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更新日:2025/04/25 Fri 22:57:11
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ルサンチマン(ressentiment、仏語発音:[rəsɑ̃timɑ̃])とは、
弱者が強者に対して抱く嫉妬、怒り、怨念などのドロドロとした負の感情である。
デンマークの思想家キルケゴールによって確立された概念で、ニーチェ、シェーラーの著書で一般に広まった。
なお、「ルサンチマン」で一つの単語であり、
バッ〇マンや
アン〇ンマンのように、マンの前で区切れがある訳ではない。
【詳細な説明】
さて、ルサンチマンについて詳しく説明していこう。
優れた人、強い人を見たとき、誰でも少なからず嫉妬や羨望を持つだろう。そして自分の非力さ、無力さを感じ、ルサンチマンを抱く。
こういった感情をバネに自らを高め、ルサンチマンを克服する者もいるが、そうでない者もいる。
後者の場合、自分がダメなのは仕方がないのだと開き直ってしまい、自分自身を正当化しようとする。
もっと言えば、何もできない自分を正当化するためのツールなのである。
ルサンチマン的思考には、強者に対する反発・不満から来るネガティブな感情がその根底にある。
そのため、まず不満の対象である強者を否定して悪とし、次にその対極にある我々(弱者)は悪ではないがゆえに(無条件に)善であるという態度をとる。
つまり、敵(悪)の存在を想定しなければ善が存在せず、善人を名乗るためには悪人の存在が必要不可欠なのである。
酷いときには、善人を名乗りたいがためだけに、無実の他人を悪人に仕立て上げることすら、さも当然のようにやってのける。
このように、弱者の価値基準(善悪)は、強者の価値基準のように独立したものではなく、
他者(強者)を否定することによってのみ成立しうる相対的な基準であるという点が特徴。
自らの内に価値基準を持たないため、それを外部に見出そうとする。
あくまで悪人(強者)の対になるような、いわば"善人"像を描き出す必要があり、作り上げた"善人"像に従って価値判断を行う("善人"として振る舞おうとする)。
それゆえ、常に他人の目(評価)を気にして、それをもとに自己評価を下さなければならない宿命にある。
強者は自らの内に固有の価値基準を持っているため、その点において強者は、他人の評価に束縛されない"自由な"人間であるとニーチェは述べている。
ニーチェはこのことについて貴族道徳(君主道徳)と奴隷道徳という語を用いて対比させている。
強者の
道徳である貴族道徳は、率直な自己肯定および評価によって成り立つ。
一方、弱者の道徳である奴隷道徳は、他者否定がまずその前提としてあり、かつそれこそがまさにルサンチマンの本質なのである。
強者(の性質)を妬み、自己弁護に走り、本来"良い"はずのものを"悪い"ものだと蔑みこき下ろすという歪んだ価値基準を持つに至る。
つまるところ、価値基準の逆転現象が起こってしまっているのである。
なお、ここでいう
貴族、
奴隷という語はあくまで物の喩えで、それぞれ貴族的性格、奴隷的性格とでも呼ぶべきもので、
史実の貴族や奴隷の観察・記録・研究等から着想を得た概念ではないため注意が必要。
貴族の中にも奴隷道徳的な論理で動く人物はいるし、逆に奴隷の中にも貴族道徳的な論理で動く人物はいる。
ではなぜこのような価値の倒錯が起きてしまうのだろうか。
強者と弱者の現実での力関係は、具体的な行動を起こしているわけではないため、実際のところは何も変わっていない。
……というか、力で対抗出来るならとっくにやっている。
そこで、実力ではなく価値観のほうをひっくり返すことによって、思想的、道徳的、倫理的な優位を確保し、(頭の中でだけは)強者を下に置くことが可能になる。
むしろ発想の順序としては、力でどうにもならないという自覚が(意識的にしろ無意識的にしろ)多少はあるため、せめて想像の中では優位に立とうとする、あるいは同列以下に落とそうとするのである。
「~を持っているからどうした」「~ができるから何なんだ」「~が(でき)なくても生きていける」といった呪文を唱えて(そう思い込むことで)安堵し平静を保つ。
時にはそれを通り越して侮ったり嘲笑したりすることすらやってのける。
日常で耳にする「けしからん」「みっともない」「見苦しい」といった発言は、しばしばルサンチマン的な色彩を帯びていることがある。
……無論、嫉妬や怨嗟とは真逆の感情で、本当にろくでもないものに対して言われる場合も多々あるのだが。
少し脇道に逸れるが、
キリスト教が世界
宗教にまでなったのはルサンチマンの支持を得た結果である。
弱者を肯定するその思想がそもそもルサンチマン的である。
