登録日:2024/07/16 Tue 01:16:30
更新日:2024/12/04 Wed 16:52:53
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劇団四季は日本の劇団である。
企画・運営は四季株式会社が行っている。
●目次
【概要】
日本におけるミュージカルというジャンルを定着させた劇団で、知名度も規模も国内では最大級。
『ライオンキング』や『キャッツ』等のCMを見たことがある人も多いだろう。比較的低年齢の観客も受け入れているため、ミュージカル鑑賞デビューはこれらの作品だったという人もいるかもしれない。
専用劇場がJR線の主要駅近くや大手企業の施設内に設置されているのも特徴。これについては創業者である浅利慶太の政財界への人脈を活かしたものとされる。
その知名度の一方、劇団では「スターはあくまで作品そのもの」という方針から、劇団員の素性を知る機会は限られており、劇団員本人のブログやSNSの開設は禁止されている。
メディアのインタビューや、2010年代以降は劇団の公式SNSが開設されたため、そこで多少は出演者の素性が窺える程度。
そのため劇団内の情報は現在まで殆ど公にされておらず、このwikiで立つのも非常に遅かったのはその証左といえよう。
ブロードウェイミュージカルの日本版を積極的に上演しており、特にアンドリュー・ロイド・ウェバーが脚本・演出を務めた作品やディズニーミュージカルでお馴染み。
但しオリジナル作品には手を抜いておらず、特に「こどものためのミュージカル・プレイ」や「こころの劇場」で顕著。
元々は学生劇団で、その歩みは次に述べる通り試行錯誤の連続であった。
【歴史】
慶應義塾大学の学生たち10名により1953年に結成。
「
日本の演劇界に革命を起こさん」という意気込みのもと、バスティーユ襲撃の日……即ちフランス革命が勃発した7月14日にその歴史の幕は上がった。
冒頭の文言は結成時に彼らが掲げたスローガンである。
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1950年代当時の日本の演劇について |
近代演劇が日本にもたらされたのは大正時代とされているが、ここに西欧の思想も持ち込まれたとも言われ、日本の近代演劇は良くも悪くもイデオロギー主義となる。
戦時中はプロレタリア運動に感化された演目が流行し、戦後は「反戦」を掲げるようになり、やがて演劇的な面白さが失われつつあると危惧する演劇人も増えてきた。
劇団四季を発足した10人の学生たちは、演劇的な面白さを追求するために集まったのだ。
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結成当初はストレートプレイを主流とした劇団で、ジャン・ジロドゥやジャン・アヌイといったフランス文学を原作とした演目が中心だった。
黎明期の代表作に『ひばり』が挙げられ、2024年現在まで度々上演されている。
1964年、日生名作劇場「こどものためのミュージカル・プレイ」がスタート。
小学生以下の児童向けとはいえ、劇団が初めてミュージカルを上演したのはこの頃から。
ちなみに第1回は『はだかの王様』で、同シリーズは劇団オリジナル作品が中心。
1972年、ブロードウェイミュージカル『アプローズ』を上演。
劇団四季とブロードウェイミュージカルの縁はこの頃から始まったのである。
本作上演のために初めて公開オーディションが実施され、外部出演者も多くなった。
ちなみに本作の主演である元
タカラジェンヌ・越路吹雪は、上演前年である1971年に劇団四季主催でリサイタルを披露した。
『アプローズ』のヒット以降ブロードウェイミュージカルの上演権を次々と獲得。
『ジーザス・クライスト=スーパースター』『
ウエスト・サイド物語』『コーラスライン』を上演し、日本にブロードウェイミュージカルを根付かせた。
1983年、東京都新宿区西新宿にテント型劇場「キャッツ・シアター」を設立。
『
キャッツ』の13か月のロングラン公演を実施。何気に
日本でロングラン上演が実施されたのはこれが初めてだったりする。
『キャッツ』のヒットが劇団に齎した恩恵は大きく、公式ファンクラブ「四季の会」の発足や、ロングラン上演のため専用劇場の設立のきっかけとなった。
1988年、劇団設立35周年記念作品として、『ジーザス・クライスト=スーパースター』で縁を結んだアンドリュー・ロイド・ウェバー脚本・演出の『
オペラ座の怪人』を上演。
本作は1993年にJR札幌駅にオープンした劇団初の専用(仮設)劇場「JRシアター」、および1996年に
福岡県のキャナルシティ博多に開業した初の常設劇場「福岡シティ劇場」(現:キャナルシティ劇場)のこけら落とし公演として採用された。
2008年以降は全国の小中学生を無料招待する公演事業「こころの劇場」に参画。
