登録日:2024/01/30 Tue 14:26:29
更新日:2024/09/12 Thu 07:10:50
所要時間:約8分で読めます
データ
誕生:1990年4月12日
死亡:2018年1月22日
享年:28歳
父:トニービン
母:シャダイフライト
母父:ヒッティングアウェー
調教師:加藤敬二(栗東)
主戦騎手:角田晃一
調教助手:夏村洋一
厩務員:石倉幹子
馬主:有限会社大北牧場
生産者:大北牧場
産地:北海道浦河町
獲得賞金:4億4658万5000円
通算成績:11戦8勝[8-2-0-1]
主な勝鞍:1994年春秋マイル制覇(GI安田記念 ・GIマイルCS)、他重賞4勝
タイトル:1994年JRA賞最優秀5歳以上牝馬
血統
父トニービンはアイルランド生まれのイタリア調教馬。1988年凱旋門賞のほかGⅠ6勝を挙げ、レース中に骨折するもジャパンC5着後、社台グループにより種牡馬として導入された。本馬はトニービン初年度産駒である。
母シャダイフライトは18戦2勝で繫殖入り。ノーザンテースト・ディクタスなど一流種牡馬と配合されたが不振、18歳の時にトニービンの仔を宿した状態でセリ市に出された。
厳寒にもかかわらず緊張のため発汗しながら震え、左目が弱視と注目すべき点がない中、大北牧場3代目斎藤敏雄が410万円という安値で購入した。なお、社台グループ総帥・吉田善哉は「本当にあの馬を売っていいのか」と何度も気にしていたという。
ノースフライトの翌年にクラシックフライトを出産し、これをもって繫殖牝馬を引退している。
母の父ヒッティングアウェーはアメリカで52戦13勝のマイラー。ノーザンテースト導入前の社台グループに導入され、障害重賞馬を複数輩出し1979年に亡くなった。
伯母に1945年アメリカ年度代表馬ブッシャー持ち近親に重賞馬揃いという良血馬というもののトウルビヨン系×マンノウォー系は超マイナーだった割に微妙な種牡馬成績?かと思われていたが死後、母方の血統として大活躍。1998年オークス馬エリモエクセル、シャダイマイン系から93年・1994年最優秀障害馬ブロードマインドやラインクラフト・アドマイヤマックス・ソングオブウインドなどGⅠ馬が輩出されている。
誕生
1990年4月12日にシャダイフライトが鹿毛の牝馬を出産した。人の手を借りずに出産され、早朝発見された時には既に立ち上がっていたという。
斎藤氏は「種馬の良さばかりが出た」「牡馬かなと思ったぐらいの」と絶賛したが、トニービン産駒は華奢で頼りないといううわさが広まっていたため買い手がつかず、仕方なく牧場が所有した。
本馬が誕生した
大北(たいほく)牧場は1935年創業。1965年桜花賞馬ハツユキなどを生産していたが、2代目場主が交通事故で急死、18歳の斎藤氏が後継となるも20年近く不振を極めた。
しかし1989年に生産馬ライトカラーがオークスを制したことで自信を持ち、社台グループの血統を取り入れようとしたのだった。2024年現在重賞31勝を記録し、重賞2勝バビット(
ナカヤマフェスタ産駒)が現役で活躍している。
誕生した牝馬は牧場名の「北(north)」に母名の一部「フライト」を加え「ノースフライト」と名付けられた。
3歳
健康面に全く問題はなかったが、育成ペースがゆっくりだったため、3歳2月になってようやく栗東の加藤敬二厩舎に入った。大丈夫だろうと思っていた健康面から虚弱性が露見し、春先にはデビューできなかった。
加藤敬二調教師は信用金庫サラリーマンから転職した人物。北海道へ一人旅に出て社台グループの白老ファームに立ち寄った際、従業員から「馬が好きなら、働いてみないか?」と誘われホースマンになることを決意した。
1987年に厩舎を開業、じわじわと勝利数を重ね翌年にマヤノジョウオで京都牝馬特別を制し重賞初制覇、2018年に引退するまでにJRA重賞29勝をマークした。
5月1日に西園正都を迎え新潟の未出走戦でデビューした。クラシック戦線で
ウイニングチケットが
日本ダービーを、
ベガが
牝馬二冠を制し
