百詩篇第2巻78番


原文

Le grand1 Neptune du profond2 de la mer3
De gent4 Punique5 & sang6 Gauloys7 meslé8,
Les Isles9 à sang, pour10 le tardif11 ramer12:
Plus13 luy14 nuira que l'occult15 mal celé.

異文

(1) grand : Grand 1772Ri
(2) du profond : de profond 1716
(3) mer : Mer 1656ECLb 1672
(4) De gent : De Gent 1656ECLb, De gens 1716, de Gent [sic.] 1772Ri
(5) Punique : l'vnique 1588-89, bunique 1649Ca 1650Le, punique 1589PV 1653 1665 1672 1981EB
(6) sang : sans 1653 1665
(7) Gauloys : gaulois 1981EB
(8) meslé : meslée 1840
(9) Isles : isles 1557B 1588-89 1589PV 1644 1649Ca 1650Le 1656ECLa 1668 1772Ri
(10) , pour : : puis 1656ECLa, , puis 1656ECLb
(11) le tardif : le tradif 1588-89, Ie tardif 1772Ri
(12) ramer : armer 1611B 1981EB, Ramer 1656ECL
(13) Plus : Puis 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665
(14) luy : le 1627
(15) l'occult : loccult 1590Ro 1672, l'occult' 1611B 1981EB, l'occulte 1656ECLa

(注記)1656ECL では2箇所で登場している(pp.137, 363)。最初の方を1656ECLa とし、後の方を1656ECLb としている。

日本語訳

海の底からの偉大なネプトゥヌス(には)、
フェニキアの民族とガリアの血統が混ぜ合わされている。
島々は血に(染まり)、のろまのために漕ぐことは、
下手に隠れた潜伏者以上に彼を害するだろう。

訳について

 4行目 occult は語源に遡って「隠された」の意味*1。なお、現代フランス語では occulte だが、ピエール・ブランダムールらは特に校訂していない。 celé も「隠された」の意味で、occult が名詞的に扱われているのに対し、celé はそれを形容している。ただし、それに mal 「下手に」が付いている。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 2行目 「アフリカとフランスの血を結び」*2は不適切。Punique は「フェニキアの、カルタゴの」を意味するので、その拡大解釈として「アフリカ」は理解できる。しかし、gent (民族、連中) に当たる語が訳にない上、meslé が受動態なので能動的に訳しているのがおかしい。もっとも、最後の点は底本になったヘンリー・C・ロバーツの版が綴り字記号をすべて排除しており、英訳でも能動態で訳しているのが原因なので、邦訳者だけの責任とするのは酷かもしれない。
 3行目「島々は血でゆっくりとした舟こぎを備え」は誤訳だろう。ramer (船を漕ぐ) を名詞的に理解したのかもしれないが、それを差し引いても pour を「備え」と訳すことが強引など、後半は全体的に不適切に思われる。ロバーツが前半を The islands shall be put to the sword *3と意訳しているのを原文の表現に近づけようとしたのかもしれないが、かえって不正確になっている。なお、ロバーツは the slow rowing を4行目の主語にしている。
 4行目「隠された悪以上の害がかれらをおそうだろう」も誤訳。lui は単数なので「かれら」ならば leur になっていなければならない。また、 mal には「悪」の意味もあるし、他の詩篇ではしばしばその意味でも使われているが、この場合は前述したように副詞(「下手に」)だろう。なお、この「隠された悪」はロバーツの consealed evil の直訳だが、この訳の場合、occult と celé のどちらか片方が訳されていない。

 山根訳について。
 2行目 「アフリカの種とフランスの血が入り混って」*4の「アフリカ」が許容されうるのは上述の通り。
 3行目 「島々は遅れたる者のため血に染まったまま」は、ramer (船を漕ぐ)が訳に反映されていない。

信奉者側の見解

 1656年の解釈書では、1558年にフランス軍とオスマン帝国軍が協力してニース攻略をしたことと解釈されている*5。これはテオフィル・ド・ガランシエール(1672年)が踏襲した*6

 その後、20世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードシャルル・ニクローの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は、3行目の島々を「イギリス諸島」、1行目のネプトゥヌスをイギリスと解釈し、海軍の遅れや諜報の失敗によって没落していくイギリスと解釈した*7
 アンドレ・ラモン(1943年)はその解釈をほぼ踏襲し、第二次世界大戦の見通しの中に嵌め込んだ*8。同時代の英独関係と結びつける解釈はロルフ・ボズウェル(1943年)にも見られる*9
 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)も(かなり曖昧な解釈ではあるが)イギリスと結び付けていた。夫婦の改訂(1982年)では具体的な史実と関連付けられ、1942年から1943年にドイツの脅威にさらされたイギリスについてとされた*10

