登録日:2024/08/16 Fri 14:50:00
更新日:2025/03/21 Fri 23:09:37
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二塁手(セカンド)とは、野球もしくはソフトボールのポジションの一つである。
【概要】
野球やソフトボールにおいて、二塁を守るポジションである。
守備位置番号は「4」番。
英語表記は「Second-baseman」で略称は「2B」。
捕手・
遊撃手・中堅手と合わせてセンターラインを形成し、その内でも遊撃手と共に内野の守備を担う。
【主な役割】
一塁手、
三塁手と異なり、
通常は塁の付近ではなく一塁と二塁の間を守備位置とするのが特徴。守備位置的には遊撃手とは対になる存在となる。
内野の花形が遊撃手なら
内野の司令塔とも言えるポジションが二塁手である。
相手打者が犠打を試みた際のベースカバーや、外野手が返球した際の中継プレー、
捕手からのサインを外野手へ伝達したりする等仕事は多岐に渡り、適切な状況判断力と広い守備範囲が求められるポジションであり、併殺を取る際には遊撃手との連携プレーも必要不可欠である。
一方、守備位置が一塁に近いことから遊撃手や三塁手程肩の強さは求められない為、少年野球や草野球では小柄で肩が強くない選手が守ることが多く、遊撃手と比べると身体能力では劣る選手がついているケースが多い。逆に言えば、二塁手がかなり上手い場合、そのチームは相当強いと見積もることもできる。
無論、プロレベルになると相手走者のレベルもアマチュア野球と比べ物にならないぐらい高いため、弱肩では務まらず遊撃手程ではないにせよ一定の肩の強さは求められる。
【ポジションとしての特徴】
- 前述の通り広い守備範囲が求められるため、どちらかといえば長距離バッターよりも俊足巧打タイプの選手が多い。
その為、このポジションから本塁打王や打点王のタイトルホルダーが出るケースは少ない。
- しかしクリーンアップを打てる強打型の選手がいないわけでなく、近年では打線の主軸を務める二塁手も少なくない。
遊撃手と並び守備が重視される二塁にクリーンアップを打てるような強打の選手を置けることはチームにとって大きなアドバンテージになるため、守備力が一定以上ありかつ強打の二塁手の需要は高い。
- 二塁を守れる選手は守備力が高く器用な選手が多いことから三塁や外野など他のポジションを守れるユーティーリティプレイヤーも多い。著名なところでは、落合博満も二塁を守っており、プロ野球20世紀ベストナインでは二塁手名義で選出されたほど。
- 肩の強さや送球に不安はあるが広い守備範囲を誇る遊撃手の場合、守備範囲の広さを生かせるということで二塁へとコンバートされる元遊撃手は一定数存在している。
- 遊撃手程ではないが広い守備範囲が求められるポジションなので加齢や怪我により身体能力の低下などで守備範囲が狭まってくると守備負担の少ない一塁手や三塁手にコンバートされることも多い。
- 遊撃手との連携が求められることから言葉が不自由な助っ人外国人がこのポジションにつくことは一塁や三塁と比べ多くはないが、いないわけではなく捕手よりかは存在している。
- 一塁手ほどの強打や遊撃手や三塁手と比べて肩の強さが求められないことから、日本人内野手が現時点で唯一MLBでレギュラーを獲得した事例があるポジションである。
【主な実在選手】
(五十音順で表記)
《現役選手》
東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
元々は
西武山賊打線の主軸で、大阪桐蔭高校時代は遊撃手として夏制覇に貢献し、プロでも遊撃手としてキャリアをスタートさせるも送球難を抱えていたため
一塁を守ることが多かった。
捕球に関してはかなり上手く、一塁手を通して活躍したシーズンではゴールデングラブを獲得している。
しかしチーム方針と自身のキャリア形成が一致したことから猛特訓の末にイップスを克服し見事二塁手に定着した。
山賊打線の主軸として打点王を獲得するなど球界を代表する二塁手として活躍していたが、2018年オフにFA宣言し楽天へ移籍。ベテランとなった現在では一塁や三塁を守ることが多い。
広島東洋カープ所属。
二塁手として歴代最多にして10年連続でゴールデングラブ賞10回獲得と、守備力のみならNPB歴代最高と言っても過言でない常人離れした守備が持ち味。
守備に目がいきがちだが最多安打のタイトル獲得経験もあるなど打力も高い。
カープファンからは『赤い忍者』と呼ばれ親しまれている。
