スミス2,,高価なる真珠 ジョセフ・スミスの著 第2章 予言者ジョセフ・スミスの歴史より抜粋
スミス2,1,末日聖徒イエス・キリスト教会の起りと発展とに関し、悪意悪計ある人々によりて流布せられた多くの風
説がある。而もこれらのすべては、その発頭人たちが当教会としての資格とその世の中に於ける発展とのために
不利益となる様に企図したものであるから、すなわち
スミス2,1-1,この史実を筆にするに至った。私の目的は、これによって世上人心の疑惑をはらし、また、私自身と教
会のふたつに関して起ったありのままの事実を、私自ら事件の真相を知る限り、あらゆる事件の真相を四郎とす
る者に知らせることである。
スミス2,2,この史実の中に於て、私は事件の真相を真実に且つ正しく、すなわち現在あるがままにこの教会に関す
る種々の事件を述べよう。今や、上記教会の組織以来第8年になった。
スミス2,3,私は種の1805年12月の23日、ヴァーモント州ウインソン郡シャロンの町で生れた。父ジョセフ・スミス
(初代)はヴァーモント州を去ってニューヨーク州オンタリオ郡(今のウェイン郡)パルマイラに移ったが、その時私
は10才位であった。父がパルマイラに
スミス2,3-1,到着してから約4年の内に、父は同じオンタリオ郡内のマンチェスヤーにその家族と共に引き移った。
スミス2,4,そして、父の家族は11人から成っていたが、それは父ジョセフ・スミス、母ルイ・スミス(母の結婚前の名
は、ソロモン・マックの娘マック出逢った)、兄弟アルヴァン(1823年11月19日で死去)、ハイラム、私自身、サミ
ュエル・ハリスン、ウイリヤム、ド
スミス2,4-1,カルロスおよび姉妹のソフロニヤ、カザリン、ルシイたちであった。
スミス2,5,私たちがマンチェスターに移ってから2年目のある時、私たちの住んで居た土地に宗教上の非常な騒ぎ
が起った。この騒ぎはまずメソジスト教徒から始まって、間もなくひろくその地方の全教派に及び、誠に地方全体
がそれにとりつかれたようであった。大勢の群衆がこ
スミス2,5-1,いろいろな宗教的党派に分れ塊、これらはその人々の間に一方ならぬ騒ぎと仲間割れとを引起こして”
ここを見よ”と叫ぶ者もあり、或者はメソジスト派の教義を擁護して論じ、また或者は長老派、浸礼派の教義を擁
護して論じた。
スミス2,6,これらさまざまの信仰に転じた改宗者たちが、その改宗に当って言い表した偉大な愛と、またあらゆる
人々を改宗させるために、牧師らが好んで言った言葉であるが、あらゆる人々をその好む教派に加入させるため
に、この宗教的感情がただ事でなく興奮した場面を引起
スミス2,6-1,これを助成するに当って活溌な働きをした各牧師たちの示した偉大な熱心さとがあったにも関わらず、
しかも改宗者たちの或者は何派、或者は別の派と所属が定まり始めると、爆死たちも改宗者たちも、両者の示す
表面上の好感情は真実と言うよりはむしろ偽装的と思わ
スミス2,6-1-1,それはこれに引きつずいて、牧師は牧師に向い改宗者に向って論争する1大混乱と反感の場面が
起って、その結果すべてお互いの間の好感情はーーーもしいくらかでもそんなものが最初あったとしても、今は全
く言葉争いと所信の論争の中に蔭もなくなってしまったから
スミス2,7,私はこの時満14才を越えた才であったが、父の家族は長老教会派に改宗して、家族のうち4人、すなわ
ち母のルシイ、兄弟のハイラムとサミュエル・ハリスンおよび姉のソフロニヤがこの教会に加入した。
スミス2,8,この大騒動の間に、私の心は深刻な反省を促がされまた非常な不安を感じた。しかし私の感情には痛切
なまた折々胸をさすようなものがあったにも関わらず、なお私はすべてこれらの連中から超然としておった。しか
し、機会の許す度に彼らの催すいろいろな集りには集
スミス2,8-1,こうしている間に、私の心はややメソジスト派に傾き彼らに加わろうとする願望を何程か感じたが、何分
いろいろな教派間の混乱と争闘が激しかったから、私のような年もゆかず世故にも長けていない者にとっては、
何人が正しく何人が間違っているかなどのしっかりし
スミス2,8-1-1,得ることはとてもできなかった。
スミス2,9,私の心は時々ひどくかき乱され、外の叫び声と騒ぎは非常なもので絶え間もなかった。長老派の信徒は
浸礼派の信徒とメソジスト派の信徒に最も断乎反対し、あらゆる理屈ときべんと両つながらの力を用いて反対派
の誤りを証明し、または少くとも世の一い反対派が誤っ
スミス2,9-1,思わせようとした。これに反して浸礼派の信徒とメソジスト派の信徒は、その代り自己の教理を打ち建
てて他がことごとく誤っていることを証明しようと等しく熱心に努めた。
スミス2,10,この言葉の争いと信念の動揺の真最中に、私はしばしば自分の胸に問うた”私は何を為すべきか。すべ
