偽書

登録日:2016/09/02 Fri 18:56:00
更新日:2025/04/14 Mon 09:04:14
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偽書とは、著者や成立年代・成立過程などを故意に偽って作成された書物・文書などのことである。



〔概要〕

いわゆる歴史学において、主として「その文献の史料的価値が問題とされる場合」に使用される。
その概念は、書籍の形でまとまったもの以外にも、断片や短い文書類なども含まれるが、最近ではネット上で広まったものも含まれる。

当然ながら歴史学的・史料学的・もしくは一般常識的にツッコミどころ満載であるケースが多く、検証が済んだものについてはしばしばネタとして楽しまれている。
というとあまり価値のないものばかりと思われるかもしれないが、中には正統な歴史学に影響を与え続けたケースや、それどころか結果的に戦争や虐殺といった悲劇の一因になってしまったケースも存在しており、なかなか侮れない存在である。

また「作者が主張の出所を偽りたかった動機は何か」などの視点から研究対象となることも多い。
これは偽書を「史料」ではなく、「作品」として扱うことを意味する。
とりわけ民俗学などでは、「受け入れられた背景は何か」「一体どんな影響を齎したのか」という、民間信仰の変遷を辿る際の傍証になることもある。

またアニメ・ラノベ・エロゲーなどのサブカルにも大きな影響を与えており、伝奇もの作品ではしばしば(偽書であることは承知の上で)ネタが拾われる事も多い。

〔定義〕

書物・文書などが「どこまで信頼できるか」「どの程度の証拠能力を有するか」を知るためには、内容の真偽はもちろん、外的条件などを注意深く検証する作業が必要となる。
いわゆる「史料批判」と呼ばれるものであるが、実は偽書の正確な定義を決めるのは結構難しい

例えば『聖書』や『古事記』などは、全てが史実である可能性はまず無いであろうが、偽書と呼ばれることはほとんど無い。
これらについては内容の歴史的正確さは、その価値にあまり影響が無いからであろう。

また著者名などを偽っていても、内容や後世への影響力から偽書扱いされないこともある。
例えばキリスト教の神学では著名な文書群で、アニヲタ的には「天使の位階」の出典でもある『ディオニュシオス文書』は、『新約聖書』の「使徒行伝」に登場するディオニュシオス・ホ・アレオパギテース*1の著作だとされていたが、15世紀以降に別人の作だと特定された。
それ以来著者は偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテースという格ゲーの色違いキャラみたいな名前で呼ばれているが、この文書は現在でも中世哲学を代表する名著の一つとされており、偽書呼ばわりされることは無い。

他にも文学作品では著者や成立年代などの成立過程を故意に偽ることはしばしば行われている。
しかし、これはあくまでも一種の演出、要するにフィクションであるため、これらもまず偽書とは呼ばれない。
例えば『ガリヴァー旅行記』は本文で「レミュエル・ガリヴァーなる人物の体験談である」と主張しているが、これはそのような体裁の創作である。
『ドン・キホーテ』は「シデ・ハメーテ・ベネンヘーリがアラビア語で書き残した文献を、街で偶然に発見したミゲル・デ・セルバンテスが翻訳および編纂した物語」となっているが、これもそのような体裁の創作とされる。

本項目では主要な宗教文書・神話・および明らかに文学的演出のために成立過程が偽られた文学作品*2などについては除外する。

〔偽書であることが判明している主な文書〕

竹内文書

日本を代表する偽書。
竹内巨麿という人物によって1920年代以降に世間に公表された。いわゆる古史古伝の一つ。
武内宿禰の孫の平群真鳥が武烈天皇の勅命により編纂したという触れ込みの文書を中心に構成されているが、とにかくスケールがでかい
何しろ日本が全人類の発祥の地で、天皇家の歴史が紀元前3175億年(ビッグバンより遥かに以前)に遡るとか
3000年以上前に天皇の一族が世界中に植民を行って「ニューヨーク」や「ヨハネスブルグ」などの語源になったとか*3
日本にキリストやモーゼが来ていてその墓があるとか、UFOの目撃が多いことで有名な石川県羽咋市は超古代の空港だったとか……
また、伝奇ものではお馴染みの金属ヒヒイロカネの初出でもある。

内容の信憑性については言うまでもあるまい
イスキリスクリスマスフクノ神と名乗るロン毛に疑問を感じない人なら信じてもいいかも。
内容以前に、全く別の時代に書かれた筈の文書の筆跡が同じなど、文書的にも不自然な点が多々指摘されている。

竹内巨麿が新興宗教の関係者で、また彼による出版物でも内容が違ったりする(大体時代が下るにつれより派手になる)。
そんなわけで「竹内巨麿が本物の古文書を宗教の宣伝や教義の正当化などの意図で加筆したものなのでは?」とか言われることも。
しかしオリジナルの文書は「竹内巨麿が戦前に不敬罪に問われてたときに当局に押収され、手元に戻ることなく戦災で焼失した」とされる。

東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)

