両面宿儺

登録日:2024/10/03 Thu 12:45:55
更新日:2025/01/15 Wed 15:54:27
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六十五年 飛騨國有一人 曰宿儺
其爲人 壹體有兩面 面各相背 頂合無項 各有手足 其有膝而無膕踵
力多以輕捷 左右佩劒 四手並用弓矢
是以 不随皇命 掠略人民爲樂
於是 遣和珥臣祖難波根子武振熊而誅之


両面宿儺(りょうめんすくな)とは、古墳時代(大和時代)日本にいたとされる人物である。
宿禰(すくね)ではないため注意。


【概要】

その名が登場するのは、奈良時代に編纂された歴史書である「日本書紀」。
その中の仁徳天皇の治世の項に登場する。冒頭に記載した文章がそれ。

書き下すと
六十五年*1に、飛騨(ひだ)の國に一人有り。宿儺(すくな)()う。
其の人と()り、(ひと)つの(からだ)(ふた)つの面を有す。
両つは(おのおの)相背(あいそむ)き、(いただき)は合わさって(うなじ)無し。
(おのおの)手足有り。其れ(ひざ)有り(しか)れども(よほろ)*2(くびす)無し。
力は多く、それを以って軽捷(けいびん)なり。左右に剣を佩き、四つの手に並びに弓矢を用いた。
是を以って皇命(すめらみこと)(したがわ)()。人民を略奪し楽しみと()す。
(ここ)()いて、和珥臣(わにのおみ)の祖たる難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)を遣わし(しか)して之を誅せしむ。
となろうか。

え?まだ分からない?
仕方ないので、箇条書きにすると
  • 西暦459年くらいに飛騨地方(今の岐阜県の一部)に「宿儺」って男がいたよ
  • 体は一つだけど顔は二つで、手足もそれぞれの顔の面にある(=計4本ずつの手足)の異形
    • 顔は、それぞれ前後ろを向いているものが頭頂部で合わさってる(=うなじはない。うなじフェチの人は残念)
      乱暴な言い方をすると、背中合わせに立たせた二人の頭と背中だけを融合させたような姿ということ。
      尻穴はどうなってるんだろ…。
    • 足は、ヒザはそれぞれにあるけど、ヒザ裏やカカトはなし
    • 両手でそれぞれ弓を使える他、左右の腰に剣を装備して、二刀流も可能
  • 乱暴者で、天皇の命令にも従わずに人々から略奪して喜んでいたヒャッハー族
  • なので、「難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)」という男を派遣して、退治しました
という話。
……お前、ホントに人間か?

なので、「“両面”宿儺」という呼び方はその特徴的な容姿から付けられた、半分綽名のようなものでもある。
また、ヒザ裏やカカトが無いという描写は、脛当てを着けたり半草履状の爪皮を履いた飛騨の山岳民を表しているという説もある。

上記のように、実在したとは信じられないような怪物じみた姿をしている。
ただ、これはいわゆる大和朝廷に従わない地方豪族 ―いわゆる「(まつろ)わぬ民」― を平定した際に、朝廷の正当性などを強調したり、蔑視の意を込める意味で異形の姿で描いたものと見られている*3
二人の人間が合わさったような姿も「一人で二人分活躍するほど武勇を備えていた」という意味かもしれない。
もしくは、双子か兄弟のような容姿が似て息の良く合った二人組だった可能性もある。
一方で、あまりに具体的な姿の記述から『実は結合双生児(シャム双生児)だった』(そうでなくても、何らかの身体的特徴が実際にあった)のではないか、という説もある。


【飛騨地方の伝承】

ただ、宿儺のお膝元である、岐阜県飛騨地方での歴史や評価はまた異なる側面がある。
基本的には、国家安全・五穀豊穣を祈念し行動する、善政を敷いた名君扱い。
「鬼を討った」「悪龍を退治した」などの、武勇に優れた豪傑としての英雄譚が語られることもある。
そのため、現在でも「宿儺さま」「両面様」「両面宿儺菩薩」などと呼ばれて親しまれている。
……というか、正直、まとめきれないほどの伝承が飛騨地方の各地には残されている。

とはいえ、地域の伝承に描かれた姿の方が本当かというとそれも分からない。
上述のように、朝廷がプロパガンダの為に両面宿儺をバケモノとして描写した可能性はある。
だが、一方で、飛騨地方を円滑に治めたい宿儺自身が自分を美化するプロパガンダをばら撒いた可能性だって否定できない。
あるいは、本人の与り知らぬ所で噂に尾鰭がついて勝手に神輿にされたかもしれない。
暴虐非道の輩か、慈愛に溢れた名君か……宿儺の両面のどちらを信じるかはあなた次第である。

いずれにせよ、当時飛騨地方の人々と大和朝廷の間で何らかの争いがあり、この時飛騨の人々には指導者がいた。
その人物は、朝廷にも特別視されるほどの影響力があり、かつ戦となれば強力無比で苛烈な人物であった。
これらのことは間違いないであろう。