代表作として『エルコスの祈り』『ジョン万次郎の夢』『人間になりたがった猫』『ユタと不思議な仲間たち』『ガンバの大冒険』が挙げられる。
小学校や中学校の課外授業で観劇したことがある、というアニヲタ民もいるかもしれない。
2022年、『
バケモノの子』上演。
「こころの劇場」以外の本公演で
日本の漫画・アニメのメディアミックスを上演するのはこれが初。
【団員】
秋頃に開催されるオーディションに合格すれば晴れて四季の役者となれる。
入団オーディションは2通りあり、
- 一般: 合格すると即入団。所謂即戦力枠。年齢上限は特に求められていない。
- 研究生: 合格すると劇団四季の研究生として1年間レッスンを受講する。平日5日間は朝から夕方までみっちりレッスンを受けるため、学業やサラリーマンとの両立は不可能。
性別と国籍は不問、年齢は18歳以上25歳以下で、研究生として入所する場合のみであればオーディションへの参加が可能。
但しコースによっては条件がある。
なお
子役については自前の部門は持たないが、都度必要に応じて公募する形をとっている。
役者の雇用区分は個人事業主として扱われ、給料は「年間契約料+出演料」で構成される。
この内出演料が重要で、配役と出演回数によって変動する。
主役やその他目立つ役に抜擢されれば年収1,000万も夢ではない。
上述のオーディションはあくまでも「入団オーディション」であり、作品に出演するためのオーディションは別。
「慣れ、だれ、崩れ、去れ」「一音落とす者は去れ」の文言に代表されるように、仮に主役やそれに準ずる役に抜擢されたとしても、「不相応」と判断されれば容赦なく降板させられる。
入団できてもいずれの作品も出演できずに退団してしまった者も少なくない。
また年間契約料も実力不足と判断されれば更新されない、配役がなければ無給等、高クオリティの舞台を届けるには厳しい研鑽が必要となる。
当然、副業も禁止(そのための年間契約料)。というか禁止されるまでもなくやる余裕はそう無いだろう。在団中の外部作品出演も昨今は殆どない(逆に外部キャストの受け入れは少なからずある)。
アニヲタ的には
ジョナサンや
グエン卿等で知られる青羽剛の声優としての降板理由として有名か。
稽古は四季株式会社が所在する四季芸術センター内で行われる。
稽古場環境は決して悪くなく、劇団員もしくは研究生であればレッスンを無料で受講可能、食堂は割引が効き、医務室やトレーニングルーム等が常設されている。
作品の信念上、アドリブは一切禁止。
ひとつの役を複数人が持ち回りで行う作品が多いが、劇団員は喋り方や仕草、オフマイクだけで差別化を図らなければならない。
逆にそこが「同じ役・同じセリフでも演者によって性格や印象が全く違う」という劇団四季の特色にもなっており、
この違いを味わうために同じ作品を何度も鑑賞するファンは多い。
【過去の主な所属者】
本項では2024年以前に退団、および在団中に逝去した劇団員を取り上げる。
あくまでもごく一部であることはご了承願いたい。
なお、座員は退団しても劇団は一切公表しない。
「気が付いたら東宝や梅田芸術劇場の作品に出演してた」なんてよくある話で、この項目の追記修正を難しくしている一因、かもしれない。
設立メンバーであり初代座長であり四季株式会社の初代社長。
設立当初から演出家として活動しており、その厳しい指導は多くのミュージカル俳優を育て上げ、良質な作品を作り上げた。
一方で石原慎太郎ら政財界との縁故が強く、専用劇場の設立にはこれすらも利用したことを批判されているが、この人がいなければ劇団四季は発展しなかったと言っても過言ではない。
劇団設立65周年を目前にした2018年7月13日に逝去、享年85。
設立メンバーの一人。
黎明期から劇団四季のスター役者として活躍。初演の『美女と野獣』でモリースを演じていた。
テレビドラマや声の出演にも積極的で、『ノートルダムの鐘』のフロロー役でお馴染み。
演技力の高さで知られ、
野沢那智や
速水奨に影響を与えた。
2017年5月15日、滞在先のスペインで逝去、享年86。
ちなみに浅利と日下はどちらも慶應義塾大学文学部仏文学科に在籍していた。
1990年、東京藝術大学在学中に『オペラ座の怪人』のラウル子爵役としてデビュー。
2007年に退団するまで主役もしくはそれに準ずる役を務めあげた。
代表的な役として『ウエストサイド物語』のトニー、『キャッツ』のスキンブルシャンクス、『美女と野獣』のビーストが挙げられる。
退団後は舞台や映像作品、歌手として活動。有名なところでは
テレビ朝日の音楽番組『題名のない音楽会』の7代目司会がある。
声優業では『ノートルダムの鐘』のカジモドが印象深いか。
2023年より『
仮面ライダーガッチャード』の九堂風雅役として出演。本作が初の特撮出演となった。
劇団在団中にオロナミンCやネスカフェ・ゴールドブレンド、退団後は黄桜と何かと飲料系のCM出演が多い。
