登録日:2025/05/30 Fri 04:08:48
更新日:2025/06/01 Sun 17:26:15NEW!
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最高の幸せは“最大の絶望”を連れてくる
美しきヴェネツィアに潜む、罪深き呪いの物語
『岸辺露伴は動かない 懺悔室』とは、2025年5月23日に公開された日本映画。
配給は前作『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』に引き続き、アスミック・エース。
荒木飛呂彦による集英社刊行の漫画『
岸辺露伴は動かない』の、NHKエンタープライズによる実写ドラマ化シリーズの映画版第2作である。
もちろん、岸辺露伴役の高橋一生と、泉京香役の飯豊まりえも引き続き出演している。
主要スタッフ陣も続投しており、監督は渡辺一貴、脚本は
小林靖子、劇伴は菊地成孔が務めた。
概要
本作は『岸辺露伴』シリーズの記念すべき第1作の読み切り漫画『エピソード#16 懺悔室』の実写映画化作品である。
2024年に放映されたドラマ『第9話 密漁海岸』のラストにおいて、露伴と京香が次の出張としてイタリアに行くことを仄めかしており、「次の企画は『懺悔室』の実写化ではないか」という予想がファンの間で立てられていた。
その予想通り、本作の公開告知が発表され、シリーズの中でも完成度の高い原作の実写化によりファンは大いに沸いた。
ロケ地は原作通り、イタリアのヴェネツィアであり、作中のシーンでは日本のシーンは全く入っておらず、これは実写『岸辺露伴』シリーズでは初の試みとなった。
反面、登場人物はごく限られており、人気のないヴェネツィアが、かえって幻想的な雰囲気を醸し出している。
原作漫画は僅か49ページの短編であり、
本当の意味で「露伴が動かない(話を聞くだけ)」という動かないシリーズの原典ながら尖った内容。
1時間程度のドラマならば丁度いいが、映画となるとそうはいかない。よって、
「2時間程度の映画として仕上げるにはどうアレンジを加えるか?」が注目されていた。
結果として、原作『懺悔室』の実写化パートは前半部分で消化し、残り後半はなんとその
「原作の後日談」のスタンスとなった。
映画オリジナルパートは荒木先生のアイデアはあるものの、大筋は小林氏のオリジナル脚本となっている。
しかし、原作の持つ
「『幸運』と『呪い』、そしてその後に待ち受ける『絶望』」のテーマを真摯に描き、一作のサスペンス映画としても、そして『懺悔室』の続きとしても納得のできる物語となった。
さらにスピンオフ元となった『
ジョジョの奇妙な冒険』のテーマでもある
「理不尽な『呪い』や『運命』に抗い続ける人間讃歌」を、露伴やゲストキャラクターを通して描写し、
「『ジョジョ』や『岸辺露伴』への解像度が非常に高い」とシリーズのファンからも絶賛されている。
なお、作中の至る所に、『ジョジョの奇妙な冒険』の小道具がイースターエッグとして含まれている。
余裕があったら探してみよう。
ストーリー
イタリアのヴェネツィアの大学で講演をすることになった超有名漫画家・岸辺露伴。
彼は、もっと取材するために、編集の泉京香より先にヴェネツィア入りし、各地の名所を回っていた。
そんなある日、露伴は教会の取材中、何の気なしに懺悔室に入っていると、隣から告解の声が聞こえた。
どうやら、間違えて神父の部屋に入った露伴を神父と勘違いしたらしい。
興味本位で神父のフリをした露伴は、その仮面の男の告解を聴くことになる。
それは男、水尾が1人の浮浪者を粗末に扱って死に追いやった事件から始まる。
浮浪者は水尾に、「お前が『幸せの絶頂』に立った瞬間に『絶望』を与える」という呪詛を叫んだ。
やがてその時が訪れた。水尾の娘の成長を見て、彼が『幸せ』と思ってしまったことによって。
浮浪者の悪霊により始まる運命の審判という名の「『ポップコーン』投げ食いゲーム」。
その攻防の末に水尾は敗れ、そして……。
露伴は、男の告白を聴いてある『致命的な矛盾』に気づく。そして、彼の背後から聞こえる恨みの声も。
彼は『ヘブンズ・ドアー』で男の本を読む。そして、彼の犯した最大の罪に気づいた。
やがて露伴に襲いかかる不可解な『幸運』と、奇妙な『出会い』の数々。
そう、『呪い』はまだ終わっていない。
果たして、露伴はどう『動く』のか……?
