グラスワンダー(競走馬)

登録日:2022/05/25 (水曜日) 15:06:02
更新日:2025/02/27 Thu 10:13:05
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99年、宝塚記念。

標的はただ1頭、同期のダービー馬だった。

今行くか。いや、まだか。いや、今か。

一瞬の判断で未来を変えた、未知なる栗毛。その馬の名は……


──2012年宝塚記念CMより

グラスワンダー(Grass Wonder)とは、アメリカで生まれ日本で調教された元競走馬、種牡馬である。


データ

生年月日:1995年2月18日
父:Silver Hawk
母:Ameriflora
母父:Danzig
調教師:尾形充弘(美浦トレーニングセンター)
馬主:半沢(有)
生産者:Phillips Racing Partnership&John Phillips
産地:アメリカ合衆国
獲得賞金:6億9164万6000円
通算成績:15戦9勝
主な勝鞍:1997年朝日杯3歳ステークス(GⅠ)、1998年・1999年有馬記念、1999年宝塚記念

経歴


前途洋々たる若駒

1995年、アメリカの牧場で生まれたグラスワンダー。
父シルヴァーホークはアメリカで生まれイギリスで活躍した馬。GⅠ戦線では「善戦マン」気味でGⅢ止まりだったが、父父ロベルトは、当時無敗を誇った最強馬ブリガディアジェラードを倒してしまった(上に結局生涯戦績18戦17勝と唯一の土を付けた)ことから「世紀の悪役」と称されるも、リアルシャダイ・ブライアンズタイム等日本における名種牡馬を輩出。
母父ダンジグはノーザンダンサー系の名馬であり牝系の根を辿ると他に1995年ジャパンカップ馬シングスピール等を輩出しているがグラスの母自体は凡庸と、どこにでもいる様なそこそこ良いくらいの血統だったが、
1996年キーンランドで行われたセリ市にてその馬体に才能を見出した日本の調教師尾形充弘氏が、ドバイのシェイク・モハメド率いる馬産「ゴドルフィン」と競って彼を購入。
「グラス」の冠名を使う半沢(有)(トップは半沢信彌氏)が権利を取得し、日本でデビューすることになった。
ちなみにその後、グラスワンダーの全妹ワンダーアゲインはアメリカでGⅠを2勝しており、両親は競走馬として微妙だった点を仔達の活躍で補うことになった。

日本にやって来たグラスワンダーは、まずノーザンファーム空港牧場で調教を開始し、早くもその走りが高評価を獲得。
なおこの時、本州へ旅立つグラスと入れ替わるように空港牧場に来たのが、同期にして後に古馬戦線におけるライバルとなるスペシャルウィークだった。
1997年には美浦の尾形厩舎で正式にデビュー前訓練を始め、そこで尾形師にオファーを受けた的場均騎手が主戦を担当することになる。

かくて1997年9月、堂々とデビュー…だったが、実はスタートが苦手という弱点があったため、ある程度余裕を持って走れるように中山1800m新馬戦で初勝利。これに自信を付けたか、次いで初戦より短い1400mでも勝利。
次走はGⅡ京成杯3歳ステークス。ここでグラスワンダーは重賞初挑戦であるにもかかわらず2着馬を6馬身ちぎる圧勝劇を披露。満を持してGⅠに挑む準備を整えた。
そして、3歳最後のレースはGⅠ朝日杯3歳S。単勝1.3倍という圧倒的な一番人気を背負い迎えたこのレースでは、スタート後は中団につけ、最終直線で抜け出すと、後続に2馬身半の差をつけて見事勝利。勝ちタイムの1分33秒6は当時のレースレコードだった。これらの活躍が評価され、年末にはJRA賞の最優秀3歳牡馬を受賞。
この3歳時無敗重賞2勝の雄姿から、馬同士の力量を仮定斤量で示す「JPNクラシフィケーション」では奇しくも外国で種を受けた悲運のスーパーカーマルゼンスキーと比較され話題となった*1

