教126,,教義と聖約 第126章
教126,*-*,1814年7月9日、イリノイ州ノーヴー、ブリガム・ヤングの邸にて予言者ジョセフ・スミスによりてたまえ
る啓示、当時ブリガム・ヤングは、12使徒定員会の会長なりき。
教126,1,親愛なる兄弟ブリガム・ヤングよ。誠に主かくの如く汝に告ぐ。わが僕、ブリガムよ。汝はもはや今までの
如くに、汝の家族と離るるを汝に要求せらるることなし。汝の捧物はわが悦ぶところなればなり。
教126,2,わが名のために為したる旅行中の汝の働きと、労苦はわが認むるところなり。
教126,3,されば汝はわが言を広く世間に及ぼすことを為し、今よりこの後いつまでも汝の家族を特に護るべきこと
を命ず。 アーメン。
教127,,教義と聖約 第127章
教127,*-*,予言者ジョセフ・スミスよりイリノイ州ノーヴーに於ける末日聖徒に宛てたる書簡にして、その中に死者
に代るバプテスマに就きての指示を載す。1842年9月1日附ノーヴー発信のものなり。烈しき迫害とそれに結果す
る彼の働きに及ぼす妨害のために、予言者は暫
教127,*-*-1,中より引きこもらんと志す。結局、神の大義の勝利に帰するを喜ぶ。死者に代るバプテスマに附き
て作成さるべき記録に関し主の御言を告ぐ。
教127,1,ミズーリ州に於ける敵もこの州に於ける敵も、両つながら再びわれを追求せるを主われに示したまいたる
を以て、また敵のわれを追い求むるに何の理由もなく、またわれを告発するところに於て彼らの側に露いささかの
正義公明もなく、またその口実とする所はことごと
教127,1-1,偽りに基くものなれば、わが身の安全とこの民の安全とのために暫時比所を立去るは必要にして賢明
なるものなりと考えたり。われ今われに関係ある者たち皆に告げんと欲す。われに関する事務は、ことごとくこれを
代理人および書記たちに委任せり。この者たちはすべ
教127,1-1-1,敏速且つ適当なる方法によりて処理し、不動産を売却して、さもなくんば臨機応変事情の許す限り
に於て、きっとわが負債全部を期限内に償却すべし。この嵐の全く鎮まりたる報せを得たるその時は、われ再びこ
こに帰り来らん。
教127,2,わが身の越えざるべからざる危難と言わば、人の猜忌と忿怒とが一生を通づるわが日常のさだめなるが
故に、われにとりては最も小さきものにしか見えず。されば善きことのためか悪しきことのためかは人の呼ぶに任せ
む、もしこのこと創世の前より神の定めたまいしと
教127,2-1,さらずとせばその故ついに不可解なるが如し。汝ら自ら判断すべし、その善悪いずれにせよこれらの
ことはすべて神知りたもう。然りといえども、いつもの如くわが泳ぐべき水は深し、すべて、こはわれにとりてすでに
第2の天性となり、われは苦難を誇りとすることパ
教127,2-1-1,如くなるを思う。わが先祖の神は、今日に至まであらゆる苦難よりわれを救いたまいたればなり。さ
れば、この後に於てもまた然らん。見よ、みよ、われはあらゆる敵に打ち勝つべし。主なる神かく告げたまいたれ
ば。
教127,3,さればすべての聖徒よ皆喜べ、また大いに喜べ。イスラエルの神はかれらの神似して、すべて抑うる者
の頭に正しき応報を下したもうべければなり。
教127,4,主、誠にまたかくの如く言いたもう。汝らわが神殿の仕事およびわがすでに汝らに命じたる仕事は、皆こ
れを継続して中止すべからず。汝らの励精と堅忍と忍耐と、汝らの働きとを倍加せよ。さらば、汝ら決して報いを失
わじ、と万軍の主言いたもう。人々もし汝らを迫
教127,4-1,汝より前にありし予言者と義人たちをも同じく迫害したるなり。これらをことごとく耐え忍ばば、これに対
し天に於て汝らに報いあり。
教127,5,また、われ汝らの死者に代るバプテスマに就きて汝らに1言言わん。
教127,6,誠に、汝らの死者に就きて主はかくの如く言いたもう。汝らの中何人にても汝らの死者に代りてバプテス