登場人物
演:高橋一生
ご存知天才漫画家。
相変わらずの妥協なき『リアリティ』主義者であり、ヴェネツィアでの良くも悪くも芳醇な歴史に強い興味を抱き、取材に専念。
そんな中で、気まぐれで入った教会の懺悔室で、神父に間違えられて告解されることになり、例によって好奇心を出して神父のフリをして聴き入る。
しかし、そんな中で告解者の男・水尾のあまりの奇妙さが気になった彼は、『ヘブンズ・ドアー』を使って水尾の『本』を読み、彼の生き様を知り唖然。
その後は水尾と別れるが、今度は彼の『本』を読んだ影響のためか次々と『幸運』に見舞われる羽目になる。
やがて、仮面職人のマリアとの偶然的な出会いから、事態のからくりに気づき、同じ創作者として、彼女へのシンパシーを感じ、そして『幸運』が漫画の売上にも作用したことで激怒し、自ら『動く』ことにする。またあくまで対象の「呪い」を完遂させるためのある意味で駒に過ぎなかったと言う描写もあり、露伴もそれを利用しとある作戦を決行することに
演:飯豊まりえ
ご存知お気楽編集者。
初っ端からイタリアへの飛行機のために国内線ターミナルに間違えて行くという大ボケをかましつつ、露伴より遅れて(スケジュール通りだが)ヴェネツィア入りする。
イタリア語は全く話せないし分からないが、同じ陽気な者同士でロレンツォと意気投合し、何故か通じ合う。
その後、露伴と合流した際に彼とロレンツォを引き合わせ、一連の事件のことも知るが、露伴に『襲いかかった』幸運については何の疑問も持たずに享受していた。
そんな中で、「相手が死ぬのが本当の『絶望』なのか」「私だったら生きて『絶望』させる」と露伴に意見し、彼にヒントを与えた。また最終盤に彼女のとあるセリフは「幸運の呪い」を跳ね除ける「誰も不幸にならない」ある種の方法が提示されている。
演:玉城ティナ
露伴がヴェネツィアで知り合った仮面職人の女性。
チンピラが盗んだ仮面を露伴が返しに来たことにより、2人は出会った。
仮面作りに並々ならぬ情熱を抱いており、『運』に頼らない物作りが出来る喜びを持って仕事している。
仮面職人を営む中で、『呪いの屋敷』に住んだり『幸運のお守り』を縁起が悪いように使ったりと、『不運』を自分に呼ぶような行動を取っている。
しかし、同時に勝手に『幸運』は彼女の元へ『襲いかかり』、一般的には『ツイてる』人生を送るも、常に『一番』を避けていた。
不審に思った露伴から『ヘブンズ・ドアー』を使われ、彼女の正体が明らかとなる。
実は露伴への告解者・水尾の娘。
『ポップコーン』の事件以来、自分が死にたくないばかりに、父から『幸せの絶頂』に立たないよう厳しく躾けられ、『一番』を取り上げられていた。
当初は父の教え通りにしていたが、自分の意思で仮面職人になったことや、ロレンツォとの出会いにより、自分の人生を生きることを望むようになる。
やがて、ロレンツォから父を出し抜くための結婚式を提案されるが……。
演:アンドレア・ベッラチョコ
ヴェネツィア大学の理事であり、イタリアの名家の御曹司。
露伴に大学での講演を依頼した人物で、彼の大ファン。
同じ陽気なキャラ同士、言葉は通じないが京香と馬が合い、すっかり仲良くなる。
近日結婚を控えており、訳ありのその婚約者に誠実な愛を誓っている。
演:???