だが、しかし…


怪我と強敵に苦しむ若駒

1998年は1月から調教開始となったが、この頃歩様に異変が見られ、クラシックに参加できない外国産馬が向かう定番レースニュージーランドトロフィー4歳ステークスへ向かおうとした3月、右後脚の第3中手骨骨折が判明
泣く泣くノーザンファーム空港牧場に戻り、8月まで療養生活する羽目になった。
一方グラスが寝込んでいる間、的場騎手の新たな愛馬エルコンドルパサーが話題となっており、グラスが断念したニュージーランドトロフィーとNHKマイルカップを制覇。一躍外国産組のトップとなっていた。
グラスワンダーの休養前から「的場騎手は2頭が同時に出走した際どちらを選ぶのか?」とファン内で話題になっていたが、
8月に美浦に戻り次のレースが決まった時点でも骨膜炎という後遺症が残っていたグラスワンダーを見て、的場騎手は大いに迷うも、最終的にグラスワンダーを選択

何とか無事「選ばれた夢*2」となったグラスワンダーは復活初戦1998年第49回毎日王冠へと挑むが、
そこで待っていたのは的場騎手に捨てられたエルコンドルパサーと「異次元の逃亡者」サイレンススズカ
病み上がりでは絶好調のこの2頭を倒すのはきつかったのか、スズカ1着・パサー2着と大激突する中で5着に沈んだ。
また次にジャパンカップを目指して初の長距離重賞アルゼンチン共和国杯に参戦するも、慣れない距離が祟ったか6着に敗れ、パサーとの再戦になるはずだったジャパンカップは回避する羽目に…。
3歳時の好調からの故障と不調で、誰もがグラスワンダーは終わった、的場騎手は騎乗馬選択を誤ったと思った。しかし…

傷つきながらグランプリで輝く名馬

陣営が1998年最後のレースとして選んだのは、年末の大舞台有馬記念
レース場所こそ違うがアルゼンチン共和国杯と同距離設定な舞台という不安要素はあったが、グラスワンダーの調子は実はこの時急上昇。
ジャパンカップで猛威を振るったエルコンドルパサーとダービー馬スペシャルウィークは回避。後にこの年の年度代表馬となったタイキシャトルはマイル以下の距離が専門であったため、前週のスプリンターズSを最後に引退。サイレンススズカは天皇賞(秋)で無念の死を遂げていた。
それでも、同期の二冠馬セイウンスカイと良血馬キングヘイロー・天皇賞(春)馬メジロブライトに最年長GⅠ勝利の天皇賞(秋)馬オフサイドトラップ、GⅠレースでシルコレ上位圏に食いつくステイゴールドに共和国杯勝者ユーセイトップラン、女帝エアグルーヴに牝馬初のGⅠ4勝馬メジロドーベル、前年度有馬優勝馬シルクジャスティスと錚々たる面子が集うレースで、
グラスワンダーは一年ぶり、そして有馬記念史上初の外国産馬勝利にして有馬史上初の最短キャリア(7戦目)勝利を飾り、見事に復活(2着メジロブライト・3着ステイゴールド)。
余談だが冠名の「グラス」は馬主の兄が所有していた有馬記念馬「グリーングラス」*3から来ており、ある意味では縁起が良かったのかも知れない。

これに勢いづく…かに見えたが、明けて1999年、3月にまたもや故障(右肩筋肉痛)が見つかり、左眼下部裂傷もあって5月まで休養。
それでも1999年初戦京王杯スプリングカップ(1400m)を勝ち、流石に朝日杯と同じ距離設定とはいえ6月の安田記念は同期のマイル王エアジハードの前に2着だったが、
次いで西のグランプリにして天皇賞(春)を制したスペシャルウィークとの初戦となる宝塚記念でも快勝(スペシャルウィーク2着。ステイゴールド3着)。

