L’oeil1 par obiect fera telle excroissance2,
Tant & ardante3 que tumbera4 la neige5,
Champ arrousé viendra6 en descroissance7,
Que le primat8 succumbera9 à Rege10.
1行目の読み方についてはピーター・ラメジャラーの英訳を参考にした(*1)。
2行目もラメジャラーらの読みを踏まえつつ、「熱い」を腫れた目についてと理解したが、「熱い雪」と理解して、当時噂になった驚異(未作成)(超常現象)の「赤い雪」と結びつけるジャン=ポール・クレベールのような読み方もある(*2)。赤い雪と結びつけたのはおそらくロジェ・プレヴォが最初だろうが、プレヴォは読み方についてあまり踏み込んだ説明をしていない。
2行目の que の前後の繋がりが不明瞭。tant... que... は普通「あまりにも・・・なので~」あるいは「・・・と同様に~」などの意味だが、この場合は et (&) の位置などからすると、その構文に理解するのは少々不自然である。もっとも、burning so much that...と英訳したエドガー・レオニ、and shall burn so much while と英訳したピーター・ラメジャラー、and burn, much like と英訳したリチャード・シーバースらの英訳を見る限りでは、彼らは一様に tant やet の位置を調整したうえで訳しているようである(*3)。
中期フランス語の que は様々な que を含む句の代用になったので(*4)、この場合の正確なニュアンスはよく分からない。上記のようにラメジャラーは while を使い、シーバースは like をあてている。当「大事典」が「しかるに」でつないだのは暫定的な読み。
Rege は『予言集』ではここにしか出てこない単語だが、イタリアの地名レッジョ (Reggio) の変形という点で、ラメジャラー、クレベール、プレヴォ、エドガー・レオニ、マリニー・ローズ、リチャード・シーバースらの間では異論がなく、ほぼ定説化しているといえるだろう。
かつて19世紀の信奉者アナトール・ル・ペルチエは à Rege をラテン語の a rege の借用として「王により」の意味と理解していたが、ローズは誤りと断じていた。現代の実証主義的論者で、その読みを引き継いでいる者はいない。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳について。
1行目 「物体の目は非常にじゃまなものをつくり」(*5)は、元になったヘンリー・C・ロバーツの英訳のほぼ直訳だが、ロバーツの英訳自体が不適切である。par は主に英語の by や through に対応する前置詞であり、この場合にあえて of と英訳する根拠が不明。
2行目「多くが焼けて そのあと雪が降る」は、前述のように que までに不明瞭な要素が少なくないので、一概に誤りと退けることはできない。
3行目「水だらけの野はくさり」は不適切だろう。descroissance は croissance (増大)の反対で、「減退、減衰」の意味。ロバーツは decay を当てていて、確かに「腐る」の意味もあるが、この場合は「減衰」の方だろう。また、「水だらけ」はロバーツの watered を訳したものだろうが、なぜ普通に「灌漑された」と訳さなかったのか、よくわからない。
4行目「大司教はレジオで屈服する」は、primat を大司教 (archevêque) とするのが微妙である。倉田・波木居の『仏英独日対照 現代キリスト教用語辞典』には「首座〔大〕司教」という訳語が掲載されている。「首座司教」とは「自分の管区だけでなく全国に裁治権を行使した司教。現在では単なる尊称で、フランスではリヨンの大司教を指す」(*6)。