ロイスアンドロイスが最強の未勝利馬と注目されるようにトニービン産駒が大活躍を見せていたが、斎藤氏は大して期待は寄せておらず「競走馬としてはだめでも繁殖としては価値がある」というふうにしか考えていなかった。
なんともまぁノースフライトを甘く見ていたものだった。桁違いの上りを見せ2着に9馬身差を付け圧勝したのだ。続く7月の足立山特別では武豊を迎え、2着に8馬身差つける楽勝を収める。
「ベガの三冠を阻む馬」と取り上げられそのベガの主戦でもある武豊が「キャリア1戦の上に休養明けでこれだけのレースができるんだから、能力が違う」「秋にはベガのライバルになるかも」と評価したのだった。
しかし単勝1.2倍に支持された秋分特別で5着に敗れてしてしまう。調整過程で発熱や蕁麻疹を発症し、レース前には発情するというダメっぷりだった。もっとも、こんな大敗を喫するのはこれが最初で最後だったが。
牝馬クラシック最後の一冠・エリザベス女王杯出走に間に合わない、と陣営は焦ったが、加藤調教師が手腕を振るって調子を戻したことで前哨戦が使えるようになった。
10月16日に2クラスの格上挑戦となる当時1600m戦のGⅡ府中牝馬Sに出走した。回避馬が出てギリギリ間に合った。鞍上は50kgまで減量していた若きGⅠジョッキー角田晃一である。4番人気とまずまずだったが、最軽量ハンデを生かして2番手から押し切り重賞初挑戦で初制覇を飾った。
堂々と11月14日のGⅠエリザベス女王杯に出走したが、当時は2400m戦、距離不安から5番人気にとどまった。
1番人気は三冠が期待されるベガ…ではなくローズS勝ち馬スターバレリーナだった。ベガは釘傷から立ち直るのに精一杯だったのだ。二冠連続2着の3番人気ユキノビジンまでオッズが均衡し波乱があってもおかしくない状況でレースは始まった。
ベガがスタートで接触アクシデントにあい後方から厳しい競馬に、残る人気も伸びが悪い中、ノースフライトは6番手から抜け出して押し切り勝ちを狙いに行く。しかし最内からベガはベガでもホクトベガ!が飛び出し1馬身半差の2着に敗れた。角田は「抜け出したときは勝てると思ったんですが、(9番人気)ホクトベガはノーマークでした」というもののベガをはじめとした中距離実績馬をねじ伏せたのは評価できるものだった。
年末のGⅢ阪神牝馬を武豊と1番人気で出走、トップハンデ56kgを物ともせず快勝した。
4歳前半
1月末のGⅢ京都牝馬特別武豊と1番人気で出走、単勝1.4倍に応えるかのように2着に6馬身差、上りは0.8秒も差がある最速で圧勝した。
3月GⅡマイラーズCに武豊と1番人気で出走、単勝1.8倍に応え朝日杯3歳S勝ち馬エルウェーウィンら牡馬の猛追を抑えレコード勝ちを飾る。なお2着マーベラスクラウンはその年のジャパンCを、4着ネーハイシーザーは天皇賞(秋)を優勝することになり、非常にハイレベルな戦いだった。武は「着差以上に強い内容でした。危なげない勝ち方だったと思いますよ」と絶賛している。
自信をもって
GⅠ安田記念に出走…したが7.0倍の5番人気、そこには多くの刺客が待ち構えていた。
1番人気は社台グループ所有、フランスから来た
スキーパラダイス。GⅠ2着5回を経て
GⅡ京王杯スプリングCを快勝、武豊を迎えていた。2番人気は英1000ギニーなどⅠ4勝を誇る
サイエダティ、前走京王杯3着。3番人気はスプリンターズS・ダービー卿チャレンジTと重賞連勝中の
サクラバクシンオー、ノースフライトにとって生涯唯一のライバルとなる。4番人気はGⅠフォレ賞勝ち馬
ドルフィンストリート、前走京王杯4着。
6番人気でミドルパークS勝ち馬、京王杯2着の
ザイーテンや初の来日香港馬ウイニングパートナーズが参戦し「
ジャパンカップにも見劣りしないほどのメンバー」と呼ばれた。
小雨の中、角田晃一といざレースへ、が出遅れてしまう。しかしこれが功を奏したか先行馬がハイペースで行く中、後方で折り合いをつけると、3コーナー過ぎから上がっていく。実は調教不足だったスキーパラダイスや遠征疲れが出始めた海外勢の脚色が悪い中、サクラバクシンオーが馬なりで上がっていくがハイペースだったので怪しくなる。
「先頭はノースフライト!ノースフライト先頭です!200を切った!
