香港に行って餃子が食べられる | 1967年6月4日放送 | |||
歌丸、小痴楽(2代目春風亭梅橋)が獲得。座布団10枚賞品記念すべき第一号。 写真だけだったが、それが実際に10日間の船旅を楽しんだ何よりの証拠となった。 歌丸師匠はまさか後に自分が商品を与える立場になるとは思ってなかっただろう。 | ||||
石鹸箱一つ | ||||
ただみんなで笑うだけ | ||||
拍手だけ | ||||
この頃は、司会者の思いつきで賞品を決めて渡していたのでデータがほとんど残っていない。 |
ボーナスがもらえる | ||||
5代目圓楽が獲得。棒と茄子がもらえた。 | ||||
海の幸三昧 | ||||
歌丸が獲得。しかし、自分で海に潜って獲るものだった。そこではサザエのつぼ焼きなどを召し上がった。 | ||||
長良川の鵜飼い | 1971年8月1日放送 | |||
4代目小圓遊が獲得。 | ||||
ヌードデッサン | 1971年ごろ放送 | |||
木久蔵(現・木久扇)が獲得。モデルは自分で探す羽目になり、挙げ句女性に噴水に突き落とされる。 | ||||
アフリカで猛獣狩り | 1971年ごろ放送 | |||
4代目小圓遊が獲得。としまえん・アフリカ館での猛獣見学だった。 | ||||
イギリスでダービーが見られる権利 | 1971年ごろ放送 | |||
5代目圓楽が獲得。しかし現地まで自腹で行けと言われ、結局行けなかった。 | ||||
歌手デビュー | 1972年ごろ放送 | |||
4代目小圓遊が獲得。レコード「マドモワゼル」を出した。 ジャケットには、座布団10枚獲得時の写真が使われている。 | ||||
花の都の人力車運び | 1973年5月13日放送 | |||
木久蔵が獲得。銀座で人力車運びに興じる様子は新聞でも取り上げられた。 | ||||
胴上げ | 1973年7月29日放送 | |||
5代目圓楽が獲得。誤って落とされて左足を捻挫し、 現存する最古の映像である浅草大喜利では左足に包帯を巻いている。 | ||||
旅館の美人女将に会える権利 | 1974年ごろ放送 | |||
木久蔵が獲得。伊豆の旅館へ行ったものの美人女将に散々こき使われ、タダ働きさせられた。 | ||||
お伊勢参り | 1974年5月19日~26日放送 | |||
4代目小圓遊が獲得。 | ||||
笑点カレンダー | 1975年1月放送 | |||
6代目圓窓が獲得。これが現在も発行されている笑点カレンダー第1号。 | ||||
隅田川珍身遊び | 1975年5月4日放送 | |||
4代目小圓遊が獲得。 | ||||
ギリシャマラソン日記 | 1975年9月7日~14日放送 | |||
歌丸が獲得。松崎真と聖火を掲げてアテネを走ったが、おもちゃの聖火だった。アテネの街を走り、オチは海に入って泳ぎながら日本へ向かうというものだった。 放送では後楽園ホールの舞台で笑点メンバー・観客とこのフィルム映像を見る場面があり、画質こそ良くないが映像も残されている。 | ||||
美女と遊園地でデート | 1975年9月28日放送 | |||
こん平が獲得。後楽園ゆうえんちで僕と握手…ではなく、幼稚園児の格好をさせられ、 師匠夫人である海老名のおかみさん(後の二代目三平ら4児の母)に振り回される。 | ||||
善光寺参り珍道中記 | 1977年1月23日放送 | |||
木久蔵が獲得。 | ||||
豪華食べ歩きの旅 | 1977年3月27日放送 | |||
5代目圓楽が獲得したが、番組を卒業するため三波が司会者特権で獲得(強奪?)。 このため歌丸らの反感を買い逆襲に遭う。圓楽にはニンジンが贈られた。最後まで馬面キャラであった…。 | ||||
東海道五十三次二人旅 | 1978年3月26日放送 | |||
夢之助、楽太郎(現・6代目円楽)が獲得。実際は東海道中膝栗毛風コントだった。 | ||||
落語一席披露権 | 1978年8月13日放送 | |||
こん平が獲得。落語「宮戸川」披露。 | ||||
湯屋番奮闘記 | 1978年10月1日放送 | |||
夢之助が獲得。「お風呂屋さんの番台に座れる」とのことだったが、実際は下町の銭湯で煙突を掃除するというものだった。 | ||||
珍佐渡情話 | 1979年4月22日~29日放送 | |||
夢之助が獲得。こん平がガイド役でお供してきて、佐渡情話たらい舟編を楽しんだ。 | ||||
餅つきお大尽 | 1979年12月23日放送 | |||
