登録日:2015/12/14 Mon 00:58:35
更新日:2025/04/20 Sun 12:39:11
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注:本項目は、相談所での検討の結果、コメント欄を撤去の上で作成されています。
勝手にコメント欄を追加した場合、規制対象になることがありますのでご注意ください。
刑法第39条
(心神喪失及び心神耗弱)
1.心神喪失者の行為は、罰しない。
2.心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
刑法第39条とは、その名の通り、
日本国の定める刑法の条文の一つ。
要約すると、精神病患者が罪を犯しても罪にならなかったり、軽い精神病患者なら罪を犯しても処罰を軽くするという法律である。
また、飲酒して酔っていたり、
覚せい剤を打って判断力が低下した状態で罪を犯しても罪にならないということ。
そのため、日本中でこれを使って罪を逃れた凶悪犯が野放しになっている。
???「私に殺されるのは大災に遭ったのと同じだと思え」
そう、刑法39条の条文はその通りだが、上の説明は正しいとは言えない。
刑法39条に対して、上の説明のような法律だと思って非難する人たちがたくさんいるが、いずれも誤解を招く不正確な説明なので注意しよう。
●心神喪失者とは
まず、心神喪失者とはなにか?
裁判所は、心神喪失については
「精神の障害により、事物の理非善悪を弁識する能力がなく、またはこの弁識に従って行動する能力のない状態を指称」
という。
ちなみに、善悪を弁識する能力と従って行動する能力の二つを合わせて「責任能力」という。
え?わかんない?
人間、よほどの聖人君子でもなければ、どうしても悪い事や法律に違反することをやりたい誘惑にかられることもあるだろう。
商品は欲しいが金は払いたくないとか、憎い相手をぶん殴ってやりたい、殺してやりたいとか、
自転車が無いからあそこに停めてあるのを拝借しようとか。
しかし、多くの人はそれを実行に移すことはない。
それは、その人が「これは悪いことだ」と判断するからである。
そして、その人が「これは悪いことだ」という判断に基づいて「悪いことだからやめよう」と考え自分の行動を制御する。
こうして人は、犯罪などしないで日々を生きていくのである。
ところが、心神喪失者の場合は「何か行動をする」ときに、「これは悪い事だ」と思うことが全くできない。
あるいは、「これは悪いことだ」と思うことはできるのだけど、「悪い事だからやめる」ということが全くできない。
つまり、彼らはそもそもその行動が「悪い事」なのかどうかすらわかっていない、理解できない状態にあるのだ。
そういう人たちを心神喪失者というのである。
●なぜ心神喪失なら処罰はされないの?
日本に限らず、多くの国の刑法では、責任主義と言って「犯罪をするかどうかを自分の意志で選択することができる」「犯罪をしなくても一切のデメリットがない」という前提になっており責任のないことには刑罰を科さない、ということになっている。
罪を犯したら処罰されると言っても、「不可抗力」の結果として処罰されてしまっては、たまったものではない。
それに、不可抗力の状態の人間を刑罰で脅しても、「不可抗力なんだからやめる」ということもできないので無意味なことになる。
そして、刑罰は本来、人間に対して公に拘束や懲罰的な刑務を義務付ける重大な人権侵害である。
彼のやったことを犯罪として認め、刑罰を科すのであれば、彼には「犯罪をするかどうかを自分で選べる」「犯罪をしなくてもデメリットがない」と言えなければならない。
それが、責任主義であり、責任主義から責任能力のない心神喪失者は処罰しないということになっているのである。
そして、心神喪失者というのは、自分のやっていることが悪いことだとわかることがまったくできない。
あるいは、分かったとしても、止めることができない。
つまり、人が犯罪などしないで日々を生きていくのに必要な、判断の計測器が壊れてしまっているのだ。
そうすると、今からやることが犯罪かそうでないかはもはや動いてみるまで分からない状態であり、下手をすれば「動いただけで犯罪になる可能性がある」のだ。
いわば配線がおかしい機械である。アクセル踏んだらワイパーが動き出す車なんぞ、ブレーキを踏んでも果たして止まってくれるか見ただけでは分かる訳が無い。最悪キーがアクセルだった場合には最早止めようがない。
それでも、車なら最後の手段として地形に引っ掛かる、あるいはガソリンさえ尽きてしまえば最悪暴走は止まる。邪魔かもしれないがとりあえずそれ以上人は傷つけないだろう。
だが人間はそうはいかない。偶然止まるまで放っておくことはできないし、動力が切れるということはそのまま死ぬことと同義だ。
それで処罰するのは、本人に責任のないことで処罰をするのと同じであまりにも酷である。
怪物同然の存在に人権なんて、という声も勿論あるが、それを一度でも容認してしまうと、
極端に言えばある特殊な条件の人間は家畜扱いしても良いという危険な思想につながりかねない。