さあドルフィンストリートが2番手から上がってきたが! さあスキーパラダイス!
そして外を通りましてトー↑ワ↓ダーリンが突っ込んだ~! 勝ったのはノースフライト!!
重賞4連勝で角田晃一が決めました!この安田記念です!
さあ!これは角田とそしてトーワダーリン田中勝春がガッチリ手を取りました!
ウイニングランとなりました! ワンツーを決めたのは日本の馬、しかも5歳牝馬です! 」
(フジテレビ・声がひっくり返った塩原恒夫アナウンサー)
ノースフライトは残り200mから各馬を一刀両断すると2馬身半で圧勝した。
1991年のダイイチルビー以来の牝馬の優勝、2着には10番人気の牝馬トーワダーリンが上り最速で追い込み、角田晃一は同期の田中勝春と握手を交わしたのだった。
GⅠ初制覇を飾った加藤調教師は「会心の競馬」と、角田騎手は「世界の強豪馬を相手にこれだけ強い競馬をするんだから、本当に凄い馬ですよね」と絶賛だった。
4歳後半
「ギリギリの仕上げ」であったため長期休養を考慮していたが、状態の向上が早かったことからGⅡスワンSへの出走を表明した。これに対し安田記念4着サクラバクシンオー陣営はリベンジを決意。スプリント王者VSマイル女王が1400mで異種格闘技というところだ。
1番人気は2.2倍のサクラバクシンオーに譲ることになる。ノースフライトは道中で追走に苦労し、最終コーナーでもスムーズに馬群から抜け出せない。上り最速でようやく追い込むもサクラバクシンオーの絶対的なスピードに敗れ1馬身1/4差の2着に敗れた。
勝ち時計が恐ろしかった。1分19秒9は1400mで初めて1分20秒を切る日本レコードタイム、2017年まで更新されなかったこのスピードの頂上決戦はスーパーGⅡとして語り継がれることになる。
第11回マイルチャンピオンS
輝ける場所
大切なパーティーには
間に合わなかったし
ようやくの晴れ舞台も
誰かの引き立て役
でも気づくことができた
私にも輝ける場所があった
ここでなら私は飛べる
機会は限られるかも知れない
だから決して見逃さないで
光放ちながら羽ばたく様を
11月20日のGⅠマイルCSをラストランと宣言したノースフライト陣営は前走とは反対にサクラバクシンオー陣営に勝負を申し込む。
バクシンオーを管理する境勝太郎調教師は安田記念において「敵はフランスでもイギリスでもない。雨だけだ!」と意気込むような「境ラッパ」で知られる人物だった。砂糖いっぱいのコーヒーやあんパンが好物で、酒が飲めず、ユーモアいっぱいの可愛らしい人物だったそうだが。
境調教師をはじめとしたバクシンオー陣営は自信満々。厩務員は「安田記念は良馬場だったけど、午前中に降った雨が内ラチ沿いにずいぶん残っていた。こっちが走ったのはぐちゃぐちゃの芝。すっかり乾いていた外を回った馬が1、2着。だからどうとは言わないけど、普通の馬場だったらと誰もが思うだろう」…良馬場なら負けるかよ!と意気込んでいた。
これに対しノースフライトの夏村洋一調教助手は「マイルなら負けへん。かかってこんかい」と笑いながら取材にきた記者を通じて挑戦状を叩き付けた。
ノースフライトが1.7倍の1番人気に支持され、サクラバクシンオーが3.3倍、3番人気武豊のフジノマッケンオーは11.4倍と二強ムードだった。
レースはサクラバクシンオーは3番手、ノースフライトはそれをマークする。3コーナーからペースが上がり、最後の直線でサクラバクシンオーが先頭に立つ。ノースフライトがじわじわと差し切ると猛追するフジノマッケンオーもろともねじ伏せ1馬身半差で有終の美を飾った。