青森県の旧家で発見されたと称される文書。いわゆる古史古伝の一つ。
史料が少ない中世の東北地方に関する文書として一時注目されたが、考古学的な研究成果と全く一致せず、それどころか進化論に関する記述があったり、「光年」「冥王星」「民活」などといった単語が出てくることから、現在は20世紀以降に成立したと見做されている。

宮下文書

神武天皇よりも遥か以前に富士山麓に富士高天原王朝なる王朝があったと伝える文書。いわゆる古史古伝の一つ。
文体から幕末に偽造されたものだとされている。
なお本書は秦の時代に中国から日本に渡来したと言われる、始皇帝に仕えた道士・徐福が執筆したという設定だが、そもそもこの徐福の日本渡来自体が信用できる史料の存在しない伝説である。

ヲシテ文献

江戸時代中期に存在が確認された文書で、いわゆる古史古伝の一つ。
歴史書である「ホツマツタエ」、「ホツマツタエ」と相互互換の関係にある「ミカサフミ」、占術について記された「フトマニ」の三つが存在している。
母音を表す五つの記号と子音を表す十つの記号の組み合わせからなる、ヲシテと呼ばれる文字で筆記されており、文は五七調で綴られている。
この文書を支持する研究者は「『日本書紀』や『古事記』よりなお古い書物で、ヲシテは漢字以前に使われていた日本独自の文字だ」と主張している。
クニノトコタチ系の神に関する記述が多く見られ、書物内では重要な神として位置付けられている。
が、肝心のヲシテが比較的最近に成立した五十音表を前提として造られており、歴史的かな使いや古代の発音といった古代史の研究との乖離が大きい内容となっているため、やはり信憑性は極めて低い。
また、「ミカサフミ」に、陰陽道などの道教由来の概念が入ってきてから成立したとされる、アメノトコタチ*4という神の記述があり、造り込みが甘い。
ただ江戸時代ごろの神道哲学を知るためには割と有用なため、偽書とはいえ考古学的価値はそこまで低くない。
このwikiで言うと『仮面ライダーSPIRITS』の大首領JUDO達が使う奇妙な文字がヲシテである。仮面ライダーファイズの顔ではないんです

未来記

聖徳太子が記したとされる予言書。『太平記』に登場することでも有名。
……と言っても、これは実は一つの書物ではなく、あらゆる時代に登場する「聖徳太子の予言」と呼ばれる文書の総称である。
そしていずれも「大事件などが起きた後になってから、それについて書いた予言が発見される」というパターンであり、聖徳太子の書いたものでもなければ、予知能力によって書かれたものでもない。

ちなみに『太平記』では「聖徳太子の予言から勝利を信じた楠木正成が結局は敗北する」という展開になっている。

未然本紀

「聖徳太子の予言書」とされるもう一つの書物。
こちらはまとまった書物であるが、江戸時代に偽造されたものであるとされる。
ちなみに予言と言っても江戸時代までのことしか書かれていないため、万一本物であったとしても、現代の我々には予言としては何の意味もない書物である。
(江戸時代以降のことや、第三次世界大戦など未来のことまで書かれていると言われることもあるがデマである)

シオン賢者の議定書

史上最低最悪の偽書と呼ばれる。
別名ユダヤ議定書、またはシオン・プロトコール。

詳しい成立過程には謎が多いが、「1897年に開催されたユダヤ人の会議の席上で決議された文書」という設定で1902年にロシア人により偽造されたとされる*5
内容は「ユダヤ人による世界征服計画」とでも言うべきもので、ユダヤ人への反感から書かれたものである。
この文書は広く流布し、ヨーロッパやアメリカにおける反ユダヤ感情を更に煽ることになった。
有名どころだと、例えばヘンリー・フォードも本書を基に「国際ユダヤ人」という反ユダヤ主義の著作を書いている。
そして反ユダヤ感情が最高潮に達したドイツにおいて最大級の悲劇、すなわちナチスによるホロコーストを引き起こしてしまうのである。
人は信じたいものを信じてしまう。偽書とはいえ、場合によってはとんでもない結果を引き起こすのだ。

ちなみにヒトラー自身は「この文書が稚拙な偽書であることはわかっていた」とも言われる*6

田中上奏文

日本の歴史に大きな影響を与えたともいわれる偽書
「戦前の総理大臣田中義一が1927年に昭和天皇に上奏した」という設定の文書で、内容は日本による世界征服計画書である。
アメリカで発表され、中国で広まった。
日本側は偽書であるとして火消しに走り、中国側も一旦は偽書とする日本の説明を受け入れたが、その後日本の対外進出に伴って再び持ち出され、
多くの国がこの文書を根拠に日本を非難、日本は国際的に孤立を深めていくことになった。

偽造者については現在でもはっきりしないが、内容的に日本人でなければ書けないような部分があり、おそらく(田中総理では無いにしても)もともと日本人が書いたものでは無いかと言われる。
ただ、文中には当時とっくに死んでいた山縣有朋が登場するなど、当時の政治情勢を知っていればまずやらかさないようなトンチンカンな記述があるあたり、作者はふざけていたかよほど間が抜けていたようである。

