登録日:2023/09/13 Wed 06:27:52
更新日:2024/12/18 Wed 00:36:01
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目次
【データ】
誕生:2009年5月26日
父:
キングカメハメハ
母:マダムチェロキー
母父:Cherokee Run
調教師:西浦勝一(栗東)
馬主:北幸商事
生産者:市川ファーム
産地:浦河町
セリ取引価格:1,575万円 (2010年
北海道セレクションセール)
獲得賞金:11億1459万1800円(3億5,105万円(中央)/7億2,765万円(地方))
通算成績:39戦17勝 [17-5-7-10]
主な勝鞍:13'かしわ記念・JBCクラシック、13・15'帝王賞、13-14'東京大賞典、14'チャンピオンズC、14-16'川崎記念
タイトル:JRA賞最優秀ダートホース(2014)、ダートグレード競走特別賞(2013-2015)
【概要】
2009年5月26日生まれの鹿毛の牡馬。
父は2004年にNHKマイル・日本ダービーの変則二冠を達成した「大王」キングカメハメハ。
母のマダムチェロキーは戦績、血統共にパッとしなかったことから、タルマエ自身の落札価格が1575万円と控えめになった要因とも言われている。
競走馬自身が「とまこまい観光大使」として抜擢されていることで有名で、初代馬主の矢部幸一氏は苫小牧市にある北海土建工業の社長であり、馬名の「タルマエ」も同市内にある樽前山から取られたもの。
担当調教師はかつて騎手として
ヤエノムテキ号に騎乗し、厩舎開業後カワカミプリンセス号等を手掛けた西浦勝一氏。
主戦騎手は幸英明の他、村田一誠や長谷川浩なども騎乗経験あり。
コパノリッキーに次ぐ
G1及びJpn1を合計10勝という記録を持ち、獲得総賞金額はあちらを上回りキングカメハメハ産駒史上最大の
11億円台。
39戦の内着外も4回だけ、2013年には重賞5連勝達成等々、当時においては間違いなく、コパノリッキーと共に最強クラスのダート競走馬として名を馳せていた1頭。
こんなバケモンを同時代に2頭も出現させてんだから競馬の神はダート競走馬の采配を何か間違えている気がしてならない。
【戦歴】
3歳~下積みの時代~
2012年1月14日に京都競馬場の3歳新馬戦ダート1400mでデビュー。
このデビュー戦においては16頭中11番人気、単勝107.7倍とパッとしない評価で、
その下馬評を覆すことも無く11着という結果に終わっている。
しかし続く次走の1月29日に開催された3歳未勝利戦、鞍上を村田一誠に変えて挑んだこのレースでは、
9番人気と相変わらずの低評価だったものの、見事に初勝利を飾って見せていた。
その後は2月と3月に2度の条件戦に挑んでいるものの、それぞれ4着と6着という結果となっている。
4月に入ると今度は鞍上が幸英明に交代。4月7日に挑んだ条件戦で2度目の勝利を飾り、
オープン戦の端午ステークス3着入賞、条件戦の青梅特別で3勝目といった具合に、レースを重ねていく。
そして迎えることになる同年7月11日開催、初の重賞にしてG1挑戦となるジャパンダートダービー。
前方を行くフリートストリートやトリップに続くよう序盤から果敢に先頭争いに加わりつつレースを進めていくものの、
後続から追い上げてきたアートサハラ、ハタノヴァンクールといった強豪たちの猛追を追いきれずに馬群に呑まれてしまい、
最終的に差し切ったハタノヴァンクールの後続で5着という結果に終わっている。
ただ、これについて鞍上の幸英明は敗因はポジション取りが悪かったためで、力負けではないと語ってもいて、
この頃から後の才能の片鱗を見せていたとも取れる。
続いて挑んだのが同じく重賞のG3、レパードステークス。
先頭集団の好位置につけながら迎えた第4コーナーから最終直線で一気に加速、
隣接するトミケンユークアイやダノンゴールドをかわして一気に先頭へと躍り出る。
すぐ後ろから猛スピードで猛追してくるナムラビクターに差を縮められつつも前を譲ることなくゴールイン。
9戦目にして初の重賞勝利を飾って見せるのであった。