露伴を神父と間違えて罪の告解をした男。
物語序盤では仮面を被っており、顔は判別できない。
彼を『ヘブンズ・ドアー』で見た露伴は、『本』が血まみれになっているのに気づき、その『血』に触れた影響で、彼と同じ『幸運の呪い』が降りかかるようになった。
演:大東駿介
水尾の若い頃の姿。
考えなしに世界中を放浪していたが、ヴェネツィアで旅費を盗まれ、工事現場で働くことになるも、外国人差別によって不当な扱いを受けていた。
そこで知り合った浮浪者を、「働きもせず食べ物を乞うだけの姿が気に入らない」という理由だけで、彼を奴隷のようにこき使った結果、彼を死なせてしまう。
そのせいで浮浪者から「『幸せの絶頂』に立った瞬間に『絶望』させる」という呪いをかけられ、それ以降、理不尽なほどの『幸運』に襲われ、金持ちになり、妻子にも恵まれる。
一方で、得た『幸せ』を少しずつ手放し、『幸せの絶頂』に立つことを防いでいた。
だが、娘の姿を見て『幸せ』だと思ってしまったために、呪いが発動。
浮浪者の悪霊から命懸けの「『ポップコーン』投げ食いゲーム」を仕掛けられ、知恵を使って何とか食いつくが、最終ゲームで敗北してしまう。
その正体は、『本物の水尾』に金を握らされて、水尾そっくりに整形手術した執事の田宮。
かつては詐欺師であり、足がつかない日系人という理由で水尾から『呪いの身代わり』に選ばれた。
原作では単純に悪霊に首を斬られて死んだが、映画版では直接的な描写は避けているものの、通りすがりの人が持っていた板ガラスに腹を裂かれて死ぬという強烈な最期を遂げた。
死亡してからは本物の水尾を憎悪し、浮浪者同様に『呪い』として取り憑き、「娘のマリアが『幸せの絶頂』に立った時に『呪い』を成就させる」と彼に囁いた。
演:ダリア・M
水尾にとってかけがえのない一人娘。
彼女の姿を見て『幸せ』と感じたために『呪い』が発動し、悪霊に取り憑かれて水尾を「『ポップコーン』投げ食いゲーム」に誘う。
映画版では赤い修道女服を身に纏っている。
演:井浦新
水尾の執事。
「『ポップコーン』投げ食いゲーム」の際は悪霊に一蹴された。
実は、整形手術により顔を変えた『本物の水尾』。
執事の田宮を陥れて『呪いの身代わり』にし、命を長らえたが、今度は田宮の悪霊が加わり、娘のマリアの『幸せ』が『呪い』の新たな発動条件となってしまう。
以来、マリアが『幸せの絶頂』に立たないように、彼女に『一番』を諦めさせ、『不幸』が少しずつ舞い込むように彼女の人生をコントロールし続けた。
ただし、呪いの側もすぐさま『一番』を補填する為、熾烈で奇妙なイタチごっこになっていたが。
不幸を招く為にはある一点を除いて手段を選ばず、マリアとロレンツォの結婚を是が非でも阻止しようとし、果てにはロレンツォの暗殺まで目論むようになる。
しかしそんな中で知り合った露伴により、彼の企みは阻止されてしまい、その結果とんでもない『絶望』を味わうことになる、が……?