台湾誌

1704年にイギリスのロンドンで発行された、台湾に関する書物。
「台湾人が書いたもの」という触れ込みだったが、実際の著者はジョルジュ・サルマナザールなる西洋人*7である。
彼は台湾に関する知識は全くなく、服装から生活風習、果ては文字までを全て自分の想像で捏造した。ある意味すごい労力である。
そのため「毎年2万人の子供の心臓を神に捧げる生贄の風習がある」とかいうとんでもない記述が散見される。アステカやインカでもやらんぞ。
また何故か「台湾人の祖先は日本人だ」とされており、ついでに日本の風俗まで捏造している
こんな内容であるが、海外への関心が高かった当時のヨーロッパでは非常に広く読まれた。かのアイザック・ニュートンも本書の記述を真実だと信じていたという。
当時台湾で活動していた宣教師の糾弾に対して、自分の無駄に作りこんだ台湾のオリジナル設定から緻密な反論を出して説き伏せるというレスバトルの強さも相まって台湾像をますますひん曲げていくという始末。
手のつけようのない理論武装をしていたサルマナザールの嘘を白日の下に暴いたのは、なんとハレー彗星で有名なエドモンド・ハレーだった。天文学の専門家である彼は台湾誌の日照時間や星図から矛盾を見つけ出して質問を重ね、ついにサルマナザール本人から「これは自作の偽書だった」という告白を得たのである。
サルマナザールは地上の人間程度ならいくらでも騙せたが、天までは騙せなかったのだ。

もっとも文学および空想小説として見るならば紛れもない傑作なのも事実であり、スウィフトの『ガリヴァー旅行記』に大きな影響を与えている。
ちなみに作者のサルマナザールは、本書で得た名声から一時期オックスフォード大学で教鞭をとっていたことがある。またペテンが明るみに出て名誉失墜したのちも、その文章力を生かしてゴーストライターとして活躍したらしい。

ヴォーティガンとロウィーナ

シェイクスピア外典(シェイクスピアのものとされていたが現在では疑問視されている作品群)の一つ。
偽作者はウィリアム・ヘンリー・アイアランドという人物で、これ以前にも多数のシェークスピア劇を偽作していた
新発見のシェークスピア戯曲ということでアイルランドのとある劇作家が300ポンドで上映権を購入し上映されたが、流石に内容的な差は一目瞭然で、客席からは失笑が溢れたという。むしろちょっと見てみたい。

なお偽作者のウィリアムはこの時わずか18歳
この年で多数の文書を偽作し、それなりにだましだましやっていたのだから、真面目に文学の勉強をしていれば、ベストセラー作家として成功したかもしれない。
なお世間は流石に18歳の少年が偽作の主犯だとは思わずに父親のほうを非難した*8


日本人とユダヤ人

「神戸市生まれのユダヤ人、イザヤ・ベンダサンによる著作」という触れ込みであったが、ユダヤ人ならまず間違えないようなことばかりが書いてあり、実は「翻訳者」の山本七平のペンネームであったことが判明した。
なお小説家の遠藤周作によれば由来は「いざや、便出さん」とのことらしいが、実際のところは定かではない。

万歳三唱令

これも同様に1990年代以降、日本のネット上などで広まったもの*9
万歳の仕方を規定した太政官布告」という触れ込みだが、歴史上こんな布告は存在しない。
真に受けて「正しい万歳をするべきだ」などと発言すれば、間違いなく失笑を買うだろう。

ちなみにごく最近の偽書疑惑の出た文献には珍しく、(最初は匿名ではあったが)執筆者が地元の新聞社に名乗り出ている。
その後当該の『熊本日日新聞』が実名を出す前提で取材を依頼したところokが出てしまい、熊本のある職場のおっちゃんたちが暇つぶしにそれっぽい文書を作ったら、なかば都市伝説じみて拡散してしまったことが確認された。*10広まってしまったショックで職場内の身内サークルとしては解散にしてしまったとのこと
悪気が無いことが確認されたこと、元々そこまで実害の出るような内容ではなかったこともあり、市民の手によるユーモアや「真偽不明の情報が人々に広がる」のの実例としてはけっこう評価されているようだ。


江戸しぐさ

江戸時代の江戸の町民が身に着けていたマナー」と称して、一部の団体が書籍やネット上で広めているもの。
実際には江戸時代の習慣や風俗とはかけ離れたものばかりであり、歴史学者らからは完全に否定されている。
例としては正確な時間を知る手段などほとんど無かった時代に、約束の5分前に行くのが原則だったとか*11、傘が普及していないのに傘を持ってすれ違う際のマナーがあったとか、座席部分のない江戸の渡し船に「座席を詰めるルール」があったとか……。
おまけにマナーとしておかしい内容も多い。
中には「田舎ものはバカにされて当然だ」とか「犯罪に遭うほうが悪い」とか、非常に差別的なものもある。