こん平が獲得。九蔵(現・好楽)、楽太郎、こん平の3人で餅つき。 | ||||
最後の楽園騒動記 | 1980年6月1日放送 | |||
九蔵が獲得。池田湖でイッシー探し。 「行き先は夢の島(お台場・中央防波堤)だよ」 | ||||
徳島阿波踊り | 1980年8月24日放送 | |||
木久蔵が徳島公演回で獲得。地元の人たちと阿波踊り。 | ||||
美女と沖縄バカンス | 1981年4月19日放送 | |||
こん平が獲得。日本航空のキャンペーンガール・津島要嬢と沖縄バカンスを楽しんだ。 今度はちゃんとした美女だった。 | ||||
花見の狂宴 | 1982年4月25日放送 | |||
楽太郎が獲得。しかし、上野公園で花見の場所取りを押し付けられただけだった。 | ||||
光り輝く小粒の貴重品 | 1982年10月6日放送 | |||
朝次(現・7代目才賀)が獲得。マッチ箱。 |
家一軒 | 1983年1月16日放送 | |||
歌丸が獲得。家一軒といっても犬小屋。キーワード自体は三波氏の存命時に発表された。 | ||||
皇居一周マラソン | 1983年10月23日放送 | |||
歌丸、木久蔵が獲得。木久ちゃんは完走したが、歌さんは早々に担架で運ばれていた。 | ||||
エアロビクス入門 | 1986年4月13日放送 | |||
歌丸、小遊三が獲得。日頃卓球で鍛えている小遊三は軽快なフットワークを披露。 一方、歌丸は開始早々へたり込んでいた。 | ||||
楽屋に落ちてた腕時計 | 1987年2月1日放送 | |||
小遊三が獲得。その腕時計は歌丸のもので、翌週の回では歌丸はカバンを持って入場。 | ||||
ドッキリ中吊り広告 | 1987年11月22日放送 | |||
歌丸が獲得。都営地下鉄の車内に歌丸の中吊り広告が1両中に張り出された。 ドッキリというのは、電車の乗客にこの広告についてインタビューしている後ろから歌丸がやってくるというもの。 | ||||
ゴルフinハワイ | 1988年3月6日放送 | |||
才賀が獲得。ワイアラエゴルフクラブでゴルフを楽しんだ。 | ||||
テレホンカード | 1988年5月22日放送 | |||
復帰したての好楽が獲得。 | ||||
プロ野球入門 | 1988年9月18日放送 | |||
木久蔵が獲得。当時日テレの野球解説者だった元巨人・堀内恒夫氏と新設されたばかりの東京ドームで野球観戦。 | ||||
クィーンエリザベスIIの夕べ | 1989年5月21日放送 | |||
歌丸が獲得。恐妻富士子夫人と豪華客船でクルージング。 | ||||
奥の細道 | 1989年11月12日放送 | |||
木久蔵が獲得。工事中の「尾久の舗装道」を探訪。 | ||||
黒潮紀行 | 1990年7月22日放送 | |||
こん平が獲得。当時番組スポンサーのうちの1社だったカルビーの「かっぱえびせん」などが入ったアタッシュケース。 | ||||
花火指南 | 1990年11月25日放送 | |||
小遊三が獲得。黒潮紀行の翌週にキーワード発表がなされたが、その4か月後に十枚を達成したので、季節はずれの線香花火。 | ||||
パリで自由にショッピング | 1991年4月7日放送 | |||
歌丸が獲得。その意味は「自腹でパリに行き自腹でショッピングしていいよ」というものであったため、 実際に行ったかどうかは不明で、仮に行ったとしてもそのシーンは放送されていない。 | ||||
長崎から船に乗ってどこかへ行ける | 1991年4月21日放送 | |||
こん平がわずか2週間で獲得。翌週の収録地となった倉敷まで手漕ぎボートでの移動を命じられた。 | ||||
カールルイスと対決 | 1991年6月2日放送 | |||
楽太郎が獲得。本物のカール・ルイスと100m走対決。 くしくも当時日テレが放映権を持っていた世界陸上が2か月後に東京で開催されることからその絡みの企画でもあった。 ※対決会場に大会マスコットの着ぐるみが登場している。なお、この年は大会のために24時間テレビが7月放送に繰り上げられた。 「カール・ルイスとかけて歯医者さんの治療ととく。その心は、開いた口が塞がりません」 | ||||
徳川家御埋蔵金 | 1991年12月15日放送 | |||
こん平が獲得。与えられた地図を頼りに群馬県の某山中に出向き、 ようやく掘り当てたのは徳川家の家紋入りの雑巾5枚(ごまいぞうきん)だった。 | ||||
岩清水 | 1992年5月10日放送 | |||
