Verceil1, Milan donra2 intelligence,
Dedans Tycin3 sera faite la paye4.
Courir5 par Siene6 eau sang, feu par Florence7,
Vnique8 choir9 d’hault en bas faisant maye.
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳について。
1行目 「ベルセ ミランは知恵を与え」(*7)は、固有名詞の読みを棚上げにすれば、一応成立する。ヴェルチェッリとミラノをともに主語にすると動詞の活用が一致しないが、直前の名詞に引き摺られた変則的な活用がありうること自体はピエール・ブランダムールなども認めていた。
2行目「テイシンでは平和が生まれ」は、(やはり固有名詞の読みは棚上げするとして)「平和」が微妙である。おそらく paye を paix (平和)と読み替えたのだろう(paye はペイ [pεj] と読むが、その綴りの揺れである paie はペ [pε] で、paix もペ [pε] なので(*8)、発音上は整合する)。
3行目「セーヌを水が走り フローレンスに血と火がふる」にも少々疑問がある。「セーヌ」は底本の違いによるものだが、ほかが全てイタリアの地名の中で、唐突にセーヌ川が登場するのは不自然であり、支持すべき理由がない。また、「火がふる」の「ふる」にあたる動詞は原文にない。意訳として補ったのだろうが、この補完が適切と見るかどうかは意見が分かれるところだろう。
4行目「ただ一人が頂上から谷底に友を落とす」は元になったはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳 Only one shall fall from top to bottom making friends(*9) と見比べても明らかにおかしい。fall は「落とす」ではなく「落ちる」であり、原語の choir も「落ちる」を意味する。また、大乗訳ではロバーツ訳にあった making も脱落している。ちなみに maye に「友」という意味はないが、おそらく amie (女友だち)ないし amis (友人たち)のアナグラムとでも判断したのだろう (ロバーツの英訳はテオフィル・ド・ガランシエールの英訳のほぼ丸写しだが、maye は意味不明として、ガランシエールは英訳でもそのまま maye としている)。