遊撃手(ショート)

登録日:2024/08/31 Sat 00:45:00
更新日:2025/02/21 Fri 17:16:06
所要時間:約 15 分で読めます



遊撃手(ショート)とは、野球もしくはソフトボールのポジションの一つである。


【概要】


野球やソフトボールにおいて、二塁と三塁の間を守るポジション。
守備位置番号は「6」番。英語表記は「Short-stop」で略称は「SS」。
現地やパワプロなどで、スタジアムDJが「3番・ショートストップ アニヲタ~wiki太郎~!!」などとスタメンを読み上げるのをご存じの方もいるであろう。
野手の中では捕手の次に重労働のポジションで、内野の花形であり内外野の守備の要とも言える極めて重要なポジション。

基本、見たまんまの名称がついている野球のポジションの中で唯一名前ではなんなのかよくわからないポジション
「遊撃手」と「ショート」が全く繋がらないのも厄介であるし、実際には「二塁手は一塁と二塁の間を守り、遊撃手は二塁と三塁の間を守る」という、二塁手と対のポジションとして運用されるのもややこしい。
大本の「Short-stop」という名称の由来は遥か昔に遡り、諸説あるため実のところ判然としていない。


【主な役割】

  • 二遊間および三遊間のゴロ、フライの処理
  • 守備に難がある左翼手のカバー(俗にショフトとも言う)
  • 捕手が盗塁阻止の際に送球した時のベースカバー
  • 外野手が返球した際の中継プレー
等とにかく守備面での仕事が多く、送球する際には深い位置から送球することが多いので強肩も必須であり、内外野の中では最も高い身体能力、運動神経を要求されるポジションである。

その為、加齢による身体能力の低下でショートを守ることが厳しくなってきたベテラン選手は守備負担が少ない三塁手などにコンバートされることが多い。また肩や送球に不安がある場合は二塁手へのコンバートも見られる(ただしベースカバーや中継に関しては二塁手にも求められることには留意)。
そうでなくても二塁手や三塁手もできる遊撃手は珍しくなく、例として後述する川崎宗則はキャリア全体で見れば兼任(MLBでは三塁手)、吉田義男はごくまれに二塁手に入ったことがあった。
ただ、吉田本人によれば「二塁手としては守備能力失格もいいところだったので、結局遊撃手だけにしてもらうことになった」。


【ポジションとしての特徴】


  • センターラインを形成し、二塁手以上に高い守備能力全般を要求されるため、このポジションについている選手は俊足・強肩・好守を兼ね備えることが大半である。

  • 身体能力と高い技術が求められるため、プロレベルで遊撃手として生き残れる選手は多くなく、遊撃手として入団した後に外野手・二塁手などにコンバートされて成功した例は数多い*3
    • 逆に言うと、遊撃手として入団する選手は元々のポジションが務まらなかった場合でもコンバート次第で様々な可能性が期待できる。このためドラフト時に高卒の若い遊撃手を「イーブイ」に例える事がある。

  • 守備時の負担があまりにも大きくプロレベルでも遊撃守備を高水準でこなせる選手はそう多くないため、そのような選手は捕手と同じく打力は平均以下でもある程度は目を瞑ってレギュラーとして起用されている場合も少なくない。

  • 一方米球界ではチームで一番身体能力・技術ともに優れた選手が付く花形ポジションという立ち位置が浸透しており、日本で言う『エースで4番』がアメリカだと『ショートで3番』になる。このためMLBだとこのポジションのレギュラー選手ではアレックス・ロドリゲス、デレク・ジーター、カル・リプケン・ジュニア等、攻守に優れたスーパースターが非常に多い。
    • そのようなスーパークラスでない普通のショートであっても、肩の強さなどの身体能力で日本人ショートを軽く上回る化け物の巣窟。「一番良かった時期の松坂大輔(もちろん投手)を見たMLBの人が「こんな素晴らしい身体能力なのになんでショートさせないの」と口にした」なんて都市伝説まである*4
    • 当時日本トップの遊撃手としてMLBに挑戦した松井稼頭央でさえ二塁手へのコンバートを余儀なくされており、このポジションでMLBでレギュラーとしてシーズン通して活躍した日本人選手は現時点で一人もいない。


【主な実在選手】

(五十音順で表記)

《現役選手》


  • 安達了一
オリックスバファローズ所属。
2011年ドラフト会議1位指名で入団。
堅実かつ大胆なプレーと守備力の高さに定評がある。
自身が2016年から潰瘍性大腸炎の影響で免疫力の低下や腹痛の頻繁な発症などに見舞われていることを踏まえて、同じ病気と闘う子どもたちのために、同協会が実施する「こどもキャンプ」への寄付を決意。
人物的には素晴らしいのだが、入団した時期が暗黒時代オリックスで関西のチームと言えば阪神タイガースの為に話題に載らない、遊撃手に今宮健太、井端弘和、坂本勇人、源田壮亮などがいた為に、目立たない事に。
後に身体の負担を考えて2021年からは二塁手に転向、遊撃手は紅林弘太郎が務める事になる。
現在は選手兼任内野守備・走塁コーチ。2024年9月11日に2024年シーズン限りでの引退を正式表明した。

  • 今宮健太
福岡ソフトバンクホークス所属。
高校時代は投手兼任の強肩強打の選手として名を馳せたが、プロ入り後は現役選手最多の犠打数を誇るバント職人に。
歴代記録でも川相昌弘、平野謙、宮本慎也に次ぐ4位である。犠打以外にも高い身体能力を生かした遊撃守備もウリ。
頭上を越えるライナーを背走からの大ジャンプで弾き、そのまま空中で逆シングルキャッチしてのけたスーパープレーは今も語り草。

