原文
Trenché1 le ventre, naistra auec2 deux testes3,
Et quatre bras : quelques ans4 entier5 viura:
Iour qui Alquilloye6 celebrera ses7 festes
Foussan8, Turin9, chief10 Ferrare suyura11.
異文
(1) Trenché 1555 1589PV 1590SJ 1649Ca 1650Le 1656ECL 1668 1672Ga 1840 : Tranché T.A.Eds.
(2) auec : ave 1672Ga
(3) testes : festes 1672Ga
(4) quelques ans : quel qu’ans 1672Ga
(5) entier 1555 1557U 1557B 1589Me 1589PV 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1840 : entiers T.A.Eds.
(6) qui Alquilloye 1555 1557U 1589PV 1590SJ 1649Ca 1650Le 1840 : qui Aquilloye 1557B 1589Rg 1589Me, qui A quilloye 1588Rf, qui Aquiloye 1612Me, qui Aguilaye 1668, qu’Aquilare 1656ECL 1672Ga, qui Alquiloye T.A.Eds.
(7) ses : les 1612Me
(8) Foussan 1555 1589PV 1590SJ 1649Ca 1650Le 1840 : Fossen T.A.Eds.(sauf : Fosen 1588-89 1612Me, Fossan 1672Ga)
(9) Turin : Thurin 1590SJ 1649Ca 1650Le 1653AB 1656ECL 1667Wi 1668 1672Ga
(10) chief 1555 1557U 1557B 1568X 1840 : chef T.A.Eds. (sauf : Chef 1656ECLb)
(11) suyvra : suyra 1557B, fuyra 1656ECLa 1668, fuyera 1656ECLb 1672Ga, sujura 1716PR
- (注記)1656ECL は2か所(pp.117, 187)で登場しているため、p.117を1656ECLaとし、p.187を1656ECLbとした。
校訂
なお、校訂ではないが、ブランダムールは qui Aquilloye について、qui の i を読まず3音節で発音すべき(つまり qu’Aquilloye と同じ読み方をする)と指摘した。
なお、意味の上では qui よりも que の方が通るし、ブランダムールの釈義でも qu'Aquilée となっているが、校訂された原文の方では qui Aquilloye で、qui を que(qu')に直すことはされていない。
日本語訳
腹が切られて生まれるだろう、二つの頭と
四本の腕をそなえて。そして丸一年を生きるだろう。
アクイレイアがその祭典を行うであろう日、
フェッラーラの指導者はフォッサーノと
トリノに追従するだろう。
訳について
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳について。
1・2行目 「腹を切って 二つの頭が生まれ/四つの腕が生まれ数年生きるだろう」は、前半について誤訳とまでは言えないが、「生まれ」を両方に補ってしまうと、一人ではなく、二人と読めてしまうのではないだろうか。後半の「数年」は校訂されていない原文の直訳としてはむしろ正しいが、entierが訳に反映されていない。
3行目「鷲座が祝宴をするその日」は、大乗訳の元になった
ヘンリー・C・ロバーツの英訳で Aquila になっていることを踏まえたものであろう。確かに後述の通り、信奉者の読み方では「鷲(座)」は非常にありふれた読み方ではある(ただ、Aquila のいくつかの意味のうち、ロバーツはユダヤ人の改宗者と注記しているので、2世紀ポントゥスの改宗者アクィラのつもりでいたのだろうから、ロバーツの英訳の転訳とみた場合、「鷲座」は誤訳である)。
4行目「フォーサン チューリン フェララの主は走りさるだろう」は、動詞の活用形(直説法3人称単数未来形)からすると不適切だが、ノストラダムスの場合、直近の名詞に活用形が引きずられる例は他にもあるので、構文理解そのものを誤訳とは言えない。ただし、suivre を「走り去る」と訳すのは誤訳だろう。
山根訳について。
1・2行目 「腹の裂け目から生まれるだろう二つの頭と/四本腕の動物が それは数年の命を保つだろう」は、「動物」が原文にないので、ミスリードになる恐れがある。
4行目「フォッサナ トリノ そしてフェルラーラの支配者があとにつづく」は、大乗訳への指摘と重なるが、構文上は可能な訳である。もっとも、地名をきちんと訳出しているのであれば、「フォッサナ」は「フォサ(ー)ノ」とすべきだろう。
信奉者側の見解
1656年の解釈書では、前半を1554年2月にプロヴァンス州のスナン(Senan)で生まれた双頭の奇形児の誕生とした。
これは、ノストラダムスの息子
セザールの『プロヴァンスの歴史と年代記』(1614年)にも出てくる(後述)。
後半は1555年3月のフランス軍によるカザーレ占領を指すとした 。
アナトール・ル・ペルチエ(1867年)は、フランス革命から復古王政までのブルボン家と解釈した。
「腹が裂かれる」はマリー=アントワネットを指し、彼女の処刑でブルボン朝の正嫡が途絶えたことを指すという。「二つの頭」は傍系で王位に就いたルイ18世とシャルル10世を指し、「四本の腕」は「頭」より価値が劣るということで、王位につけなかったブルボン朝の人物、王太子ルイ=シャルル(ルイ17世)、ベリー公シャルル・フェルディナン、アングレーム公ルイ・アントワーヌ、シャンボール伯アンリの4人を指すとした。