勝ち時計1分33秒0はダイタクヘリオスのタイムを0.3秒更新するレコード、前年度のシンコウラブリイに続いて牝馬の二連覇、安田記念・マイルCS同一年優勝すなわち春秋マイル制覇はマイルの皇帝1985年のニホンピロウイナー以来9年ぶり2頭目の記録だった。
レースから10日後の11月30日に登録抹消。11戦8勝2着2回、マイル戦は5戦全勝とほぼパーフェクトな成績だった。
一年半という短い競走生活だったことに対し加藤調教師は「引退させるには惜しいとの声も聞きますが、今後の厳しい状況を考えると、ちょうどいい時期かとも思います」と、斎藤氏は「惜しいとはみなさんに言っていただきますけど、彼女にはこれからも仕事がありますから、これがベストだろうと思っています」と語った。
しかし後年加藤師は「これがノースフライトにとって最高潮、という思いでレースを使ったことはなかったんです。……この馬は、もっともっとよくなってくるのでは、という思いが常にありました。素晴らしい成績を残してくれましたが、完成したという気はしなかったんです」と惜しむ気持ちがあったという。
翌1995年1月、1994年のJRA賞最優秀5歳以上牝馬に選出されたが、最優秀短距離馬にはサクラバクシンオーが選出された。1:07.1のレコード勝ちでスプリンターズSを連覇し有終の美を飾ったことが評価されたのだろう。
これに対し大川慶次郎は「前年最優秀短距離馬に選出されたヤマニンゼファーは同年のスプリンターズステークスでサクラバクシンオーに敗れており、その理論で言うとこの年はサクラバクシンオーを退けてGIを2勝したノースフライトが選出されなかったことはおかしい」と指摘し、「評価の基準が一定でないのに、記者が勝手な判断で票を入れているということになります」と不満を露わにした。JRAには「1600mを勝った馬を"短距離馬"というカテゴリーに入れるのか入れないのか、記者にきちんと説明しないと迷うよ」と賞の見直しを提言している。
産駒GⅠ勝利13勝中1勝が東京競馬場で挙げ、ヴィクトリアマイルを除く東京芝GⅠ完全制覇という種牡馬成績を残したトニービン産駒にしては新潟・小倉・阪神・中京・京都で勝利を挙げたノースフライトは珍しいタイプだった。
引退後
繫殖入りするとノーザンテースト・
サンデーサイレンス・ブライアンズタイムと交配されたが自身を超える大物が出ることはなかった。同じトニービン産駒のベガ・エアグルーヴ・アイリッシュダンスなどが成功したのとは異なる結果である。
10番仔中、最も活躍したのは3番仔の牡馬・
ミスキャスト(1998年~2017年。父サンデーサイレンス)。OPプリンシパルSを勝つも皐月賞6着、福島記念アタマ差2着と重賞には届かなかった。
繫殖成績は成功とは言えないノースフライトに光が当てられたのは引退から約13年後のことである。
第145回天皇賞(春)、芝3200mGⅠには三冠馬
オルフェーヴルの優勝を期待するファンが集まっていた。がブリンカーに嫌気をさしたのか全く伸びない。悲鳴が上がる中14番人気の馬が2番手競馬からグイグイ伸びて優勝した。
それが、ミスキャスト産駒の
ビートブラックである。菊花賞3着・OP勝ちのある実績馬だったが前走の
阪神大笑点でオルフェーヴルに4秒近くの差をつけられていたため人気薄、
単勝1万5960円という天皇賞史上最大の波乱だった。
2018年1月、孫のビートブラックが誘導馬として第二の馬生を謳歌し始めたことに安心したのか、心不全により28歳でこの世を去った。