マを受くる時は、1人の記録員ありてそのバプテスマを実地に目撃する者となり、またその耳を以て聞き、以てその
真実なることの証をなさしむべし、と主は宣う。
教127,7,かくして汝らの録すところは皆天に於て録さるべく、何にても汝の地に於て結ぶところは天に於ても結ば
れ、何にても汝の地に於て解くところは天に於ても解かるるためなり。
教127,8,そは、われは神権に就きて多くの事がらを今や地に回復せんとすればなり。万群の主かく言いたもう。
教127,9,またおよそ一切の記録を整頓して、以て聖なる神殿の文庫にこれを蔵め、而してこれを末代までの記念
とすべし。万群の主かく言いたもう。
教127,10,今すべての聖徒らに告げんと欲す。われはこの次の安息日に於て、教壇上より死者に代るバプテスマ
の問題に就き汝らに語らんと切に切に望みたり。されど今やその希望を達すること能わざるにより、われはこの問題
に就き主お御言時々書誌し、多くの他の物はもちろん
教127,10-1,汝らに郵送すべし。
教127,11,われこれ以上書きつずくる時無きが故に暫く筆をおく。そは敵油断なく警戒しつつあればなり。されど
救い主の言いたまえる如く、この世の王来れどもわれに在りて何物をも有たず。
教127,12,見よ、われ神に祈るところは汝らすべての者の救わんとことなり。われここにわが名を署して、主に於け
る汝らの僕、末日聖徒イエス・キリスト教会の予言者聖見者と然か言う。 ジョセフ・スミス。
教128,,教義と聖約 第128章
教128,*-*,末日聖徒イエス・キリスト教会に宛てたる予言者ジョセフ・スミスの書簡にして、その中に死者に代るバ
プテスマに関し去らに発したる指示を載す。1842年9月6日附けイリノイ州ノーヴー発信のものなり。総記録員、地
方記録員およびその義務などにつき更に詳細
教128,*-*-1,指示を与う。証人の必要。指示されたる記録の記載方法は主の儀式と一致すべきこと。天に於て
録さるる記録はもとより、地に於て録さるる記録は審判の時用いらるること。聖なる神権の能力により、地に於て結
ぶところは天に於て結ばれ、ここに於て解くところは彼所
教128,*-*-1-1,解かる。浸霊盤は墓所の写し。予言者エライジャの使命。死者に代るバプテスマは、死にし先祖
と生くるその子孫らの間を結ぶ鎖なり。予言者。彼に天使の訪れありし事を悦びて大要を物語る。喜びの声。死者
のための喜ばしき音信。クモラより出でし喜ばしき音信。モ
教128,*-*-1-1-1,モルモン経に対する3人の見証者の声。ミカエルの声。ペテロの声。ペテロ、ヤコブおよびヨ
ハネの声。死者の代りに為す業の記録は、主に喜ばるる様作成すべきこと。
教128,1,われ居所を立ち猿に先立ち、時々書簡を送りて多くの問題に就きて汝らに消息を書き遺らんと書簡中
に述べしを以て、今再び死者に代るバプテスマの問題を取り上げんとす。この問題は、われ敵に追求せられたりし
よりこのかた最も強くわが心を苦しめ、片時も忘る能わ
教128,1-1,思わるればなり。
教128,2,われは、先の書簡に於て1記録員に関する啓示に就きて一言し、この事に就きて23の見解を就け加え
置きたり。この事は今われこれを証す。すなわち目撃者となり、また耳にて聞きて以て主の御前に真実の記録を造
る1記録員あらざるべからずとは、われ先の書簡に述
教128,2-1,ところなり。
教128,3,さてこのことに就きては、1記録員にしてあらゆる時に立会い、あらゆる事務を遂行するは極めて困難な
るべければ、この困難を除くため、年の各区に正確なる記録をなし得る充分なる資格ある者1人づつを任命するを
得、且つその者をして非常に精密且つ正確に全部の
教128,3-1,とらしめ、また彼の目にて見、耳にて聞きたるところを記録の上にて証明し、日附姓名などまた取扱い
