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二塁手(セカンド)

登録日:2024/08/16 Fri 14:50:00
更新日:2026/08/09 Sun 19:57:22
所要時間:約 10 分で読めます




二塁手(セカンド)とは、野球もしくはソフトボールのポジションの一つである。



【概要】

野球やソフトボールにおいて、二塁を守るポジションである。
守備位置番号は「4」番。英語表記は「Second-baseman」で略称は「2B」。
捕手遊撃手中堅手と合わせてセンターラインを形成し、その内でも遊撃手と共に内野の守備を担う。

【主な役割】

一塁手三塁手と異なり、通常は塁の付近ではなく一塁と二塁の間を守備位置とするのが特徴。守備位置的には遊撃手とは対になる存在となる。

内野の花形が遊撃手なら内野の司令塔とも言えるポジションが二塁手である。
相手打者が犠打を試みた際のベースカバーや、外野手が返球した際の中継プレー、捕手からのサインを外野手へ伝達したりする等仕事は多岐に渡り、適切な状況判断力と広い守備範囲が求められるポジションであり、併殺を取る際には遊撃手との連携プレーも必要不可欠である。
このへんの理由から、いわゆる「打線組んだ」ネタや創作物においては派手さは無くとも堅実な職人タイプの選手や、チームのムードメーカー的な選手といったイメージを持たされることも見られる(後者は後述する殿馬や茶来などが例*1)。身体能力の高さや単純な野球センスが第一となる遊撃手とはいい意味でも対になるポジションとも言えるだろう。

一方、守備位置が一塁に近いことから遊撃手や三塁手程肩の強さは求められない為、少年野球や草野球では小柄で肩が強くない選手が守ることが多く、遊撃手と比べると身体能力では劣る選手がついているケースが多い*2。逆に言えば、二塁手がかなり上手い場合、そのチームは相当強いと見積もることもできる。
ただし、一塁悪送球に対するベースカバーは一番多くなる傾向にあるポジションである。

無論、プロレベルになると相手走者のレベルもアマチュア野球と比べ物にならないぐらい高いため、弱肩では務まらず遊撃手程ではないにせよ一定の肩の強さは求められる。


【ポジションとしての特徴】


  • 前述の通り広い守備範囲が求められるため、どちらかといえば長距離バッターよりも俊足巧打タイプの選手が多い。
    その為、このポジションから本塁打王や打点王のタイトルホルダーが出るケースは少ない。

  • しかしクリーンアップを打てる強打型の選手がいないわけでなく、近年では打線の主軸を務める二塁手も少なくない。
    遊撃手と並び守備が重視される二塁にクリーンアップを打てるような強打の選手を置けることはチームにとって大きなアドバンテージになるため、守備力が一定以上ありかつ強打の二塁手の需要は高い。

  • 二塁を守れる選手は守備力が高く器用な選手が多いことから三塁や外野など他のポジションを守れるユーティーリティプレイヤーも多い。著名なところでは、落合博満も二塁を守っており、プロ野球20世紀ベストナインでは二塁手名義で選出されたほど*3

  • 肩の強さや送球に不安はあるが広い守備範囲を誇る遊撃手の場合、守備範囲の広さを生かせるということで二塁へとコンバートされる元遊撃手は一定数存在している。

  • 遊撃手程ではないが広い守備範囲が求められるポジションなので加齢や怪我により身体能力の低下などで守備範囲が狭まってくると守備負担の少ない一塁手や三塁手にコンバートされることも多い。

  • 遊撃手との連携が求められることから言葉が不自由な助っ人外国人がこのポジションにつくことは一塁や三塁と比べ多くはないが、いないわけではなく捕手よりかは存在している。*4

  • 一塁手ほどの強打や遊撃手や三塁手と比べて肩の強さが求められないことから、日本人内野手が現時点で唯一MLBでレギュラーを獲得した事例があるポジションである。
    • 逆に言えばMLBで二塁手を守れるなら、基本的にNPBではバッテリー以外のどこでも守れる器である。

【主な実在選手】

(五十音順で表記)

《現役選手》

  • 浦田俊輔
読売ジャイアンツ所属。
2024年オフのドラフト会議で2位指名され巨人に入団した俊足巧打の二塁手。
吉川尚輝の故障&不振をついて、2026年は出場機会を大幅に増やし、現時点では盗塁王&新人王の同時受賞も夢ではない活躍を見せている。

  • 菊池涼介
広島東洋カープ所属。
二塁手として歴代最多にして10年連続でゴールデングラブ賞10回獲得と、守備力のみならNPB歴代最高と言っても過言でない常人離れした守備が持ち味。
守備に目がいきがちだが最多安打のタイトル獲得経験もあるなど打力も高い。
カープファンからは『赤い忍者』と呼ばれ親しまれている。

  • 小深田大翔
東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
2020年の新人年からレギュラーに定着し、同年の新人王こそ惜しくも平良海馬に譲ったが記者投票の内容は僅差であった。以後もレギュラーを守り、2023年には盗塁王を獲得した。

  • 外崎修汰
埼玉西武ライオンズ所属。
内外野守れるユーティリティーさとパンチ力ある打撃を兼ね備えた選手。青森県出身で実家は林檎農家。
公式媒体であるパ・リーグTVではTONOSAKIシリーズとしてライオンズナイスプレー・珍プレー集を一手に引き受ける。

  • 中野拓夢
阪神タイガース所属。
ドラフト6位指名と入団当初の評価は高くなかったが、一年目から即戦力内野手として活躍。当初は遊撃手だったが監督の岡田彰布の意向で二塁手へ転向し、二塁手のレギュラーとして2023年の38年ぶり阪神日本一に貢献した。
ファンにはたまにパチリスに描かれる。

  • 中村奨吾
千葉ロッテマリーンズ所属
千葉ロッテのレギュラー二塁手で、2018年~2021年まで全試合出場と怪我に強いタフさが売り。ゴールデングラブ3回受賞と守備力も持ち味。

  • 牧秀悟
横浜DeNAベイスターズ所属。
ドラフト2位の即戦力内野手として入団し、新人王こそ広島の守護神栗林良吏に譲ったが、新人年から規定打席到達&3割20本と新人とは思えない結果を残し、2023年は打点王*5と最多安打の二冠に輝くなど、瞬く間に球界を代表する強打の二塁手になった。

  • 牧原大成
福岡ソフトバンクホークス所属。
内外野どこでもこなすユーティリティープレイヤーで、その万能さを買われ2023年のWBC日本代表にも選出された。育成選手出身の叩き上げで、同期育成枠入団が投手三冠達成者の千賀滉大(現MLBメッツ)、ゴールデングラブ賞通算7度受賞の名捕手甲斐拓也(現巨人)と、今振り返ればとんでもない育成ドラフト出身の一人。

