ダービーマッチ(スポーツ)

登録日:2012/03/12 (月) 06:23:04
更新日:2024/12/10 Tue 22:27:17
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私にとってリバプール戦以上に重要な試合はない

―アレックス・ファーガソン―


アーセナルが嫌いだ、心の底から憎んでいる

―テディ・シェリンガム―


拝啓ルイス・フィーゴ様、死んでしまえこのクズが!

―2000年11月のバルセロナファン―


ゴールを決めたらロマニスタに向けて中指を立ててやる

―パオロ・ディカーニオ―


見よ、9つの星が諸君を見下している

―2017年4月のガンバサポーター―


あれれぇ〜!?またお会いしましたねぇ!J3の居心地はいかがですかぁ〜!?

―2023年5月、AC長野パルセイロのスタジアムDJ―

同じ街、同じ州、同じ県に同じスポーツのチームが2つ以上存在する場合があるが、
それらのチームが同じカテゴリーで勝負すると、それはダービーマッチと呼ばれる特別な試合になることがある。

この項目ではスポーツにおけるダービーマッチについて説明する。
なお、日本ではプロ野球やBリーグの一部カードでダービーマッチという表現が使用されることもあるが*1、本項ではサッカーに絞って解説する。


【概要・歴史】


ダービーの語源は、1780年に始まった英国競馬のダービーステークスという大会に遡る。
第12代目ダービー伯爵だったエドワード・スタンリーにちなんだ大会は、興業的に競馬史上希に見る大成功を納め、
以降は競馬界で『重要な大会をダービーと称する』形で派生していった。
そして1900年代に入ると、ダービーは多くの人々が集まるお祭りやイベントを指す言葉として使われるようになり、
やがて同地区や同都市のチーム同士の試合を指す言葉として使われるようになった。

フットボール界においては、ダービーという街にある『ダービー・カウンティ』と『ダービー・ミッドランド』の試合をダービーマッチと呼び、
以降同地区、同都市にあるチームの試合をダービーマッチと呼ぶようになったという説もある。(両チームは1891年に合併している)

【因果関係】


特に欧米のサッカーチームが顕著だが、『ただ同じ街にあるチーム同士だから』という理由でダービーマッチに発展するというわけではない。
熱狂的なそれには大抵、相応に根深い歴史的なしがらみや問題がある。地理、歴史、派閥抗争、身分階級、宗教、経済関係、戦争、民族……こういった背景が代理戦争としてダービーに彩りを加えていく。

レアル・マドリーとバルセロナのダービーマッチ『エル・クラシコ』はスペイン内戦が原因で生まれたダービーマッチだし、
ボカ・ジュニオルス対リーベル・プレートの『スーペル・クラシコ』はアルゼンチン都市における労働階級と支配階級の戦いでもある。
スポーツを観戦する場合、こういったチーム同士の背景に興味を持ち、歴史を知ることで、違う楽しみ方、違う観戦の仕方が出来るかもしれない。
それでは以下、主なダービーマッチを紹介する。

【海外サッカーのダービーマッチ】


  • ミラノダービー
別名デルビ・ミラノ。単にデルビーとも言う。
ミラノに拠点を置くミランインテル。欧州に名だたるフットボールクラブ同士が激突する、イタリアで最も熱いダービーである。

本来ミランとインテルは同じチームであった。
現在のミランの前身であるミラン・クリケット&フットボールクラブというチームだったのだが、
そこで外国人選手を使うことに関してチームがまっぷたつに割れ、派閥争いに発展。
賛成派は1908年にミランを抜け、インテルことインテルナツィオナーレ・ミラノを結成した。
これには20世紀初頭に欧州全体を国際主義勃興の流れがつつんだ事が関係している。

他のダービーに比べれば、比較的サポーター同士が問題を起こすケースは少ない。
大事になったのは1983年にインテリスタ一人がミラニスタに襲われて死んだ事件くらい。
毎度スタジアムが炎上するのは仕様です。

  • ローマダービー
別名デルビー・デッラ・カピターレ。
イタリアの首都ローマに本拠地を置くASローマSSラツィオによるダービーマッチである。

1900年に設立されたSSラツィオは、創立してから27年間で4度の準優勝どまりとタイトルには手が届かないクラブだった。
そこで1927年に、当時のファシスト政権が首都ローマに北部のサッカー強豪地域に対抗するクラブを作る事を画策
ラツィオを含めた4チームを合併させて強力なチームを作ろうとするが、当のラツィオがそれに反発。
残された3つのクラブが合併し誕生したのがASローマである。
さらに後から出来たローマが創設から14年後、南部のクラブで初めてスクデット(セリエA優勝)を獲得したのに対し、ラツィオは中々目立った成績を残せないことから対立が激化。
ラツィオも73-74シーズンにスクデットを獲得し、その後両チームとも低迷期に入ることもあったが、どちらか一方が優勝を逃すと、そのもう一方がそれを祝うお祭りが始まるほどのライバル関係となっていった。