メンバー全員が獲得。山田君が汲んでいた水を途中でこぼし、鰯を漬けた水(イワシ水)を出してきた。 ここから「山田降ろし」ネタが始まる。 | ||||
ハワイ5泊6日の旅 | 1992年5月24日放送 | |||
好楽が獲得したが、メンバー全員が5泊6日の旅に同行。 | ||||
つけまつげ | 1993年2月28日放送 | |||
小遊三が獲得。 | ||||
美女と茶摘 | 1993年5月23日放送 | |||
好楽が獲得。小遊三も同行し時代劇コントによる脱線もあったが、美女に囲まれながら新茶を摘むことができた。 | ||||
道路工事のお手伝い | 1993年7月25日放送 | |||
こん平が獲得。賞品の説明は「社会奉仕ができる」というものだった。 | ||||
美女と滝修行 | 1993年11月14日放送 | |||
木久蔵が獲得。三重県のお寺に美人の尼さんを訪ねたが、出迎えたのは怖い和尚さんだった上、 ふんどし一丁で0度の滝に打たれてビジョビジョになっていた。 番組ブレーンの一人で心霊研究家の新倉イワオ曰く「あなたの知らないレイ度の世界」(*3)。 | ||||
白樺高原の休日 | 1994年3月6日放送 | |||
歌丸が獲得。ワカサギ釣りを満喫後に楽しみにしていた雪見風呂は、スキー場の真ん中に立つドラム缶風呂で、寒空に歌丸の「バカヤローッ!!」という叫び声が響き渡った。 さらに、報告VTRのタイトルも「歌丸の極寒雪見露天風呂」にすり替わっていた。 | ||||
故郷に錦を飾る | 1994年7月10日放送 | |||
小遊三が獲得。山梨県大月市をオープンカーで凱旋し、故郷に綿…じゃなくて錦を飾る。 母校へと赴き、後輩から「錦の座布団」を贈られる。 | ||||
秋の香り満載 | 1994年10月30日放送 | |||
楽太郎が獲得。松茸かと思いきや、山田君が運んできたのはギンナン。 しかも焼きたてだったので、会場にギンナンの臭いが漂った。 ちなみに、明治神宮のイチョウ並木で拾い集めてきたものなので制作費は笑点史上最安価の0円。 | ||||
川中島の決戦 | 1995年4月16日放送 | |||
こん平、小遊三が獲得。新潟出身のこん平は上杉謙信、山梨出身の小遊三は武田信玄に扮し卓球対決。 小遊三が勝ったが、こん平の影武者作戦でご祝儀はこん平のものに…。 | ||||
稲刈り奮闘記 | 1995年10月22日放送 | |||
木久蔵が獲得。40分番組時代最後の座布団10枚。 慣れない鎌を使って腰を痛めるなどして苦労したが、その苦労の甲斐あって見事収穫できた新米でおにぎりを作り、メンバーに振る舞った。 | ||||
一攫千金を夢見てヒスイ取り大作戦 | 1996年9月15日放送 | |||
好楽が獲得。30分番組移行後初の座布団10枚。 しかしこの時期はヒスイが取れず、結局圓楽の顔の形に似た細長い石を持ち帰る羽目になってしまった。 | ||||
長嶋監督におめでとうの座布団を贈る権利 | 1996年10月13日放送 | |||
こん平が獲得。巨人優勝を記念して、長嶋茂雄氏におめでとうの座布団を贈った。まさにメークドラマ。 | ||||
木久蔵に弟子入りできる権利 | 1997年5月4日放送 | |||
「プライベートでいくら仲がよかろうが尊敬してようが、いざ司会席や座布団に座れば…」な笑点だからこそ?できた内容。 楽太郎が獲得、その直後に弟子入りさせられた。当然他のメンバーには不評で、 この期間中は「いい答えの時に座布団を没収、悪いと獲得」という普段とは逆のルールだった。 楽太郎師匠が何をどこまで教わったのかは不明だが、ラーメンの売り方は教わらなかったと思われる。 なお、当然ながらこの賞品の期間も木久蔵は普通に参加している為、 木久蔵自身が10枚獲得する可能性も存在していたのだが、その場合の対処法は実現しなかった為不明。 | ||||
那須トリックアート | 1997年9月14日放送 | |||
木久蔵が獲得。那須とりっくあーとぴあへ行ってトリックアート製作のお手伝い。なお賞品説明は「羽田へ行って飛行機が見られる」だった。 | ||||
流行りのマウンテンバイク | 1998年8月30日放送 | |||
小遊三が獲得。だが出てきたマウンテンバイクに乗れず、結局子供用の三輪車をもらった。 当初の賞品は「ニースの別荘」だったが、のちに楽太郎がノベルティで制作した「腹黒時計」に変更され、メンバーから不評を受けた。 しばらく「腹黒時計」が賞品だったが座布団十枚が出なかったため、さらに賞品が「はやりのマウンテンバイク」に変更されたといわれている。 | ||||