が、これが3歳時における最後の勝利でもあり、その後はG3みやこステークスで3着、
12月2日には2つ目のG1となるジャパンカップダート(現チャンピオンズカップ)にも挑戦するが、
ニホンピロアワーズ、ワンダーアキュートの後姿を眺める形でこちらも3着に終わる。
4歳~苫小牧の星、覚醒~
翌年2013年は1月20日のG2、東海テレビ杯東海ステークスから始動。
前年における活躍から期待が高まり1番人気に推されての出走であったが、
グレープブランデー、ナムラタイタンに敗れてこちらも3着に留まる。
だが、この悔しさもバネにここからホッコータルマエの快進撃がスタートすることになる。
2月11日のG3、佐賀記念では先頭を行くエイシンモアオバーの後続にピタリと付きつつ、最終直線で一気に突き放して勝利、
3月20日の同じくG3、名古屋大賞典でも先頭を
逃げるサイモンロードをエイシンモアオバーと共に追いつつ、最終直線でまたしても抜け出して勝利、
4月13日、やはり同じくG3のアンタレスステークス、トラブルにより相棒の幸英明に代わり鞍上が一時的に岩田康誠に交代しつつも、
終盤に先頭を進むナリタシルクロード、共にそれを追い抜き猛追してくるニホンピロアワーズへのリベンジも果たしつつこれも勝利。
怒涛の重賞3連勝という凄まじい勢いで勝利を重ねていき、ダートの強豪競走馬として頭角を現していく。
そんな絶好調の中で挑んだ5月6日開催のG1レース、かしわ記念。
ローマンレジェンド、エスポワールシチーに続く3番人気に推されての出走。
早々に先頭に躍り出てペースを作るエスポワールシチーをピエールタイガー、ナイキマドリードと共に追走。
後半で後続に沈んでいく前者2頭を抜いてエスポワールシチーを追う形で2番手につける。
そして最終直線、尚も先頭を譲らないエスポワールシチーを猛追しつつ終盤で遂に抜き去り見事1着でゴールイン。
重賞4連勝目にして初のG1級レース制覇も達成し、同時代における人気と実力を更に盤石なものとした。
…競走相手のエスポワールシチーもこの時点でG1級7勝、2009年から2010年にかけてはG1級5連勝というとんでもない記録を打ち立ててる怪物なのだが、
それに見事勝利してしまうのだから改めてホッコータルマエの覚醒の程が窺えるというものである。
更に勢いを付けて挑むことになる6月26日の次なるG1レース、帝王賞。
大雨の重馬場もものともせず、最終直線はニホンピロアワーズ、ワンダーアキュートとの猛烈な先頭争いを展開しつつ勝利。
重賞5連勝、G1級レース2連勝とノリにノリまくり、向かう所敵なしといった様相であった。
…しかし、怒涛の快進撃に待ったをかけられたのが次走のマイルチャンピオンシップ南部杯。
かしわ記念のようには行かせるものかと、エスポワールシチーが凄まじい勢いで逃げをかまし、
最終直線時点では4馬身近くもの差が広がったことからホッコータルマエが捉えきることができずに2着。
連勝記録は5でストップすることとなった。
因みにエスポワールシチーはこの時点でG1級8勝目と更に記録を更新することになる。
しかししかし、そのままでは終わらないのはホッコータルマエも同じこと。
G1級レースへの挑戦は留まることを知らず、11月4日開催のJBCクラシックへ殴り込み。
普段の3~4番手くらいの位置で様子を窺う今までのレースとは異なり、開始直後から先頭をキープ。
後ろから迫ってくるワンダーアキュートの追走をかわし、最終直線で一気にスパート、馬身を広げながら快勝してみせた。
尚、これまたエスポワールシチーも同日開催のJBCスプリントを勝利、G1級9勝というヴァーミリアンに並ぶ記録タイとなっていた。
だが、そんな
ライバルといえるエスポワールシチーと共に出走した次走にして2度目のジャパンカップダート。
お馴染みといえる形で先頭のエスポワールシチーをかわし終盤で先頭に立ったが、
その後ろから更に追ってきたベルシャザールとワンダーアキュートにかわされる形で3着に終わる。
そしてエスポワールシチーは同レースの7着を最後に引退となった。
ライバルの1頭が去るのを見送りつつ、同年最後のレースとして挑んだのが年末の大一番、ダートホースたちの最終決戦の場、東京大賞典。