  • エルクラシコ
スペインから世界に名を轟かすビッグクラブ、レアル・マドリードCFFCバルセロナによるダービーマッチである。
このダービーの特徴は、その背景に内戦と民族の対立があるということ。
スペインの民族関係は複雑で、今やスペイン語の他に公用方言として四つの言語も公用語として認めるに至っているのだが…
20世紀初頭、まだスペインがマドリー中央政府のフランコ独裁政権で独裁政治を行なっていた頃、中央政府はカタルーニャの人々を弾圧し虐殺。
そのフランコ体制下では市街戦で多くの人々が殺され、のちに公用語となるカタルーニャ語を使うことすら許されず、その例外はバルセロナのホームスタジアムであるカンプ・ノウの中のみ…という有り様であった。
マドリーはいわずもがなマドリード州がホームであり…つまりはそういうことである。

ルイス・フィーゴがマドリー在籍時には、バルセロナのホームであるカンプ・ノウがよく荒れる試合となった(フィーゴがバルサからマドリーに「禁断の移籍」をやらかしたため)。
00-01シーズンのクラシコでは携帯電話、ミカン、ペットボトル、豚の頭等がフィーゴに向かって投げつけられ、カンプ・ノウの試合はカオスの坩堝と化した。

競技的にも欧州屈指のカードであり、10年代においてはクリスティアーノ・ロナウドリオネル・メッシという、時代を代表するメガクラック二人の激闘が見所の一つだった。

  • バスクダービー
こちらもスペイン、バスク州を代表するアスレチック・ビルバオとレアル・ソシエダのダービー。
最大の特徴は、欧米サッカーの中では非常に友好的なダービーマッチのひとつだということ。
両クラブのサポーターが一緒に肩を組んだり飲んでいたりと、これほど仲良く観戦している様は正直言って珍しい間柄。
両クラブとも(特にビルバオ)伝統的に地元出身選手を重用するなど共通した価値観を持っているだけでなく、
カタルーニャ州のバルサと同じくフランコ政権に弾圧を受けており、スペイン国家に対して反骨心を持っていることが繋がりを良い意味で強固なものにしていると言える。
ただ、同じ価値観を持つがゆえに地元出身の若手の取り合いになることもあり、そのときは流石に緊張状態になることも。

  • タイン・ウェア・ダービー
イングランド北東はタイン・アンド・ウィア州にあるニューカッスルとサンダーランドのダービー。
別名「炭鉱と造船のダービー」と言われるこのダービーの凄い点は、西暦1600年代から因縁が続いてる点である。
チームと同名の二つの街は、共に造船と炭鉱を主要産業として繁栄したのだが、
当時のチャールズ一世が東イングランドにおける炭鉱貿易の権限を全てニューカッスル・アポン・タインに与えてしまった。
するとこれが原因で王族と議会の間に亀裂が入り、1642年に内戦が勃発。
ニューカッスルは利益を守るために王族側に着き、サンダーランドは利益を取り戻すために議会側について戦争に参加。
最終的に議会派のサンダーランドはスコットランドとの連合軍と手を組み、ニューカッスルと王族派を撃破。
こういう歴史のため今日のダービーマッチも出来上がるに至る。
近年ではニューカッスルがオイルマネー効果で徐々に力を付ける一方、サンダーランドは2部に定着と両者の実力差が広がってしまっており、2024年1月のFAカップでの対戦が約8年ぶりの顔合わせとなった。

  • マンチェスターダービー
同じくイングランドのマンチェスターに位置するマンチェスター・ユナイテッドとマンチェスター・シティのダービーマッチ。
1970年ごろ、マンUのジョージ・ベストがシティのグリン・パードーの足を文字通り蹴り砕いてしまった*2ことより抗争が激化。
しばらくは選手もサポーターも非常にギスギスしていたとか。

一時期はシティが1部と2部を行ったり来たりしており対戦自体がない年もあったものの、2010年代以降はオイルマネーによりシティがユナイテッドを食う勢いで成長したことでイングランドプレミアリーグの新旧王者対決としてビッグマッチになる機会も激増した。