私が木久蔵です大作戦 | 1999年1月24日放送 | |||
もちろん木久蔵が獲得。上越新幹線の窓から見えた、雪原の中にポツンと立つ「私が木久蔵です」の巨大看板。 「もく蔵さんと呼ばないで!」 | ||||
楽園パラオのバカンス | 1999年6月20日~27日放送 | |||
小遊三が獲得。本当の目的はパラオに第2若竹を建てることだった。楽太郎・こん平も同行してイベントを開催。 現地の人たちの前で落語「桃太郎」を披露。 | ||||
世界の大スターに会える権利 | 1999年9月5日放送 | |||
歌丸が獲得。その大スターとは(かつて『ずうとるび』の一員として紅白に出演し、 ハリウッド映画にチョイ役で一回出演した)山田君だった。 「みかん色の恋」が流れるや否や歌丸も露骨に嫌な顔をするばかりだった。 そして、あまりのスターアピールに立腹した歌丸は、渡された山田君のサイン入り写真パネルをバキバキに折り曲げて破壊した。 | ||||
ある組の長になれる権利 | 1999年12月12日放送 | |||
木久蔵が獲得。「ある組の長」とは幼稚園の一日園長先生で、園児たちとダンス・お絵描き・お弁当の楽しい時間を過ごし、最後はお遊戯室で本業の落語を披露。そのキャラと相まって非常に和やかな雰囲気で見事大役を果たした。 「大きなおならが、ブー!」「芝を刈らずに、くさかった(草刈った)」 | ||||
好きな番組を製作できる権利 | 2000年7月9日放送 | |||
木久蔵が獲得。木久蔵ラーメンinタイ。 現地で菊川怜らと合流し、ツムギアリの卵入りラーメンを提供した。 なお、座布団10枚獲得から特番放送まで1年の空白ができている。これは獲得後に木久蔵に胃がん(この時点では公表していなかった)が発覚したためであり、 幸い手術は成功・術後の回復も順調だったため回復を待ってロケ撮影を行った。 ちなみに胃の3分の2を切除し40日間入院したにもかかわらず笑点の収録には穴を開けなかった。 | ||||
写真集 | 2000年12月3日放送 | |||
歌丸が獲得。その中には女装している写真もある。 出版を請け負う出版社がなかったため結局圓楽の自費出版で10部のみ製本し、視聴者プレゼントした。 | ||||
2001年宇宙の旅 | 2001年8月12日放送 | |||
小遊三が獲得。宇宙服姿の山田君が持ってきた、2001円の府中の足袋。 | ||||
いざさらば 雪見にころぶ 所まで | 2001年12月5日放送 | |||
楽太郎が獲得。「笑点」ロゴと豪快に笑う5代目圓楽の似顔絵が描かれたスノーボード。 しかし「師匠を足の下に敷くなど滅相もない」と使う気になれなかった。 「歌丸師匠の顔だとよく滑る」 | ||||
花の雲 鐘は上野か 浅草か | 2002年3月31日放送 | |||
こん平が獲得。賞品は「花見場所取りセット」であり、内容は「笑点ご一行様」と書かれたプラカード、敷物のビニールシート、カラーコーン、ロープ、テント、 豪快に笑う5代目圓楽の似顔絵が描かれたおまる(トイレに立った隙に他の人に場所を取られないようにするため)という物。 | ||||
夏草や 兵どもが 夢のあと | 2002年8月25日放送 | |||
小遊三が獲得。夏草や→夏クサヤということで、新島でクサヤ作りを体験。 | ||||
三顧の礼 | 2003年4月6日放送 | |||
歌丸が獲得。千円札一枚(3個の「0」)。 | ||||
旅は道連れ世は情け | 2003年8月31日放送 | |||
こん平が獲得。山田君を道連れにタヒチへ仲直り旅行。その後休演するため奇しくも最後となった10枚獲得にふさわしい商品に。 ちなみにこの放送日の大喜利の冒頭では「アン!ドゥ!トロワ!チャラーン!!こん平でーす!!!」と挨拶した。 | ||||
似たもの夫婦 | 2003年12月28日放送 | |||
歌丸が獲得。鍋焼きうどん。 「煮た物をフーフーしながら食べろってことじゃないだろうね!?」 | ||||
古池や 蛙飛び込む 水の音 | 2004年4月25日放送 | |||
楽太郎が獲得。バリ島の古池に飛び込んで腹を白くする。 好楽とこん平の案内でカルデラ湖近くの滝壺へ行くが拒否(*4)。 高級リゾートのジャグジーに飛び込みバリ式マッサージで腹を白くした。 | ||||
濡れ手で粟の一掴み | 2005年5月15日放送 | |||