 エリカ・チータム(1973年)は前出の1656年の解釈書を踏襲し、1558年のニース攻略と解釈している*11。もっとも、チータムはその解釈書を直接参照したのではなく、エドガー・レオニ(1961年)の紹介を参考にした可能性もある。

 ヴライク・イオネスク(1976年)はネプトゥヌスをしばしばアメリカの隠喩としており、ここでもそれを適用している。そして、Punique を(フェニキアからの代喩で)アフリカとすると同時にラテン語の puniceus (緋色の)から赤肌を導き、黒人、ネイティヴ・アメリカン(赤肌)、ヨーロッパ系(Goulois をガリアと見なすと同時にウェールズも読み込む)が混ざり合った合衆国と解釈している。3行目の島々はイギリス諸島で、ゆえにこの詩は第二次大戦後に英米関係の失態によってイギリスが衰退したことと解釈した*12

 セルジュ・ユタン(1978年)はフランスのアルジェリア併合失敗についてと解釈した*13

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは1980年の時点では近未来に起こると想定していた世界大戦で、イスラーム勢力によるフランスやイギリス諸島の流血が引き起こされることと解釈していた*14。このシナリオは晩年になってもほとんど変化がなかった*15

同時代的な視点

 かつてエドガー・レオニエヴリット・ブライラーは、ここに出てくるネプトゥヌスをオスマン帝国提督のバルバロッサ(バルバロス・ハイレッディン)の艦隊と結び付けていた。ルイ・シュロッセ(未作成)は2行目について、フランス海軍とオスマン帝国海軍の共同戦線と解釈していた*16

 しかし、ピエール・ブランダムール百詩篇第2巻59番と関連付けつつ、ネプトゥヌスをラ・ガルド男爵と解釈してからは、それがほぼ定説化している。ラ・ガルド男爵はフランク人と東洋人の混血を噂され、ポラン(Polin)というあだ名はそれに由来すると考えられている(=1、2行目に対応)。そのラ・ガルド男爵は1554年にコルシカ島からイタリア本土に至る周辺海域で、神聖ローマ帝国側のアンドレア・ドリアの艦隊に苦戦していた。男爵は共同戦線を採っていたオスマン帝国の助力を期待したが、その提督トルグトは支援に消極的なため(=「のろま」)、停泊港を隠しきれていなかったドリア(=「下手に隠れた潜伏者」)よりも有害であり、コルシカ島やサルデーニャ島が血に染まってしまった、ということである*17
 ラ・ガルド男爵とする解釈は(細部に違いはあるが)ロジェ・プレヴォピーター・ラメジャラーブリューノ・プテ=ジラールジャン=ポール・クレベールリチャード・シーバースが踏襲している*18


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コメントらん
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  • フェニキアはアフリカ、ガリアはフランス領、ネプトゥヌスは西インド諸島。奴隷貿易で富を生み出したハイチのことを指しており、カリブ海の島々で海戦が起きることを示しています。 -- れもん (2016-03-20 22:16:06)
最終更新:2016年03月20日 22:16

*1 Brind'Amour [1996]

*2 大乗 [1975] p.90。以下、この詩の引用は同じページから。

*3 Roberts (1947)[1949] p.69

*4 山根 [1988] p.104 。以下、この詩の引用は同じページから。

*5 Eclaircissement..., 1656, pp.363-367

*6 Garencieres [1672]

*7 Fontbrune (1938)[1939] p.259, Fontbrune (1938)[1975] p.267

*8 Lamont [1943] p.314

*9 Boswell [1943] pp.99-100

*10 Roberts (1947)[1949], Roberts (1947)[1982]

*11 Cheetham [1973]

*12 Ionescu [1976] pp.632-634, イオネスク [1991] p.76

*13 Hutin [1978]、Hutin (2002)[2003]

*14 Fontbrune (1980)[1982]

*15 Fontbrune [2006] p.470, Fontbrune [2009] p.84

*16 Schlosser [1986] p.143

*17 Brind'Amour [1996], 高田・伊藤 [1999] pp.193-194

*18 Prévost [1999] p.184, Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010], Clébert [2003], Sieburth [2012]