百詩篇第4巻19番


原文

Deuant ROVAN1 d'Insubres2 mis le siege3,
Par terre & mer4 enfermés5 les passages.
D'Haynault6, & Flandres7, de Gand8 & ceux de Liege9
Par dons10 lænees11 rauiront les riuages12.

異文

(1) ROVAN 1555 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1840 : Rouan 1557U 1557B 1568 1590Ro 1672, ROAN 1589PV, Rouen 1588-89 1590SJ, Roüan 1591BR 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Ca 1650Le 1668 1716 1772Ri, Rouën 1649Xa, Roüen 1653 1665, Roüand 1981EB
(2) d'Insubres : d'insubres 1589PV 1590SJ 1627 1630Ma 1644 1649Ca 1653 1665, d'Insubre 1981EB
(3) le siege : le Pege 1589PV 1590SJ, se siege 1650Le 1668, le Siege 1672
(4) terre & mer : terre ou mer 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665, Terre & Mer 1672
(5) enfermés : enfermer 1653 1665
(6) D'Haynault : D'Enaut 1588-89, D'haynaut 1600 1610
(7) Flandres : flandres 1653 1665
(8) Gand : Grand 1665
(9) de Liege : du Liege 1557B, de liege 1589PV 1590SJ 1653 1665, de Llege 1628
(10) Par dons : Pardons 1588-89 1605 1627 1649Xa, Par leurs 1672
(11) lænees : læneees 1590SJ , leuées 1605 1628 1649Ca 1649Xa 1668 1672, lenees 1611 1981EB
(12) rivages : Rivages 1672

校訂

 lænees は形からすると女性形に見える。しかし、直前の dons は男性名詞である。ゆえにエヴリット・ブライラーは、少なくともlaenés となっているべきことを指摘していた。ただし、ピエール・ブランダムールらは特に何も校訂していなかった。

 信奉者時代のピーター・ラメジャラーは Par dons laenees を Par dons & langue と校訂して百詩篇第3巻95番の類似表現としていたが、後に放棄し、laenees を Lenaeus (Lenaios)と同一視する読みを支持するようになった。

日本語訳

ルーアンの前でインスブレス人たちによって攻囲が行われ、
海と陸とで通り道が封鎖される。
エノーフランドルヘントリエージュの人々は
レナエウスの贈り物によって岸辺を荒らすだろう。

訳について

 4行目 lænees について、様々な読みが提示されてきた。当「大事典」は、ピエール・ブランダムールの読み方に従っている。なお、「レナエウスの贈り物」は酒のことであり、「レナエウスの贈り物によって」は、ブランダムールの釈義では「酔っ払いたちのごとくに」となっている。ピーター・ラメジャラーの英訳も同様であり、そちらの方が意味としては分かりやすいものと思われる。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「ルアンのまえ 包囲はイタリア人によって敷かれ」*1は、インスブレス人をイタリア人としてしまうのは、やや大雑把だが、解釈を交えた訳としては許容されるだろう。
 2行目「陸海で通行人を閉鎖し」は誤訳。通路(passage)と通行人(passager)は別。
 3行目「ハイアナート フランドル ゲーント リエージュの人々は」は「ハイアナート」というよく分からない表記を除けば、まったく問題ない。
 4行目「軍隊で海岸を略奪するだろう」は、なぜlaeneesが「軍隊」になるのか、語学的根拠がまったく分からない。なお、rivage には「海岸」の意味が確かにあるが、古語では「河岸」の意味もあった。そして、下に掲げる地図からも明らかなように、挙げられている地名の位置関係からすると、河岸の可能性も十分にある。当「大事典」が「岸辺」と訳したのは海岸と河岸のいずれでも差し支えないようにするためである。

 山根訳について。
 1行目 「イタリア人がルーアンの前で攻囲し」*2は、「イタリア人」については上述の大乗訳への指摘と重なる。
 3行目「エーノとフランドルからヘントとリエージュの道から」は、そう訳せなくもない。ceux は「人々」を意味する語だが、直前の名詞を受けて「それら」と訳すこともあるからだ。ただし、この場合にそう読むのは文脈にそぐわないだろう。実際、リチャード・シーバースは the men と英訳している。
 4行目「隠された贈り物で連中が海岸を荒廃させる」はlaeneesを「隠された」と訳すことについてが微妙である。確かにかつてはエドガー・レオニらが展開していた読みであるが、現代では支持されているとはいえなくなっている。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、アンリ4世に対抗したパルマ公の進軍と解釈した*3

 1691年ルーアン版『予言集』に掲載された「当代の一知識人」の解釈では、1562年4月に開始され、翌年まで続いたプロテスタントと英国軍によるルーアンの攻囲戦と解釈されていた*4


 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)は1930年代の著作では何も解釈していなかったが、後の改訂版(1975年)では、第二次世界大戦初期(?)の戦争の情景と解釈していた*5。息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは何も解釈していなかった。

 エリカ・チータム(1973年)はガランシエール同様、1592年にパルマ公がルーアンを陥落させたことがあったと述べたが*6、彼女の場合、ガランシエールを参照したわけでなく、エドガー・レオニのコメントを引き写しただけだろう。

 セルジュ・ユタンは第二次世界大戦初期にあたる1940年のフランス、ベルギーの情勢と解釈した*7

同時代的な視点

 ピーター・ラメジャラーは、『ミラビリス・リベル』に含まれていた偽メトディウスの予言を下敷きにしたのではないかと推測した*8

 もっとも、この場合、イスラーム勢力を思わせる語句がないことからして、単に当時ありえた攻囲戦を想定しただけではないのだろうか。この詩が書かれた頃(1550年代前半)のフランスはイタリア戦争末期でハプスブルク家(描かれているベルギーの地名は、当時はハプスブルク家が押さえていた)と争っていた上、大陸の拠点確保に意欲的だったイングランドとも争っていた。

【画像】 関連地図 (エノーは州都モンスで、フランドルは現フランス領内の主都リールで、インスブリアは主都ミラノで、それぞれ代用した)


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最終更新:2015年06月28日 12:38

*1 大乗 [1975] p.128。以下、この詩の引用は同じページから。

*2 山根 [1988] p.152。以下、この詩の引用は同じページから。

*3 Garencieres [1672]

*4 Besongne [1691] pp.194-195

*5 Fontbrune (1938)[1975] p.163

*6 Cheetham [1973] Cheetham (1989)[1990]

*7 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*8 Lemesurier [2010]