もっとも、ニーチェはキリスト教に対してかなり辛辣で、
私怨で必要以上に叩いている部分もあるのだが、指摘そのものは鋭い。
具体的な内容は彼の著書に譲るが、要するにキリスト教の存在は、
「弱者を懐柔し、奴隷道徳を擁護し、貴族道徳的な素直さ・高潔さを妨げる方向に作用し、人が本来持つべき価値基準を歪める」
……ものだと考えている。
フランス革命、ロシア革命、ファシズムの台頭などの歴史的事件のバックには民衆(のルサンチマン)の扇動がある。
乱暴な言い方をすれば、われわれは神が死に王が廃れルサンチマンが勝利した世界に生きているのである。
地獄への道は善意で舗装されている。
善人ほど悪い奴はいない。
自らの
正義を信じて疑わない者、"正義"の名の下に従わない者を非難・迫害・弾圧する者らを信用してはならない。
それはすなわちギロチン台を囲んで歓喜し高笑いしている者に他ならない。
ルサンチマンをこじらせ続けたままでいると、"悪いのは自分ではない"という発想を起点にどんどん敵を増やしていくことになる。
そして個人に原因を求めたのでは収拾がつかなくなってくると、やがて集団を対象とするようになる。
自分をこんな風にした周りの人間、学校、会社、社会、国(政府)が悪いのだと、心の中に大量の敵の軍勢を作りだす。
果ては世界が悪いのだ
と神をも敵に回すというところまで行ってしまう。
そして見えない戦いを延々と続けていくのだ……。
ルサンチマンの思考回路
●自分が勉強ができない
→高学歴
消えろ
→
あいつの教え方
が悪い
→
モンスターティーチャーだったと
ネットに書き込んで拡散してやろう
●自分の容姿に自信がない
→イケメンは死ね
●自分の収入が少ない
→金持ちなんて能力がない癖に……実家が裕福なだけだろ?
→公務員は高給取りばかり。給料下げろ
●仕事が見つからない
→不景気な社会が悪い
→俺を認めないあの会社が悪い
→俺を採用しない人事は見る目がない
→学歴や資格、能力ではなく、中身を見てもらいたい、それをしない採用人事はオワコン
●法律違反で刑罰を受ける
→この程度で刑罰を与える法律が悪い
→犯罪を犯さなければ生きていけない、世の中が悪い
●職場で信頼を失い孤立、窓際・追い出し部署に配属
→
給料の安い会社だからやる気が起きなかった、
ブラック企業だった
→
上司の教え方が悪かった
→他人と弛むのは嫌いだが、それでも自分と仲良く出来ないのは
上司や同僚が悪い
●スマホ見ながらレスバしながら車を運転していたら交通事故を起こし他人に怪我させた
→ブレーキが動かなかった車が悪い、外国は既に電気自動車やAI操縦技術を開発しているのに、それをしない日本車はオワコン
→そもそも暴走事故を起こした上級国民は捕まってない、俺だけ捕まるのはおかしい
●誹謗中傷で開示請求が届いた
→そもそも相手は
犯罪者だから相手が悪い
→これは
表現の自由であって誹謗中傷ではない
→それでも
俺を誹謗中傷するのは荒らしである
●憎き人間、社会への攻撃のために実際に行動を起こしたが、無実無関係の人間を巻き込んだ
→正義のための仕方ない犠牲だった
→アイツも内心は俺に感謝しているだろう
●恋人ができない
→くっそ
リア充爆発しろよ。休日とかカップルで
うろうろしてんじゃねえよ。クリスマス
だからって律儀にデートなんかしてんじゃねえよ。
目ざわりなんだよおおお!!! ……まあ、俺
にも嫁はいるし? てめーらなんかより
俺のが幸せだけどな。ただ、画面から出てこないし触れられないんだ……ぐわあああん!!!! リア充なんて
消えてなくなれえええ!!!!→以下
ループ
他にも、
ゲームで遊んでいる最中に、思うように楽しめないあまり、「
ハイクソー」「二度とやらんわこんな
クソゲー」などと投げ出すこともルサンチマンを抱いたことによる行動と言われる。
……が、実際のところは、
勉強ができるに越したことはないし、
容姿が優れているに越したことはないし、
収入は多いに越したことはないし、
仕事があるに越したことはないし、
揉め事を起こさないことに越したことはないし、
生身の恋人がいるに越したことはないし、
ゲームを楽しめるに越したことはない
……だろう。
これらの例は、価値判断の個人差こそあれ、少なくともあって困るような要素ではないはずで、
プラスの価値を帯びた要素と言って差し支えないだろう。
割に合わないと感じる場合でも、満足できる水準でないというに留まり、価値が低いだけで価値の存在自体を否定しているわけではない。
よく「好きの対義語は無関心」と言われるように、興味・関心がなければわざわざ口汚く扱き下ろす必要など皆無で、話題にすらしないはずである。
つまり、どうしても否定しなければならないor否定したい理由・事情があるのである。
