ビコーペガサス(競走馬)

登録日:2024/04/05 Fri 15:03:24
更新日:2025/03/23 Sun 04:46:31
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あと一歩、栄冠には届かなかった。

しかしながら、そのスピード能力が

G1級のレベルにあることは多くのファンの記憶にとどめた。

競走馬のふるさと案内所 ビコーペガサスを訪ねて より抜粋


ビコーペガサス(Biko Pegasus)は、日本の元競走馬、種牡馬。
短距離戦では不利とされる性質を兼ね備えながら善戦を重ね、長らく短距離界の名脇役として愛された。


【データ】

性別:牡
毛色:鹿毛
誕生:1991年2月8日
死没:2019年6月11日
享年:28歳
父:Danzig
母:Condessa
母父:Condorcet
調教師:柳田次男(栗東)
主戦騎手:上村洋行・的場均
馬主:有限会社レジェンド
生産者:Robert Steven Stable
産地:アメリカ合衆国ケンタッキー州
セリ取引価格:10万5000ドル(約1500万円)
獲得賞金:3億5785万4000円
通算成績:27戦4勝 [4-6-2-15]
主な勝鞍:1994年GⅢ京成杯、1995年GⅢセントウルS

血統

Danzig(ダンジグもしくはダンツィヒ)はアメリカの一般戦で3戦全勝も「もう一度競走をさせたらこの馬の命はない」と言われた脚のため早々に種牡馬入りした。簡潔に申すと、現代のノーザンダンサー系のおよそ50%がダンジグ系と言われるくらい世界的な成功をおさめ、現在でもサドラーズウェルズ系とノーザンダンサー系を二分している。ビコーペガサスは10年目の産駒である。
産駒は主に馬場を選ばない、マイル前後の活躍馬が目立つが、ビコーペガサスもこれに該当する。

Condessa(コンデッサ)は1981年にGⅠヨークシャーオークスを制したアイルランド出身の馬。凱旋門賞18着後、アメリカに移籍したが未勝利、現地で繁殖牝馬となった。目立った産駒はビコーペガサスのみである。親戚にCBC賞勝ち馬シンボリグランがいる。

母の父Condorcet(コンドルセ)はフランスのGⅡ勝ち馬。フランス2000ギニー2着など短距離で好走した。

競走馬時代

~2歳シーズン

1991年2月8日にアメリカ・ケンタッキー州のロバート・スティーブン・ステーブルで誕生した。1993年のアメリカ・デルマーのバレッツ2歳セールに出され、小柄な馬体・曲がった脚がマイナス評価となり、有限会社レジェンドにより10万5000ドルで落札された。この価格はDanzigの当時の種付け料とほぼ同じだった。

インターグロリアで牝馬二冠を、カツアールで宝塚記念を制した柳田次男厩舎に入った。

1993年11月6日に京都競馬場ダート1200mの新馬戦でデビューした。前年柳田厩舎でデビューしたばかりの上村洋行が騎乗、2着トロナラッキーに9馬身差をつけて圧勝。続くダート1400mのさざんか賞では2着ライブリマウントに5馬身差をつけて2連勝した。
なおライブリマウントは後にG2時代の1995年フェブラリーステークス等中央重賞3勝・地方重賞3勝を挙げ、1995年度のJRA最優秀ダートホース・NARグランプリ特別表彰馬に選出されるダートの名馬となった。

3歳シーズン

初の芝・GⅢ京成杯に出走したがここでは3番人気。1番人気はGⅠ阪神3歳牝馬Sをレコード勝ちし、2歳女王に輝いたヒシアマゾンである。2番人気は歌手・前川清の持ち馬で芝2連勝中のヒゼンマサムネであった。
ベテラン的場均を迎えたビコーペガサスは、内から抜け出すのに苦労するヒシアマゾンを尻目に、楽々と上り最速で抜け出し2馬身差つけて快勝したのだった。3着サクラエイコウオーは後に弥生賞・七夕賞を制することとなる。
勝ちタイム1:33.9は同期のナリタブライアンが朝日杯3歳Sの時計よりも、マルゼンスキーのレコードを更新したリンドシェーバーの2歳レコードよりも上回るものであり、これによりビコーペガサスは3歳牡馬最強の1頭として認識されることとなったのだ。