ちなみに正統な歴史学で江戸しぐさが知られていないのは、新政府軍が江戸っ子を大虐殺したからだという。
もちろんこれにも歴史的根拠は何も無い。というより江戸の無血開城に尽力した勝海舟に謝れ。

近年では道徳方面で教科書に掲載されたり学校教育の場などで採用されてしまうケースが起きており、社会的に激しい批判が巻き起こっている。
アニヲタwikiのようにサブカルにかぶれた口さがないオタクなどは、自分の知らないゲームの歴史などを「江戸しぐさ」という言葉で批判したりと、完全に捏造された歴史のように扱っている。
そもそも落語とかでまったく取り入れられてないってのはどういうことなのだろう?三遊亭圓朝の速記なんかにも全然残ってないし。

椿井文書

江戸時代後期に椿井政隆という国学者が作成したとされる文書。
「中世より椿井家に伝わっている文書を政隆が書写した」という体裁で作成されており、あらゆるジャンルの史料を複雑かつ巧妙に関係させることで信憑性を持たせている。

椿井政隆が作成した目的は分かっていないが、顧客の要求に応じて作成されたという。
その背景には「国学思想の隆盛」や「土地争いを有利にする」などがあったと考えられるが、中には神社の伝承を加味したものもあるとされる。

本書は偽文書と指摘されながら、郷土史料として世に出回った
その影響力は大きく、現代でも近畿一円では「地元の歴史に関心を持たせるために、観光や教育に積極的に活用しよう」という動きがあるという。

世界の怪拳・奇拳

大河内民明丸を社主とする「民明書房」より発行されたという世界の変わった拳法や格闘技を紹介する書籍。
本書は発行と同時に大反響を巻き起こし、書店には本書を探す青少年が引きも切らなかったという。
この本のヒットにより民明書房は倒産の危機を逃れたという。
しかし書店に注文しても入荷することはなく、現物を読んだという人も現れていないため、実在が疑われるようになった。
これも執筆者は嘘八百のデタラメなのが大前提だったにもかかわらず、読者には実在すると判断されてしまったことで「偽書になった」ケース。幸い先述の『日本人とユダヤ人』以上に問題にはならず、せいぜい呉竜府が「ゴルフの成立について誤った内容が掲載されている」とジャンプ編集部にクレームが入った程度。

フルベッキ群像写真

 偽書…というよりかは「ニセの歴史的価値を付されてしまった歴史資料」といった方がいいだろう。
幕末~明治期の写真師・上野彦馬が自身のスタジオで撮影したとされる写真で、佐賀藩校・致遠館で教鞭をとっていたオランダ系アメリカ人宣教師のグイド・フルベッキとその子供*12を中心に44人の若い武士たちが写っている写真である。
雑誌『太陽』(博文館)の明治28年(1895年)7月号に、「佐賀の学生たちの集合写真」として紹介されたのが初出で、幾度か書籍に取り上げられていたものの、「佐賀の学生たちの集合写真」という説がすでに定着していたため、とくに取りざたされることはなかった。
 しかし、1974年と1976年の二度にわたって、肖像画の研究家であった島田隆資という人物が雑誌『日本歴史』において、『この写真には、坂本龍馬西郷隆盛などの幕末の志士が写っている』という新説を述べ、歴史学界に衝撃を走らせた。
当初島田が鑑定した人物は全体の3分の1ほどであったが、次々と被写体が『幕末の志士』として特定されていき(とはいえ、大抵は「何となく似ている」という具合の根拠が薄弱なものである)、ついにはフルベッキ父子の前に刀を抱いて座っている面長のやや浅黒い肌の少年が『大室虎之祐=幼少期の明治天皇』と比定され、『フルベッキ群像写真』が『明治天皇すり替え説』*13の証拠として利用されることもあった。
 しかし、2013年、フルベッキと『フルベッキ群像写真』に写る44人の内の5人の若い武士が、佐賀藩家老の伊東次兵衛と一緒に写っている写真が発見され、写真撮影の時期と照らし合わせるために利用された、伊東の書き残した『伊東次兵衛出張日記』の明治元年11月付けの記事に「フルベッキと致遠館の生徒たちが記念写真を撮影し、写真撮影後に会食した」という記述がみられたことから、「被写体=幕末の志士説」や「撮影年代=慶応元年説」が粉砕され、被写体はフルベッキ父子と佐賀藩校・致遠館の生徒たち、撮影時期は明治元年11月であることが確定した。その中には幕末の志士たちほど知名度が高いとは言えないが、岩倉具視の次男・具定や三男・具経、蘭方医・相良知安、旧制第三高等学校*14の初代校長・折田彦市、江藤新平*15の弟子で「佐賀の乱」に参戦し、刑場の露と消えた山中一郎香月経五郎など、維新史の重要な1ページを構成する人物が写っていることが判明している。
また、『大室虎之祐、すなわち後の明治天皇』とされたフルベッキ父子の前に刀を抱いて座っている面長のやや浅黒い肌の少年に関しても、既存の複数の明治天皇の写真との比較鑑定を行ったところ、「明治天皇とは別人である」という結果が出ている。
 なお、「幕末志士の写真説」によれば、西郷や龍馬ら討幕派だけでなく、慶応元年当時はまだ幕臣である勝海舟*16までもが一緒に映っているという、ありえない状況の写真であるが、提唱者は「これこそ幕末の動乱の前に、歴史を動かした人物たちが全員集合して明治維新に到るシナリオを作り上げた証拠であり、明治維新は最初から筋書きの決まっていた陰謀、出来レースだったのだ」と唱えていた。
 仮にそれが正しいとすれば、そんな絶対に後世にもバレてはいけない秘密会議の最中に、全員で記念写真を撮影する連中って一体……
 とはいえ、『幕末の志士の集合写真』と紹介した方が拍付けとなり、観光客の呼び寄せにつながることを期待してか、いまだに『幕末の志士の集合写真』として本写真を展示している資料館も存在するのが現状である。そうした状況で、最近は長野県東御市の雷電記念館で「幕末の志士の集合写真」として展示されていた本写真が撤去されたというのは記憶に新しい。