自分が持っていないもの、自分が手に入れられないもの、他人が持っているものを等しく無価値にしてしまえば、
そこに一切の貴賤は存在しない平和な世界が完成するという、典型的なルサンチマンの発想、すなわち"他者否定"と"価値の倒錯"である。
戦いに敗れたor追い詰められた悪役が道連れを企てる心理もこれに該当する、もしくはこの過程を経たものとみなせる。
価値を否定するという行為は、良いものを手に入れることが不可能(と思える)あるいは困難な現実を前にしたとき、
我々が取る心の守り方・自己防衛の一形態でもある(酸っぱい葡萄)。
そして、その帰結および究極形がニヒリズムだと捉えることも出来る。別ルートもあるけどね。
この場合はニーチェが言うところの「消極的(受動的)ニヒリズム」に該当する。
しかしながら、
ニヒリズムには価値判断の原点になるという効用もある。
全ての事物の価値をフラットにし一度リセットすることで、本能や理性の要請から来るよりピュアな価値を見出すことが可能になる。
万物の全てが本質的には無価値・無意味な存在だと
前置きすることで、
本当に欲しい物やしたいことが何なのかが逆に浮き彫りになるのである。
「永劫回帰」の概念もとい思考実験の話とも重なるが、
「あなたはたとえ夢の中であっても夢を見たいですかor悪夢を見たくないですか」とでも尋ねれば伝わるだろうか。
ニーチェは、一度
無の境地に至り、そこから新たに価値を生み出す(見出す)人間を指して「超人」と呼んでいる。
詳しくはいろいろググってください。
行動の果てに
中にはルサンチマンを拗らせて実際に行動を起こし、結果として社会に混乱をもたらした人間も歴史上多数存在する。
決して少数派でも、選ばれた人間でもないのだ。
昔は、刃物を持って切り掛かる程度が関の山であったが、
科学が発展した現代となっては、銃に爆弾という、弱い人間が簡単に兇行に及べる武器が開発され、
それらの規制が厳しい日本においても、乗用車を借りて体当たりだの、薬局で買える薬を混ぜて毒ガスを発生させるなどして、やろうと思えば比較的簡単に行動を起こすことが出来る。
ここでは特定の人間の名前を挙げることは避けるが、極端に視野が狭く、また失うものが何もないほど追い詰められた人間が起こす行動は、大体はロクな結果にならない。
例えば、
- 金持ちを大損させるべく大きな不景気をもたらしたが、肝心の憎むべき金持ちは持ち前の資産ですぐに持ち直す。そして小売や顧客、子会社など無実無関係な多数の人間が職や資産を失う。
- 凶行を及んで刑務所に入った後になって、自分が勉強不足、調査不足が災いし、表に出てこないだけでもっと強大な人間がバックにいることが分かるが、もう手を出すことが出来ない。
- 革命を起こして政権を潰すことに成功するが、後に続く政治家が居らず国が無政府状態に陥る
- あまりに短絡的な犯行により、冤罪で被害者の方を殺してしまった、あるいは偶然そこに居合わせただけの無実無関係の人間を殺してしまった。
- 行動を起こし社会を変えた気でいたが、実際はニュースにもならず誰も後に続かない。
という形に終わる。
ルサンチマンにならないために
ルサンチマンはいつも我々を苦しめる。
では、これらから逃れるためにどうすればよいのか。
最もよいのは上述の通り、悔しさをばねに自らを高めることでルサンチマンを解消することである。
または、全ては無意味だと主張する(ニヒリズム、虚無主義とも)か、このどちらかである。
前者は理想的ではあるが、必ず成果が伴うとは限らない。
自分の不満の種がどこにあるのかを探ることが先決。
本当に憎い相手の中に原因があるのかどうか、痛みを恐れずに自分の心に問い質してみる必要がある。
不満を解消することばかりに気を取られて本質を見失っていると自分も他人も不幸にする。
自分の無知や人生経験の乏しさ、あるいは自分の狭量さ、器の小ささからくるまやかしの不満である可能性も大いにあるのだ。
ルサンチマンそのものが憎むべき諸悪の根源であるかのように書いてきたが、
人間なら誰しもが向き合わなければならない心の問題である。
いわゆる
リア充・勝ち組と見られるような人達の中にも確実に(大小、濃淡こそあれ)ルサンチマンは存在し、
決して克服したり逃れたり出来るような類のものではない。
むしろ、自分の中にあるルサンチマンの存在を認めたうえで、自分の中にある歪みを明らかにし、それと向き合うことが大切。
自らの価値判断がルサンチマンによってどのように歪められているかを少しでも知るor知る努力をすること、
そして、自らの価値判断に対して批判的に検証しようとする姿勢・態度が重要なのである。
むしろ自分を疑うことによって初めて、自分のことを信用するに足る材料・根拠を探り裏を取ることに繋がるのである。
自分のことも含め、あらゆる事物を無条件(無批判)に肯定・信用してしまう危うさを自覚していたからこそ、