東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
2020年の新人年からレギュラーに定着し、同年の新人王こそ惜しくも平良海馬に譲ったが記者投票の内容は僅差であった。以後もレギュラーを守り、2023年には盗塁王を獲得した。
埼玉西武ライオンズ所属。
内外野守れるユーティリティーさとパンチ力ある打撃を兼ね備えた選手。
青森県出身で実家は林檎農家。
阪神タイガース所属。
ドラフト6位指名と入団当初の評価は高くなかったが、一年目から即戦力内野手として活躍。当初は遊撃手だったが監督の岡田彰布の意向で二塁手へ転向し、二塁手のレギュラーとして2023年の38年ぶり阪神日本一に貢献した。
ファンにはたまにパチリスに描かれる。
千葉ロッテマリーンズ所属
千葉ロッテのレギュラー二塁手で、2018年~2021年まで全試合出場と怪我に強いタフさが売り。ゴールデングラブ3回受賞と守備力も持ち味。
横浜DeNAベイスターズ所属。
ドラフト2位の即戦力内野手として入団し、新人王こそ広島の守護神栗林良吏に譲ったが、新人年から規定打席到達&3割20本と新人とは思えない結果を残し、2023年は打点王を獲得するなど瞬く間に球界を代表する強打の二塁手になった。
福岡ソフトバンクホークス所属。
内外野どこでもこなすユーティリティープレイヤーで、その万能さを買われ
2023年のWBC日本代表にも選出された。育成選手出身の叩き上げで同期入団がメジャーリーガーの千賀滉大、正捕手の甲斐拓也と今振り返ればとんでもない育成ドラフト出身の一人。
東京ヤクルトスワローズ所属。
全盛期の10年代中盤~後半は前代未聞のトリプルスリー(3割30本30盗塁)3回、本塁打王&盗塁王を同時獲得とNPBでは無敵と呼べる活躍をしていたが、近年は故障の影響からか全盛期と比べると精彩に欠ける場面も増えている。
読売ジャイアンツ所属。
現在の巨人のレギュラー二塁手。当初は怪我が多かったが2022年以降は3年連続で規定打席に到達するなどレギュラーに完全定着し、90年代後半~00年代前半に仁志敏久が二塁手のレギュラーに定着して以降誰も定着できなかった巨人の二塁手における『
仁志の呪い』は彼の台頭によりようやく終止符を打つことができた。
《OB選手(NPB経験者)》
現役時代は走攻守三拍子揃った内野手として活躍。
プロ入り後はホークスで遊撃手を務めていたが転向し「ダイハード打線」の一員としてチームの主軸に。
その後MLBでもシカゴ・ホワイトソックスで二塁手のレギュラーとなりワールドシリーズを制覇、NPB復帰の際はロッテに入団し2010年の『史上最大の下剋上』時も中軸として日本一に貢献。
引退後即ロッテで監督を務め、5年の任期で2回CSに出場した。
暗黒真っただ中の
横浜ベイスターズ末期→上昇気流に乗り始めた
横浜DeNAベイスターズ初期に活躍。
横浜高校出身ということもあり俊足を武器として期待を集め、DeNA初代キャプテンも務めた「未完の大器」というべき選手。
詳細は
項目参照。
現役時代は主に阪神で活躍。時に悪球をも苦にしない巧みなバットコントロールが持ち味だった。
当初は指揮官である野村克也と相性が良くなかったのもありややパッとしなかったが、監督が
星野仙一へと変わり一番打者に起用されると一気に覚醒。2003年には打率.340で首位打者を獲得するなど阪神18年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
2005年には守備の負担軽減のため三塁手にコンバート。打順も五番となりシーズン147打点を挙げて打点王を獲得。打点製造機として存在感を発揮し、チームをリーグ優勝に導いた。
以降は故障などもあり成績が低迷。晩年はロッテにも在籍した。
現在は阪神タイガース一軍打撃コーチを務める。名前表記は『
今岡真訪』。
80年代の
近鉄で切り込み隊長として活躍した公称身長166㎝の俊足選手。
83年に盗塁王を獲得し、福本豊の連続盗塁王記録を13年で止めた。
84年の球宴では江川卓の9者連続奪三振を阻止。このシーズンは1120gの超重量バットを使用し、シーズン29本塁打を記録した。
引退後は
オリックス・バファローズの監督も経験した。
近鉄とオリックスの監督のイメージが強いこのお方も現役時代はあの西鉄野武士軍団の一員の二塁手だった。
打順は7番が定位置と目立つ存在ではなかったが、故に脇役選手の重要性を理解しており、調子や相手投手との相性に合わせてスタメンを目まぐるしく変える起用法は「仰木マジック」とも呼ばれた。