  • 山田哲人
東京ヤクルトスワローズ所属。
全盛期の10年代中盤~後半は前代未聞のトリプルスリー(3割30本30盗塁)3回、本塁打王&盗塁王を同時獲得とNPBでは無敵と呼べる活躍をしていたが、近年は故障の影響からか全盛期と比べると精彩に欠ける場面も増えている。
また全盛期のころの容姿が現役当時の真中満*6によく似ていることも指摘されており、「山田も将来的には今の真中さんみたいなつば九郎と区別が困難なオッサンになるのではないか」という懸念まで存在している。そうはならんでしょう。

  • 吉川尚輝
読売ジャイアンツ所属。
現在の巨人のレギュラー二塁手。当初は怪我が多かったが2022年以降は3年連続で規定打席に到達するなどレギュラーに完全定着し、90年代後半~00年代前半に仁志敏久が務めて以降誰も定着できなかった巨人の二塁手における『仁志の呪い』は彼の台頭によりようやく終止符を打つことができた。しかし最近は上記の浦田俊輔の台頭によりレギュラーを奪われかけている。

《OB選手(NPB経験者)》


  • 荒木雅博
現役時代は中日ドラゴンズ一筋で活躍し、00年代中盤の中日黄金期を支えた。
ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞6回、盗塁王1回、日本シリーズMVP(2007年)の他、通算2000本安打も達成。
遊撃手の井端弘和とのコンビは『アライバ』として球史に名を刻んだ。通算378盗塁は球団史上1位。

  • 井口資仁
現役時代は走攻守三拍子揃った内野手として活躍。
プロ入り後はホークスで遊撃手を務めていたが転向し「ダイハード打線」の一員としてチームの主軸に。
その後MLBでもシカゴ・ホワイトソックスで二塁手のレギュラーとなり、ワールドシリーズを制覇。
NPB復帰の際はロッテに入団し、2010年の『史上最大の下剋上』時も中軸として日本一に貢献。
引退後即ロッテで監督を務め、5年の任期で2回CSに出場した。

暗黒真っただ中の横浜ベイスターズ末期→上昇気流に乗り始めた横浜DeNAベイスターズ初期に活躍。
横浜高校出身ということもあり俊足を武器として期待を集め、DeNA初代キャプテンも務めた「未完の大器」というべき選手。
詳細は項目参照。

  • 今岡誠
現役時代は主に阪神で活躍。時に悪球をも苦にしない巧みなバットコントロールが持ち味だった。
当初は指揮官である野村克也と相性が良くなかったのもありややパッとしなかったが、監督が星野仙一へと変わり一番打者に起用されると一気に覚醒。2003年には打率.340で首位打者を獲得するなど阪神18年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
2005年には守備の負担軽減のため三塁手にコンバート。打順も五番となりシーズン147打点を挙げて打点王を獲得(打率3割に届いていない選手が打点王は当時42年ぶり2人目)*7。打点製造機として存在感を発揮し、チームをリーグ優勝に導いた。
以降は故障などもあり成績が低迷。晩年はロッテにも在籍した。
現在は阪神タイガース一軍打撃コーチを務める。名前表記は『今岡真訪』。

  • 大石大二郎
80年代の近鉄で切り込み隊長として活躍した公称身長166㎝の俊足選手。
83年に盗塁王を獲得し、福本豊の連続盗塁王記録を13年で止めた。
84年の球宴では江川卓の9者連続奪三振を阻止。このシーズンは1120gの超重量バットを使用し、シーズン29本塁打を記録した。
引退後はフジテレビ系列の野球解説者やコーチ、オリックス・バファローズの監督も経験した。

  • 仰木彬
近鉄とオリックスの監督のイメージが強いこのお方も、現役時代はあの西鉄野武士軍団の一員の二塁手だった。
打順は7番が定位置と目立つ存在ではなかったが、故に脇役選手の重要性を理解しており、監督となってからの調子や相手投手との相性に合わせてスタメンを目まぐるしく変える起用法は「仰木マジック」とも呼ばれた。
また、彼が抜擢した野茂やイチローのその後については多くを語る必要性はないだろう。

  • 岡田彰布
ご存じ『どんでん』『ノムカン』『そらそうよ』。
現役時代は85年チーム初の日本一の立役者となるなど強打の二塁手だった。伝説の「バックスクリーン3連発」の3人目もこの人。
引退後は阪神の監督として日本一も経験し、選手・監督の両方で僅か二度の阪神日本一に立ち会った。
「この応援歌、久しぶりに聞いたわ(笑)*8
一方で藤川球児に後事を任せてフロント入りして以降、「呼吸補助の医療器具が必須の様子らしい」「入院した」などが報道されており、阪神ファン以外からも体調が強く心配されている。

  • 緒方耕一
1980年代末〜90年代に巨人で活躍。右投両打。
爽やかなルックスのイケメン選手で、女性ファンからの人気が特に高かった。
熊本工から1986年ドラフト6位で入団後、持ち前の俊足を活かすべくスイッチヒッターに転向。175cm・68kgという細身の体型ながら、プロ3年目の89年には早くも一軍に台頭する。打数は少ないながらも打率3割をマークし、プロ初本塁打はランニングホームランで記録した。
翌年からはトップバッターに定着し、二塁の他に三塁・遊撃・外野も守れるマルチプレーヤーとして活躍。走塁にも磨きをかけ、1990年・93年と2度にわたって盗塁王を獲得するなど、機動力に乏しい当時の巨人にとっては存在価値の高い選手であった。
チームが日本一になった94年には、2勝2敗で迎えた西武との日本シリーズ第5戦でシリーズの流れを決定づける決勝満塁ホームランを放っている*9
だが故障も多く、翌95年からはチームの巨大補強路線も重なって一軍出場が激減、ケガが本格的に悪化した98年に30歳の若さで引退となった。
引退後は巨人・日ハム・ヤクルトでコーチを務め、2009年のWBCにも一塁コーチで帯同し、日本代表の世界一に貢献。現在は野球解説者。解説者としてのキャッチフレーズが「マイクを持った盗塁王」だった事は内緒だ。
ちなみに、広島の緒方孝市とは名前以外にも共通点(同い年・九州出身・イケメン・盗塁王・内外野兼任)が多いが、特に親戚とかではない。

00年代中盤~10年代初頭の西武でレギュラーを務め盗塁王を4度獲得した二塁手。
後にFAで巨人に移籍したが正二塁手に定着するまでには至らず、引退後は巨人でコーチも務めた。嫁はタレントのベッキー。
詳細は項目参照。

主な守備位置は二塁だが、投手以外ならどこでも守れた球史に残るユーティリティープレイヤー。その万能さを買われ04年のアテネ五輪では日本代表にも選出された。
2010年にクモ膜下出血により37歳の若さで急逝。
詳細は項目参照。