  • ノースロンドンダービー
ロンドン北部に本拠地を構える、アーセナルFCとトッテナム・ホットスパーFCのダービーマッチ。1913年にアーセナルがロンドン南部から北部へと居を移したことからライバル関係が始まった。
1919年に1部リーグ最下位になったもののチーム数拡張により残留するはずだったトッテナムがサッカー協会から2部降格を言い渡され、その際昇格となったのが2部で5位だったアーセナルだった、という出来事から対立が本格化。
「禁断の移籍」を行ったソル・キャンベルがトッテナムサポーターから激しく非難される、アーセナルサポーターの間でトッテナムより上位でリーグ戦を終えることが確定した日を「セント・トッテリンガムズ・デイ(St.Totteringham's Day)」と称する習わしがあるなど、その関係性を示すエピソードには事欠かない。

歴史上はお互い浮き沈みがあったが、近年は共に1部上位クラスを保つようになり競技的にも白熱するダービーマッチになっている。

  • マージーサイドダービー
リバプールに本拠地を置く、リバプールFCとエヴァートンFCのダービーマッチ。
マージー川の同岸にあるクラブ同士の対戦のため、この名がつけられた。

先住クラブであるエヴァートンがスタジアムの賃貸料をめぐるトラブルからアンフィールドを去り、その後釜として作られたのがリバプールだった。
その経緯の割には「フレンドリー・マッチ」と呼ばれるほど友好的なダービーマッチで、家族内にそれぞれのサポーターがいることも珍しくない。
しかし近年はピッチ上でも警告や退場が増えるなど、その白熱度、もとい危険度がだんだん増しているダービー。

  • オールドファーム
スコットランドの2強同士であり、グラスゴーに本拠を構える、セルティックFCとレンジャーズFCのダービーマッチ。
絶対王者のセルティックはズバリ「ケルト系」と言う意味の名前で、アイルランド系あるいはカトリック派の支持を集めている。
対してレンジャーズは北アイルランド絡みに多いプロテスタント派の支持を受けている傾向にあるのだが、
正直この2チームの因縁は民族問題と宗教問題が悪魔合体した相当複雑なものであると言わざるを得ない。

約束されたビッグマッチであり、上述の因縁からサポーター同士の衝突もしばしば激しいものになると言われる。
ただ、レンジャーズが2012年の破産によってサードディビジョン(4部相当)へと降格したことで、一時期は立ち消えになっていた(16-17シーズンにはしっかりプレミアシップ復帰を果たしている)。

セルティックには中村俊輔(2005-09シーズン)、水野晃樹(2007-2010シーズン)や古橋亨梧、旗手怜央、井手口陽介(2021-22シーズン)、前田大然(2021-22、レンタル)など、日本選手も度々移籍してきており、日欧のサッカーファンにはなじみのあるクラブの一つかもしれない。


  • デアクラシカー
ドイツの絶対王者FCバイエルン・ミュンヘンとそれに追従するボルシア・ドルトムントによるダービーマッチ。
ミュンヘンとドルトムントは遠く離れた地域で、純粋に「2強対決」である類のダービーであり、歴史や因縁は浅い。

ドイツサッカー史において、「バイエルンのライバルたり得るクラブ」は入れ替わりが激しかった。
ドルトムントは90年代に大きく成長して一度その座に上り詰めたが、その後しばらく凋落する。しかし2010年代には再びその地位を確かなものにし、ダービーとして浸透するに至った。

  • ルールダービー
ドイツのルール工業地帯に位置する、シャルケ04とボルシア・ドルトムントによるダービーマッチ。
現地ではレヴィア・ダービー*3と呼ばれる。
シャルケには内田篤人が、ドルトムントには香川真司と、それぞれ日本代表が所属していた時期があるので、日本のサッカーファンにもなじみ深いだろう。

その発端は1947年5月18日、当時地域リーグで圧倒的な強さを誇っていたシャルケを格下のドルトムントが下し、リーグ優勝を決めたことだと言われている。
1969年には前半戦の試合で観衆がピッチに入り込み、怪我人を出す暴動に発展。
そのため、後半戦の試合では過激なファンを威嚇する目的で近隣の動物園からライオンを借り出し、キックオフ前にピッチ中央を歩かせたという逸話もあるほど。

本来ドルトムントのダービーと言えばこのダービーなのだが、ボルシアドルトムントの躍進に伴うデア・クラシカーの浸透のみならず
シャルケ自体の凋落も重なり、2020年代に入る頃には立場が厳しくなっている。

