登録日:2025/12/13 Sat 20:26:37
更新日:2026/05/03 Sun 22:58:17
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李邈とは、
三国志の時代の益州にいた
狂人として名を残した男である。字は漢南。
経歴
元々は
劉璋配下の臣であり、劉璋が
劉備に降伏したことでそのまま劉備に仕えることになった。
李邈はある年の正月の宴席というめでたい場で、酒を注ぐ係をやっていた。
そこで「なんで劉備様は劉璋様に張魯対策で呼ばれたのに張魯を倒さずに劉璋様を攻めたんですか?w」とクッソ空気の読めない発言をした。
劉備は「じゃあお前はなんで劉璋を助けなかったんだ」と返すと「助けたかったんですが力不足でしてえ・・・」と言った。
現場主義の劉備の性格からして、こういう力もないくせにおべんちゃらだけの奴は大っ嫌いである。
益州取りはお互い本当に必死になって戦ったし、その場には戦死した者の縁者も少なくないのにこいつはヘラヘラと自分のことを棚に上げやがったのだ。
君主だけでなく大勢にケンカを売ったのだから当然「じゃあお前は要らんな」ということで処刑が決まった。そらそうよ
だがこれを諸葛亮が止めた。
というのも彼
以外の三人の兄弟は『三龍』と呼ばれるほど優秀なのでこいつもそれなりの実力もあるだろうし、また正月の宴席の場で君主の機嫌を損ねたから、という理由もよろしくない。
その場にいる劉璋の元配下たちにもケンカを売っている許し難い放言なのだが、こいつに対して強権的な刑罰をしてしまうと劉備としてはその場にいた
益州グループ全員を敵に回すという危険性がある。
全て計算づくで劉備にケンカを売ったのだ。
ただ、彼の計算は諸葛亮の予想の遥か下を行っていた。
次に彼の名前が出たのは
馬謖を処刑する時である。
馬謖の罪状も出揃い、全てが整ったその時に口を開けたのが李邈である。
「秦は孟明視を赦したのに楚は成得臣を殺したせいで二代に渡って振るいませんでしたねw」と
擁護風煽りをかました。
諸葛亮もこれには内心ブチギレた。なんなら助けたことを後悔したとさえ思ったろうが、もちろん理性的な諸葛亮は今度もしっかり自分を止めた。
そして「成都へ行け」と怒りを押し殺しながら強制帰還命令を出した。お前なんぞしばらく声も聞きたくなければ顔も見たくないということである。そらそうよ
そして最後に名前が出たのは諸葛亮の死後ほどなくである。
劉禅も喪に服し、蜀という国そのものが悲しみに暮れている時だ。
そこで李邈は上奏した。
>「亮身杖彊兵,狼顧虎視,五大不在邊,臣常危之。今亮殞沒,蓋宗族得全,西戎靜息,大小為慶。」
「諸葛亮は強大な軍を握って獣みたいに四方を睨んでた奴っすよ、本来辺境に置いてはならない存在で、反逆でもされたら危ないと思ってたんスよ。諸葛亮が死んだってことは、これで皇室も安泰、西の異民族も静かになるでしょう。国民皆喜びましょう!!」
彼の真意については後に語るが、諸葛亮を親であり師のように仰いでいた劉禅からの返答は一つ。
今度ばかりは違った。自身を守ってくれた諸葛亮はもういないし擁護する人物も現れない、どうやら計算が狂ったようだ。
君主に二度もケンカを売り恩人にもケンカを売ったばかりか泥まで塗った狂人は、今度こそ無事に投獄され処刑された。そらそうよ
しかしこの行動は劉禅の行動からするとかなり際立って目立つ行動である。
基本的に劉禅は温厚で口さがない言い方をすると戦時においては甘い皇帝で、しかも良くも悪くも部下の言い分を聞き入れやすく自分で独断専行するようなタイプではないというのに、李邈の処刑に関しては自らが動いている。
どのくらい甘いかというと、廖立という人物が「俺の才能は諸葛亮の次ぐらいなのになんで李厳如きの下なんだよ?大体樊城や夷陵の戦いもさあ・・・」ととんでもない不敬不満を同僚の前で洗いざらいぶちまけて、それを受け取った諸葛亮が「死刑にしましょう」と言ったところを「いやそれは可哀想だから流罪で」というくらいである。