オリックス・楽天で活躍した選手。メインである二塁の他に、三塁・遊撃・外野でもスタメン出場していた。
ドラフト10位入団でありながら主力にまで上り詰め、攻守にわたる良い意味でも悪い意味でもエキサイティングなプレーでファンを沸かせた、人呼んで「球界のファンタジスタ」。
詳細は項目参照。

  • 篠塚和典(篠塚利夫)
80年代の巨人の主力選手。現役時代は芸術的なバッティングと華麗な守備が売りで玄人好みの選手だった。
入団当初、一塁には王貞治が構えていたので、ビビッてイップスになりかけたと自虐している*10
現代に至るまで、篠塚の使っていたバットとグローブを参考に自分モデルとして使用している選手が多い。
バットはヘッドを軽量化、通常よりかなり極細で使いこなすには相当の技術を要するが、イチロー、立浪和義、石井琢朗、前田智徳など左打ちの名だたるアベレージヒッターは篠塚モデルに大いに影響を受けている。
グローブは「素手でとる感覚」を重視して、とても小さいものを手袋をせずに使用していた。

  • 正田耕三
首位打者、盗塁王、ゴールデングラブいずれも獲得経験があるなど走攻守三拍子揃った二塁手として、80年代後半~90年代のカープ黄金時代を支えた。
現状、少なくともNPBが2リーグになってからでは唯一の「ホームラン0本かつ規定打席到達で首位打者になった選手」
引退後は国内外の様々なプロ球団でのコーチを経て、2026年現在はAmazonで社業に就きながらアマチュア野球の指導者をしている。

  • 白井一幸
主に80年代の日ハムで活躍したスイッチヒッターの二塁手。
引退後はヤンキースへコーチ留学し、メンタルの重要性などを学び、帰国後説いて回ることに。
その活動は野球界にとどまらず、講演活動や一般企業の研修講師で全国各地を飛び回ったり、北海道銀行フォルティウス(カーリングのチーム)のメンタルコーチを務めたり、バスケットボールBリーグのレバンガ北海道のアドバイザーに就任したり、はたまたWBCでヘッドコーチやったり、北海道医療大学の客員教授になったり、ジャニーズ事務所の社外取締役に就任したり現在多忙を極めている。

  • 高木守道
2代目ミスタードラゴンズ*11。現役時代は中日ドラゴンズ一筋で活躍し、『プロ野球史上最高の二塁手』に挙げる人も多い。
ドラゴンズへの愛着も強く、引退後は中日の監督も複数回務めて1994年の巨人とのリーグ優勝決定戦10・8決戦にも立ち会った。その後も断続的に監督に就任したり退いたりを繰り返したのち、2020年他界。監督時代に呼ばれることが多かった愛称『ジョイナス』は蔑称とも取れるので注意。

  • 高木豊
横浜の前身である大洋ホエールズで活躍。シーズン打率3割越えを8度も記録するなど、俊足巧打の選手として名を馳せた。
屋敷要・加藤博一とともに走りまくる1~3番を組み『スーパーカートリオ』と呼ばれたが、実は高木のみ盗塁成功率が高くない
息子が3人共Jリーガーである為サッカーにも造詣が深く、サッカー解説も可能なプロ野球解説者。最近は里崎智也と並びYoutuberとしてヒットした元プロ野球選手として名が上がることが多い。

  • 高須洋介
近鉄に入団し、後に東北楽天ゴールデンイーグルス創設メンバーの一人となる。
得点圏打率が非常に高く、野村監督から「必殺仕事人」と評された。
チームメイトのリック・ショート選手、及び当時の皇太子さま(現在の天皇陛下)と顔が似ていたことから「やんごとなきお方」とネタにされ、前述の得点圏打率の高さを讃える意味も込めて「殿下」の愛称でも呼ばれた。

3代目ミスタードラゴンズ』。当時高校野球の名門だったPL学園からドラフト1位指名で中日ドラゴンズに入団、即内野手のレギュラーに定着し高卒新人野手として新人王・ゴールデングラブを受賞*12
その後はNPB歴代最多の二塁打を放つなど野球エリート街道を常に歩んできており、中日ドラゴンズ一軍監督も経験している。
詳細は項目参照。

  • 田中賢介
現役時代はNPBでは日ハム一筋で活躍し、北海道移転後のチームの中心選手として5度のリーグ優勝に貢献、MLBでのプレーも経験した。
引退後は、NHKの野球解説者として活動している。

土橋勝征の後に活躍したヤクルトの二塁手。中日ドラゴンズ現投手コーチの山井大介は生き別れの双子ではない
詳細は項目参照。

  • 辻発彦
80年代後半~90年代前半の西武黄金時代の二塁手。
三塁ベースコーチの伊原春樹との連携によって生まれた、1987年日本シリーズの「伝説の走塁*13は、ライオンズ70周年の際に「ファンが選ぶ名シーン」の1位に選出された。
走攻守どれをとっても非常に高いレベルの選手であったが、右打ちは得意でありながらバントは大の苦手という意外な一面も。
Gグラブ8回受賞は菊池涼介の10回に次ぐ。現役晩年はヤクルトに移籍し、大ベテランながらレギュラー二塁手として活躍。引退後は西武で監督も務めた。

  • 土井正三
巨人Ⅴ9時代の二塁手で、玄人好みの打撃と堅守が持ち味だった。
また、1969年阪急との日本シリーズでの「奇跡の走塁」はあまりにも有名。
引退後、巨人コーチ時代に中畑清を「絶好調男」にさせたことで知られるが、指導者キャリアでもっとも有名な事象はオリックス・ブルーウェーブ初代監督時代の「イチローを見いだせなかった」というイメージではなかろうか。
この他にも、阪急ブレーブス時代から築き上げてきたチームのスタイルを蔑ろにしてまで巨人流を押し通そうとする姿勢が目立ち、当の阪急時代からの選手やファンを中心に反発を招いていた*14等、在任期間中全てAクラス入りの実績とは裏腹に監督としての評価は散々であった。
もっとも、実際のところイチローに対しては性格面や振り子打法に難色を示しつつも、素質としては「福本豊の後継者になれる、リードオフマンを15年張れる逸材」と高く評価していたという。そもそもイチロー入団時の外野陣は高橋智、本西厚博、藤井康雄を中心として分厚い層が形成されており、そんな中に割り込んでイチローがスタメン起用されるなど、野手転向して間もない高卒選手としてはかなり厚遇されていた。
イチロー側も土井を好意的にみている節があり、不仲説についてはたびたび否定している他、父の鈴木宣之氏も「土井さんのおかげでエネルギーが溜まって3年目で爆発できた」と述懐し、感謝を表している。

