荊州四郡攻略編架空武将(三国志)

登録日:2018/05/30 Wed 18:09:14
更新日:2024/04/15 Mon 14:08:03
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この記事では三国志演義に登場する架空武将達の中から、荊州四郡攻略編で登場する架空武将たちをピックアップし記述する。
架空武将、人物自体は演義全体を通して多数存在するものの荊州編の架空武将は
  • やたらと設定が豪華
  • その割に目立った活躍無しでアッサリ負ける
  • その後の展開に全く関与しない
という噛ませ犬にふさわしい存在である。

◇そもそも荊州四郡攻略って何?

注)この記述には誇張や表現の変更が含まれております。

三国志の発端まで語ると(そもそもこの段階ではまだ「三国」志ではない)凄い長くなるので省略させてもらうとして…

華北にて袁紹愉快なバカ息子達滅茶苦茶苦労しながらも駆逐し最大勢力となった曹操
曹操「次は荊州を頂くぜ!!!」
孔融「時期尚早にございます。というか官渡の時「正直しんどい、僕帰っていい?」とか袁譚との戦いで「あいつ強すぎ、一旦出直そうかな…」と弱音を吐く程苦戦したのをお忘れですか?」
曹操「俺を侮辱したな死刑! 者ども俺に続け~!!!」
と荊州へ軍を差し向けた。

一方の荊州の支配者たちはというと中原の覇者曹操が攻めてくると聞いて大慌て。
しかも折悪く荊州のドンであった劉表が病死、そんな状況で後を継いだ劉琮は曹操にかないっこないと降伏した。
劉表の元に身を寄せていた劉備と愉快な仲間たちは↑が爆速で降伏したため
劉備「曹操軍だ、逃げろ~!」
と逃げるので精一杯の有様だった(長坂の戦い)。

余りのあっけなさに勢いに乗っちゃった曹操は「何だよ、呆気ねえなぁ~。折角だから呉も戴いちゃお~っと!!!」と考え、当時呉の当主になったばかりの孫権に
曹操「あ~孫権?俺曹操、今度俺の大軍勢をお前ん所に送る予定だから返答ヨロ(笑)」
と?暗に「俺様の舎弟になりな。」的手紙を送った。


この事態に当然の如く呉の内部は大荒れし、
程普「曹操め、舐めた真似しやがって!!! お頭、殺っちまいましょうぜ!!!」
という主戦派と
張昭「冷静に考えてください、こちらはせいぜい10万ほど、相手は30万を優に越す大軍。勝ち目はありません!」
降伏派に分かれ揉めに揉めていた。

そこに荊州からトンズラこいてた劉備の配下諸葛亮がやって来て孫権に対して、
諸葛亮「とっとと降伏すればぁ?というかモタモタしてたら曹操の奴キレて皆殺しになるかもよ~? ま、俺んとこの頭はお前と格が違うから例え死ぬと解っても降伏なんてヤワな真似はしねえけどな!」
と挑発した。
この言葉と周瑜魯粛
周瑜「大軍勢?あんなの寄せ集めのはったりに決まってんじゃん(笑) いざとなったら自分一人でも追い返してやるさ!」
魯粛「あんたんとこ…身一つで成り上がった所帯だから、降伏したら生活保護頼みで生きるホームレスになっちまうぜ…それでいいのかい?」
といった発言を受けた孫権は机をたたき切り
孫権「よし、戦おう!!! 今後俺に降伏を呼びかける奴はこの机と同じ運命になると思え!」
と開戦した(赤壁の戦い)。

その後なんやかんやして曹操は丸焼けになり、本拠に逃げ戻る事となり当時占領が完了していなかった荊州をほぼ放棄する羽目になった。

こうして空白地になった荊州を見た劉備は
劉備「へっへっへ~棚ぼた棚ぼた。今のうちに荊州を貰っちゃうぜ~!!!」
と荊州に進軍する。
その後劉備は荊州の太守達を蹴散らし荊州を手に入れるのであった。