人はそれを盲信(妄信)と呼び自戒してきたのではなかろうか。
それが面倒臭い難しいと感じるなら、「自分は真っ当な人間」だと思うこと(自分を無条件に肯定すること)をやめるだけでも意義はある。
ただ単に卑屈になれば良いってもんでもないが……。
要するに、己の第一感に盲目的に従うのではなく、己が理性でもってまず疑えということ。
あまりにも無邪気過ぎる自我は、ルサンチマンの脅威に対して無防備・無抵抗と言っても良い状態であり、
いともたやすく負の感情にかき乱され呑み込まれ、理性による制御や抑制を受け付けなくなってしまうことだろう。
ルサンチマンに対する意識や警戒心の低さは、自分を見失い我を忘れ激情の奴隷となるリスクと隣り合わせなのである。
知らぬ間に歪められてしまった自分に振り回されているうちは、真の意味での自由などないのだ。
せっかくの人生、どうせならフラストレーションを武器に憎い相手に一矢報いたほうが楽しいだろう。
見えない敵を倒そう。敵は己の中にいる。いや、そもそも敵などどこにもいないのだ。
サブカルにおけるルサンチマン
「寂れた田舎を踏み台に、大英雄に俺はなる! キャプテン・ルサンチマン、花村陽介!」
「ちょ、そんなわけねーだろ!どどど、どーゆーことだよ!」
言うまでもなくあまり良い使い方はされないし、ルサンチマン呼ばわりされたキャラクターは怒る。
ただ、日本古くからの漫画やアニメでは、ウジウジして実際に行動は起こさない、嫌なやつの名前を日記に書く習慣を持っており「恨み帳」を残すというキャラクターが存在している。
その行動理念は、「空から女の子が降ってきた」などの理由で偶然、そして突然幸運が舞い降りた主人公への恨み妬みを示していることが多い。おそらく読者もそう思う。
この手のキャラは、いかにも主人公以外の人物をたくさん憎んでいそうでありながら、主人公以外のキャラクターを憎むことは稀。
話の流れで一時的にスポットを浴びることはあっても、それが続くことはあまりない。やはりネガティブな展開になってしまうからだろうか。
最近の創作では、どちらかというと「敵」より「お邪魔キャラ」としての登場が多め。
具体的には、主人公が決死の思いで怪物を退けたり、有象無象をまとめ上げて会社改革や国家改革などを進めてようとしているなかで、
- 自分より遥かに歳下の主人公…ひどいものになると未成年なのに戦場の最前線で戦っている女の子に完璧を求める。
戦争の流れ弾で住居が破壊されるなどの不手際があったら全力で被害者アピールする。
- 延々と苦情を突きつけて、本来作戦会議や訓練などに費やす主人公の時間を浪費させる。
- ただの嫌がらせのために通るはずもない法案を提出して時間を稼いだり、議論に参加する資格はあるのにそれを放棄・ガヤをかき集めてけしかけることを「盤外戦術」などとほざいて勝ち誇るなど、大した目標もなければ生きる気力もない無敵の人間らしい方法で主人公の邪魔を図る。
という、厄介な存在として描かれる。
その末路は、大抵は作中のヘイトをとことん積み込まれるだけ積み込まれ、主人公サイドでも敵役でもない職場や学校、家庭などの周囲の人間から拒絶されて社会的に孤立するという形で決着がつくことが多い。
近年、創作者および創作場所の多様化、オタクしか買わないような雑誌レーベルの登場などの理由からか、主人公がルサンチマンの塊という作品も現れてきている。
そんな主人公のもとに、主人公の能力を高く評価する女の子が現れたり、または異世界転移・転生したことでチートパワーを手に入れて心機一転…というのがお約束である。
創作によっては、
- 周囲の人たちによって諭され、改善していく
- 改善されないままルサンチマンを拗らせるが、仲間含む周囲から敵対こそしないがいつまで経っても好まれないために、ぼっちキャラ、弄られキャラとして定着する
- 主人公の性格が改善されないまま、主人公の思想と行動が全肯定されたまま物語が進んでいき、どう見ても改善するべき悪い性格を「ステキ」と言い出す女の子が現れる
という多種多様な展開が描かれる。
ただ、ヘイトを集めやすいキャラでもあるので、扱いを間違えた時の作品の人気の推移はお察しである。
俺が追記、修正させられているのはwiki籠りのせい。
- 佐藤君 -- 名無しさん (2014-04-28 20:06:30)
- ルサンチマンといえば碇シンジ -- 名無しさん (2014-04-28 20:06:55)
- 手の届かないブドウを酸っぱいと決めつける話とか -- 名無しさん (2015-05-05 13:45:13)
- 宗教やテロリズムに結びついたときにこれほど厄介なものはない。 -- 名無しさん (2015-05-05 15:35:31)