人間の子供に生まれたからには例え角や羽が生えていても死ぬまで人間として扱われる。これが基本的人権の鉄則である。
なので、心神喪失者は処罰しないという法律が導入されているのである。
心神耗弱者の場合は、できなくはないけど、難しい状態になっている、ということで刑罰を軽くすることになっているのである。
なお、被害者が浮かばれない、という批判をする人たちもいるが、今の日本では、刑罰は被害者のためにあるものではない、というのが建前である。
被害者が「絶対に許せない!!」と言っても処罰されないこともあるし、逆に、被害者が「犯人がかわいそうだ、勘弁してあげてください」と裁判所にお願いしても処罰されることもあるのである。
前述のように、「心神喪失でない人間」は何か悪い事を思い立っても、「これは悪い事である」あるいは「これは犯罪である」という事が認識できる。
よって、思い立っただけで実行や準備には移さない。
また、実行や準備に移した場合、犯罪であるから警察官(あるいはそれに準ずる職業の人、下手したら
伊集院茂夫のような人)が飛んでくる。
つまり、「悪い事だから、実行まではしない選択」と「(犯罪者になるリスク・国に処罰される・拷問ソムリエのような人に狙われるリスクを
負ってでも)悪い事をやる選択」の二つの選択肢がある。
前者を選べば(犯罪者としては)警察の世話になる事はそうそうないし、後者を選べば十中八九警察、そして内容によっては刑務所、下手したら死刑や拷問ソムリエに狙われるになるわけだ。
さて、この場合、後者を選んだ奴には「悪い事だとわかっていてやる選択肢を選んだのだから」という理屈で刑法に定められた処罰を行っている。前述の「拷問ソムリエ」も依頼を受ける時に「私に依頼するとあなたも殺人教唆で死刑になりかねない」「決して正当性はないと圧をかける事が度々ある。そして「それでも依頼を取り下げる気はないか?」と圧を掛ける。
これが刑法における「故意犯」である。
「やる/やらないの選択の自由と、選択への責任」とでも説明しようか。
心神喪失者の場合、これが問題になる。
先に述べたように、心神喪失者は「悪いことである」「犯罪である」という認識そのものができない。
悪い事なのかどうかすらわかっていないかもしれない
つまり、この場合「悪い事だから、しない選択」そのものが成立しない。つまり、「(犯罪者になるリスク・とっ捕まるリスクを結果的に負うことになるんだけど)悪い事をやる選択」一択になってしまう。
つまり、心神喪失者にはやる/やらないの選択そのものが存在しない。
「やる」一択であり、選択自体を行っていないため、「選択への責任」なんて問いようがない。
つまり、「やる選択肢を選んだのだから」という理屈そのものが適用できない。適用できるのは「犯罪を行う義務があったのだから」という理屈だ。
処罰する理由づけの大元になる理屈からして成立していないため、「じゃあ処罰のしようがない」というのを明文化したのが38条なのである。
また、空想法律読本で上記のケースの前に取り上げられた「
ショッカー怪人」も心神喪失者故に、このケースに当てはまると言える。
ショッカー怪人は脳を改造されている為、ショッカーに命令されても絶対服従するようにされてしまっている為「それならショッカーの命令に従わなければよかったじゃないか」という言い分が通用しない。もっとも、常に自爆装置のついたベルトを付けさせるような
怪人を使い捨てにする組織故、司法や
仮面ライダーが何もしなくてもトップに殺されかねない組織であるのだが…
こちらも空想法律読本では「幹部(こちらは責任能力あり)が怪人に命令を下すのは
ゴルゴ13がライフルの引き金を引くのと同じ行為」「怪人はライフルと同じく兵器に改造されてしまっている」と説明した。
微妙に理屈が異なるが、正常な人間でも起こりうる例としては「そうするしかやりようがなかったから罪に問われない」という点では、「
正当防衛」や「緊急避難」が少し近いだろう。
「相手がナイフで襲い掛かってきたから、とっさに近くの棒で殴り返したら死なせてしまった」だったり、「同じように襲われたときに、思わず近くの友人の後ろに隠れて盾にしてしまった」など、平常時ならまずいと分かるものを生き残るために反射的に動いてしまった場合。
事後の個人的な罪悪感は勿論あるにせよ、「体が勝手に動いた結果犯罪者になってしまう」「やらなかったらデメリットがあるのに刑罰を課す」は理不尽というものである。
こういう場合もやはり裁判においては情状酌量の余地があるとみなされ、減刑や無罪の対象になることもある。
つまり心神喪失者というのは、常に無意識に体が動き続けていて自分の意志で体を制御できない状態とも言えるのである。
また、「証拠隠滅罪」で「他人の刑事事件に関する証拠」に限定されていて、自分の刑事事件に関する証拠は隠滅しても合法となっているもの同様と言える。
つまり「どうせ刑罰で威嚇してもやるだろう」という状況でやったのであれば刑罰を科さないのである。
ただし、「刑罰を課されない」だけで襲われる義務はない為、襲った相手が心神喪失、心神耗弱でも
正当防衛や緊急避難が成立すれば無罪になるし、過剰防衛で減刑もありうる。
●心身喪失ってどういう人たちがなるの?