と言うのが正史と演義とゲームが中途半端に混じり合った現在でのテンプレートである。

現代の日本で三国志をかじった方なら「荊州四英傑」、劉度・趙範・金旋・韓玄の名を知っている方もそれなりにいると思う。こいつらが英傑かどうかは首をかしげるかもしれないが…
彼らは正史においてはほとんど記述がないものの、韓玄については曹操が荊州を制圧した際に黄忠など旧劉表軍の武将を「長沙太守韓玄の統制下においた」とある。
金旋にも中央から派遣された記述が存在しており、時期的にこの中央とは恐らくは曹操の息が掛かったものだろう。

要するに派遣された曹操配下が旧劉表軍を纏めて治めていたが、曹操軍の本拠地から遠い荊州南部にいた彼らは赤壁で大敗した影響で援軍を受けられなくなり孤立した。
劉備軍はこの間隙を突いて彼らの掃討を行い、結果として全て投降した。
単なる一太守ではこの状態でどうこうできるはずもなく、正史で彼らの記述が少ないのはあっさり終わったからだと思われる。


◇何で架空武将が必要なのさ?

正史としては大体上記の通りだが、三国志演義というのは史実も絡めたエンターテイメント要素も含む作品である。
そして荊州という要衝の攻略が
「劉備が荊州に進軍しました。荊州4群を劉備軍があっさり蹴散らして荊州をゲットしました。おわり」
では物語的につまらないし、話を盛る余地はあると作者羅貫中は目を付けたのか、オリジナルキャラクターを多数登場させて話を大幅に延長したのである。

荊南太守達はやられ役…もとい軍勢として引き立てられ、部下には勇猛さで名を轟かせたという設定の武将が配置され、劉備軍の人気武将に活躍の機会を与えることとなった。
分かり易く言うと原作ではあっさり終わった話にいい感じのアニメオリジナルエピソードを加えてもっと盛り上げよう的な物である。

そして更にこれに目をつけたのが光栄であり、ゲーム『三國志』シリーズにおいて各太守を独立勢力として登場させたのである。
当然ながら正史でも大した活躍は無い上に演義の彼らはやられ役なので、大抵の作品での能力がクソザコ扱いになっている。
だがそれがかえってコアな人気を得ると共に「孫権軍が曹操軍と戦っている間に劉備軍は弱小勢力を潰して領地を得た」という、正史とも演義とも微妙に異なるイメージが定着することとなった。


この記事はそんなやられ役として生を受けた彼らについて説明する項目である。



◇架空武将&太守紹介

注)現在の名前表記は吉川英治三国志の物を使用しています。

零陵


劉度
太守。
影が薄いというか、さっさと降参するつもりだったのにケイ道栄なら勝てる!!と息子が騒ぐので戦っただけ。
ケイ道栄が倒されるとやっぱりさっさと降参してそのまま太守を続行しつつフェードアウト。
多分一番まとも。

劉延
「関羽、張飛などの名がものものしく鳴り響いていますが、わが家中にも、邢道栄があるではありませんか」
作品によっては名前が劉賢と表記される。
零陵太守、劉度の息子…だが実は架空の人物である
降伏しようとする父劉度を押しとどめ邢道栄と共に劉備軍を迎え撃つが…
なお、白馬の戦いで関羽に助けられ、演義では関羽の千里行の際にその恩に報いるため関羽を助けた東郡太守の劉延とはおそらく別人。
詳しくは邢道栄の項目参照。

邢道栄
「反国の賊、流離の暴軍、なにゆえ、わが境を侵すか」
重さ六十斤の鉞を自由に使いこなし、武芸は古の廉頗、李牧*1に優れるとも劣らない豪勇の士。そして横山三国志でとある名シーンを生み出す事にもなる
詳しくは当項目参照。





桂陽

趙範
太守。出身地から趙雲と遠い親戚扱い。
勝手に戦い始めた部下たちを止められず、敗れるや降参…したまではよかったが、兄嫁を趙雲に嫁がせようとして趙雲に蹴飛ばされた。
怒って下の二人に趙雲の暗殺をさせようとするがやっぱり失敗。
殺されてはいないし、劉備も趙雲に「いい話だから断らなくてもいいのに」と取りなしたりしてるので、まだ扱いとしてはマシな方。
なお正史では後にトンズラした。*2

陳応
「趙雲と、この陳応と、いずれかが真の勇者であるか、とくと見届けてから降参しても遅くはありますまい」
飛叉と言う飛び道具を使いこなす力は山を抜く程の猛者で趙雲と戦った。