また、彼が抜擢した野茂やイチローのその後については多くを語る必要性はないだろう。
ご存じ『どんでん』『ノムカン』『そらそうよ』。
現役時代は85年チーム初の日本一の立役者となるなど強打の二塁手だった。伝説の「バックスクリーン3連発」の3人目もこの人。
引退後は阪神の監督として日本一も経験し、選手、監督の両方で僅か二度の阪神日本一に立ち会った。
「この応援歌、久しぶりに聞いたわ(笑)」
00年代中盤~10年代初頭の西武でレギュラーを務め盗塁王を4度獲得した二塁手。
後にFAで巨人に移籍したが正二塁手に定着するまでには至らず引退後は巨人でコーチも務めた。嫁はタレントのベッキー。
詳細は
項目参照。
主な守備位置は二塁だが、投手以外ならどこでも守れた球史に残るユーティリティープレイヤー。その万能さを買われ04年のアテネ五輪では日本代表にも選出された。
2010年にクモ膜下出血により37歳の若さで急逝。
詳細は
項目参照。
80年代の巨人の主力選手。現役時代は芸術的なバッティングと華麗な守備が売りで玄人好みの選手だった。
入団当初、一塁には王貞治が構えていたので、ビビッてイップスになりかけたと自虐している。
現代にいたるまで、篠塚の使っていたバットとグローブを参考に自分モデルとして使用している選手が多い。
バットはヘッドを軽量化、通常よりかなり極細で使いこなすには相当の技術を要するが、
イチロー、立浪和義、石井琢朗、
前田智徳など左打の名だたるアベレージヒッターは篠塚モデルに大いに影響を受けている。
グローブは「素手でとる感覚」を重視して、とても小さいものを手袋をせずに使用していた。
登録名はブルーム。
1960年代のパ・リーグで近鉄(1960〜64年)、南海(1965〜66年)に在籍し、二塁手で活躍した外国人選手。
1962年、打率.374でパ・リーグの外国人選手による初の首位打者を獲得。
翌1963年も打率.335で首位打者を獲得。
張本が外角打ちに悩み、ブルームに外角打ちの極意を尋ねると、
「外角を打つには内角を打つのが上手でないといけない。
それは、外角に意識が向いている時に内角に直球が来ると手が出ないからである。
こちらが内角を打つのが上手だと、投手が内角に投げるのを嫌がって外角に投げることが増える。
そこで、相手の配球を読んで投手が外角に投げてくるのを狙い打つのだ」
と説明をし、これを聞いた張本は
「なるほど、バッティングとは奥が深い」
と感心したという。
また、セーフティバントのやり方をブルームから学び、張本がお礼をしたいと申し出ると、
「赤身肉の
ステーキを腹一杯食べさせてくれる場所を知らないか?」
と聞かれ、張本が赤坂のステーキハウスにブルームを連れていき、
「オレの奢りだ!好きなだけ食べてくれ!」
と振る舞った。
野村克也は他球団の強打者の内角をぶつけるつもりで攻めていたので、よく報復死球を浴びていた。
南海に移籍してきたブルームに弟子入りして、内角打ちのコツを訊ねると、
「腕をたたみ、バットを立てるようにして最短距離でボールを打つのだ」
と答えたという。
これを習得した野村は報復死球の球をスタンドに叩き込んで無力化した。
パ・リーグを代表する二人の打者にとって打撃の師匠である。
首位打者、盗塁王、ゴールデングラブいずれも獲得経験があるなど走攻守三拍子揃った二塁手として、80年代後半~90年代のカープ黄金時代を支えた。
現状、少なくともNPBが2リーグになってからでは唯一の「ホームラン0本かつ規定打席到達で首位打者になった選手」。
主に80年代の日ハムで活躍したスイッチヒッターの二塁手。
引退後はヤンキースへコーチ留学し、メンタルの重要性などを学び、帰国後説いて回ることに。
その活動は野球界にとどまらず、講演活動や一般企業の研修講師で全国各地を飛び回ったり、北海道銀行フォルティウス(カーリングのチーム)のメンタルコーチを務めたり、バスケットボールBリーグのレバンガ北海道のアドバイザーに就任したり、はたまたWBCでヘッドコーチやったり、北海道医療大学の客員教授になったり、
ジャニーズ事務所の社外取締役に就任したり現在多忙を極めている。
『2代目ミスタードラゴンズ』。現役時代は中日ドラゴンズ一筋で活躍し、『プロ野球史上最高の二塁手』に挙げる人も多い。
ドラゴンズへの愛着も強く、引退後は中日の監督も複数回務めて1994年の巨人とのリーグ優勝決定戦10・8決戦にも立ち会った。2020年他界。監督時代に呼ばれることが多かった愛称『ジョイナス』は蔑称とも取れるので注意。