  • 門脇誠
読売ジャイアンツ所属。
ドラフト4位の即戦力内野手として高い守備力を武器に首脳陣の信頼を勝ち取り、2023年の新人年から長年正遊撃手を務めていた坂本勇人を三塁に追いやるなどレギュラーとして活躍。
2024年シーズン前半は自身の打撃不振もあり新人の泉口友汰との併用が多かった。

  • 木浪聖也
阪神タイガース所属。
前正遊撃手だった中野拓夢が送球の不安により二塁手にコンバートされたことを契機に、熾烈な遊撃手争いを制して規定打席にも到達し、2023年のベストナインとゴールデングラブ賞を同時受賞するなど阪神38年ぶりの日本一に貢献した。

  • 京田陽太
横浜DeNAべイスターズ所属。
ドラフト2位の即戦力内野手として2017年の新人王を受賞するなど長らく中日ドラゴンズの正遊撃手として活躍していたが、監督が立浪和義になると立浪から『戦う顔をしていない』と辛辣な評価をされる等燻りかけた。
だが砂田毅樹とのトレードで横浜DeNAに移籍し、少しずつかつての輝きを取り戻しつつある。
DeNAファンがことあるごとに「バトル〇〇」と褒めるのの由来もこのタッツの一件。京田以外にも普通に使われるほどに…

  • 紅林弘太郎(くればやしこうたろう)
オリックス・バファローズ所属。
高校時代は強打、強肩の三塁手。
2019年当時のオリックスが狙っていた補強ポイント、左投手と右打ちの強打者の内、右打ちの強打者としてドラフト会議2位で指名、オリックスに入団、後に遊撃手に転向。*5
実は日ハムも2位で狙っていた逸材。
高卒2年目の2021年、それまでの正選手•安達了一が体調不良で開幕戦に間に合わない為、中嶋聡監督から抜擢され、一気に台頭してきた若手遊撃手。
2021年はあのイチローも出来なかった10代でのシーズン2桁本塁打を放ち長打力のある大型遊撃手として注目を集める。
以後、強肩の遊撃手として定位置を確保し、2021年~2023年のオリックスのリーグ3連覇に大きく貢献した。

  • 源田壮亮(げんだそうすけ)
埼玉西武ライオンズ所属。
新人年の2017年に遊撃手としてシーズンフルイニング出場を果たし文句なしの新人王を受賞するなど、中島裕之退団以降の当時チームの課題であった正遊撃手不在の問題を一人で解決した。
2018年には遊撃手捕殺数の日本記録を更新し、以降6年連続でゴールデングラブ賞を獲得。
その素晴らしい守備から「源田たまらん」がファンの間で定型句となるなど日本を代表するショートとして活躍し、
昨今の苦しいチーム状況の中主将としてチームを引っ張っている。
近年では侍ジャパンにも選出され、2023年WBCでは右手小指の骨折を押し出場し続け優勝に貢献した。
嫁は元乃木坂46の衛藤美彩。

  • 小園海斗
広島東洋カープ所属。
2018年オフのドラフト会議で4球団競合の末広島にドラフト1位で入団し、アマチュア時代の評判の高さに違わずプロ3年目の2021年には規定打席に到達しレギュラーを獲得。
俊足の割に失敗が多い盗塁技術の改善が課題である。最近は矢野雅哉の台頭により三塁手として出場することが多い。

  • マーウィン・ゴンザレス
オリックス・バファローズ所属。
MLBでバリバリ活躍していたユーティリティプレイヤー。紅林がいるためショート守備に付く機会は多くないが、随所でMLB流のダイナミックな守備を披露している。
2024年シーズン限りでの引退を正式表明した。

  • 坂本勇人
読売ジャイアンツ所属。
御存じ巨人のスター選手にして生けるレジェンド。
史上二番目の若さで 2000本安打到達等、数々の記録を打ち立て長年巨人を支え続けてきた。彼に関しては説明不要だろう。
ベテランになった現在は遊撃を門脇に譲り三塁手のレギュラーとして活躍中。

  • 長岡秀樹(ながおかひでき)
東京ヤクルトスワローズ所属。
2019年ドラフト会議5位で指名、ヤクルトに入団。
プロのスカウトに注目されたのは八千代松陰高校野球部時代、1学年上の清宮虎多朗(せいみやこたろう)*6を見に来たスカウトがついでに見たら、掘り出し物がいた!という感じだった。
2022年に台頭、当初は高津監督の
「愛人枠」
「依怙贔屓」
と散々な言われようだったが、正遊撃手の定位置を獲得し同年にゴールデングラブ賞も受賞するなど2022年のセリーグ優勝に大きく貢献、周りの雑音を黙らせた。
50m走は6秒1を記録。
打撃では思い切りが良く、広角に打ち分けるセンスと勝負強さが光り、遊撃手としては捕球から送球までに無駄な動きが無く、バウンドを合わせやすいようあらかじめ守備位置を深くしている。

  • 大和(前田大和)
横浜DeNAベイスターズ所属。
阪神時代は二塁・中堅での出場の多かったユーティリティの名手で、外野部門でゴールデングラブ賞を獲得している。
鳥谷が衰えてからは本職のショートに座ったが、その後すぐにDeNAに移籍して正遊撃手として活躍。移籍後はイメージとは裏腹に打撃貢献が目立つようになった。
現在は一塁守備に付くことも。