歌丸が獲得。一掴みのペソ紙幣を持ってセブ島カジノツアー一攫千金の旅。 楽太郎が同行し、スロットマシンで1000ペソ稼ぎ、ルーレットで一攫千金を狙う。 楽太郎の黒に対抗して赤に賭け続けたが大敗。 ここまで40年近くに渡り回答者であった歌丸が獲得した最後の座布団10枚の賞品である。 | ||||
明日は明日の風が吹く | 2005年10月16日放送 | |||
小遊三が獲得。圓楽宅にあった古い扇風機。 この直後、圓楽が脳梗塞で翌週から休演したため、これが5代目圓楽時代通常放送最後の座布団10枚となった。 | ||||
少年よ大志を抱け | 2006年5月7日放送 | |||
圓楽休演中(*5)の司会代行時唯一の座布団10枚で、こん平の代理出演だったたい平が獲得。 タイの道端に落ちていた一抱えもある石で、しかも自分で贈呈時の収録地から持ち帰らなければならなかった。 が、その後たい平が笑点メンバー一同にサインをしてもらい、横浜にぎわい座に収蔵された。 現在は秩父の実家を改装した「たい平美術館」に展示されている。 |
芸は身を助ける | 2006年12月24日放送 | |||
好楽が獲得。この年最後の放送だったため歌丸は冒頭「10枚でなくても座布団が一番多かったメンバーに賞品を贈る」と言っていたが、好楽がきっちり10枚貯めたうえで賞品を受け取った。 その中身とは、レイザーラモンHGのコスプレ。意外とノリノリで「フォーーーッ!!!」と本家さながらに暴れていた。 まさに「(ハード)ゲイは身を助ける」? | ||||
天災は忘れた頃にやってくる | 2007年4月29日放送 | |||
楽太郎が獲得。韓国済州島で天才ゴルフ少女と対決。 負けた楽太郎は、罰ゲームとしてお馬さんごっこの馬に…。 | ||||
花より団子 | 2008年3月9日放送 | |||
昇太が獲得。団子屋を経営する元ボクシング世界チャンピオン輪島功一の揮毫による掛け軸。 | ||||
耳をすませば | 2008年12月14日放送 | |||
昇太が獲得。五代目圓楽師匠の笑い声が流れる笑い袋。 横の楽太郎はありがたそうに拝んでいた。 | ||||
渡りに船 | 2009年9月13日放送 | |||
たい平が獲得。海外で豪華クルージング…というのはウソで、実際はスコールが降り注ぐベトナムのジャングルを屋根もない手漕ぎの小舟で下るというものだった。 その後、ホーチミンでベトナム美女と食事デートを楽しむが、シクロの運転手やレストランの店員(実は好楽)に邪魔された上、好楽のスパイ活動によってたい平の妻・千華さんにこれまでの事が密告され、 挙げ句の果てには電話に代わったたい平が携帯電話に向かって土下座する羽目に。 「あったよね 錦江湾でも こんなこと」 | ||||
身から出た錆 | 2009年12月20日放送 | |||
昇太が獲得。文字通りネタからわさびがたっぷりはみ出した寿司。 しばらく食べるのをためらうも、「時間がないから」と急かされ、意を決して食べるもあまりの辛さに悶絶した。 | ||||
瞳を閉じて | 2010年6月6日~13日放送 | |||
木久扇が獲得。歌丸が「瞳を閉じて」考え付いたのは、 河童ネタをよくやる木久扇にちなんでトルコ・カッパドキアの旅だった。 山田が同行し、まず陶器の絵付けや熱気球に乗ってカッパドキアの遺跡をめぐり、続いてイスタンブールへ。 「カッパドキアでラーメンを食べる河童」の絵柄を皿に描いて視聴者プレゼントにした。 | ||||
至福の時 | 2011年6月12日放送 | |||
6代目円楽が獲得。温泉旅行in台湾。ただし自分で温泉を掘って自分で入るもの。 さらに途中参加の小遊三と好楽により臭豆腐を食べさせられるという罰ゲームが。 「台湾で たいわんな目に あっちゃった(友達できないね)」 ちなみに海外ロケのガチ賞品はこれ以降実現していない。 | ||||
会いたかった | 2012年4月8日放送 | |||
好楽が獲得。足つぼマット。 「あ、痛かった」 | ||||
晴れたらいいね | 2012年8月12日放送 | |||
たい平が獲得。テント。なお本当はこれを使って無人島でのキャンプのロケを行う予定があったが、台風により中止になったらしい。 ちなみに放送ではその事について言及しておらず、2016年発売の番組本『笑点五十年史』でたい平から初めて明かされた。 「張れたらいいね」 | ||||
人の振り見て我が振り直せ | 2013年4月14日放送 | |||