数多の
ライバルたちとの争いを制し、いくつものG1レースを勝ち上がってきたこの時点で1番人気、単勝1.6倍とその実力を認められつつ出走。
先頭を進むサトノプリンシパルを、嘗ての帝王賞の如くニホンピロアワーズ、ワンダーアキュート共に追いつつ3頭並びながら追い抜き終盤争いを展開。
内を進むワンダーアキュートがややリードしつつ、中を進むニホンピロアワーズを追い去りながら追走。
残り100m地点のクライマックスで遂にその影を掴み、更なるスピードで追い抜きながら見事ゴールイン。
G1級4勝目を上げつつ年末最後の大決戦を制して見せた。
「この路線で今年1番輝いた馬、5番のホッコータルマエが
暮れの大一番、第59回東京大賞典も制しました!」
終わってみれば出走10回の内7勝、その全てが重賞の上に更にその内4勝がG1レースと、初年を遥かに上回る成績を記録。
このことから、NARグランプリダートグレード競走特別賞にも選出され、華々しい1年となった。
5歳~最強のライバル登場、挫折からの復活、そして観光大使へ~
2014年の始動もやはりG1レース、1月29日開催の交流重賞である川崎記念。
レース序盤から大逃げをかますトウショウフリークをものともせず、終盤共に追ってきたムスカテールをかわしてゴールイン。
初戦からG1勝利、通算5勝目という前年の勢いに全く衰えを見せずに絶好調であった。
…が、続く2月23日のフェブラリーステークス、運命の一戦ともいえるこのレースで初めて出会うことになるのがアイツ。
行く行くはホッコータルマエすら上回るG1勝利数を記録し、同時代のダート戦線における二大巨頭として名を馳せることになるコパノリッキーである。
といってもこの時のコパノリッキーはデビューから実質2年目、
前年はG2こそ1勝しているものの、直前のオープンレースまではケガで長期療養していたなどの事情もあり、
既に最強格のダート競走馬として名を馳せていたホッコータルマエとは比較対象にも挙がっていなかった。
実際、同レースはホッコータルマエやワンダーアキュート、ニホンピロアワーズにベルシャザールなどなど、
同時代におけるダート強豪が数多く集っており、そんな中で戦績的にパッとしないコパノリッキーが挑んでも注目されないのは無理からぬことであった。
……しかし競馬に絶対はないという言葉を体現したかのような同レース。
序盤から馬群が密集しながらゆるゆると進みつつ、先頭集団に位置していたコパノリッキーが内側から抜け出ていく。
それを追うようにホッコータルマエも馬群から抜け出てコパノリッキーの後ろを追っていくのだが、コパノリッキーが粘りに粘ってそのままゴール。
突如現れた後の最大のライバルの覚醒を後方で眺めつつ、ホッコータルマエはまさかの2着、惜敗を喫することになった。
予想だにしない敗北に困惑しながらも、陣営は次走として世界の大舞台、ドバイワールドカップへの挑戦を決定する。
ライバルのベルシャザールも同レースに挑戦し、日本での実力がどこまで通用するか期待が高まっていた……のだが、
レース前半こそ前方につけていたものの、後半に入っていくにつれて見る見る内に順位を落としていき、16着最下位の大敗。
更にレース後にはストレス性腸炎の発症も判明し、現地での療養を経て帰国後は秋までの長期休養が決定。
覚醒したライバルへの惜敗、世界の大舞台での苦い大敗…今までの輝かしい快進撃から一転して苦難の連続であった。
休養の後、復帰戦として選択したのが二度目のJBCクラシック。しかしここでも立ちはだかったのがコパノリッキー。
レース序盤から先頭を逃げるコパノリッキーを追い続けるもかわすこと敵わず、
クリソライトやワンダーアキュートにも抜かされて4着という結果に終わった。
しかしこのまま終わらないのがホッコータルマエ、ダート強豪の座をやすやすと明け渡すものかとここから再奮起。
続いて挑んだ12月7日のチャンピオンズカップでは早々に馬群に呑まれていったコパノリッキーを遥か後方に置き去りつつ、
並んでくるローマンレジェンドや後方から追い上げてくるナムラビクターとの接戦を制して勝利。