てこれっらのともがの中、何人が正しいか。或いは彼らは共にことごとく間違っているか。もし彼らの中で誰かが
正しいとするならば、それは何れであった、どうして
スミス2,10-1,わかるのか”と/。
スミス2,11,これらの宗教家連中の論争から引き起こされた極度にむつかしい事情の中で、私が心を苦しめて居る
ある日のこと、私は
新約聖書ヤコブ書第1章第5節の”汝らの中もし智恵の欠くる者あらば、惜しむことなく、また
咎むることなく、すべての人に与うる神に求むべし、
スミス2,11-1,さらば与えられん”という所を読んでいた。
スミス2,12,どの聖句にもまさって、この時ほどこの言葉が私の心に真に力強く迫って来たことはない。それは私の
心の底と言う底を大きな力で貫き通すような気がした。私はこの言葉を再三再四思いめぐらして、もし誰か神より
の智恵を必要とするならば、正にそれは私であること
スミス2,12-1,なぜならばこの際私はどうしてよいか知らなかったし、当時の私の智恵よりももっと深い智恵が得られ
なかったなら私は為すべき方法を知らなかったからである。それと言うのも、種々な教派の宗教々師たちは、聖
書の同じ章句をめいめい非常に異なって会食し、その結
スミス2,12-1-1,聖書に訴えて疑問を決しようとする信頼をことごとくうちこわしていたからである。
スミス2,13,とうとう私はこのまま暗黒と混乱の中に止まらねばならぬのか、それともヤコブの指図をする通り神に願
わねばならぬのか、どちらかにせねばならぬという結論に達した。私はついに”神に願う”決心をして、もし神が智
恵の欠けた者に智恵を与え、しかも惜むことなく
スミス2,13-1,こともないならば、ひとつ神に願ってみようと決めた。
スミス2,14,そこで神に願うと言うこの決心に従い、これを実行しようとして私は森の中へ人を避けて入り込んだ。そ
れは1820年の早春、1点の雲もない美しい朝であった。このような企をしようとしたのは、私の生涯ではじめてで
あった。というのは私があれほど苦しんでいる
スミス2,14-1,でも、口に出して神に祈ろうとしたことはまだこれまでになかったからである。
スミス2,15,私は、前以て行こうと計画をして置いた場所へ人目を避けて入り込んでから、あたりを見廻して人気の
ないのを見すますとひざまずいて自分の心の願いを神に祈り始めたが、私が祈り始めるや否や、直ちに私は何と
も知れぬ能力によって捉えられ、ついに私は全く抵抗力
スミス2,15-1,またその力は私の舌さえしびれる程の驚くべき力を振ったので私は物言うこともできなかった。そして
あたりはだんだん暗くなり、1時はあたかも私はこのまま急に死んでしまうかのように思われた。
スミス2,16,しかし、私は自分を捉えたこの敵の力から何とぞ逃れしめたまえと、全力を振りしぼって神を呼び求め
たが、私が今にも絶望に打ち沈んでわが身を破滅に任せようとしたその瞬間、それは考えただけの滅亡というよ
うなものではなく、目に見えぬ世界から来た何ともわか
スミス2,16-1,生き者で、全くこれまで私がどんな者に逢っても覚えたことのない程驚くべき強い力を具えた者の力
に打ち負けて、わが身を見捨てようとしたその瞬間、こn非常な驚きの瞬間である、私は自分の真上に太陽にも
増して輝く1つの光の柱を見た。そしてその光の柱は次第
スミス2,16-1-1,きて、光はついに私の上にふり注いだ。
スミス2,17,その光の柱が現われるや否や、私はわが身を縛った敵から救い出された事に気が付いた。そしてその
光が私の上に留まった時、私は筆紙に尽し難い輝きと栄光とを有ちたもう2人の御方が私の真上の空中に立ち
たもうのを見た。そしてその中のお1人が私に言をかけて私
スミス2,17-1,呼びたまい、他のお1人を指して”こはわが愛子なり、彼に聞け”と仰せられた。
スミス2,18,私が主い伺おうとした目的は、私が何れに加入すべきかを知るためにすべての教派の中で何れが正し
いかを知ることであった。それで私はわれに返って言葉が出せるようになるや否や、私の真上で光に包まれて立
ちたもう御方に、すべてこれらの教派の中で何れが正しい
スミス2,18-1,私は何れに加わるべきかを伺った。
スミス2,19,ところがその御答に”汝はその何れにも加わるべからず、彼らことごとく誤れるを以てなり”と言いたもう
た。そして、私に話かけたもうたその御方は”彼らの信条はことごとくわが目より見て悪むべきものなり。また彼ら
信条を口にする者たちはことごとく腐敗せり。
スミス2,19-1,唇もてわれに近づけど、その心はわれに遠ざかれり。彼らは人の誡命を教えとして教え神を敬う様を
すれども神の力を否む”と宣うた。
スミス2,20,この御方は再び私にどの教派にも入ってはならぬと留めたまい、また他に多くの事を真実私に告げたも
うたが、この度はそれを誌すことができない。私が再びわれに返った時に気がついて見ると、私は背を下にして横