たる全部の来歴を附せしむ。また立合者の中より誰か3人の証人を名を指定すべし。而してこの人々は、何時たり
とも要求されし時上記の事を証明し得る者にして、あ
教128,3-1-1,言葉の真実性を23人の証人の口によりて確立せしむるためなり。
教128,4,次に、これらの者の製作せる記録の真実なることを証明せる彼ら自筆の署名入りの証明書を附したるそ
の他の記録を受け取り得る総記録員を置くべし。ここに於てこの教会の総記録員は、前記証明書とこれに附髄せ
るすべての証明とに、前記証明書の期日と製作せっられ
教128,4-1,記録とは、証人らの一般正確に関して自己の知るところと教会がこれらの人を任命したる事実により
て、それに虚偽なきことを信ずる旨の自らの声明書を附してこれらの記録を教会の総記録簿中に記入し得るなり。
而してこの手続が教会の総記録簿に完了せる後は、その
教128,4-1-1,神聖なるものにして、あたかも彼自身これを見これを聞きてこの事を教会の総記録簿に記録せしと
全く同一の儀式の有つ効力あるに至るべし。
教128,5,汝ら、この記録に関する順序次第を極めて厳重なりと思うやも知れず、されど聞くべし、これ万一福音を
知らずして死にたる救いのために世の始めより前に主の備え且つ定めたまいし儀式と備えに適いて、ひたすら神
の旨に応え奉らんためなり。
教128,6,更にまた、われ黙示者ヨハネが現にこの死者の問題に就きてつらつら考え居りしを、汝ら想起せんことを
欲す。而して彼の宣べしところは汝ら黙示録第20章12節に見るが如し。すなわち”われまた、死にし者の大なるも
小なるも、神の前に立てるを見たり。而して、
教128,6-1,開かれ他にまた1つの書ありて開かる。すなわち、生命の書なり。死者にこれらの書に録されたるとこ
ろのその行為に随いて審かれたり”と。
教128,7,汝らここに引用せる1節に於て、数々の書開かれまた他に1つに書開かるるを見出せど、その書はすな
わち生命の書なり。されど死にたる者は、数々の書に録せるその行為に随いて審かれたるを見出さん。従って、こ
こに言う数々の書とは、人々の行為を録せる書に相違
教128,7-1,またこの世に於て録さるる記録を言うに相違なし。また生命の書とは、天に於て録さるる記録なり。而
して、この教理は、前にわれわが居を去らんとせし時、汝らに書送りし書簡中に記せし啓示に於て汝らに命ぜらる
るところと全く一致す。すなわち、すべて汝らの記録
教128,7-1-1,ところは天に於てきろくさるべきことこれなり。
教128,8,そもそもこの儀式の本質たるや、元より神権の権能に存するものにしてイエス・キリストの啓示によるなり。
而してこの啓示に於ては、何ても汝の地に於て結ぶところは天に於ても結ばれ、何にても地に於て解くところは天
に於ても解かるることを許されたり。すなわち
教128,8-1,見地より翻訳して他の言によりて言えば、何にても汝らの地に於て記録するところは天に於ても記録
され、何にても汝らの地に於て記録せざるところは天に於ても記録されず。そは、汝らの死者はその行為に随い
数々の書に照して審かる。すなわち、その人自分自ら出頭
教128,8-1-1,儀式を受くるも、または自身の代理によりて、死にし者たちの救いのために創世の始めより神の備
えおきたまいし儀式によるも、死にし者に就きて記録しおきし記録によりて審かるるが故なり。
教128,9,人或いはわれらが語るところを極めて大胆なる教理と思う者もあらん。すなわち記録をなしまたは地に於
て結び而して天に於て結ぶ権能の教理なり。さりながらこの世に於けるあらゆる時代に於て、いつにても主が何人
にもまたは何人たちにも実際の啓示によりて神権の
教128,9-1,与えたまいし時には常にこの権能与えられたり。これを以て、何事にまれこれらの人々権能によりまた
