がんばれ!!タブチくん!!

登録日:2024/11/24(日) 19:51:11
更新日:2024/11/29 Fri 23:11:15
所要時間:約 6 分で読めます




ミヨコ、そこへ座りなさい。
座ってるわよ。


がんばれ!!タブチくん!!とは、いしいひさいちが『漫画アクション』にて連載していた漫画作品である。
本項ではこれを原作としたアニメ映画についても解説する。


概要

かつては阪神でホームラン・アーチストと呼ばれプロ野球界のスターだったタブチ選手。
しかし度重なるケガと不振から肥満体となってしまい、トレードで新生の西武ライオンズに移籍することに。
そんなタブチと愉快な仲間たちの活躍を描いた4コマ漫画作品である。

実在の著名人を題材にした4コマ漫画というジャンルを築いたパイオニア的作品であり、
これ以降プロ野球選手を主人公にしたギャグ漫画が多数生まれるなど、後年に多大な影響を与えた。

登場人物は連載終了後もスターシステムでいしい作品の常連キャラクターとなっており、例えば『となりのやまだ君』→『ののちゃん』(朝日新聞朝刊)ではののちゃんの小学校の先生の中に「タブチ先生」がいる。
さすがにというか体育の先生をしているコマが多い。


アニメ映画

1979年に第1作、1980年5月に『激闘ペナントレース』、同年12月に『あゝツッパリ人生』の3作が公開された。
アニメーション制作は東京ムービー(現:トムス・エンタテインメント)で、監督は全て芝山努。

原作と異なり西武ライオンズ時代から開始しており(ただしタブチが間違えて阪神のベンチに入るネタがあった)、ツツミオーナーを筆頭に球団をイジる描写が多いのも特徴。西武グループから抗議が来なかったのが奇跡のような話である。
アニメでタブチを演じた西田敏行はキャリアでは数少ない声優業であるが、ハマり役として人気を博した。
また、これがきっかけで西田は田淵本人とも交流を持つようになった。

本編に登場するライオンズは所沢移転直後、成績も振るわず観客もまばらという閑古鳥が鳴く惨状だった(尤もこれは当時のパ・リーグ全般に言えることだが)。
地上波テレビで放送された時期は80年代後半~90年代初頭と西武黄金時代ど真ん中だったため、
アニメと現実の西武の違いにギャップを感じた人も少なくないだろう。

上映時間は約95分と一般的な尺だが、1話10分の短編×9~10本のオムニバス形式で構成する「マルチラウンド方式」がとられた。
これは途中入場者*1や児童が鑑賞しやすいように配慮したもので、後年『天才バカボン』や『オバケのQ太郎』もこの方式で映画化が検討されたが、両作ともアニメの製作権が他社*2に移ったため頓挫している。

映画の好評からテレビアニメの製作も検討されたが、タブチ役の西田敏行のスケジュールが確保できず実現には至らなかった。

その後、実質的な後継作品として1983年・84年に「プロ野球を10倍楽しく見る方法」(原作:江本孟紀)というアニメ映画が公開された。こちらは基本構成は本作を継承しておりタブチも登場するが、声は西田ではなく増岡弘が担当している。

2024年の西田逝去の際は、追悼企画として第1作の無料配信が実施されている。

登場人物

  • タブチくん
CV:西田敏行
本作の主人公。
大きく腹が出た肥満体型が特徴で、守備ではパスボール、送球すれば暴投するという役立たず。
打撃は大きいものの走りが全くダメで、ヒットを打っても一塁に到達する前にアウトが当たり前。
そのため「絶対に不可能な事の例え」として「タブラン(タブチのランニングホームラン)」という新語が生まれ、ケガで離脱すればナインが喜び突如西武が連勝するなど疫病神のような扱い。
以上のように一見すれば誰からも嫌われているように見えるダメ選手として扱われるが、基本的には穏やかで人が良く憎めない性格の持ち主。
体型を指摘された際には過酷なダイエットに挑み、一応減量には成功する等努力家の一面も*3
その点もあってか宝くじのCM*4に起用されたこともある。
移籍の経緯からトレードという言葉にノイローゼ気味となっており、アニメではトレーとつく言葉(トレーニング・トレーラーなど)を聞いただけで発狂する描写もある。
また、力士の輪島や南海の電車、日ハムとキロ(食肉)単位など体型をネタにしたトレードネタも登場する。
アニメ第2作の冒頭では「映画化に際して僕に挨拶が一切なかった」というメタ発言をかましている。
西武移籍後は小手指に住んでおり、駅前で売ってるたこ焼きを好物としている。

モデルはご存じ田淵幸一。
本作のせいでお荷物キャラのイメージが強いが、西武時代はランニングホームラン=不可能の代名詞な事こそ史実であり、捕手から指名打者・一塁手にコンバートされる*5程守備に難はあったが決して不振だったわけではない。
それどころか1982年・83年には阪神時代にはなしえなかった2年連続日本一を経験し、83年日本シリーズでは優秀選手賞を受賞している。
2020年に田淵が野球殿堂入りした際、いしいは「殿堂入りは当然と思います。もう2度と足を引っ張ったりしません。おめでとうございます」と祝福のコメントを送っている。