わり、天を仰いで居たのであった。光の去った時に、
スミス2,20-1,無かった。しかし間もなくやや恢復して家へ帰った。そして私が壁炉によりかかって居た時、母はどう
かしたのかと私に尋ねた。私はこれに答えて”心配なさるな、万事よろし。何も悪いところなし”と言った。そしてそ
れから母に”私は今自分で長老派の教義は真実で
スミス2,20-1-1,知った”と言った。私が悪魔の王国の妨げを為す者と悩ます者いなると定められていた事は、私の
生涯の極めて初期に悪魔が気付いたかのように思われる。そうでなければ、どうして、暗の力が聯合して私に逆
らって来たのであるか。私がまだ幼い時に私に対して反対と
スミス2,20-1-1-1,起ったのは何故であるか。
スミス2,21,この示現を見た約23日の後、私は前に話した宗教上の騒ぎの際に非常に活動をしたメソジスト派の1
教師とたまたま一しょになった。そして宗教上の問題に就いて話をしたついでに私は私が受けた示現について物
語った。ところが私はこの教師の振舞に非常に驚いた。
スミス2,21-1,神と交通したことを素気なくあしらったのみならず、また非常に軽蔑して言った。そんなことは全く悪魔
の仕わざである。今の時代に示現だの啓示だのというようなことがあるものか、すべてこのようなことは使徒の時
代で終ったいる。もうこれから決してそのようなこ
スミス2,21-1-1,あるものかと。
スミス2,22,しかし、それから間もなく私がこの話を語ったことが、宗教を口にする者たちの間に私に対する大きな反
感を引き起し、そしてこれがひどい迫害の原因であったことを私は悟った。そしてこの迫害はますます甚しくなって
行った。私は一介の名もない少年であった。たっ
スミス2,22-1,を越えた年齢の少年でしかも生活状態から言っても何ら世間で取るに足らぬ程の者であったけれど
も、歴々の方々は私に反対して世上人を刺戟し、甚だしい迫害を引き起すほど私のことをわざわざ気にかけられ
た。しかも、これはすべての教派間に共通したことであった
スミス2,22-1-1,全部の教派が聯合して、私を迫害したのである。
スミス2,23,満14才を少し超えたような一介の少年であり、またその日の労働でようやく整形を得て行かねばならぬ
運命におかれた1少年の私gあ、当時最も評判の教派に属する偉い方々の目を惹くほどの、また居わば、最もひ
どい迫害と悪口雑言をあびせようとする精神を彼らの
スミス2,23-1,引き起すほどの重要な人物と思われようとはいかにも不思議である、ということは当時私を本気に深
く考えさせまたそれ以来しばしば深く考えていることである。しかし不思議であろうがなかろうが事実は迫害と悪
口雑言であった。そしてこのことは度々私自身にとって
スミス2,23-1-1,悲しみの種となった。
スミス2,24,然しながら、これにも関わらず私が先に示現を受けたことは事実である。あの時以来私は、パウロがア
グリッパ王の面前に於て弁明し、彼が先に光を見声を聞いた示現の顛末を語った際、なお彼の言を信じた者が
ほとんどなく、ある者はかれは偽りを語ると言い、他の者
スミス2,24-1,狂えりと言った。そしてかれが嘲り笑われ悪口雑言を受けたその時自分は大へん似た心境であった
と思っている。しかしながらすべてこれらの反対も、パウロが示現を得たと言う現実を打ち破らなかった。パウロ
は、先に示現を受けた。彼はこれを受けたと言う事実を身
スミス2,24-1-1,知った。そして天下のあらゆる迫害もこれを蛙ことができなかった。人がかれを死ぬまで迫害しよう
とも彼は知っていた。彼は最後の一息まで、彼が光を見、彼に呼びかける声を聞いたこの2つの事実を知ってい
るであろう。事実、全世界も彼の考えを変え信ずるところ
スミス2,24-1-1-1,させることはできなかった。
スミス2,25,私も正にその通りであった。私は実際に光を見た。その光の唯中に2人の御方を見た。そしてその方々
は真実私にお言葉をかけたもうた。私が示現を受けたと言うために憎まれた迫害せられても、なおそれは真実で
ある。そして私がこのように言うために、人々が私を迫
スミス2,25-1,偽ってあらゆる悪口をあびせている間に、私は自分の胸の中で語るようになった”何故真実のことを
話すから私を迫害するのか。私は本当に示現を受けたのだ、私がどうして神に抗らえようか。何故世の中の人
は、私が本当に見たものを見ないと言わせようと思うのが。
スミス2,25-1-1,受けたのであるからそれが事実であるのを身を以て知っている。私は神がそれを知りたもうことを
知っている。私はそれを打ち消すことはできなかった。また敢て打ち消そうともしなかった。私は少くとも、本当に
あったことを打ち消すならば神の怒りを受けて罪の宣告
スミス2,25-1-1-1,ことを知っている”と。