主の御名いよりてこれを為し、また義しく忠実にこれを行い、この事を適正且つ忠実に記録したるところは、大いな
るエホバの定めたもう法令により天地に律法となり
教128,9-1-1,何びともこれを無効とする能わざりき。われ誠を以てこの事を言うなり。何人かこれを聞かざるべき
や。
教128,10,またこの先例として、マタイ伝第16章18節、19節両節を引用すべし”われはまた汝に告ぐ、汝はペテ
ロなり。われこの磐の上にわが教会を建てん。黄泉の門はこれに勝たざるべし。また、われ天国の鍵を汝に与え
ん。およそ汝が地にて縛ぐところは天にても縛ぎ、
教128,10-1,地にて解くところは天にても解くなり”と。
教128,11,そもそもこの事の全部に関する偉にして大いなる秘密と、われらの前にあるこの問題全部の”至善”と
は聖なる神権の権能を得るにあり。およそこれらの鍵を与えられたる人は、生くる者たちはもちろん、死にたる者た
ちも救う人の子らの救いに関する事実の知識を得る
教128,11-1,いささかの困難をも感ぜず。
教128,12,この中に栄光と誉と、不死不滅と、永遠の生命とあり。そもそも水によるバプテスマの儀式、すなわち死
にたる者の様に応えんため水の中に沈めらるることは、1つの理を他の理に一致せしむるためなり。水の中に沈め
られてその中より出で来ることは、計より出で来る
教128,12-1,死者の復活と相似たり。故に、この儀式は死にたる者の様に似たるを以て、死にたる者に代るバプ
テスマの儀式と関聯するよう定められたり。
教128,13,従ってバプテスマ用の水盤はこれをさながら計に模して定め、生ける人々の集るを習いとする場所の
下に設くることを命ぜられたり。これ生ける者と死にたる者との両つを示さんためにして、すべてのこと皆似通うこと
ありて1は他に一致し、地に属するものと天に属す
教128,13-1,天に属するものと一致すること、コリント前書第15章46、47、48節にパウロの明らかに言いたるが
如し。
教128,14,”霊のものは前にあらず、反って血気のもの前にありて霊のもの後にあり。第1の人は地より出でて土に
属し、第2の人は天より出でたる主なり。この土に属する者にすべて土に属する者は似、かの天に属する者はすべ
て天に属する者は似るなり”。而して汝らの死者に
教128,14-1,真に作り出だされたるこの世の記録の如く、天に於ける記録もまた同じなり。この故に、こはすなわ
ち結び且つ固むる権能にして、言を換うれば、王国の鍵にしてまた知識の鍵たるなり。
教128,15,さてわが親愛なる兄弟姉妹よ。われ断言す、こは死者と生者とに関する原理原則にして、われらの救
いに関して決して軽々に見過ごすべからざるものなり。それ死にたる者の救いは必要にして、死にたる者の救わる
ることはわれらの救いにとりて必須なることなり。パウ
教128,15-1,先祖に就きて言いたる如くわれらならくば彼らは完うせらるることなし。すなわちわれっらの死にたる
者なくば、われらもまた完くなる能わず。
教128,16,さてまた、死者に代るバプテスマに関し、わえ、パウロがコリント前書第15章29節に言えるところを今1
つ引用せん”もし復活なくば、死にし者のためにバプテスマを受くる者何を為すか。死にし者のよみがえること全く
なくば、死にし者のためにバプテスマを受く
教128,16-1,ためぞ”と。
教128,17,またこの引用したる言に関聯し、われ予言者の1人の言を引用すべし。この予言者は末の世に於て顕
さるべき光栄、すなわち神権の回復に目を着け、また永遠の福音に属けるすべての事項中最も光栄あるこの死者
に代るバプテスマに特に早くより着目し居たる者なり。す
教128,17-1,マラキはその書の末章5節及び6節に”さて見よ、主のおおいなる恐ろしき日の来る前に、われは予
言者エライジャを汝らの所に遣わす。エライハは先祖の心にその子らのことを思わせ、子らの心にその先祖のこと