宝塚後は秋の毎日王冠に再チャレンジし陣営は不完全燃焼な勝ち方で左回りという新たな弱点の可能性も生まれたがリベンジを達成し、ジャパンカップに…と思ったらまた左脇腹筋肉痛で断念。
ちなみにジャパンカップと同日海外遠征を終えたエルコンドルパサーが引退式を行っており、パサーとの再戦は叶わなかった、
そして連覇がかかる有馬記念。グラスワンダーは天皇賞(秋)・ジャパンカップを制しラストランとなるスペシャルウィークに僅差で一番人気となり、本番でも大接戦。
虚弱体質に苦しんだ同期ツルマルツヨシ(4着)、翌年の競馬界を席巻することになる皐月賞馬テイエムオペラオー(3着)を交わし、スペシャルウィークとほぼ同時にゴール
写真判定の結果僅差でグラスワンダーに軍配は上がり、グランプリレース3連勝の偉業を達成した年度代表馬&最優秀5歳以上牡馬、そして後年の顕彰馬の座はエルコンドルパサーに取られたが。

一時は「もうこれ引退でよくね?」案もあったが、「今引退しても種牡馬としてスぺやパサーと繁殖牝馬の取り合いになるだろ(意訳)」という反対から2000年も現役続行を決定。
2000年から枠数限定で外国産馬にも解禁された天皇賞勝利を目指すも、この頃グラスワンダーの調子が大きく悪化(体重増加等)。
3月の日経賞(6着)・5月の京王杯スプリングカップ(9着)と負けが嵩み、最後は尾形師の意向により的場騎手が降ろされ、
エルコンドルパサーの2代目主戦だった蛯名正義騎手と共に宝塚記念に向かうも、世紀末覇王化しつつあったテイエムオペラオーに敗れ(6着)、直後骨折が判明し引退。2000年12月には有馬記念と同日に中山競馬場で引退式が開かれた。

結局4歳(現3歳期)からは終始故障に悩まされた競走生活であり、「もし怪我が無ければもっと活躍していたのでは」という声は根強く存在している。
ちなみに多くのレースの手綱を取った騎手・的場均は、グラスワンダーの引退式に出席した際
「グラスワンダーの本当の強さを、皆さんにお見せすることができなかったのが、残念でなりません」
とのコメントを残している。このコメントの違和感が分かるだろうか?
『志半ば、中途半端で終わってしまった馬に対して』ならばともかく、『GⅠを4勝もした馬に対して』こう言っているのである。
つまり裏を返せば「もしグラスワンダーが順調だったなら、GⅠ4勝どころじゃなかったんですよ」「レースの勝ち方も、本当に強いグラスワンダーなら、あんなものではなかったんですよ」と言っているに等しく、
彼がどれだけ関係者に期待を寄せられていたかがうかがえるエピソードである。



引退後

引退後は2001年からエルコンドルパサーと同じ社台スタリオンステーションで種牡馬入り(2007年にブリーダーズ・スタリオン・ステーション、2016年にビッグレッドファーム*4に移動)。
エルコンドルパサーやキングヘイロー共々非サンデーサイレンス系種牡馬としてそれなりに人気があり、社台期にはシャトル種牡馬としてオーストラリアに出張しつつ2008年にはJRA種牡馬ランキングで10位にランクイン。
産駒もGⅠを制した産駒だけでも以下のような競走馬を輩出した。

マルカラスカル(2006年中山大障害・2008年中山グランドジャンプ)

2002年誕生の初年度産駒。ちなみに後続のスクリーンヒーロー共々重賞5勝馬ダイナアクトレスを母の母に持つ血統の持ち主。
芝でデビューするも未勝利戦を勝利したのはダート、条件戦などで勝ち星を重ねるも重賞は厳しいと判断され、同世代の芝重賞馬なもののディープインパクトに皐月賞と神戸新聞杯で敗れて路線変更したヴァーミリアン(父エルコンドルパサー)がダート初挑戦勝利したオープン戦を最後に障害に転向。
障害未勝利2戦目を勝つと障害OPを連勝、この勝利に芝やダートで走るも大敗、再び障害に切り替え中山大障害に出走し見事勝利し2006年最優秀障害馬に選ばれた。
2007年は調教師引退でごたついたこともあり秋に戦線復帰したが、往生際悪くダートに出走するも大敗、中山大障害も3着に敗れた。
2008年は障害OP戦を勝つと中山グランドジャンプに参戦し見事勝利、とこれに気分をよくし性懲りもなくダートで走るもやはり大敗。
中山大障害前に障害OP戦を勝利し再び挑戦するも5着、しかもここから2年間の長期休養を余儀なくされてしまう。
復帰戦はダートを選択するも大敗これで何度目だ、中山大障害に挑むも7着に終わり更には左前浅屈腱不全断裂も判明し引退・乗馬となった。