復活の狼煙を上げると共にG1レース6勝目を記録する。
調子を取り戻して次に挑むは2度目となる年末の東京大賞典。
前走とは打って変わって調子を取り戻し、レース開始からトップに立つコパノリッキーを先頭集団で追跡。
最終コーナーから最終直線に入る辺りからはほぼほぼリッキーとタルマエの一騎打ちへ。
終盤、徐々にペースを上げつつホッコータルマエが差を広げていき、1着を維持してゴールイン。
コパノリッキーとの戦績はこれで4戦2勝2敗、史上3頭目となる東京大賞典2連覇、G1レース7勝目といった記録を打ち立てつつ2014年を終えることに。
そしてこれらの戦績が認められ、同年の最優秀ダート馬に選出、そしてそれを記念して地元苫小牧市の観光大使に就任するのであった。
6歳~二度目の世界挑戦、激闘の日々~
2015年、前年をなぞるようにこの年も川崎記念→ドバイワールドカップへの挑戦というローテーションが組まれることに。
川崎記念ではサミットストーンやランフォルセの先頭争いをやや後ろから追跡しつつ、最終直線でスパート開始。
共にサミットストーンを抜かしながら追走してくるカゼノコに前を譲らずにゴールイン、川崎記念2連覇と同時にG1級8勝目を記録した。
この勝利で弾みをつけ、今度こそと挑んだ2度目のドバイワールドカップであったが、
前年よりも好走したとはいえ結果は5着、如何な日本最強クラスのダート馬であっても世界の壁はまだまだ高かった…
今回は体調も良好だったため、帰国後は6月24日の帝王賞から
再スタート。
クリソライトとクリノスターオーの先頭争いを、ワンダーアキュートやニホンピロアワーズといったお馴染みの
ライバルたちと共に追走。
最終直線で抜け出ながらも尚も食い下がってくるクリソライトを何とかかわして勝利。
これでヴァーミリアンやエスポワールシチーと並ぶ
G1級9勝という華々しい記録を飾ることになった。
いよいよG1級勝利数最多記録の更新にも期待が高まる中挑んだのが通算3度目となるJBCクラシック。
前年に敗れたリベンジも兼ねてここは外せない1戦となったホッコータルマエであったが、
迎え撃つコパノリッキーもこの時点でG1級4勝と、間違いなくダート強豪馬の1頭として仲間入りを果たしていた上、
2015年からはかのレジェンドジョッキー武豊を据えているなどこちらも万全の態勢。
迎えた1戦、レース開始で外側から逃げを打ってくるコパノリッキーを先頭集団につきながらホッコータルマエがその背を追い、
第3コーナー残り600m地点で2番手に躍り出て尚も追走するもその差は縮まらず2着。
自身の記録更新を阻まれて歯噛みする中、コパノリッキーのG1級5勝目を眺める形に終わった。
その後のチャンピオンズカップや3連覇のかかる東京大賞典もサンビスタやサウンドトゥルーに阻まれることに。
一応同2レースではコパノリッキーよりは前を行き、この時点での直接対戦成績は7戦4勝3敗といった感じに。
結果的にG1級勝利数最多記録の更新はならず、同年のJRA最優秀ダート馬もコパノリッキーが選ばれることになった。
とはいえ前年や一昨年との相対比較だとパッとしないというだけで、G1級競走2勝を挙げ、全レースで入着しているなど結果としては十分すぎるくらいである。
7歳~偉大な記録と共に三度目の世界へ~
2016年、長きに渡り幾多のレースを競ってきたニホンピロアワーズやワンダーアキュートといったライバルたちも前年で引退。
そんな中で現役を続行したホッコータルマエは、3年連続となる川崎記念、そしてドバイワールドカップへ挑戦。
初戦となる川崎記念、前年のチャンピオンズカップや東京大賞典で涙を吞むことになった記録更新のかかるG1レース。
東京大賞典で敗北を喫したサウンドトゥルーも出走し、リベンジもかかった1戦。
サミットストーン、マイネルバイカ、パッションダンスといった先頭組が前を行く縦長の展開になる中、ホッコータルマエは4番手を維持。
後半でサウンドトゥルーが並んでくる中、最早定番となった最終直線でのスパート。
先頭組をぶち抜きながらも尚もサウンドトゥルーが並んできて、2頭が接戦を展開しもつれたままゴールイン。
「今度は12番ホッコータルマエ! 外からサウンドトゥルー!