スミス2,26,私は、今や教派社会に関する限りすでに心に満足を得た。すなわち、私はどう教派に属する義務もな
く、おって神のお示しがあるまでこのままつずけて行けばよかったのである。私は、ヤコブの証が真実であること
を悟った。すなわち”智恵に欠くる者あらば神に願うべ
スミス2,26-1,与えられ、然も咎めを受けざる”ことを。
スミス2,27,私1823年の9月21日まで平凡な世渡りをつずけて行った。しかしその間、私が示現を受けたと言い張
ってやまないので宗教家といわず宗教家でない人々といわず、あらゆる階級の人たちから始終ひどく迫害され
た。
スミス2,28,私が先に示現を受けてからこの1823年に至る間は、その当時の如何なる教派にも加入しるを禁ぜら
れていた。そしてはなはだ未熟な年でもあり、また友達となって親切に私を待遇し、もし私が間違っていると思った
ならば、改心させる為には適当な而も愛情に充ちた
スミス2,28-1,空くしてくれるのが当然であった人たちにかえって迫害されたものだから、私はあらゆる種類の誘惑を
受けるままに任せられた。それで私はあらゆる種類お相手と交わり、度々愚な誤ちに陥り、若気の弱さと、人間の
おろかさとを示した。そして遺憾ながらこれらのこと
スミス2,28-1-1,お目障りとなる種々な誘惑に私を誘いこんだ。然しこの告白を聞いて、私が何が大罪かまたは憎む
べき罪悪を犯したと思うには及ばない。私にはこのような罪を犯す性質は生来決してなかった。しかし、私は軽卒
な行動を犯し、ある時は陽気な連中と交りなどし、先に私
スミス2,28-1-1-1,ように、神に召された者が当然保つべき正確と矛盾する行動をした。しかし、これは私の若い頃
を回想し、また私の性来陽気な気質をよく知っている者には、甚しく不思議には思われないであろう。
スミス2,29,これらの結果私は度々自己の弱さと不完全さとを心中非常に悪いことであると思っていた。ところで、前
に行った9月21日の夜である。私はもう寝ようと思って自分の寝室に入ってから、全能の神に対してすべて私の
罪と愚な行いをお許しになるようい、また神の御前
スミス2,29-1,立場と状態とがどのようなものかお示し下さるようにと、祈り且つ願い求めた。これは、以前に神の御
顕れを受けたから、神の御示しを得る充分な確信があったからである。
スミス2,30,かように私が神を呼び求めている間に、私は室内に1種の光が現われるのをみつけた。その光は次第
に明るさを増して、ついには室中真昼よりも明るくなった。その途端に1人のお方が空中に立って私の寝台の側
に現われた。それは、そのお方の両足が床から離れて居た
スミス2,31,このお方は世にも妙なる白色のゆったりとした衣を着て居りたもうた。そして、その衣の白さと言えばい
かなるこの世の白さをも絶した白さであった。また私はいかなるこの世のものも、あれほどに勝れて白く輝いて見
せることができたとは思えない。このお方の手も腕
スミス2,31-1,あった、衣お袖は手首の少し上まで、またその足も露わであって衣の裾は足首の少し上までしかなか
った。その頭も首も露わであって、ゆったりした衣だけを着けておられるのを見つけることができた。そして胸のあ
たりははだかって、ふところまで見得るほどであった
スミス2,32,この衣服が世にも白かったのみならず、またこのお方の全身は筆にも口にも絶した輝きに充ち、御顔は
誠いいなづまのように輝いていた。室内は非常に明るかったが、このお方のすぐ周りは特別によく光輝いていた。
私が始めてこのお方を仰ぎ見た時は恐れを感じたが、
スミス2,32-1,恐れは去った。
スミス2,33,この御方は私の名を呼びたまい”われは神お御前より汝に遣わされし者にしてわが名をモロナイと言
い”、神は汝に1つの事を成し遂げさせんとして居りたもう”、また”汝の名は、あらゆる国民、あらゆる血族、あらゆ
る国語の民の中に善くも悪しくも覚えられ、あら
スミス2,33-1,中に善くも悪しくも語らるべし”と言いたもうた。
スミス2,34,またこのお方は私に、アメリカ大陸の先住民の記録とその起源とを金版に刻んだ1部の書物が埋めら
れてあって、その中に古代の住民に救い主がお伝えになったままの完全な永遠の福音が載せてある、と告げた
もうた。
スミス2,35,また、銀のつるにはめた2個の宝石があって金版と共に埋めてある。これらの宝石は1つの胸当に附け
てあって、いわゆる”ウリムとトミム”を成す。そしてこれらを以て使った者が、古代すなわち先の時代の”聖見者”と
なったのであり、かの書物を翻訳するために神
スミス2,35-1,宝器を豫め備えて置きたもうたのである、と仰せになった。
スミス2,36,これらのことを私に言ってから
旧約聖書にある予言を引用し始めたまい、最初に
マラキ書第3章の1部
を、次にまた世の聖書にあるとはいささか趣を異にするが、同じ善げnの書の第4章すなわち最後の書を引用し
