グラスワンダー(競走馬)

登録日:2022/05/25 (水曜日) 15:06:02
更新日:2022/06/24 Fri 08:16:00
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99年、宝塚記念。

標的はただ1頭、同期のダービー馬だった。

今行くか。いや、まだか。いや、今か。

一瞬の判断で未来を変えた、未知なる栗毛。その馬の名は……


──2012年宝塚記念CMより

グラスワンダー(Grass Wonder)とは、アメリカで生まれ日本で調教された元競走馬、種牡馬である。

『ウマ娘 プリティーダービー』におけるグラスワンダーはこちら→グラスワンダー(ウマ娘 プリティーダービー)

データ

生年月日:1995年2月18日
父:Silver Hawk
母:Ameriflora
母父:Danzig
調教師:尾形充弘(美浦トレーニングセンター)
馬主:半沢(有)
生産者:Phillips Racing Partnership&John Phillips
産地:アメリカ合衆国
獲得賞金:6億9164万6000円
通算成績:15戦9勝
主な勝鞍:1997年朝日杯3歳ステークス(G1)、1998年・1999年有馬記念、1999年宝塚記念

経歴


前途洋々たる若駒

1995年、アメリカの牧場で生まれたグラスワンダー。
父シルヴァーホークはアメリカで生まれイギリスで活躍した馬。G1戦線では「善戦マン」気味でG3止まりだったが、父父ロベルトは最強馬を倒してしまったことから「世紀の悪役」と称されるもリアルシャダイ・ブライアンズタイム等日本における名種牡馬を輩出。
母父ダンジグはノーザンダンサー系の名馬であり牝系の根を辿ると他に1995年ジャパンカップ馬シングスピール等を輩出しているがグラスの母自体は凡庸と、どこにでもいる様なそこそこ良いくらいの血統だったが、
1996年キーンランドで行われたセリ市にてその馬体に才能を見出した日本の調教師尾形充弘氏が、ドバイの馬産ゴドルフィンと競って彼を購入。
「グラス」の冠名を使う半沢(有)(トップは半沢信彌氏)が権利を取得し、日本でデビューすることになった。
ちなみにその後、グラスワンダーの全妹ワンダーアゲインはアメリカG1で2勝しており、両親は競走馬として微妙だった点を仔達の活躍で補うことになった。

日本にやって来たグラスワンダーは、まずノーザンファーム空港牧場で調教を開始し、早くもその走りが高評価を獲得。
なおこの時、本州へ旅立つグラスと入れ替わるように空港牧場に来たのが、同期にして後に古馬戦線におけるライバルとなるスペシャルウィークだった。
1997年には美浦の尾形厩舎で正式にデビュー前訓練を始め、そこで尾形師にオファーを受けた的場均騎手が主戦を担当することになる。

かくて1997年9月、堂々とデビュー…だったが、実はスタートが苦手という弱点があったため、ある程度余裕を持って走れるように中山1800m新馬戦で初勝利。
これに自信を付けたか、次いで初戦より短い1400mでも勝利し、G2京成杯3歳ステークス・G1朝日杯3歳ステークスと快勝。
この3歳時無敗重賞2勝の雄姿から、馬同士の力量を仮定斤量で示す「JPNクラシフィケーション」では奇しくも外国で種を受けた悲運のスーパーカーマルゼンスキーと比較され話題となった。が…


怪我と強敵に苦しむ若駒

1998年は1月から調教開始となったが、この頃歩様に異変が見られ、クラシックに参加できない外国産馬が向かう定番レースニュージーランドトロフィー4歳ステークスへ向かおうとした3月、右後脚の第3中手骨骨折が判明
泣く泣くノーザンファーム空港牧場に戻り、8月まで療養生活する羽目になった。
一方グラスが寝込んでいる間、的場騎手の新たな愛馬エルコンドルパサーが話題となっており、グラスが断念したニュージーランドトロフィーとNHKマイルカップを制覇。一躍外国産組のトップとなっていた。
グラスワンダーの休養前から「的場騎手は2頭が同時に出走した際どちらを選ぶのか?」とファン内で話題になっていたが、
8月に美浦に戻り次のレースが決まった時点でも骨膜炎という後遺症が残っていたグラスワンダーを見て、的場騎手は大いに迷うも、最終的にグラスワンダーを選択

