登録日:2023/07/20 Thu 10:22:09
更新日:2024/12/26 Thu 09:54:15
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週刊100名馬No.30 ウイニングチケット 表紙より
ウイニングチケットとは日本の元
競走馬。愛称は『
チケゾー(チケ蔵)』。
目次
【データ】
誕生:1990年3月21日
死亡:2023年2月18日
享年:33歳
父:トニービン
母:パワフルレディ
母父:
マルゼンスキー
調教師:伊藤雄二 (栗東)
主戦騎手:柴田政人
馬主:太田美實
生産者:藤原牧場
産地:静内町
セリ取引価格:-
獲得賞金:4億2412万5000円(中央)
通算成績:14戦6勝 [6-1-2-5]
主な勝鞍:93'
東京優駿(GⅠ)
【誕生】
1990年3月21日生まれの黒鹿毛の牡馬。
父は産駒が府中に滅法強いことで知られるトニービン。ウイニングチケットは同期の
ベガ共々第一世代の産駒であった。
母のパワフルレディは牝系を辿ると、母母母にオークスと有馬記念を制し、繁殖牝馬としても一大牝系を生み出した名牝・スターロツチに至る血統であり、後にウイニングチケットの三年年下の半弟ロイヤルタッチ(父
サンデーサイレンス)も重賞2勝を記録している。
誕生に際しては、体型や骨格が父トニービンに「そっくり」、顔つきは母母父テスコボーイに「そっくり」、それでいて母父マルゼンスキーの「いいところが出ている」という名馬の欲張り3点セットを持ち合わせ、生後3日目にして見学に来ていた故・伊藤雄二師の厩舎に入厩が決まっている。
こうしてパワフルレディの6番仔は伊藤師のかねてよりの知人であった馬主の太田美實氏の手元に渡り、
英語で当たり馬券を意味する「
Winning Ticket」と命名されることになった。
【現役時代】
1992年9月に函館競馬場の3歳新馬戦芝1200mでデビューするも5着。連闘で翌週の「2回目」新馬戦では1番人気に応えて1着。
2か月の休養を挟んでオープン戦を勝利、当時オープン戦のホープフルSも3馬身差をつけての1着と3連勝、4戦3勝でクラシックシーズンを迎える。
1993年のクラシックシーズン初戦は皐月賞トライアル・弥生賞。ここで後に「BNW」と称される3強の一角・
ナリタタイシンとの初顔合わせとなった。
スタートから最後方でレースを進め、最終コーナーを大外6番手から末脚爆発。その後は差をつける一方で2着ナリタタイシンに2馬身つけての勝利となり、これが重賞初制覇。皐月賞への優先出走権を確保し、皐月賞に挑むことになる。
驚くべきことに、弥生賞のレースレコードも更新。それどころか、同距離同条件である皐月賞レコードすら1秒上回っていたのである。
その皐月賞レコードだが、なんと"皇帝"
シンボリルドルフが1984年に出したレコードである。
皐月賞は1番人気に支持され、2番人気は「BNW」のB、
ビワハヤヒデ。ここまで1着4回、2着2回と安定感が売りで、当日はこの2強と見られていた。
レースでは3番人気ナリタタイシンとともに後方を追走、第3コーナーから徐々に進出し先頭争いに加わるも最終直線で失速。抜け出したビワハヤヒデだが、ゴール直前でナリタタイシンの"鬼脚"に屈し、クビ差で2着。
ウイニングチケットは5着入線と振るわなかったが、3着ガレオンが斜行で進路妨害を行ったとして降着。チケットは4着に繰り上がりとなり日本ダービーへの優先出走権は確保できた。
続く日本ダービー。
1番人気はウイニングチケット。2番人気にビワハヤヒデ、3番人気にナリタタイシンと「3強」の構図となった。
ウイニングチケット鞍上の柴田政人は取材陣に対しても非常に丁寧な対応をすることで知られていたが、ダービー1週間前から取材を全て断る異例の対応をとり、結果として作戦を公にすることなく本番を迎えることになった。
そしてナリタタイシンには武豊が、ビワハヤヒデには柴田政人の同期でダービー2勝目を狙う岡部幸雄が騎乗と、人馬共に役者が揃った。
レースはミドルペースで進み、第3コーナーから徐々に進出。
最終直線残り400m。ウイニングチケットは先頭に立つが内からビワハヤヒデ、外からはナリタタイシンの猛追を受けるも、粘りに粘って逃げ切り、2着ビワハヤヒデに半馬身残してゴール。
さあ、先頭はウイニングチケットか!?内をついてはビワハヤヒデ!