を思わせん。こは、われが来りて咀いをもて全世界を撃
教128,17-1-1,ためなり”と言えり。
教128,18,われこの言に就きて、更に明瞭なる翻訳を為し得たらんも、わが目的に合するためには今のままにて
充分明らかなり。この場合、この事を知ればそれにて足る。すなわち先祖と子らとの間に或種の事項につき或種の
固き繋りなき時は、この世は咀いをもて撃たるることこ
教128,18-1,見よ、そもそもその事項とは何なるか。そはすなわち死者に代るバプテスマなり。死者なくばわれら
完うせらるる得ず。またわれらなくば死者もまた全うせらるるを得ず。われらも彼らもまた福音を受け入れて死にし者
なくては完うせらるるを得ざるなり。そは全くして
教128,18-1-1,ことなき完全なる合一とまた神権の時代と、鍵と、権能と、光栄との固き結合出来て、これがアダム
の時代より現在に至るまでことごとく明らかにさるること、今やまさに先触れを始めんとする時満ちたる神権の時代
の先駆をなすに必要なればなり。なお、それのみなら
教128,18-1-1-1,始めよりいまだ嘗て啓示せられずして、賢く慎みある人々にも明かされざりしことも、この時満ち
たる神権の時代には小児にも乳のみ児にも明らかにせらるべし。
教128,19,さて、われらの受けたる福音の中にわれら何を聞くや。喜びの声なり。天より聞ゆる愛憐の声、地より出
ずる真理の声、死者のための喜びの音信、生ける者と死にし者とのための喜びの声、おおいなる喜びの嬉しき音
信なり。良き事の喜ばしき音信をもたらし、シオンに
教128,19-1,汝の神しろしめす”と言う者たちの足は、山の上にありて如何に美しきぞや。カルメルの山の露の如
く神の知識彼らに下らん。
教128,20,また、われら何をか聞く。クモラよりの喜ばしき音信なり。そは予言者らの予言の成就、すなわち顕るべ
き書を宣する天降れる天使モロナイなり。かの書の証をなすべき3人の見証者を宣言したもうセネカ郡フェイヤット
の荒野に於ける種の御声、光明の天使となりて現
教128,20-1,悪魔を発きしサスケハナ河岸に於けるミカエルの声、王国の鍵と時満ちたる神権の時代の鍵を以て
自ら宣言せる、サスケハナ郡ハーモニーとブルーム郡コーレスヴィルの間なる荒野の中サスケハナ河のほとりに於
けるペテロ、ヤコブの声。
教128,21,なおまた、セネカ郡フェイヤットなる老ファーザー・ホイットマーの室に於てたまわりたる神の御声。また
種々の時と所とに於けるこの末日聖徒イエス・キリスト教会のあらゆる旅と艱難とを通じてたまわりたる神の御声。天
使長ミカエルの声、ガブリエルとラガエルの
教128,21-1,ミカエルすなわちアダムより現在に至るまでの天使らは、その神権の時代、その権能、その鍵、その
誉、その威厳、その栄、その神権の権能を宣言し、規則に規則を加え、則に則を加え、ここにもすこしくかしこにも
少しく教え、まさに来らんとすることをわれらに生命
教128,21-1-1,与え希望を固くす。
教128,22,兄弟よ、われらまことに偉なる大義に向って進まざらんや。進み行きて退くことなかれ。奮い起てよ、兄
弟たち。進み進みて勝利に至れ。汝ら喜べよ。世の人、歌声を張り裂けしめよ。死者よ、王インマニュエルに永遠
讃美の歌を語り出でせ。インマニュエルこそ創世の
教128,22-1,われらをして死者をその囚屋より贖うを得しむることを定めたまえり。そは囚屋は釈さるべければな
り。
教128,23,山々は喜びの声を挙げよ。汝ら谷よ、皆声高く叫べ。すべて諸々の海と乾ける地とは、汝らの永遠なる
王の為したもう驚嘆すべき御業を語れ。河よ、小川よ、谷の流よ、歓びの声を挙げて流れ下れ。森よ、野の樹よ、み
な主を讃えよ。堅き巌よ、喜びに泣け。日よ、月よ
教128,23-1,暁の星よ、共に唱え。神の子らよみな喜びの声を挙げて叫べ。永遠の創造物よ、御名をとこしえに
