ビッグ・ショー

登録日:2020/04/30 Thu 23:35:48
更新日:2024/07/04 Thu 14:35:00
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『ビッグ・ショー(Big Show)』は、1972年2月8日生まれの米国のプロレスラー。

本名:ポール・ドナルド・ワイト二世

サウスカロライナ州エイキン出身。
フロリダ州タンパ在住。

通称“世界最大のアスリート”として親しまれる、所属レスラー(タレント)の入れ替わりの激しい世界最大のプロレス団体WWEの中でも、長年に渡り活躍している重鎮の一人。

公称身長213cm、体重200(193)kgに及ぶ体躯を誇り、現在の巨人系レスラーの中でも飛び抜けて巨体である。(一応、身長や体重で上回る選手や相手と絡んだことはある。)
これ程の巨漢でありながら、高い身体能力と確かな受け身の技術を有し、優れたタレント性とプロレス脳も併せ持つ。
その才能故に、必要ならば文字通りの高い山(壁)として立ち塞がることも、自然にジョバー(負け犬、踏み台)の役をこなすことも出来ると、シナリオ上でも非常に使い勝手がいい。

圧倒的な体格から、負けたとしても強者のイメージを失わないのもレスラーとしての大きな武器であり、長期に渡ってトップレスラーとして活躍出来ている理由となっている。

元々はWCWでデビューし、かのアンドレ・ザ・ジャイアントの息子というギミックから ザ・ジャイアント(The Giant)のリングネームで活動していた。

この頃のニックネームである“大巨人(二世)”は、現在でも通用する敬称である。

日本のネット界隈ではビッグ・ショーを語感で直訳・変換した“大塩さん”の愛称が用いられている。
日本のプロレス(相撲)用語で“塩(しょっぱい)”は、下手糞、試合内容がツマらないことを示す語となっているのだが、大塩さんの場合はあくまでも名前のビッグ・ショーの変換であって、大塩さん自身は“寧ろ上手くて面白い”部類の選手であるので勘違いしないように。


【WCW時代】

学生時代までは、長身を活かしてバスケットボールの選手として活躍していた。
そこを、米国マット界の重鎮であるハルク・ホーガンに見初められてプロレス入り。

ラリー・シャープの預かっていたWCWのプロレスラー養成機関モンスター・ファクトリーで7ヵ月のトレーニングを積み、95年にWCWデビュー。
いきなり、ホーガンの持つWCW世界ヘビー級王座を奪取するという破格の扱いであった。
アンドレ本人と対戦経験のあるホーガンのアイディアもあったのかは定かではないが、WCWでは前述の様にアンドレの息子を名乗り、移籍してからも長らく身に付けていたワンショルダーのコスチュームもそうだが、この頃は長髪にする等して容姿やイメージも近付けていた。

また、自分にプロレスの道を拓いてくれたホーガンは恩人である訳だが、同時に得意の物真似のネタでもある。
WWF(WWE)移籍後は、ハルカスターならぬショースターに変身し、ノリノリでホーガンムーヴを演じている。

WCW時代には提携を結んでいた新日本プロレスにも来日し、メインイベンターの一人である佐々木健介にも勝利。
それまでの巨人レスラーの常識を覆す、コーナーポストからの綺麗なフォームのミサイルキックを放って、観客の度肝を抜いた。

こうして、WCWでは若いながらもトップレスラーの一人として活躍。
96年7月に誕生したnWoムーヴメントでは、敵対したり陣営に加わったりしていたが、団体が放埒さを極めるようになると崩壊前に逸早く離脱した一人となって99年に退団している。


【WWE(WWF)時代】

99年2月にWWFに初登場。
リングネームを“ビッグ・ショー”ポール・ワイトに改め、自ら大ヒールとして立ち上がっていたビンス・マクマホンの率いるコーポレート軍に参加。
当時の主役であるストーン・コールド・スティーブ・オースチンへの刺客として、リング下からマットを突き破って出現するという衝撃のデビューを飾った。

以降、10月にはWWF王座を初戴冠する等、新天地でもトップグループに属して活躍する。

前述の様に使い勝手のいいスーパースターであるだけに、頂点王座を巡る強敵から、有望な選手の前に立ちはだかる巨大な壁から、はてまた大物ゲストと絡んだりと、長いキャリアの中で八面六臂の活躍を見せてきた。