《飛騨千光寺(せんこうじ)

岐阜県の高山市丹生川町にある寺院。
この山の開祖は宿儺であるとされており、江戸時代の仏師、円空作の「両面宿儺坐像」「両面宿儺立像」を始めとした、複数の宿儺像が存在している。
縁起である「千光寺記」では、仁徳天皇の時代に宿儺が仏法の契約により出現。
袈裟山の山頂で妙法蓮華経や袈裟、千手観音像を掘り出し、寺の名を「袈裟山千光寺」としたという内容が記載されている。
また、像がある宿儺堂が「慶長3年(1598年)再建」とある=最低でもそれ以前から宿儺信仰があることがわかっている。

その他、近くの丹生川町坊方の山中には、千光寺まで一跳びで行った際についた足型が残っているとされる岩が存在している。

善久寺(ぜんきゅうじ)

同じく高山市丹生川町にあり、宿儺が開祖とされる寺院。
かの弘法大師が訪れた際に宿儺に菩薩の位を授けたと言われるほか、約1000年前に、慧心僧都が「両面宿儺が十一面観音の化身」と聞き、十一面観音像を刻んで納めたとも言われている。

この寺院の両面宿儺像は甲冑を纏い、体の前で両の手を合掌している。
また、合掌した手の上には横向きの斧を持っている。

「両面宿儺出現記」によれば、仁徳天皇の時代に同地の山(出羽ヶ平)が鳴動の後、岩窟が生じ、その中から両面宿儺が現れたとのこと。
その際の姿は『一体両面、四手両脚』『身には甲冑を着して、兵杖を帯び、二手には斧を持ち、一方の二手に印を結んでいた』というもの。
仏法の守護のためにこの世に出現したと言う宿儺に、1人の村人が平伏して家に招きたいと申し出たところ、宿儺は印を結び小さな十一面観音の姿に変化したという。
その村人は観音像を村へ大切に持ち帰り、庵を建てて宿儺に仕えたと言われている。

また、寺内には、宿儺が最期の食事を取った場所といわれる『御膳石』もある。

日龍峯寺(にちりゅうぶじ)

高山市からはやや離れた関市下之保*4にある、高澤山の中腹に存在する寺院。
この寺を開創したのも宿儺だと言われており、寺内には中華風の甲冑を纏い、彩色を施された両面宿儺の像も存在している*5

豪傑であった宿儺の噂を聞きつけ招聘した仁徳天皇であったが、宿儺は配下に下ることを断ったという。
飛騨への帰り道、2羽の鳩のさえずりに導かれて高澤山へ至った宿儺は、住民から池に住む悪龍を退治してほしいとの依頼を受ける。
請われる通り、遠くの峰に登り陀羅尼(だらに)*6を唱えることで龍を退散させ、その後、祠を建てたという。
それが日龍峯寺の縁起と伝わっているとのこと。

また本堂の前に生えている千本(ひのき)は宿儺が登山に使った杖を刺したものといわれている。

その他、同じく関市の肥田瀬(ひたせ)にある金龍山 曉堂寺(きんりゅうざん ぎょうどうじ)には宿儺が彫ったと伝わる聖観世音菩薩立像がある。
宿儺がこの地を訪れた際に夢枕に立った金龍のお告げに従い、五穀豊穣・国土安穏・民衆の和楽を祈願しつつ掘り上げたとか。

《飛騨大鍾乳洞》

高山市丹生川町にある、日本最高地に存在している鍾乳洞。

また、この鍾乳洞群の一画に、宿儺が住んでいたと言われる『両面宿儺洞(両面窟)』や、宿儺を祀る『両面宿儺 遥拝所』がある。
その他、超巨大な鍋である「日本一宿儺鍋」も展示されており、11月に開催される『飛騨にゅうかわ宿儺まつり』では鍋料理が振舞われている。

また丹生川在来のカボチャをブランド化する際「宿儺のように親しまれる」ことを願って『宿儺かぼちゃ』と命名されたりした。
西洋種ではあるが、ヘチマのような薄緑色で長い形をしており、甘味が強くホクホクした触感が特徴。
御厨子所(キッチン)で調理される方の宿儺。


† ゆるキャラ「すくなっツー」

平成25年に誕生した飛騨のゆるキャラ
  • 所属:飛騨乗鞍観光協会
  • 特徴:顔が両面・手足が4本ずつ、性格の違う二つのキャラクターが背中合わせで一体になっている。
  • 誕生日:古墳時代11月3日(推定年齢 1,600歳)
  • 高山市民となった日:平成25年11月3日
※等身大パネルが、上記の飛騨大鍾乳洞前に設置してある。
モデルどおりの外面をし、前面はにこやかだが、背面はやや怖い顔をして、両手で斧を持っている。
なお、このキャラに限らず上記の宿儺像の中にも斧を手にしているものは多く、宿儺=斧使いとみても良いであろう。


