ノートルダムの鐘(ミュージカル)

登録日:2024/01/27 Sat 23:03:54
更新日:2025/03/19 Wed 19:33:22
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愛は「宿命」を変えられるか。



ノートルダムの鐘とは、ディズニーの同名映画の音楽と文豪ヴィクトル・ユゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ」に基づいたミュージカルである。


概要

1999年にベルリンで初演、その後脚本や曲、演出を変更し、2014年にアメリカはサンディエゴと2015年にニュージャージーで公演された。日本では2016年より劇団四季が公演している。
上記の通り、本作はディズニーミュージカルでありながら、あくまでヴィクトル・ユゴーの小説とディズニー映画の音楽がベースである。
そのためストーリーの展開やキャラクターのバックストーリー等が人間版ダンボといった感じのディズニー映画版とは大きく異なる点があり、
どちらかと言えば原作のダークな面が強調されている。
それにより残酷なシーンやいかがわしい描写も含まれているため、他のディズニーミュージカルとは違い子供や家族連れにはお勧めし難い。
といっても芸術鑑賞でこれを見せる中学や高校も多いが……
しかしその中に込められたメッセージ性や、アラン・メンケンの名曲の数々、魅力的なキャラクター達が織りなす愛憎劇で、高い人気を誇っている。

本作は会衆達が集まり劇をする、劇中劇の方式で物語が語られる。
なので役者が舞台上で着替えたり、カジモド役はメイクをする場面もある。そこも見所のひとつ。

ソーシャルゲーム『ディズニー ツイステッドワンダーランド』の2022年ハロウィンイベントは本作*1をベースにしており、フロローがモチーフのゲストキャラ、ロロ・フランムが登場した。

ストーリー

荘厳な鐘の音が響く中、会衆が現れ、物語が語られる。舞台は15世紀のフランス。

1482年・1月6日の朝。そしてジプシー達の祭り・道化の祭りの日。
ノートルダム大聖堂では鐘が鳴り響く中、大助祭フロローの説教が行われていた。
今でこそ権力者として民衆に恐れられているフロローも、かつては弟・ジェアンと共に大聖堂に引き取られて育った孤児であった。
しかしジェアンはジプシーと関係を持つという禁を犯した末に大聖堂を追放された末、フロローに自らの赤子を託して病死してしまう。
そのあまりの醜さに一度は赤子を殺そうとしたフロローであったが、葛藤の末、自らの手で赤子を育てることにした。

その赤子こそ、ノートルダム大聖堂の鐘つき・カジモドであった。
カジモドはその容姿と経緯から、大助祭フロローに隠されるようにして大聖堂に閉じ込められて育ってきた。
フロローに従順に従い、日々の仕事を真面目に行うカジモド。彼の友人は、石像(ガーゴイル)と、鐘だけ。そんな生活の中で、彼の外の世界への憧れは大きくなっていった。
カジモドは祭りで盛り上がる人々を目にして、ついに大聖堂を抜け出し、外の世界へ出る決心をする。

その道化の祭りには、美しい心を持つジプシーの踊り子・エスメラルダと、大聖堂警備隊隊長・フィーバスの姿もあった。

そして祭りの中で、残酷な事件が起こってしまい…


登場人物

  • カジモド
本作の主人公。
生まれながらに障害を持ち、人とは違った容姿を持つが、心は優しく純粋。
上述の通り本作ではフロローと血縁関係があるものの、フロローからは一貫して召使いのように育てられており、外に出ることも禁じられている。
外の世界に憧れを持ち、エスメラルダとの出会いがきっかけで、大きな成長を遂げる。

  • エスメラルダ
美しいジプシーの踊り子。
その妖艶な踊りで男たちを魅了する一方で、慈愛と勇気に溢れ、偏見も持たないという中身も美しい女性。
祭りで起こった事件がきっかけで、カジモドの友人となり、その後フィーバスと恋に落ちる。

  • フロロー
ノートルダム大聖堂の大助祭で、本作のヴィラン。
カジモドを幼い頃に引き取り育て上げた。
自らの信仰と街の治安維持、そして過去に起きたある事が原因でジプシーを追放しようとしているが、エスメラルダに惹かれてしまい…

ディズニー映画版からの変更点が非常に多く、生い立ちまで補完されている。
「人間とは、怪物とは何か」を問うような生き様と相まって、本作の真の主人公とも言える立場になっている。