- ルワンダでの虐殺のような所謂民族紛争のような争いも元を辿るとこの概念があるのだろうか? -- 名無しさん (2015-05-05 16:13:00)
- ↑ 民族紛争はルールに従わない異物の排除っていう色の方が強いんじゃない? -- 名無しさん (2015-05-07 11:30:47)
- 寂れた田舎を踏み台に、大英雄に俺はなる! -- 名無しさん (2015-05-07 12:18:40)
- 一応かるい突っ込みを入れておくとルサンチマンって単純な嫉妬とかいうのじゃなくって、それが新しい時代を開いていく原動力でもあるっていう意味も含んで言っている(特にニーチェのは)。ニーチェ概念のほとんどがそうだが、言葉の持つ一面的なイメージだけに縛られた理解をすると絶対ずっこけるように仕組んであるw -- 名無しさん (2015-05-07 12:41:24)
- ↑そんなややっこしい話じゃ利用しづらいじゃないか。だから大衆、メディア、体制は単純化を強いる。 -- 名無しさん (2015-05-07 13:19:13)
- まあ、世界が悪いんですけどね。結局どんな極悪な奴がいても個人だけの所為とかありえない。 -- 名無しさん (2016-08-18 12:29:09)
- ↑全面的に同意だ、現実での人間・空間が隅々まで支配、監視されているがそもそも世界は誰の何の物でもない単純に国家は恐れているだけだそれらを失うことによって諸外国から文明国、みなされなくなるのを -- 名無しさん (2017-05-20 02:26:30)
- ↑杓子定規で不条理なシステムに人生を捧げることを強いられる「みんな」だの「人類」だの実態のないものにな、裸になれず本能を否定され正気でいること、演じることを生涯強要される。 -- 名無しさん (2017-05-20 02:43:40)
- ↑しかも現代は通信機器の発達で逃げる場所も隠れる場所もない半永久的に記録され不祥事を起こせばアルバムまで掘り起こされ社会的なリンチに遭う、今この世界に闇はない、かつて在ったの人の手の及ばぬ森林のような異界はない祭りもない戦争もない 地獄だよ地獄であることを認識するべきだ -- 名無しさん (2017-05-20 02:58:52)
- 『無敵の人』は良心というリミッターを失ったルサンチマンだと思う -- 名無しさん (2018-05-18 01:43:23)
- こげパン -- 名無しさん (2018-05-18 02:03:55)
- >せっかくの人生、どうせならフラストレーションを武器に憎い相手に一矢報いたほうが楽しいだろう。←これ実行したけど全く心が晴れないよ。ある分野で俺がやったことにいちいちケチをつけてくる奴がいたからそいつの後ろ暗い部分をまとめて拡散してやった。すると複数の人間からそいつに対する非難が集まって一時は「ざまあみろ」って思ったけど結局何も解決しなかったよ。そいつがいくら痛い目に合っても俺に嫌味を言った事実が消えるわけじゃないし俺自信いつまでも忘れられそうにない。根に持つタイプは息苦しいと我ながら思う -- 名無しさん (2018-08-17 22:51:22)
- 海外で流行ってるインセルはぶっちゃけリア充を殺傷する非モテ -- 名無しさん (2018-09-04 01:40:27)
- ↑2 ミサワ「これで分かったろう…復讐はめちゃくちゃスッキリするが憎しみしか産まないんだ!」 -- 名無しさん (2018-09-04 02:03:48)
- ↑3えーっと、その一文が言いたいのは「むかつくから死ぬほど努力して超えてやったわ!なめんな!」という方向での一矢報いであって「相手の悪いところ拡散してやった!」とかそういうんじゃないと思うが。そういう思考がだいぶこじらせてる証拠のように思えるぞい -- 名無しさん (2018-11-25 12:26:07)
- ↑違う。そいつは俺が死ぬほど努力して成し遂げたことを何一つできてない。にも関わらず俺がやったことを「大したことない」だの「運がいいだけ」だの言ってくるんだよ。一度や二度なら不快に思うだけで済むけど何十回も積み重なると憎しみに変わる -- 名無しさん (2018-12-14 11:08:17)
- ↑2あなたの言う「むかつくから死ぬほど努力して超えてやったわ!なめんな!」は既に実行したんだよ。それで一矢報いて満足した矢先に意味不明な難癖を大勢の前でぶつけられて俺は心底絶望した。例え結果を残しても憎たらしいやつは最後まで憎たらしい態度を崩さないんだと思い知らされたって話だ。連投失礼しました -- 名無しさん (2018-12-14 11:18:00)
- ↑ 横からすまないが休養をとって落ち着いたほうがいいと思うよ。色々と余裕がないように見える。あと周囲からどちらが正しいと見られるか、を気にするといいかと -- 名無しさん (2018-12-14 11:27:05)