【サブカルチャーにおける両面宿儺】

残念ながら、史実の宿儺個人のパーソナルを描いた作品はすくないほぼ存在しない。
また、仮に宿儺当人が登場しても基本的には悪鬼妖怪の類であることがほとんど。

◇小説『両面宿儺』◇

豊田有恒の短編。
主人公である金森は、彼女の実家である飛騨高山でその地元の人間らと宿儺について語り合い、自説を開陳する。
その中には、上記のシャム双生児説も。
そして最後には…。

◇漫画『宗像教授伝奇考』◇

第7話「両面宿儺」。
なお、この話は後述の2chネット怪談でも触れられている。
飛騨の地を訪れた宗像は、少洞村(すくなぼらむら)という村へたどり着く。
そこで、人が背を向けあい一体化したような奇妙な形の道祖神を見つけるところから話が始まる。

こちらでは、大昔に日本へ来た外国人の一団「スクナ族」がその由来ではないかという説が語られる。
日本に大陸の文化を伝えた。それが出雲圏の文化形成となり、大国主神(オオクニヌシノミコト)の国造りの話もこれをモチーフとした話だろう、と。
しかし、後に大和朝廷による出雲の侵略が起こり、追われたスクナ族がたどり着いたのが今の飛騨地方だった。
飛騨の両面宿儺は、そのスクナ族の末裔であった、という説。
ただ、この「スクナ族」の話は少名毘古那(スクナビコナ)の逸話であろう。
意図的か、そうでないかは分からないが“スクナ”繋がりで関連付けたものと思われる。

◇漫画『地獄先生ぬ~べ~』◇

飛騨地方に何度も現れ、最終的に御鬼輪によって封印された妖怪として登場。
ぬ~べ~が御鬼輪を外してしまったことで復活。
地元では「スクナ様」とも呼ばれていたが、自我は無さそうで、祀られていたのだとしても荒神の類としてであろう。
なお、顔こそ2つだが両面ではなく首自体が2つあり、8本の手足は「6本の腕と2本脚」と解釈されている。
人間を軽く踏み潰せる程の巨体を古代風の甲冑で包み、全ての腕に武器*7を持つパワーもタフさも桁違いな大妖怪。
ただし、さすがに地獄の鬼には劣るようで、御鬼輪によって解放された鬼の手の前に敗れ去った。

◇漫画『魔法先生ネギま!』◇

二面四手の巨躯の大鬼『リョウメンスクナノカミ』。
千六百年前に打倒された飛騨の大鬼神、ということで史実の宿儺そのもののことであろう。
その後、どういう経緯があったかは不明だが、本編前に一度復活したのか、ナギと近衛詠春が封印したという。

修学旅行編において、天ヶ崎千草が引き起こしたクーデターの最終段階で、近衛木乃香の魔力を利用する形で復活。
当時のネギの最大攻撃魔法である「雷の暴風」さえも意に介さないほどの強大な力を持つ。
しかし、全盛期並みの能力を発揮できたエヴァの前では敵ではなく、最期は“おわるせかい(コズミケー・カタストロフェー)”によって凍結粉砕され、撃退される。

ちなみに、魔法も気も使えない千雨を基準(1)とすると、その強さはSAクラスの8000(byジャック・ラカン*8
(つまり、千雨8000人で掛かれば倒せる…?!)
全盛期のエヴァは最低でもラカンと同等と考えると、エヴァに一蹴されたのもそれなりに信憑性はあるか。

◇漫画『呪術廻戦』◇

詳細は両面宿儺(呪術廻戦)にて。
ただし、上記の日本書紀にて記載された両面宿儺にあやかって名づけられた存在なので別人。

◇特撮『ウルトラマンティガ』◇

詳細は宿那鬼にて。

◇ゲーム『神咒神威神楽』◇

詳細は天魔・宿儺にて。

◇ネット怪談『両面宿儺』◇

2chオカルト版に投稿された創作怪談。
仔細は割愛するが、人為的に作られた呪物としてのミイラで、元となった人物は岩手出身の奇形児とのこと。
その姿から生前の人物ないしはそのミイラに付けられた通称で、やはり史実の宿儺とは無関係。
そのミイラの容姿は、曰く「頭が両側に2つくっついてて、腕が左右2本ずつ、足は通常通り2本」。

投稿者の話は、ある寺の解体時に、そのミイラが納められた箱が見つかったことから始まってゆく。
なお、この話はフリーゲーム怪異症候群2」のモデルにもなっている。



追記・修正は2つの顔でモニター2枚を見つつおこなってください。

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最終更新:2025年01月15日 15:54

*1 仁徳天皇の在位から65年。西暦で言えばおよそ459年になる。

*2 「よぼろくぼ」「ひかがみ」とも。ヒザ裏の窪みの事。

*3 いわゆる「土蜘蛛」などもそのような例とみられている

*4 岐阜県を「飛騨」と「美濃」に大別した際の「美濃地方」に在する

*5 毎年11月の第3日曜日にのみ開帳

*6 真言の一種

*7 弓・矢・鉾・槌・斧・剣。

*8 参考までに戦車が200、イージス艦が1500、当のラカンは12000