先頭はウイニングチケット!ウイニングチケット!!ウイニングチケット!!!
柴田これが念願のダービー制覇!!!
柴田政人 勝ちました!悲願のダービー制覇!
ウイニングチケットで遂げました!!
ウイニングチケット、そして馬主の太田氏にとって初のGⅠ制覇にして、鞍上の柴田政人にとっても騎手キャリア27年目、ダービー19回目の挑戦にして初のダービージョッキーの称号を獲得。「マサト」コールの大合唱が府中に響き渡った。
勝利ジョッキーインタビューで、「誰にこの勝利を伝えたいか?」と聞かれると、こう答えたという。
世界のホースマンに、60回のダービーを獲った柴田ですと報告したいなと思います。 ──柴田政人
しかしダービー馬は後にこう言われることもある。
「その戦いに勝ったことで、燃え尽きてしまった馬もいる。」(2013年日本ダービーCM)
実際、ダービー馬はダービーを勝った後にそれから先走る事なく様々な理由で引退したりスランプに陥ったりしてしまう例が多いのだが、残念ながらウイニングチケットもその例に漏れなかった。
夏休みを経て菊花賞を目指すべく、秋は京都新聞杯から始動。
最終コーナーで進路を失い最後方になるも、残り200mから外に持ち出し末脚を炸裂。マイヨジョンヌをクビ差差し切って重賞3勝目を挙げた。
しかし菊花賞では、夏を経て成長したビワハヤヒデに5馬身半つけられての5着。ナリタタイシンは病み上がりぶっつけ本番で挑んだため万全とは程遠い状態で挑んだため17着と大敗。結果的に、「BNW」が一堂に会する最後のレースとなった。
続くジャパンカップもレガシーワールドの3着、年内最終戦
有馬記念では折り合いがつかず、
トウカイテイオーの11着。
古馬となった1994年は夏の高松宮杯から始動。柴田政人が落馬負傷したために柴田善臣に乗り替わりとなり、1番人気に支持されるも
ナイスネイチャの5着。
オールカマーは武豊に乗り替わりとなったが、ビワハヤヒデの2着。
天皇賞(秋)も鞍上は引き続き武豊。1番人気をビワハヤヒデに譲り、自身は2番人気に支持されたが伸びきれず8着。ビワハヤヒデは5着と、自身初にして唯一連対を外す結果となった。
さらにレース後にはビワハヤヒデ共々屈腱炎を発症したことが発覚。出走を予定していたジャパンカップは回避することになり、揃って引退が決定。
翌1995年2月に登録が抹消され、同月には主戦騎手を務めた柴田政人も騎手を引退している。
【引退後】
引退後は静内スタリオンステーションで種牡馬として供用されることになったが活躍馬は出ず、2005年に種牡馬を引退。
直接の産駒としては97年産のベルグチケットが1999年フェアリーSを勝利したが、これが産駒唯一のJRA重賞タイトル。
ロイヤルタッチも一頭JRA重賞産駒を輩出しているので、これでもBとNに比べれば十分いい種牡馬成績なのだが…
母父としては中央重賞馬こそ2014年オーシャンS、15年中京記念を制したスマートオリオン(父:
グラスワンダー)のみだが、08年NHKマイルカップ2着、ダービー3着のブラックシェル、21年大阪杯のレイパパレの母シェルズレイを輩出した。
その後はうらかわ優駿ビレッジAERUで功労馬として繋養され、最後まで同地で余生を送った。
サラブレッドの平均寿命は大体20歳前後なのだが、ウイニングチケットは30歳を越えて老馬となってなお健康体そのもので、歯も丈夫でニンジンをボリボリ食べたり軽くランニングもしたりするし、ゴロゴロした後もスクッと立ち上がることが出来る程だった。
ランニングの様子は「チケゾーダッシュ」と呼ばれ日課になっていた模様で、毛艶はツヤツヤで実際に触った事もある方によると触り心地はとても良かったらしい。
晩年はAERUのスタッフも年齢詐称してるのではないかと疑い始めていた模様
種牡馬引退後、牧場に来た際には年齢の割に非常に逞しい風体からか周りの馬が「格の違い」を感じてしまう程だったらしく、いつのまにかボス馬ポジションにおさまっていたらしい。
2023年2月18日に疝痛のため死去したことが、うらかわ優駿ビレッジAERU公式ツイッターによって発表された。33歳没。
これによって20世紀のダービー馬は全員この世を去り、存命中のダービー馬としては
タニノギムレットが最年長となった。