何とか無事「選ばれた夢*1」となったグラスワンダーは復活初戦1998年第49回毎日王冠へと挑むが、
そこで待っていたのは的場騎手に捨てられたエルコンドルパサーと「異次元の逃亡者」サイレンススズカ
病み上がりでは絶好調のこの2頭を倒すのはきつかったのか、スズカ1着・パサー2着と大激突する中で5着に沈んだ。
また次にジャパンカップを目指して初の長距離重賞アルゼンチン共和国杯に参戦するも、慣れない距離が祟ったか6着に敗れ、パサーとの再戦になるはずだったジャパンカップは回避する羽目に…。
3歳時の好調からの故障と不調で、誰もがグラスワンダーは終わった、的場騎手は騎乗馬選択を誤ったと思った。しかし…

傷つきながらグランプリで輝く名馬

陣営が1998年最後のレースとして選んだのは、年末の大舞台有馬記念
レース場所こそ違うがアルゼンチン共和国杯と同距離設定な舞台という不安要素はあったが、グラスワンダーの調子は実はこの時急上昇。
ジャパンカップで猛威を振るったエルコンドルパサーとダービー馬スペシャルウィークは回避し、この年の年度代表馬だがマイル・短距離系だったタイキシャトルはその前に引退、サイレンススズカは天皇賞(秋)で無念の死を遂げていたものの、
同期の二冠馬セイウンスカイと良血馬キングヘイロー・天皇賞(春)馬メジロブライトに最年長G1勝利の天皇賞(秋)馬オフサイドトラップ、G1レースでシルコレ上位圏に食いつくステイゴールドに共和国杯勝者ユーセイトップラン、女帝エアグルーヴに牝馬初のG14勝馬メジロドーベル、前年度有馬優勝馬シルクジャスティスと錚々たる面子が集うレースで、
グラスワンダーは一年ぶり、そして有馬記念史上初の外国産馬勝利にして有馬史上初の最短キャリア(7戦目)勝利を飾り、見事に復活(2着メジロブライト・3着ステイゴールド)。
余談だが名前の「グラス」は馬主の兄が所有していた菊花賞・有馬記念馬「グリーングラス」から来ており、ある意味では縁起が良かったのかも知れない。

これに勢いづく…かに見えたが、明けて1999年、3月にまたもや故障(右肩筋肉痛)が見つかり、左眼下部裂傷もあって5月まで休養。
それでも1999年初戦京王杯スプリングカップ(1400m)を勝ち、流石に朝日杯と同じ距離設定とはいえ6月の安田記念は同期のマイル王エアジハードの前に2着だったが、
次いで西のグランプリにして天皇賞(春)を征したスペシャルウィークとの初戦となる宝塚記念でも快勝(スペシャルウィーク2着。ステイゴールド3着)。

宝塚後は秋の毎日王冠に再チャレンジし陣営は不完全燃焼な勝ち方で左回りという新たな弱点の可能性も生まれたがリベンジを達成し、ジャパンカップに…と思ったらまた左脇腹筋肉痛で断念。
ちなみにジャパンカップと同日海外遠征を終えたエルコンドルパサーが引退式を行っており、パサーとの再戦は叶わなかった、
そして連覇がかかる有馬記念。グラスワンダーは天皇賞(秋)・ジャパンカップを征しラストランとなるスペシャルウィークに僅差で一番人気となり、本番でも大接戦。
虚弱体質に苦しんだ同期ツルマルツヨシ(4着)、翌年の競馬界を征することになる皐月賞馬テイエムオペラオー(3着)を交わし、スペシャルウィークとほぼ同時にゴール
写真判定の結果僅差でグラスワンダーに軍配は上がり、グランプリレース3連勝の偉業を達成した年度代表馬&最優秀5歳以上牡馬、そして後年の顕彰馬の座はエルコンドルパサーに取られたが。

一時は「もうこれ引退でよくね?」案もあったが、「今引退しても種牡馬としてスぺやパサーと繁殖牝馬の取り合いになるだろ(意訳)」という反対から2000年も現役続行を決定。
2000年から枠数限定で外国産馬にも解禁された天皇賞勝利を目指すも、この頃グラスワンダーの調子が大きく悪化(体重増加等)。
3月の日経賞(6着)・5月の京王杯スプリングカップ(9着)と負けが嵩み、最後は尾形師の意向により的場騎手が降ろされ、
エルコンドルパサーの2代目主戦だった蛯名正義騎手と共に宝塚記念に向かうも、世紀末覇王化しつつあったテイエムオペラオーに敗れ(6着)、直後骨折が判明し引退。2000年12月には有馬記念と同日に中山競馬場で引退式が開かれた。