レックス・ハドラーの後に活躍したヤクルトの二塁手。
ID野球の優等生』として野村克也からも重宝された。
詳細は項目参照。

  • 笘篠賢治
1988年オフのドラフト3位で中央大学からヤクルトに入団。大学時代は外野手であったが、プロ入り後は主に二塁手として起用された。
両打ちと快足を武器にルーキーイヤーから二塁手のレギュラーを獲得、同年は32盗塁をマークして見事セ・リーグ新人王に輝く。盗塁王のタイトルも確実視されていたが、なんとシーズン最終戦で広島の正田耕三が6盗塁をマークし*15まさかの逆転で逃してしまった。
2年目以降は、監督に就任した野村克也と野球観が合わずレギュラーを剥奪されてしまうが、内外野を守れるユーティリティとして活躍、90年代のヤクルト黄金時代を支えた。
兄・誠治も西武でサブレギュラーとして活躍しており、1992年・翌93年の日本シリーズでは兄弟対決として話題になった。よっ、便利屋兄弟。
晩年は広島に移籍し、2年間プレーした後で引退。広島でのコーチ業を経て、2026年現在は野球解説者として活動している。コーチ時代には金本知憲に積極的な盗塁を勧め、そのお陰もあって彼はトリプルスリーの偉業を達成したという逸話がある。
妻は元アイドルタレントの松本典子。ちなみに、苗字の漢字は「苫」ではなく『笘』である(現役当時のメディアでもよく誤植が見られた)。

  • 仁志敏久
90年代後半~00年代前半の巨人のレギュラー二塁手。
1996年の大逆転セリーグ優勝『メークドラマ』に新人として貢献しその年の新人王を受賞。以後2000年、2002年の二度の日本一にもレギュラー二塁手として貢献した。晩年は横浜にも在籍。
彼の移籍以降、吉川尚輝が定着するまで巨人は二塁手のレギュラーを中々固定できずにいたため「仁志の呪い」とも称された。
ちなみに身長171cmと野球選手としては小柄な方なせいか、各種ギャグ漫画ではちんまいつぶらな瞳の選手として描かれた。
1988年、常総学院時代に甲子園で始球式の際に打席に立ったが、その始球式をしたのは浩宮親王殿下(現在の天皇陛下)である。

短距離打者のイメージがあるが、1番バッターの癖にシーズン2桁本塁打8回、シーズン20本塁打3回を記録しているため、当時の阪神が暗黒時代であったことを考えるともしかすると阪神に入団していれば4番を打てる器だったかもしれない。

  • レックス・ハドラー
ヤクルトに1993年、1年だけ在籍した外国人二塁手。魔軍司令ではない。
テストを受けて入団し、野村監督から「守備の人」の期待を背負っていたが、シーズン開幕とともにエラーを連発、シーズン中の14失策と守備の評価は大暴落。
しかし打力は高く、打順は8番で規定打席に到達し、打率.300、14本塁打、64打点、出塁率.358、OPS.838で当時は「恐怖の八番打者」として鳴らしていた。
陽キャで、チームに昔から居るようなキャラとして溶け込みムードメーカーとしても活躍。
ミミズを踊り食いしたことから「ミミズ男」と呼ばれているが、他にもセミ・カタツムリワニなども食べた経験がある。
アメリカに帰国後はMLBに復帰し、エンゼルスやフィリーズで主に1番打者として活躍。1998年まで現役を続け、現在は野球解説者として活動している。

  • トニー・バナザード
南海・ダイエーで活躍したプエルトリコ出身の二塁手。右投両打。MLB通算1065試合出場という実績を引っさげて入団。
1年目の1988年は打率.315、20本塁打の好成績をマーク。翌89年は打率こそ.271と下がったものの34本塁打を放ち、打撃面では期待どおり申し分のない活躍を見せた。3年目の1990年は新監督の田淵幸一との確執や、自身の故障もあって出場機会が減り、同年オフに退団となった。
真面目な性格ではあったが大変に気性が荒く、当時を知るファンはプレーそのものより度々巻き起こす乱闘劇の方が印象深いだろう。引退後はアメリカで代理人などをやっていたが、やはりそちらでも口論・暴力沙汰を起こし結局廃業に追い込まれてしまったようである。
一応フォローしておくと、試合外でのファンサービスには気さくに応じてくれたらしく、また内野ゴロでも全力疾走を欠かさないそのプロ意識の高さは、後述の湯上谷宏や藤本博史といった当時の若手選手にも好影響を与えていたとのこと。

  • 東出輝裕
いわゆる「松坂世代」の俊足内野手。
高校時代は投手兼内野手として一番打者で起用されることが多かった。早くから広島スカウトが高く評価をしており、「史上最高の逸材」とまで言われてドラフト1位で入団。1年目の5月から2番2塁でスタメン起用されるなど一身に期待を背負った。
守備に関しては「ほぼ素人の状態」からスタートし、広島伝統の猛特訓を受け、「堅守」と呼ばれるまでに成長したが、本人は「やらされるまま練習したのであまり身に付かなかった」と後悔しているらしい。
更に一軍定着から数年間は遊撃として起用されていたが、隣に同期の新井さんがいたため広島の三遊間は滅茶苦茶だった。
とはいえ二塁手としても守備範囲こそ広いが失策も多く、盗塁技術や長打もあまりないことから「あへ単」の代表格としても扱われている。
同時期に阪神などで活躍した今岡誠と顔立ちがよく似ていることがネタにされたりもした。

  • 平野恵一
00年中盤はオリックス、00年代後半~10年代初頭は阪神のレギュラー二塁手として活躍。
怪我を恐れないアクロバティックなプレーが売りだった反面、阪神時代には前が俊足の赤星憲広だったことから頻繁に送っていたためバント巧者の顔もある。現役晩年はFA権を行使しオリックスに復帰。
現在は台湾プロ野球で監督を務めている。

  • 福良淳一
1980年代半ばから1990年代後半に掛けて、阪急、オリックスで活躍した二塁手。
オリックスが1995年リーグ優勝、1996年日本一になった時のレギュラー。
堅実な守備と小技に長けた俊足巧打が魅力の二塁手。
引退後はオリックスで二軍打撃兼内野守備走塁コーチに就任し、1999年には二軍守備走塁コーチ、2001年にスカウトへ転身。
日ハムで2005年からは二軍内野守備コーチに就任し、2007年には二軍監督を務め、2008年には一軍ヘッドコーチに就き、2009年からは打撃コーチを兼任、2009年のリーグ優勝に貢献している。2012年はヘッドコーチに専念したが、同年シーズン終了後、日本ハムを退団した。
2013年から暗黒時代に入り低迷するオリックスのヘッドコーチや監督に就任するも、成績を残せず、2019年5月28日、新設されるゼネラルマネジャー職に6月1日付で就任することが発表された。また編成部長も兼任しており、ドラフトでは高卒選手を中心に指名するなどチームの再建を図った。
その甲斐もあり、2021年、中嶋聡監督の代にリーグ優勝、2022年には日本一になるなど、GMとして見事な手腕をみせた。

