登録日:2013/01/30 (水) 14:54:39
更新日:2024/01/18 Thu 15:57:27
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カタログデータ
M1891
全長 1308mm
重量 4.37kg
口径 7.62×54R
装弾数 5
製造 ロシア帝国(ソ連以前のロシア)
採用 1891年
ロシア帝国のセルゲイ・イヴァノヴィッチ・モシンとベルギーのナガン社が設計したボルトアクション式小銃。
1891年に採用され、帝政ロシアの崩壊、ソビエト連邦成立、二度の世界大戦と激動の歴史を第一線で生き抜いた歴史の小さな証人とも言えるのではなかろうか。
「1891年っていつ頃やねん」という人は参考までに…
1890年…第一回帝国議会開会(日本)、フロンティア消滅、西部開拓の終了(アメリカ)
1891年…シベリア鉄道起工
1894年…最後の皇帝ニコライ二世が帝位につく(ロシア)
と、こんな時代である。
○どんな銃なの?
第二次世界大戦以前までソ連赤軍の代表的な小銃。
形状や発射形式はいたって普通だが、特筆すべきは装弾数である。当時は単発後装式が主流だったがM1891では5発の弾倉を装備することにより火力を格段に上げることに成功している。
1892年よりトゥーラ造兵廠やイジェフスク造兵廠などの兵器工場で生産が開始されたが、50万挺の依頼に生産が追いつかず、国外の工場もフル稼働した結果、日露戦争時には380万挺が納入されたという。
ツァーリ、メッチャスゲー!! マジKINGダワ!!!
勿論いいトコばかりではなく、全長が長く扱いにくい事や、照尺(タンジェントサイト)の目盛が"アルシン"という帝政ロシア独自の単位であった為に不評もあった。
○改良版のM1891/30の登場
帝政ロシア時代に出来た銃だが、その後新型の開発は進まず(金がない、国内のゴタゴタ等々が理由かと)1920年代になってやっと軍部が重い腰を上げるが、結局M1891の改良で落ち着くことになる。
そして1930年代に完成したのがM1891/30である。
カタロ(ry
全長 1232mm
重量 3.96kg
口径・装弾数 同
全長が短くなり
ダイエットに成功。照尺もメートル法を採用した。機関部や口径は変わらず、シンプルな改良と言える。
また、狙撃用の3.5倍か4倍用のスコープを装着することが出来るため
狙撃銃としても使用できる。
狙撃銃になっても名前は変わらず、スコープと干渉しないようにボルトハンドルがL字になっているだけである。
○M1891のその後
M1891/30は1930年代の中ごろから本格的に配備が開始され、ドイツ軍や北欧の白い死神と激戦を繰り広げた。
終戦後はSKSカービンや
AK-47への更新が始まり第一線から退く事になる。しかし、狙撃銃としては
ドラグノフ式狙撃銃の登場まで使用されていた。
その後は民間のコレクターの手に渡ったり、民間の競技用・狩猟用として使われていたりしていた。
生産期間が1891~1998年と長く、ロシア製造分のみで3700万挺と莫大な為、AK-47と同じように紛争地域でも稀に見かける事があるとかないとか…
○北欧の白い死神
シモ・ヘイヘの愛銃
旧ロシア領であるため、冬戦争前後のフィンランドは独立時に国内に残されていたモシン・ナガンやそのコピー製品を採用。
その為、このモシン・ナガン系統のライフルが
あのシモ・ヘイヘの愛銃となっている。
なお、彼はスコープのレンズが光を反射してしまい自らの位置が露呈する事を嫌って
なんとスコープなしで狙撃を続けていた。
○主なモデル
M1891 帝政ロシア時代から第二次世界大戦までほとんど現役
M1891/30 上の改良型
M1910 M1891の騎兵銃モデル
M1944 上に銃剣をつけた物
ちなみにこの銃も海外や日本のKTWでエアガンとしてモデルアップされている
「お買い上げありがとうございました~」
「よ~し俺も…」
パァン!
彼の代わりに追記・しゅうせ…
パァン!!
「…未熟者め」
- MGS2のときから麻酔狙撃銃はなぜか木製ストックの単発式だった -- 名無しさん (2016-07-28 02:37:38)
- ↑連射出来たら不殺プレイが容易になりすぎるからな(なお”マシン”・ナガン…) -- 名無しさん (2020-12-13 23:47:45)
- 敵から奪ったこれで狙撃してた猟兵がドイツの狙撃兵学校に行くことになり使ってたモシン・ナガンを譲った新人のその後を聞いて銃床に溝を彫ったり戦果がわかるようなものは一切身に付けないようにしたってあったな -- 名無しさん (2024-01-18 15:57:27)
最終更新:2024年01月18日 15:57