〔偽書説のある主な文書〕

先代旧事本紀

江戸時代までは『古事記』『日本書紀』と合わせて「三部の本書」と呼ばれ、日本古代史の重要な資料とされていた。
……が、序文に「これは聖徳太子と蘇我馬子が書きました」といかにも怪しい著者名が記されていたことから本居宣長を始めとする国学者に「さすがにそれはないだろ……」と偽書認定されてしまった。

ただし偽書だとしても書かれた時代は9世紀ごろで、「現在では十分すぎるほど古い文献なので一定の価値はある」とする意見もある。
また3巻目の天神本紀の一部、5巻目の天孫本紀の一部(どちらも物部氏の出自に関わる部分)と10巻目の国造本紀は他の資料には見られない独自性があることから、少なくともこれらの部分だけは一級資料だとする見解も存在する。


ちなみに似た名前の『先代旧事本紀大成経』という文献もあるが、そちらは江戸時代に「緊急霊言・先代旧事本紀の真実」みたいなノリで書かれたトンデモ宗教書であり、朝廷に混乱を巻き起こしたうえ上記の古史古伝が乱立する元凶になったと言われるれっきとした偽書なので混同しないように。

武功夜話

戦国・安土桃山時代の尾張で書かれたとされる文書。
信長の側室が居住していた屋敷に集まった人々の動向を描いており、織田信長や羽柴秀吉を始めとする有名人が多く登場し、桶狭間の戦いや墨俣の戦いなどの有名事件の記述も多い賑やかな文書である。
歴史関係の本でしばしば引用されたり大河ドラマの参考にされるなど、一般的な影響も大きい。

しかし、
  1. 当時は存在しない地名が登場する
  2. 河川の位置(洪水などで何度も流域が変化している)が当時のものと異なる
  3. 書状などの言葉遣いが当時の言葉遣いではない
  4. 掲載されている城の縄張りが、とても実戦で使い物になるものではない
  5. 信長公記など、より信憑性の高い資料の内容と整合性がない
  6. サツマイモが何故か尾張でサツマイモ料理として出てくる*17
  7. そもそも信長クラスの人物が側室を設けるのは当然だった時代に、正室に気を遣って側室を遠くに住まわせたという基本設定からして不自然
などといった疑問点があり、一部では偽書(もしくは原本に後世の人間が著しく加筆・脚色して価値が落ちた二次資料)だとされている。

一方で歴史学者の中にも「偽書ではない」とする立場を取る人も多く、現在まで論争が続いている。
とはいえ肯定派側の見解でも「江戸時代以降に大幅に手を加えられた」という可能性までは否定されていない。

置文伝説

足利郎党の今川貞世が記した『難太平記』に記された伝説。
足利家にとって先祖にあたる源義家が「七代後の子孫に生まれ変わって天下を取る」と記した置文に端を発しており、義家から七代後の子孫である足利家時が自分の代では達成できないことを悟って、さらに三代後の子孫に天下を取らせる願文を残して自殺したという。
この家時から三代後の子孫こそ他ならぬ尊氏であり、彼は置文の怨念を宿したことで天下取りに臨んだ……という。
この置文は実際に高一族によって保存されていたらしく、直義がこれを見て感激した旨を伝える書状も残っており実在が確認されている。
ただし、実際の置文がこのような呪物めいた代物だったのかは疑問が残り…
  • 直義がこの置文を読んだのは足利家が後醍醐帝に反旗を翻した建武の乱から15年後のため、置文は天下取りの動機ではない
  • 尊氏には夭折した嫡流の兄がいたのだが、何故嫡流ではなく庶流の尊氏が三代後の天下人に選ばれたのか
  • 義家から数えて七代後の家時が天下を取れないことを悟って、三代後に先延ばしにしたとのことだが、そもそもそれより以前の源頼朝が既に天下を取っている
といった数々の不可解な部分が散見される。
ぶっちゃけ置文自体は実在したとしても、その内容の論理的破綻からして本当に天下取り云々について書かれていたかは疑わしく、今日においてはオカルト伝説の類と見做されている。