これは「又聞きだから」というのもあるかもしれない。いくら心服している諸葛亮がそう判断したとはいえ、間違った讒言で死刑にしたなら取り返しがつかないのも確かだ。
甘い処罰ではあっても、劉禅は完全な諸葛亮の傀儡ではなく、自分の意思をちゃんと持っている。その上で諸葛亮もこれに従い流刑としていて、それ以上手を下すことも無かった。
そして劉禅は軍事・政治といった国事に口出しはせず諸葛亮やその後継人たちに任せきりにしてはいるが、それもまた劉禅の意思とも取れる。後宮を拡張したいなーとか言って諫められて止めたりしているけども、それも意思表示の一つではある
だが李邈は自分の口で直接劉禅に対し、師父で功臣たる諸葛亮の死に対して辱める言葉を放った。絶対に誤ることなどない事実である。
もう一つ重大なのが、李邈が吹き込んだのは「反逆の可能性であった」ということである。
劉備との酒宴や馬謖の助命についての李邈の言動は実にKYではあるが、個人が不愉快になるだけなので聞き流すことも一応はできた。
だが、「反逆の可能性」はそうは行かない。
反逆は強勢だった国を滅亡に追い込む危険性の高い特級懸念事項であり、どんな国でも最大の重罪である。
そして反逆に関する讒言も歴史上繰り返され、
逆意のない者を本当に反逆するしかない状態に追い込んでしまったり、皇帝自ら能臣を切り捨てて国を弱体化させてしまった事例は枚挙に暇がない。
三国時代でも、当wikiに項目がある例なら
二宮の変が讒言をきっかけに勢力争いが起き、国が弱体化した一例だ。
それだけに、反逆の告発は「もし告発が偽りだったならば命を賭けます!」という覚悟でやらなければいけないものなのだ。
諸葛亮は劉備の死後、10年にわたって蜀漢における軍事・政治の両方を握っていた。
その気になれば国を乗っ取ることもできたかも知れないが、諸葛亮自身は反逆や独立の動きは見せていない。
諸葛亮を疑うような上奏は、完全な無根拠の讒言であることは明らかであった。
そして、蜀漢内部では諸葛亮の北伐に従った軍人や彼に任されて留守の内政を受け持った重臣たちに今後の政務を託さなければならない。
諸葛亮の反逆を疑うことは、今後の蜀漢の柱石となる主要な人材にまで疑いをかける行為に他ならないのだ。
ではなぜ李邈はこんな進言をしたのか?
実の所、前記した上奏文には前文がある。
「呂祿、霍禹,未必懷反也;孝宣之君,非樂殺臣也。然臣畏其逼,君畏其彊,故姦邪得以間之」
「呂祿と霍禹は逆心を抱いていたとは限らない、孝宣帝も家臣を喜んで殺すような人物ではなかった。なのに、臣下も君主もお互いを恐れるようになって、結果として邪悪な計略が間につけ込んでしまった。」
呂禄は前漢の劉邦夫人呂后の一族で、権勢をふるったが呂氏の乱で敗死した。
霍禹も同じく前漢で権勢を持った人物であるが、段々と権力を剥がされていくのに粛清されると危機感を感じ、孝宣帝に反逆を起こそうとして返り討ちに遭った人物である。
臣下が権力を持ちすぎるあまり相互に猜疑心が生じてしまい、結果としてつけ込まれ大きな政争になってしまった…という例である。
この文章では、「呂祿と霍禹は逆心を抱いていたとは限らない」と指摘しており、その上で引き合いに出したと言うことは、諸葛亮を露骨に逆臣と指名したつもりではないとも取れる。
そもそも劉禅は生前の諸葛亮に権限を与えすぎていた。
後漢では丞相は廃止されていたのに、曹操がわざわざ丞相を復活させて自ら丞相になり、結果漢は簒奪されている。
だが、蜀漢は劉備帝位就任に際してそんな「曰く付き」なシステムである丞相位を設けて諸葛亮に任せているのだ。
劉備存命中は諸葛亮は軍は率いていなかったし、丞相も行政トップに過ぎなかったが、劉禅の代になるとその丞相に軍権まで与えられていたのだ。