2010年代に巨人に在籍した選手。愛称は「ピノ」「ピノ村」。
俊足の持ち主で、2011年にはチーム18年ぶりのセ・リーグ盗塁王となったものの、活躍期間は短かった。決して架空の選手ではない。
詳細は項目参照。

  • ジャック・ブルームフィールド
登録名はブルーム。
1960年代のパ・リーグで近鉄(1960〜64年)、南海(1965〜66年)に在籍し、二塁手で活躍した外国人選手。
1962年、打率.374でパ・リーグの外国人選手による初の首位打者を獲得。
翌1963年も打率.335で首位打者を獲得。
パ・リーグを代表する二人の打者にとって打撃の師匠である。

  • ドン・ブレイザー
1967年に来日、南海に入団した二塁手。
その前はメジャーに12年在籍し、規定打席到達が9回、ワールドシリーズにも出場した事のある、バリバリのメジャーリーガー。守備に定評があり、どんな当たりも身体の正面で捕球する足運びと、捕球から送球までの流れる動き、ヒット性の当たりを逆シングルで捕球、グラブトスで併殺プレーにする魅せ方も兼ね備えていた。
1969年に現役引退後は1970年に南海のヘッドコーチに就任。
当時、兼任監督の野村克也が
「ブレイザーがヘッドじゃなきゃ監督は引き受けなかった」
「考える野球を教えてくれた恩人」
「自分のID野球の源流はブレイザーにある」
と言わしめる程、大きな影響を与えた。
広島カープでも元チームメイトの古葉竹識に頼まれてヘッドコーチに就任、古葉は
「ブレイザーの野球を見て本当に勉強になった」
と話している。
阪神で監督に就任したが、岡田彰布の扱いを巡り球団と対立し最終的に退団した。

  • 堀幸一
現役時代はロッテ一筋21年で活躍したフランチャイズプレイヤー。
現役時代仕えていた監督の一人であるボビー・バレンタインからも絶賛された、芸術的な流し打ちがウリ。小技だけでなくシーズン20本塁打以上を2度記録するなど、中軸を任せられる長打力も兼ね備えていた。
この人も三塁・遊撃・外野等あらゆるポジションをこなせるユーティリティープレイヤーだが、二塁手としてはやや微妙で小坂ゾーンの恩恵を受けていた選手と言える。

  • 本多雄一
強肩俊足が持ち味のソフトバンク黄金期の二塁手。
200打席以上たったシーズンは必ず20盗塁を達成するなど盗塁に関してはかなりの貪欲さを見せていた。
2018年引退。平成で最後の任意引退選手となった。
2013年には1試合で12回捕殺を記録。これはプロ野球記録である。

  • ボビー・マルカーノ
ベネズエラ出身の阪急黄金時代の強肩巧打の二塁手。
MLB経験はなかったものの球団初の日本一に貢献したり、打点王を1度獲得するなど阪急で8年、ヤクルトで3年プレーして引退。引退後は巨人の中南米スカウトになり、サンチェを発掘するなど貢献した。
しかし、1990年に肺がんのため39歳で急逝。当初は母国に妻子を残していた事もあって日本で野球をするのを嫌がっていたが、選手として過ごすうちに穏やかで住みやすい環境や人をすっかり気に入り、帰国後は「日本が恋しい」とよく口にしていたそうである。
ちなみに曽祖父が天草出身の日系人であるという説があるが、真相は不明。

  • 山崎裕之
遊撃手として東京オリオンズ(ロッテ)に入団。4年目から二塁手にコンバート。パンチ力のある打撃と安定感のある守備で長く活躍。二塁手として通算1883試合の出場は高木守道に次ぐ史上2位の記録である。1979年からは地元埼玉の所沢に移転した新生ライオンズに加入し、田淵幸一や野村克也などとともにチーム再建を担うベテランとして活躍。
DH制導入前のパ・リーグで全打順本塁打を達成した唯一の選手*16。また、隠し球の名人という一面もある。

  • 湯上谷(ゆがみだに)
南海・ダイエーでプレーした内外野どこでも守れるユーティリティープレーヤー(二塁手としての出場が一番多い)。
全国に40人しかいないとされるレア苗字のため、1度覚えたらなかなか忘れない名前の選手。
ファンの記憶に鮮明に残っているのは、1塁藤本博史、2塁湯上谷、3塁小川史、ショート森脇博司の「内野手全員ひろし現象」ではないだろうか。

  • 和田豊
現役時代は新庄剛志と共に90年代暗黒阪神の希望の星として活躍。当時のファンは「和田の打率を眺めることだけが楽しみ」などと自虐していた。
引退後は監督に就任しスパイス』『奈々』、これを合体させて『スパイチュ』などネタにされることも多いがドラフト会議で4球団競合の中藤浪晋太郎を引き当てたうえ「コントロールはあきらめるいいところをひたすら伸ばすようにする」大決断でちゃんとした戦力に育て上げたり、2014年はリーグ優勝した巨人をCSで下して日本シリーズに進出するなど監督として一定の功績は残した。
口調の強いファンを持つ弱小球団で鍛えられたのかメンタルおばけであり、上記の不倫時も相手からの脅しに全く動じなかったり、監督在任中は「負けても帰宅ルートを変えれば引きずらない」と話したり、退任後も球団に残留しその後現場復帰したりとタフすぎる面白エピソードも多々。
家族も家族で、妻は不倫されたので離婚したのに「モノマネより本物を見たほうがいい」と一緒にコンサートにいったり、息子は父親の上記のネタを弄って思いっきり怒られたり、娘は父親への罵声飛び交う甲子園でビールの売り子をしていたりと鋼メンタル一家となっている。

  • ロバート・ローズ
横浜ベイスターズ史上最強の助っ人外国人選手。
90年代のマシンガン打線の四番打者で98年日本一にも貢献。外国人選手としては珍しく強肩を活かした二塁守備にも定評があった。
来日当初は細かった身体もキャリアを重ねるごとにムキムキとなり、99年には『打率369、37本、153打点』ととんでもない成績を残している。翌2000年も好成績をマークしたが、チームと契約条件で折り合いがつかず、日米の他球団との交渉も不調に終わり、残念な事にそのまま現役引退となってしまった。
電撃復帰→キャンプ中に電撃退団という行動でファンを唖然とさせたロッテ時代は黒歴史。

【主な実在選手-特別編】


  • 町田友潤
甲子園史上最高の二塁手として高校野球ファンであれば真っ先に思い浮かべる方もいるだろう彼を、特別編として少しだけ紹介したい。

2008年夏、一人の小柄と言ってもいい高校生が注目を浴びた。
一二塁間を縦横無尽に駆け回り跳び回り、打球をことごとく押さえ込んだ守備。
その鮮やかかつ圧倒的な守備力に対して名言が生まれた。