宣べよ。われまた汝らに告ぐ、われら天より菊声は如何ばかり栄あるや。その声はわれらの耳に、栄と救いと誉と不
死不滅と永遠の生命と、また王国と公国と権能とを告ぐ
教128,24,容? 見よ、主の大いなる日は近づけり。主の来りたもう日に当り得るは誰ぞ。主の現われたもう時、堪え
得るは誰ぞ。主は金を吹き分くる者の火の如く、布さらしの洗剤の如し。主は銀を吹き分けてこれを生成する者の
如く座を占めてレビの子らをきよめ、金銀を清煉す
教128,24-1,これを浄め、かくて義しきに適う捧物を主に捧げしめたまわん。この故に、いざわれ1教会員として、
1人の民として、また末日の聖徒として、義しきに適う捧物を主に捧げん。またいざわれら、主の神殿の完成せる
時、その中に於て、主が完全に受け入れたもう価値あ
教128,24-1-1,われらの死者の記録を載せたる1冊の書を主に呈せん。
教128,25,兄弟たちよ、われはなおこの問題に就きて言うべきこと多けれど、今はまず筆をおきてまた別の時にこ
のことを書きつずけん。われは変らず汝らの謙遜なる僕にして、決して離るることなき共なり。 ジョセフ・スミ
ス。
教129,,教義と聖約 第129章
教129,*-*,1843年2月9日、イリノイ州ノーヴーにて予言者ジョセフ・スミスに給まりたる啓示にして、善き天使
か、悪しき天使か、または善霊か悪霊かを見分くる3つの大いなる鍵を知らしめたもう。人間以外に2種の存在者あ
ること。復活したる者は骨肉の体あること。体
教129,*-*-1,霊と、嘗て体をとりしことなき霊。これらを看破する方法。
教129,1,天に2種の存在者あり。すなわち、1は天使たちなり、こは復活せる人々にして骨肉の体を有す。
教129,2,すなわちその例を挙ぐれば、イエスは言いたまえり”われにさわりて見よ。霊には肉戸骨となし。われに
は有り、汝らの見る如し”と。
教129,3,第2は全うせられたる義人の霊、こはいまだ復活せずといえどもこれと同じ栄を受け嗣ぐ者たちなり。
教129,4,もしある使者来りて、われは神よりの音信をもたらせりと言う時は、手を伸べて汝と握手せんことを求め
よ。
教129,5,彼もし天使ならずば握手すべし、而して汝はその手の感触を覚ゆべし。
教129,6,彼もし完うせられたる義任の霊ならば、自らの栄えを現して来るべし。そは、この霊の顕れ得る唯一の途
なればなり。
教129,7,すなわち、汝この霊に握手を求めよ。されど彼はその申出に動かざるべし。義任の欺くは天の紀律に反
すればなり。されど、彼はなお命ぜられたる音信を伝うべし。
教129,8,彼もし光明の天使として現われたる悪魔ならば汝握手を求むる時これに応じて手をさし伸べるべし。さ
れど汝何の感触も覚えざるを以てこれを看破することを得。
教129,9,こは何の天使の降臨する時も、真に神よりや否や識り得る3つの大いなる鍵なり。
教130,,教義と聖約 第130章
教130,*-*,1843年4月2日、イリノイ州レーマスに於て予言者ジョセフ・スミスによりて与えられたる教えの重要事
項。救い主の現われたもう時は、その本体、すなわち人間の形にて来りたもう。天使たちの住居。聖くせられ、不滅
の状態んせられたる地球。多くの流血を伴う
教130,*-*-1,南カロナイナより起るべしと言う予言。主の来りたもう時は、必ずしも決定的に知らされず。この世の
生活にて得たる英智はその所有者と共に滅することなし。天に於ける定められたる律法あり、すなわち祝福はただ
律法を守ることのみによりて得らる、而して祝福はそ
教130,*-*-1-1,基く。御父とその御子は骨肉の体を有したもう。聖霊は霊にて在す御方。
教130,1,救い主現われたもう時、われらは真実そのままの姿を見奉るべし。われらはその御姿を見て、救い主は
われらと同じく人間なるを知らん。