+ 主な変更点
  • 職業の変更(最高裁判事→大助祭)。神への信仰に生きる聖職者という趣がより強くなっている。
  • ローブの色もからへ変化。
  • ユゴーの原作のように、ジェアンという弟がいる。弟共々孤児であり、大聖堂に引き取られて聖職者として育つ。
    • 本人もクロードという下の名前があるが、ジェアンと併存する場面であっても「フロロー」と名字で呼ばれる場合が多い。
  • カジモドは亡きジェアンとジプシーのフロリカの子供。つまりカジモドとは血縁。
    • その出自と醜さにより一度はカジモドを殺そうとするが、最終的に良心の呵責や神への使命感からカジモドを養う。

ディズニー映画版のフロローはディズニーヴィランズとしては珍しい「自分が正義と思い込んでいる悪役」ではあったが、
カジモドの養育も司祭に咎められて渋々やっていただけで、彼に対しては終始高圧的に接し、
挙句には「やはり20年前にお前を殺すべきだった」などと吐き捨てるなど、傍から見れば悪意丸出しの悪役であることには変わりがなかった。
対してミュージカル版のフロローは自らの意思でカジモドを育てる決心を固めており、ディズニー版と比べて彼への態度は基本穏やか。
そしてごちそうとしてイチゴをあげたり、懸命に学問を教えたり、事が起きてカジモドに反逆されてからも「これでまた元の生活に戻れるな」と歩み寄ろうとするなど、一応は父親らしい振る舞いをしている。
一方で権力者・聖職者としての高圧・独善的な態度、ジプシーへの差別意識、エスメラルダへの狂気はそのまま。
当のカジモドの事も「神は怪物にも愛をお与えになる」と放言するなど結局同じ人間として見ておらず、時には「手を振り上げて彼を怯えさせてから抱きしめる」というDV仕草すら辞さない。
純白の司祭服と相まって、「自分を聖人と思い込んでいる狂人」「白い怪物」という趣が強くなっており、悪質さでいえばむしろディズニー版より上かもしれない。

演者によって印象が大きく変わる繊細な役でもあり、主に芝清道や野中万寿夫といったベテランが担当する。
川口竜也のフロローは凶悪さを押し出した演技で名高い。
また、ディズニー映画版でフロローの歌を担当していた村俊英も演じている。



  • フィーバス
大聖堂警備隊隊長。フルネームはフィーバス・ド・マルタン。
原作と比べると鎧の色が地味で、代わりに青いマントがトレードマークになっている。
酒と女遊びが大好きで、その美貌で女をたらし込むだらしない人に見えるが、その実、戦場帰りで心に傷を負っている。
戦場で過酷な経験をしてきたからか、ナルシストのようで実際は誰よりも他人と対等に接する人物でもある。エスメラルダどころか、カジモドに対しても…である。
エスメラルダと恋に落ちる事でフロローのジプシー追放にも疑問を持ち、人生を大きく変えていく。

  • クロパン
ジプシーの王様で、祭りを盛り上げつつスリを行ったり、フロローからエスメラルダや他のジプシー達を守ろうとする姿も見せる。


楽曲ピックアップ

他のディズニー原作ミュージカルにも言えることだが、原作より尺が長い分楽曲も多数追加されている。
ここでは新曲や原作との変更点のある曲を中心にピックアップする。

第1幕

・ノートルダムの鐘/The Bells of Notre Dame
オープニング。
上記の通りディズニー映画版から大幅に変更されたフロローとカジモドの生い立ちが描かれる。
ラストの「「美しい青年」がカジモドの衣装を纏い姿勢を捻じ曲げ、瞬く間に「醜い鐘つき男」へと変貌する」シーンが見所。

・陽ざしの中へ/Out There
ディズニー映画版における『僕の願い』。
原作からの変更点は特になし。外への憧れを晴れやかに歌うカジモドのテノールを堪能しよう。

・息抜き/Rest and Recreation
フィーバスの登場。いかにもなチャラ男に見えて実際は戦場のトラウマに苦しむ人物である様子が描かれる。
そんな苦悩を隠そうと女性たちに「息抜き」を呼びかける色男として振る舞うフィーバス。
だが新たな上司でありジプシー狩りにはやるフロローはそんな余裕など与えてくれないようだ……