- ↑ありがとう -- 名無しさん (2018-12-14 11:42:47)
- ブラック企業に行って金がない時間がない結婚できない言ってた親戚が、中学時代塾の学費をゲーセンに費やしていたこと、高校時代は俺ブラック企業行くわと笑いながら話していたことを聞いて、今泣きながらブラック企業に行った人たちのことを一から十まで信頼出来なくなった -- 名無しさん (2020-10-10 16:15:12)
- 負の感情に向き合うつもりが「単に卑屈になるだけ」に向かう場合もあるから怖いね。記事にあるような…のとは違うかもしれないけど、自らを高めようとしても、必ず成果が伴うとは限らない。そんな事が続くと、内面の奥底としてはわからないけども、外面や内面の浅い所としては、他者ではなく自分が悪い、自分が許せない、と「ただ単に卑屈」になっちゃうし。ルサンチマンとは別の事になるかもしれないが、それが新たな負の感情を生むだろうし…克服するというのは、難しい事なんだな -- 名無しさん (2021-02-03 03:42:45)
- ↑youtubeのぴよぴよ速報さんにて、そこらへんが分かりやすく解説されてるからおすすめ -- 名無しさん (2021-02-03 19:44:40)
- この極致が共産主義である。 -- 名無しさん (2021-09-27 20:14:16)
- ハガレンのエンヴィーの人間への嫉妬心からくる態度や行動もルサンチマンに該当するのかな? -- 名無しさん (2021-11-29 22:43:47)
- 「 自分の不満の種がどこにあるのかを探ることが先決」これは真理なんだけど、ルサンチマンをこじらせる人というのは徹底的にこれが出来ないんだよ。「そんな不満の種を抱えている=それをやりたいけどやれない自分」を認められないんだ。「自分は既にできている、既に(この記事で言うところの)強者である」という(本人の中で作った)事実以外を受け入れられないんだ。 -- 名無しさん (2021-11-29 22:59:24)
- 「金融義賊」という動画は、高学歴高収入の主人公がルサンチマン拗らせて、自分が革命を起こせば後に続く人が沢山現れるはずだと犯罪を起こした。なお、主人公が助けるべき弱者も主人公は平然と見下し差別していた -- 名無しさん (2023-01-29 23:34:51)
- ↑×4あと、ネット右翼もな。思想的に、右であろうが左であろうが現実に屈折・逃避したい感情からは、負の面しか生まれない。 -- 名無しさん (2023-09-27 09:05:02)
- 最近、一部のインテリ界隈で反知性主義というのが問題視されてるのを見たことがあったが、そういうのって、自分は知性を育めなかったという層がルサンチマン的な感情を抱くようになって蔓延させた…みたいな背景があったりするんだろうか? -- 名無しさん (2023-09-28 14:31:52)
- ↑ 知性への過信or崇拝or依存やインテリびいきへの反発もあるとは思うが、語感に惹かれただけのルサンチマンからの逃避組・曲解組も合流してごちゃ混ぜになってカオスな感じもある。まぎわらしいが反・知性主義と反知性・主義は全くの別物で区別する必要がある。本来は知性自体を否定するのではなく、知性主義を否定する前者の意味で使われる言葉のはず。 -- 名無しさん (2023-09-28 18:24:16)
- 荒らし(の一部)もルサンチマンに当てはまるのかな -- 名無しさん (2023-09-28 18:36:11)
- ↑2 やっぱり、言論や思想にまつわる用語は適当に済ませるわけにはいかないね。教えてくれてどうもありがとう。 -- 名無しさん (2023-09-28 22:35:50)
- 社会的には弱者なのに別ベクトルの弱者を叩く光景をよく見かけるがそういうのは何と呼ぶんだろう?正義気取り? -- 名無しさん (2023-09-28 23:02:10)
- 花沢健吾の漫画の方にノータッチすぎない?名作なのに -- 名無しさん (2023-09-28 23:13:13)
- ↑2 別ベクトルの弱者を弱者と認識できない、むしろ強者だと思ってるようなのはルサンチマンと言えるかも。芸能人レベルの美女だけしか認識してないので女性差別は無いしむしろ優遇されていると主張するインセルとか、同情され救いの手が差し伸べられてるなら強者じゃないかと主張する反・反差別とか。 -- 名無しさん (2023-09-28 23:38:55)
- 被害者様へのルサンチマンとかいう見るからに面倒な案件。強弱関係も切り口一つでいくらでも変わるしな。 -- 名無しさん (2023-09-28 23:44:48)