木久扇が徳島公演回で獲得。33年前と同様地元の人たちと阿波踊り。 木久扇の踊りが下手なので、歌丸が 「地元の人の踊りをよく見て下さいよほら、人の振り見て我が振り直せ」 と言うも本人は踊りに夢中で全く聞いていなかった。 | ||||
日本テレビ開局60周年にちなんだすばらしい賞品 | 2013年12月1日放送 | |||
小遊三が8年ぶりに獲得。 同年の汐留のアトラクションである歌丸スライダーに使用されていたクソデカ歌丸人形。 その後は落語芸術協会の備品となり、芸協のイベントなどで担ぎ出されることもあったが、 2018年の歌丸の死去を受けて人形も | ||||
おもてなし | 2014年6月29日放送 | |||
たい平、木久扇が獲得。(映像が現存するものとしては)史上初、2週連続の10枚座布団。 歌丸の地元横浜でおもてなしを受ける。2人はそば屋でたくさん注文するが、その値段が想像を絶する金額だった。 「歌丸も こんななるとは おもってなし」 | ||||
銀の匙 | 2014年11月16日放送 | |||
好楽が獲得。日本テレビ社食利用カード。ICが埋めこんであり実際に使える。 限度額:無制限、有効期限:死ぬまで。しかも、親族から一門にまで及ぶ。やったね、好楽さん! ただし、この畳半畳ほどのデカいのが見本じゃなくて現物。 「ヒマだから 毎日来てやる 食堂に」 一回使ったきり、その後は日テレの倉庫にあるとか。 | ||||
笑点50周年にちなんだものすごい賞品 | 2015年5月17日~31日放送 | |||
たい平が獲得。正月や24時間テレビの際に使っていた日テレ麹町スタジオの地下3階倉庫に眠るものすごい賞品の鍵。 日テレの60年間の歴史が詰まった倉庫。その中には笑点や日本テレビに関連する懐かしいお宝写真が沢山残されていた。 その中から1枚だけ好きな写真を持ち帰れる事になり、最終的にたい平は笑点開始初期の1967年に、 歌丸が妻の冨士子さんと共にトーク番組「ご両人登場」に出演した際の写真を選んだ。 | ||||
超ものすごい賞品 | 2016年5月8日放送 | |||
昇太、6代目円楽、たい平、木久扇が獲得。まず昇太が10枚座布団で高級箒を獲得、 続いて円楽、たい平、木久扇も 計4人が10枚座布団になったところで座布団のストックが尽きたためお開きに。 「南部箒」と言って完成するのに1年半かかり、価格にして一本50万円という正真正銘の「超ものすごい賞品」。 そして恒例のオチは「その箒で次週の50周年スペシャルに備えて舞台を掃除する権利」。 |
演芸コーナーで好きなことができる権利 | 2017年3月26日放送 | |||
好楽が獲得。ただし、「観客を必ず笑わせる」という条件つき。 演芸コーナーで好楽とその家族や弟子と、お笑い芸人いつもここからで「悲しいとき」のコラボネタを披露。 | ||||
Shot"e"nならぬShot"a"nカレンダー | 2017年11月5日放送 | |||
円楽が獲得。表紙が大喜利メンバーの写真で飾られているが中身は昇太の趣味の城跡巡りの自撮り写真ばかり、 さらに12月は昇太のキス顔のアップ写真だった。 この回で円楽は座布団10枚を2回も達成し、カレンダーを2部獲得。うち1部は観客にプレゼントした。 | ||||
カニいっぱい | 2019年3月17日放送 | |||
たい平が獲得。十枚箱登場後初の座布団10枚達成。 この回は鳥取での地方収録だったため、十枚箱には「鳥取の特産品がいっぱい」と書かれた紙が入っており、 カニ1杯(1匹)がプレゼントされた。 | ||||
笑点特製の電動アシスト自転車 | 2020年10月18日放送 | |||
円楽が獲得。タイヤの部分に昇太の顔があしらわれている。 当の円楽は「こんなの恥ずかしくて乗れないよ!」と照れていたが、「昇太さんのタイヤだけに“回転”がいい」と粋に返していた。 因みにこの時、三平が10枚にリーチがかかっていたが、昇太に理不尽に没収され初の達成はならなかった。 | ||||
笑点放送開始55周年記念・番組特製ジグソーパズル | 2021年9月5日放送 | |||