  • ミヨコ夫人
CV:二木てるみ
タブチの妻で美人。
タブチのハチャメチャな行動に振り回される常識人のキャラクターだが、時折夫に暴力行為をそそのかすこともあり、なんやかんやで夫婦仲はよい。
モデルは田淵の前夫人で*6、本編に関するネタをいしいや映画スタッフに提供していたブレーンでもあった。
但しミヨコという名前やタブチくんとの仲睦まじさから、実質アニメオリジナルキャラクターといっても差し支えない。

  • ネモト監督
CV:内海賢二
ライオンズの監督でタブチ最大の被害者。
いじけているタブチを慰めたり巨大なボールでタブチを特訓させるなど、タブチへの信頼はそれなりに置いている模様。
モデルは西武ライオンズの初代監督・根本陸夫で、監督退任後に球団フロントとして黄金時代を築く大活躍を見せたが、本作ではその面影は一切ない。

  • ツツミオーナー
CV:肝付兼太
ライオンズのオーナーでタブチの被害者2号。
問題の多いライオンズの面々に日々頭を悩ませ、毎日救心が欠かせない。
現場にも頻繁に顔を出し、グループの総帥という立場を使って西武球場に巨大扇風機や落とし穴を設置する魔改造(当人曰く「科学的管理野球」)をした結果、球場を大爆発させたことも。

モデルは西武グループの総帥こと堤義明。前にも書いたがよくここまでイジっておいて抗議が来なかったものである。

  • ヤスダ
CV:青野武
ヤクルトスワローズの投手で、タブチとは東京六大学時代からの悪友。
新魔球の開発に余念がないが、その内容は概ねドンキで売ってるパーティーグッズに毛が生えたようなものばかりで周囲をあきれさせている。
当時監督だったヒロオカとはそりが合わず、氏が辞任するの際には嫌がらせの電話をかけてしまい、
この時まだ正式に届出を出していなかったことから2軍行きを命ぜられた。
副業にも積極的で原作ではインチキ商売、アニメでは小手指で古本屋を経営している。
ちなみに当時は交流戦もなく、タブチとの対戦はオープン戦程度しかなかったが登場機会は多い。これは単純に作者がヤクルトファンだったのが理由。

モデルは安田猛。当人はこれを見て爆笑したらしく、後年夕刊フジで「それ行け!ヤスダ」という連載を持った際にはいしいが挿絵を担当している。

  • ヒロオカ
CV:羽佐間道夫
本編ではヤクルト監督→評論家。
メガネをかけた無表情なキャラクターだが、ストレス解消に無言電話、タバコを逆さに吸った腹いせに選手へベースランニング指示、日本シリーズの対戦相手である阪急電車の線路に置き石など、迷惑で陰険な性格。
アニメではモブキャラとして顔のよく似た和尚などが登場している。

モデルは広岡達朗で、本作の連載後西武の監督に就任。管理野球で2年連続日本一に導き、西武黄金時代の礎を築くこととなる。

  • ササキ
CV:納谷六朗→佐々木信也(第2作以降)
アニメ版に登場した野球のニュースキャスター。
名前からも分かる通り当時フジテレビで放送されていた『プロ野球ニュース』のキャスター・佐々木信也そのもので、第2作以降は本人が声を当て、スペシャル・アドバイザー名義でクレジットされている。
また、前述した『プロ野球を10倍楽しく見る方法』にも登場している。


余談

アニメ版は当時に制作されていた実写映画『太陽を盗んだ男』の製作費補填のために企画された経緯がある。
これは、漫画原作アニメなら期間も費用もかからず作成できると判断したもので、この目論見が大当たりし、『太陽』の制作費を全額賄うことが出来たという。

本作について西武球団との関係は長らく不明だったが、2009年に行われたライオンズ・クラシックの終了後に西武ドームバックスクリーンの電光掲示板で本編の上映が行われている。
このため少なくとも現在ではライオンズ公認(準オフィシャル?)作品となっている。


1回表
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最終更新:2024年11月29日 23:11

*1 当時の映画館は入場料を払えば終日鑑賞可能な「流し込み式」を導入している館も多かった。

*2 前者はぴえろ、後者はシンエイ動画

*3 しかしその頃にはスッカリフラフラになっており、ネモト達の作戦で出した山盛り料理に目をギラつかせながら一気食いした結果、結局元の体型に戻ってしまった。

*4 史実では西武所属選手のCM出演は1993年まで禁止されていた。

*5 同時期には捕手として野村克也が西武に移籍してきたのも理由。

*6 1981年に離婚。その後田淵は元モデル・女優のジャネット八田と再婚している。