また、ライバルだったビワハヤヒデとナリタタイシンは、共に2020年に老衰でこの世を去ったのだが、2頭はこのとき30歳。人間に換算すれば90歳前後まで生きていたことなる。揃いも揃って大往生である。
クラシック三冠を分け合った3頭が揃ってここまで長寿だった例はもちろんBNW以外になく、もしかしたら誰が1番長く生きるか果てしない競争をしていたのかもしれない。
【創作作品での登場】
2巻収録の「チケゾーの恩返し」で担当厩務員だった島明広氏とのエピソードが描かれている他、
5巻収録の「匠三代」でも鞭職人の鈴木高志氏が作った鞭でダービーを勝った馬としてチラッと触れられている。
3巻収録の「ウイニングチケット~競馬双六~」の(一応)主役馬。
「賭け事は悪い事」と教えられて育った気の弱いサラリーマンが、ひょんな事から出会った謎の男性に「悪の道」に誘われる物語で、ウイニングチケットはメインレースだった日本ダービーの勝ち馬として登場。
ちなみにこの回、何故か他の回に比べて人間の作画がデフォルメ寄りになっている。
基本気のいいお兄さんキャラ。
ダービー前にはマサトさん(柴田騎手)にダービージョッキーを掴んでほしい過去騎乗馬達から毎回これだったから馬達が潰れたのではと感じるくらい過剰な発破を掛けられ、
肝心のダービー時には「ダービーに勝ったら引退する、くらいの気持ちで乗らないとダービーには勝てない」というマサトさんの過去発言の前半部分だけを噂で聞いて不安に襲われるも本人からの昔話を聞かされ引退するなんて勘違いは治らなかったが無事勝利。
直後同期の牝馬マックスジョリーに淡い想いを寄せていたが、翌年マサトさんが怪我で本当に引退してしまった事で落ち込んでしまい、そのままひっそりと引退。
引退後は半弟ロイヤルタッチのきさらぎ賞勝利に歓び同時期に半妹が負けたビワハヤヒデときょうだい自慢で喧嘩になり、小さい全妹スカラシップの苦闘に思い悩んだりしており、
2004年の「ビワハヤヒデメモリアル」後と2010年のお披露目時にビワハヤヒデと再会。後者では史実では来なかったナリタタイシンとも再会している。
純朴で素直な性格。とんでもなく涙もろく、事あるごとに感極まって泣き出す。
底抜けのお人好しでナリタタイシンに構いまくるとってもいい子。
色々とデカいビワハヤヒデが近くにいるから気づきにくいが実はかなりのナイスバディ。アニメでは何故かサイズを大幅に減らされている。
アプリではメインストーリー第3章の主役として抜擢、同時にクリア報酬でSSRのサポートカードも実装された。
入手できるスキルの中にスペシャルウィークが保有している「全身全霊」があることで一躍話題に。
だがスペ同様確率による入手ではないか…と思われたがイベントさえ進めば確定だったことにユーザーからは驚きの声が上がった。同時になかなかくれなかったスペのネタが加速した
主役馬「ミドリマキバオー」は、「父が凱旋門賞馬で母父が『マルゼニスキー』」「父の先行産駒の名が『W(ウンチング)チケット』」「半妹と半弟の父が『サンデーサイデンス』」「ダービー馬」「競走馬名の前に付けられ騎手等からの愛称にもなった名前が『うんこたれ蔵』」と妙にウイニングチケットとの共通点が多く、
マキバオーのモデル自体は謎なものの、血統図の由来の可能性が高いと思われる。
とはいえマキバオーはチケットとは真逆の白毛色であり、最終的に三冠馬の半弟を持つ兄馬にもなったので若干ビワハヤヒデ味もしないでもないが…
追記・修正は、日課のランニングをこなしてからお願いします。
- たれ蔵はBNW要素の集合体のような気もすり -- 名無しさん (2023-07-20 20:58:27)
- ↑確かに小柄な馬体と末脚はナリタタイシンっぽい -- 名無しさん (2023-07-21 01:33:27)
- ナリタタイシンの項目もお願いします -- 名無しさん (2023-07-21 01:39:14)
- うらかわビレッジではタイムパラドックスとスズカフェニックスとも交流があったんだよな。相方のパラドックスが旅立ってしまったことで寂しがっていたスズカを慰めていたって話好き。チケゾーはボスじゃなくてリーダーだったんやなって。 -- 名無しさん (2023-07-21 01:56:31)
最終更新:2024年12月26日 09:54