真偽のほどは不明だが、フジテレビ「スーパー競馬」にて井崎脩五郎は「京成杯は、ぱぴぷぺぽ、の付く馬が活躍する」とコメントしたそうだ。グレード制導入の1984年から2024年までに「ぱぴぷぺぽ」の付く勝ち馬は16頭だった。1990年代には6頭であり、中々の考察ではないかと思う。

しかしこの快勝がこたえたのか、骨折で休養してしまった。
復帰初戦はニュージーランドT、ヒシアマゾンに次ぐ2番人気だったが0.1秒差の3着と初黒星となった。続く中日スポーツ賞4歳Sでは単勝1.2倍の1番人気だったがイナズマタカオーの2着だった。当時NHKマイルCはなく、安田記念は3歳馬の出走は不可だった。
秋に入って初めての古馬混合戦・スワンSは7着、初GⅠマイルCSは5着。怪我で終わった馬だったのか?否、ビコーペガサスはまだ終わっていなかった。

スプリンターズSは引退戦となるサクラバクシンオーが1分7秒1のスーパーレコードで圧勝するものだった。ここでビコーペガサスは上り2位で追い込み、海外馬らを退ける2着に健闘したのだった。
的場騎手は「スタートで少し不利はあったけど、最後はよく伸びてくれた。勝った馬は別格なので、この成績(2着)なら上出来だ」とレース内容を評価している。
しかしまた骨折し、復帰は4歳4月と遅れることとなる。

4歳シーズン

古馬となって初戦は久々のダート戦・栗東Sだったが、7着惨敗という内容だった。安田記念では人気を落とし10番人気だったがハートレイクから0.2秒差4着と健闘してみせる。的場騎手は「後半の伸びはさすがだが、現時点では仕方ないか。今日は状態としても85点ぐらいだったからね」とコメント、骨折から完全に立ち直れていないようである。
しかし1番人気の阪急杯で12着となり、手綱を握った上村騎手は当分の間主戦を任されることはなかった。
東スポ競馬がいうには「午前中から雨。嫌な予感はしたが、パドック周回中から覇気がなく馬体重420キロと素人が見ても状態の悪さが伝わってきた。案の定スタートから行き脚がつかず直線に向いても何の反応もなく1番人気12着。」と馬のコンディションに問題があったようだ。

秋のGⅢセントウルSは3番人気だったが、鞍上に武豊を迎えることができ、大外から軽く出すと2着に1馬身半差つける快勝をおさめたのだった。武豊騎手もこれには「それにしても、すごい切れ味でしたね。予想以上でしたよ」と興奮気味にコメントしている。

GⅠ制覇に向けて調教を進め、豊騎手は「ビコーペガサスはヒシアケボノと比べると100キロ以上も小さいけど、すごいピッチ走法で回転がメチャクチャ速い。搭載エンジンが違うって感じなんです。前走の追い込みは本当にシビましたし、チャンスですね」と、新聞では「王者の風格」と期待大だった。
武豊と継続して1番人気でマイルCSに出走するも、残念ながら伏兵トロットサンダーに敗れ4着だった。
続くスプリンターズSはトロットサンダーの鞍上だった横山典弘を迎え2番人気だった。的場には先約が、武には阪神での騎乗があったからだ。
1番人気はマイルCS3着の3歳馬ヒシアケボノである。ヒシアケボノの巨体でビコーペガサスは見え隠れしながら追い込むも2着、スプリンターズS2年連続2着というあまり嬉しくない結果に終わり、横山典弘の2get史に刻まれることとなった。
このヒシアケボノ・ビコーペガサスの馬体のコントラストにより「凸凹コンビ」という呼び名がつくこととなるが、この時のスプリンターズS出走馬の最低体重馬はコクトジュリアンであった。