  • 村林一輝(むらばやしいつき)
東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
野球無名高出身でドラフト7位指名と当初はそこまで注目されていなかったが、2023年中盤から打力が大幅に向上したことでレギュラーを勝ち取り、2024年シーズンには規定打席到達も果たした。

  • 森敬斗
横浜DeNAベイスターズ所属。
NPBの野手でも1・2位を誇る凄まじい強肩にこれまたNPB野手最上位クラスの俊足の持ち主で、日本人とは思えないダイナミックな守備が持ち味だが、故障癖や随所に残る粗さなど課題も多い。
そうした課題もあって徐々に出場機会が減りつつあったが、2024年後半に遂にレギュラーを掴み、CSではファーストステージ初戦のダイビングキャッチに始まり随所で攻守に躍動しチームのCS突破に大きく貢献した。

  • 矢野雅哉
広島東洋カープ所属。
こちらも森に勝るとも劣らない凄まじい強肩を持ち、同様に日本人とは思えないダイナミックの遊撃守備がウリ。
打力にはまだ課題もあるが、強肩を武器に2024年シーズンはレギュラーとして活躍中。


《OB選手(NPB経験者)》

  • 石井琢朗
1998年の横浜日本一に大きく貢献した遊撃手。元々は投手で、こちらとしてもプロで勝ち星を挙げた経験の持ち主*7
2000本安打も達成した打撃力、13年連続二桁盗塁を記録した脚力、強肩と俊足を活かした守備力を兼ね備えていた。
引退後は多くのセ・リーグの球団でコーチを務めるなどコーチ適性も高く、2024年現在も横浜DeNAでコーチを務める。
本名は『石井忠徳』で、野手転向時に字画の良さなどから「琢朗」に改名。某チームの後輩から「石井豚朗 様」と書かれた年賀状が届いたことがある。

ブンブン丸』にして、2代目ミスタースワローズ。
遊撃手としては珍しいパワーヒッタータイプの選手。全盛期はは走攻守三拍子揃った遊撃手として90年代のヤクルト黄金期を支えた。

  • 井端弘和
右打ち、カット技術等、状況に応じたしぶとい打撃が持ち味。荒木雅博とのコンビ『アライバ』で00年代~10年代前半の中日を支えた。晩年は巨人にも在籍。
2024年現在は野球日本代表監督も務めている。

  • 宇野勝
主に80年代の中日で活躍した、池山隆寛と同じく貴重なパワーヒッタータイプの遊撃手。
かの有名な「ヘディング事件」が『プロ野球 珍プレー・好プレー大賞』を生むきっかけになったため侮られがちだが、長打力は歴代NPB遊撃手で1、2位を争うレベルであり、このポジションでシーズン40本塁打を記録したのは氏と坂本勇人のみである。
また上記の一件や失策数の多さで「守備が下手」というイメージが強いものの、同僚であったかの落合博満が絶賛するなど守備能力そのものはむしろ遊撃手基準でも優秀な選手であった。

  • 大橋穣
落合博満が「超一流の守備」と評する阪急黄金期の遊撃手。
プロ入りは東映フライヤーズだったが大型トレードにより4年目から阪急へ。
マルカーノとの鉄壁の二遊間は他チームから恐れられた。打力は低かったが。
7年連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞し、野村克也からは「お前がいなければ俺は3000本安打達成していた」と愚痴られたらしい。

  • 大引啓次
2000年代後半から10年代後半にオリックス、日ハム、ヤクルトで活躍した遊撃手。
売りは「守備職人」と称される堅実な守備。
打撃は状況に応じたチームプレーに徹底している。
オリックス時代は怪我もあり、中々規定打席に到達出来なかったが、日ハムに移籍してからは2年連続で規定打席に到達。
ヤクルトに移籍してからは、1年目でリーグ優勝を経験。
当時の抑え投手•バーネットは
「大引さんが居てくれるだけで、守備は心強いよ」
と最大級の賛辞を寄せた。
2019年に球団から戦力外通告、引退勧告されるとともに、引退試合・引退セレモニーの開催を打診されたが、NPB他球団での現役続行を希望。
しかし、他球団からの獲得のオファーを受けるまでに至らなかったため、同月末に引退を決断し、翌年日本ハムで指導者となる。更に翌年、それを辞めて2021年4月に日本体育大学大学院に入学し、コーチング学を学ぶ傍ら、硬式野球部の臨時コーチに就任している。

  • 金子誠
90年代後半~10年代長らく日ハムを支えた内野手。
2001年までは主に二塁を、2002年以降は遊撃手を守りどちらのポジションでもゴールデングラブ獲得経験があるなど二遊間のスペシャリストだった。一方打撃に関しては不動の9番打者として知られる。
現在は千葉ロッテでコーチを務める。

現役時代は主に80年代後半~90年代の巨人で活躍した稀代のバント職人。
通算犠打数533本はNPBどころか世界記録で通算犠打成功率も9割越え*8など、バント技術はNPB歴代1、2を争う『バントの神様』。
現役晩年は中日に在籍し04年、06年の二度のリーグ優勝に貢献し06年限りで引退した。