それでも、諸葛亮は忠臣だったからこの体制は奇跡的に成立できていた。
諸葛亮への権限集中による軍政一体化の結果、弱小で地理的条件も悪い蜀漢が北伐で健闘できたという説もあるほどである。
だが、これは奇跡的な例外であって他の君主が真似したら危ない、というのは後世でもしばしば語られているところである。
君主たるもの、臣下の忠誠を得るに越したことはないが、一方で反逆させないように手綱も握ることは必要なのだ。
そう見れば、臣下一人に軍事も政治もと大権を与えて、しかも独立行動させるなんて危ない。諸葛亮が死んだならこれを機会に改めるべきだというニュアンスの上奏だったとも取れる。
しかし政治体制に多少の問題があろうと諸葛亮が劉備の代からの大功労者であることは疑いようもない。
彼自身には反逆の兆候など全くないどころか忠誠を誓っていたし、亡くなった後は諸葛亮の残した人材で国家運営を継続していかなければならない。
李邈としては、甘ちゃんな劉禅に強い言葉でショックを与えて進言を通そう・・・とこれまでのKY発言の延長で強い言葉を使ったのかもしれないが、それは国家の維持のためにも決して許されない絶対のタブーまでも踏み抜いていたのである。
まあ劉禅側も諸葛亮の死を侮辱されたと感じてつい感情的になってやったことかもしれないが・・・
李邈の能力
諸葛亮のとりなされた後は、犍為太守・丞相参軍・安漢将軍という3つの役職についていた。
犍為郡は要地であり、
劉備入蜀後に太守を任されていたのは李厳。
後に尚書令となって諸葛亮も一目置かざるを得なかった蜀漢の重鎮である。
夷陵の戦いで蜀漢の人材が大幅にいなくなった後に任されたともとれるが、それでも適当にあてがうようなポストとは言い難い。
また「安漢将軍」はいわゆる雑号将軍であり特別高い将軍位という訳ではないが、彼以外の安漢将軍は
- 徐州以来の大パトロンで諸葛亮より席次が上だった麋竺
何がむむむだ!と言って馬超の懐柔に成功し、その他正史でも有能さが伝えられる李恢
とやたら豪華な面子である。李邈の後にも王平が任じられており、雑号と言っても適当に与えるような将軍位ではなかったようなのだ。
そう見ると、単なる口だけの無能という訳ではなく、案外彼の実務能力はそれなりに高く評価されていたのかもしれない。
ただ、諸葛亮は基本的に李邈を物理的な意味で手元から離そうとしてはいなかった。
こんな放言癖のある男に「丞相参軍」という役職をつけているということは要するに「手元に置いておかないと何言いだすか分からん」という可能性がある。
助命し役職を与えそれでもなお毒を吐かれたのだから、諸葛亮の心中は察するに余りある。
そして手元から離れた瞬間、その放言で死んでいる。諸葛亮が出師の表まで出して忠心を示したのに対し、彼がいる間にそれを不忠だと弾劾できるほどの能力も、自分が禁句を口にした自覚もなかった。
蜀漢全体でも、その気になれば諸葛亮の権限を制限できる場面はあった。
例えば、馬謖のやらかしで第一次北伐が失敗に終わった事件である。この時は諸葛亮自身願い出ての降格処分となっているが、この敗軍処罰を契機に軍権を制限するというのであれば、常識的な対応であろう。
しかし、この時李邈が諸葛亮の権限制限を進言した記述はないどころか、やったのは「(馬謖が)負けたからって処罰しちゃうのは国を弱くしますよね?」という、むしろ逆の進言である。
こうした場当たり的な主張の上に、明らかなKYと言う要素まで加われば、上奏の「当たっている部分」も単なる結果論と言うことも疑わしくなってくる。
少なくとも、李邈に対しての高い評価に結びつけることは困難だと言わざるを得ない。
とはいえあの温厚な劉禅が激怒するほどに自身の死後もなおも深く諸葛亮のことを思ってくれていたことについて、蜀漢という国が滅び本懐を果たせはしなかった諸葛亮もほんの少しだけだが、草葉の陰で心が揺れたことだろう。