人は基本的に心神喪失ではない。
何か罪を犯したとしても、心神喪失が疑われる例自体が少ないのだ。
そんな中で、心神喪失になる可能性が高いのは、
「精神的病気」
「知的障害」
「薬物」
「飲酒」※もちろん飲酒運転は意図的に飲酒していない場合に限られる。
しかし、どこからどこまでを心神耗弱と認め、どこからどこまでを心神喪失と認めるかは、心の中の問題でかつ個人差も登場することで、精神科の医師の間でも意見が分かれることもあり、難しい問題である。
だが、最初に書いたように「ちょっと精神的に障害がある」「ちょっとした薬を飲んだ」「ちょっとお酒でほろ酔い気分」なんてのでは、心神喪失どころか心神耗弱にもならない。
酔った勢いのことだから心神耗弱で減軽されるなどと言う淡い期待などは持たないことである。
ちなみに、日本で裁判所で心神喪失で無罪になった例は平成25年で6人。
実際には検察の方で心神喪失(に限らず有罪判決が望めず、もう取り調べても意味がないと判断されたケース全般)の件を裁判所に起訴しないという形でふるい落とすことが多いが、それでも年間579件で、不起訴になった人間の300人に1人である。
●精神鑑定とは?
精神鑑定とは、精神科の医者などを連れてきて、この容疑者は犯行の時本当に心神耗弱・心神喪失だったんでしょうか?という検査をすることである。
しかし、精神鑑定はそうやすやすと行われるものではない。
逮捕者の弁護士が精神鑑定を求める、ということはしばしばだが、結局精神鑑定を行わずにそのまま裁判をしていることが大半であると言われる。
もちろん心神喪失で無罪になるわけでも心身耗弱で減軽されるわけでもない。
弁護士としては仕事上精神鑑定を要求するのが仕事になることもある。
だが、当然検察官や裁判官は軽くするのが仕事ではなく、適切に処罰をしていくのが目的なので、別に精神鑑定はいらない、ということで精神鑑定をしないことはしばしばである。
むしろ、弁護士が要求する前に、検察官の方で気を回して精神鑑定をし、心神喪失なら起訴しない、という対応を取っていることの方が多い。
重大な事件で、弁護士が精神鑑定を要求していると聞いたら、あー大変だねぇ、仕事だし仕方ないねくらいの生暖かい目で見てあげよう。
弁護士は被告人を庇うのが法廷での役目であり、裁判官はそれを却下することもできる。
精神鑑定にいざ入ると、例えば薬物をある程度投与してみて反応を見たり、
病気の場合は面接試験をしたり、麻酔を打ってみて意識下で何を考えているかを聞き出すなどと言うことも行われる。
その上で、精神科の医師が所見を示すのだが、実はこの医師の所見には拘束力はない。
裁判所としては、ひとまずの医師の所見を尊重はする。
それでも、医師が「心神喪失だった」と判断しても、裁判所の方で「彼の行動からしても、その時自分のやっていることが認識できていたはずだ」となれば、責任能力が認められるということもある。
例えば、積年の恨みを持っていた相手を殺した、となれば「この人は積年の恨みという感情に基づいてやっていたのだから、自分のやっていたことが分かったはず。責任能力があるはずだ」という判断がされることもあるのだ。
●心神喪失者の逮捕者はどうなるの?