  • 川崎宗則
00年代前半~10年代初頭のホークスを支えた走攻守三拍子揃った遊撃手。
2011年にホークスを日本一に導いたあと憧れのイチローを追ってFA宣言でシアトル・マリナーズに入団。マイナー契約としての入団だったが、翌年のオープン戦で結果を残してメジャーに昇格。憧れのイチローとメジャーリーグで一緒にプレイをして、レギュラーまでは獲得できなかったが控え野手としてチームを支え、試合に出れずともモチベーターとしてベンチでも活躍した。しかしシーズン途中にイチローがヤンキースにトレードされ、川崎もオフにマリナーズを退団。
翌年にブルージェイズとマイナー契約すると正遊撃手が故障したことでメジャー復帰。そこからまたも目覚ましい活躍を見せて、イチローが日米通算4000本安打を達成した際に対戦チームとして守っていたという奇跡も成し遂げた。
その後もメジャーとマイナーを行ったり来たりしながらもプレーを続けて、2017年に古巣ホークスに復帰。翌年に体調不良で退団するも台湾野球を経て日本の独立リーグで現在も40歳を超えながらも現役でプレイをしている。
コミュ力も非常に高いムードメーカーで、愛称は『ムネリン』。イチローへの想いが強すぎて幾多の逸話を残している。
メジャー移籍前に王貞治氏の紹介で張本勲氏に弟子入り、バントの技術を学んだ。
張本氏は川崎の学ぶ姿勢に感激し、川崎がメジャーで活躍すると我が子のように笑みを浮かべて喜んでいた。

  • 河埜和正
V9後の巨人の遊撃手。
定位置より後ろに構えるが、ものすごい強肩で内野安打を何度も阻止。
守備の名手として長く活躍した(坂本勇人に抜かれるまで巨人の遊撃手出場記録を保持)。
弟の敬幸は南海・ダイエーで二塁手を務め、NPB唯一の「共に1000試合出場、1000本安打、4000打席を達成した日本人兄弟選手」という記録を持つ*9

『小坂ゾーン』で有名だった90年代後半~00年代中盤のロッテを支えた名遊撃手。
体は小柄だが遊撃守備範囲は異次元の広さで、盗塁技術も非常に高く打力以外は松井稼頭央のライバルであった。

  • 定岡智秋
三塁手として南海に入団するが、3年目にレギュラーの定まってなかった遊撃のレギュラーをつかむ。
「肩の強さは誰にも負けない」という自負があり、実際1975年のオールスター戦で行なわれた遠投大会で127mを記録してぶっちぎりで優勝した。
弟に定岡正二(元巨人)、定岡徹久(元広島・日本ハム)がおり、次男が定岡卓摩(元ソフトバンク他)と野球一家である。

  • 梵英心(そよぎえいしん)
00年代中盤~10年代初頭のカープを支えた遊撃手。
即戦力内野手として新人年の2006年には新人王を受賞した。田中広輔台頭後は三塁手に転向。
実家は江戸時代から続く寺。

  • 高橋慶彦
70年代後半~80年代のカープを支えた遊撃手。
1979年には日本シリーズMVPを受賞し79年の球団初の日本一に大きく貢献した。
33試合連続安打は現在でも破られていない日本記録である。
晩年はロッテ、阪神にも在籍。
プレイボーイキャラでも知られたが、実際には本人含め複数のカープ関係者が「完全にではないにせよ、作ってるキャラだった」「当時、高橋ほど練習ばかりやっていた選手は他にいなかったレベル」と証言を残す豪傑。
「ケガのリハビリ中に椅子を持ってきたかと思うと、『これならケガしているところを動かさずに振れる!』として素振りを始めた」というエピソードを持つほどである。

  • 田中幸雄
80年代後半から~00年代前半の日ハムを支え、「ミスターファイターズ」と呼ばれた遊撃手。
チーム若返りの方針で入団2年目からスタメン起用されるようになり、パンチ力のある打撃で1995年に打点王に輝いた。
一方、守備は当初粗さが目立ったが、どんなに深い位置からの送球でもノーバウンドで投げることを信条としていた。
また入団時には同姓同名のピッチャーが所属しており、彼よりは小柄だった為に「コユキ」と呼ばれ、投手の「オオユキ」が引退した後もその名前で呼ばれ続けていた。

  • 豊田泰光
1950年代の西鉄で活躍した遊撃手。
走攻守三拍子揃った選手だが、失策数も非常に多かった。
野球解説者としては非常に辛辣な意見をすることで知られ、監督としての長嶋茂雄をテレビ中継で堂々と貶した数少ない人物。
中でも雑誌『週刊ベースボール』のコラム「豊田泰光のオレが許さん!」は人気を博し長期連載となった。
プロ野球ニュース』(フジテレビ)の解説者も務めていたが、地上波終了に合わせて抗議の意味を込めて降板している。

  • 鳥越裕介
破壊力抜群の『ダイハード打線』で唯一守備を買われてスタメン起用されていた名手。元は中日ドラゴンズに所属しておりトレードでダイエーに移籍してから出場が増えた。
シーズン打率日本記録を持つ強烈な打線の中で打率2割台前半の癒やし枠守備の人だったが、「鳥越不敗神話」などの数々の伝説を残した「パルプンテ枠」として知られる。

阪神→ロッテに在籍し、00年代中盤~10年代後半まで毎年ほぼ同一の成績を残す、というちょっと変わった意味で天才的なバッティングと共に長らく阪神を支えてきた名遊撃手。
とにかく怪我に強く、連続出場1939は鉄人衣笠祥雄に次ぐ記録。

  • 奈良原浩
西武~日本ハム~中日と渡り歩いた守備力の高さに定評がある遊撃手。
辻・奈良原の二遊間は当代最高と呼ばれ、同僚の元メジャーリーガーであるデストラーデから「オジー・スミスとまではいかないが守備だけならMLBで通用する」と評価された。
小惑星(15716)Naraharaは、友人が発見し奈良原の名前にちなんで命名された。