5歳シーズン

復帰後のダービー卿チャレンジT3着した後、GⅠ初昇格の高松宮杯で2着…結果的にラストランとなった短距離初挑戦ナリタブライアン(4着)や好敵手ヒシアケボノ(3着)らに先着したものの鞍上横山典弘ということで「またかぁ…」というものだった。
安田記念はヒシアマゾンに先着するも他馬と接触するトラブルもあってトロットサンダーの5着、秋のスワンSはスギノハヤカゼのレコードにクビ差2着と惜しい競馬が続いた。
2番人気で迎えたマイルCS・スプリンターズSは9着・7着と振るわず。スプリンターズSは故障(予後不良)したニホンピロスタディの後退で進路を失っており、とことん運がなかった。

6歳シーズン

実に2年ぶりとなるダート戦はライブリマウントとの再戦となるGⅠに昇格した第1回フェブラリーSだった。大変な不良馬場であり、返し馬で地面に馬の姿が反射されるほどの田んぼだった。
「前走はまるで競馬をしていないからね」と、鬱憤を晴らすかのように、武豊騎手の好騎乗とビコーペガサスの底力もあって後方からじわじわと伸び4着と健闘した(なおライブリマウントは10着)。
シルクロードSで上村騎手と久々のコンビを組み2着…だったのだがエイシンバーリンのスーパーレコードの4馬身差という厳しいもので、高松宮杯10着・安田記念6着とGⅠでは末脚が炸裂しなかった。
秋は未出走に終わる。ヒシアケボノはスプリンターズS後、先立って引退している。

~引退

7歳3戦は上村騎手が全て手綱を取ったが、年齢と脚の限界もあってか、マイラーズC11着・高松宮杯6着と振るわず、安田記念で14着に敗れたのを最後に引退したのだった。

通算27戦4勝。これだけ見たらそこらへんのオープン馬に見えないでもないが、GⅢ2勝、重賞2着6回、3着2回、4着3回、5着2回(GⅠに限っても掲示板入り8回)……という驚異的な善戦力でセリ値の20倍稼いだ孝行馬だった。ビコーペガサスに先着した馬は全員重賞馬、しかもマチカネアレグロ以外は重賞2勝と何とも相手が悪かった。
ヒシアケボノとは10戦6勝、一つ上の同冠・ビコーアルファーとも短距離で度々対戦し、切磋琢磨した。アルファーも3億以上稼いでいた。

筋肉質で先行馬のほうが有利とされる短距離において、かなり小柄(430kg前後)な追い込み馬としてビコーペガサスは異色を放った。「最強のシルバーコレクター」「ミスター掲示板」「名脇役」「善戦マン」「ちっこくてかわいいやつ」「凸凹コンビの片方」「名前はよく見たけどどんな馬だったっけ」と微妙な扱いにされることが多い。
担当助手も「とにかくGⅠ2着はもういい。何とか勝ちたいものだよ」と嘆き続けていた。
しかしながら、生涯末脚勝負を貫き、幾度もの骨折を乗り越えてきた小さき天馬を愛してきたファンは今なお多い。

かなりのピッチ走法であることや、ヒシアケボノ同様坂路調教に強かったこともあり、競馬新聞で注目される馬でもあった。小さいながらも強気を見せる彼だったが、引退後の話によると「少し怖がりな面があり、その分人を頼りますね。例えば、ハサミやチェーンの音を気にするので、手入れする時はスタッフが歌を歌いながら手入れしているのですよ。」と気弱い部分があったそうだ。関西馬ゆえの輸送で馬体重もよく減らしていた。

なおビコーペガサスの活躍以降、Danzig産駒が日本に数多く輸入され、ヤマニンパラダイスが阪神3歳牝馬Sを優勝し、ヒシアケボノの半弟・アグネスワールドが海外GⅠ2勝するなど、その影響力も評価に値する。
これは、「90年代のマル外ブーム」「バレッツセール旋風」と呼ばれることになり、2018年に終了するまで「日本の民間育成場における調教技術の進歩」「日本人のための良質なマーケット」「対SS旋風・対ディープインパクト旋風」のために利用され、同期のエイシンワシントンと共にそのきっかけとして評価されている。