好楽、たい平、木久扇、円楽、小遊三が獲得。笑点の収録時などに撮影され、2021年現在日本テレビに残る2万3000枚の番宣用のスチール写真から5000枚以上を使ったモザイクアートで、 完成すると笑点の舞台セットをバックに歴代司会者と現メンバーが勢揃いした絵になる。 最初に座布団10枚を獲得した好楽には笑点55周年にちなんだ5500ピースの巨大ジグソーパズルが進呈されたのだが、 完成した状態でお披露目したあとにわざと崩され、5500ピースを一から並べなおさせられるというオマケも付いた(*8)。 ちなみに最初に達成した好楽以外はミニサイズのレプリカが贈呈されたが、5人座布団10枚が出たところであえなく三平だけ獲得ならずお開きというオチに。 ネタ枠扱いとはいえ、クオリティ自体はガチな賞品である。 なお、三平は同年12月26日放送分をもって卒業したため、色紋付導入以来座布団10枚を獲得しなかった唯一の回答者となった。 また、円楽は翌年1月30日放送分を最後に脳梗塞の為休演した後9月30日に逝去した為、生前最後の10枚達成賞品となった。逝去直後の追悼特番で昇太の計らいで座布団10枚となったが本人不在のため拍手のみであった。 | ||||
夢を叶える券 | 2022年12月4日・2023年1月1日放送 | |||
この年メンバー入りしたばかりの宮治が獲得。 初の10枚達成に加えて、9枚目のリーチ座布団と10枚目の金座布団の初獲得者という嬉しいオマケ的栄誉まで手に入れた。 前述の座談会で「家族におもてなし」を希望(*9)していた為、番組の予算と力を借りた家族サービスを実現させる事となった。 なおこの時宮治は2問目で達成しており、1問を残した状況でたい平も10枚にリーチをかけていたものの、3問目で昇太イジリネタを出して座布団全没収となりあえなく夢は散ってしまった。 ロケの模様は翌2023年のお正月スペシャルで放送され、昇太の指令VTRに従って宮治が福岡県の玄界灘まで出向いて魚を釣り(*10)、その魚を寿司屋で自ら捌いて寿司を握り(*11)家族にもてなした。 おもてなし後には、家族から裏地を宮治の着物の色である若草色にしたオーダーメイドの帽子と手紙の逆サプライズを受け、暖かなムードで企画は終了。 最後は昇太オススメの温泉宿に1泊した。 その後の東西対抗大喜利では昇太ジェノサイドが発生するなど、この日はなかなかの神回であった。 | ||||
やりたいことを叶える権利 | 2023年10月22日・11月12日・19日放送及び2024年1月1日から6月30日までのオープニング | |||
木久扇が獲得。勇退までにやりたいことをできるだけ叶えるとのこと。 第一弾は獲得翌月に『大喜利の司会がしたい』と言う希望を叶えたが、「本家大喜利の司会をやらせるのは不安」(*12)と言う昇太の判断により若手大喜利の司会を2週連続で託された。 第二弾は、『番組のオープニングの絵を描きたい』という希望から木久扇にとって2度目となるオープニングアニメーションのイラスト(*13)を担当。2024年の正月から半年間使用された。 因みに獲得した際の問題が「アナウンサーになって日常のことを実況し、大歓声のSEの後更に一言」という物だったのだが、 木久扇が9枚目を獲得してリーチをかけた後に回答権を得たたい平がこの状況を煽る実況をした事で(半ばそれに押される形で)木久扇が10枚目を獲得した為、 他メンバーの回答が10枚達成の決まり手となる珍事が発生している。 ちなみに木久扇は5ヶ月後の2024年3月31日をもって笑点を勇退。木久扇最終回ではたい平を筆頭にメンバーが木久扇の前にどんどん座布団を積み上げてゆき、10枚(以上)を達成したが特に景品はなかったため、これが最後の賞品獲得である。 | ||||
2024年で最も輝いた人に会える権利 | 2024年12月22日・2025年1月1日放送 | |||
小遊三が獲得。単独では2013年12月1日以来、11年ぶりの獲得となった。 2024年で最も輝いた人に会えるという事で、小遊三は2024年の話題の人に会えるのかと思っていたが、 たい平が「すぐ隣にいるじゃないですか」と小遊三とたい平の間に座る坊主頭の春風亭一之輔を指したことから、「輝く」の勘違いというオチがついた…と思われたが、翌2025年のお正月スペシャルでロケが実施された。 晴の輔、宮治と共に浅草演芸ホール前で待ち合わせたその相手はパリオリンピック女子卓球団体銀メダリストの平野美宇だった。 小遊三とは実は平野がまだ子供の頃にテレビの企画で一度卓球対決をした事があり、約20年ぶりに再戦する事になったが、 小遊三がベテランとはいえ流石にメダリストとアマチュアではメダリストである平野が圧勝してしまう…という事でかっぱ橋の料理用品店で晴の輔、宮治、用品店のベテラン店員さんが選んだ巨大しゃもじ、ステーキの食品サンプル、ミニフライパンの3種を ラケットの代用品として提供してもらい、それぞれ1回は試合中に使うというハンデルールで7点1セットマッチを行った。 結果は平野が巨大しゃもじとステーキの食品サンプルの扱いに苦戦し、小遊三が勝利。 ご褒美として松阪牛のザブトン肉10枚を獲得したが、小遊三の計らいにより『お年玉』として平野に贈呈された。 |