怪物路線で売り出しをかけられていたブロック・レスナーを破る役割を与えられたり、
長らくWWEのトップスーパースターの地位を任されたジョン・シナ等も、大塩さんを投げてトップグループ入りの証明としたものである。

05年には2月に開催されたテレビショーさいたまスーパーアリーナ大会にて元横綱の曙と意気投合。
レッスルマニア21にて、史上初の相撲マッチを行い、後のハウスショーさいたま大会ではタッグも結成している。

06年には、WWEの第3ブランドとして復活したECWに参戦してECWヘビー級王座を獲得。
WWEの管理下に置かれていたとはいえ、WCW、WWF(WWE)、ECWの90年代の米国の三大マットのタイトルを獲得した記録を持つのはビッグ・ショーだけである。

07年には以前から抱えていた背中の痛みから約一年にわたり渡り休養していたが、08年に復活すると、いきなりボクシング王者のフロイド・メイウェザーJr.との抗争を開始した。
因みに、最初の予定では大塩さんの方が悪役(ヒール)の予定だったのだが、メイウェザーの悪名か大塩さんへのプロレスファンの声援からか、レッスルマニア24での試合では役割が逆転していた。

その後から現在まで、相変わらずWWEの大物として活躍してる一方で、アンダーテイカーやケイン等と同じく、王座を獲らせてしまった後の扱いに困るのか、何やかんやで挑戦の機会の多さに対して、実際の獲得の機会には余り恵まれておらず、在位期間も短くなるという事実もある。

11年12月に9年ぶりに当時の頂点王座の一つである世界ヘビー級王座を獲得したものの、決着直後にマネー・イン・ザ・バンクの権利を行使したダニエル・ブライアンによって奪われ、在位期間45秒という記録を残してしまっている。

この他、過去にレスナーやマーク・ヘンリー、ブラウン・ストローマンといった自身にサイズでは及ばないものの怪力自慢の“怪物キャラ”枠の選手との対戦にて、雪崩式ブレーンバスター(スーパー・プレックス)で投げられ、着地の衝撃でリング下に張られているワイヤーが破断し(CXの番組に解説者として出演していたDDT大社長・高木三四郎の解説による)、リングを倒壊させるという事態をそれぞれ引き起こしている。

勿論、これは演出上の仕掛けであったことが明かされているものの、それを理解していても尚も巨大なリングがぺしゃんこに潰れていく場面は衝撃的である。
また、如何に了解しているとはいえ、その仕掛けを成功させたのも巨体でありながら高い身体能力と受け身の技術を持つ大塩さんの力があればこそで、ストローマンとの戦いでは普通の体格の選手でも危険な雪崩式ブレーンバスターを三度も受けてからのリング倒壊のコンボであった。
ビル・ゴールドバーグとの対戦では、巨漢レスラーではなかなかに難しかったりする、ブレーンバスター(ジャックハマー)で抱え上げられた後で確りと両足をピンと伸ばして静止させる動作も出来ている。
まぁ、普通は投げやすいように協力したとしても巨漢レスラーがブレーンバスターで持ち上げられることなんて先ず無いことなのだが。

また、自身が加害者の場合も被害者の場合もあるが、技を仕掛けたり仕掛けられたりでリングマットを突き破ってしまったこともある。

近年は年齢を重ねた為か、他のベテラン勢と同様にフル参戦の機会は無くなっているものの、まだまだ現役は続けてくれるようである。
一方、過去の“巨人系”のレスラーが選手生命はおろか、寿命も短くなりがちな事実について、大塩さん自身も“長く生きることが出来ないのは覚悟している”と語ったことがある。

活動期間は重なっていないものの、プロレスに於ける自身のキャラクターのモデルとも呼ぶべきアンドレ(93年に死去)と、自身とは全く別のキャラクターながら、業界のボスとして良くしてくれたリック・フレアーの二人を、何れも尊敬する人物として名前を挙げている。
フレアーの引退セレモニーの際には、バックステージで涙を流しながら感謝を述べたという。


ザ・ジャイアント時代は長髪であったが、ビッグ・ショーとなってからは短髪になり、カート・アングルに剃られて以来はスキンヘッドが定着している。シナリオ上はそうなっているが、単にハゲてきてしまったからだろう。


高いタレント性を活かして俳優活動も行っていたが、2020年4月からはNetflixにて主演となるコメディドラマシリーズ『ビッグ・ショーのファミリーショー(原題はThe Big Show show)』が配信されている。
大塩さんが現役引退後に妻と共に娘達のてんやわんやの子育てに苦闘する姿をコミカルに描く。