前の2頭! ホッコータルマエ!! サウンドトゥルー!!
この勝利は譲れないホッコータルマエに、その座を奪おうと猛追したサウンドトゥルー…
2頭の激戦は最終的にホッコータルマエがギリギリのアタマ差で勝利。
史上2頭目となる川崎記念3連覇と共に、遂にG1級10勝を達成。
前年の2連敗を経て遂に最多勝利数記録を塗り替えることに成功し、偉大なダート馬として歴史にその名を刻むのであった。
しかし、これが長きに渡る競走馬生活における最後の勝利にもなり、
続けて挑んだこちらも3度目の世界、ドバイワールドカップは9着に終わり、
帰国後に挑んだ帝王賞、マイルチャンピオンシップ南部杯は最コパノリッキーに勝ちを譲る形でそれぞれ4着と3着。
最後のレースとなったJBCクラシックも、コパノリッキーよりは先着したものの、
当時重賞4連勝と波に乗っていたダートの更なる新星アウォーディーを捉えきることができずに2着に終わる。
その後は同年のチャンピオンズカップ出走へ調整を進めていたが、左前肢の跛行が見つかったため、出走断念。
最終的に直接対戦成績が10戦5勝5敗と並ぶことになったコパノリッキーより一足早く現役引退となった。
尚、元から2016年中の引退自体は決まっていたそうで、当初は東京大賞典出走の後に大井競馬場での引退式なども予定されていたが、諸々中止となっている。
【引退後】
引退後は種牡馬入り。
現在は優駿スタリオンステーションとイーストスタッドを行き来しつつ、Jpn2の兵庫チャンピオンシップを勝利したブリッツファング、Jpn3のJBC2歳優駿を勝利したゴライコウの他、何頭かの地方重賞優勝馬などを輩出。
苫小牧観光大使としても引き続き活躍しつつ、のんびりと余生を過ごしている。
あと馬だけでも大概なのに鞍上とあわさってその名前故のネタが加速したヘルシェイクなんてのもいる。
【フィクション作品への登場】
初登場した2012年ジャパンカップダート回ではダートの先輩達と共に地方グルメを堪能していたが、その後微妙に低迷したせいで、ワンダーアキュートも在籍するイマイチ馬団体『ブロコレ倶楽部』へと勧誘。
一時は同時期に誘われたアドマイヤラクティ共々逃げようとしたが、その勢いで佐賀記念を勝ったことで逆に勇気をもらい2頭揃って倶楽部入りすることに。
同じように倶楽部入りした事で覚醒したテイエムオペラオーの励ましや倶楽部員で2000年の中央ダート王ウイングアローからの期待を受けながらアキュートと共に奮闘し、ペルシャザール・コパノリッキー・サンビスタと相次ぐ強敵達の登場やドバイ遠征の失敗等数多の壁にぶつかりながらシルコレ・ブロコレっぷりをも発揮しつつ、
2016年川崎記念直前にサウンドトゥルーとの出会いで初心を思い出し、ついに新記録を達成。
そして故障で引退を前倒しする事になった際、その前にリアルスティールを倶楽部に誘って断られたが現役メンバーが殆ど不在となっていたブロコレ倶楽部にイスラボニータ・レッツゴードンキ・マキシマムドパリ・サウンズオブアースを勧誘し後を託した。
名前の由来やリアルで苫小牧市の観光大使な事にちなみ、苫小牧を盛り上げるために奮闘するロコドルウマ娘。
お硬く真面目な性格だがそれ故に迷走することも。
そして馬体の大きさを反映したと思われるどえらいムチムチボディ。同時期に登場したコパノリッキーとはコンビ(そしてワンダーアキュートも加えてトリオ)的な扱い。
苫小牧市公式キャラのとまチョップがスキル演出に登場したかと思えばさっそく苫小牧市観光協会に等身大パネルが置かれたりと、リアルの苫小牧と濃厚に相互コラボレーションしている。
詳細は
個別記事を参照。
【余談】