斎藤氏は「この仔は、この牧場で産まれ、かけがえのない馬で、本当に天からの授かりものでした。現役時代にはファンから「フーちゃん」の愛称で親しまれ牧場に戻ってきてからも多くのファンが毎年会いに来てくださいましたので、残念でなりません。応援してくださった方々に、この場を借りてお礼申し上げます。」と、夏村氏は「素直で賢い馬だったけど、坂路に行く前に突然止まるようになって…。先生が“怒るな”って言うので、馬が自分で動くまで30分ぐらいずっと待ったりしたこともあったな。その姿が新聞に大きく載ったりもして。やっぱり今までで一番思い出に残っている馬だね」とコメントを出している。
彼女の死後、子孫の活躍が見られるようになる。
2023年、曾孫のミルトクレイモーがGⅢファルコンSで4着に入り2勝クラスを勝ち上がると、弟のダテノショウグンが5戦無敗で地方重賞ハイセイコー記念を優勝した。ダート競走体制が変わる中楽しみである。金子真人オーナーはノースフライト牝系の馬を所有するなど現在でもその血筋は注目されている。
エピソード
サクラバクシンオーとのライバル関係
2勝1敗だった。サクラバクシンオーの境勝太郎調教師は「6歳秋、この馬と戦ったバクシンオーは1400mのスワンステークスでは勝ち、1600mのマイルCSでは負けた。これは距離適性の差ではない。ノースフライトの状態が完全だったかどうかで結果が決まった、ということだ。あの馬が完調で出てきたら、たとえ1200mでもバクシンオーが勝てたかどうか」とノースフライトの強さを認めていたのだ。
一方で角田晃一騎手は「1400の距離でバクシンオーのあのスピードについて行ったらこっちが潰れてしまう」とコメントしており、互いを認め合うよきライバル関係だったのだ。
小島太の「バクシンオーは日本一速い馬だが、ノースフライトは日本一切れる馬だ」という評価がベストだろう。
境師はマイルCSのパドックにて、加藤師に「この2頭の産駒はどうですか?」と言うと、「いいですね」と快諾されたという。サクラバクシンオーは内国産種牡馬として大成功をおさめるが、2頭の産駒が生まれることはなかった。
理由の一つとして両馬の体質が弱いことにある。サクラバクシンオー陣営は常に「これが最後のレースになるかもしれない」という覚悟のもとでレースに送り出していた。「境勝太郎が嫌い」であると公言する大川慶次郎が「サクラバクシンオーに関しては、境さんは名調教師といえる」「休むときには休ませ、いいときに使っている。もちろんレース中に故障するようなこともなかった。」「引退までずっと大きな故障もなく競走に出られたのは、境さんがいい調教師だったから」というほどだ。
ノースフライトも、「比較的ハードに」調教したのは安田記念のみで、「体さえパンとしたらどこまで強くなったか分からない」と体質がゆえに底を見せぬまま終わっていたのだ。
余談だが、後に2頭には「孫世代で天皇賞(春)を征した「ブラック」の名を持つ父父サンデーサイレンスのステイヤー孫が生まれた」(バクシンオーは母父バクシンオーのキタサンブラック)なんて変な共通点が出来たのは別の話。
なお父サクラバクシンオーX母父トニービンの血統で活躍馬というとGⅢ京阪杯勝ち馬スプリングソング(
カレンチャンの半兄)ほどである。
牝馬の角田
GⅠでの相棒・角田晃一は21歳の時、シスタートウショウに騎乗しGⅠ桜花賞を初優勝、ノースフライトで春秋マイル制覇、
ヒシアケボノでスプリンターズSを制すと当時の短距離GⅠ完全制覇を果たす。女傑ヌエボトウショウなどの手綱をとり
牝馬の角田の異名をとった。
同じトニービン産駒の
ジャングルポケットで日本ダービーを、
ヒシミラクルでGⅠ3勝を挙げる名手だったが、武豊でさえ扱いに困る一匹狼、勝負師気質だった。
競馬サークルに1人も知人がおらず競馬学校時代に癖馬ばかり乗らされた経験がこうなったのか?
