川相昌弘(野球選手)

登録日:2010/09/11(土) 19:08:56
更新日:2018/05/09 Wed 17:00:16
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かつて巨人・中日で活躍した遊撃手にして、球界史上最高の『職人』。
岡山県岡山市出身。
高校時代はエースで4番として活躍し、2度甲子園に出場した事がある。


その才能を見込まれて1982年のドラフト会議で巨人に4位指名を受ける。当初は投手としての指名だったが、入団直後に野手へ転向。
1984年に一軍に初昇格した後は小技・守備面での活躍で巨人の二番打者の座を勝ち取り、翌1991年には当時の年間犠打新記録(66犠打)を更新する。

打撃面での成長も著しく、1993〜1994年にはチーム内最高打率を叩き出すなど、1990年代代表的遊撃手として名を馳せる。

1998年に平野謙が樹立した通算451犠打のプロ野球記録を抜き、日本歴代1位に躍り出る。

1999年にニ岡の加入により出場機会はやや減少したものの、守備・犠打要員・精神面で依然欠かせない存在だった。

そして2003年8月20日には通算512犠打を達成し、世界記録を更新。世界へ名を残したのである。


世界記録樹立後、引退を正式に表明。
引退後は一軍コーチに就任予定であったが、巨人フロントのゴタゴタに巻き込まれ、川相に何ら落ち度は無いのに二軍コーチ降格を言い渡され『退団』。
同年中日に入団する。

巨人ェ…


中日時代も熟練の守備・犠打でチームを支え、2006年引退、中日一軍コーチ就任。

引退した時のインタビューは
『24年の選手生活の中で、中日での3年間が最高でした。』

であった。

現役時代の累計バント失敗回数は僅か46。
成功確率は9割を越えていた。
(全選手平均で6割6分程度)

2010年は中日の2軍監督を勤め、オフに退団。

中日ェ…

その後、巨人の2軍監督に就任。今に至る。



【逸話】

  • 小坂誠並の守備範囲を持つ。曰く川相ゾーン。
  • バントして1球目を一塁側ファウルラインぎりぎりに転がし、2球目も同じコースに転がして1球目のボールにぶつけるという超人技を持つ。

  • 右投右打であるが、左打席でも同じようにバント出来る。

  • 乱闘では越中詩郎ばりのヒップアタックを使用。仏のような見た目に反し、戦闘派である。チームメイトが川相につけた綽名は「台風0号」。
 滅多に失敗しないバントを失敗した時は、それこそ物凄い勢いで口惜しさをベンチに叩き付け、誰も声を掛けられないぐらい荒れていた。

  • パワプロの特殊能力で《バント職人》が作られるきっかけとなった。

  • 代打起用、誰もが「絶対にバントをする」ことが分かり「バントしか出来ないのか? 打ってみろ」などといった野次が飛ぶ中でも表情一つ変えずきっちりとバントによる自己犠牲でランナーを進める。
「王は死すとも民は前に進む(人生送りバント)」



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