結局4歳(現3歳期)からは終始故障に悩まされた競走生活であり、「もし怪我が無ければもっと活躍していたのでは」という声は根強く存在している。
ちなみに多くのレースの手綱を取った騎手・的場均は、グラスワンダーの引退式に出席した際
「グラスワンダーの本当の強さを、皆さんにお見せすることができなかったのが、残念でなりません」
とのコメントを残している。このコメントの違和感が分かるだろうか?
『志半ば、中途半端で終わってしまった馬に対して』ならばともかく、『G1を4勝もした馬に対して』こう言っているのである。
つまり裏を返せば「もしグラスワンダーが順調だったなら、G14勝どころじゃなかったんですよ」「レースの勝ち方も、本当に強いグラスワンダーなら、あんなものではなかったんですよ」と言っているに等しく、
彼がどれだけ関係者に期待を寄せられていたかが伺えるエピソードである。



引退後

引退後は2001年からエルコンドルパサーと同じ社台スタリオンステーションで種牡馬入り(2007年にブリーダーズ・スタリオン・ステーション、2016年にビッグレッドファームに移動)。
エルコンドルパサーやキングヘイロー共々非サンデーサイレンス系種牡馬としてそれなりに人気があり、社台期にはシャトル種牡馬としてオーストラリアに出張しつつ2008年にはJRA種牡馬ランキングで10位にランクイン。
代表産駒はマルカラスカル(2006年中山大障害・2008年中山グランドジャンプ)・スクリーンヒーロー(2008年ジャパンカップ)・セイウンワンダー(2008年朝日杯フューチュリティステークス)・アーネストリー(2011年宝塚記念)等。
この内スクリーンヒーローが後継種牡馬として活躍しモーリス(国内・香港G1総計6勝)・ゴールドアクター(2015年有馬記念)を輩出。
モーリスの産駒からもピクシーナイトが2021年スプリンターズステークスを征したため、JRAグレード制施行以降初の父子四代でのGI競走制覇という偉業が達成された。また、モーリスはオーストラリアでもシャトル運用されており、ヴィクトリアダービー・豪ギニー・豪ダービーを制したHitotsuを始め、日本以上に種牡馬成績は良好。
現状他の同期でも父系孫世代の後継種牡馬樹立はかなり厳しいものがあるため*2、ことサイアーライン確立という点では1998年クラシック世代で一番成功した馬だろう
また母父グラスワンダーの馬では2013年オークス・秋華賞を征したメイショウマンボが有名。
そしてグラスワンダー本馬は2020年、25歳で種牡馬を引退。
2022年5月時点でも存命で、現在は奇しくも同じ宝塚記念を制した名馬ハイセイコーの墓がある明和牧場でタンポポを根絶やしにしながら余生を過ごしている。

フィクション作品への登場

●新・優駿たちの蹄跡(やまさき拓味)
「最後の仕事」に登場。1999年末に定年退職した厩務員大西美昭氏の視点から怪我に苦しみながらも立ち上がり、的場騎手が自分を選んでくれたことや大西氏との別れに涙するグラスワンダーの様子が描かれている。

馬なり1ハロン劇場(よしだみほ)
不遇。具体的には…
1997年朝日杯3歳ステークス・1999年有馬記念:12月開催のレースは雑誌や締め切りの都合で連載当時殆ど漫画の題材に出来なかった。
1998年毎日王冠~有馬記念:この頃漫画が掲載誌休刊のせいで休載中のため、書く機会がなかった。
1999年宝塚記念:出番自体はあったがこの回の主役はステイゴールドだったためほぼモブ。
1999年京王杯スプリングカップ:理由は不明だがなぜか題材にならなかった。
1999年毎日王冠:同日開催の京都大賞典の方が漫画題材にされたため書かれなかった。
とことごとく勝ち鞍回自体が殆ど存在しない、出番があっても主役にされないという不運に見舞われている。
一応エルコンドルパサー編では「マトバ騎手を巡るライバル」、2000年前半期ではサブキャラとして出番はあり、新年会編でワインを持参し翌年には父親が登場、セイウンワンダーとアーネストリーの勝利回では父親として顔を見せたのだが…。
しかしスクリーンヒーローや彼の産駒達の回はヒーローの母母ダイナアクトレスから繋がる「役者一家」話になったため、グラスの出番は無かった。
ただ単行本『ぼ-ん・とぅ・び-競馬ファン』では4コマだが彼とマトバ騎手を主役とした話が掲載されている。



追記・修正は足元のタンポポを根絶やしに出来る方がお願いします。


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最終更新:2022年06月24日 08:16

*1 ヒーロー列伝ポスターより

*2 セイウンスカイとエアジハードはついに後継となる種牡馬を出せずに終わり、スペシャルウィーク・キングヘイロー、及びシャトル先で子孫を繋いだアグネスワールドは後継種牡馬を樹立出来たが孫世代の後継は未だ現れず、エルコンドルパサーの孫世代からは2018年にアイファーソング・2021年にノブワイルドが種牡馬入りしたが、未だその産駒から目立った活躍馬は出ていない。