2020年にもランディ・オートンがレジェンド選手を巻き込んで起こした抗争に参戦。エッジとオートンの決着戦ではオートンを妨害する動きを見せた。
2022年、突如としてAEWに本名であるポール・ワイト名義で移籍。基本的にはコメンテーターを務める。移籍の理由はいわゆる金銭面や起用の問題とのこと。
また散発的ながらも試合復帰しており、同じくAEW所属にした重鎮の一人となっているクリス・ジェリコと、往年のタッグであるジェリショーを再結成するなど精力的に活動している。


【得意技】


  • チョークスラム/ショーストッパー
巨漢レスラーの御用達のような技だが、ビッグ・ショーは圧倒的な体格による説得力もあって代表的な使い手として挙げられる。
チョークスラムを代名詞とするケインとのコンビ時代には、チョークスラムの共演が見られた。
ザ・ジャイアント時代からの得意技ではあるものの、下記の様にキャリアの中で別のフィニッシャーも数多く生み出している為に実際の試合で見られる機会は少なくなっていった。
フィニッシュとする場合には、持ち上げた後そのまま空中で保持した後、自らも膝を突きながら落とすというバージョンも使用していたが、こちらは相手を負傷させてしまうリスクが大きいため後に封印されている。*1


  • KOパンチ/WMD
現在の主なフィニッシャーで、巨大な拳で相手の横っ面を打ち抜くストレートというかフックというか、とにかく強烈なゲンコツ。
食らった相手が白目を剥いて気絶することもある。
当初はWMD(Weapon of Mass Destruction=大量破壊兵器)と呼ばれていたが、12年後半からは単にKO(ノックアウト)パンチと呼ばれるようになった。


  • チョップ・スマッシュ
いわゆる袈裟斬りチョップ。
威力もさることながらすんごくいい音がするため、ベビーフェイス時には観客に向かって「シィーッ」と静かにするよう促してから放つことも多々。


  • スピアー
巨体であるため確りとした形になってないこともあるものの、とにかく圧がある為に軽々と相手を薙ぎ倒してしまえる。
瞬発力もあるので、カウンターとして繰り出されることもありフィニッシャーとしていた時期もある。


  • ファイナル・カット
何気にオリジナルの使い手。
大塩さんの場合はボディスラムに捉えた相手を投げるのではなく足を着地させ、首のロックだけを残した状態からエルボーを首に添え、自分の体を反転させて尻餅を突きつつ落としていくという形であった。
この、元祖のファイナル・カットからボディスラムに捉える動きを簡略化して、背後からリバースD.D.T.の体勢から仕掛けるのがグレゴリー・ヘルムス流のファイナル・カット(ナイトメア・オン・ヘルムストリート)で、ザ・ハリケーン時代にはアイ・オブ・ザ・ハリケーン(台風の目)と呼ばれていた技。
グレゴリー・ヘルムス流の動きで、エルボーではなくラリアットを落としていくのがカズ・ハヤシ流のファイナル・カットである。
ビッグ・ショーは、後に同じ要領で片足を相手の首に引っ掻けた状態から落とすホグロックなる技を開発してフィニッシュとしていた時期もある。


  • アリウープ
相手をパワーボムの体勢で垂直まで持ち上げた後で、自ら後ろに倒れ込みながらうつ伏せに叩きつけていく技。
パワーボムの体勢から後ろに放り投げていくジャンボスープレックスの動作を高角度でゆっくりやるようにした様な技。


  • コブラクラッチバックブリーカー
コブラクラッチの体勢に捉えた相手を振り回してから、自分の片膝の上に背中を叩きつけていく。
ECW時代のフィニッシャーで、痛め技として使う場合には、単にコブラクラッチに捉えた相手を振り回してから放り投げることもあった。
東洋の巨人ジャイアント馬場のジャイアントバックブリーカーを、締め上げるタイプのバックブリーカーではなく、打ち付けるタイプのバックブリーカーとした技である。




追記修正はリングを破壊してからお願いします。

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最終更新:2024年07月04日 14:35

*1 何せ、プロレス史上最高高度(240cm)まで持ち上げられて、最も滞空時間(3秒半)が長く、腕に体重(193kg)を乗せて膝をつくように落とされるため、ただでさえ危険なチョークスラムに拍車をかけているのである。封印されるのも致し方ない。