舞台芸術学院卒業後、西村晃の付き人として俳優修業を行っていた。
1973年に『ジーザス・クライスト=スーパースター』のオーディションを受け合格、当初はアンサンブルとして出演予定だったがヘロデ役に変更された。
代表的な役として『ウエストサイド物語』のベルナルド、『人間になりたがった猫』のベルナルド、『オペラ座の怪人』のタイトルロールが挙げられ、劇団のスター俳優として1990年まで活躍した。
退団後はホリプロに所属し、舞台からテレビドラマ、声の出演まで幅広く活動している。
アニヲタ民にとっては『
ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のジャック・スケリントンや『
劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』の
ミュウツーでお馴染み。
市村本人もお気に入りの役として挙げており、『オペラ座の怪人』をベースに役を作り上げていったとか。
四季の役者としては珍しいハスキーボイスの持ち主で、その演技力の高さも相まってアクの強い役に定評がある。
『ミス・サイゴン』のエンジニアや『ラ・カージュ・オ・フォール』のアルバンは「ファイナル公演」と銘打たれては好評のあまり続投が決まるほど。やめるやめる詐欺とか言わない。
ちなみに元奥さんは篠原涼子で、息子の市村優汰も俳優の道へ進んだ。
声楽家を目指していたが、友人の勧めでオーディションを受けて合格し1972年に入団。
『ジーザス・クライスト=スーパースター』のジーザス、『ウエストサイド物語』のトニー、『ヴェニスの商人』のパッサーニオ等ほぼ同時期に入団した市村と並ぶスター俳優として活躍し、1980年に退団。
退団後は舞台からテレビドラマ、バラエティ等で活躍。真っ先に思い浮かぶのが『料理の鉄人』の司会か。
声の出演にも積極的で『
劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕』のジラルダンや『
FINAL FANTASY Ⅳ』の
ゴルベーザ(FF)を演じたのはこの人。
後者に関しては派生作品にも同役で続投している。
上述した市村正親とは最早
腐れ縁と言っても過言ではなく、現在も所属事務所が同じ。上述のとおり初期の『ポケモン』映画で続けてゲストとして呼ばれているのも偶然か否か。
愛知県立芸術大学声楽科在学中にオーディションに合格し、1972年に正式入団。初期の芸名は「久野秀子」。
『ジーザス・クライスト=スーパースター』・『ウエストサイド物語』・『キャッツ』・『エビータ』・『コーラスライン』等多数の作品で
メインヒロインとして活躍し、1986年に退団。
退団後もミュージカル俳優として活躍し、21世紀初頭には『異国の丘』・『マンマ・ミーア!』と再び四季の舞台にも参加した。
またアニヲタ関連でも「
サクラ大戦シリーズ」に
ラチェット・アルタイル役で出演していた。
2022年8月22日、乳がんにより71歳でこの世を去った。
昭和音楽芸術学院ミュージカル科卒業後、1995年に入団。
『ライオンキング』の初代シンバ役の一人として知られており、その他の代表作に『キャッツ』のスキンブルシャンクスが挙げられる。アンサンブルとしての起用も多かった。
退団後は舞台俳優や歌手として活躍。
東京ディズニーシーのアトラクション「
シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」のシンドバッド役を務めており、同アトラクションでは氏の歌声を楽しめる。
学生時代に体操でインターハイに出演したこともあり、体つきは意外とマッシブ。
故にヒール役も多いが、ご本人はとても明るくユーモアのある方である。
【余談】
- 母音を強調した発声方法は四季メソッドと呼ばれ徹底されている。これは舞台上から観客全員に言葉を正しく届けるために生み出された。
- 上述の「こころの劇場」や、3歳以上であれば観劇が可能なこともあり、演劇鑑賞デビューが劇団四季だった者も少なくない。
- CMや舞台アナウンスを務めているのは1979年に入団した青山弥生。2024年現在も在団しており、『ライオンキング』のラフィキ役で知られる。
追記修正は、四季メソッドを徹底しながらお願いします。
- 某国の連中に乗っ取られ気味と聞いたが -- 名無しさん (2024-07-16 12:54:26)
- アニヲタ的には石毛翔弥が元所属で青羽剛が現所属 -- 名無しさん (2024-07-17 22:00:16)
- 「なかなか立たなかった」とあるけど、演目はともかく劇団の沿革やスタッフ・キャストそれに秘密主義だから項目は書きにくいと思うわ。 -- 名無しさん (2024-07-24 07:32:36)
最終更新:2024年12月04日 16:52