そして裴松之は李邈についてこう触れている。「李邈が四人兄弟なのに『三龍』ってことは、そういうこと」と。
ただ、それなりの能力がある狂人というのは行き過ぎれば歴史に残るものである。
曹操の下にいた
禰衡、
孫権の下にいた虞翻のように、である。
『三国志 Three Kingdoms』でも劉禅が李邈を死刑にするくだりが拾われたりしているので、「悪名は無名に勝る」という言葉が相応しいか。
しかし呂蒙の幕僚として荊州攻略に成功するなど度々功績を挙げており仲の良い人物もそれなりにいたので左遷後も数多の門下生を抱え慕われ天寿を全うし息子たちも登用された虞翻はともかく、李邈と同じく碌に仕事できないのに悪口だけは達者な禰衡はやはり権力者に斬られている。古今東西自分の身の程を知ることは大事である。
なお、目立つシーンが舌禍シーンくらいしかない上にそれだと上の二人と被るためか、KOEIの三国志シリーズにもSEGAの
三国志大戦と英傑大戦にも実装されていない。(2025年10月現在)
特に『三国志14』はシステム上数多くのキャラクターが必要とされており、兄弟の李朝・李邵も登場しているのにこいつだけカットされた。
蜀の舌禍で言うとこいつより偉い
楊儀がいる。
彼は諸葛亮の幕僚としてはナンバーツーでありしっかりと活躍もしていたのだが、才能を鼻にかける狭量な性格で、いつも
魏延と対立しており、そのため諸葛亮死後の事実上の後継者には遺命により温厚で能力も高い蒋琬が選ばれた。
失脚した楊儀は
「ちくしょうこんなことなら諸葛亮が死んだ時に全軍挙げて魏に裏切っとくんだった!!」と費禕に不忠な放言をしてしまい、当然ながら流刑となる。
その後も流刑先から誹謗中傷する文面を送りまくり、いざ拘束されると
自殺したという。
諸葛亮がいてもいなくても文官どもはこの始末。本当、蜀漢はよく持ったものである。
なんでアットウィキは自治厨の巣窟になってたしたらばを消してくれた三代目管理人をクビにしたんですかあ?w
あの項目もうちょっと良くしてあげたいんですけど追記・修正する能力がなくってえ・・・
- 阿斗ちゃんをキレさせた数少ない男。マジで発言の真意が読めん -- 名無しさん (2025-12-13 21:00:45)
- ↑単にただ偉い人にこんなこと言える俺かっけーってだけだったりするものだ あの劉禅がキレるのもむべなるかな -- 名無しさん (2025-12-13 21:12:13)
- 悪名は無名に勝るとはよく言ったもんである。このクソカスっぷりでこいつは下手な英雄より歴史に名を残した(本人が嬉しいかどうかは知らん) -- 名無しさん (2025-12-13 21:21:41)
- 狂人というかただのバカでは? -- 名無しさん (2025-12-13 21:52:57)
- 主君や宰相に相当ナメた口をきいておきながら運良く処刑されず、それどころか太守や将軍位も与えられている辺り、兄弟ほどではないがこいつもそれなり以上に有能だったのでは?と見れなくもない。ただ余計過ぎる暴言をたまに吐くのが玉に瑕ってだけで… -- 名無しさん (2025-12-13 22:28:07)
- 現代風に言えば「迷惑系インフルエンサー」のなりそこない、って感じだろうか。 -- 名無しさん (2025-12-13 22:38:11)
- 禰衡はともかく、虞翻は左遷先に留まる事は自分で選んだものでしかも天寿を全うしてる以上、李邈と同列に扱うのはなんか違和感があるわ -- 名無しさん (2025-12-13 23:19:56)
- 最後の追記修正お願いしますの下りってそういうネタなんです?何か荒らしの様にしか見えないんですが… -- 名無しさん (2025-12-13 23:41:02)