  • スーペルクラシコ
アルゼンチンの2強にして、首都ブエノスアイレスに本拠地を置くボカ・ジュニオルスとリーベル・プレートのダービーマッチ。
どちらも貧しいイタリア移民が集まって作られたラ・ボカ地区にルーツがあるのだが、やがてリーベルは富裕層の増えた郊外のヌニェス地区に本拠を移転し、上流階級の支持を集めることとなる。
もっとも、ヌニェス地区は現在でこそ一等地だが、1938年の移転当時はかなり寂しい場所だった。
この移転は市の都市計画に基づくもので、ボカとリーベルのどちらかを移すことになったが、移転をかけた試合でリーベルが敗れ、ボカ地区を追われたという説が伝えられている。*4

ディエゴ・マラドーナの頁にも記されるようにサポーター陣も極めて熱烈*5であるため、世界の数あるダービーマッチの中でも最も過激で熱狂的と言われる。
2004年4月、イングランドのオブザーバー紙はスーペルクラシコを「死ぬまでに観るべき50のスポーツイベント」の1位に選出。
「ダービー当日のブエノスアイレスの様子に比べれば、オールドファームは小学生の戯れみたいなものである」と論じた。


Jリーグのダービーマッチ】


  • 横浜ダービー
横浜市内のクラブによる、日本サッカー史上最初に生まれたダービーマッチ。
歴史としてはまずJリーグの最初から参加した「オリジナル10」こと横浜フリューゲルス・横浜マリノスの対戦に遡る。
同じ市内どころかホームスタジアムまで共用で使っていたため、互いのサポの熱気もすごかった。
フリューゲルスが合併吸収され、その後継を名乗る横浜FCが誕生した現在では、横浜F・マリノスと横浜FCに役者を変えている。
今日ではホームスタジアムが別々になったこのマッチ、ホーム側の勝率が高いという妙なジンクスがある。マリノスが優勝争いをしていてFCが残留争いをしていても、ニッパツではほぼFCが勝つという徹底ぶり。
また、Y.S.C.C.横浜というJFLクラブも一時期J3リーグで戦っていたことがあり、天皇杯のような混合戦でごく稀にこちらも交えた組み合わせが起こることがある。

  • 静岡ダービー
静岡県内にホームを置く清水エスパルス(現静岡市)とジュビロ磐田(磐田市)のダービーマッチ。
共にJリーグ黎明期より存在する古参クラブであり、ジュビロ磐田はJFL時代の強豪・ヤマハ発動機サッカー部が前身。
その実績を以って初年度Jリーグ参入を希望したがスタジアムの準備等に手間取り、その間に市民球団の清水エスパルスが「オリジナル10」としてJリーグ参入を決めてしまった。
これによりエスパルスとジュビロの間に確執が生まれることになる。
また、エスパルスの本拠地の静岡市とジュビロ寄りの浜松市は県内のライバル同士でもある。この事もダービーが熱くなる原因の一つ。
しかし近年は揃ってJ2落ちを経験するなど、お互いに低迷気味である。

  • さいたまダービー
埼玉県さいたま市をホームとするオリジナル10の浦和レッズと、遅れて参戦した大宮アルディージャのダービーマッチ。
伝統的に、浦和・大宮の市民は新幹線の駅の有無、湘南新宿ラインの設定当初の浦和駅通過、県庁、そしてさいたま市への「平成の大合併」と何かと話題を見つけて揉めている経緯があった。
そういう中での大宮アルディージャのJリーグ加盟は両市民にとっていいもめごとの種になってしまった。

合併後のさいたま市にて、初代市長選では旧浦和市長と旧大宮市長が直接対決を演じている。
当選した相川宗一市長はレッズ後援会長だったが、さいたま市長就任に伴ってアルディージャの後援会長も務めることになり、
大宮の試合に来場すると、自分のクラブの後援会長にブーイングが飛ぶという珍しい光景が見られた。
(現職の清水勇人市長は見沼区民である)
なお、一時期は両チームJ1で激しく争っていたが、現在は浦和がJ1に残っているのに対し、大宮はJ3と大差をつけられ、マッチアップ自体が非常に珍しくなってしまった。