「セカンドに打ってしまえは望みはありません!」

彼の名は町田友潤。静岡県代表、常葉菊川の正二塁手。

チームは決勝で惜しくも敗れるも、その後まとめ動画が驚異的な閲覧数を叩き出す。しかもこの一連の動画、2008年夏のたった5試合だけのものだと言う驚き。
現代の赤い忍者、広島の菊池が脚光を浴びる数年前、既に甲子園に忍者はいたのである。

もちろん野球ファンは彼の将来に期待を寄せたのだが…


…彼は一般人のため、ここでは敢えてその後は記しません。興味のある方は検索をお願いします。




【主な架空の選手】

先述したように古くは三塁手、近年だと遊撃手が花形ポジションの座にあるため「レギュラーキャラと言えるキャラクターが務めていない」ことも多々ある*17ものの、後述する殿馬の影響もあってか各世代にわたって名キャラクターが存在する。

漫画ゲーム


  • 浅井(あさい)
漫画『やったろうじゃん!!』の主要人物。
下の名前は設定されていない。
監督の喜多条が朝霧学園に赴任してきた時の新入部員。
中学時代は二塁手兼任投手だったが、高校では守備力を評価されて二塁手のレギュラーに抜擢。
お調子者で一言多いのだが、チャンスで自分を奮い立たせたり、夏の埼玉県大会準決勝の終盤でビハインドの中、県内No.1左腕からセーフティスクイズをキメて、二塁を陥れるなど、抜け目ないプレーを見せるクセ者ぶりを見せた。
夏の甲子園でチームはベスト4に入る躍進をみせたか、同級生でエースの江崎が故障により退部。
自身が投手として秋の大会に登板するも初戦敗退。
新チームでは主将で上級生の田村が牽引するタイプではないためか、浅井がチームを引っ張る描写が目立つ。
故障した後、復帰に悩む江崎の背中を押し、野球部復帰を実現した。
2年夏の埼玉県大会準決勝直前に江崎の彼女が暴行された時は、江崎以上に激怒する事も。
この暴行事件の後に彼女が高校を退学し、江崎と別れたが、後に彼女が働いた事を知ると勤め先を調べて江崎に教え、復縁を手助けしている。
2年夏は4番として勝負強い打力を持ち味にしている。

  • 梅宮右京(うめみやうきょう)
漫画『最強!都立あおい坂高校野球部』に登場する二塁手兼投手。
身長は160cmと小柄だが、選球眼に優れ、器用なバットコントロールで長打を打つ技術や際どい球をカットし、相手の隙を逃さずに突くことが出来る粘り強い打者。
俊足でグラブ捌きも上手い。
反面、幼少時に父と騎手になるとの約束があり、食事制限による減量で、スタミナが無いのが難点。
チームでは一番を打つ。

  • 岡本慶司郎
水島新司の野球漫画『おはようKジロー』の主人公。
廃部状態であった野球部を立て直し甲子園にも出場した。
ドカベン』にも登場している。

  • 小川耕三(おがわこうぞう)
漫画『Dreams』の主要人物。
東京私立夢の島高校野球部員1年。右投右打。
作中では主人公・久里武志(くりたけし)のお目付け役兼殴られ役。
本人はクールを自称しているが、チームメイトは誰もそう思っていないw
最初こそ、高校野球の雰囲気に呑まれて尻込みしていたが、久里の「自分の居場所は自分で掴み取れ(意訳)」というアドバイスから、自分の出来ることを自覚していく。
夏の南東京大会ではバントの技術を評価されて二塁手のレギュラーに抜擢。配球で守備位置を変えたり、夏の選手権大会2回戦では一番に起用されて先頭打者本塁打を打つなど野球脳も徐々に覚醒していった。
もっとも、対戦相手の首里城(しゅりじょう)きらりからは「志がない(意訳)」と酷評されたが…

  • 神谷真琴(かみやまこと)
漫画『BUNGO -ブンゴ-』のヒロイン。
右投右打の二塁手。
主人公・石浜文吾が静央シニアに入団した時の指導役で、プレーにおける基本動作などを教えた。
男勝りで喧嘩っ早い性格だが、女子選手としての進路に悩んでいる*18
身体能力の不利を技術で補っている技巧派。
本人は文吾が好きなのだか、文吾にその自覚が無い。
実は結構モテてチームの内外に想いを寄せている男子は多いのだが、本人にその自覚が無い。

  • 後藤大也(ごとうひろや)
漫画『4P田中くん』に登場する二塁手。
主人公・田中球児(たなかきゅうじ)が在籍する栄興学園(えいこうがくえん)・秋の新チーム選考会から登場する。
主人公とは同学年。
選考会で登板する転入生・ボブ牧田の速球に挑む者として立候補。
監督に果敢な挑戦者としての精神を認められて、新チームの二塁手レギュラーになる。
小柄な体格ながら、100m走は11秒と瞬発力があり、身のこなしが軽く肩も強い。
対戦相手の錦糸高・黒崎の分析は
「小技が上手く、速球も甘く入るとスタンドに叩き込む怖さがある。
小柄な身体をカバーする根性も人一倍強いが、根性が仇となり、バッティングを形通りの一つ覚えにする」
と融通の利かない頑固な部分を指摘している。
新入部員歓迎会で暴れる選手にキレるなど、激情家な一面がある。

  • 小湊兄弟(涼介・春市)
漫画『ダイヤのA』の主要人物。
兄の涼介は主人公沢村栄純の二学年上の先輩。弟の春市は同級生で友人関係。
ピンク色の髪が特徴で選手としてのタイプは若干異なるが両者共青道のレギュラー二塁手。

実況パワフルプロ野球シリーズ』に登場する二塁手。初登場は13。
能力が高水準で特に守備力に関しては類を見ない実力者だが、内面は他人を破滅させる事を好む悪漢
勿論制裁を下すことも可能…なのだが、破滅させたほうが良い結果になったとか、バグで卒業後もチームに残ったりとか、そもそもチームメイトとしては普通に役立つとかで一気にネタキャラになった。
その為か後年の作品では「先輩から『伝統ある帝王に泥を塗るな』と釘を刺される」「相手が素直すぎて呆れ果ててしまい真剣に野球に取り組む」「騙そうとするのを見抜かれても余裕綽々だが彼なりに敬意を払う」と、悪役なのには変わりないが救いようの無いほどの邪悪ではない…というキャラ付けにされている。まあ本当に蛇島すら及ばない極悪人にしてパワプロから出禁扱いされた奴が13にはいたし。
一方でパワプロキャラにしては珍しくセカンド専属だったり、こんな性格なのに「ムード◯」*19だったりと能力値にもギャップがあり、
炎上三兄弟長男の友沢亮を投手の道に進ませず野手へと導くなど後輩想い?の一面も。
パワフェス等では数少ない安定して守れる二塁手でもあるので
よく最終メンバーに残る。遊撃手は数多にいるのに。
詳細は項目参照。