甲陽軍鑑

武田信玄の戦略戦術を記録した軍学書。元は春日虎綱(武田四天王の一人。一般的には「高坂昌信」の名前で知られる)が記憶を頼りに語ったものを彼の甥や家臣が記した(口述筆記)という。
その後これは小幡昌盛*18の息子の小幡景憲という人物が入手して写本を作り、本書を元に兵法を説いた小幡景憲は「甲州流軍学の祖」と仰がれる。

しかし江戸時代から史実との食い違いが指摘され、明治以降は「小幡景憲が武田遺臣らの取材や伝聞を元にした創作を高坂の作と偽った」と見られている。
戦国時代の史料としては無価値だが、いわゆる武士道の概念を提唱した最初期の書物であり、本書発の語彙が多く残されるなど、以降の影響の大きさから国語史や思想史においては重要な存在であったりする。

……と、考えられていたが、90年代以降の研究で「原本は室町末期の口語りを記録した可能性が高く、子供世代の小幡景憲の偽作とは考えにくい。また小幡景憲による写本の作成作業は正確で、編集や脚色などが行われた箇所は少ないだろう」という説が登場。
なので「やっぱ高坂昌信の口述筆記が元になったんじゃね?」とも考えられている。
この説では、史実との食い違いは景憲の手に入れた原本が既にかなり痛んで判別不能な箇所が多かったことや、高坂自身のボケ老齢故の年号や肩書等の記憶違いや人名の比定の誤りのためとされる。

慶安の御触書

1649年に出されたとされる有名な法令で、教科書にも登場する。
ところが「原本が現存していない」「同時代の資料に登場しない」など、多くの疑問点がある。
実際には「1697年に甲斐国甲府藩領で発布されたローカルな文書ではないか」と言われる。

五輪書

宮本武蔵の書いたとされる火、水、風、土、空の全五巻の剣術指南所。
今ではビジネスマンご用達。
武蔵の生前の記録に登場せず、内容的にも武蔵の時代からするとやや不自然な部分があり、弟子の手で後世に成立したのではないかという説がある。
余談になるが、二刀流に関する解説がある貴重な資料である。

直江状

直江兼続が徳川家康に対して書いた文書。
ケンカを売るような挑発的な内容で、関ケ原の戦いの火蓋を切ったとされる。
後世の創作ではないかという説があり長年論争が続いていた。
現在では「後世の加筆がかなり入っているだろうが、原本自体は存在した」とされることが多い。

信長公記*19

織田家臣の一人で長期間信長の側近を務めた太田牛一が著した、日本でもトップクラスの知名度を有する戦国武将織田信長の一代記。永禄11年(1568年)から天正10年(1582年)までの15年を一年一巻とし、永禄10年(1567年)までの首巻を合わせて全16巻。
牛一が奥書で「故意に削除したものはなく、創作もしていない。これが偽りであれば神罰を受けるであろう」と記しており、小瀬甫庵も牛一を「愚にして直」と批判している通りその内容は正確であり、歴史学者の間でも一次史料か、それに準ずるという軍記物語としては破格の扱いがなされている。
……がそれは1568年から1582年までの15巻の話であり、首巻は別。
そもそも太田牛一は天文23年(1554年)までは斯波家の家臣であり、信長の幼少期は織田家にいなかったことや、首巻のみ牛一自筆のものが見つかっていないことなどから、史料価値は著しく低く、偽書ではないかとの説もある
なお、首巻には信長が父・信秀の葬儀で抹香を投げつけた等の幼少期の奇行や、桶狭間の戦いで『敦盛』を舞ったと言った現在の我々が信長に対し抱くイメージ元の多くが記述されている。

腰越状

壇ノ浦の戦いで勝利するものの失態も犯してしまった源義経が、兄・頼朝に対して怒りを解くために出したと言われる文書。
だが、これも形式的にこの時代のものとしては不自然だったり、掲載されている『吾妻鏡』自体の信頼性に疑問があるとされる。
(実際の所、義経が腰越に留め置かれたという事実があったかどうかについても議論がある)
一方で内容的には同時代の他の資料に残る義経の発言と一致しているなど、全否定はしにくいという意見もあり、直江状と同じく「原本はあったが後世の加筆がなされた」という見解もある。

三次実録物語

稲生物怪録』は一般に稲生武太夫が語った話を平田篤胤がメモし柏正甫が校訂した「柏本」が知られているが、なんと武太夫本人の筆とされる『三次実録物語』も稲生家に伝えられている。
武太夫の書は他に見つかっていないためなんとも言えないが、作者を武太夫に仮託した創作という説が有力。
ちなみに青空文庫で読むことが可能。