  • 多摩クラシコ
東京都調布市などをホームとするFC東京と、神奈川県川崎市をホームとする川崎フロンターレのダービーマッチ。両本拠地を分ける形で流れる多摩川から命名された。
元々Jリーグ参加前にも前身チーム同士(東京ガスサッカー部と富士通サッカー部)で鎬を削っており、プロ化以降も度々対戦していた両チーム。
そんな中、両フロントの思惑が一致し、2007年に共同記者会見を開きこのカードを「多摩川クラシコ」と命名し「伝統の一戦」として育てることを目指すという方針を発表。
両者は元々全く無関係ではないとはいえ、チーム主導かつ共同でダービーマッチを設定し盛り上げていくというのは異例だが、総じて比較的平和な日本スポーツ界らしい取り組みであり、
現在ではその甲斐あってJ1の中でも重要な一戦としての位置付けが定着。
2023年には、以前もJリーグとのコラボを行った『名探偵コナン』にてこのダービーマッチが題材のエピソード『Jリーグ決戦の舞台裏』が製作され、両チームの選手も本人役として出演している。

  • BIG神奈川ダービー
神奈川県には5組と実に多くのサッカークラブが存在し、横浜のみならず「神奈川ダービー」も当然毎年のように行われる。
その中でも横浜F・マリノスと川崎フロンターレという隣町同士のダービーマッチはことさら盛り上がる。
2010年代後半から20年代前半にかけてJ1リーグ優勝を2チームで独占したライバル関係であり、2018年の斎藤学0円移籍事件などクラブ同士の因縁もあり、非常に白熱するマッチ。
2023年からはこのマッチはBIG神奈川ダービーと銘打たれ、両サポーターは勿論のこと、全国のJリーグファンの注目も集めJリーグ公式も煽り動画を出すなど、リーグ屈指のビッグマッチとなりつつある。

  • ダービー

東京都調布市などをホームタウンとするFC東京と、同じく東京都稲城市などを本拠地とする東京ヴェルディとのダービーマッチ。
もともとヴェルディはJ発足時に東京を本拠地とすることを希望していたが、当時のJ規定により断念し神奈川県川崎市にホームスタジアムを構える「ヴェルディ川崎」としてのオリジナル10参戦だった。
対してFC東京はJ開幕時はまだJリーグに参入できるクラブ力がなく、99年にJリーグに参入し、00年にJ1昇格。
01年の東京スタジアム(現・味の素スタジアム)の完成と同時に、ヴェルディが本拠地を移転して「東京ヴェルディ」になったことで、フリューゲルス時代の横浜ダービー以来となる「Jリーグで同一のホームスタジアムを持つチーム同士のマッチ」となった。
なお、「名探偵コナン」では連載の初期に、東京スピリッツとノワール東京という架空のチーム同士の東京ダービーが史実に先駆けて描写されている。

08年にヴェルディが二度目の降格ののち、FC東京もJ2降格した2011年を最後に長らく行われず、FC東京にとってのダービーマッチは多摩川クラシコにとって変わられてしまっていたが、2023年に天皇杯で復活。
そしてヴェルディがJ1昇格を果たしたことで、2024年からはリーグ戦でも東京ダービーが予定されることとなった。

  • 大阪ダービー

同じ大阪府をホームタウンとするガンバ大阪とセレッソ大阪とのダービー。現存するチームのダービーの中では最多の開催回数を誇る。
始まった当初は両チームとも成績が芳しくなく、そこまで盛り上がりを見せていなかったが、90年代後半ごろからチーム成績が向上しタイトルに絡む機会も増え、日本代表に名を連ねるスター選手の台頭も増えたこともあり、Jリーグを代表する地域対抗のダービーマッチへと変貌した。
関西ならではの熱い応援合戦が魅力で、試合中はもちろん、試合前にも大勢のサポーターでバスを出迎え、応援するチームのバスには応援チャントを、対戦する相手のチームバス登場時には大ブーイングで洗礼を浴びせる姿は壮観である。

なお、同じ大阪を本拠地としているものの、ガンバ大阪が「大阪府全体をホームタウン」としているのに対し、セレッソ大阪は「大阪市のみをホームタウン」としているという、いわば「大阪府全体VS府の中の大都市」というちょっと複雑な関係である(後述する信州、千葉のダービーも同様)

  • 信州ダービー

松本山雅FCとAC長野パルセイロとのダービー。J1が舞台ではないにもかからわず、日本サッカー屈指の熱さを誇る。
09年の北信越リーグでの対戦から、ともに長野県初のJリーグ加入を目指すクラブとして切磋琢磨する関係であることに加え、長野県と松本市は歴史的に因縁がある*6ことから対決が白熱。「クラシコ!」というドキュメンタリー映画が制作されたほど。
11年のJFLでの対戦ではJFLでは異例となる1万人の観客動員を果たした。