横浜の前身である大洋ホエールズで活躍。
屋敷要・加藤博一とともに走りまくる1~3番を組み『
スーパーカートリオ』と呼ばれた
が、実は高木のみ盗塁成功率が高くない。
息子が3人共
Jリーガーである為サッカーにも造詣が深く、サッカー解説も可能なプロ野球解説者。最近は里崎智也と並びYoutuberとしてヒットした元プロ野球選手として名が上がることが多い。
近鉄に入団し、後に東北楽天ゴールデンイーグルス創設メンバーの一人となる。
得点圏打率が非常に高く、野村監督から「必殺仕事人」と評された。
チームメイトのリック・ショート選手、及び当時の皇太子さま(現在の天皇陛下)と顔が似ていたことから「やんごとなきお方」とネタにされ、前述の得点圏打率の高さを讃える意味も込めて「殿下」の愛称でも呼ばれた。
『
3代目ミスタードラゴンズ』。当時高校野球の名門だったPL学園からドラフト1位指名で中日ドラゴンズに入団、即内野手のレギュラーに定着し高卒新人野手として新人王を受賞。
その後はNPB歴代最多の二塁打を放つなど野球エリート街道を常に歩んできた。現在は
中日ドラゴンズ一軍監督。
詳細は
項目参照。
現役時代はNPBでは
日ハム一筋で活躍し北海道移転後のチームの中心選手として5度のリーグ優勝に貢献、MLBも経験した。
土橋勝征の後に活躍したヤクルトの二塁手。
中日ドラゴンズ現投手コーチの山井大介は生き別れの双子ではない
詳細は
項目参照。
80年代後半~90年代前半の西武黄金時代の二塁手。
三塁ベースコーチの伊原春樹との連携によって生まれた、1987年日本シリーズの「伝説の走塁」は、ライオンズ70周年の際に「ファンが選ぶ名シーン」の1位に選出された。
Gグラブ8回受賞は菊池涼介の10回に次ぐ。現役晩年はヤクルトでプレーし、引退後は西武で監督も務めた。
巨人Ⅴ9時代の二塁手で、玄人好みの打撃と堅守が持ち味だった。
また、1969年阪急との日本シリーズでの「奇跡の走塁」はあまりにも有名。
引退後、コーチ時代に中畑清を「絶好調男」にさせたことで知られるが、もっとも有名な事象はオリックス監督時代の「
イチローを見いだせなかった」というイメージではなかろうか。
実際のところの土井は、「福本豊の後継者になれる、リードオフマンを15年張れる逸材」と高く評価していたという。
イチロー側も土井を好意的にみている節があり、「土井さんのおかげでエネルギーが溜まって3年目で爆発できた」と述懐している。
レックス・ハドラーの後に活躍したヤクルトの二塁手。
『
ID野球の優等生』として野村克也からも重宝された。
詳細は
項目参照。
1967年に来日、南海に入団した二塁手。
その前はメジャーに12年在籍し、規定打席到達が9回、ワールドシリーズにも出場した事のある、バリバリのメジャーリーガー。守備に定評があり、どんな当たりも身体の正面で捕球する足運びと、捕球から送球までの流れる動き、ヒット性の当たりを逆シングルで捕球、グラブトスで併殺プレーにする魅せ方も兼ね備えていた。
1969年に現役引退後は1970年に南海のヘッドコーチに就任。
当時、兼任監督の野村克也が
「ブレイザーがヘッドじゃなきゃ監督は引き受けなかった」
「考える野球を教えてくれた恩人」
「自分のID野球の源流はブレイザーにある」
と言わしめる程、大きな影響を与えた。
ブレイザーから
「君が打者の時、ヒットエンドランのサインが出たらどうするか?」
と聞かれ、
「フライと空振りはダメ。
どうにかして打球を転がす」
と答えたが、ブレイザーは
「それだけか?」
と聞き返し、
「まだあるぞ。走者がいるということは必ずセカンドかショートが二塁ベースカバーに入るから、セカンドが入れば一二塁間、ショートが入ったら三遊間方向に打球を転がすんだ」
とさらりと答え、野村は感服した。
広島カープでも元チームメイトの古葉竹識に頼まれてヘッドコーチに就任、古葉は
「ブレイザーの野球を見て本当に勉強になった」
と話している。
阪神で監督に就任したが、岡田彰布の扱いを巡り球団と対立し最終的に退団した。
90年代後半~00年代前半の巨人のレギュラー二塁手。
1996年の大逆転セリーグ優勝『
メークドラマ』に新人として貢献しその年の新人王を受賞。以後2000年、2002年の二度の日本一にもレギュラー二塁手として貢献した。晩年は横浜にも在籍。
彼の移籍以降、吉川尚輝が定着するまで巨人は二塁手のレギュラーを中々固定できずにいたため「仁志の呪い」とも称された。
ちなみに身長171cmと野球選手としては小柄な方なせいか、
各種ギャグ漫画では
ちんまいつぶらな瞳の選手として描かれた。