スクリーンヒーロー(2008年ジャパンカップ)

2004年度産駒、同期にはウオッカダイワスカーレット、そしてあのドリームジャーニーなどがいる。
ダートでデビューし未勝利戦を勝ち上がると条件戦を勝つなど好走を見せ3歳春の途中から芝へと転向、勝利こそ出来なかったが馬券に絡む好走をみせ、セントライト記念では菊花賞の優先出走権を獲得するも剥離骨折により断念し1年近くの休養を余儀なくされ、その間矢野進調教師引退に伴い鹿戸雄一厩舎へ転厩。
復帰戦は1番人気に応え見事勝利、2着2回を挟みアルゼンチン共和国杯に挑戦、見事初重賞を手にし更には初GⅠ挑戦としてジャパンカップを選択。
しかしディープスカイ・ウオッカ・メイショウサムソンなど数々のGⅠ馬がいたこともありGⅠ未勝利も響き9番人気となった。
だがそれら強豪たちを下し、初挑戦でGⅠを獲得、管理する鹿戸調教師は開業から僅か8カ月で初重賞・初GⅠ制覇という栄誉を手にした。
その後有馬記念に出走するも5着、翌年も好走を見せるも勝利することなく、更には放牧後の屈腱炎が判明し治療期間もかかることで引退となった。

初の後継種牡馬としてレックススタッド入りするも良血だが勝ち鞍もあって種付け料が安価だった*5こともありそれなりの種付けを行うも種牡馬入り直後の常として翌年は数も減少。
だが産駒デビュー前の評判の良さで持ち直し、デビュー後の成績の良さから回数は増加していった。
そして後述のように有力な産駒を輩出したことで価格も急上昇するも直ぐに埋まるなど好調、更にその産駒も有力馬輩出に成功しグラスワンダーの系譜を残す大役を成し遂げた。
2023年に種牡馬引退、現在は生まれ故郷の社台ファームで功労馬として余生を送っている。
2023年も種付けを行ったが高齢とそれに伴い受胎が0だったことも理由の一つ、実質2023年に生まれた産駒がラストクロップになる。
余談だが産駒のG1馬ウインマリリンは2024年から入れ替わりで種牡馬入りしたタイトルホルダーと初年度交配、受胎したがタイトルホルダーの馬房はスクリーンヒーローが入っていた馬房だったりする。

アーネストリー(2011年宝塚記念)

2005年度産駒、新馬戦を勝利するも骨膜炎によって長期離脱を余儀なくされた。
復帰後は条件戦で勝利を重ねて4歳でOP入りを果たす、初重賞こそ2着に敗れるも次走の中日新聞杯を勝利すると2010年は金鯱賞・札幌記念を勝利、宝塚・秋天3着の好走を見せた。
2011年は金鯱賞が3着に敗れるも宝塚記念では前年先着され1番人気だったブエナビスタに勝利。見事初GⅠを手にした。勝ち時計2:10.1は2022年にタイトルホルダーが更新するまで11年保持されたレコードタイムだった。
秋初戦のオールカマーも勝利したがこれが最後の勝利となってしまい、以後は大敗を繰り返してしまい引退。
種牡馬入りするも有力産駒を残すことが出来ず功労馬として余生を送っている。

セイウンワンダー(2008年朝日杯フューチュリティステークス)