たまい、世の聖書にあるような第1節を引用する代りに
スミス2,36-1,宣うた。
スミス2,37,すなわち”見よ、炉の如くに焼くる日来らん。すべてたかぶる者と悪を行う者はわらの如くに燃えん。そは
来る者たち彼らを焼けばなり。万群の主は言う。彼らを焼きつくして根も枝も残らざらしめん”と。
スミス2,38,また次のように第5節を引用したもうた。すなわち”見よ、主の大いなるおそるべき日の来る前に、呼べ
ん者エライジャの手によりて、われ神権を汝に顕さん”と。
スミス2,39,また次の切を少々言を変えて”彼は先祖になされし約束を子らの心に植え、子らの心にその先祖を思わ
しめん。もし然らずば、主の来る時、全地はことごとく荒れ廃れん”と宣うた。
スミス2,40,これらに附け加えて、
イザヤ書第11章を引用してこの予言が将に成就しようとしていることを言われ、
なおまた
使徒行伝第3章、22および23節を全く世の新約聖書にある通りに引用したもうた末、ここに言う予言者
とはキリストの御事である。しかしながら”この
スミス2,40-1,言を聴かざる者は、その民の中より絶たるべし”と言うその日はまだ来ていないがそれはすぐにも来る
のであると仰せになった。
スミス2,41,さらに
ヨエル書第2章、28章から末節までを引用して”この事いまだ成就せずといえども間もなくあるべ
きなり”と。更に述べて”異邦人の時満つるは間近なり”と言いたもうた。この他多くの他の聖句を引用しまた多くの
説き明したもうたが、ここにその事を挙げて
スミス2,41-1,できない。
スミス2,42,また宣うた”汝前にわが語りたるかの金版を得たる暁にはーーーかの金版を得べき日は、いまだ実現せ
ざればかく言うなりーーーこれらの版は何人にも示すべからず。かの”ウリムとトミム”の附属せる胸当もまた然り。
ただこれらを示すべしとわが命ずる者にのみ見す
スミス2,42-1,もし余人に見する時は汝滅ばさるべし”と。このお方が私にかの金版のことを話しておりたもう中に、
私の心の中に示現が開けてきて、金版の埋めてある場所を見ることができた。しかも誠に明瞭に見ることを得た
から、その後実際にその場へ行った時にはすぐにそれと
スミス2,43,このお方との交通が終ってから、私は室内の光が先ほどから私と話をして居りたもうたお方のすぐ身の
まわりへ次第に集って行き始めるのを見た。次第次第に光は縮みつずけてついに室内は再び暗くなってしまった
が、そのお方の体のすぐ周りだけは光り輝いていた。そ
スミス2,43-1,私は、あたかも1条の通路が突如天に向って開くと見たが、このお方はそれを昇って行ってついに全
く姿が見えなくなり、室内はこの天来の光明が現われる前に暗黒に帰っていた。
スミス2,44,私はこの場の奇異な有様を冥想しつつ、またこの余の常でない使によって私に告げられた事を非常に
驚きあやしんで横になって居たが、私が沈思黙考している最中に、突然また室の中が明るくなり出したのを見つ
けた。そして言わば突如として、また同じ天の使者が私の
スミス2,44-1,おられたのである。
スミス2,45,この使者は語り初めて最初に訪れた時に語ったところと全く同じ事を再び一言一言違えずくり変えして
告げ、その後で私に飢饉、戦争、疫病などによる甚しい荒廃を伴って、この地上に今や来らんとする大いなる審
判に就いて告げ、この悲しむべき審判が今の代に於て地
スミス2,45-1,ことを告げ、これらの事を述べ終ると先に通りにして再び天に昇って行きたもうた。
スミス2,46,今はもう心に受けた印象が余りに深かったため、眼はさえて眠れず私はこれまでに見たり聞いたりした
ことにただもう驚きのあまり横になって居た。しかし、また私の床の側に同じ使者を見、その使者が前の通りにこ
の同じ事を私に一々くり変えしてお話しになるのを聞
スミス2,46-1,私の驚きはいかばかりであったか。この使者は私に1つの警告をつけ加えて、私の父の家族は貧し
いから、サタンが私を誘って金持になるためにかの金版を手に入れさせようと試みるであろうと言われた。また”
かの金版を得るに就きては汝は神の栄光を現わす以外の目
スミス2,46-1-1,持つべからず、また神の王国を打建てんとする以外の動機に左右せらるべからず、然らずんば汝
はかの版を手に入るる能わず”と禁じて言いたもうた。
スミス2,47,この3度目の訪れを終ると、このお方は以前のように天に昇って行かれ、私はたった今経験した事の不
思議さに一人思いを廻らして居った。この天の使者が3度目に私を離れて天に昇って行きたもうやほとんどすぐ
ににわとりがときを告げたので、私はもはや暁も間近い
スミス2,47-1,知った。それであるから私は一晩中、天の使者と会見して居たに相違ない。
スミス2,48,私はそれからじきに寝床から律法、平常通りその日のせねばならぬ仕事に出かけて行ったが、いつも