それでも美人のノースフライトと
イケメンの角田晃一のコンビはファンの間で人気があったという。
人気
ノースフライトは印象の薄い馬だという声もあった。ライターの辻谷秋人は「思い入れというのは時間をかけて熟成するのだが、ノースフライトはその暇を与えてくれなかった。表舞台に登場し、おお、これは強いぞと思い、そしてちょっと油断している隙に、登り詰めてしまった。思い入れを感じる時間がなかったような気がするのだ」と、漫画家のよしだみほは「パッと出てきて、パッとやめちゃったという感じ。印象が薄いのは、その辺にも原因があるのかも」と原因を述べている。
JRAでさえも「デビューが4歳の5月と遅く、
サラブレッドがもっとも光り輝く4歳春のクラシックに縁がなかったためか、受ける印象はどうしても薄いが、その成績は歴史上のどの牝馬と比べても見劣らない。」「本当はどのくらい強かったのか。天皇賞・秋や有馬記念に出てほしかった、という思いは誰もが抱いた」という。
しかしノースフライトは「20世紀の名馬100」
第35位に選出された。74位のバクシンオーとは差が開いている。なぜだろう?
その理由は二つと思う。1つは何度も呼ばれる「
フーちゃん」の愛称にある。担当厩務員・
石倉幹子女史は当時、いや今でも珍しい女性厩務員として注目を集めた。1993年1月に厩務員になったばかりで、初めて1人で1頭担当するのがノースフライトだった。
馬術部に所属しながら
京都大学農学部を卒業後、男だらけの競馬界に飛び込んだ。「フーちゃん」と呼んで可愛がり、絆をはぐくむ姿に競馬ファンが惹かれたのだった。
ある日女性記者が大北牧場に取材に行った時、「フーちゃん!会いに来たよ!」と声をかけると物凄い勢いで突進してきた、かと思うと「石倉さんじゃないんだ…」と分かるとプイっと帰っていったそうだ。
石倉女史ははノースフライトに続いて1998年のオークスを制したエリモエクセルも担当してさらに注目を集めたが、メディアに対しては「騒ぎすぎ」と苦言を呈していた。クールビューティ同士分かり合えるものがあったのだろうか。
もう1つの理由は当時の競馬界にあろう。94年秋といえば
ビワハヤヒデとナリタブライアンの兄弟対決が大注目されていたが、ビワハヤヒデの故障で失敗に終わった。
当時の短距離路線の注目度は低かったが、世界の強豪相手に大活躍するノースフライト・サクラバクシンオーの対決が熱くなった競馬ファンの関心を集めたのだと思う。
余談だが当年度は史上5頭目のクラシック三冠を達成したナリタブライアンが年度代表馬に選定されたが、投票では1票のみノースフライトに投じられていたため、満票選出になっていない。
その後のマイル路線
ノースフライト以降、2023年までに同一年春秋マイル制覇は延べ6頭が達成した。
しかし、そのうち5頭は
タイキシャトル・エアジハード・ダイワメジャー・モーリス・インディチャンプと牡馬が続き牝馬の制覇は遠のいていた。それどころかマイルGⅠ制覇さえ時間がかかった。
牝馬が安田記念を制したのはウオッカ、マイルCSを制したのはブルーメンブラットまで14年かかった。2020年にはようやく牝馬の
グランアレグリアが同一年春秋マイル制覇を達成する。タイキシャトルを手掛けた藤沢和雄調教師が管理する彼女は、ノースフライトと優劣つけがたい牡馬を一蹴する凄まじい切れ味を誇った馬であった。
そして2023年、JRA賞最優秀短距離馬は「JRA賞最優秀マイラー」(1400~1600m)と「JRA賞最優秀スプリンター」(1400m未満)に区分されることになった。彼女が残した記録・記憶が30年の時を超えて改革をもたらしたのだった。
奇しくも初代JRA賞最優秀マイラーに輝いたのはキズナ産駒の牝馬・ソングライン。昨年の安田記念覇者であり、この年はヴィクトリアマイルを制した勢いで安田記念に乗り込むと、これを制して史上4頭目となる安田記念連覇を達成している。
追記・修正は人馬の絆を知る方がお願いします。
最終更新:2024年09月12日 07:10