1988年、常総学院時代に甲子園で始球式の際に打席に立ったが、その始球式をしたのは浩宮親王殿下(現在の天皇陛下)である。
ヤクルトに1993年、1年だけ在籍した外国人二塁手。
魔軍司令ではない
テストを受けて入団し、野村監督から「守備の人」の期待を背負っていたが、シーズン開幕とともにエラーを連発、シーズン中の14失策と守備の評価は大暴落。
しかし打力は高く、打順は8番で規定打席に到達し、打率.300、14本塁打、64打点、出塁率.358、OPS.838で当時は「恐怖の八番打者」として鳴らしていた。
陽キャで、チームに昔から居るようなキャラとして溶け込みムードメーカーとしても活躍。
ミミズを踊り食いしたことから「ミミズ男」と呼ばれているが他にもセミ、
カタツムリ、
ワニも食べた経験がある。
いわゆる「松坂世代」の俊足内野手。
高校時代は投手兼内野手として一番打者で起用されることが多かった。早くから広島スカウトが高く評価をしており、「史上最高の逸材」とまで言われてドラフト1位で入団。1年目の5月から2番2塁でスタメン起用されるなど一身に期待を背負った。
守備に関しては「ほぼ素人の状態」からスタートし、広島伝統の猛特訓を受け、「堅守」と呼ばれるまでに成長したが、本人は「やらされるまま練習したのであまり身に付かなかった」と後悔しているらしい。
同時期に阪神などで活躍した今岡誠と顔立ちがよく似ていることがネタにされたりもした。
00年中盤はオリックス、00年代後半~10年代初頭は阪神のレギュラー二塁手として活躍。
怪我を恐れないアクロバティックなプレーが売りだった反面、阪神時代には前が俊足の赤星憲広だったことから頻繁に送っていたためバント巧者の顔もある。現役晩年はFA権を行使しオリックスに復帰。
現在は台湾プロ野球で監督を務めている。
1980年代半ばから1990年代後半に掛けて、阪急、オリックスで活躍した二塁手。
オリックスが1995年リーグ優勝、1996年日本一になった時のレギュラー。
堅実な守備と小技に長けた俊足巧打が魅力の二塁手。
引退後はオリックスで二軍打撃兼内野守備走塁コーチに就任し、1999年には二軍守備走塁コーチ、2001年にスカウトへ転身。
日ハムで2005年からは二軍内野守備コーチに就任し、2007年には二軍監督を務め、2008年には一軍ヘッドコーチに就き、2009年からは打撃コーチを兼任、2009年のリーグ優勝に貢献している。2012年はヘッドコーチに専念したが、同年シーズン終了後、日本ハムを退団した。
2013年から暗黒時代に入り低迷するオリックスのヘッドコーチや監督に就任するも、成績を残せず、2019年5月28日、新設されるゼネラルマネジャー職に6月1日付で就任することが発表された。また編成部長も兼任しており、ドラフトでは高卒選手を中心に指名するなどチームの再建を図った。
その甲斐もあり、2021年、中嶋聡監督の代にリーグ優勝、2022年には日本一になるなど、GMとして見事な手腕をみせた。
現役時代はロッテ一筋21年で活躍したフランチャイズプレイヤー。
現役時代仕えていた監督の一人であるボビー・バレンタインからも絶賛された芸術的な流し打ちがウリ。この人も三塁、遊撃、外野等あらゆるポジションをこなせるユーティリティープレイヤー。
強肩俊足が持ち味のソフトバンク黄金期の二塁手。
200打席以上たったシーズンは必ず20盗塁を達成するなど盗塁に関してはかなりの貪欲さを見せていた。
2018年引退。平成で最後の任意引退選手となった。
2013年には1試合で12回捕殺を記録。これはプロ野球記録である。
ベネズエラ出身の阪急黄金時代の強肩巧打の二塁手。
MLB経験はなかったものの球団初の日本一に貢献したり、打点王を1度獲得するなど阪急で8年、ヤクルトで3年プレーして引退した。
引退後は巨人の中南米スカウトになり、サンチェを発掘。
しかし、1990年に39歳で急逝。
ちなみに曽祖父が天草出身の日系人であるという説があるが、真相は不明。
遊撃手として東京オリオンズ(ロッテ)に入団。4年目から二塁手にコンバート。パンチ力のある打撃と安定感のある守備で長く活躍。二塁手として通算1883試合の出場は高木守道に次ぐ史上2位の記録である。1979年からは所沢に移転した新生ライオンズに加入し、田淵幸一や野村克也などとともにチーム再建を担うベテランとして活躍。
また、隠し球の名人という一面もある。
南海・ダイエーでプレーした内外野どこでも守れるユーティリティープレーヤー(二塁手としての出場が一番多い)。