の日のように私語地にかかって見たものの私は全然仕事をする力がないほどからだが疲れているのに気が付い
た。私と相並んで働いて居た父は、私の体工合が悪いと見て
スミス2,48-1,言った。そこで私は家へ行くつもりで出かけたが、私たちの居た畑から垣根を越して出ようとしている
中に、全く疲れ果てて私はぐったりと地に倒れ暫くの間全然気を失っていた。
スミス2,49,始めて気がついたことは、私の名を呼んで話かける声がすることである。仰いで植えを眺めると、かの
同じ使者が前のように光に包まれて私の頭上に立ちたもうのが見えた。それからこの使者は、また前夜私に話し
た通りのことをすっかり語り、父のところへ言って私の
スミス2,49-1,示現と私の受けた示現のことを語れと命じたもうた。
スミス2,50,私はこれに従った。私は畑に居た父のところへ帰って行って事情をすっかりくわしく物語った。すると父
は私に、これはまさしく神ごとであると言い、その使者の言いつけ通に行ってせよ、と答えた。私は畑をさって、さ
きに使者が告げてかの金版が埋めてあると言った
スミス2,50-1,行った。ところで、その場所はさきの示現の中でありありと見えたから、そこへ着くとその箇所がすぐに
そこだと私にわかった。
スミス2,51,ニューヨーク州、オンタリオ群、マンチェスターの村近くに、かなりの大きな丘があるが、それはその界わ
い切っての高い所である。この丘の頂上からあまり遠くない西側の所にかなりの大きさの石があって、その下に
ある1つの石の函の中にかの金版が置かれてあった
スミス2,51-1,表面がなか高で円くへりに行くに従い薄くなっていたから、石の中央部は地上に現われていたが、へ
りの方はみな土で覆われていた。
スミス2,52,私はその土をとりのけててこを1本手に入れ、これを石のへりにさしこんでちょっと力を入れてこの石を
持ち上げた。そして中をのぞき込むとはたしてかの使者が言われた通り金版、”ウリムとトミム”、胸当の3品があり
ありと私の目に見えた。これらの品々が納って
スミス2,52-1,1種のセメントを使って石を積み上げこれを箱に造ったもので、その函の底に横向きに2個の石が置
かれ、この石の植えに金版やその他の品々がいっしょにのせてあった。
スミス2,53,私はそれを函からとり出そうとしたが、あの使者にとめられた。この使者は私にこれらの品を呼に出す
時節はまだ来ていない、またこの後4年たたぬとその時節が来ないと告げたもうた。しかし使者は私にその時か
らまる1年目の日にその場所へ来るように、そうすれば
スミス2,53-1,ここで私と逢うであろう。そうすれば使者もまたここで私と逢うであろう。そして金版を手に入れる時が
来るまでは毎年そのことをつずけよと言われた。
スミス2,54,私は使者の言いつけ通り、まる1年目毎にそこへ行くと、その度毎に同じ使者がそこに居りたもうた。そ
して逢う度毎に主が為そうとしておりたもう事がらや、神の王国がどうして、またどんな風にこの末の呼においてこ
れから指導されて行くべきかに着いて、使者から
スミス2,54-1,通知を受けた。
スミス2,55,私の父の暮し向は非常に窮屈であったから、私たちは自ら働かねばならなかった。機会がある時には
日傭の出かせぎやその他の働きをした。ある時は家で働き、ある時は外仕事を為し、絶え間なく働いてまず安楽
に1家を養って行くことができた。
スミス2,56,1824年に、私の父の1家は私の長男アルヴィンの死によって非常な困難に逢い、1825年の10月、
私はニューヨーク、シェナンゴ郡に住むジョサイヤ・ストールと言う老人方へ傭われた。この人は勝手ペンシルベ
ニヤ州、サスケハナ郡、ハーモニーで、スペイン
スミス2,56-1,開発したある銀山について何事か聞き及んだので、私の傭入れに先立って出来得るならばその銀山
を発見しようとしてその発掘をして居った。私が言って同居してから、この人は其余の使用人たちと共に私を銀山
発掘の為に伴った。私は引つずきこの仕事に1ヶ月近く従
スミス2,56-1-1,私たちの事業は不成功であったからついに私はこの老紳士を説いて銀山発見のための発掘を止
めさせた。私が銭堀りの山師であったと現にひろく世に行われる話はこの事から起ったのである。
スミス2,57,以上のように傭われて居た間私はその地のアイザックヘールと言う人の家に下宿していた。私が今は
わが妻であるヘール氏の娘エマ・ヘールと逢ったのはこの家である。1827年1月18日に私たちは結婚したが、
その時私はまだアウトール氏に傭われて働いていた。
スミス2,58,私は常にあの示現を受けたと言い張って止まなかったので私の行く所にはなお迫害が伴った。それで、
私の妻の父の1家は私たちの結婚には非常に反対であった。それで私は妻を他所に連れて行くほかはなかった
ので、比所を出てニューヨーク州、シェナンゴ郡、南ベイ