同じく『パワプロ』に登場する二塁手。
おばあちゃんと二人暮らしで貧乏生活という、現代で言うところのヤングケアラーに近い身の上。だが学業・野球・バイトをある程度両立させているうえ*20、それを思わせない明るい性格をしている。あとどういうわけかコラボより前に出てきたのに上述の小湊(涼)に顔がそっくり
選手能力も得意苦手がはっきりしたメンバーが多いとき青では数少ないバランスタイプ。調子極端は他メンバー同様にある
ちなみに初登場作品ではベイスターズにドラフト指名されたことになっているものの、今のところ初出作品以外でこの設定が使われたことがないため今も残っているのか不明*21

  • 殿馬一人
同じく水島新司の有名野球漫画『ドカベン』の主要人物。『づら』の人。おそらく日本で一番有名な架空の二塁手。
元々はピアニストであったが、山田太郎の妹サチ子との出会いで野球を始め、巧打巧守の二塁手として活躍する。
実は明訓ナインでおそらく唯一、実際の球団所属者に求められて『プロ野球編』のプロ入り先が決まったキャラクターでもある*22
アニメ版のCVは肝付兼太、実写版は川谷拓三が演じている。

  • 備前大介(びぜんだいすけ)
漫画『クロカン』に登場する二塁手。
鷲ノ森高校(わしのもりこうこう)編から登場する。
県外からの野球留学生で、初球から積極果敢に甘く入る球を狙うスイッチヒッターで、塁に出れば牽制の癖を見抜いて次の塁を脅かし、守れば堅実なボール捌きでピッチャーを援護するなど1年生の夏から活躍。
しかし、1年生で出場した夏の選手権大会準決勝でサヨナラエラーをしてしまい、先輩達の夏を終わらせてしまった事が精神的後遺症として残る。
自身が三年生の卒業と同時に学校が廃校になる前、二年生の秋に主将に就任。
サヨナラエラーの後遺症も克服し、敗北寸前でチームの和も崩壊しそうなピンチでも絶対に諦めず、精神面でも味方を勝利へと導く強メンタルの持ち主して覚醒し、キャプテンとして監督からの信頼も絶大。
部員が13人のみとなる最終学年では、少人数で選手交代も気軽に出来ないため、全員が複数のポジションで守備が出来るように鍛え*23、打線も強打のチームに育成し、その年の秋季大会に優勝、関東大会はベスト4まで進み、これが評価されて春のセンバツへ出場、ベスト8に進む。
夏に向けて土壇場での精神面も鍛え直され、夏、鷲ノ森高校にとって最後となる大会において、3年生13人だけしかいない部員達で遂に全国制覇を成し遂げることとなった。

  • ピョコえもん
漫画『ドラベース ドラえもん超野球外伝』において、主人公チームであるドラーズの二塁手を務めるドラえもんタイプのロボット。
というのも江戸川ドラーズ、もっと言えば本作の世界観は社会人による草野球チーム同士で試合を行うため、別にロボットと人間が混ざっていても問題ないのだ。というか当のドラーズが、マネージャーが補欠を兼任してるみかちゃんを除くと、人間のメンバーは12人中1人*24である。
努力できる才能を確固として持つことに加え、腕がスプリングで伸びるというなかばひみつ道具じみた構造を持つことから守備の腕はチーム内随一。…なのだがこの設計ゆえか耐久性に難を抱えている、いわゆるスペランカー体質でもある。
チームメイトにお祝いのつもりでどつかれる・相手チームの破壊工作を受ける・ひみつ道具を使われた結果*25巻き添えになるなど、頻繁にハードウェア的な意味で壊れることが多い苦労人。
なお本業はロボット修理工場の工員。どう考えてもむしろ修理を受ける対象者だろう。

  • 丸井
漫画『キャプテン』に登場する二塁手。
作中における2代目の主人公であるが、下の名前は設定されていない。
プレースタイルは俊足巧打で小技が上手く、守備範囲が広く、グラブ捌きが上手いセカンドのテンプレみたいな選手。
作中では谷口の後を受けてキャプテンに就任。
谷口真理教の教祖という感じで谷口の人柄と姿勢を最も尊敬しており、上下関係に厳しく、谷口のやり方を絶対としていた*26
何かと短気を起こす場面が多く、一つ後輩のイガラシを「サルかラッキョみたいな顔」とけなしたり、
自分がキャプテン就任後は持ち前の強い熱意でチームを引っ張るが、
新入生である近藤の間の抜けた態度に暴言を吐いたり金属バットで頭を殴る、
さらにその後の試合では終盤に近藤のミスで試合に負けた際には整列も終わってない中、大勢の観客が見ているにもかかわらず「てめえのせいで負けたんだぞ!!」と怒鳴る、
等々、かなりキャプテンとして問題がある様子が見られた。
その後、チームメイトからキャプテンを解任までされたが、キャプテンに再就任すると夏の全国大会優勝を果たすため、選抜出場校に掛け合い36チームとの練習試合を組み、全勝するためのスパルタ合宿を慣行。
部員の大半がハードスケジュールに耐え切れずに脱落しながらも合宿を乗り越え、見事36戦全勝を果たす。
夏の大会は地区大会を圧倒的な力で勝ち進み、決勝で春の選抜優勝校・青葉学院と対戦。
事実上の全国大会決勝ともいわれたこの試合を延長18回の死闘の末に制するが、この試合でほとんどの部員が負傷。
それに代われるだけの選手がいない層の薄さが災いし、全国大会を棄権した。
中学卒業後も、試合ではベンチの上からアドバイスを出したり*27、応援団の統率や対戦相手の情報を集めたり、野球部の合宿の面倒を見たりなど、良き先輩として野球部を支え続けた。
スピンオフ作品『プレイボール』では、谷口を追って墨谷高校を受験するも不合格になり、朝日高校に入学して軟式野球部で活動。
後に墨谷高校の編入試験に合格し、同校の野球部に入部。
紆余曲折を経て谷口の後の野球部キャプテンになる。
続編である『プレイボール2』『キャプテン2』でもセカンドとして活躍。
近藤やイガラシとはまたもチームメイトになったが、人間的にも成長したためか怒鳴ったり暴力を振るったりなどの描写はなくなった。
谷口引退後のチームは、先の事を考えない猛練習第一主義でオーバーワークが祟りチームは秋のブロック大会初戦敗退。
賀茂港「仲間がいたwww」
チームは空中分解寸前と中学時代と同じ過ちを犯す。
そんな中、学校側の思惑もあり、浪人生の谷口が墨谷高校野球部監督として就任する。
半田「谷口さん、このチームをまとめて下さい」
その結果、丸井は墨谷高校野球部を甲子園に導いたキャプテンとして名前が刻まれるコトになる。
アニメ版『キャプテン』のCVは熊谷誠二、『プレイボール』のCVは浅野雄、実写映画版は小川拓哉が演じている。