全国に40人しかいないとされるレア苗字のため、1度覚えたらなかなか忘れない名前の選手。
ファンの記憶に鮮明に残っているのは、1塁藤本博史、2塁湯上谷、3塁小川史、ショート森脇博司の「内野手全員ひろし現象」ではないだろうか。
現役時代は新庄剛志と共に90年代暗黒阪神の希望の星として活躍。当時のファンは「和田の打率を眺めることだけが楽しみ」などと自虐していた。
引退後は監督に就任し
『スパイス』『奈々』などネタにされることも多いがドラフト会議で4球団競合の中
藤浪晋太郎を引き当てたり、2014年はリーグ優勝した巨人をCSで下して日本シリーズに進出するなど監督として一定の功績は残した。
口調の強いファンを持つ弱小球団で鍛えられたのかメンタルおばけであり、上記の不倫時も相手からの脅しに全く動じなかったり、監督在任中は「負けても帰宅ルートを変えれば引きずらない」と話したり、退任後も球団に残留しその後現場復帰したりとタフすぎる面白エピソードも多々。
家族も家族で、妻は不倫されたので離婚したのに「モノマネより本物を見たほうがいい」と一緒にコンサートにいったり、息子は父親の上記のネタを弄って思いっきり怒られたり、娘は父親への罵声飛び交う甲子園でビールの売り子をしていたりと鋼メンタル一家となっている。
横浜史上最強の助っ人外国人選手。
90年代の
マシンガン打線の四番打者で98年日本一にも貢献。外国人選手としては珍しく強肩を活かした二塁守備にも定評があった。
99年には『
打率369、37本、153打点』ととんでもない成績を残している。
電撃復帰→キャンプ中に電撃退団という行動でファンを唖然とさせたロッテ時代は黒歴史。
【主な実在選手-特別編】
甲子園史上最高の二塁手として高校野球ファンであれば真っ先に思い浮かべる方もいるだろう彼を、特別編として少しだけ紹介したい。
2008年夏、一人の小柄と言ってもいい高校生が注目を浴びた。
一二塁間を縦横無尽に駆け回り跳び回り、打球をことごとく押さえ込んだ守備。
その鮮やかかつ圧倒的な守備力に対して名言が生まれた。
「セカンドに打ってしまえは望みはありません!」
彼の名は町田友潤。静岡県代表、常葉菊川の正二塁手。
チームは決勝で惜しくも敗れるも、その後まとめ動画が驚異的な閲覧数を叩き出す。しかもこの一連の動画、2008年夏のたった5試合だけのものだと言う驚き。
現代の赤い忍者 広島の菊池が脚光を浴びる数年前、既に甲子園に忍者はいたのである。
もちろん野球ファンは彼の将来に期待を寄せたのだが…
…彼は一般人のため、ここでは敢えてその後は記しません。興味のある方は検索をお願いします。
【主な架空の選手】
漫画『最強!都立あおい坂高校野球部』に登場する二塁手兼投手。
身長は160cmと小柄だが、選球眼に優れ、器用なバットコントロールで長打を打つ技術や際どい球をカットし、相手の隙を逃さずに突くことが出来る粘り強い打者。
俊足でグラブ捌きも上手い。
反面、幼少時に父と騎手になるとの約束があり、食事制限による減量で、スタミナが無いのが難点。
チームでは一番を打つ。
水島新司の野球漫画『
おはようKジロー』の主人公。
廃部状態であった野球部を立て直し甲子園にも出場した。
『
ドカベン』にも登場している。
漫画『BUNGO -ブンゴ-』のヒロイン。
右投右打の二塁手。
主人公•石浜文吾が静央シニアに入団した時の指導役で、プレーにおける基本動作などを教えた。
男勝りで喧嘩っ早い性格だが、女子選手としての進路に悩んでいる。
身体能力の不利を技術で補っている技巧派。
本人は文吾が好きなのだか、文吾にその自覚が無い。
実は結構モテてチームの内外に想いを寄せている男子は多いのだが、本人にその自覚が無い。
漫画『4P田中くん』に登場する二塁手。
主人公・田中球児が在籍する栄興学園・秋の新チーム選考会から登場する。
主人公とは同学年。
選考会で登板する転入生・ボブ牧田の速球に挑む者として立候補。
監督に果敢な挑戦者としての精神を認められて、新チームの二塁手レギュラーになる。
小柄な体格ながら、100m走は11秒と瞬発力があり、身のこなしが軽く肩も強い。
対戦相手の錦糸高•黒崎の分析は
「小技が上手く、速球も甘く入るとスタンドに叩き込む怖さがある。
小柄な身体をカバーする根性も人一倍強いが、根性が仇となり、バッティングを形通りの一つ覚えにする」
と融通の利かない頑固な部分を指摘している。
新入部員歓迎会で暴れる選手にキレるなど、激情家な一面がある。
漫画『
ダイヤのA』の主要人物。
兄の涼介は主人公沢村栄純の二学年上の先輩。弟の春市は同級生で友人関係。