スミス2,58-1,タービル治安判事の家で結婚した。結婚するとすぐに私はストール氏の許を辞して私の父の家に帰
り、その季節は父と共に農耕に従事した。
スミス2,59,その中にとうとう、かの金版、”ウリムとトミム”、胸当の3品を手に入れる期日がやって来た。1827年の
9月22日、私はいつもの通り満1年目の日に、この品々の埋まっている場所へ行った。ところ、あの同じ天の使
者は次のような責任と共にこれらの品々を私
スミス2,59-1,渡した。すなわち、私はこの品々について保管の責任を持たねばならない。私が万一不注意が自己
の怠慢によってこれを失うならば私は断ち滅ぼされる。しかし、私がもしこの使者がまたこの品々を取りに来たも
う日まで全力を尽して保存するならば、これらの品々は護
スミス2,59-1-1,である、と言うのであった。
スミス2,60,私は間もなくその品々を安全に保存するために何故使者がこのような厳しい責任を課したか、また私自
身に要求された事が為し遂げられた暁に、使者がこれを取りに繰ぞと言いたもうたわけがわかった。それは、私
がその品々を手に入れたことが知れるや否や、すぐに私
スミス2,60-1,それを奪いとろうとするあらん限りの努力が払われたからである。その目的を達する為に、あらゆる
計画がめぐらされた。迫害はいよいよ激しくなり、多くの人々は隙あらば私の手からこれらの品を取ろうとたえずう
かがった。しかし私に命ぜられた事がこれらによって
スミス2,60-1-1,までは、神の智恵によってこれらは安全に私の手中に在った。そしてかねての打合わせ通り使者
がこれらを受け取りに来たもうた時、私はこれらの品を使者に引き渡した。それでそれらは1838年5月2日の今
日に至までなお使者の御手の中にあるのである。
スミス2,61,しかし、騒ぎはなおも引きつずいて、私の父の家族と私自身とに就いて、ありもせぬことを世上に流布す
るためにありとあらゆる噂が始終話された。私がもしその1、000分の1を話したとしても優に大きな書物一杯に
なるであろう。しかしながら迫害がいよいよ堪え
スミス2,61-1,程になってきたので、私は止むを得ずマンチェスターを去って、妻と一しょにペンシルベニヤ州、サス
ケハナ郡へ行かねばならなかった。当時私たちはひどく貧乏であり迫害も甚しくなったから、ほかにどうする見込
もなくいよいよ出発しようと準備をして居る時、この
スミス2,61-1-1,最中にマーテン・ハリスと言う紳士の友情を受けた。この紳士は私の所へ来て、路銀の足しにと金
50ドルを私に与えた。このハリス氏はニューヨーク州、ウェーン州、パルマイラ町に居住する相当な暮しの1農家
であった。
スミス2,62,まことに都合の好い時に+目られたので、私はペンシルベニヤ州の行き先に到着することができた。そ
してそこに着くとすぐに私はかの金版からそれに刻んである文字を書き写しにかかった。私はそれらの文字から
可なりの数を写しとり、”ウリムとトミム”によってそ
スミス2,62-1,いくばくかを翻訳した。私はこれを、12月に私が妻の父の家へ到着してから翌年の2月に至るまでの
間にした。
スミス2,63,この2月のある時、先に書いたマーテン・ハリス氏が私たちの所へ来て、私が金版から書き取って置い
た文字を手に入れ、これを持ってニューヨーク市へ発って行った。ハリス市とこの文字に関して起った出来事につ
いては、ハリス氏が同市から帰ってきて私に話した通
スミス2,63-1,事情に就いてハリス氏自身の語るところをお伝えする。それは次の通りであった。
スミス2,64,”私はニューヨーク市へ行って君が書き写して置いた文字を、それの翻訳と一しょに、これを文学上の学
識で有名な1紳士チャールス・アントン教授に提出した。アントン教授に提出した。アントン教授が言われるに、こ
の翻訳は正確である、エジプト語から翻訳された
スミス2,64-1,これより正確なものをまだ見ないほどであると。そこで私はまだ翻訳していない文字を出して見せたと
ころ、これらはエジプト語、カルデヤ語、アッシリア語およびアラビヤ語などで、またその文字も本当の文字である
と言われて、教授はパルマイラの人々に宛てて’こ
スミス2,64-1-1,2-内容? 文字は真正の文字にして、またこれらの文字より翻訳されてるものもまた正確なり’と言う1
通の証明書を私に下さった。私はその証明書をとってかくしに入れ、さて正に教授の家を立ち去ろうとした時アン
トン氏は私を呼び返して、その青年はその金版を見つ
スミス2,64-1-1-1,金版のあることがどうしてわかったかと聞かれるから、それは1人の神の使がその青年に在り個
所を明したのであると言った。
スミス2,65,すると教授は’一寸、その証明書を見せて’と言われるから私はその言に従ってそれをかくしから取り出し