2006年度産駒、未勝利戦から新潟2歳S・朝日杯を制しJRA育成馬初のGⅠ獲得を成し遂げた。
だが3歳になると皐月賞や菊花賞で3着という好走を見せるものの勝利することはできなかった。
4歳のエプソムC において1年7か月ぶりの勝利を挙げたものの次走の宝塚ではまさかのブービー。
更には屈腱炎も判明し長期離脱を余儀なくされた。どいつも変な所が父に似てしまっている
6歳になり復帰のめどが立った…と思われた矢先に屈腱炎再発により引退、去勢され乗馬となり現在は馬事文化振興の普及馬として活動している。

ちなみに名前は母親(セイウンクノイチ)の一部+父親(グラスワンダー)の名前の一部という競走馬の名前としてはわりと安直無難な名づけだが、母親から貰った名前がよりにもよって冠名だったため、重賞で勝つたびに母親の馬主(セイウンスカイやニシノフラワーなどで知られる西山茂行氏)に祝電が届いたとか。

孫世代以降

スクリーンヒーローが後継種牡馬として活躍しモーリス(日本・香港GⅠを計6勝)*6・ゴールドアクター(2015年有馬記念)・ウインマリリン(2022年香港ヴァーズ)らGⅠホースを輩出。

次いでモーリスが種牡馬入りすると、初年度からピクシーナイト(2021年スプリンターズS)、ジェラルディーナ(2022年エリザベス女王杯)、ジャックドール(2023年大阪杯)、アドマイヤズーム(2024年朝日杯FS)と産駒からGⅠホースを次々と輩出。これによりJRAグレード制施行以降初の父子四代でのGⅠ競走制覇という偉業が達成された。
ピクシーナイトは2024年からブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬入り、ジャックドールは2025年からアシュリンジャパンで種牡馬入りと報道されていたが、後にアシュリンジャパンのマネージメント馬という形でかつて祖父スクリーンヒーローが種牡馬入りしていたレックススタッドで繋養されることになり、サイアーラインをさらに続ける役目を担う。
また、モーリスはオーストラリアでもシャトル運用されており、ヴィクトリアダービー・豪ギニー・豪ダービーを制したHitotsuを始め、日本以上に種牡馬成績は良好。

現状他の同期でも父系孫世代の後継種牡馬樹立はかなり厳しいものがあるため*7、ことサイアーライン確立という点では1998年クラシック世代で一番成功した馬だろう
また母父グラスワンダーの馬では2013年オークス・秋華賞を制したメイショウマンボが有名。*8
余談だが2011年宝塚記念ではアーネストリーがスペシャルウィークの娘ブエナビスタを破り、ジェラルディーナが勝った2022年の重賞2戦では父母父にスペシャルウィークを持つデアリングタクトが6着に沈んでいた。
そしてグラスワンダー本馬は2020年、25歳で種牡馬を引退。
2024年12月時点でも存命で、現在は奇しくも同じ宝塚記念を制した名馬ハイセイコーの墓がある明和牧場でタンポポを根絶やしにしながら*9余生を過ごしている。

フィクション作品への登場

●新・優駿たちの蹄跡(やまさき拓味)
「最後の仕事」に登場。1999年末に定年退職した厩務員大西美昭氏の視点から怪我に苦しみながらも立ち上がり、的場騎手が自分を選んでくれたことや大西氏との別れに涙するグラスワンダーの様子が描かれている。

馬なり1ハロン劇場(よしだみほ)
不遇。具体的には…
1997年朝日杯3歳ステークス・1999年有馬記念:12月開催のレースは雑誌や締め切りの都合で連載当時殆ど漫画の題材に出来なかった。
1998年毎日王冠~有馬記念:この頃漫画が掲載誌休刊のせいで休載中のため、書く機会がなかった。
1999年安田記念:エアジハードに一蹴されて終了。
1999年宝塚記念:出番自体はあったが、この回の主役はステイゴールドだったためほぼモブ。
1999年京王杯スプリングカップ:理由は不明だがなぜか題材にならなかった。
1999年毎日王冠:同日開催の京都大賞典の方が漫画題材になったため書かれなかった。
とことごとく勝ち鞍回自体が殆ど存在しない、出番があっても主役にされないという不運に見舞われている。
一応エルコンドルパサー編では「マトバ騎手を巡るライバル」、2000年前半期はサブで出番があり、新年会編では99年編でワインを持参し翌年父親も登場、セイウンワンダーとアーネストリーの勝利回では父親として顔を見せたのだが…。
しかしスクリーンヒーローや彼の産駒達の回はヒーローの母母ダイナアクトレスから繋がる「役者一家」話になったため、グラスの出番は無かった。
ただ単行本『ぼーん・とぅ・びー競馬ファン』では4コマだが彼とマトバ騎手を主役とした話が掲載されている。

