原文 
L’oeil
1  de Rauenne sera destitué
2 ,
Quand à
3  ses pieds les
4  aesles
5  falliront 6 ,
Les deux de Bresse
7  auront constitué
Turin
8 , Verseil
9  que
10  Gauloys
11  fouleront.
異文 
(1) L’oeil : Loeil 1589Me
T.A.Eds. 
T.A.Eds.  (sauf  : failleront 1612Me)
(注記)1597Br は比較できず
校訂 
 2行目の falliront は failliront のことだが、
ピエール・ブランダムール は特に注記していない。
ブリューノ・プテ=ジラール や
リチャード・シーバース は何の注記もせずに failliront に直している。
 ラテン語の fallere が語源なので、そちらの綴りに引き摺られた揺れなのかもしれないし、単なる誤植なのかもしれない。どちらが正しいのかは分からないが、いずれにしても failliront と同じ意味である点は、諸論者が一致している。
日本語訳 
訳について 
 前半はあまり問題ないものと思われる。なお、2行目 
faillir  (衰える、弱まる)という意味からして、
高田勇 ・
伊藤進 訳の「翼が足元に垂れんときには」にしても、ラヴェンナ自身の翼が力を失ってだらんと垂れ下がるというニュアンスなのは明らかである。インターネット上には、救いの象徴として第三者の翼がラヴェンナ(に象徴される存在)に差し伸べられるというようなニュアンスで理解する者もいるようだが、単語本来の意味を完全に無視した読み方と言うほかない。
 後半の訳は難しい。3行目が直説法前未来で書かれていることから、4行目の出来事よりも前に起こる未来を描いているのは確実だが、
ピエール・ブランダムール の釈義でも二通りの読み方が示されている。当「大事典」で上に示したもの以外の読みは「ブレッシャの二人が建設するであろう、/ガリア人たちが打ちのめすことになるトリノとヴェルチェッリを」である。
 なお、3行目 Bresse をイタリアのブレッシャとしたのは、
リチャード・シーバース の英訳や
ジャン=ポール・クレベール の解説を踏まえたものだが、
高田勇 ・
伊藤進 も指摘するように、南仏にもブレス地方があり、そちらを指している可能性も否定できない。
 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳 について。
 1行目 「ラブニナの目は欠けている」は、固有名詞の読み方を棚上げにするとしても、受動態であり、かつ destituer にかつて priver (奪う、取り上げる)などの意味があったことからすれば、そのあたりのニュアンスが出ていないように思われる。
 2行目 「翼が足もとから飛び立とうとしているときに」は falliront  (failliront>faillir に同じ) が saillir になっているテクストに基づいた訳としては誤っていないが、そのような異文は仏文学者らからまったく支持されていない。
 3行目 「ブレワスの二つはチュリンとベニスを建て」の「ブレワス」はおそらく「ブレッス」か何かの誤植だろう。なお、大乗訳で「チュリン」(
Turin ) に「現在のチューリヒか?」と注記しているのはちょっとひどいのではなかろうか。
 山根訳 について。
 1行目 「ラヴェンナの眼は棄てられよう」は、destituer に「棄てる」という意味合いがあるか疑問。
 3行目 「ブレッスの三人がトリノとヴェルチェルリに骨格を与える」の「三人」は単純な誤植だろう。
 
信奉者側の解釈 
 テオフィル・ド・ガランシエール は、教皇クレメンス7世 (在位1523年 - 1534年) と解釈した。「ラヴェンナの眼」 は(ラヴェンナが教皇領であったことから)ラヴェンナの支配者である教皇のこととした。ブレッシャの2人は
ヴェネツィア から派遣された執政官と地方監督官のことで、彼らがトリノやヴェルチェッリを奪取しようとするものの、フランスに阻まれたことと解釈した。
 このガランシエールの解釈は、言うまでもなくノストラダムスがこの詩を書いた時期(1550年代前半)以前にモデルを求めたものだが、ガランシエールはこの点について何もコメントしていない。
 
同時代的な視点 
 また、2行目の「翼が萎える」は敗北や挫折を被ることを意味するノストラダムスの常用表現とされる。ブランダムールは同様の表現の登場箇所として、翼を下ろす
詩百篇第5巻79番 ・
第10巻95番 、翼を滅ぼす
第8巻52番 、翼を切り落とす
第8巻96番 を挙げ、さらに『
1566年向けの暦 』に登場する「饒舌家たちが翼を下ろす」(Les babil. baisseront les ailes)という句を引き合いに出している。
 ルイ・シュロッセ(未作成) は、少なくとも前半2行については、ラヴェンナの戦い(1512年)が投影されているのではないかとした。
 この戦いはイタリア戦争の一齣であり、対フランスの「神聖同盟」を結成した教皇ユリウス2世とフランス軍が衝突したものである。この戦いではフランスが教皇とスペインの連合軍を撃破したが、国王ルイ12世の甥で目覚しい武功を挙げていたガストン・ド・フォワが戦死した。他方、教皇軍司令官の座にあったメディチ家のジョヴァンニ (のちの教皇レオ10世) はラヴェンナで捕虜となったが、ほどなくして脱走している。
 
ジャン=ポール・クレベール はこの戦いをモデルにしていると解釈したわけではないが、3行目の Bresse はイタリアの地名ブレッシャであろうとした上で、その町が上記のラヴェンナの戦いの折に、ガストンの軍勢によって掠奪されたことを指摘した。
 
 イタリア戦争の直接的な描写ではないかもしれないが、当時のイタリア、サヴォワ辺りの不安定さに触発された可能性はあるのではなかろうか。
【画像】関連地図(ブール=カン=ブレスは仏ブレス地方の中心都市)
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最終更新:2018年06月20日 00:01