12年に松本山雅がJリーグに一足早く昇格。14年に長野もJリーグ昇格を果たしたが、長野は創設されたばかりのJ3からJ2昇格に迫りながらもあと一歩の所で逃すなど苦戦を強いられる一方、松本は二度のJ1昇格を果たすなど明暗が分かれ、11年を最後に行われていなかった。
しかし松本も22年にJ3に降格してしまったことにより図らずも復活。かつての熱気はまったく失われず、むしろお互い長いJリーグ経験によって磨き上げられたことで、J3とは思えない盛り上がりを未だに見せている。

  • 千葉ダービー

ジェフユナイテッド千葉と柏レイソルのダービー。
初開催94年、チーム変更を経ずに現存しているダービーでは最も長い歴史があり、どちらかに勝敗が偏りやすいダービーマッチの中では08年から10年の公式戦で全て対戦が引き分けになるなど拮抗している。
しかし近年は千葉が10年に降格してから、柏がJ2降格になった19年を最後に公式戦では開催されておらず、両チーム間の選手の移籍も多いことから他のダービーの相手同士にあるようなバチバチ感は薄い。

だが、シーズン開幕直前に開催されるプレシーズンマッチ「ちばぎんカップ」だけは例外である。
これはお互い開幕直前でチームの完成度を図る試合だが、千葉銀行がスポンサーとして95年から出資しているれっきとした賞金有りタイトルマッチでもあり、
大勢の観客(千葉と柏のホームで持ち回りで行われる)の前で開催されることから公式戦さながらの白熱した試合とサポーターによる応援合戦が行われる。
そのあまりの白熱ぶりに関東サッカーファンの間ではW杯とACLと並べて「世界三大カップ」とジョーク交じりに呼ぶのだとか?

  • 九州ダービー

九州に本拠地を構えるチーム(福岡、鳥栖、大分、長崎、北九州)全ての対決がこれに当てはまるが、中でも最も白熱しているのが、福岡県をホームタウンとするアビスパ福岡と、佐賀県をホームタウンとするサガン鳥栖の対決であるため、項目ではこの対決を代表して取り上げさせていただく。
福岡と佐賀は距離が30kmほどしか離れていない近隣の関係にあることに加え、Jリーグ参入前のアマチュア時代に両チーム間でスポンサーや選手の引き抜きなどが生じたことから禍根が生じ、歴史的にも因縁が深いのである。

一足早くJリーグ入りを果たした福岡に対し遅れて参入した鳥栖は最初の数年はJ2で最下位あたりを彷徨うなど低迷し明暗が分かれていたが、09年に鳥栖が初昇格してからは立場が逆転。
その後降格することなくJ1に定着した鳥栖に対し福岡は5年おきに昇降格を繰り返すエレベータークラブとなってしまい、直接対決の機会すらほぼなかった。
しかし21年の福岡のJ1復帰後は福岡がJ1に定着した上、ルヴァンカップで優勝し九州初のタイトルを獲得する、24年では鳥栖がJ2落ちに至るなど、情勢は変わりつつある。
このダービーを代表するトピックスとして、福岡のサポーターが飛び跳ねる応援が少ない鳥栖のサポーターを揶揄した「飛ばない奴はサガン鳥栖!」というチャント(応援歌)がある。
この対決を知らなくても、この印象的なフレーズは国内サッカーファンなら耳にしたことがあるのでは?

追記・修正はどちらが勝つかを予想しながらお願いします。

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最終更新:2024年12月10日 22:27

*1 プロ野球の「関西ダービー」「なんば線ダービー」(阪神タイガースとオリックス・バファローズ)など。ダービーという表現ではないが「伝統の一戦」(阪神と読売ジャイアンツ)も事実上当てはまるだろう

*2 骨折したパードーの足は切断寸前だったとも言われており、復帰に約2年を要した。

*3 Revierはドイツ語で「地域」、「地区」を意味する

*4 出典:世界のサッカー応援スタイル サッカー批評編集部(株式会社カンゼン)P237

*5 ボカのサポーターは「世界一忠実なサポーター」を自負し、リーベルのサポーターの過激派はチームが不振になると練習場までピストルをちらつかせながら気合を入れに行くことがある

*6 信濃の国が廃藩置県により分離し、府県再編により松本市擁する筑摩県が飛騨を除いて長野県に吸収された…といった経緯がある