  • 二岡智宏
90年代後半~00年代中盤の巨人のレギュラーとして活躍した遊撃手。
同期入団の上原浩治と共に即戦力として一年目から活躍。2000年のチームのリーグ優勝を決めた劇的なサヨナラホームランは未だに語り草にされる名場面。
巨人から日ハム移籍時の話は黒歴史。
日ハム移籍後は代打の切り札として活躍した。
右方向へのバッティング技術に長けており、「ミスター右中間」という称号もある。

  • 西岡剛
00年代中盤~10年代初頭の千葉ロッテ・ボビー・バレンタイン政権で遊撃手のレギュラーとして活躍した選手。
2011年からはMLBに移籍するもMLBでは精彩を欠き、2013年からはNPBに復帰して古巣ロッテではなく阪神に在籍。復帰一年目の2013年はレギュラー内野手として活躍するが、以降は2016年にアキレス腱断裂の大怪我を負ってしまうなど故障に苦しんだ。
2024年現在はホリエモンがオーナーを務める独立リーグの球団「北九州下関フェニックス」で総監督を務める。

  • 野村謙二郎
全盛期はトリプルスリーを達成するなど、三拍子を揃った遊撃手として90年代のカープを支えた。
引退後は前任のマーティ・ブラウンの後を引き継ぎ2010年~2014年まで監督を務める。優勝こそ出来なかったが2013年には球団史上初のCS出場を果たすなど後のカープ黄金期の土台を築き上げた。

  • 広岡達朗
指導者のイメージが強いが、現役時代は巨人一筋で活躍した遊撃手。長嶋茂雄の陰に隠れ、目立たなかったが
ヤクルト、西武で監督を務め『管理野球』と呼ばれる厳しい選手管理を行い、当時は弱小球団とされていた両チームを日本一に導いた。
この施策は選手によっては反発する者も多かったが、ウエイトトレーニングや現在の「食育」につながる方針をいち早く取り入れ、後年の選手マネジメントに多大な影響を与えた。
尤も当人は痛風にかかって西武の監督を辞任しているが*10
指導者としての業績だけを見れば日本球史に残る名将と言って差し支えないのだが、
良く言えば率直、悪く言えば歯に衣着せぬ言動が多かったため非常に毀誉褒貶の激しい人物として知られる。
特に現役時代のチームメイトにして後に監督となった川上哲治とは犬猿の仲なんてレベルでは済まないほど険悪な関係だったことは有名。
90年代中盤ではロッテでGMも務めたが当時監督であったボビー・バレンタインと野球観の違いで早々揉め、連れてきた外人野手もからっきしでチームも下位に沈み任期を一年残して解任される等散々だった。

  • 広瀬哲朗
日本ハム一筋で現役生活を過ごした遊撃手。
入団当初から守備力に定評があったが、打力が低くなかなかレギュラーにはなれなかった。
1993年、大沢啓二監督に闘志を買われ主将に就任、正遊撃手の田中幸雄を外野に追いやり、32歳にして遊撃手のレギュラーを奪取*11
NPBの中でも輝度の高い選手の一人で、スキンヘッドになったが見た目はどうみても…だったがファンサービスを積極的に行い、この流れは広瀬→岩本勉→新庄→森本稀哲→杉谷拳士へ脈々と受け継がれていく。

  • 藤田平
阪神タイガースの選手で、阪神初の2000本安打を達成し、1981年には打率358で首位打者を獲得するなどバットコントロールに関しては一、二を争う。
引退後は阪神で監督も務めたが、選手層の薄さや選手との確執もあり暗黒時代の阪神を立て直すことは出来なかった。

ご存じ『リトル松井』。
全盛期はイチローにも引けを取らない走攻守三拍子揃った球界を代表する野手だった。80年代~90年代生まれの野球少年には彼に憧れた者も多いであろう。
MLBでは主に二塁手としてレギュラーとしても活躍し、NPB復帰後は楽天で2013年の日本一に貢献した。

  • 水上善雄
主に80年代のロッテで活躍した選手。その後、広島、ダイエーにも在籍。
無死、もしくは一死で走者がいれば犠打、そうでなければ本塁打狙いという荒っぽい一本足打法で1980年にはリーグ最多犠打にして15本塁打を記録。
また、日本ハム二軍監督時代には中田翔、陽岱鋼らの育成に励んだ。
一時期ロン毛にしていた時期があり、球団から「見苦しいのでカットしろ」と言われたが、反骨心で切らずにいたらそのまま長髪がトレードマークになった。

PL学園出身、ヤクルトスワローズの内野手。つば九郎いわく『6さま』*12
当初から守備は一流だったが、打力は当時監督であった野村克也から『自衛隊』*13と評されるなど欠ける部分もあった。
しかし年齢を重ねるに連れて打力も向上し、大卒社会人として数少ない2000安打を放つなどヤクルトの一時代を支え、気が付けば「40代の選手が1年間レギュラーにいて3割打つ」までに成長した。

  • 森脇浩司
近鉄~広島~南海(ダイエー)で活躍。
彫りの深い端正な顔立ちで「球界の草刈正雄」と呼ばれ一軍定着前から人気選手となる。
広島時代には津田恒実の無二の親友となり、津田が福岡で闘病中には自身がダイエーに所属していたため、周辺の世話を買って出ていた。
「俺の年俸を半分にしてでも、お前を現役復帰できるように球団に掛け合ってやる」と津田を励まし続けた。
2000年にフジテレビで放送された津田の生涯を綴ったドラマ『最後のストライク』では、石黒賢が演じ準主役として登場している。
またノックの達人という一面もあり、コーチ、監督としてプロ5球団を渡り歩いている。