- いつもの追記修正のお願いのとこ、大したブラックジョークだ これくらいの暴言吐く人物なのは伝わったよ -- 名無しさん (2025-12-13 23:44:06)
- ↑ すみません、項目が項目なのでギリギリのラインを行きたかったんですが・・・難しいですね -- 名無しさん (2025-12-13 23:45:39)
- 諸葛亮が謀反を企ていたと思っていたなら生前に訴えるべきだし、命の恩人なのに死後罵るとか恩知らずにも程がある。劉禅からしたら諸葛亮は実の父のように慕っていたから尚更。 -- 名無しさん (2025-12-14 00:02:52)
- ↑3「(李邈が)これくらいの暴言吐く人物なのは伝わったよ」という意味だと思いたい -- 名無しさん (2025-12-14 00:23:52)
- 李邈と劉琰(嫁と主君の浮気を疑ってDV)くらいしか阿斗キレてないからある意味ダーウィン賞もの 李邈に関する伝わってる事蹟は裴松之の注釈でしか書いてないみたいだから陳寿から見ても後世に伝える価値も無い!だったんだろうな -- 名無しさん (2025-12-14 00:32:25)
- 口は達者だが中身がない奴だったのだろうな。 -- 名無しさん (2025-12-14 00:40:44)
- 「相手を的確に怒らせることが出来る」って意味だと才能の持ち主なのかもしれないけど、中国史によくある大言壮語した奴がその後しっかり実績見せてすごい!ってなる逸話とは違って、本当に口がデカいだけで終わってるんだよな……。 -- 名無しさん (2025-12-14 01:46:00)
- 孔明は結局歴史的には敗者の側だから「無能だった」という批判は仕方ないが「不忠だった」というのは許せないわマジで -- 名無しさん (2025-12-14 04:55:22)
- 思わず神子田正治を思い出した(小牧長久手の前哨戦で勝手に戦線離脱して、穏便に済ませようとした秀吉に暴言はいて追放されたやつ) -- 名無しさん (2025-12-14 05:12:19)
- 安漢将軍って雑号だけど麋竺(孔明より席次が上)とか李恢(何がむむむだと言った人、正史でも有能)とか孔明死後の王平の将軍位なんで、そんなに軽視はされてないと思うんだけどな…処刑されてるので必要以上に功績を削られている可能性を感じないでもない。 -- 名無しさん (2025-12-14 06:25:11)
- 誰だよと思って開いたらエピソードだけは聞いたことあった。これ全部同じ奴だったのかよ‥‥w -- 名無しさん (2025-12-14 06:29:24)
- ↑3神子田は空気読めないだけで有能ではあったからさすがにこれと比較するのは失礼な気がする -- 名無しさん (2025-12-14 08:01:37)
- こいつ劉璋時代はなにもやらかしてないのかな、身分的にその頃は劉璋らに直接物言う機会がなかっただけなんだろうか。あと同輩や目下についてどういう態度だったのかはよく分からんよな。 -- 名無しさん (2025-12-14 08:45:23)
- ↑6無能だったという批判も蜀の民からしたらありえんからな 諸葛亮以上にあの蜀であそこまで戦果・国をまとめきれる人間いるか?だし、九錫貰っちゃえ(貰ったのは王莽=漢簒奪)と李厳に言われても断った忠義を踏みつけたのは度し難い -- 名無しさん (2025-12-14 09:13:25)
- 口の悪い人間を直言の士として取り立てるのがある種のステータスではあったし、こいつも言っていること自体は一理あったからギリギリで殺されることはなかった。逆張りするあまり最悪のタイミングで言い続けた結果3度目の正直で処されたけど。 -- 名無しさん (2025-12-14 09:27:46)
- 禰衡はともかく虞翻と比べるのは虞翻に対する冒涜では…? -- 名無しさん (2025-12-14 18:23:21)