演:
戸次重幸
水尾に食べ物を恵むよう頼んできた日本人の浮浪者。
病気がちで怪我も酷く、働くことも出来ずに街を徘徊しては周囲に疎まれていた。
水尾に「食べ物が欲しければ働け」と強要され、重い荷物を無理矢理運ばせられた結果、階段から落ちて死んでしまう。
しかし、彼の憎悪が悪霊となり、水尾に
「『幸せの絶頂』に立った瞬間『絶望』を与える」という『呪い』をかけ、以後彼に付き纏う。
生者としての彼は酷く弱々しいが、『呪い』となってからは想像もつかないほどに恐ろしい様子となっている。
特に「『ポップコーン』投げ食いゲーム」の際にはおぞましい姿で現れるので必見。
余談だが、本作のキャラの中でもかなりメーキャプされているキャラのため、彼を戸次重幸が演じていると思わなかった視聴者も多かったようだ。
実写『岸辺露伴』シリーズのお約束である、物語序盤で露伴に犯罪行為を働き、『ヘブンズ・ドアー』の餌食となった犯罪者コンビ。
露伴をただの日本人旅行者と思ってカモにしようとした。
だが露伴の著作『ピンクダークの少年』をまさか作者本人とは知らずに、「漫画なんかじゃなくて『芸術』だよッ!」と褒めたつもりが、逆に漫画家としてのプライドが高い露伴の逆鱗に触れ、キレられて逃げ出そうとしたところを『本にされ』、『二度とスリはしない』と書き込まれた。
水尾が手下にしている2人組のゴロツキ。
水尾からある汚れ仕事を請け負うが、露伴と『偶然』鉢合わせし、彼から『本』にされる。
キーワード
露伴の持つ
特殊能力(ギフト)。
人間の人生を顔から生えた『本』にして読み、また書き込むことで行動を操ることが可能。
なお、原作の読み切りでは一度も能力を発動させていない。
告解者である水尾の『本』は血に塗れており、さながら彼の『呪い』や『罪』の深さを表しているようでもあった。
イタリアで大流行したペストを治療する医師がつけていたとされる仮面。
感染防止のためであったが効果はなく、後の世では『不吉』『疫病や死の象徴』とまで言われるようになった。
水尾の娘が食べていたお菓子。
浮浪者の悪霊により、「これをランプより高く投げて3回続けて口で食べられたら勝ち」というゲームを水尾は強要される。
太陽光やハトといった妨害が入るも、辛くも乗り切るが、3回目でポップコーンを燃やす作戦が裏目に出て、失敗してしまった。
ヴェネツィアの名物工芸。
水尾はこれの製造会社社長であり、加工技術を特許取得までこぎつけていたが、水尾の判断で技術は公開されることになった。
一般的に『幸運』のお守りとされる品。
しかし、マリアは
てんとう虫のピアスを逆さまにつけ、鏡を割って飾っており、『不運』を呼ぶような行いをしている。
イタリアの作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディの代表作であるオペラ。
道化師リゴレットとその娘に降りかかる『呪い』を描いた名作。
偶然レストランの客からチケットを渡された露伴と京香が観劇し、露伴がヒントを得る。
余談
劇伴担当の菊地氏によると前作『ルーヴルへ行く』に続いてAIによる作曲が導入されており、オリジナルサウンドトラックは
世界の娯楽映画史で初の全曲AI作曲となっているという。
原作者の
荒木飛呂彦先生は著書『荒木飛呂彦の新・漫画術 悪役の作り方』でAIが詐欺師に悪用されることの懸念、ツールとしての発達により写真やデジタルのようにクリエイターが活用できる未来という生成AIの功罪両面を語っていたが、派生作品でさっそく大々的に使用された形になる。
wikiの規約上ネタバレや詳細などは伏せるがこの物語の命運を分けたのは自分の「不幸」を他人のせいにしそれを他者にも押し付け、逃げ惑い、呪うものには絶対に「真の幸運」や「安息」は訪れない。
逆に呪いや運命に屈指ず立ち向い、戦うものには「真の幸福」と「安息」が訪れる。そして呪いや運命に立ち向かう人達は「尊敬」に価するのである。
ぼくはぼくの才能だけで項目を作っている……そこに『幸運』が入り込む余地はない。
もしWiki籠り以外の力がぼくの項目を最高のものとするのなら、それはぼくにとっては屈辱でしかないし、Wiki読者に対しての裏切りだ。
それならぼくは『荒らし』で全消しされる方を選ぶ。
が……全消しよりもっといい方法がある。追記・修正して『荒らし』を『成仏』させるんだ。
- 原作の時点で思うが、浮浪者と田宮は思念のエネルギー体なのか、何かの力がそう見せているのか -- 名無しさん (2025-05-30 08:04:37)