  • 山下大輔
現役時代は大洋一筋で過ごし、遊撃手の連続守備機会無失策のリーグ記録を樹立・1976年から8年連続でダイヤモンドグラブ賞*14を受賞した守備の名手。
引退後はコーチを経て横浜ベイスターズで2003〜04年に監督を務めたが、現役時代の自身とは対照的にディフェンス面に苦しみ2年連続最下位で終わってしまった。
「レフトとライトを交代」「ウッズにバント」「ピッチャーデニー」といった数々の迷采配は当時の2chで大いにネタにされ、「山下大輔監督と苦難を乗り越えていくスレ」は数々の派生スレッドを生み出す一大ムーブメントと化した。
20代後半から次第に見た目も輝きだし、監督時代になると「昔はノーエラーの山下。今はノーヘアーの山下です」「僕のようにケガ(毛が)なく明るく輝いてほしい」「フラッシュはいらないよ」などと自らネタにするようになった。
またメジャーリーグ通でもあり、中継で解説を務める際は球場で7回のイニング間に演奏される『私を野球に連れてって』を「♪お~ぼ~げ~(Old ball game)」と一緒に歌う、2019年のオールスターゲームで現地レポートを行いホームランダービーでアレックス・ブレグマンの打球をキャッチし大はしゃぎするなどの逸話を残している。
現在は地元静岡県にあるウエスタンリーグの球団「くふうハヤテベンチャーズ静岡」のGMを担当。

  • 弓岡敬二郎
阪急・オリックスで活躍した選手。
絶対的存在だった大橋穣の怪我による離脱でルーキーから抜擢される。
堅実な守備が信条で、テニスのサーブを待つ構えを参考に小刻みに体を動かしながら適宜打球に反応した。
引退後、オリックスのコーチを経て四国リーグ・愛媛マンダリンパイレーツの監督を務め、就任2年目で年間総合優勝を達成。つけていた背番号「77」は永久欠番認定された。

  • 吉田義男
阪神タイガースに在籍し、『牛若丸』の愛称で親しまれた守備の名手。
その守備能力は当時のニューヨーク・ヤンキース監督から「メジャーリーグでも十分通用する」と太鼓判を押されるほど。
打力も長打はないがしぶとい打撃で400勝投手である金田正一に相性も良かった。
引退後は阪神の監督を務め、1985年に球団初の日本一に輝いた。
野球不毛の地と言えるフランス代表の監督も務めており、ここからムッシュの通称でも親しまれる。
氏の付けた背番号23は阪神の永久欠番の一つ。


  • 渡辺直人(わたなべなおと)
楽天横浜西武と渡り歩いた守備職人。
一年目から遊撃手のレギュラーとして活躍した。
反面、球団の編成上の都合で移籍する事が多い。
どのチームに移籍してもある程度の立ち位置を確保するので、使い易い選手、便利屋と見られる事も。
打者としては三振が少ない、出塁率が高い、粘るなどつなぐ打撃が上手く、遊撃手の守備として、肩は人並みだが、捕球から送球までが速く正確だった。
現役後半は、途中出場が増えたこともあり内野全ポジションを守るユーティリティープレイヤーになった。

【主な架空の選手】


漫画


  • イガラシ
漫画『キャプテン』『プレイボール』『プレイボール2』『キャプテン2』に登場する主要人物。右投げ右打ち。
キャプテン』ではポジションは一通りどこでもやってきたという優れた野球センスを併せ持ち、当初は二塁手、後に三塁手兼任で投手。丸井の後、キャプテンに就任する。
『プレイボール』『プレイボール2』『キャプテン2』では墨谷高校に進学し、ここで遊撃手に転向。引き続き兼任で投手も務める。
口が悪く、勝つためにはどんな犠牲も厭わない考えを持ち、言いたいことは無愛想にはっきりと言うタイプ。
また、自分より実力や意識が劣る選手を見下すような発言が多い上にかなり短気であり、谷口に対してさえ業を煮し影で帽子を投げつけて批判したり、キャプテンを務める丸井が感情に任せて近藤を殴り倒した場面を見た際には声を荒げて批判したこともあるなど、激情家の側面も。
頭が良く、テストの成績では学年10番以内を取るほど学業においても優秀で、合宿の際には他の部員に勉強法を指導したこともある。
投手として速球と多彩な変化球を織り混ぜながら制球力で勝負する技巧派だが球質が軽いことが弱点で、自身もこの短所は自覚している。
打者としては走攻守そろった選手であり、総合的な能力は高い。
特に試合を決める決勝打を放つ描写が多い。
キャプテンとしては、オーバーワークで練習中に事故を発生させてしまっており、結果的にそれが原因で出場が決まっていた春の全国大会の辞退につながっている。
前任の丸井キャプテン時代に、合宿の予定表を見て休憩時間を軒並み削り練習に割り振る事を提案するなど、この事態を招く伏線は描写されていた。
補佐役・抑え役としては優秀であるが、上に立つと•••••というタイプの典型例ともいえる人。