- 虞翻も自分で降伏させた糜芳や于禁をボロクソ言っており孫権や諸将ともトラブルを起こしているからな。張昭も含めて孫策とは相性が良かったが孫権とは反りが合わなかったのか。 -- 名無しさん (2025-12-14 20:34:28)
- 劉璋時代もやらかしてはいただろうけど兄弟のお陰で助かってたんじゃない? 劉禅が処刑を命じたのはタイミングとしても良かったのかも。最初の時は記事の通り、馬謖の時は総司令が怒りに任せて部下を処断したように見える行動は慎みたい時期だったろうし。 -- 名無しさん (2025-12-14 20:48:06)
- 劉禅からしたら諸葛亮は父親のような存在でそれを侮辱されたからブチ切れて処刑したのだろうな。 -- 名無しさん (2025-12-14 21:28:07)
- ↑3丁覧や徐陵は虞翻のおかげで出世できたようなもんだし呂蒙とは仲良かったみたいだし、左遷先で開いた塾には門下生がかんなりいたし、癖はあるけど波長があった人物への面倒見はよさそうなんだよね虞翻 -- 名無しさん (2025-12-15 09:01:01)
- 虞翻は性格に難があり過ぎる人物だが孫策は良く上手く付き合えたよな。 -- 名無しさん (2025-12-15 09:27:51)
- 四兄弟なのに三龍と呼ばれていたあたり李邈は相当アレな人間だったのだろうな。 -- 名無しさん (2025-12-15 09:29:18)
- 兄弟の三龍はどれほどか…と検索したらこいつ四兄弟の長兄なのかよ。弟二人はちゃんと有能、末弟は早世したので不明と長兄李邈の酷さがより際立ってしまった。 -- 名無しさん (2025-12-15 10:19:40)
- ↑ジャギがラオウのポジションにいるようなものか -- 名無しさん (2025-12-15 13:24:39)
- あと、虞翻は三度登用しようとした際には天寿を全うしてたためその一族を重用して召し抱える&子孫も易学者として名前をはせているからそれほど不遇でもないよな。 -- 名無しさん (2025-12-15 16:39:32)
- 劉備による劉璋を騙し討ちした件でも自分には力がなかったから助けなかったが劉備による行いが気に入らないなら仕えない選択肢もあったのにな。 -- 名無しさん (2025-12-15 17:22:19)
- 阿斗「てめーは俺を、怒らせた。」 -- 名無しさん (2025-12-15 18:31:08)
- 劉璋のように信頼して軍権を預けた奴に国を乗っ取られた哀れな君主もいたが、劉禅様はそのような事がなくて良かったですねと言っているようなもん。 -- 名無しさん (2025-12-15 21:18:33)
- 人が死んでから死体蹴りする奴に碌なのはいないの典型だよな。 -- 名無しさん (2025-12-15 21:22:28)
- 功績あるし若輩者に慕われていた虞翻とは比べるまでもないし、放逐されようが首刎ねられようが反骨貫いたように見えなくもない禰衡と違って、マジでこいつは路頭に迷う勇気無いクセに迷惑かけたがる嫌な奴にしか見えない -- 名無しさん (2025-12-16 20:41:14)
- AIに史書の原文を出してもらったのだけど、「諸葛亮一人に何もかも権限与えるのは、反逆でもされたら手が付けられなくなってよくなかったですよ。死んだのをいい機会と思って改めましょうよ!!」というスタンスの進言(これは後世の史家も割と似た論評してる)で盛大に個人攻撃をしちゃったように見える。 -- 名無しさん (2025-12-16 21:04:43)
- ↑ つまり劉禅がキレたのは「我が師父にして最高の忠臣で功臣たる諸葛亮が亡くなったのを『いい機会』とはなんだボュゲ!」ということか -- 名無しさん (2025-12-16 22:50:27)
- 劉禅の項で語られてた「お前死刑」されたのがこいつか…うーんこの -- 名無しさん (2025-12-16 23:00:26)