教130,2,また、この世にてわれらの中にある交りの天にもあることを知らん。ただわれらの今この世にて享けざる
永遠の光栄それと結合せるを見るべし。
教130,3,ヨハネ伝第14章23節参照。この章に見ゆる父と御子の顕現は、人の隊を有ちての顕現なり。父と御子
と、人の心の中に住みたもうとは古き宗派的観念にして誤りなり。
教130,4,”神の時、天使の時、予言者の時、人間の時はみな各自の住める遊星に拠りて計算するものにあらざる
か”との質問に答う。
教130,5,答えて曰く、然り。されど、この世に導きと恵を施す天使らにして、現にこの世に属しまたは嘗て属したる
者にあらざるはなし。
教130,6,天使らはこの地球の如き遊星の上に住むことなし。
教130,7,されど天使らは、神の御前に於て火のガラスの海の如き天球上に住む。其所にては、万物その光栄の
ために過去、現在、未来を通じて顕れ、またたえず主の御前に在るなり。
教130,8,神の隅たもう所は、1つの雄大なる”ウリムとトミム”なり。
教130,9,それ、この地球聖化したる不滅の状態となる時は水晶の如くとなり、その上に住む人々にとりて1つの”ウ
リムとトミム”とならん。これによりて、それより下位の王国或いはすべて低位の王国に就けるよろずの事はこの地球
の上に住める人々の眼に明らかとなり、この
教130,9-1,キリストのものとなるべし。
教130,10,その時、黙示録第2章17節に誌されたる白き石はこれを受くる隠故人にとりて1つの”ウリムとトミム”と
なり、これに由りて高位の国々に就ける事を知るを得ん。
教130,11,また、火の光栄の王国に入り来る者は各々1つの白き石を受くべし。而して、その石の上には1つの新
しき名前記され、この名はこれを受くる者のほか絶えて知る者なし。この新しき名前はすなわち鍵の言なり。
教130,12,われ、主なる神の御名によりて予言す。すなわち、人の子の来りたもう以前に、多くの流血を起すべき
難局の始まりは南カロライナにあらん。
教130,13,そは恐らく奴隷問題によりて起るべし。これ1832年12月25日、われこの事に就きて熱心に祈りてあり
し時ある声ありて告げしなり。
教130,14,われ嘗て、人の子の来りたもう時を知らんために熱心に祈りてありし時、ある声の次の如く繰返し告ぐる
を聞けり。
教130,15,わが子ジョセフよ。汝もし85才まで生き永らえなば人の子の御顔を拝すべし。さればこれを以て満足
すべし。このことに就きてもはやわれを煩わしむるなかれ。
教130,16,この故に、かくの如くこの来りたもうことが福千年の始めと言うか、またはそれ以前に現われたもうことな
るか。またわれ死してかくの如く御顔を拝するや否や、いずれにも決し得ざるままなりき。
教130,17,人の子の来りたもう時は、その時よりも速なることあらざるべし、とわれ信ず。
教130,18,およそ、われらのこの世に於て達する英智の一切は、何にてもよみがえりの時われらと共によみがえる
べし。
教130,19,さればもしある人ありて、精励従順によりてこの世に於て他の人よりも一掃勝れたる知識と英智とを得
ば、未来の世に於てそれだけ利を得べし。
教130,20,そもそも創世の以前より天に於て定められえたる1つの変らざる律法ありて、あらゆる祝福はこれに基く
なり。
教130,21,すなわち、われら何にても神より祝福を受くる時は、この祝福の基く律法に従うによりて然るなり。
教130,22,御父は、人間の有する肉体と同じく触知し得る骨肉の体を有したもう。御子もまた然り。されど、精励は
骨肉の体を有ちたまわずして霊の御方なり。もし然らずとせば、聖霊われらの中に隅たもうこと能わじ。
教130,23,人は聖霊を受くることもあらん。また聖霊はその人に下りたもうことあらんも、彼と共い永く留りたもうこと
はあらじ。
最終更新:2008年07月05日 04:16