ナイトリーソード

登録日 : 2021/02/21 (日) 15:00:38
更新日 : 22/01/15 Sat 04:10:31
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ナイトリーソードとは、中世ヨーロッパ*1で使用された刀剣類の便宜的な区分である。

別名アーミングソードまたは片手剣とも呼ばれるが、製造年代が古いものはスパタと呼称し、ナイトリーソードの前身と見なす専門家もいる*2

平均的な重量は約1kg、刃渡りは75cm~90cm程度。

おそらく、多くの日本人がイメージするであろう、ステレオタイプの西洋剣のひとつ*3

名称と立ち位置

直訳すると騎士。アーミングソードは武装剣となる。

どんな剣かと言えば、「ロング」ソードでも「ショート」ソードでも、ましてや「グレート」ソードでもないただの「刀剣(ソード)」であり、ある意味(中世ヨーロッパの)「刀剣(ソード)」の基本型・基準といっても過言ではない。
(一部のTRPGなどでは「ノーマルソード」つまり「普通の剣」と呼称していた。)

「ロング」だの「ショート」だのという分類は、19世紀のイギリス人学者達が、推測で作った便宜的な区分であって、当時の人はよほど特徴的なものでもない限り刀剣類は全て「刀剣」と呼んだとされる。
また実際はイギリスとドイツでは若干辿った歴史的経緯は異なるのだが余程詳しい書籍でもない限りはこの辺りをミックスし過ぎて誤った内容を掲載しがちである。

一方、ショートソードという単語に関しては、平民階級の兵士が使った刀剣類に対する蔑称という説がある。これは中世ヨーロッパでは、貴族や富裕層が腰に帯びていた長剣(ナイトリーソード)のみが「由緒正しい正規の刀剣」であり、それ以外は「刀剣モドキ」または「巨大なナイフ」的なものだったと見なしていたというものである。。

実際、中世ヨーロッパ前半までの長期間にわたり「刀剣」はありふれた武器ではなく、平民にはとても手が出せないほど高価だった。この武器を買えたのは特権階級*4か精々大金持ちぐらいで、ある種のステータスシンボル的なものだった。

これほどまでに高価だった理由としては、刀剣類という武具が金属をたくさん使うからという理由が挙げられがちである。もろちんこれは間違いではないが、最大の要因はまず当時のヨーロッパでは同時期のアラブや東アジアと比べ、製鉄・冶金方面の技術が劣っていたことがあげられる。要は鉄鉱石から鉄や鋼を作ることが難しかったため、いくら質の良い鉄鉱石が大量に産出しても意味がなかった。

次にローマ帝国崩壊以降、それまで整備されていたあらゆる物流が停滞もしくは崩壊してしまい、鉄資源があっても(産地に偏りがあるため、)鉄がなかなか出回ってこないという事態が多発したためである。 

これらの諸問題は時の流れと共に徐々に改善されていき、「刀剣」を入手できなかった平民兵士たちにも普及し、やがて彼らの一部がZweihander(ツヴァイへンダー)と呼ばれる両手用の大型刀剣を使い出すようになると「ショートソード」の区分は形骸化していく。

使い方・形状

剣身

剣身は真っ直ぐで根本には、リカッソと呼ばれる刃先のない部分がある。一部例外はあるもののもっぱら諸刃で左右対称であり、フラーと呼ばれる軽量化の為の溝が中央に走っていたりいなかったりする。また剣身が破砕しないように敢えて厚みを薄くしてしなるようにしていたが、冶金技術の向上により、フラーはなくなり厚みを増してしならないようになっていった。

先っちょははじめの頃は丸まっていたが、時代が下る毎に鋭くなっていき、二等辺三角形のような感じに近づいていく。
このような形状から「ヨーロッパの刀剣は刺突中心だった」かの言説が多く見られるが、少なくともナイトリーソードに関しては、敵を斬り付け、時には鈍器のように打ちすえる事がほとんどで突きはあまり使われなかったとされる。

また「西洋の剣は大男が大きな剣を棍棒のように振り回し、殴り付ける物だった」というもの多い。これに関しては言い過ぎであり、実際の使用方法としては、甲冑で武装した相手を何度も殴り付け、降参に追い込むという使用方法も存在したが、闇雲に殴ればいいわけではなく攻撃するタイミングに注意しつつ、刃筋をなるべく立てて打ち込むといった精密な動作も要求された(無駄な体力の消耗を防ぐためという側面もある)。

戦場で相対する敵の多くは普段着かそれに毛が生えた程度の軽装兵士であったし、ケンカや決闘など日常的に使用する武器でもあったため、切れ味自体は使い手次第だったけども、そこまで軽視しているわけではなかった。