  • 柳守道
漫画『H2』に登場する二塁手。
主人公国見比呂の同級生であり、舞台となる千川高校の校長の息子でもある。
父親の高校野球嫌いにより野球は中学までと約束していたが、なんやかんやあって千川高校野球部創立に貢献し、自らの野球への熱意を父親に伝え野球部へと入部した。
状況に応じたシュアなバッティングや軽快かつ堅実な守備、バントやファールカットに逃げる小技もうまく足も速いという「2番セカンド」の理想像とも言える選手。
1番・中堅手の木根とのコンビは高校野球関係者の間で評価が高い。
アニメ版のCVは伊崎寿克、TVドラマ版は森廉が演じている。

  • 宮村
漫画『BOY-ボーイ-』に登場する肩繰高校野球部の二塁手。小柄な体格で盗塁専門。
熱くなりやすい主将の氷堂とは対照的に冷静沈着で、冷静に状況を把握し無謀な勝負はしない参謀的ポジション。
…と書くとまともな人物のように見えるが、この漫画の敵キャラという事で彼もまた外道である。
得意技は相手の脚を狙いに行く「デス・スライディング」。また氷堂にも秘密にしていたサインを使い、伏兵に日々野晴矢の目を改造エアガンで狙撃させるというえげつない妨害を行なっている。狙撃した伏兵の腕前が凄すぎる
晴矢率いる楽園高校との野球勝負では荒れ試合の末に敗北。ブチ切れてナイフを抜いた氷堂に対し、晴矢の恐ろしさを薄々感じ取っていた宮村は
「野球で勝負したからこの程度で済んだ、ケンカでやり合ったらこんな物では済まなかった」と氷堂を諫めた。


追記・修正は二塁手に詳しい人に補足して貰えると助かります。


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最終更新:2026年08月09日 19:57

*1 実在選手でもないわけではなく、例えば山田哲人は「(真中・高津両監督のような)リーダーとしては頼りないかもしれないけど、人望は非常にある」なんてイメージもある様子だし、岡田彰布の「頭の中は理論派だが、割とお茶目で比較的誰にでも明るい性格」は著名であろう

*2 ただし、遊撃手と比べると捕球と送球が逆方向になることが多く、体の向きを大きく変える複雑なプレーが求められる。身体能力の高さによるダイナミックなプレーが醍醐味の遊撃手と比べて二塁手はテクニカルで華麗なプレーが魅力と言えるだろうか。

*3 現実的な理由では、主な守備位置だった一塁に王貞治がいるため選出させるための苦肉の策とも。

*4 例として古くは元近鉄のジャック・ブルーム、元南海でメジャーリーガーのドン・ブレイザー、少し古いと元横浜のロバート・ローズ、元広島のエディ・ディアス、元ロッテのルイス・クルーズ等

*5 二塁手レギュラーを務めつつセ・リーグ打点王獲得は90年代にベイスターズで活躍したロバート・ローズ以来。

*6 当時は一軍監督だったためふたりでよく並んでいたのもある

*7 ちなみに最初の例である野村克也(1963)は30HR以上打っていたが、この時の今岡はそれも未達成

*8 2023年の方の祝賀会において。テンションの上がった選手たちが岡田の当時の応援歌を歌いだしたことから。

*9 この年のシーズンでは本塁打0本だったため、長嶋監督からは『ミラクルボーイ』と大いに誉めそやされた。

*10 届くところは全部俺が何とかしてやるから思い切り投げて来いと言われてイップスにならずに済んだらしい。

*11 初代は西沢道夫。

*12 高卒新人野手でのゴールデングラブ受賞は、2026年現在も立浪が唯一である。(投手では松坂大輔が1999年に受賞している)

*13 一塁走者だった辻が、相手の緩慢な守備の隙を突き一気に本塁まで生還した。

*14 土井自身は神戸市出身であったものの、反感を抱いた地元のファンから「(巨人の本拠地の)東京に帰れ」と野次られたこともあったという。もっとも、これについては巨人のライバルである阪神と同じ兵庫県を本拠地としていたことによる地域柄や、阪急時代に長年に渡り日本シリーズで対峙してきた経緯による巨人への敵対意識も影響している。

*15 ちなみに、その試合の相手チーム・中日の捕手はかの山﨑武司であった。

*16 セ・リーグも含めた日本球界では島谷金二(中日)に続く4人目。一方で、1989年の古屋英夫(日本ハム)より前の山崎や島谷を含む記録は2020年代初期まで公式に認知されていなかったのか、2022年の中村奨吾(ロッテ)あたりから「史上n人目の達成」の表記にブレが生じている。

*17 例として『パワプロアプリ』の各サクセスシナリオは「固有キャラ=ストーリー上のレギュラーキャラで選手は旧作リメイクシナリオ以外は3人まで、基本的に1人はゲームバランスの観点から先発投手」という事情もあってか、セカンドに固有選手がいないシナリオは普通に存在する

*18 中学3年生が140km/hの速球をガンガン投げ込んてくる世界で、世界大会で150km/h超えの速球をガンガン投げ込んて来る世界線である

*19 レギュラー、ベンチにいると味方の能力が上がる、本来ならムードメーカーな選手、キャラにつけられる特殊能力

*20 ただし「昼食を用意できずに空腹で倒れてしまい、見かねた主人公たちが奢る」「いわゆる重病募金を思い立ち、主人公たちと一緒に街頭に立つ(そしてなんとあのサクセスキャラが…!?)」などイベント内容はむしろシビア。バイトも普通の高校に通学できるようにということでホスト(つまり夜勤が前提の職)。

*21 他にとき青編初出でプロ入り設定があるのは青葉春人、小山雅だが、そもそも『2024』までで初出以外にプロ入り設定が使われたケースの大半が「小山が阪神に入った」。青葉もストーリーのないモードで日本ハムを選ぶと登場する程度

*22 イチローが「プロ編やるんなら、僕は殿馬とプレイしたい!」と表明したことで実際にオリックス入りする展開となった。

*23 備前も捕手、投手を兼任するようになる。

*24 ミケえもんだけではなく離籍経験があるグリえもん、基本的に本業優先で参加が難しいことが語られているアカえもんをカウントしている。実はグリえもんの一度目の加入直前までもうひとり名無しのロボットメンバーがいた

*25 本作では「プレイボール直前に提示されたもののみ」という制限付きながら道具を使ったズルがルール面でも認められている

*26 悪く言えば「谷口の方針に依存しがち」で、そんな部分と空回りが災いし、部員たちとの間に溝が生まれてしまった。

*27 当初はベンチ内にいたが、監督ではない部外者ということで審判に注意されて以後、ベンチの上から審判に分からないようにアドバイスしている。