聖王国貴族
[解説]
カーライル王朝・聖王国では身分制議会による統治が行われている。聖王国議会参加者は王侯貴族、聖騎士、聖職者が認められており、各々が王侯貴族派、聖騎士団派、聖導教会派を構成している。ただし「貴族であり聖騎士」なり、「貴族出身であるが出家して聖職に就いた」なり、その境目は少々曖昧である。
この内の貴族だが、聖王国における貴族は広範な領地を持つわけでは無い事に、注意が必要である。元々中世欧州の貴族の爵位は、領地によって決まっていた。広大な土地を支配している場合は公爵(ただし公爵の爵位は、王家などに連なる者だけに許されていた場合も多い)など上位の爵位持ちとなり、ちょっとした都市だけの支配者は男爵など下級の爵位となるのである。呼び方も、「〇〇(土地の名前)伯爵」などと呼ばれる事になる。なお場合によっては互いに離れた飛び地を幾つか支配し、「〇〇伯爵にして××子爵にして△△男爵」など複数の爵位を持つ事も、さほど珍しくは無かった。
しかし聖王国の貴族は、広大な領地を持っているわけではない。各々の貴族は、それぞれ一つの都市や集落の領主となり、土地を治めている。しかもこの場合の領主というのは土地の持ち主を表していない。聖王国においては土地の権利はすべてカーライル王家の物であり、貴族は過去のなんらかの手柄や功績に対する褒賞として、領地である都市の支配権……徴税や統治の権利を、あくまでもレンタルされているだけなのである。少々異なるが、中世欧州における法衣貴族(または法服貴族)に近い感覚であろう。
なお当然の事ながら、王家が王侯貴族の頂点であり、本来ならば王侯貴族派の頂点でもある。これについては少々ややこしい事情があるため、後述する。
王家に次ぐ権威を持つのが公爵である。聖華暦830年現在において、公爵家はアーレンハルト家しか存在していない。アーレンハルト家は実質的に、カーライル王家の分家の様な物であり、継承順位は低いものの王位継承権を保持している。この理由は、アーレンハルト家が八英雄の一人である開闢の聖女リアンナ・アーレンハルトを始祖としているためである。リアンナは旧大戦終結後、初代聖王たる聖騎士王グレン・カーライルの伴侶となった。故に王家の分家として、現在のアーレンハルト家が公爵家として残っているのである。
公爵に次ぐのが侯爵であるが、聖華暦830年現在における侯爵家は全部で8つ残っている。古い時代にはもっと数多くの侯爵が存在したが、聖華暦600年代末期ごろにはこの形に落ち着き、広く「八侯爵」と呼ばれる様になっている。
前述した通り、貴族たちは聖王国議会の一翼である、王侯貴族派を担って「いた」。過去形である。聖華暦680年以降、聖王が政に関する権限を放棄してしまったのだ。理由は明らかになっていない。しかしこれにより、王侯貴族派の聖王国議会における発言力は著しく低下し、あげくに王侯貴族派の内部分裂を招く事になる。聖華暦830年現在においては貴族たちは聖騎士団派と聖導教会派に分かれて争っており、王侯貴族派閥に属する者たちはほぼ存在していないという惨状を呈している。
最後に、貴族たちの任免について解説する。貴族位は基本的に、カーライル王家の権限で与えられる。授爵や陞爵(爵位が上がる事)、爵位の降格は聖王国議会の場で決定され、聖王の裁可を仰ぐ事になる。上申を受けた聖王が最終的判断を下し、爵位を授け貴族へと取り立てたり、あるいは上位の爵位に上げ、または下位の爵位に降ろし、場合によっては貴族位を剥奪する事になる。
[裏話]
実は聖華暦680年に当時の聖王が政に関する権限を放棄し、聖王国議会への出席を控える様にすらなった件であるが、これは聖騎士団派、聖導教会派双方が聖王に対し遠慮を抱き、それ故に王侯貴族派が力を持ち過ぎていた当時の現状をなんとかしようと苦慮した結果であった。
聖王国議会の健全化を図ろうとしたこの決断は完全に裏目に出、議会はより一層混沌の度合いを増してしまった。更にこれは聖華暦800年代における聖導教会枢機卿ネロ・グレイワルドの台頭を招く遠因ともなり、あくまで結果論ではあるが聖王国を腐敗させてしまう事になった。