- ソトバは原作ではジプシー?っぽかったんだが、今作では撮影の都合もあってイタリアなのに日本人に。でも「運命に弄ばれた異邦人」というのは水尾と似たような存在であり、彼との関係性によりより深みが出てきたのではないだろうか。 -- 名無しさん (2025-05-30 09:26:18)
- 後日談としては最高の出来。呪われた運命のままに生きるか抗うかの人間賛歌を改めて考えさせる一作だと思った -- 名無しさん (2025-05-30 10:09:02)
- ↑×2 同じく異郷で理不尽に遭い、職場で差別的扱いを受けてるのに甘えてんじゃねーっていう水尾の気持ちに寄りそえる感じになったよな。その上で自分の幸せのために娘の最高の幸せを摘む姿は紛れもなくブチャラティの定義する吐き気を催す邪悪に当てはまってるが…… -- 名無しさん (2025-05-30 10:30:25)
- 露伴ちゃんの激怒する理由が露伴ちゃん過ぎる -- 名無しさん (2025-05-30 12:22:18)
- 原作からして「糞野郎」なのは確かなんだよな、でも「糞野郎」だって前向きに生きている、っていうね -- 名無しさん (2025-05-30 13:00:36)
- 「娘を失ったという絶望&呪いから解放された幸せ」と「娘が生きていた幸せ&永遠に呪いと生き続ける絶望」……どっちがマシなんだろうな -- 名無しさん (2025-05-30 14:46:46)
- 自分のために娘を犠牲にしたり、てんとう虫とか舞台とか、ちょくちょく5部過るよね -- 名無しさん (2025-05-30 14:49:52)
- めちゃくちゃ決めつけてるけどガラスの技術公開した結果あの場面でガラスが登場したって確定してなくね。あくまでも一説なんじゃないの -- 名無しさん (2025-05-30 15:48:14)
- 娘を亡くしたが自分は生きていて良かった、っていうのは果たしてただの自己中か、絶望の中にも希望を見出すポジティブか、あるいは両方か -- 名無しさん (2025-05-30 21:59:05)
- ↑儒教とかだと親のためなら子は命を捨てるべきという考えがあるので考え方次第かと -- 名無しさん (2025-05-30 23:02:09)
- 雰囲気が雰囲気だからか京香とロレンツォの明るさが一際輝いている。ティツィアーノにだって描けないのところは劇場じゃなかったら声出して笑いたかった -- 名無しさん (2025-05-31 08:28:01)
- 親より先に死ぬは親不孝と対かな?しかし親子がお互いに大切に思ってるならどちらも相手を自らを引き換えにしても助けようとするだろう。 -- 名無しさん (2025-05-31 08:39:15)
- ↑3 自分は両方だと思う。だからこそこいつどーしよーもねーなという気持ちと頑張って生きて欲しいって気持ちが両方わくんだよな。それにあれだ、あれが真の絶望ではないのなら、奴は2回も呪いを騙したことになるからそれはそれで面白い。 -- 名無しさん (2025-05-31 08:43:44)
- 漫画のネタを偶然手に入れた幸運は享受する(原作初登場でスタンドを知った時など)けど、自分で作り上げた漫画そのものとその結果と読者に対しては幸運の介在を許さないの最高に岸辺露伴だと思う。 -- 名無しさん (2025-05-31 09:12:16)
- 露伴ちゃんが呪いからマリアを解き放ったように見えて、終始呪いの走狗として水尾に絶望を届けている所とか、まさに見方によって変わるってのを象徴してる -- 名無しさん (2025-05-31 12:14:41)
- 他人から奪うことしかできない薄汚え寄生虫野郎が俺と娘の人生にションベン引っかけてんじゃねー!ってブチのめせるくらいの気概があれば変わったのだろうか -- 名無しさん (2025-05-31 21:56:13)
- 途中まであんまりやる気なかったと言うかそれこそタイトル通り動かずに傍観者やってたのに増版の辺りでブチ切れてからのアグレッシブさが凄い -- 名無しさん (2025-06-01 01:00:08)
- 自分勝手な悪党の父親とそれに振り回された娘、って構図は5部(ボスとトリッシュ)のオマージュにも見えた 逆さにされようがテントウ虫ブローチが最高のお守りだったようにも思える -- 名無しさん (2025-06-01 17:25:21)
最終更新:2025年06月01日 17:26