- 「諸葛亮は忠義があったから良かったものの、諸葛亮以外に同じような全権委任をするのは危険です!」て -- 名無しさん (2025-12-18 00:12:24)
- ↑続き 進言してれば、諸葛亮を立てながら意図を伝えられたのに -- 名無しさん (2025-12-18 00:13:51)
- 丞相参軍につけてた、の下りで「放言僻があるから物理的に手元に置いておいた」ってあるけど、結局街亭の後に物理的に手放してるのは矛盾してないか?実際本人の前でいらんことまた言ったわけだし、目の届かない成都で何言われるかわかったもんじゃなかろうに -- 名無しさん (2025-12-21 17:22:58)
- ↑ 「行け」と「基本的に」を矛盾させたのは諸葛亮をもってしても耐え難いほどの怒り、として表現したんでしょうがやはりおかしいでしょうか -- 名無しさん (2025-12-21 22:06:45)
- ↑この人の場合その場だけで適当言う可能性のある人だからなんとも言えんけど、その後に諸葛亮に軍権も集中させてることを批判して、馬謖の処刑を疑問視してる人もいた世相考えたら「諸葛亮は殺す必要のない人材を無駄に殺して蜀の戦力を削った、これは魏に降伏するための手土産かもしれない。現に馬謖の処刑を非難した俺を成都に戻して自分の周りにイエスマンしか置かないようにしてる」とかこんなこと言ってそうじゃないですかね。成都に戻された後の言動が残ってないのは、言ったけど誰も相手にしなかったのか、結果論としてたまたま何も言わなかったのかは謎ですが -- 名無しさん (2025-12-22 06:33:31)
- ともかく当初の思いと後々で怒る事自体矛盾するわけじゃなくむしろリアルだし、「こんなこと言ってそう」はまた別の話になるから -- 名無しさん (2025-12-23 09:54:48)
- 言ってることの内容が良い悪いは有れど言い方とタイミングを計るのも対人スキルだよねって思わされる -- 名無しさん (2025-12-23 09:59:22)
- 李邈自身は一定の能力があったのだろうが空気の読めない発言を繰り返した結果身を滅ぼしただけ。 -- 名無しさん (2025-12-23 10:10:32)
- ↑3その理屈なら丞相参軍につけた理由の可能性も言い方悪いがこの記事の執筆者の思いでしかないから書く必要ない別の話になるね。それに「手元から離れた瞬間放言で死んだ」も街亭から諸葛亮の死亡まで6年程度はあるから瞬間というには参軍に任命したのが北伐開始時点くらいとしたら手放してる時期の方が長いよね。 -- 名無しさん (2025-12-23 22:23:42)
- ↑史実に基づく推測とソースなしの思いは別物だし、瞬間の部分もその部分だけどうにかすればいいだけで。あんた結局のところああ言えばこう言うで揚げ足取りしてるだけじゃないか -- 名無しさん (2025-12-24 03:24:10)
- ↑史実に基づく推測なら李邈が要らんこと言いだすのは正しい推測では?申し訳ないが貴方にあんたと言われる筋合いはないし、揚げ足取りと言われる筋合いもない。 -- 名無しさん (2025-12-24 12:23:28)
- 李邈や袁紹の幕僚のように三国志は優秀だが性格に難のある奴が多い。 -- 名無しさん (2025-12-29 12:42:26)
- ↑2「李邈が要らんこと言いだす」ではなく「手元に置いておかないと何言いだすか分からん」からのしかし手元から離れた瞬間…という推測に関する話だと思うんですが。あと「書く必要がない」と言い切ったら他の多くの記事に書かれてる考察全ても削除しろとの放言も同然だけど・・・ -- 名無しさん (2026-02-08 22:07:20)
最終更新:2026年05月03日 22:58