- ルサンチマンを解消できていないことこそが弱者性の証明たるのに,解消できずに周囲に悪意を振りまいてしまうことで,誰からも見放されてしまい弱者性を透明化される哀しき弱者 -- 名無しさん (2023-10-20 16:32:09)
- まんが日本昔ばなしでは、金持ちキャラの負の側面がやたらと強調されていた -- 名無しさん (2023-10-20 17:06:25)
- ヒイロ「強者などどこにもいない、人類全てが弱者なんだ!!」 -- 名無しさん (2023-10-29 23:45:02)
- 強者に転ずることや得たいものを得ることが現実的でないならルサンチマンで己を慰めるほうがマシでは?と思うけども、この理解じゃ浅いのかなぁ -- 名無しさん (2024-05-05 21:10:51)
- 強者という名の天才は常に負け犬の怨みと怨念を背負って生き続けろよ。生まれ持った才能のお陰で食うにも人間関係にも困らないんだろ? -- 名無しさん (2024-06-16 15:20:46)
- ↑言葉を変えても仮想敵を作り上げてる時点で同じこと。仮にも記事読んだんなら、八つ当たりを正当化して、強者なら(強者に見えさえすれば)という不当な主張だと書き込む前に気づいて欲しいもんだわ -- 名無しさん (2024-06-16 18:17:27)
- ↑そうやって生まれによって存在する絶対的な格差を誤魔化すつもり?これはルサンチマン的思考ではない。この親ガチャ、遺伝子ガチャという絶対的な格差を是正しない限り、世界から怨嗟が消えることはない。 -- 名無しさん (2024-06-16 20:12:08)
- ↑親ガチャも生まれついての格差もそりゃあるよ。けどそんなもん嘆いても生まれ変われるわけじゃない。ましてや他者の攻撃に利用しても不毛なだけ。格差があるのは仕方ないとして、その上で自分を高めなきゃ何も変わらんって話だと思うがな。 -- 名無しさん (2024-06-16 20:31:16)
- こりゃいわゆる平等と公平の混同かね。個体差や個性を尊重するならば公平であるべきだし、闇雲に平等な扱いをすることでかえって格差を生みかねない側面もあるんだけどね。簡単な例えを出すなら、スポーツは男女別(階級等も同様)にするのが公平よな。そもそも遺伝子の良し悪しがどうのってのは個人の恣意的な見方以上のものではなく、その見方(をどこかで刷り込まれた)が格差を必要以上に悪者に見せてるんじゃないのかとも思う -- 名無しさん (2024-06-16 22:19:11)
- スマホでレスバしながら運転しておいて、案の定事故起こしておきながら相手が悪いは本気で笑えない -- 名無しさん (2024-06-16 22:31:42)
- 哭倉村はこれに該当するのだろうか -- 名無しさん (2024-06-17 00:52:17)
- ↑3 私はそんな話をしているのではない。天才や上級国民といった生 ま れ だけ は良い人間が栄華を極め、逆に我々のような親から『腐った遺伝子』を受け継いだ人間は強者から使い潰される世界の不条理を嘆いているのだ。 -- 名無しさん (2024-06-17 16:04:45)
- ↑そういう人たちが何の苦労もしてないと判断してる時点で人間として終わってると思う -- 名無しさん (2024-06-17 16:09:01)
- ↑ 実際苦労してないでしょ?お父様お母様から優秀な遺伝子を貰っただけで勉強も運動も芸術もコミュニケーション能力も全て兼ね備えて、更に優しい〜親からのサポートまである。そんな親ガチャ、遺伝子ガチャでSSRを引いた奴らの苦労なんてあまりにも軽すぎる。 -- 名無しさん (2024-06-17 16:19:06)
- ↑そういう考え方のことをルサンチマンと呼ぶのね… -- 名無しさん (2024-06-17 16:30:36)
- ↑ではどうしろというの?無名の有象無象で終わる人生はダメだ。ZUNや大谷翔平のような絶対的な個人にならなければならない。たが、劣った親から産まれた者にはチャンスすら与えられない。それが不公平だと言っているのですよ。 -- 名無しさん (2024-06-17 16:48:36)
- そろそろ通報した方がいいと思う -- 名無しさん (2024-06-17 16:50:40)
- 概念を知ってさえれば指摘こそできるが、下手に刺激すると手に負えんのよな。かといって腫れ物扱いし続けると一向に歪んだままかさらに悪化する。それこそ神や王を廃業に追い込むほどに -- 名無しさん (2024-06-17 23:49:02)
- ガンダムのジオニズムがルサンチマンってのも納得したわ -- 名無しさん (2024-06-18 10:07:15)
- 『キレイダナア… ナンデ ワレハ アアジャナイ… ナンデ ワレハ ニゴッテイル…!?』 -- 名無しさん (2024-06-18 10:41:18)