戦場でのナイトリーソードは、で突撃したあとで持ち変えて使った。たまに「戦場ではといった飛び道具長柄武器がメインでサブウェポン」とはいわれるが、ナイトリーソードを使用した騎士達にとっては槍と並ぶ重要な武器と見なされていたし、飛び道具は「戦場の王者」的な面もあったとはいえ、それ単体では敵を撤退させる能力に欠けていたので、両軍が飛び道具の射撃戦に傾注しすぎると、なかなか勝負がつかず、消耗戦になりやすいという特徴があった。そのため騎士達による白兵戦突撃は、戦死率が高いというリスクがあったものの、戦争を長期化させないためには必要だった。

鍔・柄

鍔は最初は小さな棒っ切れの所謂「棒鍔」で、突いたときに持ち手が剣身へ滑らない様にする程度だったが、徐々に長く大型化していき、
相手の攻撃を防いだり、武器を絡め取る様に敵の動きを制限したりするようになる。一部では鍔の先端部をスパイク状に尖らせ、鍔迫り合いの時に押し込んで相手を傷付ける等に使える様にもしていた。

また、ヨーロッパの刀剣に多く見られる、ポメル(ポンメル)と呼ばれる大きな柄頭の飾りは球状などさまざまな意匠のものがあるが、これは単なる飾りではない。この部位は剣身と同じ材質でできていることが多く、武器の重心を手元に引き寄せ、長寸の刀剣でも片手で素早く扱えるようにするための重りの役割を果たしており、それだけでなく、懐に飛び込んできた相手をこれ(と鍔)で殴り付けるという用法もあった。

材質、製造法

ヨーロッパの刀剣は、「溶けた鉄を鋳型に流し込む方法、所謂鋳造によって量産される」というイメージが強いが、実際には日本刀や中国刀と同じように鍛造で作られることがほとんどである。というのも、鋳造は大砲や鐘のような、比較的大きな物の製造に向いていたが、武具のような軽さ(扱いやすさ)と耐久性のバランス取りが重視されるモノには向いてなかったためである。

中世初期のナイトリーソードは、原始的な炉で精製された軟鉄を鍛造して作られた。そのままでは耐久性に問題があるため、剣の形に素延べせず、針金や破片状に小分けしたものを、炭火で長時間熱したあと、これらを重ねたり捻り合わせるように一体化させてから剣身を成形した。

なぜこのような工程をとるかというと、当時のヨーロッパでは鋼を量産する技術がなく、軟鉄のまま鍛造すれば焼き入れ*5すらできなかったからである。軟鉄の針金や破片を長時間炭火で熱することで、炭素が軟鉄表面に染み込み、部分的に鋼に変質させることができた。

(これ以外の方法で鋼を手にいれたい場合はアラブや東アジア地域では鋼を量産できていたのでそこからどうにか輸入するという手もあったが、輸入ルートが確立していないため難しかった)。

この方法は剣身を磨くとさまざまな模様が浮かび上がったため、模様鍛接と呼ばれた。
しかし、ヨーロッパで鋼を量産する方法が確立すると、程よい柔らかさの鋼を炭火で長時間熱したあとに、焼き入れをするというやり方に変わった(こうすることで芯の部分は柔らかく、外皮の部分は堅くなり丈夫で切れ味のある構造になった)。

ただ、模様鍛接の技法は廃れたわけではなく、中世のヨーロッパでは名剣と名高かったアラブ製の刀剣、通称「ダマスカス刀」に模様鍛接で作られた刀剣に類似した特徴が見られていたため、この技法はアラブ製の刀剣の作成法を解明するための研究として細々と使用されていく。

(「ダマスカス刀」及びそれを構成する「ダマスカス鋼」は、当時のヨーロッパ製の刀剣とは違い鋼鉄製の甲冑に切り込んでも刃毀れせず、手で大きく折り曲げても折れず、手を離せばしなって元に戻ると評判が高かったという。現代でも再現しようとする試みもあるもののこの刀剣及び材質の製造方法は書物には伝説レベルの内容しか記されておらず具体的な製法は口伝などであった為か全く分からないままである。)

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最終更新:2022年01月15日 16:10

*1 西暦500年から西暦1350年までの時代区分。特に西暦500年から西暦1000年辺りまでの期間は、古代ローマ帝国のチート技術が失われたので俗に暗黒時代と呼ばれる。

*2 古い日本語書籍ではロングソードと解説される

*3 これ以外だと、フェンシングで使われるスモールソードの類(エペ、フルーレ等)か、フィクションではあるが『ベルセルク』に登場するドラゴン殺しであろうか

*4 一般的には「騎士」と呼ばれている人達の事

*5 鉄を熱したり冷やしたりして鉄の柔軟性や強度をあげること。ある程度の炭素が含まれている鉄にしか使えない