幸英明
主戦騎手を務めた幸英明氏は、実家近くに生産牧場こそあったものの競馬と関わりのない一般家庭の生まれであったが、かなり特殊な経緯を経て騎手としての道を選んだことでも有名。
幼少期に
ソフトテニス県大会で優勝すれば犬を飼っていいと約束されて見事優勝、捨て犬を飼うことになったが犬が灯油缶を倒してしまい母が転倒し入院。
病院に見舞いに行った際に近くにあった生産牧場・伊東牧場の関係者が落馬負傷で入院しており彼から
「体も小さいし、騎手になればいい」
と告げられたことで騎手への興味を抱き競馬学校に入学した。
だが全く競馬界と関わりのなかったことで心が折れそうにもなったがこの時、
メジロドーベルの主戦騎手・吉田豊、
ナリタトップロードの主戦騎手・渡辺薫彦
らと親交を持ったことで無事に競馬学校を卒業し騎手としてデビュー、1997年に重賞初勝利すると以後毎年重賞を勝ったもののG1にはなかなか手が届かなかった。
そんな彼に初G1をプレゼントしたのは主戦を務め2頭目の三冠牝馬として活躍・繁殖入りするも僅か1頭しか産駒が残せず夭折した
スティルインラブであった。
よく様々な関係者の記念撮影に写ることが多いがこれは「人が幸せな時に僻んだり、妬んだりせず、一緒に心から喜べる人になりなさい」という母親の助言を大切にしているためである。
なお他の同期共々なにかと面白エピソードや癖がある人物で例を挙げると
- 愛称である「みゆぴー」はスティルインラブの祝勝会で出会い、後にアカイイト(2021年エリザベス女王杯優勝馬)の馬主になる岡浩二氏につけられた。
- ホッコータルマエ宛に手紙をしたためる。
- 大のお菓子好きで調整ルームに大量のお菓子を持ち込んでは日曜日には食べ尽くす。時には息子とお菓子を巡って喧嘩したことも。
- 武豊宛てに届いた菓子を勝手に食べ、挙句当人に「これいります?」と発言。
- 渡辺の結婚式出席でグアムに行くも現地で偶然田中勝春と遭遇、ゴルフをして幸が勝つも翌日妻との予定を勝春の奥さんに任せて勝春が勝つまで付き合わされた。
- 小倉から福島へ移動の際45歳なのに逆方向の新幹線に乗車、時間に間に合わず制裁を受けた。
- 小倉競馬開催中に先輩で現役時代の佐藤哲三の部屋に幸・渡辺・植野貴也の3人で転がり込むが飲み過ぎてゲロってしまい出禁になる。
- 後輩の池添謙一には腹黒いと言われつつもなんだかんだで仲が良く、スティルインラブで牝馬三冠に大手がかかった秋華賞前に池添に自分をビンタさせ、逆にオルフェーヴルの菊花賞前に池添にビンタ。
- 池添とは競艇好き仲間でもあり、彼が大事な会議に出席する一方競艇予想の生配信出演のために委任状を書いて欠席
- なおこの前日・前々日は阪神で土日で計20鞍騎乗、0時にホテルに戻る筈が3時まで呑んでて直前までホテルでゲロってたにもかかわらず配信に参戦。
- 長女は歯科衛生士で休日は父の手伝いをしてくれる、息子は父と同じ騎手を目指していることが別の競艇予想配信で判明。
追記・修正お願いします。
- G1級10勝という時点で何かがおかしいのに、ほぼ同時代にその更に上を行くライバルとバチバチにやり合っていたとか、競馬の神様はダート競走馬の采配色んな意味でしくじってないか? と思わざるを得ない。 -- 名無しさん (2023-10-07 08:36:24)
- リッキーの記事に比べて少々寂しかったので、自分で調べられる範囲で追記してみた。色々拙い部分も多いと思うので、競馬ガチ勢の方の指摘があったら修正お願いします。 -- 名無しさん (2023-12-29 13:18:11)
最終更新:2024年12月18日 00:36