ミス桜の女王とキスできる権利 | 1978年5月7日放送 | |||
サンフランシスコ大喜利で4代目小圓遊が獲得。ミス桜の女王とは女装した松崎氏だった。 | ||||
ハワイ美女とキスできる権利 | 1980年10月12日放送 | |||
ハワイ大喜利で楽太郎が獲得。こちらは本物の美女だった。 | ||||
トイレットペーパー1999本 | 1999年12月26日放送 | |||
年忘れ大喜利で木久蔵が獲得。 | ||||
ゴジラ賞 | 2021年5月16日放送 | |||
笑点55周年のゲストとして登場した野球界のゴジラこと松井秀喜選手のサイン入りバットとグローブ。 じゃんけんの結果、三平がバット、小遊三がグローブを獲得した。 | ||||
チコちゃんと「叱れる」権利 | 2023年3月12日放送 | |||
2023年にNHKと日テレが共にテレビ放送開始70周年を迎える事から、 コラボウィークの一環で行われた『チコちゃんに叱られる!』とのコラボレーション大喜利での商品。 当時大喜利メンバーに加入して間も無かった一之輔が獲得。 この回の進行を昇太と共に務めたチコちゃんと、彼女の決め台詞である「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叫んだ。 (この際、チコちゃん同様に一之輔の顔もデカくなる演出も行われている) |
*1 2022年11月20日放送分からは、リーチ状態が視覚的に把握できる様に、9枚目を与える際には通常座布団から配色を反転させた専用の『リーチ座布団』が積まれる様になった。因みに初めて『リーチ座布団』を獲得したのは、この年新メンバーになった宮治だった。そして、同年12月4日放送分で同じく宮治が10枚達成を果たした際には、10枚目用として通常座布団より厚みがある金色の座布団が渡された。
*2 2020年から2021年は、新型コロナウイルスの感染対策のため行われなくなっていたが、アクリル板が撤去された2022年からは復活した。
*3 新倉氏は「午後は○○おもいッきりテレビ」の夏休み恒例名物企画「あなたの知らない世界」に出演していた。ちなみになぜかこの企画の週に限ってみのもんたが逃げるように夏休みに入るのも恒例だった。
*4 実は滝壺は温泉が湧いており当初は行く予定だったものの、近辺の村に風葬を習慣としている村があったため滝壺の周りに故人の遺体が野ざらしにされていたことから現場裁量で中止されたという。
*5 この放送時点では冒頭案内のみ復帰していた。
*6 尤も、就任から4年後の2020年以降は新型コロナウイルス感染症の世界的流行が原因でロケはおろか、通常の収録ですらリモートになったりメンバーの間隔を大きく空けるといった事態に陥ったという点も加味する必要がある。
*7 闘病→死去に伴い休演となっている円楽のピンチヒッターにもこのルールが適用される事になり、前回までのピンチヒッターが残した座布団から増やして10枚達成すれば、その回のピンチヒッターが希望する賞品が贈呈される事になっていた。
*8 その後、後日放送された回のオープニングの提供バックやBS「笑点特大号」では好楽一門総出で自宅の池之端しのぶ亭でバラけたパズルに取り掛かる様子が放送され、パズルは無事に完成させた。もちろんそのパズルはしのぶ亭に展示されている。
*9 因みに小遊三は「大谷翔平との卓球対決」、たい平は「ミニ秩父夜祭」、木久扇は「生前葬」、好楽は「ラスベガスで大儲け」をそれぞれ希望していた。
*10 昇太の指令ではサイズが70cmオーバーのヒラメ(通称座布団ヒラメ)を釣るように指示されていたが、釣果としてはプロデューサーが釣り上げたカサゴ2匹と、終盤に自ら釣り上げた小ぶりの鯛1匹に終わった。
*11 カサゴは流石に寿司に出来なかった為味噌汁に仕立てた。
*12 かつて五代目圓楽休演時に代理司会を務めた際、3問とも自分に関する問題を出した事があるなど、過去に木久扇が代理司会を務めた際に進行がはちゃめちゃになった例が多々あった事が理由と思われる。
*13 一部のイラストは木久扇師匠が自身のYouTubeチャンネルでお披露目した絵を流用しているが、勇退後も晴の輔のイラストは描いた。