ピンク色の髪が特徴で選手としてのタイプは若干異なるが両者共青道のレギュラー二塁手。
同じく『パワプロ』に登場する二塁手。
おばあちゃんと二人暮らしで貧乏生活という、現代で言うところのヤングケアラーに近い身の上。だが学業・野球・バイトをある程度両立させているうえ、それを思わせない明るい性格をしている。あとどういうわけかコラボより前に出てきたのに上述の小湊(涼)に顔がそっくり
選手能力も得意苦手がはっきりしたメンバーが多いとき青では数少ないバランスタイプ。調子極端は他メンバー同様にある
ちなみに初登場作品ではベイスターズにドラフト指名されたことになっているものの、今のところ初出作品以外でこの設定が使われたことがないため今も残っているのか不明。
同じく水島新司の有名野球漫画『
ドカベン』の主要人物。『
づら』の人。おそらく日本で一番有名な架空の二塁手。
元々はピアニストであったが、山田太郎の妹サチ子との出会いで野球を始め、巧打巧守の二塁手として活躍する。
実は明訓ナインでおそらく唯一、実際の球団所属者に求められて『プロ野球編』のプロ入り先が決まったキャラクターでもある。
漫画『クロカン』に登場する二塁手。
鷲ノ森高校編から登場する。
県外からの野球留学生で、初球から積極果敢に甘く入る球を狙うスイッチヒッターで、塁に出れば牽制の癖を見抜いて次の塁を脅かし、守れば堅実なボール捌きでピッチャーを援護するなど1年生の夏から活躍。
しかし、1年生で出場した夏の選手権大会準決勝でサヨナラエラーをしてしまい、先輩達の夏を終わらせてしまった事が精神的後遺症として残る。
自身が三年生の卒業と同時に学校が廃校になる前、二年生の秋に主将に就任。
サヨナラエラーの後遺症も克服し、敗北寸前でチームの和も崩壊しそうなピンチでも絶対に諦めず、精神面でも味方を勝利へと導く強メンタルの持ち主して覚醒し、キャプテンとして監督からの信頼も絶大。
部員が13人のみとなる最終学年では、少人数で選手交代も気軽に出来ないため、全員が複数のポジションで守備が出来るように鍛え、打線も強打のチームに育成し、その年の秋季大会に優勝、関東大会はベスト4まで進み、これが評価されて春のセンバツへ出場、ベスト8に進む。
夏に向けて土壇場での精神面も鍛え直され、夏、鷲ノ森高校にとって最後となる大会において、3年生13人だけしかいない部員達で遂に全国制覇を成し遂げることとなった。
『実況パワフルプロ野球シリーズ』に登場する二塁手。初登場は13。
能力が高水準で特に守備力に関しては類を見ない実力者だが、内面は他人を破滅させる事を好む
悪漢。
勿論制裁を下すことも可能…なのだが、破滅させたほうが良い結果になったとか、バグで卒業後もチームに残ったりとか、そもそもチームメイトとしては普通に役立つとかで一気に
ネタキャラになった。
その為か後年の作品では「先輩から『伝統ある帝王に泥を塗るな』と釘を刺される」「相手が素直すぎて呆れ果ててしまい真剣に野球に取り組む」「騙そうとするのを見抜かれても余裕綽々だが彼なりに敬意を払う」と、悪役なのには変わりないが救いようの無いほどの邪悪ではない…というキャラ付けにされている。
まあ本当に蛇島すら及ばない極悪人にしてパワプロから出禁扱いされた奴が13にはいたし。
一方でパワプロキャラにしては珍しくセカンド専属だったり、こんな性格なのに「ムード◯」だったりと能力値にもギャップがあり、
炎上三兄弟長男の友沢亮を投手の道に進ませず野手へと導くなど後輩想い?の一面も。
パワフェス等では数少ない安定して守れる二塁手でもあるので
よく最終メンバーに残る。
遊撃手は数多にいるのに。
詳細は
項目参照。
漫画『
キャプテン』に登場する二塁手。
作中における2代目の主人公であるが、下の名前は設定されていない。
プレースタイルは俊足巧打で小技が上手く、守備範囲が広く、グラブ捌きが上手いセカンドのテンプレみたいな選手。
作中では谷口の後を受けてキャプテンに就任。
谷口真理教の教祖という感じで谷口の人柄と姿勢を最も尊敬しており、上下関係に厳しく、谷口のやり方を絶対としていた。
何かと短気を起こす場面が多く、一つ後輩のイガラシを「サルかラッキョみたいな顔」とけなしたり、
自分がキャプテン就任後は持ち前の強い熱意でチームを引っ張るが、
新入生である近藤の間の抜けた態度に暴言を吐いたり
金属バットで頭を殴る、
さらにその後の試合では終盤に近藤のミスで試合に負けた際には整列も終わってない中、
大勢の観客が見ているにもかかわらず「てめえのせいで負けたんだぞ!!」と怒鳴る、