シェイクスピア作品

史上最も偉大な文学者とも言われるシェイクスピアであるが、一連の戯曲を書いたのは一般に「ウィリアム・シェイクスピア」として知られる人物ではない、あるいは『シェイクスピア』とは複数人のペンネームという説が昔からある。
根拠としては「シェイクスピアの生涯についての記録が乏しいこと」「高度な教育を受けた形跡がないのに優れた作品を量産していること」などである。
実際の作者として候補に挙げられるのはフランシス・ベーコン、クリストファー・マーロウなど。

ただし「生涯についての記録が残っていないのはこの時代ではごく普通のこと」「固定観念や先入観が無かったからこそ優れた作品を書けたのではないか」という否定的意見も多い。

後出師表

諸葛亮がかの有名な出師の表を上奏した翌年に再度上奏したとされる文書。
しかし当時まだ生存していたはずの趙雲が死んだことにされているなどおかしな箇所が多く、正史三国志でも後出師表については触れられていない。
文章としての完成度も名文中の名文とされる出師の表には及ばず、後世における創作であるとの説が存在する。

余談だが「出師の表」は一般的な文書名である。
しかし歴史上、諸葛亮が書記したものが著名であり、特に言及されない場合は諸葛亮のものを指す。

ヴォイニッチ手稿

手稿そのもの詳細は項目に譲るが、現在に至るまで解読されていない世界一有名な奇書にも偽書説……というより解読不能な意味の通らない文字で書かれた詐欺のための偽物であるという説があった。
根拠となったのは手稿に一切の書き直しの跡が見られないことや、発見者である古書収集家ヴォイニッチが主張する手稿の由来*20がいかにも胡散臭いこと、発見したヴォイニッチ自体そのような詐欺を行ってもおかしくないと言われるような評判の悪い男だったこと、それに何より今に至るまで解読されていないことが挙げられる。
そして2004年にイギリスの学者によって「カルダーノ・グリル」と呼ばれる手法を用いれば、数か月程度でヴォイニッチ手稿と同じ分量の意味はありそうだが意味のない文章を生成出来ると発表され、一時期この説が覇権的になっていた。
しかし、その後コンピューター解析によってヴォイニッチ手稿は文章の複雑性=エントロピーが低いという結果が発表され、その説は覆されることになる。
前述の手法を始め、長大な文章を意味の通らないようなランダムに生成すると文章のエントロピーが高くなってしまうため、エントロピーが低いヴォイニッチ手稿はランダムに作られたものではないということになるのだ。
現在、ヴォイニッチ手稿はヴォイニッチが主張する由来はともかく、何らかの意味がある文書であるという説が主流であり、その制作者をはじめとして様々な説が唱えられ、解読が試みられている。

アンネの日記

著者であるアンネが隠居先でラジオの放送を聞き、戦争が終わったらラジオ局に投函するために二冊目の日記を書き上げてしまったせいでややこしいことになった。
動機もお金目当てなどではなく、狭くて退屈な隠れ家での生活で他にやることがなかったからとされている。
しかし彼女が生きている間に戦争は終わることはなく、「ラジオ局に投函する」という彼女の目的は果たされなかった。
ホロコースト自体が捏造」と唱える人々によって一冊目・二冊目双方に偽書説が唱えられてきたが、現在のところ一般的に偽書説は否定されている
ちなみにドイツでは、「事実を捏造してナチスを賛美し、健全な民主主義を損うような主張をする」ことは違法とされる。
もちろん現在は広義の文書・創作物の多様化や「明らかにナチスより先にひげのついた十字を使っていた文化」の扱い*21あとイスラエルの政権を過激層が取ってしまったことによる増長・暴走への責任問題などでこの反ナチ法にもいろんな意見が出てはいるが、少なくとも『アンネの日記』やこれにおけるナチ党・軍の描写については反ナチ法上も「ナチスの歴史=ドイツの歴史における『事実』であり、他国の表現の自由などに対して配慮を要する背景もない*22」「偽書であるとする根拠はなく、本物と見なすべき」と解釈されているようだ。

〔余談〕

これらの書物・文書などが、史実を故意に偽って作成された可能性は否定できないにしても、今日まで存在が伝えられてきたのは、何かしらの形で読み継いだ人々が居るからである。
そこには、真正な書物・文書からだけでは分からないであろうものが含まれていることもあるので、決して荒唐無稽で済まされるものではない。
偽書にも偽書故の資料的価値があるのである。
現に紹介した「偽書と考えられている」もののうち、戦国武将関連などは「仮に偽書だったとしたら、それはそれで当時の人が武将たちをどう捉え、どうフィクションに落とし込んでいたかの資料ではある。三国志演義*23、現代で言えば戦国BASARAやFateとかのような『偉人再解釈カルチャー』の歴史としては偽ではない」とされることは多いし、ネタに走った紹介にはなってしまったが、民明書房の設定は男塾のみならずジャンプ全体の歴史として存在を語らないわけにはいかないだろう。
個別ページで挙げられてるゆでだって、テリー親子やミートくんの「(歴史関係の知識として)聞いたことがある」は話の展開としてはこっちに近い部分あるし。