- 一時期あまりにも自己責任論が蔓延・横行したもんだから、その反動でルサンチマンに傾倒する人が増えた側面はあるわけで、その意味では親ガチャ云々言ってる人もある種の被害者には違いないとは思う。要は究極の他責思考だからね、これ -- 名無しさん (2024-06-18 10:48:49)
- フランス革命やロシア革命をルサンチマンに絡めるってなぁにこれ? -- 名無しさん (2024-06-19 15:53:31)
- 思考回路のくだりが思想というか偏見が強くなってる気がするけど、ここは消しても良いんじゃ? -- 名無しさん (2024-06-19 16:26:55)
- ↑2 そりゃルサンチマンが原動力になってるから。演説や広告にはルサンチマンを煽るフレーズだらけ。これは現代でもそう -- 名無しさん (2024-06-20 00:01:23)
- 絶対的な社会制度による身分差のどこがルサンチマン? -- 名無しさん (2024-06-20 01:21:20)
- ↑ 興味があるなら調べてみたら。ヒ○ラーの演説あたりがいいのかな。コメ欄で話すには物量的に厳しい話題だわ -- 名無しさん (2024-06-20 01:52:46)
- なんで身分制度前提の革命の話に、選挙ありきのファシズムの台頭が出てくるんですか。 -- 名無しさん (2024-06-20 01:57:45)
- ↑ この記事のタイトルの話だからね。ルサンチマンが破滅的な結果をもたらした例として3つの歴史的事件を挙げたまで。革命との関連が知りたいんだったらそっちを調べりゃいいさ -- 名無しさん (2024-06-20 02:07:45)
- ロベスピエールみてえにいつの間にか自分が断頭台に立たされている、ってなことのないように生きたいものだ -- 名無しさん (2024-06-24 22:31:15)
- ペルソナのニャルラトホテプや、サルマエルの本質が”ソレ”だから、ソレにならないように、心がけるのも、生きていく上で大切なことだね。 -- 名無しさん (2024-09-24 07:50:55)
- ↑7幕末の尊王攘夷も似たようなもんだな。結局は「これじゃァ自滅するだけだ」と途中で気づいて脱却した輩が新政府の主要人物になり、気づかなかった輩は時代の敗者として潰れていったわけだが -- 名無しさん (2024-09-24 08:12:33)
- よくSNSで女叩きのネタにされている「ツイフェミ」とかって、本当に男が嫌いかどうかはさほど重要ではなく、ルサンチマン的な感情でやってる人が大半だと思う。 -- 名無しさん (2024-09-24 14:12:22)
- スケープゴートにできれば不満のはけ口となる対象は何だっていいのよな。それと隙というか叩く口実にできそうな材料が揃ってるかどうかってのも必要条件か -- 名無しさん (2024-09-24 20:43:51)
- そうか! 君は頭が悪くて他にとりえがないから他のせいにすることでしか自尊心を満たすことができないんだね かわいそ… -- 名無しさん (2024-09-24 21:05:23)
- ↑13そもそも共産主義に深い関りのあるカール・マルクスがルサンチマン臭い -- 名無しさん (2024-09-24 21:23:59)
- ↑でもロシア、フランス共に革命前は民衆の権利、何それ?って状態じゃなかった? -- 名無しさん (2024-09-24 22:39:25)
- ↑2 資本主義へのカウンターってのが発想の起点だからな -- 名無しさん (2024-09-25 00:33:44)
- 漫画のことかと思ったら違った、流石にかっことか入らない気はするけど本文で触れて欲しい気持ちはある。。 -- 名無しさん (2024-09-25 00:52:17)
- 不満全部をルサンチマンと看做して抑圧させることもできちゃうのがなぁ… しかも適度のルサンチマンは創造や魅力の源泉になりうるし… とどのつまり扱いに非常に困る代物な気がする -- 名無しさん (2024-10-11 12:53:45)
- 「あいつはルサンチマンだ」って簡単に結論出すのもルサンチマン的思考だから気をつけないとな -- 名無しさん (2024-12-21 08:02:14)
- 上の方のコメにもあるけど、ルサンチマンを拗らせてる人って本当に自分が拗らせてるって認められないんだよな…んで視野狭窄からの暴走で色んな人を不幸にする、そういう意味じゃ自分の内面を見つめる力って本当に大事 -- 名無しさん (2025-01-16 13:12:54)
- ここで偉そうに説教垂れてる奴も片足突っ込んでそう -- 名無しさん (2025-04-25 22:57:11)
最終更新:2025年04月25日 22:57