…だが数十合の打ち合いで逃げ出し、飛叉を投げつけるも片手で受け止められて投げ返され、落馬してアッサリ捕らえられる。
この時は「戦いは相手を見てやるものだ。」と諭されて降伏する様に勧告しろと返された。
その後趙範が趙雲との交渉で失敗した際に、騙し討ちを試みるも酔い潰された所を斬首された。

ちなみに最初に趙雲と数十合も打ち合っているが、演義準拠の趙雲相手の場合本当に取るに足らない雑魚ならば一合どころか一突きで殺されるのがザラである。
なら数十合打ち合った陳応は強いのかと言えばそうではなく、この戦いは荊州太守達を降伏させる戦いである事から、趙雲は初めから倒す事を考えておらず数十合の打ち合いは力量差を知らしめる舐めプだったと思われる。

尚、横山三国志では飛叉すら使わせてもらえませんでした

鮑龍
「かいなきことを宣うな、藩中に人なきものならいざしらず」
虎を手捕りにする猛者。作品によっては鮑隆とも。
陳応と共に徹底抗戦を主張し、後に陳応と共に趙雲に騙し討ちを敢行するも陳応と同様に酔い潰されて首を斬られた。

武陵

金旋
太守。降参しようとして部下に押された…なんてこともなく張飛相手に最初から戦いを挑むという無謀をやらかし、負けて逃げ帰ったら部下に首を出されるというかませっぷり。
存在感のなさでは多分最強格である。

鞏志
「城内の民衆は、みな自分の説に同和して、すでに玄徳に降参のことにきまった」
戦いは無意味と金旋を諫めるも裏切りと見なされて首を斬られそうになるが人々が止めてくれたおかげで一命をとりとめる。
その後、金旋が張飛に敗北して戻ってくると上記の台詞と共に金旋を射殺し、城門を開いて張飛を迎え入れて彼自身が太守になった。
やってることは魏延と同じなのだが全くいちゃもんをつけられていない


長沙

韓玄
一応ラスボス。実際長沙は現代に至るまで大都市である。
気が短くて簡単に人を殺す暴君の上、せっかく黄忠が関羽とほぼ互角に戦っているのに余計な疑いをかけて拘束するという評価点が何一つ無い人物。
結局魏延が反逆を起こして彼を殺した。
彼の弟の韓浩*3も後に黄忠に斬られている。
唯一の救いは、韓玄を裏切る行為を黄忠が恥じ、黄忠から弔ってもらえたことくらい。
そんなことで、コーエー三国志では、劉禅の次を争うトップオブクソザコである。

ちなみに墓が残っている上、亡霊が現れて「民のためにさっさと降参したのに、巷の小説のせいで貶められてるだけなんだ!(意訳)」と話したという伝説もある。

楊齢
この日、関羽が楊齢を一撃に屠ってしまったので、長沙の兵は潰乱してたちまち城地の第二門に逃げこんでしまった。
韓玄の股肱の臣であり、関羽が進行してきた際に防戦の指揮官を務めたが
台詞も戦闘描写もないままにアッサリ殺された
そのやられ方はこの方に匹敵するインパクトである。

横山三国志では黄忠を出陣させようとする韓玄に対して「老将軍が出ていくほどのこともございません。」と言って出陣したが青龍偃月刀の一振りで真っ二つにされた
コーエー三國志ではⅡ、Ⅲには全能力中庸(主要能力が50前後)の武将として登場したがそれ以降はバランス調整*4もあってか登場しなくなった。



追記、修正は荊州の守備に志願してからお願いいします。

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最終更新:2024年04月15日 14:08

*1 春秋戦国時代において(時期は異なるが)どちらも趙に仕えた武将。 どちらも優れた武将であり趙を守り抜いたが佞臣の讒言で不遇の最期を遂げた。

*2 ただし趙雲アピール記述の多い趙雲別伝の中で、ご丁寧に趙雲が「こいつ信用できませんよ!」と言われていたとも書いてあるので、史実性は疑わしい。

*3 なお正史では韓浩と韓玄の親戚関係は不明。また韓浩は曹操の信任厚い将であったし、普通に病死している。

*4 長沙には史実でも名将とされた黄忠と魏延が存在し架空武将無しでも十分脅威な為