引退後

1999年から種牡馬となった。素晴らしい血統や潜在能力を期待されたが、小柄な馬体・脚の問題から初年度は種付け無料だった。しかし集まった牝馬は良質ではなく、2001年に腰の骨折のため1年間種付けを休養するアクシデントに見舞われたこともあり、すぐに需要がなくなった。デビューした産駒は29頭である。
代表産駒が4歳以上1000万下を勝ったマグネティックマンといわれるほど失敗し、繁殖に上がった馬はいないという。2003年に浦河町・日高SSに移動している。
2006年に種牡馬を引退し、功労馬管理施設ローリングエッグスクラブ・ステーブルに繋養された。
2012年の「競走馬のふるさと案内所 ビコーペガサスを訪ねて」を見ると「腰に不安のある馬で注意しながら管理していますが、安定して良い状態を保っています。今年21歳となりますが、まだまだ“おじいちゃん”という感じではなく、年齢以上に若いですね。去勢をしていないので、馬っ気を出すこともあります。」「牧場での呼び名は「ペガ」。放牧地では1頭で放牧しており、草を食んだり休息したり、自由な時間を楽しんでいる。」と若々しい状態で悠々自適な隠居生活を送っていた。「ペー」というニックネームもあったとか。

彼が余生の送る合間に先輩?のビコーアルファーは京都・平安騎馬隊の「笠置」号として活躍、2014年9月8日に24歳でこの世を去り、自身が名を馳せる要因となったヒシアマゾンも2019年4月15日に祖国・アメリカで亡くなった。
そしてビコーペガサスは2019年6月11日に西川富岡牧場分場にて、敗血症により28歳でこの世を去った。「ビコー」軍団の名馬たちは天命を全うしたのである。ナリタブライアンの死から20年、ヒシアケボノの死から実に12年が経過していた。

「ビコーペガサスはナリタブライアンと同じ最強世代の一頭で、沢山のファンに恵まれた馬だと思います。今でもファンの方が牧場まで会いに来てくれて、馬もきっと喜んでいるでしょう。」と充実した隠居生活だった。

余談だが、ビコーペガサスとビコーアルファーには短距離馬(1400mで強かったというファンの声がある)以外の接点がある。それは三冠牝馬というワードである。
2023年の三冠牝馬・リバティアイランドはビコーペガサスの半妹の曾孫にあたる。この話題は、「まさか今になってビコーペガサスの名前を聞くとは」なんて言われる(ウマ娘以外で)貴重な場面となった。ビコーペガサスの活躍が期待されて姉妹たちが繁殖入りした結果、日本競馬に大きな影響を与えたのだった。

一方のビコーアルファーは、出身の長谷川牧場で長らく最多獲得賞金を誇っていたのだが、2020年に無敗で牝馬三冠を達成したデアリングタクトにより更新されている。なお「デアリング」の始まりは「デアリングダンジグ」、Danzig産駒であった。

【創作作品での登場】

史実では名脇役だったからか、ウマ娘としてはヒーロー志望のど根性娘。
彼女のキャラソンも何故か特撮風味。一撃入魂!ペガサスパンチ!ちなみに構えが完全にアレ
バクシンオーと共にしょっちゅう暴走している。まぁ、バクシンオーは誰と絡んでも暴走するけど。
勝負服は元々はその趣味に反し魔法少女風…だったが、アプリ版ではデザインが変わり腰に立派なベルトを巻いたヒーロースーツ風になった。

ウマ娘としては2017年に発表されている*1結構な古株なのだが長きにわたりプレイアブル化されず、アニメ2期より前に発表されたウマ娘達の中では唯一未実装の立場となってしまっていたが、ゲーム開始3周年を目前にした2024年2月14日についに育成ウマ娘として実装された。
こちらでの扱いは当該項目参照。→ビコーペガサス(ウマ娘 プリティーダービー)



追記・修正はクラシック三冠馬と最強牝馬を倒してからお願いします。

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  • GⅠ未勝利
最終更新:2025年03月23日 04:46

*1 より正確に言えばTwitter上で行われていた「キャラクター名前予想クイズ」として名前を伏せて原案イラストが公開されるかたちでの発表。