・タンバリンのリズム/Rhythm of the Tambourine
エスメラルダの登場。
彼女の魅惑的な踊りにカジモド、フロロー、フィーバスは魅了され、それぞれが違った印象を抱きながらも恋に落ちる。

・神よ 弱き者を救い給え/God Help the Outcasts
ディズニー映画版における『ゴッド・ヘルプ』。
原作と違ってフロローはエスメラルダの聡明さに惹かれ、「お前の魂はまだ救えるからここで真の美しさを学べ」と、エスメラルダを大聖堂へ引き留める。
神の恩寵の体現というべき大聖堂の中で、エスメラルダはジプシーの救済を神に祈る。
慈愛に満ちたその姿を見たカジモドとフィーバスはさらに彼女へ惹かれていくのであった。

・世界の頂上で/Top of the World
カジモドに鐘楼へと案内されたエスメラルダは、そこから見えるパリの景色に感動する。
いい雰囲気になったところでカジモドは石像に励まされつつ彼女へ想いを告白しようとするが……

・酒場の歌/The Tavern Song
エスメラルダに拒絶され、怒りのあまり彼女を大聖堂から追い出したフロロー。
カジモドにも彼女と二度と会わないよう厳命する一方、自分はエスメラルダへの情欲を抑えきれなくなり、とうとうお忍びで夜の酒場へと駆け出してしまう。
そこでエスメラルダとフィーバスが口付けを交わすのを目の当たりにしたフロローに邪心が芽生え始める……

・地獄の炎/Hellfire
ディズニー映画版における『罪の炎』。
フロローは神への信仰とエスメラルダへの欲望との葛藤の果てに、「私の物にならないならエスメラルダは火あぶりにして地獄に堕とす」という結論に至る。
原作と違って間抜けな兵士は乱入しない。まさにフロローの独壇場にして第1幕のハイライトである。
なお、CDにおいてもディズニー映画版では『天国の光(天使が僕に)』とまとめて収録されていたが、ミュージカル版ではこれ単独でのトラック収録となっている。

・エスメラルダ/Esmeralda
第1幕フィナーレ。フロローの命令によりエスメラルダ狩りが始まり、パリの街は炎に包まれる。
一方フィーバスは民家への放火を命じるフロローに反逆し、エスメラルダ共々追われる身となる。
消えたエスメラルダを求め、カジモド、フロロー、フィーバスの心は高ぶる。
まるで熱く燃えるパリのように、そして激しく打ち鳴らされる大聖堂の鐘のように。


第2幕

・エジプトへの逃避/Flight into Egypt
カジモドはエスメラルダから負傷したフィーバスの保護を頼まれ、彼が回復したらジプシーの隠れ家へ連れて来てほしいと頼まれる。
カジモドにとっては難題だったが、フロローから学んだ殉教者・聖アフロディージアスの幻影に励まされ、隠れ家へ赴く。
聖アフロディージアスはヘロデの迫害を逃れるためエジプトへ落ち延びた聖家族を保護し、最期は群衆の手で首を切られた人物であり、
劇中では欽ちゃんの仮装大賞ばりの首落ち芸が披露される。

・奇跡もとめて/In a Place of Miracles
エスメラルダ達ジプシー、そして免職されたフィーバスは、フロローの弾圧を逃れるためパリを出ることを決意する。
しかしその輪の中に入れないカジモドは、エスメラルダへの想いが叶わないことを悟って悲しみに暮れるのであった。

・いつか/Someday
ディズニー映画版ではエンドロールに使われた曲。
本作ではエスメラルダとフィーバスのデュエットになっており、いつか遠い未来でお互いが結ばれることを願う。
本作のメッセージを込めた、悲しくも美しい曲である。そして嫌でも結末を悟らずにはいられない。

・石になろう/Made of Stone
失恋、エスメラルダの死刑、親であるフロローによる自身の拘禁……
あらゆる災いが降りかかったカジモドはとうとう石像の言葉にも耳を貸さなくなり、自暴自棄に陥ってしまう。
カジモド役にとっては彼の絶望や慟哭を高音のロングトーンで歌い上げるという高い技巧を要求される「ボス曲」であり、
この曲の出来がカジモド役の成否を分けるといっても過言ではない。

・フィナーレ/Finale
これまでの楽曲のリプライズを多数交えながら紡がれる衝撃の結末。



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最終更新:2025年03月19日 19:33

*1 主に映画版だが、ミュージカル版の影響も多少は受けている。