しかし、これらの書物・文書などが、印象操作等によって捻じ曲げられて伝わってしまうケースも後を絶たない。
それが結果的に戦争や虐殺といった悲劇を生んだのも事実である。
だが、情報の正否を明確に分類するには、並大抵でない知識は言うまでもなく、情報収集力や分析力も必要となる。
やっぱり嘘は嘘である事を見抜けないと取り扱うのは難しいのである。



ちなみにこの項目の中に一つ実際には存在しない文書が混じっています。
追記・修正はそれを見つけてからお願いします*24


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最終更新:2025年04月14日 09:04

*1 聖書では「アレオパゴスのディオニシオ」と呼ばれる、パウロの説教に親和的であったギリシャ人

*2鼻行類』、『ちはやふる奥の細道』など。

*3 言うまでもないが、これらの地名はずっと後の時代に植民した西洋人によって命名されたものである。

*4 大地ないしは国土を司るクニノトコタチの対比として天を司る神として成立したと推測される。ただ、一対の存在でなければならないという考えが道教的であり、またクニノトコタチは国之常立と書かれることが多いが古くは国之床立と記され、天に「底」はないことから後世の創作であると見て間違いないと思われる。

*5 さらにこれをたどっていくと神智学などにも辿りついていく。現代のオカルトやスピリチュアルの源流ともなったものであり、反ユダヤ主義との親和性が妙に高いことでも知られている。

*6 余談となるが、現在インターネット上で「ヒトラーの大衆扇動術」と称したコピペや画像が流布している。書かれていること自体は間違いではないのだが、あの文章は「許成準」という韓国のゲーム制作者が書いた解説本が由来であり、許氏本人ですらヒトラーがこれを完全に意図して行っていたとは言っていない。画像の下線部を引いた人間が画像の作者だということや若干の改変が含まれていることも含め、うのみにするにはかなり危険なものである。

*7 本人はフランス人だと言っていたが正確には不明

*8 父は息子に文学の才能があるなどと思わず、本物のシェイクスピアの遺稿だと信じていた。

*9 実際にはもっと前から流布していたようだが詳細は不明。

*10 折角作りこむならばとことんということで、国立国会図書館に出向き、本物の太政官布告を閲覧して体裁を整えたという

*11 ちなみに現在でも5分前到着はあくまでビジネスマナー。プライベートでは相手を慌てさせないためにゆっくり目に行くのが正しいマナーである。もともとは日本海軍のマナーだった。

*12 『被写体=幕末の志士説』では長男のウィリアムとされるが、『被写体=フルベッキと致遠館の生徒たち説』では長女のエマとされる

*13 長州藩士・伊藤俊輔(博文)や岩倉具視が策謀を巡らせて親幕府派の孝明天皇や睦仁親王を暗殺し、それまで続いてきた「北朝」の系統を断絶させ、周防国田布施に潜伏していた「南朝の末裔」である『大室虎之祐』という少年を『明治天皇』として即位させたという、「陰謀論」の一種

*14 現在の京都大学の前身のひとつ

*15 「幕末の志士」説では本写真中に写っているとされたが、「佐賀藩校の生徒たち」説が確定した現在では江藤に該当する人物は写真に写っていないことが判明している

*16 「勝海舟」と比定された人物は、のちの研究により佐賀藩出身の蘭方医・相良知安(さがらちあん)であることが明らかになっている

*17 サツマイモは1597年に宮古島に伝わり、江戸時代中期に青木昆陽の尽力によって全国的に広まった。

*18 武田二十四将にも数えられた武田家の足軽大将

*19 本来の題は『信長記』だが、江戸時代の歴史作家・小瀬甫庵の『信長記(甫庵信長記)』と区別するためにこう呼ばれる。ちなみにこの『甫庵信長記』も歴史創作ながら後世の信長像に多大な影響を与えており、長篠の戦いでの三段撃ちなどはこの作品が初出。

*20 ヴォイニッチ曰く、この手稿はイングランドの錬金術師ロジャー・ベーコンによって著され、(書くのもめんどくさくなるほどの)あまりにも複雑な経緯を経てヴォイニッチによって1912年にイタリアで発見された

*21 特にこれに関しては「一歩間違えば、ナチスの過ちである「特定コミュニティの弾圧に法のお墨付きを与えた」を繰り返すことになりかねない」として見直すべきとする意見も実際の仏教コミュニティを中心に根強い

*22 いわゆる「悪の組織のフリー素材」のナチスはこの理由から、多少カッコいい程度・ドイツ国外の作品であれば黙認されるのが通例。どう見ても黒人のゲーリングとか…ヒトデのバケモノになった総統とか…

*23 これは最初から明確にフィクション。歴史記録としての『三国志』はもっと魏寄りの論調で、主人公相当なのも曹操や司馬懿など魏か晋勢力の人。近年は「内容は演義優先だがメインは魏や晋」の折衷パターンの作品も多いが。

*24 嘘です