てお渡しすると、教授はこれを寸々に引裂いて’今時、天使が導きと恵を与えるなどと言うことがあるものか。私に
その金版を持って来なさるならば翻訳してやる
スミス2,65-1,言われた。よって金版の1部分は封ぜられているし、また持って来ることをとめられている、と告げた。
すると教授は’私は封じてある書物を読むことはできぬ’と言われた。そこで私は教授の言われた言葉を証人され
た”と・・・・
スミス2,66,1829年4月の5日、
オリヴァ・カウドリが私の所へやって来たが私はその時まで彼に逢ったことはなか
った。彼は前から私の父の住んでいる所の近くの学校で教師をしているが、私の父も子供をその学校へやってい
る者の1人なので、1時私の父の家に下宿している
スミス2,66-1,言った。そして父の家に居る中に、家族の者から私が金版を手に入れた事情を聞いたので私の所へ
事の次第を尋ねに来たのである、と。
スミス2,67,カウドリ氏が私の許に着いた2日後(4月の7日)に、私はモルモン経の翻訳にとりかかり、カウドリ氏は
私の為に書き役を始めたのであった。
スミス2,68,私たちはなお翻訳の仕事を続けていたが、その翌月、すなわち1829年5月のある日、金版の翻訳中
に言い及ばされたのを知った罪を赦すためにバプテスマに関し、主に祈り且つ尋ねるために私たちは森の中に
入って行った。こうして私たちが主に祈り且つ主を呼び集
スミス2,68-1,うちに、1人の天からの使者が光の雲に包まれて天降り、私たちの頭上に両手を按き、次のように言
って私たちに神権を授けたもうた。
スミス2,69,”汝ら、われと同じ業に働く僕らよ。救世主の御名によりて、われ汝らにアロン神権を授く。こは天使の導
きと恵、悔改めの福音、罪を赦すために水に沈むるバプテスマなどの鍵を握る神権にして、まことにレビの子孫
が主の御前に再び義しきに適いて捧物を捧ぐる時ま
スミス2,69-1,この世より決して再び取り去らるることなし”と、
スミス2,70,そしてこの使者は、このアロン神権は按手によって聖霊の賜を与える権能を有ってはいないが、かよう
な神権は後から私たちに授けられると言い、今は行ってバプテスマを受けよと命じ、そして私が先にオリヴァ・カウ
ドリにバプテスマを施し、その後で彼が私にバプテ
スミス2,70-1,施すべし、と指図をしたもうた。
スミス2,71,よて、私たちは行ってバプテスマを受けた。私は第1にオリヴァにバプテスマを施し、後で彼は私にバプ
テスマを施した。それから私は旅手を彼の頭上に按いて彼にアロン神権を授け、次に彼が両手を私の頭上に按
いて私に同じくアロン神権を授けた。それは、かように
スミス2,71-1,命ぜられたからである。
スミス2,72,この時私たちを訪れて、この神権を私たちに授けたもうた使者はヨハネと名乗り、かの新約聖書の中で
バプテスマのヨハネと呼ばれるヨハネと同1人であろと言い、自らはメルケゼデク神権の鍵を握るペテロ、ヤコブ
およびヨハネの指示によって働く者である。このメル
スミス2,72-1,神権も時至らば私たちに授けられ、私は当教会の第1長老と呼ばれ、彼オリヴァ・カウドリは教会の
第2の長老と呼ばれると言いたもうた。私たちがこの使者の手によって神権を授けられまたバプテスマを受けた
のは、1829年5月15日であった。
スミス2,73,私たちがバプテスマを受けて水の中から上ると、すぐに私たちは天の父から受けた大きな光栄ある祝
福を感じた。私がオリヴァ・カウドリにバプテスマを施すや否や、聖霊が彼にお降りになって彼は立ち上がり、間も
なくこれから起るべき多くの事を予言した。また私が
スミス2,73-1,よってバプテスマを受けるや否や、私もまた予言の”みたま”に満たされて直ちに立ち上り、この教会
の起りやその他この教会に関する多くのこと、今の代に於ける人の子らに関する事に就いて予言をした。私たち
は聖霊に満たされ、私たちの救いの神を悦んだ。
スミス2,74,今や私たちの心眼は開けて、聖典の真の意味は私たちの理解力の前に開け放たれ始めた。そして一
層奥深い意味を有つ章句の真意と真の意向が、今までに達し得たこともなくまたは考えても及ばなかったほどに
はっきりと示された。この間にも、私たちの周囲に現われた
スミス2,74-1,精神があるため、私たちが神権を授かった事、バプテスマを受けた事などを秘密にせざるを得なかっ
た。
スミス2,75,私たちは時々、暴徒におそわれる虞れがあったが、これもまた宗教を口にする者たちによってであっ
た。そして彼らが私たちを襲おうとする意図も妻の父の家族の力によって(神の御摂理により)わずかに事なきを
得た。妻の父の一家は、今私に非常に親しくなり、暴徒
スミス2,75-1,立ち、私が中途にて止めることなく遠慮なく翻訳の仕事をつずけることをよろこんだ。それで妻の父の
一家は、すべての非合法的行為から出来る限り私たちを保護すると申し出てこれを約束した。