ウマ娘 プリティーダービー(Cygames)
プロジェクト開始当初より登場。同世代の面々も5人(スペシャルウィーク・セイウンスカイ・エルコンドルパサー・キングヘイロー、そして2022年に追加実装されたツルマルツヨシ)実装されており、アニメ1期やアプリ版では同級生としてコンテンツの中核の一つを成すキャラクターとなっている。
こちらでは史実を反映してアメリカ出身の帰国子女という設定で、両親が日本好きだった影響で自身も日本文化に親しんだお淑やかな大和撫子
ほんわかで落ち着いた性格の持ち主だが、実は内心に非常に強い闘争心を秘めている負けず嫌いなタイプそんなキャラ付けなのでついた綽名が「清楚系鎌倉武士」
ちなみにかつてグラスワンダーの鞍上を務めた的場均調教師*10がウマ娘のグラスを見た所、「可愛い」と大変気に入ったそうな。
詳しくは当該記事参照。


追記・修正は足元のタンポポを根絶やしに出来る方がお願いします。


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最終更新:2025年02月27日 10:13

*1 フジテレビで朝日杯3歳Sの実況を担当していた三宅正治アナウンサーも、グラスワンダーを「マルゼンスキーの再来」と称していた。

*2 ヒーロー列伝ポスターより

*3 1970年代に活躍した名馬で、有馬記念の他に菊花賞も制している。テンポイント、トウショウボーイと合わせてTTGと呼ばれ、当時の競馬を3頭で盛り上げた。

*4 ビッグレッドファームに繁用されていた際には、かのゴールドシップと馬房が隣であり慕われていたと言う。

*5 30万円と公示されたが実際は5万円の破格の安さだったことも初年度から数が集まったのも理由

*6 2015年安田記念・マイルCS・香港マイル、2016年チャンピオンズマイル・天皇賞秋・香港カップ

*7 セイウンスカイ・エアジハード・ウイングアローは後継となる種牡馬を出せずに終わり、スペシャルウィーク・キングヘイロー・マイネルラヴとシャトル先で子孫を繋いだアグネスワールドは後継種牡馬を樹立出来たが孫世代の後継は未だ現れず、エルコンドルパサーの孫世代からは2018年にアイファーソング・2021年にノブワイルド・2024年にリュウノユキナが種牡馬入りしたが、未だその産駒から目立った活躍馬は出ていない。

*8 オークス制覇は長らくG1勝利から遠のきスランプ状態だった武幸四郎元騎手・現調教師にとっては久々のG1制覇だった、なお武豊によると隣を走っていた横山典弘はともに馬の手ごたえが怪しかったものの面倒を見ていた幸四郎を馬を追いながら必死に応援していたと語っている。

*9 種牡馬時代にも見学者から「タンポポばっかり食べてた」という発言があった他、「ウマ娘 プリティーダービー」のグラスワンダーの中の人である前田玲奈氏のTwitterでのツイートにて、2018年にビッグレッドファームを訪れた際「他の放牧柵にはタンポポがいっぱいあったのに、グラスワンダーのところだけ根絶やしになっていた」そうな。明和牧場移動後も有志により余生を過ごす様子がアップされているが、柵の外ギリギリの地面には普通にタンポポが生えているのに、柵の中だけたんぽぽが完全に根絶やしになっていた。

*10 他にもエルコンドルパサー(NHKマイルカップまで)やライスシャワーなど、参戦馬との縁が深いジョッキーの一人である。