  • 河野(かわの)
漫画『4P田中くん』に登場する遊撃手。
下の名前は設定されていない。
主人公・田中球児(たなかきゅうじ)が在籍する栄興学園(えいこうがくえん)・秋の新チーム選考会から登場する。
主人公とは同学年。
選考会で登板する転入生・ボブ牧田の速球に挑む者として立候補し、主人公がボブに敗れてから再起をはかる為の特訓や練習を一緒に行ったり、手伝ったりした。
春のセンバツ大会決勝、対広南高校戦、2−3と負けている9回裏2死満塁の場面で代打に起用。
対戦するのは主人公のライバルで世代最強右腕の伊坂。
ここで逆転満塁サヨナラ本塁打を放ち、栄興学園をセンバツ初優勝へ導いた。
試合中でも配球や守備陣の立ち位置を記録して、次の投球を予測するなど、観察眼や分析力に優れる。
作中最後の夏の選手権大会•北東京大会決勝対三宝寺高校戦、逆転の狼煙は河野の気付きだった。

  • 倉持洋一
漫画『ダイヤのA』の主要人物。
主人公沢村栄純の寮での同室の一学年上の先輩で、青道野球部不動の正遊撃手兼リードオフマン。
チーム一の運動神経の持ち主で作中トップクラスの俊足が武器。実は中学時代は元ヤンだった。
アニメ版のCVは浅沼晋太郎

  • 佐川周二(さがわしゅうじ)
漫画『H2』に途中から登場する。
主人公•国見比呂の一学年下、千川高校野球部員。
右投右打。
少し眠そうな顔とリーゼントが特徴。
橘英雄の幼馴染みで、亡き兄から英雄と一緒に野球を教わった。
野球に関しての実力は高く、兄から天才である英雄は参考にならないが、足と肩は負けていないと呼ばれる俊足強肩の遊撃手。
打撃でも1年時からレギュラーで6番、2年から5番を打つ好打者。
千川を受験する前までは静岡に住んでいた時期があり、かつて栄京の広田と同じ美富士中学校にいたが、広田に濡れ衣を着せられ野球部を追い出された経験を持つ。
栄京の広田と対決する目的もあり千川高校に入学。
アニメ版のCVは檜山修之

  • 宅見駿介(たくみしゅんすけ)
漫画『甲子園へ行こう』の主要人物。
主人公•四ノ宮純(しのみやじゅん)と同学年の二塁手、後に遊撃手。
右投両打。
名門横浜第一の監督•滝島徹郎(たきしまてつろう)の息子だが、両親は幼い頃に離婚しており父親とは別居している。
名門校の監督の息子として周囲から騒がれることを避けるため、公立校で高校野球気分を楽しもうと鎌倉西高校に進学。
1年の秋から二塁手のレギュラーとして起用され、また2年の夏の大会では3番に昇格した。
2年の秋以降、遊撃手に転向し、主将に就任。
冷静沈着な性格で、他校から野手陣で一人だけ攻守に於いて全国区の実力、と警戒されている。

  • 野田幸雄(のだゆきお)
漫画『BUNGO -ブンゴ-』のもう一人の主人公。
主人公・石浜文吾(いしはまぶんご)をシニアリーグに招き入れた人。
登場時点でU−12の日本代表の中軸、後にU−15日本代表の四番打者を任される世代最高の打者に成長する。
右投げ右打ちの遊撃手だか、投手や二塁手も出来る器用さがある。
天才肌の努力家で、ぶっきらぼうで口も悪いが面倒見のよい性格。
中学3年の夏の大会の直前で100校超からスカウトを受けた。
進路が未定と言われているが……

  • 蓬莱豊(ほうらいゆたか)
漫画『錻力(ぶりき)のアーチスト』の主要人物の一人で、主人公•清作雄(きよさくゆう)のライバル校、蔡理(さいり)高校の3年生。
右投右打の四番打者で遊撃手兼任で投手。
飄々としており、常にマイペース。
プロも注目する天才スラッガー。
真面目な顔して女好きのド変態で、選球眼を鍛える「自主トレ」と称して、日頃から繁華街に繰り出し女の子の品評をしている。
試合で打席に立つと相手投手の投球を女性に例え、ジャージやパンツスーツ、ブラウスに透ける下着のライン、脇チラ、アンスコから見えるパンチラなどに擬人化する。
伸び悩む清作を見かねて、自主トレに誘ったが、その結果、清作は理想のスイングを手に入れ、誘った蓬莱が敵に塩を送ってしまったかと感じるほどに大きくレベルアップを果たした。


ゲーム


  • ぎる
ファミスタシリーズのNチーム(ナムコスターズ)の最古参。
初代と1987年度版は遊撃手として、以降作品によってはポジションが若干変わるが内野手として登場し続ける。
キャラ名は『ドルアーガの塔』の主人公より。
初代ファミスタでは打率が.275と全選手中唯一の奇数打率というよくわからない優遇がある。

実況パワフルプロ野球』シリーズの登場人物で、初登場作品は『パワプロ2011』。
早川あおいアンヌ*15橘みずき六道聖に次ぐシリーズ5人目の主要女性野球選手*16。選手としての能力は六道聖に似ており、ミートや守備力、捕球が高く中々優秀な遊撃手だが女の子であるためか身体能力系の能力(パワー・走力・肩力)は平凡。ただ捕手経験の有無か、六道聖より足は速い。
また初出作品では男装の高校生で所属も男子校というずいぶん尖った性癖の設定だった。
詳細は項目参照。