後半はAlquilloye を鷲(Aquila)と結びつけてナポレオンと解釈し、彼が14年(上述の通り、原文は「1年」ではなく「数年」なので)のあいだ権力を保ち、トリノやフォッサーノを含むピエモンテ地方やフェッラーラを含む教皇領をも従えたことを指すと解釈した(4行目は、地名3つを目的語と読むこともできないわけではない)。
ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は、怪物が生まれても長くは存在できないとしつつ、2世紀ポントゥスの改宗者アクィラが自らの祝祭を開くときに、イタリア人たちが遺憾に思うという、いくらか敷衍しつつも具体性に欠ける解釈を示した 。
娘夫婦(1982年)や
孫(1994年)も、このあいまいな解釈をそのまま踏襲した。
しかし、日本語版(1975年)では、「怪奇なものがあらわれるが、じきに消える」とだけ訳されており、後半部分の解釈が省かれる一方、日本語版独自の解釈として、国家や政治変動の象徴の予言か、ないし公害などの結果生まれる奇形児の予言とする二説が掲げられていた。
チータムは前出のようにル・ペルチエの解釈を踏襲していた。
だが、その日本語版(1988年)では、チェルノブイリ原発事故(1986年)の解釈に差し替えられ、前半を放射線障害によって奇形の家畜が誕生したことと解釈したが、後半には特に触れなかった。
加治木義博(1990年)は、フェッラーラをフェラーリとし、Foussan, Turin のなかにフォード、日産をはじめとする多くの自動車会社の名前が含まれていると解釈し、自動車会社の国際的大再編が行われると解釈した。
加治木は21世紀になってこの解釈を振り返り、「
当時まじめに信じた人はなく、テレビに多く出演しても、笑いものにされたが」「
笑ったつもりの人が今では自分の無知を恥じて笑っている」と、その的中を誇っていた。
懐疑的な視点
信奉者側の解釈の主流説であるブルボン家とする解釈は、Aquilloye を Aquila (鷲)と解釈して初めて可能になるかなり曖昧なものであり、アクイレイアと解釈した場合、そのような解釈は全く成り立たなくなる。もっとも、この点は水掛け論になるので深入りしない。
その解釈は事後に提示されたものだったが、加治木のみは上述のように、出来事を誰も予測していなかったときに提示して的中させたと喧伝している。
そこで、これについて補足しておく。
まず、加治木は
『真説ノストラダムスの大予言』シリーズ初巻(1990年12月)ではごく大まかにしか解釈していなかったが、続刊ではより踏み込んだ解釈をしている。
『日本篇』(1991年)では「これは間違いなく
第三次欧州大戦のせいで、戦後に本格的大再編があるということである」と明言していた。
加治木は1990年代前半に第三次欧州大戦があると断言していたのでそのような解釈になっていたわけだが、もちろんそんな大戦はなかった。
すると、『黄金の世紀』(1998年)ではほとんど同じ解釈を転載しつつ、上記の部分は「これは間違いなく
バブル崩壊のせいで、大再編があるということである」と大きく書き換えられていた。
当初のように第三次欧州大戦と結びつけていたら、それは笑いものにされても仕方なかったろうし、ましてや外れた後にそれをなし崩しに修正していれば、やはり信頼などできないだろう。
なお、自動車業界再編自体は的中させたように見えなくもないが、たとえば『朝日新聞』1990年2月には「世界の自動車産業新地図」と題する業界再編についての特集が組まれていた。
そのように、シリーズ初巻の時点ですでに再編の動きは進んでいたのであって、事前に的中させたかのように喧伝していた加治木の主張には、明らかな誇張が含まれている。
同時代的な視点
前半が帝王切開によって生まれた結合双生児(シャム双生児)を指しているという点に、異論はない。1656年の解釈書もそう捉えていたように、もともとは信奉者から見てさえも、これはごく当たり前の読み方であった。
ロジェ・プレヴォは、1656年の解釈書と同じく、セザールの年代記を引き合いに出し、1554年の奇形児誕生の記録と結びつけている。後半はあまり詳しく述べていないが、8世紀アクイレイアの総大司教パウリヌスの祝日が1月11日であることを指摘している。
セザールの記録に言及しているのは、
ジャン=ポール・クレベールも同様である。なお、彼らが正しく引用しているように、1554年の結合双生児の誕生は正しくはセナ(Sénas)であり、1656年の解釈書の「スナン」は写し間違い、もしくは誤植である。
セナはノストラダムスが晩年を過ごした
サロン=ド=プロヴァンスの近郊であり、誕生した双生児はノストラダムスのところに連れてこられたという。
この証言が正しいなら、(この詩に反映されているかどうかはともかく)ノストラダムスにも強い印象を与えたと推測される。現代において結合双生児を
怪物と見なすような見解は支持されることはありえないし、あってはならないが、当時はごく普通にそう見なされていたからである。
それに対し、
ピーター・ラメジャラーは1554年の事例ではなく、コンラドゥス・リュコステネスが紹介していた1544年の結合双生児誕生の事例と結びつけていた。
かつては結合双生児の誕生は凶兆と捉えられることが多く、この詩でも、前半の事件が、後半の政治的事件の予兆として描かれている。
ただ、後半の事件については、やや不明瞭にしか解明されていない。
ピエール・ブランダムールは、「フェッラーラの指導者」をフェッラーラ公エルコーレ・デステ2世とし、フランス王家とも縁戚関係にあったフェッラーラ公国が、フォッサーノやトリノとともに親仏政策をとったことと結びつけた。この解釈はラメジャラーや
ジャン=ポール・クレベールも一応踏襲しているが、
高田勇・
伊藤進も指摘するように、アクイレイアの扱いも含め、曖昧な要素の残る解釈ではある。
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最終更新:2018年09月04日 23:16