろくに支給されていなかったので
エアカバーもろくにないまま帝国海軍航空隊の猛攻を雨あられと受けレパルス諸共にマレー沖に没し、チャーチルはまた青ざめた。
枢軸国にボコボコにされてチャーチルの顔を青くさせるという、奇しくもフッドのような最期を遂げたのであった…
なお、デンマーク海峡海戦でのダメージは完全に修復はできていなかったという。
ちゃんと完成させた上で就役させりゃ、史実のようにボコボコにされ通しということはなかっただろうに…





追記・修正は早めに近代化改修をしてからお願いします。

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最終更新:2023年10月17日 14:14