等々、かなりキャプテンとして問題がある様子が見られた。
その後、チームメイトからキャプテンを解任までされたが、キャプテンに再就任すると夏の全国大会優勝を果たすため、選抜出場校に掛け合い36チームとの練習試合を組み、全勝するためのスパルタ合宿を慣行。
部員の大半がハードスケジュールに耐え切れずに脱落しながらも合宿を乗り越え、見事36戦全勝を果たす。
夏の大会は地区大会を圧倒的な力で勝ち進み、決勝で春の選抜優勝校・青葉学院と対戦。
事実上の全国大会決勝ともいわれたこの試合を延長18回の死闘の末に制するが、この試合でほとんどの部員が負傷。
それに代われるだけの選手がいない層の薄さが災いし、全国大会を棄権した。
中学卒業後も、試合ではベンチの上からアドバイスを出したり、応援団の統率や対戦相手の情報を集めたり、野球部の合宿の面倒を見たりなど、良き先輩として野球部を支え続けた。
スピンオフ作品『プレイボール』では、谷口を追って墨谷高校を受験するも不合格になり、朝日高校に入学して軟式野球部で活動。
後に墨谷高校の編入試験に合格し、同校の野球部に入部。
紆余曲折を経て谷口の後の野球部キャプテンになる。
続編である『プレイボール2』『キャプテン2』でもセカンドとして活躍。
近藤やイガラシとはまたもチームメイトになったが、人間的にも成長したためか怒鳴ったり暴力を振るったりなどの描写はなくなった。
谷口引退後のチームは、先の事を考えない猛練習第一主義でオーバーワークが祟りチームは秋のブロック大会初戦敗退。
賀茂港「仲間がいたwww」
チームは空中分解寸前と中学時代と同じ過ちを犯す。
そんな中、学校側の思惑もあり、浪人生の谷口が墨谷高校野球部監督として就任する。
半田「谷口さん、このチームをまとめて下さい」
その結果、丸井は墨谷高校野球部を甲子園に導いたキャプテンとして名前が刻まれるコトになる。
漫画『H2』に登場する二塁手。
主人公国見比呂の同級生であり、舞台となる千川高校の校長の息子でもある。
父親の高校野球嫌いにより野球は中学までと約束していたが、なんやかんやあって千川高校野球部創立に貢献し、自らの野球への熱意を父親に伝え野球部へと入部した。
状況に応じたシュアなバッティングや軽快かつ堅実な守備、バントやファールカットに逃げる小技もうまく足も速いという「2番セカンド」の理想像とも言える選手。
追記・修正は二塁手に詳しい人に補足して貰えると助かります。
- 身体能力に加えてテクニックやセンスが問われるポジション。殿馬の影響だけど2番セカンドは浪漫だわ -- 名無しさん (2024-08-16 18:51:45)
- 吉川尚輝の内容薄すぎて笑った -- 名無し (2024-08-16 19:41:11)
- ヤクルトはハドラー、土橋、田中浩、山田哲人と二塁手の当たりが多い気がする。 -- 名無しさん (2024-08-16 23:18:46)
- バントプレス時の一塁カバーやランナー二塁時のピックオフのわちゃわちゃした動き等何気に運動量がエグい -- 名無しさん (2024-08-17 14:14:42)
- MAJORの藤井なんかも中々印象に残るイメージ。エラー率凡打率が目立つも、ここぞの時で活躍したり、2ndでも今でも普通に登場したりと、 -- 名無しさん (2024-08-17 14:20:58)
- 極端な守備シフトでサードに守備負担を分散できたから打撃型を採用する余裕があった時期もあったね。 -- 名無しさん (2024-08-18 03:06:02)
- 浅村と中村は今季からサードだしそっちに書いたほうがよくない? -- 名無しさん (2024-08-18 17:52:50)
- 80年代はミスターの影響で三塁手が花形ポジで飽和してたのでルーキー時代の原辰徳やロッテ時代の落合博満などチーム事情で転向させられた選手が多かった。その中でも岡田彰布はキャリア通じて長らく二塁を守ったので強打型の元祖となった -- 名無しさん (2024-08-20 00:13:37)
- 後ここに書けそうな架空選手は、ルーキーズ の御子柴あたりかな? -- 名無しさん (2024-08-21 06:10:27)
- スネ夫ってジャイアンズだとキャッチャーだけど、イメージ的にはセカンドだよな(前任の中の人が殿馬と同じだからという訳ではない) -- 名無しさん (2024-08-24 00:50:28)
- 小坂のセカンドはほんまもったいなかった -- 名無しさん (2024-12-31 02:39:17)
最終更新:2025年03月21日 23:09