『パワポケ』シリーズの登場人物で、初登場作品はGB版の『パワポケ2』。
妻が蒸発し男手一つで二人の子供を育てているシリーズ屈指の苦労人。
選手としての能力も高く、捕手や外野も守れるユーティリティープレイヤーでエラー回避が極めて高い。
尚、GB版ではメインポジションが三塁手だが最近の作品では遊撃手なので遊撃手として記載する。

ホームレスのままのルートや死亡ルートとどれが正史かは不明だが*17、時系列的に最後の登場となる『11』では結局プロ野球には関わらない・貧乏のままながらも娘やその彼氏=11主、あと貧乏神と仲良く暮らすENDになっている。
詳細は項目参照。

『パワポケ』シリーズの登場人物で、初登場作品は『パワポケ3』。
見た目はバッタ人間のイロモノじみた容姿だが、野球選手としての能力は高くバランスの良い遊撃手。遊撃手としては珍しく左投の選手である。
詳細は項目参照。

『実況パワフルプロ野球』シリーズの登場人物で、初登場作品は『パワプロ10』。
パワプロ11』以降は猪狩守に代わるライバルキャラになる。
パワフェスではエラー回避率以外の基本能力に関するコツを全部貰えるので、帝国実業が一回戦に出た場合は貰える経験が一回戦目にしては破格+投手がほぼ確実に炎上する+野手のCPUも弱めのもあり
ガチ育成では必ず蛇島と猛田共に引き抜かれる。*18
また下記の通り走攻守全て高めのため最終メンバーとして蛇島共に二遊間を守らせられる。

走攻守三拍子揃い投手能力もそれなりに高い遊撃手だが、作品によってはCPU操作の関係上炎上三兄弟長男扱いされることもある。

モデルは打撃フォームや幾つかの共通点からも松井稼頭央と思われる。
詳細は項目参照。

  • 六本木優希
『実況パワフルプロ野球』シリーズの登場人物。
初登場作品は『パワプロ9』で野球の強豪校あかつき大附属の正遊撃手。

打力は非力だが、守備力は数字先輩軍団の中でも右に出るものはいない守備の名手。
野手育成の際のサクセスでは技術ポイントはいくらあっても困らないので彼との守備練習の友情タッグはお世話なった人も多いだろう。

実は心臓に重い病気を抱えているが、続編の『パワプロ11』では完治してアメリカでプレーしている。あかつきの数字先輩メンバーの中ではヤクルト入りした一ノ瀬と二宮以外で卒業後もプロとして野球を続けている唯一の選手。
尚、数字先輩軍団の中でも一、二を争う美男子


追記・修正は遊撃手に詳しい人に補足して貰えると助かります。
この項目が面白かったなら……\ポチッと/
+ タグ編集
  • タグ:
  • 野球
  • ソフトボール
  • 野球用語
  • 野球のポジション
  • 遊撃手
  • ショート
  • 松井稼頭央
  • 坂本勇人
  • 宮本慎也
  • 池山隆寛
  • 小坂誠
  • 内野手
  • 友沢亮
  • 倉刈仁志
  • 立花ボボ
  • 小山雅
  • 川相昌弘
  • 内野手
  • 内野の花形
  • 鳥谷敬
  • ショートストップ
最終更新:2025年02月21日 17:16

*1 日本に伝わって間もない頃から野球に熱中し、「打者」「走者」「四球」といった多くの野球用語を日本語に訳した。野球を題材にした俳句や短歌も多く残している。2002年に野球殿堂入り。

*2 ベースボールを「野球」と訳したことで知られる。また日本で初めて野球の専門書を出版するなど草創期の野球の普及に貢献した。1970年に野球殿堂入り。

*3 土橋勝征、福留孝介、立浪和義などが代表例。現役では川端慎吾、山田哲人、宗佑磨、梶谷隆幸など。

*4 MLBでは割と投手は「他の守備位置が出来ないやつに変化球とかを教え込んでやらせる」ポジションと見なしている人もいるため、そういった人にとっては一番ヘタなやつのポジションとなることから。もちろんそうではない人も多い。また時期的にすぐ下の松井稼が在籍していたため遊撃手は2人もいらなかったという理由もある。

*5 左投手は最終的に宮城大弥をドラフト会議1位で指名、入団した。

*6 現楽天

*7 投手として公式戦で勝利投手となり、なおかつ通算2000本安打を達成しているのは石井と川上哲治の2名のみ。

*8 バントすると得点期待値は下がる、という話も、本来なら失敗する可能性が一定数あるからもある(もちろん第一は「アウトカウントがほぼ確定で増える」)。川相のようにほぼ確定で成功するのは統計上も異例

*9 他に外国人選手でレロン・レオンのリー兄弟が達成

*10 選手に食事制限を課しておきながら「贅沢病」とも揶揄された痛風にかかったことで反発を買ったとも言われる。

*11 田中は広瀬の守備を後ろから見て勉強するようにとレフトにコンバートされた。

*12 背番号から。本人も…面と向かって他のあだ名を要求したりはしたが…気に入っており、例えば引退後に起業した宮本は会社の名前を「ろくさま企画」としている。

*13 守るだけ・攻撃できない決まり→「守備しかマトモな能力がない」

*14 現:ゴールデングラブ賞

*15 ただしこちらは『パワポケシリーズ』出身。

*16 ここでは通例通り、ジャベリン五十嵐を『99』ではなく『アプリ』初出と扱う・『ポタ4』夏野向日葵をカウントしていない。

*17 倉刈の物語は『11』で完結、とはっきり述べられている

*18 初期助っ人によるがこの三名引き抜けば育成キャラが外野だった場合2回戦の時点でキャラが全員ネームドになる。