容疑者が心神喪失者の場合、当然処罰はできないことになる。
また、心神喪失者の場合、裁判を受けることもできない可能性がある。自分が裁かれて弁護士が付いても適切に反論できる能力を持たない人を裁判にかけることはできないことになっている。
だが、だからと言ってほったらかしておいたら、また被害者が生まれてしまうかもしれない。野に放っても生きていけない人もいるだろう。
そこで、「心神喪失者等医療観察法」という法律がある。
心神喪失で無罪になった者、あるいは検察の方で心神喪失や心神耗弱であると考え起訴しなかった者の中で、(事前に被害者の同意を得ていたケース含む)殺人・放火・傷害などの重大・危険な罪の容疑者については、この法律に基づいて審判にかけられる。
そして、治療の必要性に応じて入院や通院を義務付けられるのだ。
簡単に言えば「処罰はしないが、重い病気なのだから強制的に病院送りにする」のである。
勿論、心身喪失者となれば医師や他の患者にも危害が及ぶ恐れがあるため、鉄格子と24時間の監視が付いた個室の閉鎖病棟に収容されるのはほぼ間違いない。
そうなってしまえば、感覚的には刑務所の禁固刑、下手をすれば後述の理由から恩赦や仮釈放なしの終身刑とほぼ変わらないのである(法解釈・法学としての思考実験として正しい解釈かは置いておいて)。
そして、重要なこととして、入院期間は裁判所が審査した上で何年でも更新できる。
懲役10年が最高刑なら、10年すれば野に放たざるを得ないが、医療観察法で入院させれば法定刑に関わらず治るまではそれ以上経とうが、まだ危なっかしく見えるなら強制的に入院させるしかない。
この手の精神病などは、「刑務所に入れば治る」という訳でもないため、検察の方で「心神耗弱なので裁判にすれば刑務所に入れられるけれど、それよりも入院させた方が再犯しない」と考え、あえて心神喪失者等医療観察法で処分してもらうということも少なくないようである。
また、一度刑法39条で入院や通院を義務付けられた場合、犯罪容疑に関わらずまだ危なっかしそうならこの措置は解除されないため、後に「アリバイが証明される」「真犯人が明らかになる」といった理由で無実が証明されても、危なっかしいなら前述の措置は解除されない。
●そうだ!!いいこと考えた!!
薬物や飲酒でも心神喪失になるなら、薬物や飲酒で心神喪失になった上でにっくきあいつを殺せば、罪にならないぞ!!
こういうことを考えるゲスい輩は、いつの世にもいるものである。
アニヲタ的に有名な例は、「
怪奇大作戦」の「
狂鬼人間」の例であろう。
しかし、意図的に自分を心神喪失にしてコントロールできなくして、「原因において自由な行為」という理論によって処罰できるというのが今の裁判所の考え方である。
これは前述のゴルゴ13のケースを例にとると、「ゴルゴ13といえど、一度放たれた弾丸をコントロールする事はできないから彼には殺人をする義務があった」という理論になる。このケースでは事前に「引き金を引けば発砲されるとわかっている」「弾丸をコントロールできなくなる状況になってしまう」「自分の意志で発砲しないようにできる」「発砲しなくてもデメリットがない」と言える為、これに該当する。
また、飲酒運転や挑発防衛に対しても同じ事が言える。
そもそも、完全に心神喪失の状態で「ムカついたので狙った相手を殺す」というかなり特定された行動を考え、実行できるかは怪しい。
このケースは合計で6人の死者が出たため、狙った相手だけを殺したわけでもないかもしれないが。
その事件に対して、
とある弁護士は、
「呪物に肉体を乗っとられていた」
「つまり制御能力がなかった」
「自発的に制御能力を放棄したわけでもない」
として、刑法39法に則って彼に罪が無い事を伝える。
それに対して主人公は「自分が弱いせいだ」とあくまでも責任を負うことを選び、その答えに満足した弁護士は主人公に力を貸すことを決めたのであった。
責任能力のある方に追記・修正をお願いします。
注:本項目は、相談所での検討の結果、コメント欄を撤去の上で作成されています。
勝手にコメント欄を追加した場合、規制対象になることがありますのでご注意ください。
最終更新:2025年04月20日 12:39